ケルベロスの基地

三本脚で立つ~思考の経路

BABYMETAL探究(風が吹いている?考)

2016-04-27 00:11:33 | babymetal
いやあ、ほんとうによかった・・・。Mステ。

期待はしていなかっただけに、その反動の感激は大きく、実に幸せな54分間だった。
にやにやしたり、涙を流したり、何とも忙しい(幸せな)54分間だった。

なぜか、今回のMステも、(The Late Show 同様)たまたまリアルタイムで観られる時間に帰宅できた(先週でも来週でも仕事のために無理だった)ので、もちろん録画予約してあったし、同時間帯には阪神対広島のテレビ中継等もあったのだけれど、「せっかく生で見れるのだし、始めからきちんと観ようか」と、覚悟を決めて、午後8時の5分ほど前から6チャン(関西では)を点け、番組を観はじめたのだった。
どちらかといえば、不安を強くもちながら。

このブログでも、過去のMステ出演に関して何回か感想を記したが、個人的には、過去のBABYMETALのMステ出演は鬼門というか、黒歴史というか、そうした(BABYMETALには本当に珍しい)負の印象を重ねることになってしまったコンテンツだったので、今回も、期待感はほとんどなく見始めたのだった。(録画したものを帰宅後に観る、のではなく、「生」で視聴するというのは今回が初めてだったのだが・・・)

ところが、である。

番組冒頭から、今回はBABYMETALをフィーチャーしたものであることが高らかに謳われ、そのすぐ後で、主演者の先陣を切って美しい・可愛い3人が登場し(礼儀正しいいつもの深いお辞儀を披露し)、ビルボードやウエンブリーでの「快挙」が何度も言及・紹介され、そのまま最後までタモリの近くの特等席に位置してカメラに映りっぱなし、ファンから見て合格点を挙げられる構成の「偉業」紹介VTRもあったうえに、SU-METAL、YUIMETAL、MOAMETALがそれぞれの「らしさ」全開で長く喋る尺もあり、(スピッツの草野氏のベビメタ押しの発言まであり)、と、
何とも露骨な贔屓番組ではないか!
最高!


結局、最初から最後まで、観入り・没入してしまった。
ずーっとニヤニヤしながら。
途中で爆笑し(実際に、声を出してしまった。我ながらキモいが、あれは破顔せずにはいられなかった・・・おそらく皆さん同様に)、
そして落涙(これも、皆さんの多くとおそらく同様に)しながら。

いちばんのトピックは、やはり、SU-METALの”あれ”、だ。

これも、(皆さん同様)全く想定していない事態だったので、もう唖然・愕然だった。

次の「は~し~れ~、ええ~ええ~ええ~」の所謂”マライア”の部分はどうなるんだろう?と、もう、不安で不安で目の前が真っ暗になった。

しかし、僕のそんな思いなどものともせず、SU-METALは、渾身の「は~し~れ~、ええ~ええ~ええ~」を発し、魂をこめたパフォーマンスを終えた。

もう、落涙。鳥肌。

いやあ、さすがSU-METALだ。・・・凄い。
おそらく、彼女自身にとってはたいへんに不本意な「演」奏だったのだろうが、へんにすっきりと歌いきるよりも、いっそう感動的なパフォーマンスになった、と僕は感じた。
まさに「怪我の功名」を地で行くエピソードになった、と。

ここで、僕は、
「ああ、BABYMETALは、また戦いに勝ったのだな。」と感じていた。

歌い始めの瞬間から、SU-METALの声の迫力・質はそれまでの出演者とは「別次元」のものだった。
Mステ出演時特有の緊張感は少なからずあったのかもしれないが、それを差し引いても、圧倒的に他の(それまでの)出演者とは「異次元」の、ああやはりBABYMETALは”日本の歌番組”などには収まらない世界を相手にしたパフォーマンスをし続けているのだなあ、ということをありありと感じさせる、そうした歌声だった。

倍音たっぷりの爽やかな歌声だが、そこに、風格までも感じさせる、世界レベルの「強さ」を芯にもった歌声だった。

録画したものを観るのであれば、他の歌い手のところは早送りで飛ばしてしまうだろうから、これほどありありと「別次元」「異次元」ぶりを感じることはなかっただろう。
今回、「生」で番組を初めから通して観ていたために、その印象は強烈だったのだ。

というふうに、「KARATE」のパフォーマンスを視聴しながら、僕は、はじめから「ああ、BABYMETALは他の出演者たちとは全く別の世界で戦っているのだなあ」という思いを強く感じていたのだが、後半で、”あれ”があり、そこから”マライア”を歌いきった、まさに「渾身」と呼ぶべきパフォーマンスに、堪えきれず落涙してしまった。

まさか、Mステで泣くなんて思ってもいなかった。

でも、これが、SU-METALなのだ。
これが、BABYMETALなのだ。
常に、全身全霊で、渾身のパフォーマンスをぶつける。愚直に。ひたむきに。
ライヴは戦いだとは、単なるキャッチフレーズではなく、BABYMETALにおける”真実”なのである。

こうした「あ、これ、単なるおふざけ、ネタ、たまたま話題性でウケているだけ、とかじゃない、凄く真剣なものなんだな」ということは、お茶の間に(もちろん全ての視聴者にであるはずはないが)迫力として伝わった、と思う。

僕にとっては、想定外の結果、嬉しい誤算だった。

実際、このMステ以降、明らかにBABYMETALに風が吹いている、それを実感している。

いちばん顕著なのは、YOUTUBEの「KARATE」や「ギミチョコ!!」、そして「ド・キ・ド・キ☆モーニング」(!!!)のコメント欄だ。
はっきりと「Mステから来ました」と明言しているもの以外にも、日本語のコメントがどっと増えた。再生回数もぐんと増えたのではないか?(きちんと数えていないので、印象でしかないが)

そして、我が家の近所のTSUTAYAでも、先日(Mステを観て感動した、スピッツ兄さんのCDを借りるために)久しぶりに行った際、BESTランキングの3位として「METAL RESISTANCE」がどーんと並べられている!
しかも、そのほとんどが「貸し出し中」になっているではないか!
なおかつ、別の棚にいくつか並んでいる1st「BABYMETAL」は、すべて「貸し出し中」だった!

何度も書くが、東京とは違って、ウチの近所では、BABYMETALなんてほとんど無名だったはずなのに、それがまるっきり刷新されようとしている、そんな大きな波が来ているのを、はっきり実感したのだ。

iTunesのアルバムランキング(4月26日午後11時00分)でも、4位が「METAL RESISTANCE」で、それ以上に驚愕なのは、8位に「BABYMETAL」がランクインしていることだ。

風が吹いている!!!

しかし、この風は、単に話題性だけで吹いている風、浮ついた一過性のもの、ではないはずだ。

これは、BABYMETALが常に一戦一戦戦い続け、勝負どころで勝ってきた、その結果としての実に確かな風である。

もちろん、先日のMステのパフォーマンスだけではなく、4月2日のWEMBLEY ARENAでのライヴの成功、ビルボード等の海外総合チャートへのランク・イン、そうした「情報」の与えたインパクトも大きかったはずだ。

これは、まぎれもない彼女たちの「実績」
彼女たちが、実際に海外で披露したとんでもなく魅力的な「演」奏の、地道な積み重ね(にしても、あまりにも凄いスピードで世界を魅了しているのだがそれはともかく)、その結果であって、実に地に足のついた確かなものだ。

あるいは、例えば今度のMステをきっかけにある程度興味を持ち、半信半疑でYOUTUBEの様々な動画を観たとして、そこには(全員がではないにせよ、その多くが)「あ、これは本物だな」と思わざるをえない、そんな映像がネットには溢れている。
そのどれもが、1回1回のライヴの、1曲1曲の、一瞬一瞬の歌や舞踊に、常に命がけで臨んできたBABYMETALの「リアル」な姿なのだ。

とりわけ、勝負どころでいえば、
なんといっても2014年のソニスフェア → 英国。
先日のThe Late Show → 米国。
先日のMステや、過年のラウドパークや、サマソニや、・・・→ 日本。
と、挙げればキリがないが、こうしたフェスやテレビ番組や単独ライヴにおいて、BABYMETALは、その懸命な渾身のパフォーマンスによって、「僕たちを感動させる」という結果を勝ち取ってきた、のである。

誰かさんがおっしゃるように、BABYMETALが”まがい物”であったとしても(見方によってはそうも言える、というのは事実だろう)、彼女たちが国境を超え、言葉の壁を超え、多くの人をステージ上でのパフォーマンスによって完膚なきまで魅了しつくし、さらにはステージ後も僕たちの日々の生活に元気と勇気を与えていること、これは「事実」である。

