竹崎の万葉集耕読

日本人のこころの拠り所である「万葉集」を味わい、閉塞感の漂う現代日本人のこころを耕したい。

醜の御楯(しこのみたて)の本音

2009-08-12 09:02:16 | 日記
日本人のこころの歌―私家版・万葉集耕読
 醜の御楯(しこのみたて)の本音 (20)

我ろ旅は 旅と思(おめ)ほど 家(いひ)にして 子持(め)ち痩(や)すらむ 
我が妻(み)愛(かな)しも                
 おいら、旅は旅だとあきらめもするけれど、家で子を抱えてやつれているであろう、おれのかあちゃんがいとしくっていとしくって。
    右の一首は坂田部首麻呂(巻二十)

旅行きに 行くと知らずて 母父(あもしし)に 言(こと)申さずて 今ぞ悔しけ  
寒川の郡の上丁川上臣老(巻二十)
 こんな長旅に出るとも思わずに、おっ母さんやお父っつあんにろくに挨拶もしないで出て来てしまって、今になって悔やまれてならない。

 ともに防人(さきもり)と呼ばれた兵士の歌である。防人は、筑紫・壱岐・対馬などの辺境を防備するために東国から派遣された農民である。さきの大戦中には、防人の歌は、例えば「今日よりは 顧みなくて 大君の 醜の御楯と 出で立つ我は(今日からは後ろを振り返って案じたりすることなく、大君の醜の御楯として出立していくのだ、このおれは。)」を取り上げて、大君に対する忠誠の言立ての歌として、出征兵士を鼓舞する時に利用された。その実、万葉集に収められている九十八首の防人の歌は「おしなべて“征くことを厭う歌”の集まりであるといってよい。閉ざされた地縁社会しか知らなかった農民兵にとって、当代律令国家のほぼ端から端までを移動する旅は、あまりにも長く闇かった。歌えば口をつくものは、引き離された故郷への思いでしかない。」(伊藤博)
 
 今年もまもなく終戦の日を迎えると、恒例の追悼行事が催される。私は、父を戦争で喪った靖国の遺児の最後の世代である。あと二十年もすれば、直に戦争の記憶を持つ日本人はほとんどいなくなる。
 当時、わずか五歳のわたしには、亡父の記憶はほとんどなく、父を奪われた遺恨の情も薄い。しかしながら、郷里に父母や妻子を残して、まったく理不尽な死を遂げた亡父の無念が、いかばかりであったかは計り知れない。

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