ケルベロスの基地

三本脚で立つ~思考の経路

BABYMETAL探究(”新たな調べ”考~幕張150621編その3)

2015-06-28 11:07:26 | babymetal
前回、書き忘れていたが、
BABYMETALのライヴの《楽しさ》、その筆頭にあげるべきなのは何と言っても
モッシュ、WOD
なのかもしれない。いや、当然そうなのだろう。
モッシュ、WODを楽しみに、BABYMETALのライヴに馳せ参じる、血気盛んな若者やおっさんも多いのだろうし、それがBABYMETALのライヴの「名物」でもある。
(報道の映像でも必ずそうした絵が紹介される)。
しかし、僕は、はじめからそれは諦めていた(避けていた)ので、前回の記事でもそこには全くノータッチだったのだ。僕の観ていたCブロックの前方では激しい動きがあったようだが、僕自身は、後方の、それほど圧縮もないところで、他のメイトさんとともに汗だくになりながら、モニターに映る3姫を視つつ、身体をゆらし、キツネサインを突き上げて「合いの手」を叫ぶ、その《楽しさ》に浸っていたのであった。
もちろん、BABYMETALのライヴの観客席で、モッシュやWODが見られなくなるなんてことはあってはいけない(ありえない)。
が、それは今後も、若い・体力のある方々にお任せして、体力のないおっさんである僕は、それなりに、それでも、存分に汗をかき喉を嗄らして《楽しさ》を満喫できる、そんなBABYMETALのライヴへの参加の仕方をしたいと思っている。
(幕張2015では、そういうふうに《楽しむ》こと、「俺得」に楽しむことができたのだった)。
以上、(当然書かなければならないことなので)補足しておきたい。

さて、”新たな調べ”について、である。

これ、とんでもない「神曲」だいや、「魔曲」というべきだろうか
あちこちの書き込みでも同様の感想が語られているが、その「神曲」「魔曲」たる所以を、分析的に書き記しておきたい。

幕張でナマで体験した際、この”新たな調べ”に関して(思いもよらぬ曲調ととんでもない《楽しさ》にノリノリになりながら)感じたことが、次の2つだった。
㋐ 「魔女っこ」(サリーちゃんとかメグちゃんとか)のアニメを思わせるメロディーだな。
㋑ 3姫の舞踊が、阿修羅像を思わせる。
BABYMETALのライヴ初参戦の熱狂の中、「新曲キター!」の興奮状態で感じた㋐㋑だが、今落ち着いて分析すると、次のようになるのでは、と思う。

㋐について、

まず、メロディがすさまじく”キャッチ―”だ。
ライヴのレポートや、他の方々の感想にもこの”キャッチ―”という言葉が頻出しているが、僕も(月並みではあるが)こう形容するしかない。というか、まさに”キャッチ―”を先鋭化した曲、”キャッチ―”の権化として作成された曲、と言うべきだろう。
僕は「魔女っこ」を思ったのだが、「GSを思う」「加山雄三」「ロカビリー」なんてコメントを目にすると、なるほど、と思う。80年代、70年代どころか60年代、50年代(おっさんである僕ですら産まれていない時代だが)にまで届く普遍的な懐かしさをもったメロディーだ。
洗練されたオシャレなカッコよさ、ではなく、コミカルに近いあえていえばダサさのカッコよさ
BABYMETALにとって全く新しい曲調ながら、こうして出されてしまうと、まさにこれぞBABYMETALだ、という説得力

SU-METALの歌も、高音の伸び、天性の不思議な魅力をもった声質が響きわたる。後半の「ち~が~う~」なんてハイトーンは、歌姫の魅力大発揮である。
歌詞やリズムのノリを捨象すれば、実は、極めて切ない哀愁のメロディーなのだ。「メギツネ」や「紅月」以上かもしれない。
そこに「知らん!」「違うのだ!」などという、今までのSU-METALにはなかった弾けた言葉がくる。SU-METALの新たな魅力(中元すず香的、とでも言おうか)が放射されている

そして、歌詞!
一度聴いただけで、(歌詞世界の詳細はわからないが)「違う」「困る」「気になっちゃって」「どうしよう」の繰り返しが印象づけられるし、そこに「ぱりやぱりやぱりらりら」「ぴっとぱっとてぃー」(実際には違う子音かもしれないが)という、宮沢賢治のオノマトペにも似た「呪文」が畳み込まれる。
言葉の、「論理的な意味伝達」ではない、呪術的な働き。それは、和歌の枕詞や掛詞などをはじめ、日本語の大きな特徴だろう。これだけワールドワイドで活躍するようになっても(なったからこそ確信犯的に)BABYMETALの「日本語歌謡」はますますその魔力を強めつつ、こうして表出されるのだ。

㋑について、

3姫、とりわけYUI・MOAがここで見せる「ゴーレムダンス」(こんな表情でこんな動きをするYUI・MOAは、もちろん初めてだ)は、男性的フレーバー、マッチョさを帯びている。それを超絶美少女が舞踊する、という屈折を帯びた《楽しさ》。
美少年であり美少女である、という倒錯
僕が阿修羅像を感じたのは、そうしたとんでもないビジュアルからなのだろう。
そして、高度な動きのシンクロ。
飛んだり跳ねたり以上に、力を溜めてじわっと動く、それで観ているこちらを魅了・扇動するという、これは、YUI・MOAの舞踊の新境地だ(スローハンド、とは意味が違うが、YUI・MOAの新たな「奏」法を僕たちは目にしたのだ)。
SU-METALの歌が幼さ・無邪気さを前景化しているぶん、YUI・MOAが少女性ではない木偶(でく)性でバランスをとっているともいえる。これもいくらでも探究しがいのある、BABYMETALの新たな旨みがぎゅっと凝縮されたものだ。何よりも、「どすこい・どすこい」といったようなダサい動きが満載である、そのカッコよさ!!!

こうして考えると(考えるまでもなく、なのだろうが)、この”新たな調べ”にも、高い音楽性を極めて異形のかたちで表出するというBABYMETALらしさがぷんぷんしている。
この”新たな調べ”の”キャッチ―”とはそうしたものだ。
BABYMETALらしい、針を振り切った攻めの姿勢での、異形の”キャッチ―”であって、大衆の人気をつかむために迎合・手加減を加えた売れ線狙いでは全くないところが、凄い。
例えば、抒情的なバラード(YUI・MOAの舞踊はどうする?)とか、中学生・高校生にウケるような恋をめぐる女の子のゆれる心を歌やダンスでモジモジと表現する、とかでは全くない。

いや、凄い。ほんとうに凄い。そして、文句なしに《楽しい》。
この”調べ”を、今、こうして繰り出す、ということにチームBABYMETALの凄さを改めて感じる。
例えば、ドキモ、いいね、の後に、この”調べ”であれば、それは、キワモノの道へまっしぐら、だったかもしれない。RoRを正規公開し、世界各国で音盤を正規リリースし、ワールドツアーを2年連続で行ない、英国雑誌の音楽賞を続けて受賞した、今このタイミングでの、この”調べ”の降臨、とは、あまりにもロック的だ!

