ケルベロスの基地

三本脚で立つ~思考の経路

BABYMETAL探究(「天才は育てられる」考①)

2016-11-28 23:58:19 | babymetal
最新の激熱トピックであるWEMBLEYライヴ映像・音盤に関しては、さまざまなところで皆さん熱く語っているので、屋上屋を架すことはしなくてもいいかな、という感じである。

今日は、さくら学院重音部発足から6年経った記念日なので、せっかくなので、何か記しておきたい。
(たぶん多くの皆さん同様)映像盤の第一形態『LEGEND I,D,Z』を観ながらの書き込みである。
(・・・いや、でも、これもこれでカッコイイなあ、やっぱり。
というか、「美しき異形性」はこの『LEGEND I』がいちばんなのだろう。
あ、でも「いいね!」のSU-METALの「Put Your KITUNE Up!」のスクリームとか、「ドキモ」の「ちょ、待って~、ちょ待って~!」などはやはり最初期、だなあ・・・。
ははは、でも骨バンドの「紅月」で泣いてやんの、俺。ははは。
いや、凄いっす、この時点ですでに、BABYMETALは。
いつだって「予想の斜め上!」を実行し続けてきたのだものなあ)。

僕は、2014年9月からファンになった新参者でしかない。それまでは、BABYMETALのことをリアルタイムでは全く体験してもいず、その存在すら全く知らないまま日々を過ごしていた(ある深夜「メギツネ」PV一発で嵌まった体験は以前ここにも記したことがある)、しかし、映像作品やネットやTVや雑誌等の情報から、彼女たちの過去の様々な逸話を知り、記憶の補完はできているので、「6年で、ここまで来たのか~」という感慨はやはりそれなりに深い。

最近では、「広島のすぅちゃん」という素晴らしいブログに出会い、実に綿密に初期の情報を整理・実証してくれているので、それを見たりしながら、自分の中で、3人の成長ぶりを追いながら楽しんでいるのだ。

で、タイトルの「天才は育てられる」である。
(この「られる」は受身の意味でつけたのであって、可能の意味ではない)。

BABYMETALをめぐる感動の大きな要因のひとつに、「人間ってこんなにも素敵に成長することがあるんだな」という驚嘆がある。

BABYMETALという「奇跡」。
しかし、それはその環境を知れば知るほど「必然」という感もしてくるのだ。

もちろん、「環境」は「天才」のパフォーマンスにとっての十分条件ではないし、必要条件でもないのかもしれない。しかし、BABYMETALとその成長過程を知ると、「環境」と「天才」のパフォーマンスの強い相関関係・相互作用を痛感させられるのだ。

本日購入したばかりで、まだ読み始めなのだが『世界天才紀行』エリック・ワイナーは、(またまた)BABYMETALを考える示唆に富むたいへんたいへん面白い本になりそうだ。

<訳者(関根光宏)あとがき>より。
天才たちはどこからやってくるのか。一説によると、たとえば三歳でヴァイオリンを弾きこなしていたというモーツァルトのように、天才は「生まれつく」。別の説によると、少なくとも一万時間の努力の結果として、天才は「つくられる」。たとえばトーマス・エジソンのように。だがじつは、天才は「(時代や土地に)育てられる」と、本書の著者エリック・ワイナーは考える。

とりわけ、SU-METALの声、という「生まれつき」。
3人の、努力の結果としての「つくられ」。
これはもちろんBABYMETALというモンスターに現在の飛翔能力をもたらしたものだが、そこに欠かせないのが「育てられ」だ。

歴史を振り返ると、天才たちはランダムに現れるのではなく、特定の時代や場所に集中して現れる傾向があることがわかる。(略 いくつかの時代・天才たちが挙げられ)1800年ごろのウィーンでは、ベートーヴェンやハイドン、シューベルト、さらにはモーツァルトが作曲に励んでいた。
では、多くの天才を輩出した時代や土地には、いったい何が隠されているのか。どうしたら天才を生みだせるのか。そうした問いの答えを見つけるべく、ワイナーは世界各地をめぐる旅に出る。


で、まず「6章 ウィーン」を読み始めたのだけれど、あの天才モーツァルトに、いかにウィーンという土地が不可欠だったのか、実に説得力がある。BABYMETALのあるエピソードが実に腑に落ちたのだが、これはまた後日。