それにしても、例えば(あくまでも一例であって、どの楽曲のどの「演」奏でもよいのだが)、「ヘドバンギャー!!」のライヴでのYUI・MOAのあの懸命な跳躍の姿を見て、それでも「まがい物」とか「恥ずかしい」なんてのたまうのであれば、僕はその人を「人間として」軽蔑してしまう。
もちろん音楽的な好みはあるだろうから、「好きになれない」という感想があるのは当然だが、「敵ながらあっぱれ」と感じるのが「人間として」当然だろうと思うのだ。
先入観ではない、とは、自分は確かにそういう認識を固めている、ということだろうが、その結果として、目の前にある、才能をもった少女たちの命を削ったパフォーマンスの凄さが感じ取れない(好きになるかどうかは別である)となると、もう「人として」僕はその人の言動をまともに受け取ることはできない。

あるいは、例えば「ヘドバンギャー!!」のライヴ映像すらも観ずに否定的な言動を公の場で強弁した、のであれば、それは、「大人として」「社会人として」「職業人として」許されるものではない、と思う。
それは、ルール違反でしょ?どう考えても。
こんな凡人の僕ですら、(若気の至りで、というのはいろいろあったけれど)それなりに半世紀も生きてきて、そうした最低限のルールは守っている(つもりである)。

余計な話になったが、ともかく、その成り立ちや一見そのようにしか見えない”ギミック”性に反し、BABYMETALのパフォーマンスは、大箱であろうが小箱であろうが、大都市であろうが小さな町であろうが、ワンマンライヴであろうがフェスであろうが、いつも全身全霊をかけた「戦い」であり、彼女たちはデビュー以来、とりわけ神バンド帯同が通常になってからはよりいっそうそれを続けて来ているのである。

近ごろヘヴィローテーションの『黒ミサ』『赤ミサ』のライヴ映像
これも、当然といえば当然なのだが、魂の震えるような渾身のライヴだ。
いわば「身内」向けの小箱のライヴであったのだが、ここにはいっさい手抜きなどなく、(MOAMETALの変顔などの「余裕」「遊び心」は織り込みながら)、一回限りの完全燃焼の「戦い」を、映像越しにではあるが体験できる。
(ああ、こんな小箱でまたBABYMETALを観たい!)

これが、BABYMETALなのだ。
目の前の観客に、音楽の楽しさを、ヘヴィメタルの生動を、唯一無二のBABYMETALの魅力を、カラダでハートで感じてもらうために、(たとえ、口さがない大人たちから”まがい物”などという不当な罵詈雑言を浴びせられようとも)懸命にパフォーマンスをいっさい手抜きなしに行い続けているのだ。
その証しを、僕は『黒ミサ』『赤ミサ』で改めて確認し、感動しながらも、襟を糺す、そんな気分になるのである。

先日のMステは、(結果的に)そうした「本当の戦い」を感じさせるものになった。
僕は、そう感じている。

なおかつ、ずーっと画面に映りっぱなしだったから、その「素材」のよさもお茶の間の視聴者に(全員にではないにせよ)感じさせたはずだ。

例えば、きゃりーぱみゅぱみゅがパフォーマンスを終えて帰って来たときの、YUIMETALの表情・仕種よ!
各雑誌等で窺える、彼女のパフォーマーとしての自覚、同じパフォーマーとしての共感があそこにはあった。
(BABYMETALのソニスフェアの映像が紹介された時の、きゃりーぱみゅぱみゅのリアクションもよかった。ある意味ではライバルなのかもしれないが、同じく「世界」を相手にパフォーマンスを続けている、「同士」としてのリスペクトを抱き合っていることが感じ取れた。どこぞの誰かさんとは大違いである。)

そして、”お菓子”の話。
YUIMETALのコメント力の凄さについては、このブログでも何回か書いてきたが、これも、彼女の実体験を率直な・生身の言葉で語っているだけ、なのである。
BABYMETALという、日本人の誰も経験したことのない、とんでもないムーヴメントの中で、自分を見失わずに、謙虚に・素直に、しかし、向上心・挑戦する魂は熱く持ち続けているYUIMETALだからできた、爆笑トークだった。
いや、ほんと、幸せな笑顔を浮かべてしまった(皆さん同様)。

言うまでもなく、SU-METALもMOAMETALも、こうした人柄は同じである。

こんな3人に風が吹くのは当然、である。
ただ単に、彼女たちが売れっ子になりつつあることに僕が舞い上がってるのではなく、彼女たちの才能と努力と実績に少しは見合う世間の反応が見られるようになってきたことに、首肯している、そんな気分だ。


ただし、風が吹く、ということは、余計なつむじ風も巻き上がる、ということだ。
どこぞの誰かさんをはじめとする不当な批判的な言辞や、下品な興味本位の週刊誌の記事や、というものもこれからますます増えるのだろう。

これまで、BABYMETALがらみのものであれば、可能な限り目を通し、購入してきたが、これからは、あえて買わない(立ち読みはどうしてもしてしまうだろうが)という選択・決断も大人の僕たちには求められているのだろう。

いま、そんなことを思っている。

BABYMETAL探究(春の嵐2016・・・その余塵~名言集①~)

2016-04-17 01:42:49 | babymetal
『METAL RESISTANCE』を入手してから、まる半月ほどが経った・・・。
えっ、まだ半月?
そう、そうなのだ。
僕の(まだ1年半ほどでしかないが)BABYMETAL体験歴の中でも最高に濃度・密度の高い、まさに怒濤の「春祭り」の数週間だった。
皆さんにとっても同様であろう。

それにしても、英国でのチャート・インはある程度予想できたが、米国でのこの受け方は、想定の遙か上(と、この「想定の遙か上」がBABYMETALの「デフォルト=通常」であるのだが)だった。
正直、「えっ、もう?・・・早すぎる・・・」という印象である。

ふだん購読している新聞の朝刊の社会欄に、小さなスペースでではあるが、写真(モノクロの小さな写真だが3人とも可愛く写っている)入りでTop40入りが紹介されていて、これが一般的にみても「偉業」である、ということを確認した(この日の新聞は、永久保存版として保管してある)。
今日は、読売英字新聞「The Japan News」も、購入した。高校に進学した娘の学習素材にもなるだろうと、2部購入。(記事の中身自体には新味はないが、全て英文でBABYMETALが紹介されているのはやはり新鮮だし、構成として、いつにもなく、YUIMETALがとてもよく語っている、ということに好印象を持った。)

来週の新木場でのイベントに参加される皆さんは、さらにワクワク・ドキドキが高まっていらっしゃるだろうし、金曜日のMUSIC STATIONもあるし、さらにいくつかの雑誌の特集もあるし、5月4日にはWOWOWでのWEMBLEYライヴ放映もあるし・・・と、この「春の嵐」は一向に治まりそうにない勢いなのだが、僕自身は、先日の「Billboard Top 200」の発表で、この「春の嵐」も一段落という感じである。
というか、一回どこかで一段落をつけないと、身体が持たないのだ。

でも、一段落、なんて言ってよいのだろうか?
米国での反応は、いま始まったばかり、という気もするのだが…。
来週のチャートではさらに順位を上げる、ということもあるのでは…?

・・・と、まだまだ花の嵐の余塵は途切れそうにないのだが、いずれ、また(この数週間に比べての)”BABYMETALロス”の時期がやってくるのかもしれない。

が、”BABYMETALロス”も、これはこれでまた必要なのだな、という思いを、今回の「春の嵐」で強く持った。
こんなペース・密度で今後もBABYMETALの情報が届けられるようだと、ほんとうに、身体が持たない。
実際、仕事に、いまひとつ身が入らなかったのだ・・・。これはたいへん問題である・・・と、気合いを入れ直しているところである。
(「春の嵐」に高揚させられて、前回、前々回のシリーズの記事を、立て続けに公開しようと気負った所為でもあるのだが・・・)

今回は、ここで、いったん落ち着いて、この春に出会った怒濤の量の情報の中から、特に個人的に気になった・感動したものを、いくつかとりあげて、噛みしめておきたい。
いわば、「小ネタ集」としての「名言集」である。

① サウンド的に言うとバイキングメタルで、コーラスもスカンジナビアのバイキングの人に歌ってもらいました
by KOBAMETAL 『日経エンタテインメント』


もちろん「META!メタ太郎」について語ったものである。
情報量としては、ほんのひと言のコメント、まさに小ネタだが、僕にとっては”凄い”情報だった。(まだあまり話題にはなっていないようだが・・・)。
意外な雑誌にさりげなくこんな”凄い”情報が漏らされていたりするのだから、何とも油断ならない。
こんなことは、こうしてKOBAMETALに語ってもらわない限り、音源を聴いてわかるはずはない。

BABYMETALの”ホンモノ”ぶりを露わにする情報だと思う。
「META!メタ太郎」などという、どう考えてもマトモではない楽曲。
ウエンブリーのLVで披露した振り付けも、「楽しい狂気」とでもいうべき唖然とするほど素晴らしいものだったが、そこに、本当のバイキングの人のコーラスが入っている、という、わけのわからないところでの”こだわり””ホンモノ”ぶり

