ケルベロスの基地

三本脚で立つ~思考の経路

BABYMETAL探究(J-POPの”進化”の果てに…)その1

2016-02-26 01:33:32 | babymetal
「KARATE」降臨

ネットでラジオ放映の知らせを見て、仕事からの帰宅後、慌てて、「Radikoプレミアム」なるものに登録し、その前の「斉藤由貴のオールナイト・ニッポン」から聴きはじめたのだけれど、何て音がいいんだ!と驚愕した!
こりゃ、今後も、パソコンでラジオを聴くという楽しみを見つけたわい、と(何度目かの、BABYMETALにはまったがための副産物の到来に)ニタニタしていたのだった。

で、放送が始まって「えっ、これだけ?」と思いつつ、放送を聴いたまま、別のページをひらき、公式HPを確認してみると「わお!トレーラーあるぞ!」
でも、「短かっ!」と思いながら、「あ、買えるやん!」と、即(ふだんはウォークマンなのでiTunesは使っていないので、idを作ったりとやや忙しかったけれど)で「KARATE」購入。

で、ただいま、リピート再生中。
SU-METALの声を中心とした澄み切った空気感と、邪悪なまでにヘヴィなリフ、そしてYUI・MOAのスクリームの初々しさ・可愛さ。
まさに、これが、BABYMETALだ。
それにしても、この「歌詞」の楽曲で、海外(とりわけ米国で)勝負する、って・・・。何とも、胸が熱くなる。
そう、これが、俺たちのBABYMETALなのだ!

いやあ、繰り返し聴けば聴くほど、味わいが増すなあ。
このスケール感は、1stにはなかったものだ。
いや、やっぱ、いいなあBABYMETALは!!!

(でも、横アリのライヴで、すでにこのレベルの歌唱を「再現」していたのだと思うと、やはりSU-METALは凄い。今さら言うまでもないが)

・・・で、iTunesの紹介文によると、「Sis.Anger」が、「違う(仮)」のようだ。
なるほど。ネットでもそういう見解を目にして「あ、そうかも」と思っていたのだが、ということは・・・。
さらに妄想をふくらませています。


さて、ここからは、BABYMETAL「探究」の本題です。
NHKで放映されていた、『亀田音楽専門学校』シーズン3(全4回)は、ご覧になっただろうか?

僕は、シーズン1も2も観たことがなかったので、これが初めての視聴だった。この番組に興味を持ち見てみようと思ったのは、新聞のテレビ欄にたまたま目がとまり、「BABYMETALとは何なのか?」を考える材料になりそうだ、と、そんな匂いを感じたからだ。そして、その予感は、的中。「探究」のための素材・参考・刺激として、実に収穫の多い番組だった.

今回は、この番組を踏み台にして、BABYMETALを「探究」する、その1である。

『亀田音楽専門学校』シーズン3、全4回(1回が約45分間)の概要は、「Jポップに隠された秘密を解き明かす」と題し、講師の亀田誠治(プロデューサー・アレンジャー)が、1988年以降のJ-POPを4つの時代に分け、その音楽的特徴の変遷を講義する、というものだ。

① 1988~1993年 「J-POP誕生の時代」
② 1994~1999年 「インパクトの時代」
③ 2000~2005年 「文明開化の時代」
④ 2006~現在    「J-POPの現在 そして未来」

このような、J-POPのいわば”進化”を辿る、という構成は、僕にとっては、このブログを書くきっかけになった「メタル・エヴォリューション」のいわばJ-POP版の役割を果たす、たいへん蒙を啓いてくれるものだった。

というのも、僕自身は、上にあげた時代の「JーPOP」はまともに聴いてこなかったのだ。
なので、こうしたJ-POPの文脈に”BABYMETALの誕生・登場”を位置づけて「BABYMETALとは何か?」を考えることなどできなかったからだ。

で、この番組を視聴したうえで、たどりついた結論が、これだ。
BABYMETALはヘヴィメタル史の進化の最新形態でありながら、J-POPの進化の最新形態でもある
と。

J-POPは、音楽のあらゆる魅力がつめこまれた、総合芸術だと僕は思っています。

と、亀田誠治が語るように、J-POPとは、単なる「日本の歌謡曲の新しい呼称」なのではなく、(いかにも日本らしい)「音楽の坩堝(るつぼ)の謂」であり、だからこそ、そこからBABYMETALが生まれることが可能だったのだ、と。

つまり、BABYMETALとは、単に「アイドルと、メタルの融合」であるだけではなく、「最新にして最先端のJ-POPと、メタルの融合」であるという意味で、日本の音楽シーンだからこそ出現可能だった「極限的・先鋭的なユニット」なのだ、と。