つい最近、ここで、「BABYMETALが国内で大衆的な圧倒的な人気を得なくても(僕は個人的に)構わない。」などと書いた(バトル考2)のだが、前言を撤回する。

この”調べ”で、日本のお茶の間を席巻し、ぜひ天下を取ってほしい!

切にそう思う。この”調べ”でBABYMETALが日本を制覇するなんて、涙が出るほど/大笑いしてしまうほど痛快だ!

これは、シングルカットする”調べ”だと思う。

表面的にはシンプルな楽曲構造になっているので、幕張で「演」奏されたものよりも、さらにショートヴァージョンにしても魅力はほとんど失われないだろうから、TV地上波などの短い時間の中でも存分にBABYMETALの魅力を伝えることができる

これ、お茶の間に流れたら「なんじゃこりゃ!」だろうな。それでいて、何か懐かしい。でも、なんじゃこの子どもたちの振り付けは!でも、ものすごくカワイイ。何じゃこりゃ…!
この衝撃力は、さながら、<2015年の(最新形態の)ピンクレディー>だ
(わかりやすく言えば、デスヴォイス、ブレイクダウン、ピッキングハーモニクス、BPMの数値等が、1970年代のピンクレディーにはありえなかった、BABYMETALの新しさだ。…でも、今見ても、ピンクレディーの振り付けは衝撃的、である。おっさんになった僕も、今でもドキドキしてしまう。劇薬だ。)

ハーメルンの笛のような「魔力」をもった”調べ”。
この”調べ”で紅白に出るんだったら、いいじゃないか。
ワクワクするのだ!

そして、僕がこの”調べ”を「神曲」「魔曲」と感じるのは、単にお茶の間をひきつける”キャッチ―”さを感じるから、というだけではない。

何よりも、これはライヴで狂乱の”調べ”になる、と確信できるからだ。
メギツネ以上のお祭りソング、ギミチョコ以上の灼熱ソング、になる、と。

幕張ライヴに参加して、感得したのが、We Are BABYMETAL!の We とは、3姫だけでも、神バンドを含めた7人だけでもなく、声を合わせてそう叫ぶ観客全員を含めてのWeなのだ、ということだった。
端的にいえば、(前回も触れた)「合いの手」だ。
ステージ上での「合いの手」はYUI・MOA担当だが、それに扇動・先導されて巻き起こる観客席の(幕張2015で言えば2万5千人の)「合いの手」が、”その場のその楽曲の「演」奏”となって、会場中に響きわたり、地を揺るがせる
こんなことは、今までの映像の「鑑賞」でも、見えて・聴こえていたはずの「事実」だったのだが、ライヴの現場に身を置いて「体験」したことで「真実」として実感されたことだ。

このブログでは、<YUI・MOAの舞踊がヘヴィメタルの「演」奏だ>ということにこだわっていて、もちろんそれはもう間違いなくそうなのだが、そのことの意味が、僕自身が幕張のライヴを経験した後、変化した。
今までは「鑑賞」しかしていなかったから、上に書いたことも主にステージ上でのパフォーマンスに限られていたのだが、<BABYMETALにおいては、観客も「演」奏しているのだ>ということが、ライヴの現場に身を置いて、よくわかったのである。

で、この”新たな調べ”、観客がどのようにこの”調べ”を「演」奏するのかを考えると、いろいろな《楽しさ》が考えられる。

① SU-METALの歌に、ずっと合わせて歌う。
② 裏拍のデス・ヴォイスの「ヴォイヴォイ」の「合いの手」を入れる。
③ YUI・MOAの「ちがうちがう」のコーラスや、「やだ」を一緒に。
④ 「ぴっとぱっと・ぴっとぱっとてぃー」を全員で声を合わせて歌う。

日本の観客にとっては、②③の、いわゆる「合いの手」を入れるのが<作法>だろうが、この”調べ”の新機軸なのが、①④だ。

海外の観客はSU-METALによりシンクロする、ずっと歌う、という姿が見られるようだが、この”新たな調べ”はバックの楽器隊のBPMの高速に対し、SU-METALの歌メロはゆったりとした抑揚で歌いやすいし、歌詞の語彙も多くないので「習得」するのは比較的たやすいはずだ。
例えば、ドキモの冒頭などは日本人の僕でさえ舌が回らないが、この”調べ”ならば外国人でも歌いやすいだろう。
この”調べ”の歌詞の呪文めいた奇妙さは、ひとつには海外の観客も通して歌えるために作られているのだ、と思う。
今や、BABYMETALは、ドメスティックなファンを対象にしたJ-POPを輸出する、のではなく、はじめからワールドワイドのファンを視野に置きながら活動しているのだから。

そして、僕たち日本の観客だって、SU-METALの歌に合わせて歌って楽しんでもよいのである
「紅月」や「悪夢の輪舞曲」を観客が歌うのは、(少なくとも日本では)顰蹙を買う行為だ。至宝であるSU-METALの声に耳を傾けるのが<作法>だ。それは今後も変わらないだろう。
しかし、どうだろうか、この”調べ”ならば、僕たちも「ち~が~う~」とSU-METALとユニゾンしても、誰も不快に思わないどころが、みんなが《激楽しい》のではないか。

そして、④だ。

これは、当然、全員で合唱するのだ!

「ギミチョコ!!」のラストの「パラッパ・ラッパ…」も、ハーメルンの笛吹きのような<みんなをさらってゆくよ>のようなイメージ、振り付けになっていた(事実、世界中の多くの人をさらっていったのだ)が、それをさらに呪術的に仕上げたのが、この”調べ”の「ぴっとぱっと・ぴっとぱっとてぃー」だろう。

世界的に活躍するためには、英語の歌詞を歌わなければならない。
そんな先入観(劣等感)を打ち破ったBABYMETALだが、ここで、この「ぴっとぱっと・ぴっとぱっと・ぴっとぱっとてぃー」という日本語ともいえない呪文で、さらに多くの<みんなをさらってゆくよ>と、攻めに出たのである。
呪文ロックと言えば、FOCUSの「ホーカス・ポーカス」とか、MAGMAの諸作品を思うが、ロカビリーめいたこの曲調に、こうした呪文が乗る、とはありえない組み合わせであり、それをこうして実現するのは、BABYMETALしかいない。(こう言っても誰も大法螺とは思わない、なんて改めて考えてみると、凄いことだが)

例えば、レディング・・フェスで、リーズ・フェスで、何万人もがYUI・MOAと一緒に「ぴっとぱっと・ぴっとぱっとてぃー」を大合唱する
これはタイミング的にもう無理なのかもしれないが、しかし、この呪文の「合いの手」の《楽しさ》は、(日本のお茶の間も含め)世界中の会場全体を高みに浮遊させる、そうしたとんでもない飛翔力をもっている。

「魔曲」、降臨である。
(あれが、わずか一週間前の出来事だったとは、信じられない。何なんだろうか、この感覚は…?)