これが、BABYMETALなのだ。

一見さんが、表面的に瞥見した段階では、「ああ、企画ものか」「アイドルの、ごっこだね」「ふざけるな!メタルをなめんな!」「あ・・・これは・・・無理!」という風にも見えてしまう、極めてニセモノ臭い、BABYMETAL。
しかし、何かをきっかけにして、じっくり視聴したり、繰り返し触れてゆくと、やがて「いやいや、・・・これって、とんでもないホンモノじゃないか!」と衝撃を受けるのだ。必ず。
そのいちばんの典型はYUI・MOAのダンスだろうが、隅から隅まで徹底的に練り込まれ鍛え込まれたホンモノの素材で、一見ニセモノにしか見えないような楽しさを表現している、それがBABYMETALなのだ。

KOBAMETALのこのさりげない発言に、僕は、そうした「狂ったホンモノぶり」を感じ、鳥肌を立ててしまった。この、尋常でないこだわりと、それを実現するスキルを備え努力・鍛錬を惜しまないメンバーやスタッフ、その総合が、この「奇跡」のユニットをつくりあげているのだ、と。

それにしても、スカンジナビアのバイキングの人(今でもバイキングって実在しているのか?)のコーラスって、「M!E!T!A!」か?「メタ!」か?ひょっとして、「ぶっとばせ~!メ~タ太郎!」の日本語も歌ってもらったのだろうか?

なんて考えると、この曲の”大きさ”がますます増していくのだ。

② (メタルのレジェンドたちからもらったメッセージで一番印象的なのは?)
 ジューダス・プリーストさんが「ギミチョコ!!」を歌ってくれて「この曲好きなんだ!」と言っていただいたことDEATH!
by SU-METAL 『ぴあ MUSIC COMPLEX』


見たか!見たか!見たか!メタルエリートどもよ!
・・・溜飲を下げる、とは、まさにこれである。

僕も、アイアン・メイデンのデビューをリアルタイムで体験し(中学生でした)、それ以来、全てのアルバムを購入し聴いている、それなりに「筋金入りのメタルヘッズ」であると自負しているのだが、だからこそ、BABYMETALに衝撃を受け、愛聴・愛観(こんな言葉はないが)しているのである。
そんな僕は、わけのわからない(筋の通らない)こだわりによって、BABYMETALを認めない(好き・嫌いはあって当然だが)いわゆるメタルエリートの、「逆ストーカー」とでも言いたくなる病的な拒否反応・ネグレクトには、人間としてうんざりしているし、はっきりと軽蔑している

ハード・ロックから、ヘヴィ・メタルへと、新しい時代を、勇気をもって切り開いたジューダス・プリースト。
彼(ら)だからこそ、BABYMETALの存在意義を、理解し・共感している、という、実に頼もしいエピソードである。

この②も、本来、もっと話題になってしかるべき、ある意味「爆弾発言」ではないか。

ロブ・ハルフォードが、とは言っていないが、まあ、ロブだろう。
あのメタル・ゴッドが3姫の前で「ギミ・チョコ」を歌ってくれた、だと!?

快哉、というしかない。

③ 私たちがやっていることはオンリーワンだと思うし、今までもやってきた人はいないと思うから、音楽界に名を残せるような、新しいものを作った偉人……とまでは言わないですけど(笑)、そういう存在になりたいDEATH!
by SU-METAL 『ぴあ MUSIC COMPLEX』


③’…いくら夢を語ってもキツネ様のお告げがそれを超えちゃうから、めちゃめちゃ大きな話をしちゃうと、何だろう……ある種の偉人みたいな(笑)、時代に新しい風を巻き起こす存在になれるようにと思って頑張っています。あまりに大きな野望ですけどね(笑)。
by SU-METAL 『YOUNG GUITAR』


SU-METALの、人間としての「太さ」(「大器」であること)を表わす、味のある発言である。
”ポンコツ”なんて言われたりもする中元すず香だが、喩えるならば、彼女は、小さくて鋭いナイフ、ではなく、鈍くて大きいナタ、なのだろう。

「偉人になりたい」と語る18歳の(世界的に人気を集め(はじめ)ている)女性シンガー。

いやはや、涙が出てくるほど、素晴らしい。

いや、ほんと、どうやったらこんなに「いい娘」が育つのだろうか?

BABYMETALの「奇跡」の根本には、まずSU-METAL(中元すず香)のこの「大器」がある、ということは、BABYMETALを好きになった全ての人が認めることだろう。

で、そんなSU-METALの発言だからこそ、

④ …ツアーの中で「ファンの人は日本語を勉強してくれてるのに、私達が英語で伝えようとしなくてどうするんだろう」って思えてきたんです。
by SU-METAL 『YOUNG GUITAR』


これが、単なる美辞麗句ではなく、「本音」を語っているのだな、と(ファンならば皆)深く納得できるのである。

「THE ONE」での全編英語歌詞に対して、マーケティング的な観点で、「やはり日本語の方が、海外の人には魅力的では?海外にウケようと英語歌詞にするなんて、今までの先輩方と同じように日和ってしまったのは残念だなあ」なんて言うのは、無粋、という以上に、BABYMETALの「思い」をまるでわかっちゃいない、ということだ。

「海外の市場でウケるためには、やはり英語で・・・」などという「戦術」として、全編英語詞にしたのではない。

まさに「THE ONE」でBABYMETALが表現している世界観でもあり、今の3人の(とりわけSU-METALの)思い。それが、海外の人と一緒に英語(現実的な世界共通語)で歌う、というこの楽曲のスタイルとなっているのだ。

こういう「精神論」って、語るのはダサいのかもしれないが、でも、こうしたまっすぐな気持ちがBABYMETALの世界的な人気の根底を支えている、このことは、おそらく事実だと思う。
SU-METALの歌、YUIMETAL・MOAMETALの舞踊、そこに、こうしたまっすぐな気持ちが現われているから、単に音楽的・演劇的に魅力的だという以上に、国境を越えた老若男女の胸を打つのである。

ファンであれば、このSU-METALの言葉が「本音」であることはよくわかるだろう。
これがBABYMETALなのだ。

⑤ (曲づくりにルールはありますか?)
ありません。BABYMETALは、複数のクリエイターに書いてもらった楽曲のパーツをマッシュアップして1曲に仕上げるパターンも多いので。で、その曲に3人のメンバーのキャラクターを意識したメロディや、グループの活動とリンクしたストーリーの歌詞を取り込みます。だから、「BABYMETALらしさ」という部分に関しては、自分の中には答えがあるのですが、それを明確に説明するのはなかなか難しいです。
by KOBAMETAL 『SOUND DESIGNER』


この雑誌は、紹介したなかではいちばん見過ごされているものだろう。
こうしてKOBAMETALがBABYMETALの楽曲の核心をきちんと語るのは、初めてだと思う。

昔、松本伊代が「伊代はまだ~16だから~」と歌ったり、小泉今日子が「なんてったってアイドル」と歌ったり、メタレベルからの自己言及を楽曲にしていた、ということを鑑みると、BABYMETALの歌詞がBABYMETAL自身の活動を歌う、というのは、まさに「アイドル」属性の極みだ、と言えるのかもしれない。

「有言実行」。

キツネ様のお告げを、3人が懸命に実現しようとする、という活動の構造もそうだし、
「Road of Resistance」「KARATE」「Amore」等々の楽曲の歌詞も、
「戦うBABYMETAL」を歌や舞踊で表現するのがBABYMETALだ、という、
メタ、というか、自己言及というか、フラクタル、というか、
こうした構造を徹底して(しかも超絶的な音楽的・演劇的なレベルで表現して)いるのは、おそらく、ヘヴィメタル界にもアイドル界にも、他の音楽ジャンルにもない、
BABYMETALの唯一無二の特性(のひとつ)だろう。


と、こうして、ほんのいくつかの片言を抜き出してみるだけでも、BABYMETALの他に類をみないユニークさが確認できると思う。
これ、今後も時々やってみたい。
点と点を結ぶことで、線が見えてくる、みたいな、面白さはあるな、と、今回書いてみて思った(・・・あくまで自己満足ですが)。


・・・あ、東京ドーム、当選しました。大箱で「THE ONE」枠で当選したのは初めてです。綺麗なチケットが送られてくるんですよね、確か。
楽しみです!

まずは、新木場に行かれる皆さん、楽しんで来てください!