今日は、もう一冊『すべての「笑い」はドキュメンタリーである』木村元彦著を紹介しておきたい。
副題が、~『突ガバ』から『漫弁』まで倉本美津留とテレビの34年~である。
BABYMETAL関連でいえば、さくら学院の校長、倉本美津留の評伝である。

(まとめサイトとかでも話題になっているのを目にしたことはないが)全282ページの230ページ目に「ベビーメタル」(カタカナ表記)が出てきたときには、(やはり)涙が滲んできた。
「ああ、こういう人たちに育てられたからBABYMETALはこんな凄いBABYMETALになったのだな」ということが再確認できたのだ。

BABYMETALを抜きにしても、面白い本なので、とくに「笑い」に興味がある方にはぜひ一読をお勧めしたい。

いかに、倉本美津留という人が、「予定調和」「お約束」をぶちこわし、「本当に面白いことって何なのだ?」ということを身体を張って行い続けてきたのかが、その生い立ちから語られる。(唖然・爆笑するエピソード多数です。ぜひお読みください!)
で、224ページ、

新しいこども番組
アミューズの中に、子どもたちの育成を目的としているアミューズメントキッズというセクションがある。サザンオールスターズのマネージメントをしていた千葉信大が音楽から俳優のプロデューサーに転向しこの部署を担当することになった。千葉はこう考えていた。
「アミューズメントキッズの役割は子役の養成ではない。今すぐどうこうではなく、将来的に役者やミュージシャンになりたければその土壌となる場を提供してあげたい。そのために子どもたちが成長を実感して将来に夢を持てる瞬間を作れないだろうか。できれば彼ら、彼女たちがトライアルする瞬間を見せる、もしくはそういうプログラムを提供するような番組を作れるといいのだが・・・」
アミューズキッズの子たちは別に将来タレントにならなくてもいい。学んだあとに自発的に看護婦になりたい、パティシエになりたい、留学したいと言いだしたらそれを応援してやる。アミューズに還元しなくても社会に還元してくれたらそれはこのプロジェクトの成功と考える。だからこそ、子どもたちが多様な価値観を持ってオリジナルな表現に挑戦していく様を描く番組ができたら面白いと思うのだ。千葉は社内の番組スタッフと相談した。須田である。須田はじっくりと企画の意図を聞くと即座に言った。
「千葉さんとこの話がすごく合致する人がひとりいる。ちょっと呼んでみる」
すぐに打ち合わせの現場に倉本がやってきた。


まだ、BABYMETALどころか、さくら学院以前の話だが、しかし、こうした土壌からBABYMETALなどというとんでもなくバカげたものが生まれて来た、ことは間違いない。
経済評論家たちの「ヒットの秘密」的な分析がまったく的外れなのは、こうした文脈の必然性がまったく見えていないから、でもある。

で、「新しい子ども番組」をめぐる逸話が紹介された(ぜひお読みください。「なるほどなあ」と唸るのは必至です)その後で、

千葉は「さくら学院」というアミューズキッズ出身の女の子を中心に組んだユニットを立ち上げると、倉本に「さくら学院」という学校の校長になって欲しいというオファーを出した。倉本は「さくら学院での活動を通じてスーパーレディになる」というコンセプトを打ち出した。中学三年生で強制的に卒業させられるシステムで、それ以降の人生は自由。歌手になっても、女優になっても、モデルになってもいい。もっと言えば、芸能界を引退して、看護婦になっても、政治家になってもいい。さくら学院は各界のスーパーレディを生み出す学校であるのだ
今、世界的に人気のベビーメタルも、このさくら学院の出身である。


ブワッ。
と涙腺が瓦解してしまったのだ。
いや、もちろん情報としては知っていた話ではあるのだが、こうして、倉本美津留という人の半生の中においてみると、また新鮮な感慨を覚えたのだ。
(ちなみに、この本は、2016年6月の発刊である。「今、世界的に人気」と(BABYMETALとは直接的には関係のない)書籍に記されるだけの「事実」を間違いなく今年、作ったのだ)。

「人気投票でたくさん票を獲得して、選抜メンバーに入りたい」といった「ホンネ」に比べて、上記のようなコンセプトは「綺麗事」なのかもしれない。
しかし、それを本気で考え、それに本気で取り組む少女たちがいた(今もいる)こともまた、事実、なのである。

