NJの山花旅

山花旅の写真が多数。環境問題と歴史、時事も加えます。

・谷川岳周辺冬景色(4)危険な岩質

2007年12月20日 09時30分49秒 | ▲自然・赤城山 谷川岳等 

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谷川岳の遭難者は800人に近い。多くは岸壁からの落下です。つる下がった死体を収容できず、自衛隊が多数の銃撃でようやくロープを切ったことがありました。
写真のような火成岩の岩質が災いしているのでしょうか。

以下、yahooセカンドライフより抜粋

「夏の日の衝撃的な記憶」  記事の著者「ヨッシー」さん


もう30年も前の夏の出来事です。
高校生の私は山岳会の先輩と三人で谷川岳の一ノ倉沢のルートを登りに行きました。

「あっ!」
短い一言の叫びが静まり返った一ノ倉沢の岩壁にこだましました。
彼の身体は、岩を蹴るように空中に飛び出し落下しました。
乗っていたアブミのボルトが岩から抜けたのです。
ザイルで結ばれた下のパートナーはその衝撃で上に持ち上げられました。
途中に5ヶ所ほど打ってあったハーケン、ボルトは落下の衝撃に耐えられず、ボン!ボン!と次々に抜けて行きました。最後の一本もあっけなく抜け、二人は垂直の壁を数百メートル下の本谷へと墜落してゆき姿を消しました。あとはガシャガシャと鈍い音が数秒続き、あたりは何事もなかったような静寂に包まれました。

「先輩・・」
目の前で起こった光景に私は言葉を失いました。
「先輩、どうしよう・・」
「俺は遺体の収容に降りるから、君とKさんは、予定通り登って」
T先輩はそう言い残すと、私の40mザイルを持って、二人の落下した地点へと下降して行きました。
「K先輩、どうするの?」
恐怖のあまり、すっかり登攀意欲をなくした私は登攀中止の期待をしつつ聞きました。
「さあ、登るぞ!」とK先輩。
もう選択の余地はありません。従うのみです。
正に今、目の前で起きた惨劇の生々しい記憶を振り払うように計画通りのルートを登攀し、一ノ倉岳の稜線に出て、一ノ倉沢の出合に下降した時にはもう遺体の収容も終え、警察官が数名残っているだけでした。収容を終えたT先輩と落ち合い、何事も無かったかのように聳える一ノ倉の岩壁を背に土合の駅へと戻りました。


アルプスの花崗岩と違い、岩質が非常に脆く、登攀中に雨などに降られるととても滑ります。そのため大きく墜落するとハーケン、ボルトは抜けやすく、多くの犠牲者を出してきました。
元気に登っていた二人の若者の命が数秒後に儚くも消え去った現実を目の当たりにして、自分の行っている行為の危うさを痛感しました。
この事故で亡くなった二人の遺体を収容するために使われた私のザイルは、その作業の際に磨り減って使用不能となり、二人が所属していた山岳会から、新品のものをお返し頂きました。私は今はクライミングからはきっぱりと足を洗いましたが、このザイルは今も単独での高所作業の時の命綱として使用しております。




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雪の重みで木は曲がります。




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前後しますが、天神平スキー場の食堂はクリスマス飾りです。
ここではスキー、スノーボード、靴がたくさんありました。重い荷物を敬遠して、借りてすべる人が増えています。