満月でした

2017-03-12 20:23:10 | 独り言
東にくれなひの月浮きゐでて かへり見すれば山しずまりぬ

ひむかしの野にかぎろひの・・・・のパクリですが、居酒屋セブンイレブンで二上山の日没をたっぷり楽しんで家に着いたら見事な満月と二上山の神々しい姿でした。思わぬ贈り物を戴いたので一首したためました。

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大衆酒場Pubふじ・・・詩人たちが寄ったこんな店があった

2017-03-11 09:34:49 | 日記・エッセイ・コラム
「おい、俺だ、わかるか」オレオレ詐欺のような電話だが、すぐに声の主はわかった。「マスター元気ですか」と答えると「俺、いま病院だ。入院している」と返ってきた。転んで骨折したらしい。ぼくが当麻に引っ越して以来の電話だから一年半ぶりだ。毎年数首の短歌を載せた年賀状を頂いていたが今年はそれがなかったので心配していた。昨年末に長年介護をしていた奥様を送られたということだった。長く看たので悔いはないと言っていたが、老々介護なのでマスターのことも心配だった。骨折は痛かろうが、「生きていてよかった」と言った。もうひとりになったので、若い看護婦がいる病院のほうがいいなんてほざくぐらいだから安心した。
電話の主は元「大衆酒場PUBふじ」のマスターである。僕が京都で詩に関わることができ現在に至っているのはマスターのおかげなのである。店は京都市の河原町通姉小路西入ルにあった。三条通りの一筋上の通りで南側は本能寺の墓地だった。
京都に引っ越して、知らない町の知らない店にふらっと入って、カウンターで飲んでいたらマスターが話しかけてくれた。何回か通ううちに詩の話をするようになって月に一回詩人の会があることも知った。厨房の棚にはたくさんの同人誌や詩集が並んでいた。有名な詩人も立ち寄る店だったのである。マスターとは詩について、色々な角度から話した。そのうち自分の詩をマスターに見てもらうようになり、僕に合う人ということで、詩誌「群狼」の宮内憲男氏に会わせてくれて、氏がはじめる詩誌「藪の中」の同人に加えて頂いた。同人には季村敏夫氏や藤本直規氏らがいた。僕は城陽市の宮内邸に通った。
安西均氏、三井葉子氏をお招きしての宮内邸での新年会に同席したこともあった。安西さんと三井さんの踊りは楽しかった。近くには独特の言語感を持つ角田清文氏もいて、那珂太郎さんの詩の魅力についてよく教えて頂いた。
中江俊夫さん、大野新さん、近江詩人会の人達、河野仁昭さんらと語り合えたのもこの店であった。
佐々木幹郎、清水哲男、清水昶、東京の詩人たちも多く訪れている。
本庄ひろし氏が東京から来てくれて意気投合した。そのうち彼が池井昌樹氏を連れてきて一緒に飲んだ。池井さんが今のようにスリムになる前だ。
ある日僕の下宿にマスターから電話がかかってきた。「田村隆一さんが来ているからすぐに来い」と。ぼくはすぐに向かった。マスターはカウンターの田村さんの横に席を空けておいてくれた。ぼくは横に座ったが緊張していて何を話したのか、何か話せたのかまったく憶えていない。ただ体も大きくとてつもなく風格のある人だった。
また或る年の秋、京都大学の学園祭の時季だった。「藪の中」の宮内さんのおかげで、楽友会館に吉増剛造氏を迎えて朗読会をやることが出来た。「吉増剛造とα人」でα人とは宮内さんと僕で、この時の吉増さんの朗読が僕の朗読を変えた。
その後「藪の中」は終刊し、僕は母の介護で静岡に帰ったのだが、此間に「PUBふじ}は店を閉めた。マスターは悠々自適の道に入った。以来、年賀状だけでの音信となっているが、ご縁は続いている。マスターは僕のことを破滅型と言ったが僕の The Artists` Life はマスターと出会えたことによって始まった。マスターが居たから今の自分がある。「治ったら行くわ、俺も歳やからな」なので、近々こちらから出向かねばなるまい。相変わらず大きな声である。河原町三条のアサヒ・ビヤホールで賑やかに話した日を思い出した。
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♫ 積もり重ねた不幸のか~ず~を ♫

2017-03-10 21:20:06 | 独り言
食後の片付けをしながら口ずさんでいた「網走番外地」。気づいて思わず苦笑い。身に覚えがあるからだろう。♫ なんと詫びようかおふくろに ♫ 今更詫びてもどうしようもないが、罪ほろぼしのつもりで朝晩40分仏さんの前に座っている。たまにルルが膝の上に同席する。♫ 背なで泣いてる唐獅子牡丹 ♫ はないが、三階のワンちゃんが泣いている。気持ちだけでも天国に送っておくと一日がゴツゴツしない。二十一歳で家出して四十代のときに半年家に戻っただけで、あとはたまに帰るだけ、親不孝のしっぱなしだった。母が使っていた数珠とお経本を持って、母の姿を浮かべて母がしていた真似を、今している。
2013年「網走一丁目」という題名の詩集を作らせてもらった。著者は尾崎朋子さん。その詩集に「」という詩がある。その中の一部分です。

          お母さんの割ったお皿
          見えなくなりました
          かけらって何だったの
          お母さんのかけらって何だったの
          かけらがなくなっても
          おかあさんはいるの

ルルは自分用のホットカーペットでご覧のとおり!
  