綺麗事」としての「メタル・ダンス・ユニット」。
BABYMETALが僕たちおっさんを泣かせるのは、そんな奇妙奇天烈な(崇高な)コンセプトによって「育てられた」から、でもあるのだ。

「PMC」VOL.4 のインタビューで、SU-METALが「音楽界に名を残せるような、新しいものを作った偉人・・・・・・とまでは言わないですけど(笑)、そういう存在になりたいDEATH!」と語ったことに、「さすが(天然)SU-METALらしい!」なんて思っていたのだが、これはまさに「さくら学院」で「綺麗事」に本気で取り組みながら「育てられた」SU-METALだから出てくる、まさに「育ち」があらわれた発言だったことに、遅まきながら気づいたのであった。

(つづく)








BABYMETAL探究(『LIVE AT WEMBLEY』CD寸感)

2016-11-23 01:18:57 | babymetal
連投です。

いやいや、このライヴCD、とんでもないっしょ!!(なぜか北海道弁)。

再生機器との相性とか、音像の好みとかあるだろうが、
個人的にはドストライク!!!

「BDM」の出だしでは、やや低音が物足りないかな、なんて一瞬思ったんだけれど、とんでもなかった。

BABYMETALのライヴCDの難しさは、SU-METALの歌声、YUI・MOAの合いの手、神バンドの演奏、観客の声、等のバランスの難しさにあるのだろうけれど、今回のライヴCDは、ザ「理想的な正解」です。

ああ、「YAVA!」も、凄い。

やや、ソリッドな仕上がりなのだけれど、それが「理想的な正解」なのだ。

どの楽器も、そして、SU-METAL、YUIMETAL、MOAMETALの声も、分離がよく、聴き手の意識の持って行きようによってしっかり聴き分けられる。

それでいて、ライヴの臨場感もあるし、かといって、「新春キツネ祭」のライヴCDにあった、やや音像がばらけてしまう(再生機器にもよるのだろうけれど)という難もない。

「紅月」のイントロのピアノも一打、一打、よく響く。
音楽視聴作品として非常によくできている。

ああ、「紅月」の疾走がはじまった。わ、凄い、これ。
こんな切れ味鋭い「紅月」は初めてだ。両神のギターのリフも、それぞれくっきり聴き分けられる。
凄い疾走感!!!

(もう寝なきゃいけないのに・・・)。

きたー!「GJ!」。
ひええ、なんじゃこりゃ。今日、映像盤も3回観たけれど、この音盤もとんでもなく凄い。
背中に鳥肌が立っている。
わはは。笑ってしまう。こんな曲だったんだ、実は。MOA・YUIの「もっともっとほら!」が交互に左右に揺れるとこなんて、今回のライヴで初めて耳にするカッコよさだものな。

「CMIYC」も凄い。出だしのギター・リフのザクザク感よ!

そういえば、ミュージックライフ誌だったかの、アイアン・メイデンのデビューアルバムの評に、伊藤政則氏が「マイケル・シェンカーが2人いるようなギター・プレイだ」という趣旨の評を書いていたのをなぜか思い出した。あの「Iron Maiden」1stの熱さの迸りが、この曲にはある。って、初めて気がついた。

YUI・MOAの掛け合いも、力強くしっかり聞こえる。
”ライヴ・アルバムという音楽作品”として意志を持って設計された音像だ。
こんな筋肉質な「CMIYC」も初めて耳にする。

「ドキモ」のイントロへの歓声や、「ド・キ・ド・キ・モーニング」の合いの手もいいじゃないか。

BRIXTONの重たいナタのような音像もよかったけれど、今回のが、まさに「理想的な正解」だ。

ははは。「META! メタ太郎」も凄い。バックの「メタ!」「メタ!」「ブットバセー、メータタロー!」もスタジオ盤以上にくっきりきこえる。どうなっているのだ、これは?

「4の歌」もいいなあ。煽りもいいなあ。
ベースの音もくっきりきこえる。
「スリー・ツー・ワン、ヨン」って言ってるんですよね。わはは。楽しい。

・・・きりがないので、「Amore~蒼星」まで聴いたら寝ます。
・・・って、なんじゃ、このカッコよさは
何という鬼ドラム。
何という鬼ギターリフ。
そして、いわずもがなの鬼ベースソロ。
こういうのが聴きたかったのだ。これ、これ、これだよ!!

