ネコのヒトビト

ネコにまつわるヒトビトについてのお話等

孤独を嘲笑う風潮の醸成

2022-06-02 08:35:55 | 思ったこと
考えてみれば、
昔から
孤独を嘲笑う風潮が作られていたと言える

人々の社会から逸脱し
客観的に孤独といわれる状態に陥ることが
とてつもなく恐ろしい事だと
恐怖を感じるような社会が醸成されたのである。

それが、ここにつながるのだとしたら、
どれだけ用意周到なんだろうか。

広い意味での「為政者」は、
「ぼっち」という言葉を流行らせた主体なのだろうか?
「友達ひとりもいねえんだぜ」という嘲笑う文化を作った主体なのだろうか?
いつのまにか、SNSで何百人も、何千人も友達がいる人を「あがめ」
SNSで少ない友達しかいない人を「かわいそうな人」と哀れむ
そんな社会に。
人から「ぼっち」と言われるのをおそれる
人から「さみしい人」とかわいそうがられるのを、おそれる。
おそれのあまり、
一生を棒にふるかもしれない選択を、進んでしてしまう。
恐れから生まれる選択。

孤独に陥らせ、洗脳を容易にする。
ということの前提に「孤独への恐怖」をあらかじめ植え付けた。

孤独を怖い、と心底思っている人々が、
社会の求めている「自分像」を逸脱するのを恐れ
自分の命を差し出してしまう。

為政者は、そんな人格形成をするために、
おそらく日夜努力をしてきたのだ。

そして、
えんがちょとか
ばいきん
とか
寄生虫だとか
子供たちがいじめで使う言葉を
容認し、
あらゆる教育機関で、
いじめられる子供たちを守ろうとせず、
いじめる子供たちを教育することもない。

それは、一つの方向へ向かうために。

支配しやすいニンゲンを作るための、
必須のルールであったに違いない。

孤独を恐れない人は、虐められるような
自然と「あいつをいじめたい」と思えるような
なにかを埋め込む。

それが、どんな操作によるものなのか、私にはまだわからない。

私は騙されなかった。
それは
おそらく
孤独に慣れてしまって、恐ろしがらなかった、という
それだけのことなのかもしれない。


いじめられてると言えない

2022-06-02 02:21:43 | ふクちゃん
いじめられてると
親に言えない
いじめられてるという
事実を認めることが辛い
いじめられていると
思われたくない
それが事実だと
悟りたくない
悟られたくない

否認
現実を受け入れられない
歪んだ現状認識

わたしには集団否認に見える

家族全員をターゲットに
偽弾を混ぜた拳銃を一斉に発射された
相手はあなたに清き一票を!と
投票を懇願したヒトビト
または
あなたの税金や保険料で儲けているヒトビト

あなたは弾に当たらなかった
からといって
相手が自分たちに対して
一斉射撃した事実を認めようとせず

自分は殺されなかった
だから
銃撃はなかった
殺意もなかった
自分を殺す相手をかばう


孤独なのか

2022-06-02 01:15:11 | 思ったこと
Grand jury
7日目は、
精神医学とプロパガンダについてという中身で、
内容を読んで思ったのは
孤独にさせることで、人々をより上手に騙すことができる、という部分について
そうかなあ、と思ったこと。

だとしたら、
「〇〇さん、わくした?」
「うん、した。△△さんは?」
「もちろんしたわよ。コワイコワイ」
という感じの、
人間関係の輪から、逸脱するのがコワイために、
それ以上にコワイあれを、躊躇せずにしてしまう、
その感覚。は、一体なんなのか。
この人たちは、孤独なのか?