BABYMETAL探究(なぜ僕はNHK「BABYMETAL革命」にノレなかったのか?③)

2016-04-11 20:18:04 | babymetal
今回のテーマの最終回である。

思いかけず、多くの皆さんにコメントをいただいた。
ありがとうございます。
ずいぶん「反感・批判」のコメントもいただいたけれど、それも含めて、反響があることはブログの書き手としては、嬉しい・ありがたいことです。

今回のシリーズは(繰り返しになるが)、番組や、番組を楽しんだ皆さんを否定・批判するつもりは全くなく、自分が感じた「違和感」「どうして僕はこの素晴らしいはずの番組にノレなかったのだろう」という、僕自身の心理状態)を分析する、という趣旨の、ごく個人的な文章であった。

それをこうしたネット上に公開するのは、そうした素人の個人的な心境の吐露・分析であっても、同じくBABYMETALを愛しているファンの方々に読んでいただいたときに、何らかの参考・刺激になることもあるのではないか、という思いからである。

だが、それでもこれほど「反感」を買い、「批判」のコメントを投げかけられることがあるのだな、ということがよくわかった。いい勉強になった。

僕自身、例えば他の方のブログや、Amazon等のレビューで、BABYMETALに関して、自分の大好きなもの(曲、アルバム、映像盤)を否定するようなコメントを目にすると、腹が立ったりすることはあるから、「反感・批判」のコメントをしたくなる気持ちもよくわかるのだ。

例えば、聴き始めた十秒後には、もう個人的な「神曲」になってしまった「Amoreー蒼星ー」に関して、かなり辛辣な批判もいくつも目にする。そうすると、胸がモヤモヤっとして苦~い気分になってしまう。

ただ、「なぜ?この人はこんな神曲を否定するんだろう?」と思いながら、続きを読んでみると、例えば「メロスピが嫌いで…」と書かれていたりして「ああ、僕はメロ・スピがやっぱり好きなんだな」ということに改めて気づかされたりするし、あるいは「コード進行が完全に歌謡曲だからロックとして聴いてられない」なんて書かれていると「ど真ん中の日本の歌謡曲を、激走メロ・スピにする、これぞBABYMETALの唯一無二の醍醐味だ!」と、よりいっそうこの曲に惚れ直す、なんてことになる。

つまり、自分とは異なる(時に真逆の)見解であっても、自分が感じているBABYMETALの魅力を改めて認識するきっかけになったり、自分が気づかなかったBABYMETALをめぐる何かに気づくきっかけになったりする、そんな可能性があるはずで、僕がこうしてこのブログを書き、アップしているのも、その可能性を信じているからである。

今回の記事は、僕の書き方の至らなさで、多くの方に不快な思いを抱かせてしまったようで、それはたいへん申し訳ないのだが、上に書いたような可能性を信じて、これからも、大好きなBABYMETALをめぐって、感じたこと考えたことを、書いていこうと思っている。

できれば、これからもおおらかなお気持ちでお読みいただき、皆さんのBABYMETAL理解の参考・刺激になるような内容がほんの一行でもあり、役立てていただけるようなことがあればいいなあ、と思いながら、好き勝手なことを書き続けるのである。

以下、本論。

世界で最高(個人的な思い)のBABYMETALの、世界唯一の「スタジオ・ライヴ」を中心にした番組『BABYMETAL革命』は、BABYMETALファンならば楽しんで当然の番組だったはずなのだ。
なのに、なぜ僕はノレなかったのか?

おそらく、ここには、たいへん些細な機微、が影響しているのだろう。
そのほんのわずかなささくれに、僕はひっかかってしまった、ということなのだと思う。

その「ほんのわずかなささくれ」の1つが、前回考察したように、『BABYMETAL革命』の冒頭のナレーションだ。
ほとんどの方が何にも気にならかったのであろうが、そこに、僕は、「事実」ではない「盛った」ナレーションの演出を感じ、引いてしまった、ということなのだろう。

で、そこから逆に、一昨年末の『BABYMETAL現象』は「事実のみ」を積み上げることでBABYMETALの凄さを客観的に描き出していた、というその「神番組」ぶりを改めて確認したのだった。
だからこそ、あの番組は、たまたま目にした、BABYMETALをあまり知らない視聴者(とりわけ、おっさん)に衝撃を与えたのだ、と。

『BABYMETAL革命』に「僕がノレなかった4つの要因」として、次の4つをあげた。

① なぜ、いま、「スタジオ・ライヴ」なのか?
② 誰に向けての番組なのか?
③ 窮屈さ、あるいは、ヤラセ感。
④ 「二番煎じ」臭の強さ。

① なぜ、いま、「スタジオ・ライヴ」なのか? と挙げたが、おそらくこの疑問自体が筋違いなのであって、まず「スタジオ・ライヴ」ありきで、この『BABYMETAL革命』という番組がつくられたのだろう。
「スタジオ・ライヴ」が中心のコンテンツとして柱になっていて、そこに”BABYMETALとは何か?”を紹介するための、映像や対談やインタビューが挟み込まれ、ひとつの番組になっていた。

エンディングロールを見ると、『BABYMETAL現象』も『BABYMETAL革命』も、同じプロデューサーになっているので、実際のところはどうかわからない、素人の単なる憶測だが、今回が「MJプレゼンツ」であり、「MJ」という”音楽番組”の最終回の第一部として位置づけられている以上、番組のコンテンツのメインは「スタジオ・ライヴ」であった、と見るべきなのだろう。

ドキュメンタリーであった『BABYMETAL現象』とはそもそも、番組の趣旨が異なっていたのだ。

そういう意味で、BABYMETALを紹介する映像が、前回の『BABYMETAL現象』やWOWOW放映の『天下一メタル武道会』のものの再利用であったことも、今回の「スタジオ・ライヴ」中心の”音楽番組”という性質からすると当然だったのだろう。ドキュメントの部分は今回の番組の力の入れどころではなかったのだ(予算とか制作スケジュールとかの制限もあったのだろうし)。

しかし、僕は、そのメインではない部分に、足をすくわれてしまったのだ。
二番煎じ臭の強さ、を感じてしまったのだった。
本当に残念なことに。
(いつもなら気にならない枕元の時計のカチカチという音が、ふと気になってしまい、眠れなくなる、ごくたまにそんなことがあるが、いわばそれに近い心理状態に陥ってしまった、ということかもしれない)

とりわけ、レディ・ガガに関しては、「えっ、今さら、これ?」と引いてしまった。
②誰に向けての番組なのか?の答えが、「ふだんMJを観ている、BABYMETAL未経験者・初心者」に向けてであるのだろうから、知名度のあるレディ・ガガとのエピソードを紹介するのは、必然なのかもしれないけれど…。

『BABYMETAL現象』では、テッド・ジェンセンとか、サム・トットマンとか、BABYMETALファンからしても「驚きの人」が、次々と出てきて、BABYMETALの魅力を「証言」する、そんな衝撃・感動があったのに…と。

あれから1年半以上経っているのに、映像は一緒?使い回し?…またガガ?…と。

例えば、ズッ友写真を次々に紹介する(ブライアン・メイ、ロブ・ハルフォード、等)なんて絵が十秒ほどでもよいので挟まれているたら、「少女たちは世界で戦う」という謳い文句がより絵として説得力を持ったのでは、と思うのだ。

あるいは、会場に来た300人(?)のファンの”熱い語り”をいくつか紹介するだけでも、僕の印象はずいぶん変わったのではないか、とは思う。

もっというと、日本ではあまり知名度はないが、圧倒的な支持を得ている、という、BABYMETALの何とも不思議な立ち位置によって、そんなBABYMETALをどう紹介したらよいのか、その難しさがここに露呈していたのかもしれない。
(実際、特に、京都にいると、BABYMETALなんてほとんど誰もまだ知らないんじゃないの、というのが正直な実感である。それでいて、2ndの売上が、初週で13万枚って、どうなってるの…?という感じだ)
今日明日発表の、ビルボードのランキング報道によって、そうした認知状況が大きく変わるのだろうか?全く予想もつかないが…。

そういう意味では、お茶の間にはほとんど知られていない、という前提で、BABYMETALを世界的な現象として紹介する『BABYMETAL現象』は、報道すべき焦点が明確であったぶん、番組としては作りやすかったのかもしれない。

で、それはそれとして、さらにつらつら考えると、
今回の番組に、僕がノレなかったいちばんの要因とは、
「少女たちは世界で戦う」という謳い文句と「スタジオ・ライヴ」との齟齬、ということになると思う。
(気にならない方がほとんどであり、それでいいのですが、僕は気になってしまってノレなかった、ということです。これは「意見」ではなく、「個人的感想」です。)

「③窮屈さ、あるいは、ヤラセ感」と記したが、「スタジオ・ライヴ」では、「世界で戦うBABYMETAL」のスケール感を表現することは、基本的に難しい。
(このことは、すでに、コメントで指摘なさってくださった方も、何人かいらっしゃった。ありがとうございます。僕も全く同感です)

本当に微妙な感じ方の違いでしかないので、そう感じない方がいらっしゃっても当然なのだが、僕はあの日の放送の「スタジオ・ライヴ」に、(WEMBLEYの熱い熱いLVを体験した後だったということもあるのだろうが)、たいへん”ひんやりした感じ”を受けてしまったのだ。
今、繰り返し観ていても、その”感じ”はしてしまう。

素人の目では、専門的に分析できないのだが、ライティングなのかカメラアングルなのかカットの切り替えなのか、何か”台本通りにやっているライヴを見せられている”、観ている側からするとそんな”疎外感”のようなものを感じてしまったのである。
(ここは非常に微妙な感触を言葉にしようとして、キツい言い方になってしまっているので、この”感じ”はうまく伝えられていないかもしれない。ほんとうに微妙な感触なのです。で、僕のこの感じ方が正しいなんて主張しているのではありません。僕はそう”感じ”てしまった、ということです)。
(これも、コメントにあったように、「NHKらしい」きっちりしたリハーサルがあり、ライヴの躍動的なシズル感が減殺されてしまった、なんてことがひょっとしたらあるのかもしれない)。

なぜ、そう感じてしまうのか?

