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去る11月20日、子の夫婦が関西旅行の一端として早朝の大阪城界隈を散歩しました。
大河ドラマ「真田丸」は大詰めです。今の世界のように、だましあいだったのですね。
大阪の人は太閤さんが建てたと思いたいが、最近の発掘調査で、その古い城は下に埋もれていました。
以下フリー百科より(ウィキ)
徳川氏の大坂城は豊臣氏の大坂城の石垣と堀を破却して、天下普請を行い藤堂高虎を総責任者とする。全体に高さ約1メートルから10メートルの盛り土をした上により高く石垣を積んだので、豊臣大坂城の遺構は地中に埋もれた。また天守など建物も構造を踏襲せずに独自のものに造り替えることになった。こうして大坂城天下普請が始まる。
徳川氏の目的は、この天下普請を諸藩に課すことによりその財政を逼迫させ、財政的にその勢力を削ぐことであった。天下普請の結果、大坂城の城郭の大きさは豊臣時代の4分の1の規模に縮小されたものの、天守はその高さも総床面積も豊臣氏のそれを越える規模のものが構築された。二重に廻らせた堀割は江戸城をしのぐ規模のものとなった。
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