系列の岐バスに負け、岐阜市からもいじめられ、ついに平成17年に廃止へと追い込まれた美濃町線 なんて勝手に思っている名鉄旧美濃町線
なんかのイベントの邪魔だからってことで、市が、関から先の美濃町までを廃止に追い込んだ経緯もあったりなかったり
だいたい、路面電車が見直された時代、2000年代に入ったところで廃止になるというのも疑問符の浮かぶ話です
確かに電車のせいで渋滞は酷かった(対面通行のど真ん中に軌道敷があった)し、なにより道路が狭かった、これに尽きます
狭いゆえに軌道敷内通行認可はやむを得ず、道路上にある緑色に塗られただけの電停上を平然と通過する車がいて、電車待ちは命がけだなんて、ここまで言うのは冗談ですが、いささか怖いものがありました
豊橋市内線はその点、道路も広く、立派な電停が用意されていますよね
共存する道を見出せなかったのはいかがなものかと思ったりもしますが、終わった話ですので
ところで、そんな名鉄美濃町線の廃線跡ってどうなってんだろう?
こんな疑問が浮かびまして、市ノ坪や競輪場前辺りの状況は知っていましたが、その先は平成17年春の記憶のまま・・・気付けば足は廃線跡へ向かっていました
探訪は、某シュミレーションゲームでもおなじみの日野橋からスタートです
というのも実は、新岐阜駅側の市ノ坪から探訪をはじめたんですが、勘違いしていて、県道92号~国道156号沿いに東へ行かなければならないところ、県道205号に沿って、気付けば岐阜市を離れて各務原市に入っていました(^^;
そこから三峰山を越えて岩田坂駅跡へ出るか、山を避けて日野橋駅へ出るかとなったものの、尾崎団地のあまりの坂道に前者を断念、一路日野橋へと向かったという経緯のもとです
ただでさえ長い前置きに次いで、どうでもいい迷った話は置いておいて、日野橋駅
日野橋駅といえば、この歩道橋(かつては跨線橋と呼んだのかな?)が目印ですよね
日野橋止めもあってそれなりににぎわう、交換設備を持つ駅でした
現在はご覧の通り、岐バスの日野橋停留所としてその敷地が活用されています
れっきとした鉄道橋
ツタに覆われ、橋梁名・年月日を明記したプレートも剥がされ、静かな余生を送っています
なお、現在もまだ整備中で、一応立ち入り規制っぽいことがされていますが、柵の隙間も開いていて、普通に立ち入ることができます
責任は負えませんが
地面の緑色のマットの下はバラストのままなのか、足場が悪いので気をつけましょう
新岐阜側は固く閉ざされています
歩道は、写真右の細いところしかないので、自転車の行き違いもままならない
廃線から5年半強、復活させるならまだしも、そんな見込みもないので早く整備して欲しいですね
そのもう少し新岐阜寄りは、きちんと整備されています
まだ真新しさの残るコンクリート道ですが、ここでもやっぱり車道と歩道との段差が大きいんですよね
路側帯側ではなくて、この写真でいう中央のアレですよ
岐阜市に思うことです
突如現れる勾配標識
どこの廃線跡にも残されている気がしますが、木製ゆえ、撤去の義務は甘いんでしょうか?
ちなみに、速度制限標識や停止位置目標などの金属板の姿はどこにもありません
バラストの残る、あからさまな廃線跡
新関方面を望むこの曲線、見覚えありますか?
そうです、新岐阜から数えて7つ目の琴塚駅です
そっくりそのまま、ホーム屋根からミラーまで残っていることにびっくりしました
遺され、役に立つことなく風雨にさらされ続けるホームミラー
健気な奴です
琴塚駅、意外にきれいなままのホームたちでした
こんな感じで、次回は野一色駅まで進んで行きたいと思います
それでは
写真はすべて
2010.12.06/名鉄旧美濃町線跡
なんかのイベントの邪魔だからってことで、市が、関から先の美濃町までを廃止に追い込んだ経緯もあったりなかったり
だいたい、路面電車が見直された時代、2000年代に入ったところで廃止になるというのも疑問符の浮かぶ話です
確かに電車のせいで渋滞は酷かった(対面通行のど真ん中に軌道敷があった)し、なにより道路が狭かった、これに尽きます
狭いゆえに軌道敷内通行認可はやむを得ず、道路上にある緑色に塗られただけの電停上を平然と通過する車がいて、電車待ちは命がけだなんて、ここまで言うのは冗談ですが、いささか怖いものがありました
豊橋市内線はその点、道路も広く、立派な電停が用意されていますよね
共存する道を見出せなかったのはいかがなものかと思ったりもしますが、終わった話ですので
ところで、そんな名鉄美濃町線の廃線跡ってどうなってんだろう?
こんな疑問が浮かびまして、市ノ坪や競輪場前辺りの状況は知っていましたが、その先は平成17年春の記憶のまま・・・気付けば足は廃線跡へ向かっていました
探訪は、某シュミレーションゲームでもおなじみの日野橋からスタートです
というのも実は、新岐阜駅側の市ノ坪から探訪をはじめたんですが、勘違いしていて、県道92号~国道156号沿いに東へ行かなければならないところ、県道205号に沿って、気付けば岐阜市を離れて各務原市に入っていました(^^;
そこから三峰山を越えて岩田坂駅跡へ出るか、山を避けて日野橋駅へ出るかとなったものの、尾崎団地のあまりの坂道に前者を断念、一路日野橋へと向かったという経緯のもとです
ただでさえ長い前置きに次いで、どうでもいい迷った話は置いておいて、日野橋駅
日野橋駅といえば、この歩道橋(かつては跨線橋と呼んだのかな?)が目印ですよね
日野橋止めもあってそれなりににぎわう、交換設備を持つ駅でした
現在はご覧の通り、岐バスの日野橋停留所としてその敷地が活用されています
れっきとした鉄道橋
ツタに覆われ、橋梁名・年月日を明記したプレートも剥がされ、静かな余生を送っています
なお、現在もまだ整備中で、一応立ち入り規制っぽいことがされていますが、柵の隙間も開いていて、普通に立ち入ることができます
責任は負えませんが
地面の緑色のマットの下はバラストのままなのか、足場が悪いので気をつけましょう
新岐阜側は固く閉ざされています
歩道は、写真右の細いところしかないので、自転車の行き違いもままならない
廃線から5年半強、復活させるならまだしも、そんな見込みもないので早く整備して欲しいですね
そのもう少し新岐阜寄りは、きちんと整備されています
まだ真新しさの残るコンクリート道ですが、ここでもやっぱり車道と歩道との段差が大きいんですよね
路側帯側ではなくて、この写真でいう中央のアレですよ
岐阜市に思うことです
突如現れる勾配標識
どこの廃線跡にも残されている気がしますが、木製ゆえ、撤去の義務は甘いんでしょうか?
ちなみに、速度制限標識や停止位置目標などの金属板の姿はどこにもありません
バラストの残る、あからさまな廃線跡
新関方面を望むこの曲線、見覚えありますか?
そうです、新岐阜から数えて7つ目の琴塚駅です
そっくりそのまま、ホーム屋根からミラーまで残っていることにびっくりしました
遺され、役に立つことなく風雨にさらされ続けるホームミラー
健気な奴です
琴塚駅、意外にきれいなままのホームたちでした
こんな感じで、次回は野一色駅まで進んで行きたいと思います
それでは
写真はすべて
2010.12.06/名鉄旧美濃町線跡