今日は、強い雨風の天気です。外仕事はもちろんできません。精米機の分解掃除をしました。雨の日、月に一度くらいは、この作業をします。
今の精米機に変えてから、一年以上が過ぎました。前の機械より新しい型のはずなのに、なかなか馴染めず、どうしてだろうと思うことがしばしばあります。
一度、メーカーに電話して、直接話を聞いてみたことがありました。「考えられるいくつかの原因」を聞きましたが、「それだったか!」と思えるようなヒントはありませんでした。農業って、そんなことが良くあります。きっと農業以外でもあることでしょう(でも、稲作しかやってこなかったので、わかりません)。
原因が分からなくても、掃除は大事です。みなさまには、どんな状態で届いているでしょうか? あまり問題が無ければ良いのですが。
的の彼方
「それ、私の家ではだめでしょうか」
しばらく続いた沈黙を破ったのは、節子の声だった。その場にいた誰もが意外に感じた時、地区会長の中井が、その思いを代表するかのように口を開いた。
「節ちゃん、本気か。和樹君は大丈夫なのかい」
「わからない。もしかしたらみんなに迷惑かけることになるかもしれない。でもやってみようと思うんです」
節子の声は、決して大きくはなかったが、どこかきっぱりとしたものだった。やっと決まったという安堵の気持ちが、その場を支配したことを見て取った中井は、この成り行きに賭けてみようと決め、ひと通りの挨拶をして話し合いを締めくくった。それと同時に、皆はめいめい立ち上がって、集会所を後にした。
「節ちゃん、ありがとう。正直な話、今日の相談で誰も手を上げてくれなかったら、どうしようかと思っていたところだったんだよ。心配が無いといったらうそになるが、この民泊受け入れで、和樹君に何か変化があってくれたら良いなぁ。もしどうしてもできなくなったら、私の家で何とかするから、和樹君にはあせらずに話してみてくれ」
最後まで残った節子にそう言って、中井は笑顔になった。
秋田県での国体開催。節子たちの住む町でも競技が行われることとなり、全国から集まる選手たちの宿泊は、町内の一般家庭に委ねられることとなった。
しかし節子の集落では、受け入れるという家庭がなかなか出ず、今夜が三回目となった相談の場には重苦しい空気が漂っていた。そんな中で発せられた節子の言葉は、そこにいた皆を一様に驚かせた。節子の家には、高校を中退して以来、家業である農業の手伝いをしている和樹がいたからだった。
和樹が高校を中退したのは、二年生の終わりごろ。学校に行けなくなって一年以上経ってからのことだった。入学してすぐレギュラーの座を獲得した和樹は、試合で大きなミスをしてしまい、それがもとで、チームはまさかの敗退を喫した。そのミスを責める者は誰一人いなかったが、和樹には自分の責任が痛いほど感じられて、いたたまれなくなり、やめてしまった。
その後、後期になって、クラスからひとり応援団員を出さなければならなくなった時、当然のことながら部活動とは無縁の数人がその候補となり、最終的に和樹が選ばれた。
が、もともと応援団というものになじめなかった和樹は、二週間ほど必死の思いで練習に参加していたが、朝学校に行こうとすると体調不良となり、ほどなく学校を休むようになった。そして家族や周囲の心配り、働きかけの甲斐なく、欠席は続き、中退することとなってしまったのだった。
それから数年が過ぎていた。地域の中でも比較的経営規模の大きかった節子の家であったが、その収入だけで暮らしを立てていくというのは、昨今の農業情勢からすれば無理のことのようになっていた。そんな中で、夫が突然の病で亡くなったことも、節子の家の現在に大きな影を落としていた。
家に帰ると、居間はガランとしていた。
「和樹、母さん、民泊を引き受けてきたよ」
節子は明るい声でそう言った後、少しの間、耳をそばだてていたが、和樹の部屋からは何の物音もしなかった。
その日から一年近くが過ぎ、開催が間近に迫ったころ、節子は中井の家を訪ねていた。
「会長さん、今日は言いにくいお話があって来ました」
節子の様子を一目見ただけで、中井には話の内容が何であるかがすぐにわかった。