ひょっとして、BABYMETALの「演」奏は、テレビ(日本のお茶の間向けの歌番組)向きではない、ということなのか?

そうなのかもしれない。これは、今回のシリーズで残った(僕にとっての)大きな「宿題」である。
でもこれは、十分ありうることで、そして決してBABYMETALにとって不名誉なことではなく、”世界のBABYMETAL”、”オンリー・ワンのジャンル”である証だとも言えるだろう。

あるいは、単に、ふだん歌番組に出ないから、僕が観慣れていない、というだけのことかもしれない。

あるいは、僕(たち)が、ライヴ会場でのナマの体験や、映像であっても実際のライヴの強烈な映像を、日々繰り返し観つづけてしまっているために、そのスケール感・躍動感・狂乱がいわばBABYMETALに接するときのデフォルトになってしまって、「スタジオ・ライヴ」では物足りなかった、という「贅沢病」なのかもしれない。

逆に、面白いことに、『BABYMETAL革命』の最後に「THE ONE ~Unfinished Ver.~」が映されるのだが、そこには「観客」は映っていない。それで、ここで僕たち視聴者がシラケてしまうか?といえばそんなことは全くない。
むしろ、ここにこそ「スタジオ・ライヴ」の最良のよさが出ている、とも(僕は)感じたのだ。

「スタジオ・ライヴ」とは、もちろん、お茶の間向けのテレビ放映のためのものであって、その長所があるとすれば、実際の荒々しいライヴとはまた質の異なる、アーティストの細かな息づかいのようなものまでも鮮明に視聴できる、ということだろうか。

「THE ONE ~Unfinished Ver.~」は、その静謐な曲調からも、それを存分に堪能できる、素晴らしいものだった。

あるいは、ダンスであっても、それをお茶の間に見せるために、ということを念頭において作られ演じられている他のJ-POPユニットであれば、「スタジオ・ライヴ」とは、ある意味”最高の舞台”なのかもしれない。

しかし、BABYMETALの”ダンス”はそうしたものとは根本的に質が異なっている。これはこのブログのいたるところで書いていることなので、詳述しないが、簡単に言えば、ライヴの観客を身体ごと・魂ごと揺り動かす、そのためのものだ。

だから、『BABYMETAL革命』の「スタジオ・ライヴ」においても、まず、スタジオの300人の観客をノセるために、BABYMETALの”ダンス”は機能していたはずだ。
でも、それを撮るカメラの映し方は、それを俯瞰的に・対象化してとらえ、ステージでの歌やダンスとそれに熱狂する観客をお茶の間に見せる、という、いわゆる歌番組的なそれ、になっていたのではないか?
(廃墟のようなセットも、会場での機能ではなく、テレビ番組としての絵のために配されていたものだ)

そこの、二つのベクトルのずれ、のようなものが、お茶の間で観ている僕に”疎外感”のような感じを与えたのかもしれない。BABYMETALが送り続ける「力線」が画面越しにこちらに突き刺さってくるものではなかった、と。

あ、こう書きながら、何か、腑に落ちたような気がする。

なぜ、「The Late Show」での「スタジオ・ライヴ」はあんなに”熱かった”のか、『BABYMETAL革命』での”冷ややか”さ(個人的な印象です。しかもかなりキツい表現になっています)と、あまりにも対照的なので「謎」だったのだが、その一つが、まさにBABYMETALが「会場の観客」を揺り動かそうとしていた「力線」が、そのままストレートにカメラ越しにこちら側に突き刺さってきたからではないか。実際、何度も観てきた「ギミチョコ!!」であったが、そんな僕でも鳥肌が立った。
(これも、感覚的な言い方なので、うまく伝えられていないだろうが、自分なりには、何か納得できた気がする。)

ある意味、むしろ拙いカメラワークなのかもしれないが、「The Late Show」の映像には、例えば演者の側から観客席を映すとか、空中からステージ全体を映すとかいったカメラアングルはなく、右側から左側から寄ったり引いたりしながらも、あくまで愚直にBABYMETALを観客席側から捉えた映像のみで構成されていた。その”原始的なカメラワーク”によって、BABYMETALの迫力が、ひしひしと迫って来ているものになった。

ひょっとしたら、これこそが、テレビでのBABYMETALに最もふさわしい映し方、なのかもしれない。
極端に言えば、正面ど真ん中に置いた固定カメラで、ただステージ上での3姫と4神の「演」奏を映す。全くの極論でそんな映し方はありえないが、実はそんな映し方こそが、メタルダンスユニットBABYMETALの迫力をいちばん的確に伝えるものなのかもしれない。

もしも、例えば、「ヤバッ!」がお茶の間向けのテレビに映る機会があれば、「真正面センターの固定カメラ」による映像こそが、あの超絶ダンスのとんでもない楽しさ(それでいてつぶさに観れば、総毛立つしかない信じられないYUI・MOAの動き)を最もよく伝えるものになるのかもしれない。ある一点から撮られた、それでも十分に楽しいファンカムでの映像を観ると、そんな思いを抱きもするのだ。

これって、超絶メタルダンスユニットBABYMETAL特有の、また一つの逆説なのだろうか。

普通の歌手や、ダンスユニットならば、映像効果をあげるはずのカメラワーク(一点に固定されたカメラの映像では絵がもたない)が、BABYMETALの場合には、むしろ逆の効果を及ぼすことになってしまうこともある、ということなのかもしれない。

同時期に入手した、「赤ミサ」「黒ミサ」「メトロック」等の映像は、こうしたものとは全く別物で、これはもう、ライヴでありながら演劇・ミュージカルでもあり、ライヴ全体のドキュメンタリーでもある。
観ていて、必ず笑顔になり、何回も涙がこみあげる。
WOWOW等でのライヴ放映には、僕は今まで通り、感動し続けるだろう。

そうではなく、もし、これから、BABYMETALが、お茶の間向けのテレビ番組(歌番組)に出る機会があるのならば…と妄想をはばたかせるならば、今回の『BABYMETAL革命』での「スタジオ・ライヴ」に僕が感じてしまった違和感のようなものは、例えば「The Late Show」の「スタジオ・ライヴ」と比較対照して、いろいろと考えるに値する材料も詰まっていた、そんな気がしている。

オンリー・ワンのメタルダンスユニットBABYMETALを、どのようにテレビで「披露」するのか、報道番組やドキュメンタリーでもそうだし、とりわけ歌番組においては、既存のセオリー・手法は通用しないのだな。
たいへん難しく、だからこそ作り手の腕が問われる、最高の素材なのだろうな。

そんな思いを強く抱いたのであった。

(このシリーズは終わり)。

あ、全くの余談ですが、『METAL RESISTANCE』全曲、カラオケにあります。
いやあ、楽しい・楽しい。
アルバム発売から一週間もしないのに、全曲収録って、「出世したなあ」、と思います。
(これまでの、カラオケの「実績」がよいからでしょうね。僕も、せっせと通っては歌っています)。
もちろん、SU-METALの声が出るわけでもないし、「GJ!」もYUI・MOAのようには(まだ)舌が回らないのですが、実際に歌えてなくても、歌っているつもりだけでも、とても楽しいのです。

「Amoreー蒼星ー」で始めて、さんざん歌って、最後はまた「Amoreー蒼星ー」で締めてきました。
「META メタ太郎!」も、カラオケで歌うのは、また楽しいです。

もし行かれたことない方がいらっしゃったら、ぜひ。
1人で行くのも楽しいですよ。
誰に遠慮することもなく、思う存分大音量でBABYMETALが歌えますから。

さあ、ビルボード・チャート公式発表ですね。
どんな騒ぎになるのか、それとも、(またまた)ほとんどスルーされるのか…?
そのことにもドキドキしています。どうなるんだろう?