BABYMETAL探究(生ベビ考~幕張150621編その2)

2015-06-22 21:33:38 | babymetal
「BABYMETALの本当の凄さは、ライヴを体験しないとわからない。」

まさにそれを、骨の髄まで体験・体感したのが、昨夜の幕張ライヴだったのだが、
しかし、こういう言い方にはこれまで少なからず反感を覚えてもいたのである。
何か、勝ち誇ったような、発言者のドヤ顔が見えてくるようで。
行きたくたって、行けない人がここにいるんだ!
と言いたい気分だったのである。

最近の、このブログ、ひょっとしたら、そんなドヤ顔になっていないだろうか?もし、そうお感じになった方がいらっしゃったら、申し訳ない。そういうつもりで書いている訳では全くない。

あくまでも、「ヘヴィメタルの進化史のうえで、BABYMETALとは何なのかを考える」という、このブログの趣旨をベースにしてBABYMETALを探究するために、ブログ主である僕が実際にライヴを体験した、その実感を綴っているのである。
ぜひ(今後も)お付き合いください。

さて、体験談の続き、である。

まず、泣かなかった、ということを告白する。

号泣を覚悟して参戦したのに、泣かなかった。
(なぜか、CMIYCの小神様の超絶変態ソロを聴きながら、ニヤニヤしながらもぐっとこみ上げるものがあったけれど、涙が流れるところまでは行かなかった)
始終ニヤニヤし、歓声をあげ、飛び跳ねていた。

僕の位置(Cブロック最後方)からは3姫の躍動する生の姿がほとんど見えなかった、ということも、泣かなかった原因のひとつかもしれないが、それ以上に、轟音に乗ったヘヴィ・メタルの《楽しさ》に打ちのめされて、泣いているどころではなかった、というのが率直な実感だ。

ライヴに行ったことで初めて体験した、BABYMETALの(ヘヴィ・メタルとしての)《楽しさ》。
それはいったいどのようなものなのか?

それを言葉で語るなんてことは、体験しないとわからない、ということと矛盾するし、体験したひとには語る必要もないことなのだろうが、語ることができそうなことをいくつか取り上げ、BABYMETAL探究の視野を、さらにすこし広げてみることにしよう。


① 行くまで、開演まで、閉演後、帰りの、時空間における「体験」。

ライヴ会場に足を運ぶ、ということは、それなりの時間をかけて自分の身体を動かし空間の移動を行う、ということだ。そのなかで肉体的に・心理的に、さまざまな「体験」をする。
これは、家で、ネットや映像盤で「鑑賞」しているときには全く味わえない、(極めて甘ったるい言い方になるが)「一回かぎりの思い出」づくり、だ。

昨日の僕の場合で言えば、例えば、入場前に長い時間、外の駐車場に並ばされて雨に打たれたこと。このこと自体は楽しいことでも何でもないが、しかし、その後入場し、開演までを2万5千人(以前、3万人と適当に書きましたが、修正します)のメイトの1人となって蒸し暑い人いきれのなかで待ち、やがて暗転してみんなで「ウォー」と叫びながら拍手し、冒頭の紙芝居のSEが流れて…、という「体験」をした後では、あれもまた楽しかった「思い出」の一部となってしまう。

あるいは、今、新幹線で帰る途中なのだが、まだ左耳の難聴は続いていて(このままずっと治らなかったら「思い出」なんて言ってられないが)、昨日の夕方の「あのライヴ」を自分がほんとうに体験したのだ、と、何か甘酸っぱいような気分になっている。(コンサートの最中には感じなかった、涙が出てくるような気分を、帰路の今、感じている)。

こうした、いわば「前戯・後戯」に挟まれて、ライヴの「体験」が(単なる「鑑賞」ではない)自分自身のナマの人生にあざやかに喰い込む分厚さをもつものとなるのだ。そうした《リアルな体験の強さ》がBABYMETALのライヴの《楽しさ》の主成分であることは間違いない。
(今、ふっと思ったのだが、「No Rain ,No Rainbow」の「絶望さえも、光になる」という歌詞は、こうしたライヴ体験の構造を言っていたのだ、と考えると、僕はこの楽曲をこれまでよりもずっと好きになることができるように思う。)


② ベビメタTシャツ

①とも深く関わるが、これは、今回のライヴに「参戦」して、強烈に印象に残ったことなので、ぜひとも独立した項目としてあげておきたい。

昨日は、(いろいろ考えて、結局)戦国WODのTシャツを着て、自宅を出たのだが、幕張に向かう前、東京駅で新幹線を降りたときに、一人の中年男性が新春キツネ祭りのTシャツを着て前を歩いているのを目にし、「おう!」と思ったのである。
ベビメタTシャツを着ている誰かの生身の姿を見たのは初めてだったのだ。
しかも、僕と同じようなおっさんが!
見知らぬ国で初めて同朋に会ったような喜びを軽く感じながら、京葉線の乗り場へと向かうと、ぞくぞくと、ベビメタTシャツが増えてくる。
おっさん、兄ちゃん、ねえちゃん。カップルも親子連れもいた。

そうした人たちに混じって歩きながら、気分が急激に昂揚してくる。
同胞がこんなにいるのだ!いよいよ聖地に近づいているのだ!
そんな昂揚感が、黒のベビメタTシャツを次々に目にすることで高まってくる。

蘇我行きの快速の車中は、同じ車両に、ベビメタTシャツの男性・女性が7~8人はいただろうか。
そして、海浜幕張駅で降りると、そこはもうベビメタの国。
そこにもかしこにも、まるでそれが当然であるかのように、それこそ老若男女が、さまざまなベビメタTシャツを着て、闊歩したり、談笑したりしている。
すぐに駅構内の蕎麦屋に入ったのだが、店内にも5~6人のベビメタTシャツが黙々と蕎麦や定食を食べている。

チェックインしようとホテルに向かっていると、メタルゴッドTシャツを着た(初)老の男性とすれ違う。「ひえ~、(あんな歳なのに)朝から物販に並んで買わはったんや!」と尊敬のまなざしで、見送って、ホテルへ急いだ。

(コンサート中は当然として)コンサート後の、夜の幕張の街にも、いたるところでベビメタTシャツとすれ違う。僕が入ったスタバにも、先客として1人いらっしゃったし、街を歩きながら、いろんな店の中にベビメタTシャツを着たさまざまな人の存在を目にした。
BLACK BABYMETALの紙芝居のネタになった”A-ON”モール(このことにも後日触れたい)にも、夜に立ち寄って買い物をしたのだが、そこにもベビメタTシャツ(若者や若い女性が多かった印象)があちらにも、こちらにも。

当たり前だが、こんな「体験」は、幕張なら幕張に、足を運ばないと絶対に得られないものだ。

そして、このベビメタTシャツだが、単にアイドルの(アーティストの)お揃いのTシャツ、というのではなく、”ヘヴィメタルとしてのBABYMETAL”の、いわばアイコンである。やや大袈裟にいえば、BABYMETALのアイデンティティを象徴的に表わすものだ。

そのデザインは、決して、お洒落に洗練された、というものではない。
「メンズ・ノンノ」とかのファッション雑誌でモデルがカッコよく着こなす、そんなものでは全くない。
例えば、新しい彼女ができたとして、その初回のデートに来ていく服では絶対にない。

