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なにも ほしがならなぁい なにも きたいしなぁい

森田芳光監督の『(ハル)』は今こそ参照すべき傑作コミュニケーション映画だった。

2021-10-31 | 備忘録
ライムスター宇多丸さんがここ数年取り組んできた森田芳光監督の全作品上映会、その上映会を元にしたキネマ旬報での連載をまとめた『森田芳光全映画』をきっかけとして、いくつかの森田芳光監督作品をU-NEXTで観たのですが、本作『(ハル)』がずば抜けていた。

インターネット以前のパソコン通信の時代に撮られた、パソコン通信のメールを介しての男女の関わりを描く映画だが、メインの登場人物である「ほし」(深津絵里)と「はる」(内野聖陽)それぞれが住む盛岡と東京での散文的なエピソードとエピソードをパソコン通信のメールの画面、文字画面を繋いで描く構成が大変新鮮。

エピソードごとは説明的な台詞は少なく、映像で見せて行くが、ブリッジとなるメールの画面ではその前のエピソードの意味やその時に「ほし」、「ハル」それぞれが何を考えていたのかなどある種の謎解きの様な構成になっている。それが文字のみの演出も相まって緩急になっていて、作品を飲み込みやすくするだけではなく、映画のリズムとしても非常に見やすい。

メールから更にチャットアプリやSNS、ネットが一般化した今こそこの構成は真似るべき、参考にすべきモノなのでは無いのかと一視聴者としては思いました。

この映画、構成が素晴らしいだけではなく、描写やエピソードも強烈な力を持っている。「ほし」につきまとう「ほし」の亡くなった恋人の友人は今で言うストーカーだし、「ほし」と「ハル」の間に入り込んでくる女性「ローズ」のネット弁慶な性的な煽りやその正体は今見ても強烈。

エピソードとしては、「ハル」が東北出張時に新幹線で向かう時に「ハル」と「ほし」それぞれが手を振り合うと言うとてもアナログな、そしてこの上なくロマンチックなすれ違い描写は、今見ても、いや今見ると更に鮮烈な印象を与えています。

地上波でゴールデンタイムに放送して欲しい映画No.1。Twitterの人たちは悶えて死ぬのでは?そんな映画でした。深津絵里、内野聖陽、2人とも素晴らし過ぎますよ。



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