例えば、他のガールズ・メタル・バンドとのいちばんの違いはここに(も)ある、と言えるだろう。「J-POPの進化の最新形態でもある」BABYMETALと比べると、ガールズ・メタル・バンドとは、何ともオールド・ファッションな音楽に見えて・聞こえてしまうのだ。

もちろん、これは、バンドとしての優劣評価などでは全くない。
オールド・ファッションとは、言葉を替えれば、「本格派」ということ(かもしれない)からだ。
オールド・ファッションだからこそのよさもある。とりわけへヴィ・メタルにはそうした「頑固一徹な味」が求められる、ということも確かだろう。

ただ、BABYMETALの、比類のない音楽的な楽しさ、具体的には、出会って1年半近く経っているのに、いまだに毎日毎日ウォークマンで聴きいってしまう、しかも、たびたび鳥肌を立てたり涙をにじませたりしてしまいさえする、その何度聴いても飽きさせない「魔力」は、BABYMETALには”日本歌謡曲→JーPOPの進化史の精髄”(までも)が盛り込まれていることに拠るのだ、ということが理解できたのである。

どの回も、「なるほど!へえ~!」と目から鱗の落ちる卓見に満ちていたのだが、BABYMETALに直結する回は、最終回の④なので、今回は、まずそれを「探究」してみることにする。

その前提となる①②③について、ここでは、核心のポイント(のみ)を列挙しておこう。
(これも、BABYMETALを考えるうえでたいへん示唆に富む内容であるので、何回かにわたって「探究」していくつもりである)

①1988年~1993年「J-POP誕生の時代」
 ~ 胸キュン革命の時代
 ①a ポジティブ宣言 
 ①b Bメロにメロメロ
 → 「明るくせつない」J-POPの曲調へ

② 1994~1999年 「J-POP大躍進の時代」
 ~インパクト合戦の時代
 ②a ハイトーン・ボイスのインパクト
 → 力強さ・ひたむき感・思いやエネルギーの爆発
 ②b 転調~てんこ盛り!
 → 小室哲哉「驚き→感動→思い出」

③ 2000~2005年 「J-POP文明開化の時代」
 ~ 「ヒット曲」の縛りが解け、多彩な才能が花開いた時代
 ③a リズムの楽園
 → さまざまなリズム(R&B、ヒップホップ、青春パンク、レゲエ、ミクスチャー)を身体で感じるように
 ③b 生音の楽園
 → 人肌の体温を感じるアコースティックサウンド、ストリングスによるカウンターメロディ

(こうして見出しを挙げただけでも、BABYMETALと絡めて語りたくなる刺激に満ちているが、それは今後の楽しみに)

で、こうしたいわば「J-POPの進化史」の果てに④がある。

その特徴として、番組内で挙げられているのが、次の5つだ。
つまり、以下のa~eは、2006年以降、顕著になってきたJ-POPの特徴なのだ。

④a アイドル・グループの躍進
④b ライヴで音楽を楽しむ
④c それまでの音楽の3要素に加えて、ダンス→ 踊る!J-POP
④d cに「ヨナ抜き」音階が乗る心地よさ
④e 「詞」と「声」の大進化

どうだろうか?
見出しの列挙でしかないが、すでに、これって、まさにBABYMETALのことだ!
と、僕は思ってしまうのだが…。
もちろんこれは、直接BABYMETALについて言及しているものではない(番組内では全くBABYMETALには触れられていない)にもかかわらず、だ。
(対照的に、a~eを他のガールズ・メタル・バンドに当てはめるのにはたいへん無理があるはずだ。繰り返すが、もちろん優劣の比較の謂ではなく、「属性の相違」が鮮明に浮き彫りになる、ということの確認である)

以下、各項目について、すこし詳しく考えてみよう。

④a アイドル・グループの躍進
全4回の冒頭で、それぞれの年代のヒット・チューン年間ベスト10がパネルに列挙されて紹介されるのだが、2006年以降のヒットチャート(CDシングル年間売上チャート)は、まさに、アイドル・グループの席捲、が露わである。
(といっても、KAT-TUN、嵐、AKB48グループ、の寡占状態、なのだが)。

ともかく、J-POPの進化史の(ある意味での)最先端に「アイドル・グループ」が位置している、というのは、日本の音楽市場における事実であろう。

そんな「アイドル・グループ」の中からBABYMETALが登場したのだ(公式な出自も「さくら学院」なのだから、文句のつけようも言い訳のしようもなく、BABYMETALはアイドル・グループの血脈を継いでいる)。

このことを、”アイドル畑からへヴィ・メタル界への殴り込み”といった「異形性」とのみ見なすのではなく(僕は今までそういう認識の仕方をしていたのだが)、”最先端のJーPOPアーティストとしてのアイドル・グループによるへヴィ・メタル”である、と見なすべきだ、という新たな見方を、この番組から教わったのだ。
まさに、海外でBABYMETALが紹介されるときの定型的な文言「J-POPとメタルの融合」は、音楽的にはBABYMETALの本質を言い当てていた、ということになる。