BABYMETAL探究(なぜ僕はNHK「BABYMETAL革命」にノレなかったのか?②)

2016-04-07 23:07:45 | babymetal
前回の記事に対して、思いがけず多くの方からコメントをいただいた。
ありがとうございます。
同じような思いを抱いた方もいらっしゃったようで、もうこれ以上書く必要がないような気もしている(僕が書こうと思っていたことをすでにコメント欄で言われてしまった、ということもあるし…)のだが、この話題を「探究」しておく意味は(僕自身にとって)たいへん大きいことだという予感があるので、続けていくことにする。

その前に、繰り返しになるが大切なことなので再度書いておく。
ここで、番組そのものを批判したり、この番組に感動された方をディスるつもりなど、全くない。

だいいち、僕自身、この番組をしっかり録画して、通しですでに7回以上(部分的な再生を含めれば15回ほど)繰り返し視聴しているのだ。明日もまた観るだろう。
決して、番組そのものが悪いものであったなんて感じてはいないし、そういうことを言いたくてこの記事を書いているのではない。

日本全国で観られるNHK地上波の、数少ない若者向け音楽番組「MJ」の、しかも最終回という”晴れの場”に、BABYMETALが登場し、対談やライヴ(しかもフル尺で、鮮明な映像・音質で)を見せてくれた、ということ。

このことには、感謝・感動こそすれ、不平・不満などこれっぽっちも感じてはいない。
何とも静謐な「THE ONE ~Unfinished Ver.」など、おそらく今後ライヴでも「演」じられることはないだろうから、まさにただ1回のみの極めて貴重な映像になったはずだ。

とりわけ、SU-METALの次の2つの言葉は、まさにBABYMETALの「今」を典型的に表わす、感動的な言葉だった。この言葉を聞けただけでも、ファンとしては感涙すべき番組だった、そう思っている。

① (メタルってどんな音楽?)メタリカさんのライヴを観たときにすごく思ったのが、音楽って耳で聴くものじゃないんだなってことにまず気づかされたんですよ。本当に、心にズンって来る感じ、というか。BABYMETALのライヴをしていても時々思うんですけど、本当に心から動かされる感じで、気がついたら身体が動いてる。もう、頭で考えるんじゃなくてとりあえず動け、みたいな。それくらい強いメッセージ性を持っている音楽だな、ってふうに感じていて、元気になれたりとか、パワーをもらえたりとか。やっぱり、強い音楽、激しい音楽って、それなりの意味をもってそういうふうに存在しているんだな、っていうのを感じてますね。

② 戦ったからこそ見えてくる景色がある、と思うんですよ。その先も、もっと先を、私たちはできるんじゃないか、って思いがあるから。戦い続けるんだろうな、って思います。

①は、一昨年末の「BABYMETAL現象」収録・オンエア時には、まだSU-METALが語るはずのなかった、語ることのできなかった、そうした言葉だろう。

同趣旨の発言は『ヘドバン』誌上でも目にすることはできたが、あそこではインタビュアーの梅沢編集長の誘導によって「刺さる」という言葉が出てきたように見えた(もちろんSU-METALにそういった思いがあったから、同意したのだろうが)。
(もちろん、『ヘドバン』には、「(メタルって)”本当の自分を見せてくれるもの”なのかな」という国宝級の名言もあったのだが)。
しかし、この「BABYMETAL革命」でのこの発言は、SU-METAL自身が、2014年の11月からさらに1年半の経験を重ねたうえに、”いま”自分が感じていることを自分自身の言葉で語った、まさに彼女の「肉声」だと感じられるのだ。

それにしても、さらり、と語っているが、これって、「ヘヴィ・メタルとは何か?」の根幹に届く哲学的な深みを持った言葉ではないか。

考察途中の『メタル・エヴォリューション』の第1回目の冒頭にも、「ヘヴィ・メタルという音楽は聴き手に何をもたらすのか?」をめぐる考察があったが、実際にステージの上に立ちヘヴィ・メタルを「演」奏しているSU-METALの肉声は、(それが初めは彼女にとって未知のものであったからこそ)「ヘヴィ・メタルとは何か?」の本質を射抜く言葉になっているのではないか。
(メタリカのステージをきっかけにしてSU-METALがこれを感じた、ということには、感慨ひとしお、である。なんてすごい「青春」を彼女は過ごしているのか…)

②について。「ライヴは戦いだ」という類の言葉は、今までに何度もSU-METALの口から語られてきた文言ではあるが、無我夢中に走り続けてきた中での「戦い」という言葉と、ある程度世界的に認知もされそれなりに自信も実績も持つようになった「いま」(WEMBLEY ARENAライヴへの臨戦時)の時点での「戦い」という言葉とでは、その意味の深さががまた大きく異なっているように思えるのだ。

そして、この言葉はBABYMETALの本質であろう。
これがBABYMETALの全て、なのだ。
「戦い続ける」、「戦ったからこそ見えてくる」というのは、BABYMETALの楽曲、歌詞、ダンス全てを支配している”世界観”であり、しかも、実際に彼女たちは身を呈してその「戦い続け」る姿を、神々しく、僕たちに見せつづけているのだ

『ぴあMUSIC COMPLEX Vol.4』に、MIKIKOMETALのこんな言葉があった(もう「ネタバレ」の時期は過ぎていると思うので、遠慮なく引用させていただく)。

(ーMIKIKOMETAL先生の視点から、ライヴパフォーマンスの一番大事な部分ってどこだと思いますか。チームBABYMETALは何を共有しているのか、教えていただけますか。)
「なにごとにも適当にできない」ということですね。full-outというんですが、BABYMETALは100%以上を出さないと見せきれない表現なので。クサい言い方になりますが、命がけでやっている。ちょっとでも油断すると死んじゃうんじゃないかというくらい、体力的にキツいことをしているんです。キツいけど、そこを見せないようにする強さも必要だし、3人でやっているからフォーメーションの細かさみたいなものも緻密で、大事だし、見ている側に違和感を感じさせないようにしなければいけないし……。


僕も、ここで「命を削って」なんて表現を度々しているのだが、それは素人目の「印象」の形容詞でしかない。実際に、MIKIKOMETALの口から発せられるこの言葉は、もうとんでもなく重たいものだ。

3人の表現やパフォーマンスに身内が感動できること自体がすごいことですね。リハーサルを見ていても心が震えるし、そうやって見ているスタッフを笑わせられるだけの表現を常に3人が提供してくれるから、こちらにもやりがいを持たせてくれるんでしょうね。

…泣いた。泣くしかないではないか。
とんでもなく過酷なことを行いながら、彼女たちのパフォーマンスは、見る者を笑顔にする。
これが、彼女たちの「戦い」だ。

僕たちおっさんメタルヘッズが、こんなカワイ過ぎる奇妙なものを、「これぞ本当のメタルだ!」と(涙を浮かべながら)称揚できる、その核心(のひとつ)である。
このことに、僕たちが、日々どれだけ勇気を与えられているか、元気をもらっているか。

プロデューサーによって巧みにつくりあげられた操り人形?

もちろん僕はそんなふうには思わない(思うはずがない)けれど、しかし、もし仮にそうだったとしてもこんな実績を積み、こんな深い認識を持ち、こんなことを語りうる、命を削って「戦い続ける」操り人形たち、って、僕たち凡百の人間と比べて、いったいどちらが「ホンモノ」だろうか?ということだ。
SU-METALの、BABYMETALの、”凄み”を感じさせる言葉だった。

と、「BABYMETAL革命」は、ファンならば、感涙必至の魅力を蔵した番組だった

なのに、なぜ、僕は、あの日放送をオンタイムで視聴しながら、ノルことができなかったのか?
落胆・失望を感じたのか?

前回挙げた、「僕がノレなかった4つの要因」の分析を再度挙げておこう。
① なぜ、いま、「スタジオ・ライヴ」なのか?
② 誰に向けての番組なのか?
③ 窮屈さ、あるいは、ヤラセ感。
④ 「二番煎じ」臭の強さ。

この②③④の絡み合いを、まず検討しよう。

まず、②「誰に向けての番組なのか?」について。
これは、答えははっきりしていると思う。
「MJを熱心に観ていたような若い視聴者で、あまりあるいは全くBABYMETALのことを知らない人たち」に向けて、ということになるはずだ。
(スタジオライヴの観客が、若い女性が目立つように選抜・配置されていたのは、その目的からであるのは明らかである)

だから、あの日オンタイムで視聴しはじめながら、僕は、「あまりあるいは全くBABYMETALのことを知らない人たち」が今これを観ていたとして、”BABYMETALの素晴らしさ”が伝わるだろうか?ということを考えていたのだ。

僕の周りでは未だBABYMETALは「無名」といってよい。あの人に、またあの人に、この番組を見せたとしたら、(好きになるかどうかは、人それぞれだろうが)少なくとも”BABYMETALの素晴らしさ・凄さ”を理解・認知はしてもらえるだろうか?と。

その答えは、僕には、「」としか感じられなかったのだ。
端的に言って、たいへんに「ニセモノくささ」を感じてしまったのである。

ここには、とりわけ「初遭遇」における、BABYMETALをめぐる最大のポイント(関門?ハードル?)がある。

どう見ても、BABYMETALはニセモノに見えてしまう。
というか、言葉を恐れずに言えば、ある意味、BABYMETALはニセモノなのだ
ただ、そのクオリティの超絶的な高さによって、もうホンモノでしかない、あるいはホンモノかニセモノかもうそんなことはどうでもよい、唯一無二・空前絶後の極上・至極の存在になってしまっている、ということだ。

