「いいから信号を無視してつっきれ」とでも言われたのでしょうか?
先日、横断歩道を青信号で通行中の人が車にはねられた
運転していたのは40歳台の女性
信号無視をしろ と命じたのは20歳台の男である
この主従関係はどこから生まれたのか、どんな関係性だったのか
しらない。
その女性にとって
彼の指令は絶対で、それに背くのは
人をはね殺すのを
はるかに凌ぐ「恐怖」を感じたからに他ならない
こんな、理不尽なコマンド(指令)を
無分別に選択し、間違った行動をしてしまう。
反射的に。
習慣づけられた恐怖
その指令をだした男は、「その時自分は寝ていたのでそんなことを言っていない」と否認しているという。
これは私の妄想でしかないが、
彼は「おれさま」であり彼女は「おまえなんか、俺の言うことを聞くのがあたりまえの奴隷」という役回り
この「おれさま」という思い込みと
「誰かの言うことをきくしかない・奴隷」という自己卑下の
精神構造が、
もし、これを広義の
「優生学」と言ってもゆるされるのであれば
「優生学」と言ってもゆるされるのであれば
上から下まで
それが
骨の髄まで浸透しきってしまったのが
いまの社会なのかもしれない
と
思った。
どうしてそう思ったのか
馬淵、という人が
日本を売り渡す人々の正体について語った動画の一部をみたから
誰なのかというと「かんりょう」である。
彼らは、もっとも ユの「ゆうせいがく」に毒されたぴーぽーだと
言っていた
ゆうせいがく というロジックのなかで
こころの ほねのずい までしみこんだ
おさないころからしこまれた
ゆうえついしき
あの20台の若者が、親からどんな教育をうけたのかしらない
ただ、40台のおとなの女性を奴隷としてあつかうのに
躊躇しない精神構造を彼はどこかで与えられた
優れていれば、
だれかより
ゆういにたっていれば
だれかを どうあつかってもかまわない
あるいは
だれかが優れていて
じぶんよりゆういにたっていれば
どうあつかわれてもしかたがない
そんなオレサマコンジョウとドレイコンジョウが
同居したこの社会である。
だから、
だれか「えらいひと」が、
「この チンは すごくいい チンだ」と
言えば
まよわずそれをしてしまう。
だれもが、自分を信じることをわすれた。
理詰めで
「おまえは優れていない」と
言われることを恐れて
「おまえは優れていない」と言われないような
行動をしなければ、という恐怖感をかかえたまま
生きる社会である。
ばかといわれようと
パーといわれようと
「自分の選択をした」と
胸をはって、腹をくくって、
自己責任で生きるだけの
自己責任で生きるだけの
胆力
それだけが、必要だ。