「和樹君は受け入れる心の準備が間に合わなかったんだな。残念だがしかたないさ。節ちゃんもよく、忙しい中を何度も説明会に出てくれたよ。本当にありがとう。後のことは何にも心配要らない。予備家庭として登録しておいた我家が受け入れればいいんだから。これまでいろいろ頑張ってきた分、落胆も大きいだろうが、くれぐれも力を落とさずにな。和樹君にも試合の応援には来てもらいたいな」
そう言って中井は微笑んだが、節子は一礼をするのがやっとだった。
そしていよいよ、競技の日がやってきた。節子たちの集落に宿泊した県の選手団は、一回戦を僅差で勝ったものの、二回戦では、中盤での大きな差を最後まで縮めることができず、負けてしまった。ずっと固唾を飲んで見守っていた観衆からは、両チームの健闘に対して惜しみない拍手が送られた。節子と和樹も、ありったけの拍手をして競技場を立ち去った。
選手たちは翌朝帰省することに決まったらしく、夕方になって、中井から各家庭に、出発時に都合の付く人は見送りをしてほしいという連絡が入った。受話器を置いた節子は、和樹に聞かせるというでもなく、明日の朝八時に出発するんだってと、つぶやいた。
翌朝、早くから作業場にいた和樹は、昨日の試合のことを思い出していた。五人が一列に並び、順次矢を射てそれが八回繰り返された。しかもそれは、対戦している二チームが制限時間の中で、ほぼ同時進行の形で行っていた。
対戦中、選手たちは一言も発しなかった。矢が的を射ようが射まいが、表情を変えることも無かった。的をはずした仲間を慰めることもできない。仮にそれができるとしたら、それはただひとつだけ。自分の矢が的を射ることだけであった。和樹には、自分のなすべきことをすることが、周囲をたすけることにつながっているように思えた。
そこには相手を打ち負かす必要も、相手に打ち負かされる恐れも無かった。それはただ、ひとえに自分自身との戦いのように見えた。
そんなことを思っているうち、和樹はなぜかふと、エールを送る所作をしてみたくなっていた。わずか二週間ほどの応援団だったが、必死で覚えざるを得なかった数種類の動作は、不思議と忘れずにいて、ゆっくりとはいえ、そのほとんどをすることができた。
「和樹、急がないと見送りに遅れるわよ」
突然の母の声に、和樹は急いで朝食を取ると、母とともに見送りに出た。
集落のほとんどの人が集まっている場所に、間もなく選手と監督、中井がやって来て、丁重に礼を述べた。それに対して別れを惜しむ言葉がさまざまに言われ、わずかな沈黙の後、監督が「それでは」と口にした時だった。
「がんばったー、がんばったー、うえきぃ」
突然の声援に、誰もが後ろを向いた。
それは、和樹が発した、選手へのエールだった。皆の驚きの表情をよそに、和樹は次々と選手の名前を叫んだ。そして全員の名前が言い終わった時、もうひとつ別の声がした。
「和樹、もう一回だ。がんばれっ」
それは中井の声だった。
和樹は、中井に向かって目礼をすると、また選手たちの方を向き、大きな声を発した。
「フレー、フレー、うえきー」
その声に合わせて、今度は中井が、上手に拍手を打った。そこにいた誰もが、いっしょのリズムで手を叩き、エールを送った。そして再び、全員の名前が叫ばれた。
拍手はいつまでも続いた。監督と選手たちは、繰り返し頭をさげた。何人かの目からは涙があふれているようだった。
節子の目からもいっぱいの涙がこぼれていた。やさしく肩を叩いた中井に向かって、節子は口を押さえながら、何度も頭を下げた。その場にいた人の中にも、もらい泣きをしている姿がいくつかあった。
その日の夜遅く、部屋にいた和樹の耳に、白鳥の声が聴こえてきた。この秋初めて聞く声だった。
毎年幾度となく耳にしてきた声のはずなのに、闇の中であってさえもただひたすら飛んで行く鳥たちのことに思いを馳せたのは、この時が初めてのような気がした。
部屋の戸を開けると、居間にはまだ灯りが点いていた。その灯りに向かって、和樹は静かに一歩を踏み出した。
その灯りは、的の彼方のようであった。
10年以上も前に書いたものです。最後まで読んでくださったとすれば、ありがたいことでした。