これは、僕自身にとって、たいへん大きな、認識の修正であった。

JーPOPの進化の果ての、いわば最も先鋭的な(ある種の)プログレッシヴな形態が、アイドル・グループである。
そこを母胎としたからこそ、BABYMETALが生まれ得た


BABYMETALは、「アイドルなのに凄い」ではなく、むしろ「アイドルというJ-POPの最新形態だからこそ、こんなにも凄くなってしまった」と見るべきだったのだ。

古い昭和のアイドルのイメージや、「口パク、学芸会、握手会、…」というようなうわべの否定的なイメージから、「BABYMETALはアイドルなんかじゃなく…」と言いたくなる気持ちは僕にもあったのだが、実際にJ-POPの楽曲や振付を創っている現場からいえば、BABYMETALこそ、まさに(J-POPの最新形態である)アイドル・グループの極限形なのだ、ということ。
(例えば、マーティー・フリードマンは、そうしたことを、いつも力説しているのだろう)。

さらに、単に「アイドル」なのではなく、「アイドル・グループ」であること。
ここも、ミソなのだろう。
昭和のアイドルたちのような単体ではなく、例えばピンクレディーのようなデュオでもない。
「アイドル・グループ」の最小限の人数は、3人だ。
そういう意味では、やはりBABYMETALは、キャンディーズの血脈を受け継ぎつつ、紙芝居では「仮想敵」扱いされていたAKBグループとも遺伝子を共有している、ということ(とりわけ④cとの関わりにおいて、重要!)だ。
(この、「アイドル・グループ」としてはミニマムの3人だけで、というところは、鋼鉄(メタル)魂を強く感じさせ、おっさんメタル・ヘッズの胸を震わせる大きなひとつだろう)。

しかも、(これは『亀田音楽専門学校』の内容からは外れるが)SU-METALとYUI・MOA、という、極めて明確な機能の特化・役割の分担は、バックの神バンドのメンバーがほぼ固定されていることも相まって、ロック・バンドとしてのたたずまいも兼ね備えているところなど、まさに、BABYMETALは「アイドル・グループの極限形」と言うべきなのだ。

ここは、BABYMETALとは何か?を理解するためには、きちんと押さえておかなければならないポイントだったのだ。番組視聴後の僕は、そう考えるようになっている。

では、その「アイドル・グループ」を典型的な形態とするJ-POPの最新版の音楽的特徴とは何か?
それが、④b~eである。

④b ライヴで音楽を楽しむ
CDシングルの売り上げ自体はこの10年間ほぼ横ばいなのだが、これはほとんどAKBグループによって支えられているのであり、それを除いて見てみると、はっきりと下降線をたどっているのだという。
それに対し、コンサート・ライヴに足を運ぶひとの数(入場者数の合計)は、2006年の約2000万人から、2014年の4200万人へと、倍増、グラフを見ると急激に伸びているのだ。

BABYMETALも、こうした”J-POPの聴き方のいま”をまさに体現している。
最新のシングルは”メギツネ”で、2013年6月19日のリリースだから、もう2年半以上もシングルはリリースしていない。当然、僕も買っていない。しかし、(運よく抽選に当たったので)去年だけで、3回も(新幹線や宿泊ホテルまで使って)ライヴには参戦してしまった。

そもそも、チームBABYMETALでは、楽曲や振付を「ライヴでの熱狂を引き起こすこと」を第一に考えてつくっていることはこのブログでも何度も触れたが(これからも触れるはずだ。これが、BABYMETALのいちばんの核心なのだから)、それは、「へヴィ・メタルだから」という文脈以上に、「J-POPがそのように進化してきたから」という文脈で語るべきだったのである。

つい先ほど「KARATE」の正式音源が公開されたが、仮にこれが「シングル・リリース」といえたとしても、その本懐は、シングルとしての売り上げ、シングル曲としてのヘビ・ロテということよりも、曲を覚えてもらい、ライヴで観客全員と一体化して盛り上がる!というところにあるはずだ。
(2013年6月の段階での”メギツネ”のシングル・リリース時とは、BABYMETALの置かれた状況は、とんでもない変化、コペルニクス的転回が起こっているはずだ)。

そうしたBABYMETALならではの特徴的なリリースの意義も、「J-POPの進化史」に位置づけて考えることで(も)腑に落ちる、ということを、初めて認識したのである。