・・・もう、寝ます。また明日続きを堪能しよう。
「THE ONE」の生ギター・リフ&ソロも凄いだろうな。

ああ、明日からこればっかり聴く日々が始まるのだな。・・・幸せ!!!

いやあ、今回の映像盤・音盤、予想をはるかに超えた凄まじさ、ですよね。
やっぱりBABYMETALは凄いわ。とんでもないわ。

BABYMETAL探究(『LIVE AT WEMBLEY』フラゲ寸感)

2016-11-22 17:41:56 | babymetal
予定どおり、仕事の移動中に、予約していた『LIVE AT WEMBLEY』Blu-rayをフラゲ。
スタバに陣取り、持参したヘッドフォンアンプにとっておきのイヤフォンをつなぎ、爆音で、一回通してすべて視聴したところである。
これから夜の仕事に向かう前に、ほんの寸感を記しておこう。

何という濃厚なライヴよ!
情報量が多すぎる!!!


正直、『Amore~蒼星』まで視聴し、もう集中力の限界。
その後はぼーっとBABYMETALのライヴに身を委ねる、という感じで最後まで視聴することになった。

いやあ、それにしても、WOWOW放映になかったソロ(デュオ)曲(も)4曲ともとんでもなく素晴らしい

『紅月』で「やっぱ、SU-METALは凄い・・・。こりゃ、世界に通用するわ・・・」と思った後で出てきたYUI・MOAの『GJ!』のカッコ・カワイサには改めて度肝を抜かれた。「こりゃ、世界を魅了するわ・・・」

『4の歌』では、英語で1万人余りの海外の観客を煽り・支配する、YUI・MOAの破壊力に、またまた震撼。

そして、神曲『Amore~蒼星』のライヴバージョンは、やはり神ってた。
SU-METALよりも青山神についつい目がいってしまう。
これ、純粋なメタルチューンのライヴ映像(音像)としても屈指、といってよいのでは?(熱狂的ファンの盲信、か?)
例えば、DREAM THEATER等は確かにバカテクで『LIVE AT BUDOKAN』など観ていて鳥肌が立つけれど、ここまでスリリングで美しいスピードチューンのライヴ、って体験したことがないんだけど。第一SU-METALのこの歌声なんて他にないし。
結局、(僕にとっての)ヘヴィ・メタルの理想形なんだな、と思う。

いや、予想以上に、素晴らしい。素晴らしいことはわかっていたけれど、それを超えて素晴らしい。
昨日購入した『Wedge』でMIKIKO(METAL)が仰っていた、
「(パフュームもBABYMETALも)どちらも演者は演出にあわせて相当な努力をしています
一番必要なのは、最終的に舞台に立つ人の強さなので、そこをいかに引き出し、寄り添えるかが大事だと思います」
を、(毎度のことながら)心底痛感した。

あらためて『GJ!』なんて、どんな動きをしているのか、ほとんど狂気の沙汰(カワイさもカッコよさも)だ。
”あのYUI・MOA”がこんだけ不揃いだ、というのはとんでもない難度なのだろう(YUIMETALのイヤモニがよく外れていたように見えたのでその影響などもあるのかもしれないが、まあ、いずれにせよとんでもない)。

さて、仕事に向かおう。
帰宅は深夜になるのだけれど、ライヴCDも届いているはずなので、それも超楽しみなのだ。


BABYMETAL探究(BABYMETALと『考える身体』②)

2016-11-13 23:22:08 | babymetal
さあ、WEMBLEY映像盤リリースまで、いよいよあと1週間余りになった。
「今回はないのかな・・・」と思っていたトレーラーも、公開。
ライヴアルバム・リリース告知、WOWOWでは元旦の夜の「BLACK NIGHT」ライヴ放映が判明、と、怒濤の情報ラッシュ。

いやあ、高まってきた!