あえて言えば、ダサい。でも、そこが最高なのだ。
それこそが、僕たちが愛してきたヘヴィ・メタルの持つ属性、なのだから。
あるいは、BABYMETALの黒Tシャツは僕たちのメタル魂(ハート)の籠もったウェアなのだから。
(NHK放映の『BABYMETAL現象』は、この属性を冒頭で実に印象的に語っていた。(もちろんTシャツには触れていなかったが)それが、BABYMETALの本質を伝える素晴らしい番組になったポイント(のひとつ)だと思う)

これは、YUI・MOAの舞踊、例えば、「Road of Resistance」のそれ、の特徴でもある(これも、近日中にきちんと考察するつもりだ)。あの、冒頭の、乗馬(乗「龍」、か)の振りは、洗練されたオシャレ、ではない。(いつも比較対象にあげてしまうが、E-GIRLSはあんなダンスはたぶんしない。もっと優雅なオシャレなダンスだ)。
必死に闘っていることの舞踊としての表現であり、あえて言えば、ダサい、のだ。でも、だからこそ、(一見、「げえ。こりゃないわ」と思ったとしても)強さとなって、繰り返し見るごとに、胸に熱く訴えかけるものになるのだ。メタル魂の表現として、僕たちメタルヘッズの心をゆさぶるのだ。あえていえば、ダサいから、だ。
それが、ヘヴィ・メタルの様式美の核心(のひとつ)だろう。

そうしたベビメタTシャツを、多くの人が身につけ、歩いたり話したりしている光景は、「Metal Resistance」の具現化であろう。自分もベビメタTシャツを着て、その中にいることの《楽しさ》。それも、ヘヴィメタルを愛するがゆえの《楽しさ》の、重要なひとつなのだ。

さらに、どれを着るのか?というチョイスがある。
これは、古参のメイトさんにとっての、晴れ舞台でもあろう。
昨日も、古くからの(現在ではほとんど入手不可能な)レアなTシャツを着ている(印象としては、なぜか女性のメイトさんが多かった。なぜ?…)方を見るたびに、「うわ」「あっ」「すげえ」と感嘆していたのだ。
「LEGEND D SU-METAL降誕祭 Tシャツ」とか
「BABYMETAL DEATH Tシャツ」とか。

僕自身は、「戦国WOD Tシャツ」をチョイスしたのだが、「キツネ様2015 Tシャツ」とどっちにしようか迷ったのだ。白と黒のシンプルな色遣いで、これまでにも唯一、普段着としても使っているTシャツだったから。
でも、まあ、ライヴ初体験だし、今回は、「超弩級の凱旋」公演なのだからそれを讃えるにふさわしいのは赤・黒を基調にした「戦国WOD」だな、というチョイスだった。
例えば、このように、各人がそれぞれBABYMETALに対するそれぞれの思いを籠めて、チョイスしたTシャツなのだ。

そう、各自がそれぞれ自分の意志で個性的にチョイスした黒のベビメタTシャツとは、
We Are BABYMETAL!! の、僕たちなりの表現なのである! 
(ソニスフェアのTシャツや、AC/DC、METALLICA、も見た。もちろんこれも、BABYMETALに対するメタル魂の表現だ)

会場でいちばん多かったのは、「The One Tシャツ」かな、と思ったが、当日の物販の3種で臨んでいる人も多かった。
(余談だが、あきらめてみたけれどやっぱり欲しい、と、ホテルのチェックインの後、すぐに物販に並んだ。2時半に行って1時間後にはTシャツ3種すべて買えて、ホテルに戻って置く時間もあったし、物販に関しても今回は「俺的に完璧」、だったのだ)

と、これも、現場に行って強烈に体験した、BABYMETALのライヴの《楽しさ》だった。(黒ミサとは、こうした《楽しさ》を、極限にまで増幅・異形化したもの、なのだろうか?)


③ 合いの手

これは、参戦直前に、新幹線の中でMIKIKOMETALのインタビュー経由で考えたことにも通じるが、実際にライヴに参加して、「合いの手」を入れる、というのが、こんなにも《楽しい》のだ、ということを体感した。

いやいや、これは、尋常ではない、想像をはるかに超えた《楽しさ》である。

これは、それまでのヘヴィメタルの楽曲にはなかった、BABYMETALのアイドル成分がヘヴィメタルに持ち込んだ革命的な要素、だと感じる。アイドルとメタルの融合、その、最も鮮鋭な表出形態が、メタルのリフやグルーヴに乗りながら「合いの手」を入れる、という《楽しさ》だったのだ。
考えて見れば、たとえそれがどんなにダークでヘヴィで暗鬱な曲であったとしても、そこに「合いの手」を入れたら、途端にお茶目な《楽しさ》という不思議なフレーバーが加わった楽曲になるだろう。
BABYMETAL DEATH とは、まさに、そんな曲ではないか。
(初めから、映像作品でもその《楽しさ》は映されていたのである。ただそれは、やはり実際のライヴに参加してこそ「実感」できるものだったのだ。)

「BABYMETAL現象」で、23年さんが「BABYMETALほど楽しかったライヴはマジでなかったぜ!」と述べていたが、
これを僕は、昨夜のライヴを経験するまでは<ファンになってしまった人の心理状態>だと理解していたのだけれど、今は、<事実を正確に述べた発言だ>と受け取ってよかったのだ、と思っている。
(国によってもノリ方は異なるだろうし、MOAMETALが、「BABYMETALのコンサートで、海外のお客さんはSU-METALに、日本のお客さんはよりYUI・MOAにシンクロしている」という趣旨の発言をしていたから、23年さん等の海外の観客が、どのように《楽しさ》を感じているのか、それがどの程度「合いの手」の効果なのか、定かではないけれど、しかし、他に「合いの手」を入れ続けるヘヴィメタルなんてないのだから、そのように考えても大きく外れてはいないはずだ。)

改めて、昨夜のセットリストを眺めてみても、オープニングのBABYMETAL DEATHから、ずっと、どの楽曲もそれぞれ個性的な「合いの手」=観客側の感情の爆発的表出、を蔵している。

最後の「Road of Resistance」は、「合いの手」ではないが、その進化形だ。
まだカラオケにも入っていないから、僕は初めて自分の声を張り上げて歌ったのだが、「ウォーオーオーオー」は確かに男声では厳しい音程だった。だから、はじめはオクターブ下げて歌っていたのだけれど、それでは昂ぶる気持ちのおさまりがつかず、途中からまたオクターブを上げた。最高音はファルセットになって情けない声になるけれど、そっちの方が実に気持ち良かった。
昨夜はSU-METALは(「イジメ、ダメ、ゼッタイ」で「かかってこいやー!」を叫んだので)、「まくはり~!」とシャウトした
僕も幕張の一員だったのだから、広く言えば、僕をSU-METALが呼んだのである。
激熱!である

そう、「合いの手」だけでなく、「コール・アンド・レスポンス」(日本語では何て言うんだろう?)も、ライヴならでは、の《楽しさ》だが、これも広義の「合いの手」の《楽しさ》だ。

セットリストの中でも、特に特に、僕が、(もちろんわかってはいたけれど)「合いの手」の《楽しさ》を実感したのが、4の歌、と、メギツネ、だった。

4の歌。あんなにも笑顔で野太い声で「よん!よん!」と何度も何度も何度も何度も声を張り上げたのは、人生初、である(みなさんそうでしょうね)。「へい、へい」「う~、ふぉー!」等も含め、「合いの手」の嵐、凄い曲である。今までの映像作品の「鑑賞」では、YUI・MOAの凶悪な可愛さばかり感じとっていたのだが、観客自身にとっても、とんでもなく昂揚できる曲だったのだ。
「日本のお客さんはよりYUI・MOAにシンクロする」まさにそうした構造での、最強の曲だ!

