長くなります
そして、そのうち再訪するので、またそのとき新たに記事を追加します
とりあえずということで
では
城嶺橋と書いてしろがねばし
中央西線定光寺駅を降りると否が応でも目に入る橋
なんでも京都鴨川を横断する四条大橋を模して、名古屋城開府300周年を記念して造られたものだという
つまり昭和12年3月から数えて、76年を迎える橋(わたくしと同じ早生まれなので、まだ75年と3ヶ月ですが)
疑問を抱いた方、正解です
この前、名古屋開府400年祭をやっていましたので、この橋は100年経ってないと辻褄が合わないはず
それは、この橋が3代目であるから
1代目は吊り橋、2代目は木造橋、そしてこれが3代目で76年が経過しているのです
ちなみに城嶺橋は、尾張徳川家の菩提寺である臨済宗妙心寺派の応夢山定光寺から、城(名古屋城)が見えたことに由来するそう
全景はこんな感じ
伊勢湾台風にも耐えた堅牢な造りは、逆ランガーの開腹式上路アーチ で合ってますか 笑
橋についての知識なんて、なんせプレート、アーチ、ラーメン、ガーターくらいしか知らず・・・もっと勉強したいと思います
きっと、この先の写真を見て、なんで圧縮された写真しかないのかと思われる前に言っておきますと、広角系を忘れて望遠しか持って行かなかったからという、なんとも残念すぎる
それで、四条大橋をモチーフにしたと上に書きましたが、知っている方は、また疑問符がつくはず
これが現在の四条大橋を西に向いたもの・・・東華菜館メインなので、どれがという感じですね
右端に小さく写っているやつです
変わって、偉大なるWikipediaから拝借した、東を向いた画像
見て分かる通りまったく似ても似つかない構造
ガセなのかと思うなかれ
こちらは、大正13年から昭和17年まで活躍した、現在のものになる前の四条大橋(By Wikipedia)
なるほど、アーチ状、電燈など類似点が見当たります
でも、もとから下のアーチ部分は埋まっていたのかな、だとすると、城嶺橋のほうがかっこよく見えます
アーチ×アーチ
やっぱり大正~昭和初期のものは素敵です
下に流れているのは、名古屋市に入ると庄内川に変わる玉野川
1911年の、かの有名な大和田建樹の・・・ではなく、福山寿久作詞の中央線鉄道唱歌には、
「彼処に見ゆるは虎渓山 土岐川清く山高し 十四のトンネル絶え間なく 高蔵寺勝川夢現」
とあるように、この玉野川は岐阜県内では土岐川と呼ばれています
鉄道唱歌と言えば大和田建樹の没年が1910年10月1日である一方、中央線全通日が1911年5月1日であることから、大和田は全通まで残り半年というところで亡くなったため、福山寿久が引き継いだものと思われます
歌詞にある虎渓山は現在の古虎渓駅から連想できる通りの場所です
これ以前の歌詞に出てくる駅名は、土岐津(現中津川駅)多治見、そして高蔵寺、勝川・・・この頃、無論定光寺駅は存在せず、8年後の1919年になってようやく玉野信号所が設置され、1年たたずして仮停留所に、その4年後にめでたく定光寺駅が開業という運びになっています
十四のトンネルというのも旧線の話で、現在では愛岐トンネル以下新線のトンネルが引き継いでいます
余談
もともと、路面には銅板を敷いていたようですが、不要不急路線のレールなどの鉄材供出よろしく供出されてしまったそうで、現在はコンクリートです
もっとも、戦争がなくても現代まで銅板敷きのまま残っていたかどうかは怪しいですが
なんとなくみやびな感じ
みやびというと、1年持たずに餘部の高所から落下した客車を連想してしまい、なんだか悲しい言葉に聞こえてしまうのは悲しい性
ところで
なんでこんなに詳しく話せれているかというと、もちろん調べてますけど、現地でカフェを営むお兄さんがちょうど橋のところで看板持って立ってたわけです
その横でカメラを出してごそごそしているわたくし
電車でも撮ってるんですかと聞かれ、いえいえいえいえいえ、この橋を撮りに来たんです
・・・
まあ、駅では撮ってましたが 笑
しかしロクヨンの原色の方は、どう考えてもヨコなのにタテかなーと思って切って残念
愛岐トンネルの方は、見て分かる通り日影がすぐそこまで! なんだこれ
トンネルから顔を出すロクヨンかわいいんで、いいですけど
あ、広島色の1049が出場したみたいですね
1046は相変わらず稲沢で一休札差されて寝てますが
それで、わざわざ撮りに来るって、この橋のことご存じなんですか? となり、そのお兄さんは、なぜかめちゃくちゃ詳しい人でした
城嶺橋のみならず、近辺の近代遺産(玉野発電所、旧線トンネル群、鹿乗橋など)についても事細かに歴史から現在まで説明していただき、メモとるのに必死でした
尾張19代徳川吉親のお話も含め、また再訪時の記事で詳しく書いていきたいと思います
お兄さんありがとうございました、今度はカフェにお邪魔させてもらって、ゆっくりお話聞かせてください
2013.06.08/瀬戸市定光寺町(玉野川が市境なので、橋を渡った定光寺駅は春日井市 これも教えてもらいました) 城嶺橋