先日の、「Youは何しに日本へ?」もよかった(ですよね?)。
テレビ放映は観られなかったけれど、WEB上の動画、続けて3回観てしまった。

何より、ベッキーさんの感激ぶりがよかった。
ライヴ後の、「We are!」の気合いったら。

もしも、初めてこの番組でBABYMETALなるもの知った方がいたならば、「わ、何か知らんけど、BABYMETALのライヴって、凄そうだな、楽しそうだな!」と思ってもらえたのではないか。
(実際、まったくもってそう!!!、なのだが)。

まがうことなく、BABYMETALは世界最高峰のライヴユニットの一つである。
そして、それは、彼女たちが(楽器と歌だけのバンドではなく)メタルダンスユニットである所為で(も)あるのだ。

そう言えば、去る9月19日、「RED NIGHT」の開演前のドームの前を、だんだん強くなる雨の下、傘をさしながら娘とうろうろしている時に、リーさんも、エマ&ジェスも、見かけたのだった。
その時には、「あ、23年さんだ!やっぱ来たんか」「わお、エマ&ジェスもいるやん!やっぱ揃って来るんやなあ」なんて、有名人に遭遇した昂揚感を感じるだけだったのだが、今回の番組を観ながら改めて、BABYMETALのためだけに(たいへんなお金、時間、手間をかけて)日本を訪れたその熱意・行動力に胸を打たれたし、

「日本でBABYMETALのライヴを観たい」

という切望を、BABYMETALは(例えば公式MV「Road of Resistance」等のライヴ映像によって)世界中のファンに与えているのだなあ、ということに、改めて深い感慨を抱いたのだった。

その切望の内実とは、単にBABYMETALの母国、ホーム、いわば聖地に巡礼したいという思いだけではなく、
”あの”セットでのBABYMETALのライヴを体験したい」、
そして「”あの”観客たちの中で一緒にライヴを体験したい」という思いだろう。

We are BABYMETAL!

ネタ元のX(Japan)のライヴとも、この言葉の意味(機能)は、また別の次元のものになっているのかもしれない。
この言葉は、メタルダンスユニットBABYMETALの、ライヴ会場の熱狂の内実を明かしている。

『考える身体』を引こう。

舞踊は、文学や美術や音楽と決定的に違っている。舞踊は、その日、その場に、踊るものと見るものとがともにあって初めて成立する出来事、ダンサーの生身の身体によって担われる出来事なのである。それは、語の本来的な意味における時間芸術、時々刻々と過ぎ去ってゆく生命の燃焼そのものが作品となる芸術なのだ。つまり、初めから消え去ることを条件づけられている芸術なのである。
上演されないかぎり舞踊は存在しない。そしてその上演は、その日、その場の体験の記憶としてしか残らない。むろんいまではフィルムやビデオがあるが、しかしそれさえも上演そのものではない。上演を思い出させるよすがにすぎないのだ。衣装や美術、写真にしてさえも、そうだ。まさにそれゆえに、バレエ・リュスは、その活動の最中においてさえ、ひとつの最中においてさえ、ひとつの伝説として語られたのである。
(略)
舞踊はつねに現在にかかわる芸術、現在でしかありえない芸術なのだ。逆にいえば、人間にとって現在とは何かを実感させるほとんど唯一の芸術なのである。(略)人間はつねに現在のただなかにあるのであって、舞踊はそのことの確証にほかならないのだ。舞踊は、現在を強め、現在を高める、あたかも太古の儀式がそうであったように。(略)
文学も音楽も絵画も、ほんとうは舞踊と同じように、事件として、出来事として、その日、その場の体験として、享受されるほかないのだ。すなわち身体という場、刻一刻と過ぎ去ってゆく時間のただなかにある身体という場において、享受されるほかないのだ。


MCも、アンコールもない、というBABYMETALの(いつでも必ず、ではないが)ライヴ・スタイル。
これが、「事件」性を高めている、ことは間違いない。
その「事件」を体験・体感しに、僕たちはBABYMETALのライヴ会場へと馳せ参じるのである。

「RED NIGHT」と「BLACK NIGHT」(武道館公演ではなく、もちろん東京ドームの方)との「2日間でダブりなし」という縛りも、「事件」性をとんでもなく高めていた。

台風接近の最中、娘とともに参加した2016年9月19日の「RED NIGHT」を、僕は死ぬまで忘れないだろう(詳細な記憶はすでに薄れているのだが・・・)。

そうそう、『BURRN!』誌だ。皆さんは、買われただろうか?
僕は、いったん立ち読みし、「わ、これ、間接的なBABYMETALのライヴレポートやん」ということを確認したうえで、翌日購入した。実に、数年ぶりの『BURRN!』誌購入であったのだが、
とりわけ、次の記述が、僕に『BURRN!』を買わせたのだ。これは、買わなきゃ!と思わせたのだ。
(みなさんご承知の箇所だと思うので、核心の箇所のみ引く)