メギツネ。「き~つ~ね~」のプレ・イントロから、ジャ、ジャ、ジャ、ジャッジャジャン、のイントロがはじまり、どんどん高まって、「ツォレー!」の「合いの手」の大爆発!まさに、お祭りメタル!
「合いの手」の神曲、キラーチューン。
この曲をどこにもってくるかで、コンサートのノリの山・谷をコントロールできる、そんな曲だろう。

だからこそ、例外なのが、SU-METALのソロ2曲で、特に「悪夢の輪舞曲」は(僕も、僕の周りも)観客が聞き惚れる、そんな曲だ。
SU-METALにはたいへん申し訳ないが、観客の僕たちもどこかで休憩が必要で、昨夜は、コンサートのほぼ真ん中で、SU-METALの神がかった歌声に聞き惚れながら水分補給をするという(SU-METALほんとにごめんなさい!)超贅沢な休憩タイムをとったのだった。
(このへんの観客の「体力」も、日本と海外とのノリの違いになっているのだろうなあ)

…。

それにしても、帰宅してから映像を見ると、凄いライヴだったんですね。
2万5千人のダメジャンプ、なんて、鳥肌もの、じゃないですか。
現場ではそんな実感はなく、ただ単に、汗だくになりながらおっさんが大声で楽しみまくっていただけなのですが。

WOWOW放映→映像盤化、ほぼ確定ですね。一生の宝物になる、と思います。
BABYMETALが輝いているから、僕たちライヴ参加者も、輝く作品の一部になることができる。
ほんと、こんなもの凄いアイドル/アーティストのファンになることができて、幸せですね、僕たちは。


昨夜のライヴから考えたこと、まだまだ続きます。
次は新曲について(?かな…?)。


BABYMETAL探究(生ベビ考~幕張150621編その1)

2015-06-22 00:25:04 | babymetal
YUI・MOAの「バトル」の、全く新しいヴァージョン、幕張に降臨!!!!

って昂奮している人は、今日の幕張公演参加者でもそう多くはないだろうとは思うけれど、本当に贅沢な盛りだくさんだった今日の公演の中でも、個人的な「キター!」のピークの一つが、これだった。

サムアップが終ったあとの、「バトル」に入る前の「キメ」のポーズについては、ここでこだわって書いてきたのだが、今までの「演」奏では、

① SU-のキメ(これは、常に、ギター・ベース・ドラムスのキメの次の小節のアタマ、市販のスコアのJのアタマで、ダメポーズを決める)に合わせてYUIもキメ・ポーズ
② SU-のキメ(同上)のみで、YUIは特にキメずに「バトル」をはじめる
③ YUIがギター・ベース・ドラムスとユニゾンのキメを決め、その後時間差でSU-
がいつものキメを決める。

のどれか、だったのである。
ざっくりと変遷を追えば、②→①→③の順だが、ここしばらくは、ずっと③だった(赤い夜も、黒い夜も、The FORUMも、BRIXTONも、新春キツネ祭りも)。
だから、今日も、「さあ、いよいよバトルがくるぞ…」とモニターを観あげながら(このへんの機微はまた後日書くつもりです)、今日は、MOAがどういう技で攻め、YUIがどんな武器を使うか、なんて思いながら(ライヴの熱狂のなかなので、こんなに冷静ではなく、ほんの一瞬ちらっと頭をよぎった、という程度だが)、その前のキメの部分で「えっ(狂喜)!」してしまったのである(周囲のみんなもここでウォーと沸いたような気がしたけれど、希望的空耳、かもしれない)。

ギター、ベース、ドラムスのキメに合わせて、YUIMETALもそして何と!MOAMETALも!、ダメポーズでキメ、のポーズを決めた!

「それがどうしたの?」と思う人もいるかもしれないが、これは、今までの「イジメ、ダメ、ゼッタイ」の「演」奏においては、ありえないものなのである。
なぜならば、次の小節からa①MOAの攻撃が始まるから、その助走のためにMOAはここでは後退し、突進のスペースを空けておかねばならない、という「演」奏上の必然があるからだ。

神バンドのキメ、とユニゾンする、シンメトリー(左右対称)のYUI・MOA

こんなとんでもない絵姿を、初体験のライヴで目にすることのできた、このブログ主(=僕)の歓喜といったら!

でも、その後の「バトル」はきちんと追えてない(覚えていない)のだ。
b②で、YUIMETALがとんでもなく高く跳躍して、日本刀を切りおろしながら舞い降りるという動きをした、のはしっかりと目に焼きつけたのだが。
(と書きながら、実はこのワールド・ツアーではすでにこの新しいヴァージョンで世界中をまわっていたのかもしれない、という可能性に思い至った。各国のファンカムまで逐一追いかけてはいないし。まあ、でも、新春キツネ祭りでの、YUIのMOA飛び越え、という前例があるから、やはり、これは「母国」での凱旋記念の特別ヴァージョン、だと思っておこう。その方が楽しいし)

それにしても、こんなところ(ほんの数秒の差異)に注目し歓喜する人間なんて、熱心なファンでもそう多くないだろうに、そうした新たな味付け(細部の工夫)を凝らしてくるチームBABYMETALには、ほんとうに敬服する。

わかる人にはわかるだろう、という気配りであり、逆に言えば、こうした細部を味わい分けるファンが少なからずいるはずだ、というチームBABYMETALの、ファンへの信頼(それは裏返せば、そうしたファンを擁しているはずだというBABYMETAL自身への自負でもあろう)だ。

また、BABYMETALの「演」奏のなかで、とりわけインプロヴァイゼーション(アドリブ)といえるのが、この「バトル」だ、ということが今日の「演」奏でも露わになった。今後も、どのライヴでも、楽しみである。ヴァージョン違いを楽しむのが、BABYMETALを味わう「通」の楽しみなのだ、というのは、さすがに気取りすぎだろうか。

と、
今日のコンサート(新曲の降臨や、「あわだまフィーバー」や、YUI・MOAではなくSU-METALの「もっと出せるよね?」(大意)や、最後の「WORLD TOUR 2015 in JAPAN」告知や、といった大事件がぎゅうぎゅう詰まっていた)のなかで、まずは極私的な話題を書いておく。

他にこのことをとりわけて書く人も、そういないだろうし。(映像化されたら、さらに細かく検証することに当然なる)。

まだまだ書くことは数多くあるのだが、いくらでもあり過ぎて、止まらないので、とりあえず、今日はここまでに。
本当に、ずーーっと、いつまででも、こうやってつらつらと書きつづけることができそうな、そんな2時間弱を、今日は(もう日付は昨日になりました)体験した。