で、④bという状況をふまえて、亀田誠治校長が指摘するのが、「踊る!J-POP」の時代が来た、ということだ。

④c それまでの音楽の3要素に加えて、ダンス→ 踊る!J-POP

こう指摘されると、当たり前、という印象も受ける。
それほど、「アイドル・グループ」をはじめ、「踊る」ことが今のJ-POPの典型的な姿となった。

しかし、これも、昭和の歌謡曲からJーPOPの進化を経て、たどりついた最新の形態なのである。

そして、そこに登場したのが、「メタル・ダンス・ユニット」BABYMETALなのだ。

考えて見れば、BABYMETALの楽曲を演じる3姫も、特に初めのうちは、「さくら学院」のステージの延長線上として(えっ、こんな曲!という驚きはあったにせよ)受け入れていたに違いない。
課外活動ではない、「さくら学院」の通常のステージでも、歌い・踊る、ということを実演していたのだから。

音楽の3要素(リズム、メロディー、ハーモニー)に、ダンス(踊り)が加わった。

と、亀田誠治は評していたが、確かに、単なる「付加価値」ではなく、今やダンスはJ-POPの「不可欠価値」になった、と言えるのだろう。

当然だが、へヴィ・メタル界には、こうしたパラダイム・シフトはいまだ起こっていない。
今回のブログで、この第4回をまず取り上げなければならないと考えた軸の一つが、ここにある。

へヴィ・メタル畑からは、「メタル・ダンス・ユニット」BABYMETALは登場しえないが、J-POPの進化史には「メタル・ダンス・ユニット」BABYMETALが生まれてくる(必然性というのは言い過ぎにせよ)理がある、ということなのだ。

番組中、特に印象的だった発言をいくつか並べよう。

あ) イントロや間奏を、踊るためのパートにアーティストが進化させている(亀田誠治)。

い) 聴いているひとの心を踊らせたい(星野源)。

う) YOUTUBEなどでMVを見るのが当たり前になり、見せる音楽としてアーティスト側もダンスの重要性を強く意識し、進化してきた(亀田誠治)。

え) 2006年以降は、単に「見せる」踊りではなく、「コミュニケーションとしての踊る」がもっと出てきた(秋元康)。

お)みんながSNSとかで個々になったから、せめて歌とかカラオケとか非日常のなかではみんなで合わせることをしたくなったんじゃないか(秋元康)。

か)みんなが一緒に揃うと面白いよ、って若い人たちに教えたかったのが「恋するフォーチュンクッキー」だった(秋元康)。

き)「一緒になにかをすること」が「歌の役割」になった(秋元康)。


仮想敵の親玉、なんて何となく感じていた秋元康だが、単に商売としてではなく、「今の時代における歌って何だろう?」と、(当然といえば当然だが)J-POPの本質を探究し、創造・差配してきた、のである。
え)お)か)き)など、そのままBABYMETALのライヴにもあてはまる発言だ。


で、そのうえで(これは一部の楽曲に印象的な特徴、というレベルだが)、
④d cに「ヨナ抜き」音階が乗る心地よさ
がある、と亀田誠治はいう。(短調の場合は、「26抜き音階」になる)
この音階は、大昔から日本で使われているから、僕たちに、自然と郷愁を感じさせる。
気持ちを解放させ、トリップしやすい、踊りやすい、そんな働きをする音階だ。
「祭りのように」と亀田誠治は言うが、例えば”メギツネ”にあらわなように、BABYMETALのいくつもの楽曲にもこの「和風音階」が、大いに「踊り」を引き起こす波動砲のような爆発的な効果をあげているはずだ。

耳だけではなく、身体全体で音楽を楽しむようになった、2006年以降のJ-POP。

そこでは、次のような進化ももたらされた。
④e 「詞」と「声」の大進化
「詞」については、「響きをもった歌詞」が重視されるようになった。
説明文のように意味がつながっていなくても、「母音(響き)」がつながっていればそれでよい。
逆に、「意味」から自由になることで、身体が勝手に動き出す理由に近づく。

BABYMETALの歌詞も、そうだ。
歌詞そのものの散文的な説明的な納得を、ではなく、リズムや響きによる、身体的への刺激が、歌詞の機能なのだ。

「歌声」についても、より「響き」が重要になる。
番組内で紹介されたのは、Perfumeやセカ・オワ、椎名林檎などのボーカル・エフェクトの技術を駆使した「響き」だ。
その役割は、「言葉・歌詞がくっきり浮き彫りになる」ということだ。(亀田誠治は、「ロボットのような声になることで…」と説明していた。)
確かに例に挙げられたミュージシャンにはそうした効果があるだろう。

つまり、

踊る!ための音楽。
 ↓
リズム隊などのバックトラックの音量が上がり、相対的に、ボーカルの音量が下がる。
(歌が、楽器の一部、サウンドの一部になった)
 ↓
そのために、声を(詞を)浮き彫りにするために、エフェクトをかける。