―ライヴ終了後にメンバーと会う時は、ミュージシャンとして会うのですか?それとも半分ファンとして会うのですか?
F:(略)それを持って行ったら、MOAMETALが「チーズ?モッツァレラ?」と言ったんで、「違う。モッツァレラはイタリアだ」「じゃあ、カマンベール?」「カマンベールに似てるけど、まぁ食べてごらんよ」といったやり取りをした。初日は次の日のリハーサルがあったから食べなかったんじゃないかな。でも、2日目にまた会った時に、「チーズは明日食べられるね」と僕が言ったら「ううん、今日よ!」と言っていた。あの後で食べてくれたんだろうな。(略)


・・・これ、鳥肌が立った。

考えてみれば当たり前のことなのだが、「RED NIGHT」の後で(ライヴを堪能した僕が、京都に帰る新幹線の中で娘と談笑しながらほっこりとビールを飲んだりしている時に)、翌日の「BLACK NIGHT」のリハーサルをやっていたのだ!

(もちろん、『PMC』のインタビューでSU-METAL、YUIMETALが答えているように、それまに何度も何度も「リハーサルを重ねて、タイミングを合わせて」「慣れるまで体に染み込むように何度も同じことを」繰り返してはいたのだろうが)

2日間でダブりなし、というのは、そういうことだ。翌日は、まったく新たな段取りの90分なのだから。
・・・しかも、東京ドーム5万5千人、しかも、BABYMETALのライヴの命綱とも言える、モッシュもWODも封印して、という、正真正銘、「道なき道を切り拓く」、過酷な2日間だったのだ。この「事件」性、このチャレンジングな姿勢、これぞBABYMETALである。

その、封印されたモッシュやWODの代わりになったのが、会場全体の合唱、光るコルセット、そして巨大円形ステージ、だ。
つまり、「東京ドーム」という会場全体を、「We are BABYMETAL!」実現のための仕掛けとして有機的に見事に活用しきったのが、東京ドーム2Daysだったのだ。

『考える身体』にこんな記述もある。BABYMETALを考える上で、じつに示唆に富んでいると思うので、長文を引用する。

残念なことに、舞踊と建築は関連して語られることが必ずしも多くはない。けれど、考えてみればすぐに分かることなのだが、この二つはともに人類の歴史と同じほどに古い表現の様式なのだ。人の住みかが意味の濃い空間であったとすれば、その意味の濃さを人は何らかのまじないの所作によって確認しなければならなかった。上棟式など、いまでも執り行われているが、いうまでもなくこれは、その儀式の核心に舞踊を秘めている。というより、舞踊とは本来そういうものだったのである。

むろん、人は、自分たちの住みか以上に、まず神の住みかに関心を持っただろう。そして、神の住みかは何よりもまず舞踊を要求した。狩りの仕草を、刈り入れの仕草を、その立ち居振る舞いの優雅な反復を要求したのである。神殿も、また人家も、人々の、宇宙への、森羅万象への畏敬の念の、その体系の象徴としてあるほかなかったからである。言葉は身振りとともにあり、両者はいま考えられている以上に密接に結びついていた。祈祷師は詩人であり、詩人は舞踊手であり、舞踊教師だった。文字の登場する以前は、言葉と身振りと建築物は、おそらくほとんど同じものと見なされていたと考えていい。いずれも、森羅万象に呼応する意味として同等であったからだ。


BABYMETALが楽器を演奏する「いわゆるバンド」であれば、FOX GOD という”設定”はただのギミックでしかないが、メタルダンスユニットBABYMETALにおいては、単なるギミックではない。

僕たちがステージ上の3人の舞踊に、表情に、聖なるもの・崇高なものを感じ、胸を打たれ、涙を流す。
それは、楽器を弾くバンドではなくメタルダンスユニットだから、でもあるのだ。
舞踊(ダンス)とは、それほどに凄まじい意味を持った「演」奏なのである。