その、「BABYMETALは、初見の人には、どうしてもニセモノに見えてしまう」ということに関して、「BABYMETAL革命」はあまりにも不用意だった、のではないか。

例えば、冒頭の、冠徹弥氏のナレーション。
もちろんこれは「BABYMETAL現象」に引き続き、ということなのだが、「BABYMETAL現象」で、冠徹弥氏が「あの頃メタルは熱かった」~「俺たちの救世主、BABYMETALを迎えよ!」とナレーションするのは、一見、大仰な煽り文句に聞こえるが、豈に図らんや、これ、実に実に本当のこと、であったのだ
何もBABYMETALだけのおかげで、ということではないが、明らかに、少なくとも国内では、BABYMETAL”現象”によって(も)メタルに(以前よりは)風が吹いているのではないか。
実際に、BABYMETALをきっかけに○○○を聴いてみた、△△△のライヴに行った、という方は少なからずいるはずだ。「The 冠」自体も、例えば「MJ」に出たりとか、”BABYMETAL「現象」以後”、日の当たることが増えたのではないか。
何より、僕たちの熱い鋼鉄魂がBABYMETALによって再燃している。これは「事実」なのである。

あの”神”番組「BABYMETAL現象」は、こうした「事実」「本音の証言」「BRIXTONライヴ」「海外の観客の生の反応」のみを徹底的に積み重ねて、BABYMETALという「とんでもない現象」を鮮やかに示す番組だった。
(実にNHKらしく、と言ってもよいだろう)。

例えば、番組中に、「ケラング!」誌の新人発掘担当、ジェニファーさんのこんなコメントが紹介される。
「こんなの見たことがなかったわ。何もかもが違うの。初めて見た瞬間に、ウチの雑誌でとりあげなきゃ!って思ったの。誰もが夢中になれるはずだわ。まず、歌や踊りがすごく上手。ルックスも超キュート。曲もキャッチー。でも何よりもライヴが本当に楽しいの
何とも手放しの、大・大・大絶賛だが、しかし、ここには形式的な褒め言葉や煽り文句はない、これもすべて「事実」を言ったものである
というか、この番組を見て以来「さすが、ロックの本場のジャーナリストの言葉は、何とも的確だな」と思い、ことあるごとにこの言葉を思い浮かべるのだ。最後に、「でも何よりもライヴが本当に楽しいの」とつけ加えて終わるのは、まさにBABYMETALの「核心」である。

あの番組は、こうした「事実」のみで出来ていた。
そうした信憑性は、無意識のうちにリアリティとなって視聴者に伝わるのではないか。

だからこそ、人生経験・音楽体験を積み重ねて、人・物事・音楽に対して、それなりに見る目・聴く耳を持っている、メタル好き・ロック好き・音楽好きの「おっさん」たちが、あの番組によって少なからず陥落したのではなかったのか。

そこに、100%の「事実」としての「現象」が紹介されていたからこそ、「えっ、これ、何かとんでもなく凄いものを、自分は今まで見過ごしていたんじゃないのか?BABYMETALって何なのだ?」という衝撃を受けたのではないのか。

これに対して、「BABYMETAL革命」の冒頭のナレーションは、こうだ。

メタルダンスユニット、BABYMETAL。世界が最も注目する日本の少女たち。破壊的なメタル・サウンドに、一糸乱れぬ超絶ダンス。その衝撃は海を越え、今や「現象」となった。
(ここに「BABYMETAL現象」で放映された映像がいくつか流れる…④「二番煎じ」感を僕は感じた)。
「BABYMETAL革命」。
番組では、世界唯一のスタジオ・ライヴを披露。そして本音を語るスペシャル・トーク(映像には「本音を激白!」とあった)。十代にして世界と戦う3人の、真実に迫る。
(「Road of Resistance」のイントロが流れ始める。)
冷え切った音楽シーンの救世主か?
それともカワイイ文化の最終進化形か?
前人未踏の地を進み、起こす彼女たちの革命
世界よ、見よ。これがBABYMETALだ。

どうだろうか?「現象」で紹介された文言と、ずいぶん質が異なるように僕には感じられる。こうして書き写しながら、恥ずかしくなってくる。
まるきり「嘘」ではないかもしれないが、ずいぶんと「盛った」言い回しではないか。

こんなふうに「盛る」必要などないのだ。派手な煽り文句などいらないのである。
彼女たちが成し遂げつつある「事実」を、彼女たちの語る誠実な「本音」を、きちんと紹介さえすれば(なぜ「激白!」などとコピーをつけたのだろう?)、それで彼女たちの「凄さ」は伝わる。
何にも盛らなくても、事実、彼女たちは凄いのだし、凄い結果を出し続けているのだから。

逆に、こうして盛れば盛るほど、BABYMETALが本来的に持っている”ニセモノ性”が首をもたげ、臭みを発しはじめるのではないか?
僕は、あの日、この番組のこの冒頭で、そうした「ニセモノの持つ臭み」を嗅いだように感じた、のだと思う。

冒頭でノリ損ねて、割り切れない心理状態のまま、最後まで番組を見続けることになってしまったのだろう。

例えば、(これは「偶然」ではなく意図的なものだろうが)二つの番組に、「救世主」という同じ単語が出てくるのだが、その「真/偽」の印象はまるで対極的である。

「BABYMETAL現象」での、「俺たち=ヘヴィ・メタル」の「救世主」
 → 見解の相違はあるだろうが、ある意味でこれは「事実」でもあろう

「BABYMETAL革命」での、「冷え切った音楽シーンの救世主」
 → これ、BABYMETALの「信者」である僕でさえ、こんなことはさすがに思わないし、言えない。
もし本気でこんなこと言っているとすれば、実に傲岸不遜でしかない。
じゃあ、ギャグなのか?なぜ、番組冒頭で、そんな中途半端な大言壮語・煽り文句を言う必要があったのか。

ひょっとしたら、こうした大言壮語は、ヘヴィ・メタル的な「様式美」として受け取ればよいのであって、目くじらを立てるまでもない、のだろうか。

が、「MJ」という音楽番組を観る若者が、たまたま目にした「冷え切った音楽シーンの救世主」などという文言を、どう思うだろうか?
もしも僕が高校生時代にこれを初見で観たら、おそらく腹を立てたのではないか、と思う
自分が大好きな音楽に対する冒涜だ、と。ふざけんな。何なんだ、お前ら、と。

そして、BABYMETALは、そのありようから、(他のミュージシャン、バンドに比べて)そうした反感を買いやすくできているのではないか。
「不用意」と記したのは、こういう訳である。

どうだろうか?
僕の感じた違和感を(納得していただこうとは思っていないけれど)、ぼんやりとでも理解していただけただろうか?

① スタジオ・ライヴ
③ やらせ感

については、改めて書きたい。

今回の内容を簡潔にまとめるならば、次のようになるだろうか。
BABYMETALは、凄い。
しかし、それを、ことさら凄そうに演出すると、その凄さはとたんにうさんくささに変わってしまう。
そうした危うさを、<BABYMETALがテレビ出演すること>は、常に孕んでいる。

そのへんの扱い方が、「BABYMETAL現象」と「BABYMETAL革命」とでは(改めてみると、このタイトル自体が、すでに「事実」と「煽り」と、対照的なものになっているなあ…)、対極的だった。僕は、そう感じてしまったのだった。

最後に、今回の「探究」と関わらせて、もう一つ『ぴあMUSIC COMPLEX Vol.4』から、MIKIKOMETALがSU-METALについて語った、こんな言葉を引用する。

SU-METALは歌唱力も圧倒的にあがりましたね。リハーサルの時にスタジオが壊れるんじゃないというくらい大きな声を出して練習しているから、スレないままよくぞここまでって思います。表現力はもちろん豊かになっていっているんですけど、小学校の時から変わらないというか……音楽に対するひたむきさは、より純粋になっていっているような感じがします。

…泣いた。泣くしかないではないか。

なんていい子なんだろう。
もう、いい子、なんて呼ぶ年齢ではないかもしれない。
なんと純粋な人柄の持ち主だろうか。これが、SU-METALなのだ。
こんな彼女だから、あの歌声が、性別・年齢を超え、国境を・言葉の壁を超え、人の胸をうつのだ。
人前で取り繕って、ではない。ごく普段の練習のときに、こうなのだから、まさにSU-METAL(中元すず香)とは、「地」としてこういう人なのだ。

もちろん、YUI・MOAも(先に引用したMIKIKOMETALの言葉からもわかるように)こうした人柄の持ち主であり、例えば国内外のメディアや出逢ったミュージシャン達から愛されているのは、単にルックスの可愛らしさからではなく、人間として謙虚でひたむきで明るくて…ということからくるものだ(ろう)。
(『ぴあMUSIC COMPLEX Vol.4』には、こんな情報がてんこ盛りであった。もしまだお読みでない方がいらっしゃったら、ぜひお読みください。何度も泣くことになりますが…)

こんな彼女たちの”純粋な”魅力を伝えることのできる<テレビ出演>であってほしい。
「BABYMETAL現象」はそれが見事にできていたし、「BABYMETAL革命」は(例えば、番組冒頭の煽り文句によって)しくじってしまったように、僕には感じられたのだ。
(これもまた、ある意味「NHKらしい」のかもしれない)。

(つづく)







BABYMETAL探究(なぜ僕はNHK「BABYMETAL革命」にノレなかったのか?)