いや、でも、超絶的に、今日は楽しかった。何もかもが僕にとって良かった(「俺得」だった)のです。それはまた次回以降に書くつもりです。

BABYMETALのライヴには参加しなきゃその楽しさはわからない、ってよく言われるけれど、本当にそうですね、それを心底実感しました。
音盤や映像作品は、ライヴの「上澄み」であって、3姫や神バンドのパフォーマンスはそうしたツールによって「鑑賞」することはできるけれど、BABYMETALのライヴは、そうした上澄みとは全く異次元の《楽しさ》に満ちたものなんですね。ってことがよくわかりました。
もし、これをお読みの方で、ライヴ未体験の方がいらっしゃったら(BABYMETAL WORLD TOUR 2015 in JAPAN も告知されましたし)、無理をしてでも一度ぜひぜひ参加してみてください。これはこうやって言葉では書けない(でも、次回以降、何とか分析していくつもりです)ものなので、行って体験することでしか味わえない。
まあ、でも、現実問題として、チケットが当たるかどうか、ですよね、何といっても問題は。ちなみに、僕は、今回の幕張は、2回落選して、3回目の応募で何とかゲットしました。Cブロックの4500番台という、最後方でしたけれど、でも、BABYMETALのライヴを堪能できましたよ。どんな席でも、それなりに・それぞれに《楽しさ》を届けてくれる、それがチームBABYMETALです。とりあえず、神のご加護を信じて、応募し続けることを、ぜひお勧めします。

ああ、難聴です。とくに、左耳がやばいです。
でも、こういう後遺症も、ライヴでしか体験できない、いわば「勲章」ですよね。
やっぱり、BABYMETALはヘヴィ・メタルだな、って、理屈こねなくても、このコンサート後のやばい耳が証明しています。

BABYMETAL探究(生ベビ考~150621幕張~入場前編)

2015-06-21 14:04:10 | babymetal
6月21日、朝、目覚ましが鳴るよりも1時間前に目が覚めてしまった。
ネットのサイトをいくつか見ると、すでに物販の長い列ができているようだ。
こっちはまた京都の自宅にいる。これから新幹線で向かい、幕張には2時ころ着く予定。
それから、まずTシャツでも買って…なんて思っていたけれど、甘すぎたらしい。
まあ、今回の最大の目的は、もちろん「BABYMETALライヴ初体験!」であり、
3万人の会場の熱気の中に浸ることだから、いいのである。
(でも…やっぱり、Tシャツほしい…グヌヌ…)

昨日は、仕事で神戸へ行き、
『OVERTURE』を、レジへ持って行く前に、立ち読み、MIKIKO(MIKIKOMETAL)のインタビューを読みながら、涙が出そうになって困った。
なぜ?
自分でもよくわからない。ライヴの前日で昂揚していたのは確かだが、客観的に見れば、泣くようなことは書かれていないはずなのに。
たぶん、それは、このインタビューの中に、僕が感じているBABYMETALの核心が語られていたからではないか。「ああ、やっぱりそうなんだな」という感動の涙であったような気がする。

で、幕張へ向かう新幹線の中で、MIKIKOMETALの発言を、探究しているのだ。

例えば、こんな箇所

-(踊りを)歌詞に合わせるということですか?
MIKIKO そうなりますね。振りを作るとき、作詞家や作曲家の方が喜んでくださるようにというのはよく考えます。作詞家の方から「そんなつもりで書いたわけじゃないのに……」って思われないようしっかり意味を理解してから振り付けに入ります。あと意識しているのは歌詞をそのまま振りにするのではなく、ちょっと変化球にするということ。たとえば「未来」っていう言葉が歌詞で出てきても、未来のイメージをそのまま身体で表現するのではなく、「み」から連想して数字の3を表わしてみる。その3にはメンバー3人の未来、という意味も意識していたり。見れば見るほど奥行きが感じられるように振り付けられるといいなと。


そうなのだ!奥行き!
BABYMETALの舞踊が、(単なる)ダンスではなく「演」奏だ、ということの核心のひとつは、この奥行き、なのだ。
「イジメ、ダメ、ゼッタイ」での舞踊も、一元的に、「イジメはぜったいダメだ」というメッセージを表現するものならば、それはヘヴィ・メタルという音楽の「演」奏にはなりえない。例えば、YUI・MOAが笑顔で「ポイ捨て禁止!」「イエスタデイ~」なんて煽るのが、お説教ではなく、音楽の楽しさ、である。

あるいは、「4の歌」の、4・4・4の、「シーッ(静かに)」の振り。
(それでいて、後半には「もっと出せるでしょ!」なんて煽られるんだから、たまったものではない)。

あるいは、「メギツネ」の、「大和ナデシク」のところの腕ナデナデ、とか。

観客の僕らが享受している、歌詞や楽曲とは、また別の角度から攻めてくる。
いわば、<4次元攻撃>なのだ。BABYMETALの演奏は。

また、
―BABYMETALも、アイドルの振り付けっていう意味では特殊ですよね。
MIKIKO ベビメタの場合は、KOBAMETALがかなり長くコンセプトを作り込んでいるんですね。曲をもらう段階で、歌詞の横に「ここは全員でヘドバン」とか「ここで土下座ヘドバン」とかまで書かれていて、盛り上げる箇所のイメージができている。ファンの人が客席でどう盛り上がるかが重要で、たとえば間奏部分にも振り付けを入れていたりすると、「いや、ここはヘドバンだけでいいです」って削げ落とすように言われたりします。なぜなら、そっちのほうがお客さん的にノリやすいから。ただ踊らせればいいっていうものじゃないんです。引き算の美学もあるので。歌詞に全部振りを当てたりすると、それはそれで印象に残らないケースもありますし。


これは、目から鱗、の発言だった。
ここに、BABYMETALの、ヘヴィメタルとしての革新性の核心がある!

いや、もちろん、「ヘドバン」第1号で同趣旨の発言は読んではいるから「知ってはいた」のだが、実際自分がライヴの前日にこんなにもライヴが楽しみで楽しみでならないという心理状態になっているなかで、この発言を目にし、このことの「真意が圧倒的な臨場感をもって迫ってきた」のだ。
微妙な言い方になるが、僕たちはBABYMETALに結果的に嵌った、のではなく、嵌まるように作られた仕掛けに楽しませてもらっている、のだ。
と、こういう書き方をすると、ディスっているようだが、そういうつもりはもちろん全くない。

とんでもなく美味しい料理屋。とんでもなく面白い映画。とんでもなく楽しいアミューズパーク。
どれも、お客さんを楽しませるにはどうしたらよいか、徹底的に考え、実際に試し、その反応を見て修正を重ね、という丹念な工夫がなされているはずだ。
それを、ヘヴィメタルにおいて行っているのがBABYMETALなのだ。
緻密に観客の反応を考え抜いて作られた映画、これを批判する人は、そうはいまい。
ましてや、料理屋やアミューズメントパークでは、お客さんの反応を考え抜き、どうしたら喜んでもらえるかに細心を尽くすことは、賞賛されこそすれ非難されることは全くない(当たり前だ)。

ライヴを楽しく。お客さんをノセる。

BABYMETALは、そこを原点にして、全てのパフォーマンス、ステージング、いやそれ以前に、楽曲、振り付けを作っているのである。
で、その、ノセる対象のお客さんの中心は「メタルヘッズ」なのだ。
そりゃ、(僕たちは)当然嵌まるよ、というわけである。

