絵・{ペイント」で  夜明け前の富士山

2015-11-30 11:26:46 | 富士山

温泉好きの私が車で山梨県の石割の湯に向かう途中、早朝5時半頃御殿場のあたりで見た富士山の印象を、PCの「ペイント}を使って書いてみました。地元須走に住む詩人忍城春宣氏に「須走の富士だ」と言っていただいて、自分でも好きなアングルです。「お月見」も{ペイント」で遊び半分で・・・・。
25日の突然の腹痛は翌朝には治った。弟の命日だったので、あの世から「飲み過ぎやで」(関西弁だったかしらん?)と言われたような気がしたので、今も断酒中。ちょっとの間止めてみよう。
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やよい記念美術館・・・気ままに絵を描く

2015-11-29 08:54:01 | 独り言
ホームページ「個人詩誌てふてふの世界」に私設美術館?を開いて折々に描いた絵を載せていた我流で色々な描き方で、自己満足の産物である。京都は北大路、洛北高校の近くに「やよい」という小さな居酒屋があった。若山牧水の「人の世に楽しみ多し然れども酒なしにして何の楽しみ」の短冊が掛かっていた。ぼくらが「おとうさん、おかあさん」と呼んでいた仲の良いご夫婦を慕って、有名な画家、詩人、大学教授、銀行マン、セールスマン、学生、女史など、酒豪が暖簾をくぐって楽しい時間を過ごした。みんなが「やよい村」と称したその店は今はない。亡くなられたご夫婦にはお世話になった。不安定な学生時代を精神的に支えて頂いた。一日たりとも忘れたことは無い。毎朝合掌するときに、必ずお二人の笑顔、お姿を思い浮かべる。お二人への思い出を大切にしたいと思って、「やよい記念美術館」とした。下手な絵を描いては「おとうさん、おかあさん」に送っている。


    <万葉>         <葬送>     <シェ・グランピエールへの道>
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我が散策 皇帝ダリア→神社→新聞→寺→西田幾多郎→よもぎ餅!

2015-11-27 20:49:26 | 散策

夏のノウゼンカズラに替わってあちこちで幅を(丈を)利かしているのが皇帝ダリアだ。此処最近多くなりましたね。私の散歩コースは二上山と真正面に向かい合って、田んぼの中の道を歩いていきます。新在家の古い民家や造り酒屋の通りを上っていき池のそばの山口神社に出ます。この神社の杉木立の中の奥深い空間は私のお気に入りです。そこから下っていくと「ゆうあいステーション」があります。隣の当麻病院との間の道をゆくと丈を利かした皇帝ダリアが気持ちよさそうに秋風になびいていました。高台にあるので町の眺めが良くて空の青池の緑花のピンク色がGOOD!ではありませんか。ゆうあいステーションで缶コーヒーを飲みながら6紙の新聞を読み終えたら当麻寺に向かいます。礼拝をすませたら図書館に向かいます。今ここで読んでいるのが、西田幾多郎の歌集です。「禅の研究」の著者の知らなかった部分をその歌で知ることができました。

*子は右に母は左に床をなべ春は来れども起きつ様もなし
*かくてのみ生くべきものかこれの世に五年こなた安き日もなし
*わが心深き底あり喜も愛の波もとヾかじと思ふ

52、3歳の時の歌です。41歳で「禅の研究」を編んだ哲学者の人間としての苦悩がうかがわれます。
さて、図書館を出たら当麻駅の前のお店でよもぎ餅を二つ食べて(おいしいのです)参道を通り今度は当麻寺に寄らずに中将姫ゆかりの石光寺に寄ります。二上山を背に、由緒と格式を持ったお寺です。そこからはまた農道をぶらぶらと帰ります。約4時間ぐらいの散策を終えて、猫のルルと留守番を代わるというわけです。
    
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詩  偏西風

2015-11-27 11:55:06 | 
   偏西風

夜になって母に微熱が出た
母の頭の上の時計を見ながら
熱が下がってくれるのを待っている

激しく窓をたたく風は
吹き出したら三日は荒れる
いつものように妹が来て母の夕食を済ませた
いつもより時間がかかった

妹が誰なのか
僕が誰なのか
わかっている時と
わかっていない時と
聞くとキョトンとしている
名前は呼んでくれなくなった

荒々しくさけび返したい
でも めいってはいけない
あしたも また吹くだろう
落ち着かない日が
あと三日は続く

風がおさまると
家のまわりのものの位置が変わっている
あしたは どんな機嫌でいてくれるのか
ふたりで冬を迎える


 今日は母の祥月命日。3歳で亡くした子供の命日に近いというのも何か奥深いものを感じる。今日は風が音を立てて走っている。母の介護は二人の妹と協力してやった。一人だったら無理だったと思う。一昨日急な腹痛で病院へ行ったが翌朝には治まった。母を送ってから11年。今、自分の好きな土地で生きていられることに感謝している。「偏西風」は詩集「スパイラル」所収(2013年)
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詩  来客 「幻惑の花見」  

2015-11-25 08:12:18 | 弟の命日に
   来客 「幻惑の花見」

フルートとチェンバロの音色が、射し込んでいる光と睦み合っている時に、
君は突然現われた。開けっ放しの戸をトンと叩くと同時に、
「おっ居たね」
と上がってきた君は、散らかった部屋を見て『相変わらずだな」と笑った。
君の後ろには二人の孫娘がいて、恥ずかしそうに挨拶をしてくれた。
君は勝手に冷蔵庫を開けると「これでいいか?」と言って二人にジュースを渡した。
「兄貴、花見に行こうよ。みんな行ってるから」
今日はこの辺りはお祭りだった。桜も満開だった。
「じゃ、行くか」
君に促されてぼくらは外に出た。
一つ年下の君は年相応の体格で、土手を歩く君の背中をぼくは羨ましく見ていた。
堤には露店が並び、川面は花びらを集めて流れていた。
この花の下のどこかで君の家族が待っているのか。奥さんも子供たちも、
ぼくの分までご馳走を広げているのか。
しかし、ぼくが橋の上で足を止めている間に、ぼくは君の姿を見失ってしまった。
いつまでも消えないあの日、
貯水池の側で一緒に遊んでいた君の姿を見失った時のように。
君は三歳だった。

君が生きていたら、仲のいい兄弟で来られたと思う。
君とはウマがあったと思う。
ぼくはそんな予感を抱いたままこの先も君を迎えるだろう。
もう天国へ戻ったか。
光を集めたせせらぎが星屑のようなまばたきをした時、
ぼくは座椅子でくずれていた。


 25日は弟の祥月命日。私が4歳、弟は一つ下だった。私は今弟のおかげで生きさせてもらっている。毎朝手を合わせていても、悔いが消えることはない。「いい顔してくれ」と心でつぶやきながら手を合わせている。(詩集「スパイラル」所収を改作)
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