というしくみだ。

SU-METALの凄さは、この、他のミュージシャンがエフェクトを用いて行っていることを、「地声」「生歌」で実現していることだ。
ヘヴィ・メタルという、極限的にバック・トラックの音圧・音量があがった楽曲であっても、「浮き彫り」に聴こえてくる声・歌。
やはり、この点でも、J-POPの最新形態なのだ。SU-METALは。BABYMETALは。

いや、ほんと、(何度でも言おう)「KARATE」、聴いていて、じつに気持ちいい。
バグルズとかの、ニューウェイヴのサウンドの心地よさ、も、SU-METALの歌を軸に実現しているもんなあ。
おっさんたちは、泣くよね、これは。

で、結局、第4回の総括として。

聴いて楽しい、見て楽しい、踊って楽しい

を挙げて、「これが最新のJ-POPの姿なのです」と亀田誠治は締めくくった。

繰り返すが、これはBABYMETALを語った文言ではない。
J-POPがそのように進化してきた、という話なのだが、
まさに、これこそ、BABYMETALの謂ではないか!

なぜ日本からBABYMETALが生まれたのか、改めてよくわかった気がする。
次は、やや時代を遡り、BABYMETALに埋め込まれているJ-POPの進化史①~③のいくつかについて考えてみたい。



BABYMETAL探究(春だ!祭りだ!2016編)

2016-02-20 15:53:22 | babymetal
ちょうど1年前の今ごろ、この「BABYMETAL探究」をはじめたのだった。

毎年、年末・年始から2月の初めくらいまでが仕事の超繁忙期で、それになんとか一段落がついて、ようやくひと息つけるのが、この時期からしばらくの間なのだ。
去年も、そのように時間がすこしあった(それまで仕事に追われていたことへの鬱憤晴らしもあり)うえに、年初に発売された『Live in 武道館』の音盤、映像盤を視聴する感動・刺激に後押しされ、なおかつWOWOWでの『新春キツネ祭』の放映が3月に迫る!という昂揚感もあり、生まれてはじめてブログの筆をとるや、2~3日ごとに更新するという、怒濤のペースで拙い(しかし自分にとってはたいへん意義のあった)「探究」を重ねていったのであった。

今年もようやくその時期がやってきた。
さすがに、去年のような2~3日ごとに、ということはないが、ここ数ヶ月の更新ペースよりは頻繁に更新するつもりである。
何より、このブログの第一目標であった”『メタル・エヴォリューション』に即してBABYMETALを考える”考察があと3回残っている。これは、早めに決着をつけなければならない。
(もう一方の極である、J-pop側からBABYMETALを考える、ための糸口もつかんだので、これも近いうちにまとめるつもりだ)。

そして、さくら前線というにはまだ早すぎるが、BABYMETALの活動も、どんどん胎動・芽吹を見せはじめている。

ニューアルバムの収録曲、曲目発表!
これだけでご飯3膳いけそうな、そんな美味しい情報が開示された。

1stアルバムは、後追いで体験した口なので、「リリース前に発表された曲目や曲順を見て、あれこれ考えるだけで、こんなに楽しいのだ」という体験を、生まれて初めて味わっている。

01. Road of Resistance
02. KARATE
03. あわだまフィーバー
04. ヤバッ!
05. Amore - 蒼星 -
06. META!メタ太郎
07.シンコペーション
08. GJ!
09. Sis. Anger
10. NO RAIN, NO RAINBOW
11. Tales of The Destinies
12. THE ONE

1曲目が「Road of Resistance」、ラスト12曲目が「THE ONE」、というのは、多くの人の予想通りだろうか?
後出しジャンケンのようになるが、僕もこの順序になることを(それでもここ数週間前からだが)確信するようになっていた。
ある日のこと、いつものように出勤・退勤中にウォークマンで音盤をいろいろと聴きながら、ある時「Road of Resistance」のスタジオヴァージョンにさしかかったところで、ふと、「ああ、2ndのオープニングはこれだな。これしかないな。これでいいな。これがいいな」と思い至ったのであった。

これでよい、と思う。これが王道だ、と。

「Road of Resistance」は、ラストに配置されるのではないか、と思っていた方も少なくないかもしれない。
確かに、2014年~2015年のライヴ映像の印象などからは、「Road of Resistance」にはそうしたラス・ボス的な雰囲気も漂っているが、本来、この曲は、例えば「The Hellion ~ Electric Eye」のような「メタルの王道」のオープニング展開を明確な意志の基に(KOBAMETALもヘドバン誌ではっきり語っている)蔵した曲なのである
だから、アルバムの冒頭に配するのは当然・必然なのである。
(それに、ラス・ボス(女王)にふさわしい「THE ONE」もヴェールを脱いだのだし)。