ヘイターによってBABYMETALと対照させられる、楽曲を自分達でつくり演奏を行う、いわゆる通常の「自発的なバンド」は、そこまで「お客さんの反応」を第一には考えないはずだ。
お客さんを楽しませるためにヘヴィメタルのギタリストになったんだ!
なんて、1人もいるはずはない。もちろん、ある程度売れ、ファンがついたりすれば、コンサートに来たお客さんに楽しんでもらおうとはするだろう。しかし、おそらく世界中のほとんどすべてのバンドは、その徹底度においてBABYMETALには及ばない。そもそもの成り立ちが違うのだ。(どちらの方がよい悪い、という話では、もちろんない)。

アイドルのコンサートで、「合いの手」を会場全体で入れる楽しさ。
例えば、「イジメ、ダメ、ゼッタイ」という楽曲の、ヘヴィメタルとしての新しさは、それを疾走抒情チューンに持ち込んだことにある。こんなものは空前絶後である。
メタル風のアイドルにおいても、おそらくこうした「合いの手」は、まず真っ先に捨象されるはずだ。だってまさに「合いの手」こそ、非メタルなのだから、メタル風にするためにはこれを抹殺しなければならない。
しかし、BABYMETALは、YUI・MOAの「合いの手」を、楽曲のキモにするのだ。なぜなら、それが、

ライヴを楽しく。お客さんをノセる。

ことを具現するからだ。
そして、まさにその通りのことが、世界各地で起こっている。

こうしたことを考え、具現化した、KOBAMETALの発想、というよりも実行力は、やはり凄い。もちろん、いくらアイディアがあってもそれを実行・具現化できるスタッフ、演者がいなくてはならず、BABYMETALは、やはり「奇跡」という言葉を使うしかないほどの人材が、見事に集まった。まあ、集めた、のだろうが、しかし、いくらオーディションを重ねても、YUI・MOAは見つからない。応募もしないだろうし。やはり、奇跡、である。

さらに、MIKIKOMETALの発言は示唆的である。

―教え子から逆に教わることは?
MIKIKO しょっちゅうありますね。特に思うのは、私が関わっているアイドルの子たちって本当に全力なんです。スキルがどうかというより、そのがむしゃらさがお客さんを感動させると思うんです。さくら学院なんてリハーサルのときから泣きそうになります。みんなが一生懸命すぎて。キラキラしている。その輝きを失わせたくないから、作っている人たちも全力でぶつからないといけない。褒めるべきところは、きちんと褒めますし、いやっていうほど練習しますし(笑)。アミューズは手間暇かけてタレントを育てる事務所だと思うので、そこは私にとっても恵まれてますね。


BABYMETALがアイドルである、とは、まさに上の傍線部のような意味を持つ。おっさんである僕らが、泣いてしまう成分の多くは、上記にあることは間違いない。
単に、可愛い少女が歌い踊る、というのではなく、まさにアイドル=本当に全力・がむしゃらさ、が、国境を越えて多くの人たちの胸を打ち、一流のミュージシャンからも肯定的に受け取られている秘密(のひとつ)なのだろう。

だから、BABYMETALはアイドルではなくアーティストだ、などと言ってはいけないのである。上記の意味において、まさにBABYMETALの3姫は、アイドルの権化、なのだ。

そして、MIKIKOMETALの振り付けは、そのアイドル=全力・がむしゃらさを前面に押し出す。
極端なかたちでの、アイドル=がむしゃらのアウトプット。
それが、他の多くのアイドルグループとの差異であり、ヘヴィメタルとしての先鋭さを持つのだ。これが「カワイイ(Kawaii)」メタルの構造だ。

―振付師として、今後の目標などはありますか?
MIKIKO 今の音楽シーンで「振り付け」が担っている役割ってけっこう大きいと思っていて。だからこそ振付師っていう職業も、作詞家や作曲家と同じくらい、音楽のひとつのジャンルとして世の中から認められたらうれしいですね。今はダンス人口も増えたけれど、その分濃度が薄まる怖さも逆に私は感じているんです。ただ上手く踊れるから誰でもデビューできる、ってわけじゃなく、本物が残っていくべきですから。歌はそうじゃないですか。カラオケが上手いっていうレベルじゃ、プロの歌手にはなれませんよね。内面から訴えかけるものがないと伝わらない。ダンスも心・技・体・センスが伴った本物を作りたいし残していきたい。ダンスというジャンルの底上げに対し、もっと自分も力になれたらいいなと思っています。


MIKIKOMETALの思いを、SU-、YUI、MOAは、かなり高いレベルで実現しているはずだ。
これからもまだまだ修練は続くはずだが。

ほんとうに、僕も、とりわけYUI・MOAに出会って、ダンスという音楽(表現)、僕の使っている言葉でいえば「演」奏というものがあるのだ、とわかった。
それは、こうして新幹線で幕張までおっさんをわくわくさせながら急がせるだけの実効力をもったとんでもないものなのだ。

さあ、そろそろ新幹線は東京に着く。
乗り換えて、いよいよ、幕張へ。
3万人のうちの1人になる、のだ。

いよいよ。生ベビメタを体験する時間が迫っている。
楽しみ、DEATH!

BABYMETAL探究(いざ幕張!考)

2015-06-16 23:37:11 | babymetal
ああ、幸せ。
泣いたり、笑ったり、ニヤニヤしたり、泣いたり、の繰り返しが、とまらない。
BABY DRAGON METAL FORCEも、素晴らしかった。
ドラゴン・フォースの皆さん、いい方ですね。さすが世界の第一線で活躍しているミュージシャン。へヴィメタル愛、音楽愛、を感じた。さすが、プロフェッショナルだ。
それにひけをとらないBABYMETALもカッコよく、3姫の「演」奏には、余裕みたいなものを感じた。実際、セレモニーでのゲスト「演」奏だから、3姫もいつも以上にリラックスしていたのだろう。もう、ほんと、プロフェッショナルの貫録を感じさせる。

ブライアン・メイとの写真にも泣いてしまった。
たかが写真1枚なのに。
このへんの魔術に関しては、<「デロリアン」効果とBURRN!誌 考>としてまとめようとしている最中で、今日あたりにでも仕上げようと目論んでいたのだけれど、受賞の映像とかコメントとかの追いかけもあって、まとめるだけの集中ができない。

「バトル」考の後半、もと、手をつけようとしたのだけれど、集中して書く気にならない…。

だって、もうすぐ幕張だし!