自分におきかえると
私は、人の輪に入っていけなかった。
もともと、どんなに努力しても、受け入れられない
どういうわけか、子供の頃から、
明日は、こう言ったら、仲間にいれてもらえるかなあ、
今日は、こういう態度なら、仲間に入れてもらえるかもしれない。
などと、手を変え品を変え、なんとか、友達に受け入れてもらえるようにするにはどうすればいいか、考えて考えて、顔の筋肉が硬直して頭が痛くなるみたいな
そんな子供でした
誰よりも孤独だった
ある時から、いつからか知らないけど、
なにをしても無駄だから、諦めた。
友達もほとんどいないし、
他の人たちのように「飲みに行く」「カラオケにいく」
「セミナーに参加する」「食事にいく」なんてことほとんどない。
人から見た目は超絶孤独。



でも、
騙されなかったよ。
どういうわけなんでしょうね。

孤独だから、なのか。
それとも
人と人が、つながっているように「みえる」のは、
一人一人が、孤独を直視することを「避ける」ための
便宜でしかないのか。
それは、本当の孤独を抱えているということなのか?
だれかと一緒にいる ということで安心している コドク

だれかと一緒にいる というシルシ だけで 安心している コドク

なのか?

私は思った
だれもがしているのに、じぶんだけしてなかったら、輪にはいっていけない。
だれもが、している体験としての枠 の機会を喪失したら、
なかまはずれになるのではないかという恐怖
それが、未来永劫いのちをうしなうかも あるいは けんりをうしなうかも という恐怖に勝っているという事実。


だとしたら、この「コドク」は、相当根が深い。

人から「反枠」と言われるのを恐れて
「わたしは反枠ではないけれど」と前置きしながら、家族が死んだとか知り合いが死んだ、とかツィートしている投稿をいくつもみてきた。
そんな前置きが必要だと思うほど、

どうして そんなに人目を気にしてるのだ?


社会。
そこで生きていくこと=人との関係を保つ。
嫌なことも嫌だと言わず、
ドレイのように
心を殺して、人と付き合う
自分の心がどこにあって、自分がどう思っているかも知らないまま
人のことばかり気にしている

そんな、人格形成を、されてしまったのだ。
そんな、人が「オトナ」として崇められ、「オトナ」はこういうものだ、と。

白い物を黒いといわれても、黒いと答え
顔色を伺い、忖度という言葉を知らないのに身につけて。
だれかに褒められるようにだれかにみとめられるように。

そんなふうに、されちゃったんだ。

孤独
孤立だけが、孤立の形だけが あるいはソーシャルディスタンスだけが
マインドコントロールを目的とした
外部から形成された「孤独」ではない

もっとも 根の深い、孤独は、もっと前から
我々の社会にのしかかり、支配していたのだ。

棄民

2022-06-02 00:48:44 | 思ったこと
ある時代に、
南米などに、たくさんの人が、
あそこへ行くといいことあるぞ、とセイフに騙されて
とてつもない荒廃したとちをあてがわれたという話

しばしば、
民は、捨てられる

嘘をつかれて、騙されて、
もっともらしきことを言われて


そういうのを棄民というのです。
捨てられるのです。



自(分のところの)民を棄民してるのです。

これからは、じみん等の 政治家(明確に枠推進の人々)を
棄民等と、わざと言い間違えるかもしれない。

明確に、わざと言い間違えても、
当たり前だと思っている。

他の国は、マスクの有害性を示してから明確に義務化撤廃をしている

2022-06-02 00:39:10 | 思ったこと

マスクは、効果が
ある
という
証明は、どこの役場でも(もちろん厚労省でも)
されていません。
それどころか
有害であるという証明はいくらでも見つけられる。

なのに、政府広報でも
テレビでも
「マスクはしてください」と
「感染予防効果がある」と
言われて

効果があるという「エビデンス」は無いにもかかわらず、
「効果がある」と言われ
有害である という「エビデンス」は幾らでもある にもかかわらず


国民性だから、勝手につけているからだと
後藤さんはおっしゃってます。

すごいですね。

どんだけ ●ラの皮があついんでしょうか。

マスクは、常に口の前で
食物残渣を含む唾液を受け止めて
雑菌だらけになっています。
雑巾みたいに汚いんです。
だから、
おみそチャンネルのおみそんさんは
マミーポコだと言っています。
つまり 顔におむつつけているということを単に揶揄して
言っている。まったく笑えるけど笑えない。
すもう中継で、みんなおむつ顔につけてるのをみると、
ああ、「これで安心」と思ってるのかなあ
なんて思ってしまいます。

何度でもいいますが、
忽那先生も「効かないって」言ってたんですよ。

いつ翻意されたかは知りませんが。