僕は、もはや、<メタルを司る神FOX GODによって選ばれた3人がメタルで世界を一つにするという使命を背負って道なき道を切り開きながら進んでいる>というストーリーを、単なる「設定」だとは感じていない。
まさにそのストーリーの中に自分がいることを認め、楽しみ、出来る範囲で献身しようとしているのだ。
そしてそのことに(大げさな文言だが、しかし、本音として)「生きる喜び」を感じているのである。

ダンス恐るべし。

だから、あの2日間(僕は初日のみの参加だったが)は、単に、東京ドームという大きな会場で多くの観客を集めてライヴを行った、というのではなく、「東京ドーム(という建築物、空間)だからこそ可能な、メタルダンスユニットBABYMETALの1度限りのパフォーマンス(いわば「儀式」)」それを、僕たちはあの夜体験した、ということなのだ。

絵画は視覚に、音楽は聴覚にもっぱらかかわるが、舞踊と建築はともに触角(原文ママ)にかかわることによって、いまなお密接な関係にある。触角という言葉が奇異に響くならば、五感といってもいい。建築は、そこに入るもの、居住するものの全身を、全感覚を支配する。舞踊もそうだ。舞踊は見るものの呼吸を支配し、そのうえで感情を支配する。

そうそう、運よく花道最前列に位置した僕は、「RED NIGHT」での「パイロの熱さ」を体感しながら、BABYMETALの3人の動きに息を呑みながら、声を張り上げ、腕を振り上げていたのである。
あの「わ、熱っ。ホンマに熱いんだ、パイロって」という東京ドームでの、体感・印象は、棺桶にまで持っていける、リアルな記憶だ。

BABYMETALという「事件」を「伝説」を、リアルタイムで、(運よくチケットが取れれば)現場で体感できる幸せ・至福。
本当に、我が人生の後半に、こんな楽しみを味わえる喜び。
ただただありがたい。

舞踊(ダンス)というのは、それほどラディカル(根源的・過激)な表現様式であり、そして、(BABYMETALが出現した後になって考えることだが)あらゆる音楽の中でもヘヴィメタルという音楽ほどそうしたラディカルな表現を必要としていたものはなかったのだ、ということに、改めて思い至り、感慨を深くしているのだ。

最後に、WEMBLEYライヴ映像について、一つだけ。

「ヤバ!」のはじまり、超ヤバい!
って気づいていましたか?

初披露の幕張メッセでは真っ暗で見えなくて、横アリの映像では引きなので印象に残らなかったのだけれど、WOWOW放映のWEMBLEYの映像でははっきり確認できます。
「ヤバ!」の最初、3人とも「立位体前屈」の姿勢、膝は伸ばしたまま両足首あるいは両爪先を両手で押さえる姿勢をとっていて、そこからゆっくり起き上がり、「古畑任三郎」あるいは「考える人」のポーズをとって、そこから、シャカシャカシャカと頭のところで両手を振って、と、あの爆発的な舞踊が始まるのだ。

って、最初のあの「立位体前屈」の姿勢、あの過酷な姿勢は何なんだ?
気づいて、鳥肌とともに涙が出てきた。

普通に、「古畑任三郎」あるいは「考える人」のポーズから始まっても、その後のダンスの超絶ぶりでもう十分のはずなのに、時にはライティングの関係で見えない冒頭で、3人は、とんでもないキレをためたポージングをきちんと決めている、のだ。

正規リリース版でも、”あれ”はよく見えるアングル・カット割りのままであることを強く望んでいる。

・・・やっぱりとんでもなく凄いよ、BABYMETALは。


追記:以下、どうでもいいプチ自慢です。
先日、カラオケ(ライブダムstadiumの精密採点DX)で、
『Amore~蒼星』、『META!メタ太郎』の2曲、90点超えを出しました!
Amoreは、もちろん、1オクターブ下ですが、メタ太郎はそのままで高いところは絶叫ですが、この点数!
特筆すべきなのが、「音程」の再現率で、他の歌手の楽曲レパートリーに比べて、BABYMETALの楽曲だけ「音程」の数値が高いのです。一つはもちろん、毎日毎日繰り返し聴いている所為なのでしょうが、もう一つは、SU-METALのピッチの安定感のために、聴いているこちらも歌メロを正確に覚えてしまっている、ということなのでしょうね。