例えが良くないのを承知で書くのですが(自身の、お米に対する価値観から、「例えが良くない」と書いています)、お米の在庫は、「ババ抜き」のジョーカーに似ている気がしています。不測の事態に備えて、ギリギリまで持っていたいけれど、新米が出る時には手元に置いておきたくない。そんな感じです。ババ抜きのジョーカーも、ギリギリまで持っていて最後に手放せたら、ゲームで負けることは無いでしょう。
「蛇の道は蛇」ではないけれど、これも例えが悪いですね。餅は餅屋という例えにしておきましょうか。新米が出回る時になっても、お米屋さんであれば前年産米をさばいていく経路を確保していることでしょう。当年産米でなくても構わないという買い入れ先がそれなりにあることは、容易に想像できます。そしてそれができなければ、「米屋さん」ではないはずです。新米入荷時期以降も、ある程度の期間は「ジョーカー」を持っていられる猶予がありそうです。
そういう意味からすると、いちばん初めの売り手である農家は、ジョーカーを早々に手放さなくてはなりません。農家が集荷業者に最も高く?買い取ってもらえるのは、当年の10月いっぱい。その後は少しずつ安くなり、今この時期だと、完全に足元を見られているような値段となるのが普通です。いやん、バカァ。どこ見てんのヨォ。足元見てんだよ。
まぁ、そんな感じでして、そんなに安くちゃ、一年かけて自分ちで食べた方がマシ、と思ってしまうような値段になるのです。でも考えてみれば、梅雨を越し、厳しい暑さを過ぎ、どんなふうに保管されていたかわからないようなお米に、収穫後間もない値段とあまり違わない値段が付くというのは、ありえない話。安くなっても文句は言えないし、そもそも、なぜ今まで持ち続けていたのか?という話になってしまうことでしょう。当てがはずれて、自分の「ジョーカー」を引く人がいなくなった時のゲームの結果は、誰の目にも明らかです。ちなみに、冷蔵庫で保管していましたなんていうのは、買い取られる際の値段に、いささかの影響も与えません(苦笑)。
でも、ギリギリまで不足が起きないようにしたいと、強く思っています。それは、「コメ不足」のパニックを経験したからです。30年前のあの時以来、とりあえずそんなことは起きてはいませんけど…。