あまりにも強烈だった「BABYMETAL DEATH」という1stアルバムのオープニング曲と比較されざるを得ない2ndのオープニングとしても、メタルの様式美の王道の「緩→急」を持ったスピード(超!)・メタル・チューンであるこの「Road of Resistance」は、じゅうぶんにその任を果たす格と(すでに)実績を持っている

10年後、20年後、30年後、世界のどこかのどこかの町の、初めてBABYMETALという存在を知った若いメタルヘッズ・ロックファン・音楽好きが、期待と疑いをもちながらも、名盤と世評の高い(…?)2nd『METAL RESISTANCE』をセットし、再生ボタンを押す。

そんな情景を思い浮かべたとき、「Road of Resistance」はそこで流れはじめるにふさわしい楽曲だ、と確信をもって思えるのだ。
JUDAS PRIESTの「The Hellion ~Electric Eye」、あるいは、HELLOWEENの「Invitation ~ Eagle fly Free」、そうしたいわばメタルの「殿堂入り」とも言うべき超名オープニング曲群に並びうる一曲だ、と。

現状の配信スタジオ・ヴァージョンよりもイントロはもう少し長くなるだろうか。
ライヴヴァージョンのイントロほどは必要ないかもしれないが、もう少しオープニングの「タメ」はあってもよいかもしれない。
そして、ツインリードの扇情的なメロディのあと、雷鳴や法螺貝や勝鬨の声のSEの後の、YUI・MOAのスクリーム「ワン・ツー・スリー・フォー」!!!(しかも、楽器隊とのユニゾン!)

ほんの1・2秒のスクリームだが、この瞬間、これはJUDAS PRIESTでもHELLOWEENでもないオンリー・ワンのBABYMETALなのだ、という独自性を先鋭的に突きつける
のだ。(最近は、ここで涙がにじんで来ます。スタジオ盤の「イジメ、ダメ、ゼッタイ」のYUI・MOAの合いの手もヤバいです。)
そういう意味では、「BABYMETAL DEATH」における「自己紹介」的な機能も、この「Road of Resistance」は十分に果たしているのだ。

そして、神々しい説得力をもった、SU-METALのどこまでも力強くしかもどこまでも爽やかな歌声。
歌詞も、まさに「METAL RESISTANCE」の幕開けにふさわしい。

結果論ではなく、当然、この曲がオープニングなのである。

つづく2曲目から4曲目までは、ライヴでは既発の曲だ(たぶん)。
ちなみに、1stアルバムの収録曲は次の順だから、曲の機能としては、2~4曲目はこの1stを踏襲しているのだ、とも言えるかもしれない。

1. BABYMETAL DEATH
2. メギツネ
3. ギミチョコ!!
4. いいね!
5. 紅月-アカツキ-
6. ド・キ・ド・キ☆モーニング
7. おねだり大作戦
8. 4の歌
9. ウ・キ・ウ・キ★ミッドナイト
10. Catch me if you can
11.悪夢の輪舞曲
12.ヘドバンギャー! !
13.イジメ、ダメ、ゼッタイ

2ndのこの3曲は、まさに、BABYMETALにしかできない、ということが鮮明な楽曲群だ。

横アリではポカーンだった、しかしきちんと聴けば聴くほど感涙必至の「KARATE」。

見かけの甘さに反し実は極ブルータルな「あわだまフィーバー 」。

幕張『巨大天下一メタル武道会』で初遭遇して以来「魔曲」と感じてきた「ヤバッ!」(これが「違う(仮)」であろう。BOZE STYLEのカバー動画には、笑わせてもらいながら、やっぱりカッコイイ曲だな、と再確認した)。

どれも、他のバンド・グループがやったらネタ臭が強すぎる、ギャグに堕してしまう危険も孕んだ、極端な楽曲群だが、SU-METALの歌声という天賦の才を核とする、BABYMETALという天才美(少)女3人の二等辺三角形によってこれらが「演」じられることによって、他に代えることのできない魅力を放つ唯一無二のエンターテインメント楽曲と化すのだ。

ここまで、1曲目から4曲目まで、一応既発の曲を並べた(あるいは、1曲目から4曲目を事前に発表してきた、と考えるべきなのかもしれない)この曲順も、よい。

いわば、ここまでで「つかみ」OK、だ。
「KARATE」と「メギツネ」の照応など、なるほど、と唸らざるを得ない。野球の打順ではないが、単にいろんな楽曲を並べただけではなく、この順でこれらの楽曲が並べられることで、アルバム「METAL RESISTANCE」がBABYMETALのアルバムとして生動・機能するのだ。