で、去年の幕張の映像を画面に流しつつ、もう、すぐそこに迫った幕張公演について、思うところを書きのべてみたい。(いつも以上にとりとめのない文章です。ごめんなさい)
BABYMETALの真骨頂がライヴにあるのだから、ライヴ前に、1ファンが何を考えるのか、ということは、BABYMETALを探究するうえで一つの資料になるだろうから。なんて言い訳を自分に言いきかせながら。

映像のオープニングの、幕張会場への入場シーンを見るだけで、どきどきしてくる。

僕は、生まれ育ちが九州の山奥だったので、初めてコンサートに行ったのが、大学生として関西に出てきてからだった。
最初に行ったのが、ジューダス・プリースト。続けて、ヴァンデンバーグ。どちらも6月だったような気がする。(どちらも、会場は、大阪厚生年金会館だったような気がするが、定かではない)
おかげで金欠になり、嘘ではなく下宿先の近所のパン屋さんで安く仕入れたパンの耳でしばらく過ごした。バイト代が入ってようやく口にした吉野家の牛丼の銀シャリの美味しかったこと!
ジューダス・プリーストは、アンコールでロブが、ハーレー・ダヴィットソンにまたがって出てきてくれたのが、「おきまりのギャグ」を見せてくれたようで嬉しかった。
ヴァンデンバーグは、(確かDVDとかでは何故かはじめがカットされていたと思うが)神曲「Waiting for the Night」のイントロをアコースティックギターで弾いてから、持ち替えて、エレキギターで疾走ナンバーをプレイした「えげつない再現力」に驚嘆した。

なんて経験から、すでに、30年以上たつが、
間違いなく、今度のBABYMETALのコンサートは今まで生きてきた中でいちばん楽しみなコンサートである。
3姫など肉眼で見えないだろう、とわかっているのに、こんなにも楽しみなのは、なぜか?

それは、何といっても、どの曲も大好き、だからだ。
というか、どの曲の「演」奏も素敵であるはずだ、と安心して身を委ねることができるからだ、と言った方が実感に近いだろう。

実際、ジューダスも、ヴァンデンバーグも、アイアンメイデンも、マイケルシェンカー(京都会館に来た!)も、ガンマレイも、等々、今までにコンサートに行ったバンドには、それほど好きじゃない曲も(少なからず)あったのだが、BABYMETALの凄さは、正規のどの曲も、それぞれに異なる個性をもったとんがった曲ばかりの14曲が揃っていることだ
スタジオ音盤ではいまいちと感じていた曲でも、ライヴ音源や映像を見ると、全く印象が一新され、どれも、(異形ではあっても、あるいは、異形であるがゆえに)本物の、独特の魅力的なヘヴィ・メタルとしてこちらを刺激・挑発する。
そこには、もちろん(このブログでさんざん繰り返し書いているように)YUI・MOAの舞踊という、他のバンドにはない空前絶後の「演」奏の魅力が寄与しているのだが。

改めて考えて見ても、BABYMETALという音楽集団(「見せる」という次元も有機的に組み合わさった立体的な「音楽」集団)の質の高さは、現段階で世界一、だろうし、おそらく史上ナンバーワン、と言ってよいだろう。
まあ、これはファンのひいき目が入った言い方になるが、しかし、決して狂信的なファンのみが信奉するドグマ(教義)、でもなく、見る角度によっては必ずしも間違っているとも言い切れない見解ではないか。(と、こう考えることこそが、狂信なのかもしれないが)。

コンサートで好きな曲が来たら「キター!」となる(そういえば、ガンマレイはセカンドアルバム後のコンサートで、最後の最後で「Rich and Famous」が来たとき「キター!」と拳を突き上げたのを思い出す。やらないんだろうな…とほとんど失望していたのでよけい嬉しかったのだったなあ)、BABYMETALの場合は、どの曲も「キター!」だから、オープニングから約1時間半、盛り上がり続けるのである。

次にどの曲が来るか、わからない。
それが「キター!」の昂揚を増幅する。
単純に、14曲だけでも、セット・リストの組み合わせは
14×13×…×2×1=87,178,291,200
870億通り!もあるのだから。

もちろん、オープニング(あるいはラスト)が「おねだり大作戦」とか「4の歌」なんてことはないだろうし(…いや、幕張では、ひょっとして…)、こんどのラストはおそらく「Road of Resistance」で決まりだろうから(…いや、ひょっとしたら、いきなりオープニングからってことも、いやいや、…)、現実的な組み合わせは、もっと限られるだろうけれど、しかし、14曲のレパートリーって、実は、組み合わせはほとんど無限にあり、おまけにどの曲も魅力的なのだから、オープニングから「キター!」の連続であることが、あらかじめわかっているのであって、こんなコンサートは生まれてはじめてであるし、今後も(BABYMETALの次のコンサートは別として)およそ考えられない。

さらに、「アニメ」とか、新曲とか、カヴァーとか(たぶんもう必要ないからやらないだろうけれど)、の可能性もあるにはあるから、そのぶん次に何がくるかのドキドキは大きく、そのぶん「キター!」の感激は大きいだろうし。まあ、実際には、「今」を味わうのに夢中で、「次は?」なんて考える余裕はないのだろうが。

さらに、もしも(ディスプレイとかを介してでも)、YUI・MOAの、「バトル」をはじめ舞踊が見えたらもうたまらないし、曝音は身体に響くだろうし、みんなで大歓声だろうし、とんでもない盛り上がりだろう。

それと、紙芝居。
これも、BABYMETALの歴史と同じで、コツコツ積み重ねた結果、大河ドラマの趣さえあるし、「おねだり大作戦」の前に今年はどんな寸劇があるのか(去年は、ガガ姐さんネタ、タイムリーだったし)、これも楽しみである。
「LEGEND 1997」の紙芝居、ナマで観た方は感動だったろう。「ああ、おねだりか」と思わせておいて…。これも、積み重ねによる、どんでん返し。今度もひょっとしたら、と期待してしまう。

そして、そして、コンサート終わりの告知。
今回も、何か発表があるのではないか。単に、「8月には、レディング・リーズ・フェスに臨むのである!」だけでは済まないんじゃないか、という気がしている。
最後の最後まで気が抜けない、それがBABYMETALのコンサートだ。
これも、今までの積み重ねによる印象(期待&信頼)だ。
とりわけ、「LEGEND Z」の最後の告知、「武道館2DAYS」に沸いた後の、「1st Album Available」の発表は、何度映像を見ていも、そのたびに鳥肌が立つ思いがする。当日参加された皆さんの、帰途の胸中、それを思うだけで涙ぐんでしまう。

結局、今度の幕張が超絶に楽しみなのは、
BABYMETAL陣営への大いなる信頼、からだ

その信頼は、今まで一度たりとも手を抜かず、高品質な「音楽」を届けてくれてきた、それも、全く新しい魅力的なかたち(僕たちの予想をはるかに超えた)で、という、その一つ一つの事実の積み重ねへの信頼だ。

あと、これも、何人もの方がお書きになっているが、
「泣く」
だろうなあ。
どうしよう?
周りの人みんな(オッサン)が泣いてる、ってのも気持悪いし、
かといって、自分だけ、というのも気持ち悪いし。
でも、この「凱旋」公演は、本当に、「超弩級の凱旋」公演になってしまったのだから、泣いたっていいんだけれど。

まあ、これは、もう、開き直って、泣きます。
オープニングから、ずっと号泣しつづけます。
そんなつもりで、幕張に臨みます。

みんなで泣きましょう。そして、大いに楽しみましょう。って、僕などが言わなくても、ステージの7人、スタッフ、が楽しませてくれるに決まっているのだけれど。

実際どうであったか、その比較検証は(記憶がちゃんとあれば)、公演後に書くつもりです。