2016-04-06 18:17:23 | babymetal
NHK放映の「BABYMETAL革命~少女たちは世界と戦う~」

放映後のネットでの書き込みを見ると、大多数の皆さんが絶賛のようである。「神番組」と称して讃えていらっしゃる方も少なくない。そんな感想を持つことができる方々がうらやましい…。

たいへん残念なことに、僕はこの番組にはノレなかった
もっと正直に言えば、番組の初めから最後まで「駄目だ、こりゃ…」という残念な気持ちでいっぱいだった

ここで番組批判をするつもりは全くないし、感動なさった皆さん(ましてやこのスタジオライヴに参加された皆さん)を揶揄したりするつもりなどこれっぽっちもない。
多くの方を感動させたあの番組は、客観的に言って「さすがNHK!」と讃えるべき素晴らしい番組だったはずなのだ。

しかし、では、なぜ僕はそう感じることができなかったのか?
このブログの記事をご覧いただければ明らかなように、僕は(おそらくここをご覧の多くの皆さんと同じように)BABYMETALを全面的に肯定してるおっさん(気持ちはまだ青年のつもり)だ。
崇拝者・信者(狂信者?)と言ってもよい。
(『オーディション』と『TVstation』も、本屋に足を運んで一通り読む、ということをした。さすがに買うまではしなかったが)。
そして、自分がそんな「信者」であることを誇らしくさえ思っている。

そんな僕が、しかし、「BABYMETAL革命~少女たちは世界と戦う~」にはノルことができなかった。
「BABYMETAL現象」で滂沱したあの感動を再び味わうのだとワクワクしながら番組を見はじめたものの、すぐに失望を感じ、番組を見終わったときには苦~い気持ちでいっぱいだった。

なぜなのだろうか?

ここには、<BABYMETALがテレビ出演することの意味>をめぐって、改めて考えるに値する根本的な何かが埋まっているような気がするのだ。
それを、僕が感じた違和感の分析を通じて、ここで露呈させてみよう、というのが今回の「探究」である。
(繰り返すが、番組批判や、感動された皆さんを揶揄するつもりは全くない)

この「探究」のうえで実にタイミングよく、今日の昼、たまたま「The LATE SHOW」を、運よくオンタイムで視聴できたのだった。(すでに動画で観ることができるので、BABYMETALの出演場面は、皆さんご覧になったであろう。)

日本時間で13時15分くらいに、「あ、オンタイムで観られるんだ。やった!」とパソコンの前にかじりついたのだが、その時には、スタジオで中年夫婦(?)が作った料理を司会者が食べていた、ドッとわく観客。途中から見たし日本語字幕ももちろんないからよく分からないが、日本で言うと「笑っていいとも」みたいな番組なのだろうか。
で、CMを挟み、女性(女優?)へのインタビューがあり、またCM。
で、来たのである。BABYMETAL登場!が。

これ!!!そう、これなんだよ!!
この圧倒的な楽しさ(そして「狂気」)よ!!
これがBABYMETALなのだ!
観ていて鳥肌が立った。
「ギミチョコ!!」一発を怒濤のようにかまし、疾風のように「See You!」と帰っていった。

初見の方は、これを観て、「なんじゃこりゃ!」と思うしかない。
が、その中の何%かの方は、何かとんでもない魅力を秘めているかもしれない観たことのない「何か」が疾風のように駆け抜けていくのを、いま自分は目撃したんじゃないか、そんな印象を持つはずだ。
(早速、こんなコメントがYOUTUBEに書き込まれていた。「This "band" was just on Cobert....and ummmm....what is this???
あまりにも典型的な反応で笑ってしまうが、しかし、これがまさにBABYMETAL”現象”なのだ)

こうした印象・反応を与えることこそが、まさにプロモーションの意味だろうし、<BABYMETALが(不特定多数に向けた)テレビ番組に出演することの意味>があるとすれば、まずもってこれ、であるはずなのだ。

そう、これ、この感じを、僕は「BABYMETAL革命~少女たちは世界と戦う~」に期待していたのに、感じることができなかった。
それが、僕の失望感・落胆の中核にあるのだ。

もう少し分析するならば、僕の”ノレなさ”は、次の4つの要素で成り立っていたと思う。
(繰り返すが、番組批判等をするつもりは全くない。)

① なぜ、いま、「スタジオ・ライヴ」なのか?
② 誰に向けての番組なのか?
③ 窮屈さ、あるいは、ヤラセ感。
④ 「二番煎じ」臭の強さ。

仮に数字をふって分析したが、これらは渾然一体となって強い相互関係にある。

前述した、今日の昼(日本時間)の「The LATE SHOW」でのスタジオ・ライヴは、①②は極めて明確である。

②全(?)米のお茶の間に向けて、BABYMETALの衝撃を与えること。
だから、曲も「ギミチョコ!!」一択だ。
ここを任せるのは”この子”しかいない。(個人的には「ヤバッ!」もこの任を果たす能力を持った”できる子”だと思っているが、現段階で「ギミチョコ!!」兄さんをさしおいて、ということはありえない)
短い放映時間の中で、今回も”この子”は、期待通り、期待以上の強烈なはたらきを見せてくれた。

そんなはたらきができたのも、①「スタジオ・ライヴ」だからこそ、だ。
この人気番組のスタジオに「実際に」やってきて、可愛いのか怖いのかよくわからない奴らが、スタジオの中の観客や司会者の前で、かっこいいのか可笑しいのかよくわからないとんでもないパフォーマンスを見せてて、「See You!」と疾風のように帰って行く。
この「リアル」な「悪夢」の降臨よ!

もちろん、ここには③も④も微塵も感じられない。
今までに全く見たことのない摩訶不思議なものの、小爆発。
今回のBABYMETALのスタジオ・ライヴは、そうしたものを全(?)米のお茶の間に突きつけたのだ。

これと対照的に、「BABYMETAL革命~少女たちは世界と戦う~」が①「スタジオ・ライヴ」だったことの意味・効果を、僕は全く感じ取ることができないのだ。

しかも、”あの日”に、だ。

WEMBLEY ARENAでの歴史的ライヴが終わったその夜に、日本での「スタジオ・ライヴ」を放映する、その意味とは何なのか?


「音響素晴らしかったですね。ウェンブリーのLVの、口直しになりましたね」などという趣旨の書き込みも目にしたが、「えっ?」と絶句するしかなかった。
悲しく、何か、吐き気さえしてきた。
(繰り返すが、そのような感想を持たれた方を非難するつもりはない。僕自身の心の状態である)

ウェンブリーのLVに参加された、ということは、僕と同じような熱心なファンなのだろうが、そういう方が、あの(緊張やプレッシャーやトラブルや、というか僕たち凡人には一生の間に一度も経験することのない超絶的な状況のなかでの)異国での命を削りながらのBABYMETALのライヴを体験した後で、その夜のNHKでの(選ばれたファンを前にしての)スタジオ・ライヴ番組が「口直し」になった、と言うのだ。

音響や歌・演奏など、ほんとうのライヴだからこそ、完璧などありえない。

当たり前だ。
さまざまな不測の事態、完璧ではない喉の調子や振り付けのミス、そういったものを全て含めて(だからこそ)あのWEMBLEY ARENAでのライヴは「完璧以上」だったし、LVに参加できてほんとうに幸せだと思っている僕にとって、「BABYMETAL革命」の音響がよかったというのは(もちろんよい方がいいに決まっているのだが)ほとんど何の積極的な意味を持っていない。(じゃあ、一昨年の「BABYMETAL現象」は音響がよかったか?ということだ。)

「BABYMETAL革命」という地上波のテレビ番組は、高音質・高画質のBABYMETALのスタジオ・ライヴを、熱心なファンに向けてプレゼントしたもの、なのか?

そんなことはあるまい。

(あ、だから、僕も、鹿鳴館のくだりやマーティーさんとの対談には、とても感動したのです。でも…番組全体としては…う~ん…ということなのです)


何か、長文になりそうなので、いったんここで切ろう。
書きはじめてみると(自分にとって)すごく重要な「探究」になりつつあるような気がする。

(つづく)