そして、そのうち再訪するので、またそのとき新たに記事を追加します
とりあえずということで
では
城嶺橋と書いてしろがねばし
中央西線定光寺駅を降りると否が応でも目に入る橋
なんでも京都鴨川を横断する四条大橋を模して、名古屋城開府300周年を記念して造られたものだという
つまり昭和12年3月から数えて、76年を迎える橋(わたくしと同じ早生まれなので、まだ75年と3ヶ月ですが)
疑問を抱いた方、正解です
この前、名古屋開府400年祭をやっていましたので、この橋は100年経ってないと辻褄が合わないはず
それは、この橋が3代目であるから
1代目は吊り橋、2代目は木造橋、そしてこれが3代目で76年が経過しているのです
ちなみに城嶺橋は、尾張徳川家の菩提寺である臨済宗妙心寺派の応夢山定光寺から、城(名古屋城)が見えたことに由来するそう
全景はこんな感じ
伊勢湾台風にも耐えた堅牢な造りは、逆ランガーの開腹式上路アーチ で合ってますか 笑
橋についての知識なんて、なんせプレート、アーチ、ラーメン、ガーターくらいしか知らず・・・もっと勉強したいと思います
きっと、この先の写真を見て、なんで圧縮された写真しかないのかと思われる前に言っておきますと、広角系を忘れて望遠しか持って行かなかったからという、なんとも残念すぎる
それで、四条大橋をモチーフにしたと上に書きましたが、知っている方は、また疑問符がつくはず
これが現在の四条大橋を西に向いたもの・・・東華菜館メインなので、どれがという感じですね
右端に小さく写っているやつです
変わって、偉大なるWikipediaから拝借した、東を向いた画像
見て分かる通りまったく似ても似つかない構造
ガセなのかと思うなかれ
こちらは、大正13年から昭和17年まで活躍した、現在のものになる前の四条大橋(By Wikipedia)
なるほど、アーチ状、電燈など類似点が見当たります
でも、もとから下のアーチ部分は埋まっていたのかな、だとすると、城嶺橋のほうがかっこよく見えます
アーチ×アーチ
やっぱり大正~昭和初期のものは素敵です
下に流れているのは、名古屋市に入ると庄内川に変わる玉野川
1911年の、かの有名な大和田建樹の・・・ではなく、福山寿久作詞の中央線鉄道唱歌には、
「彼処に見ゆるは虎渓山 土岐川清く山高し 十四のトンネル絶え間なく 高蔵寺勝川夢現」
とあるように、この玉野川は岐阜県内では土岐川と呼ばれています
鉄道唱歌と言えば大和田建樹の没年が1910年10月1日である一方、中央線全通日が1911年5月1日であることから、大和田は全通まで残り半年というところで亡くなったため、福山寿久が引き継いだものと思われます
歌詞にある虎渓山は現在の古虎渓駅から連想できる通りの場所です
これ以前の歌詞に出てくる駅名は、土岐津(現中津川駅)多治見、そして高蔵寺、勝川・・・この頃、無論定光寺駅は存在せず、8年後の1919年になってようやく玉野信号所が設置され、1年たたずして仮停留所に、その4年後にめでたく定光寺駅が開業という運びになっています
十四のトンネルというのも旧線の話で、現在では愛岐トンネル以下新線のトンネルが引き継いでいます
余談
もともと、路面には銅板を敷いていたようですが、不要不急路線のレールなどの鉄材供出よろしく供出されてしまったそうで、現在はコンクリートです
もっとも、戦争がなくても現代まで銅板敷きのまま残っていたかどうかは怪しいですが
なんとなくみやびな感じ
みやびというと、1年持たずに餘部の高所から落下した客車を連想してしまい、なんだか悲しい言葉に聞こえてしまうのは悲しい性
ところで
なんでこんなに詳しく話せれているかというと、もちろん調べてますけど、現地でカフェを営むお兄さんがちょうど橋のところで看板持って立ってたわけです
その横でカメラを出してごそごそしているわたくし
電車でも撮ってるんですかと聞かれ、いえいえいえいえいえ、この橋を撮りに来たんです
・・・
まあ、駅では撮ってましたが 笑
しかしロクヨンの原色の方は、どう考えてもヨコなのにタテかなーと思って切って残念
愛岐トンネルの方は、見て分かる通り日影がすぐそこまで! なんだこれ
トンネルから顔を出すロクヨンかわいいんで、いいですけど
あ、広島色の1049が出場したみたいですね
1046は相変わらず稲沢で一休札差されて寝てますが
それで、わざわざ撮りに来るって、この橋のことご存じなんですか? となり、そのお兄さんは、なぜかめちゃくちゃ詳しい人でした
城嶺橋のみならず、近辺の近代遺産(玉野発電所、旧線トンネル群、鹿乗橋など)についても事細かに歴史から現在まで説明していただき、メモとるのに必死でした
尾張19代徳川吉親のお話も含め、また再訪時の記事で詳しく書いていきたいと思います
お兄さんありがとうございました、今度はカフェにお邪魔させてもらって、ゆっくりお話聞かせてください
2013.06.08/瀬戸市定光寺町(玉野川が市境なので、橋を渡った定光寺駅は春日井市 これも教えてもらいました) 城嶺橋