で、5曲目から9曲目まで。
謎、である。だから、妄想を誘われて、何とも楽しい。

とりわけ、みなさん(もちろん僕も)大騒ぎの、6曲目「META!メタ太郎」
いやあ、凄い。

たった四文字の「メタ太郎」。
これだけで、いろんな妄想をかきたてるとは、恐ろしい所業である。
で、この「メタ」と「太郎」の組み合わせが、(もちろんまったくの想定外で仰天するしかないのに)いかにもBABYMETALだな、と納得させてしまうところが、また凄い
「META! メタ太郎」というこのフレーズ全体は、「とっとこハム太郎」がいちばんの下敷きなのだろうが、それにしても、「メタ太郎」とは、ほんとうに凄い。この、ある種の「狂気」さえ感じさせるところ(しかもそれを、ひたすらカワイく美しくカッコよく、健康的に表現しきっているところ)がBABYMETALの凄さ、なのだ。

「Sis. Anger」も、笑ってしまう。もちろん蓋を開けてみないとどんな楽曲なのかまったく油断できないのだが、傾向としては、BABYMETALの楽曲のタイトルは「そのまんま」が多いので、姉妹ゲンカを表したものだと考えると、それを「Sis. Anger」とメタリカ的に題するところは、ニンマリするしかない。で、ゴリゴリのリフで姉妹ゲンカを歌ったりするのだ(…かな?)。3人で?YUI・MOAで?…いずれにせよ楽しみである。

5曲目の、いわば「紅月」とのペアの「 Amore - 蒼星 -」は、神バンドの新インスト(残念ながら僕はライヴで出会ったことはない)ではないか、と思っている。ライヴでの「蒼星→紅月」という音像の美しさは、こうしてタイトルがつくことでいっそう際だつのではないか、と。

そして、ラスト3曲が、バラードの「NO RAIN, NO RAINBOW、未知の新曲、大ラスの荘厳なプログレメタル(ラス・ボス女王)「THE ONE」(これでアルバムが終わる余韻、って、想像するだけで、心地よいですよね。で、また1曲目から聴きはじめてしまう、と)。

で、結局、アルバム「METAL RESISTANCE」最大のポイントが、11曲目の「Tales of The Destinies 」 にかかっているように僕は思う。
この曲がそれこそ、BLIND GURDIANのアルバム「Tales from the Twilight World 」の「Traveler In Time」のような仰々しいメロ・スピ(パワー・メタル)であれば、その仰々しさが神々しさとして「THE ONE」に引き継がれて、アルバムが締めくくられる、という理想的な様式美がそこに現出する。

ラスト3曲は、いわば組曲として「緩→急→結」をなすのだ、と考えるべきなのかもしれない。
(海外のアナログ盤もこの3曲でside4である)。

個人的には、単体では「NO RAIN, NO RAINBOW」はBABYMETALのレパートリーとしてはたいへん脆弱な楽曲(せつないだけ・美しいだけの一本調子)だという印象を(今のところまだ)拭えないのだが、組曲の序をなすのだとして考えると、それでよい、のかもしれないと思えるのだ。

ともかく、あと40日、楽しい妄想のネタもいただきました。

さあ、FOXDAYに向けて、大騒ぎがはじまったのだ!
もう春が来ているのだ!








BABYMETAL探究(横アリ2日目参戦記(5)~爆音・体力・余韻~)

2016-02-11 21:43:19 | babymetal
BABYMETALのライヴ の 超絶的な楽しさ
それを構成している要素を、横アリライヴを素材にあらためて分析してみよう、という試みのつづきである。

前2回では、

① ”参加”する、ということ: We are BABYMETAL!の具現化
 →具体的には、ベビメタ黒Tシャツの着用

②”合いの手”の適度な難しさ→観客の「演」奏の主体性

について考えたのだった。
映像作品を家で視聴するのとは隔絶したBABYMETALライヴの楽しさの核心が、この2つである、ということは間違いないだろうが、今回は、それを取り囲み、ライヴの楽しさをぶ厚くしている、いくつかの要素についてさらに考えてみよう。

まず、
③激音・爆音 → ”この世のものならざる”化 について。

「いや、他のメタル・バンドに比べると、BABYMETALのライヴの爆音なんて、たいしたことはないよ」とおっしゃる向きもあるだろう。
確かにそうかもしれない。
しかし、少なくとも、BABYMETALのライヴの、あの”楽しさ”には、あの”不用意に参加すれば難聴になる危機もあるレヴェルの激音・爆音”が寄与している、ということは確かだと思うのだ。

家で、あるいはウォークマン等で、ヘッドフォンやイヤフォンをして、あるいは音量を気にせずともよい再生環境を持っているならば大音量で、BABYMETALの音盤・映像版の(とりわけライヴ音源の)激音・爆音を疑似体験(視聴)することはできる。
しかし、実際にライヴ会場に身を置いての、あの”会場の時空間全体が殴りかかって・突き刺さってくるような体感”は、そうした在宅での視聴では味わうことはできないものだ。