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詩・セッション 今ここに居ることが嘘でない限り

2017-03-10 01:00:00 | 
*詩・セッション*
   今ここに居ることが嘘でないかぎり
                  高田数豊 & 久保田松幸

すすきの穂先に塔の水煙が見えたら魯を上げて少し休みましょう
急ぐこともないでしょう 
今ここに居ることが嘘でないかぎり
うぐいす色の水面に白鷺の羽もたゆとうています
向う岸は縁日でしょうか 幟(のぼり)がはためいています
船ごと揺れそうな真昼の花火です
音は落ちるのでしょうか散るのでしょうか拡がるのでしょうか
嫌な記憶しかありません 
今ここに居ることが嘘でないかぎり
わたしの耳は沈殿している音を汲み上げるのです
                                       (高)
    季節よ 何故そんなに急ぐのか
    昨日も今日も 大事な日ではなかったか
    明日も またしかり
    だが ふるさとの再生しない風景に
    明日が まだあるだろうか
                                       (久)
遠くまで来たような気がしますが 
この先目印となるものに心当たりがありません
かまやしません 時の流れを渡り切ろうなどと
大それたことは考えていませんから
時の流れるままに
玄関の花を換え 床屋にも行き うそ歌を口ずさんで 
折々には香を焚き 妻の出掛けを見送り 
小銭を握ってこっそり宝くじでも買ってみますか
たくさんの別れを経験してきましたがこの頃は恐ろしすぎて
わたし自身今ここに居ることが不思議でなりません
当たり前のような日々が・・・・
                                       (高)
    人を代理して機械が 宇宙を旅している
    機械には 無限に落ちているという
    実感はないのであろうか
    わが家の盂蘭盆は
    何処か宇宙の庭前になっている
                                       (久)
簾(すだれ)を立てた八百屋のおじさんは 
前掛けでひとつひとつ梨を拭いています
サーフボードを乗せた車が峠道をとばしています
重力は数々の錯覚と妄想を生み続けています
平日の予定もすべてキャンセルです 
浮世の風を風として船を流します
今ここに居ることが嘘でないかぎり 
こうしてたゆとう思いも嘘ではないでしょう
人恋しくなったらにぎやかな渡し場に船を寄せて
今ここに居ることも
「まんざらでもないわ」と
ひらきなおってみます
                                       (高)
    大柄な花弁の 酔芙蓉の花がゆれています
                                       (久)
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今日は記念日<POEM GARDEN>3年前の詩の朗読会

2017-03-09 00:00:18 | 詩・朗読・合評会
2014年3月9日は忘れられない一日となった。
詩を外に持ち出そうという思いで<POEM GARDEN>を思い立った。僕が京都で鼻タレ学生で詩を書いていた頃は、自由でオープンな場所で中江俊夫さんや大野新さんなど、著名な詩人たちとも詩を語り、論じあっていた。静岡県沼津市に移り住んでみるとそういう場所がなかった。詩を書いている人達は学習教室みたいな場所で先生のもとに真面目に研鑽を重ねているというのがほとんどだった。お教室嫌いのぼくには不思議な環境だった。そんな時、JR沼津駅近くの道路沿いにある車屋さんのショールームが気になっていた。イギリス風の庭園を持ち、古いシトロエンなどの外車や個性的な車MITHUOKAなどをショールームに置いている。「こんな場所で詩を朗読したいな」と軽く思っていた。そしてある日まったく面識のない店のオーナーを訪ね「こういう素敵な場所で朗読会をしたい」という気持ちをぶつけてみた。幸いご理解のあるオーナーだった。そして実現したのが<POEM GARDEN>だった。ぼくは垂れ幕、幟(のぼり)を作り、新聞に7万部の折込チラシを入れた。チラシには「先着20名に粗品有り」の文言も入れた。たかが詩の朗読会だけどやってみたかった。詩を教室という枠から思い切り外へ出したかった。
        
千葉県鴨川市から友人が駆けつけてくれて前日から設営に力を貸してくれた。彼がいなければこんな立派な会はできなかった。2014年3月9日は青空に恵まれた。その青空の下庭園には、オーナーが用意してくれた、黄金のクラシックカー「MG」が光り輝いていて来場者の視線を引き付けた。三島の詩の仲間たちに進行などを手伝って頂き、静岡県詩人会の方々の応援も頂き、西は京都市、名古屋市、浜松市から、東は神奈川県逗子市、伊豆の下田市などから34名が参加してくれた。チラシを見て電話をくれた人も来てくれた。朗読は普段教室でやっているものとは全く違って、終始リラックスした雰囲気で楽しく進行した。
      
会が終わるときには「来年もやろう」という声も上がった。僕は「競馬で大穴を当てたら・・」と返したがその後も「またやろうよ」という声も頂いている。そしてその日のみんなの詩を僕の手作りで一冊の本にした。それが「2014年3月9日の詩集Poem Garden-Memory of Space AO」だ。{スペースAO]はこのショールームの名称である。何よりも、ご理解のあるオーナーに巡り会えたことがこの朗読会の成功に繋がった。今でも感謝の念は薄れることがない。チャンスが有ればまたチャレンジしたいと思っている。

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