ライヴ会場で僕たちは、気分をとてつもなく高揚させ、場合によっては意識を朦朧とさせながら、
神バンドの超絶的な演奏が奏でる楽器音を、
SU-METALの神々しい歌声によるさわやかバズーカを、
YUIMETAL・MOAMETALの放つ頬を緩めずにはいられないスクリームを、
自らの身体全体で受け止めるのである。

横アリには、耳栓を持って行った。

何の準備もせず臨んだ6月の幕張『巨大天下一メタル武道会』で、(Cブロックの最後方で、3姫の姿もほとんど見えない位置だったにも関わらず)左耳をやられてしまったことから、8月の黒ミサⅡにそなえてライヴ用耳栓なるものを購入したのだったが、会場のSTUDIO COASTに入場して、自分の位置が把握できた途端、「せっかくこんな近くでBABYMETALを観たり聴いたりできるのだから、ナマで体験しないなんてもったいない・・・」と考え直して、結局、耳栓はボディバッグにしまい、開演を待ったのだった。
結果的には、黒ミサⅡでは、耳をやられることはなかった(ライヴ・ハウスだったから?中央に陣取っていたから?)。
たぶん、ちょっとした角度や位置の違いで、音が「殴りかかって・突き刺さってくる」仕方・程度にも、当たり・外れがあるのだろう。

しかし、12月の横アリは、娘連れであった。
もう人生の折り返し点は過ぎてしまったオッサンの僕とは違って、まだまだこれからいくらでも耳を繊細に豊かに使っていかなければならないはずの娘に、6月の僕のような体験をさせるわけにはいかない。
そんな(親としての当然の)思いから、4時に会場に入場してスタンド席に並んで座って、ライヴ前のSEで知っている曲が流れてきたらその曲名を娘に教えたり、これも持参した双眼鏡でステージをのぞき、上手側のギターを見て「今日は、大村神だ!」と興奮したりしながら、ボディ・バッグに入っていた耳栓を、「ほら、これしときや」と手渡したのであった。
特に不審がることも抵抗することもなく「へえ、こんなのあるんだ。」と嵌めた娘だったが、娘に耳栓をさせて自分は生音で、というのもおかしな気がして、「お父さんは、ティッシュ詰めとくわ」と、僕自身はティッシュを耳に詰めたのだった。

当然、生音に比べると、音が弱くなる。SEの聞こえ具合は、モロに迫力が減じて、明らかに物足りなさを感じたのだが、前2回のライヴ参戦で、SEとライヴ本番との音圧の差は体験済みだったので、今回は躊躇も迷いもなく、ティッシュ耳栓のまま開演を待ったのだった。

そして、暗転後、会場全体が怒号のような歓声をあげ(ここからの記憶は、すでにずいぶん朧ろげになっているが)、手拍子やBABYMETALコールが続いたあと、”あの”SEが流れ、簡潔な紙芝居があり、ついに「BABYMETAL DEATH」降臨!!
ここ、最高!ですよね。それまでのジリジリと待つ時間が導火線となって、この瞬間、一挙に燃え上がる。ここがすでにBABYMETALのライヴの最大の醍醐味のひとつ、ですね)

ここからの激音・爆音の迫力、身体に響く体感の印象は、耳栓をしていても、これまでの2回のライヴと何ら変わらなかった。

むしろ逆に、耳栓をして臨んだ今回のライヴこそ、SU-METALの歌が今まででいちばん「よく聴こえた」ライヴであった
(前にも書いたが)「悪夢の輪舞曲」と「The One」では、歌声の響きの神々しさに感動して、二度涙を流してしまったのだった。

これは、SU-METALのパフォーマンス自体が「最高」だった、ということもあるのだろうし、横アリだったから、スタンド席だったから、という条件も深く関わっているのだろうが、聴く側の僕が耳栓をしていたことで、きちんと「聴く」ということができた、ということもたいへん大きな要因であった、と思うのだ。

ライヴの途中で、耳栓(ティッシュです)を外してみたのだが、何というか「音圧が強すぎて耳が息することができない」という感じがしたのだった。
あまりに酸素が濃すぎると息ができなくなる、みたいな、そんな音響空間が充満していた、そうした印象を持った。
おそらく、ナマ耳のままであれば、痺れてしまって、そうした感覚をも感じられなかったのでは、と今は思っている。
耳栓によって「音響空間の圧の強烈さ」を減じることで、普通に「聴く」・健康的に「聴く」余地ができた、耳がその繊細な機能を発揮することができた、と、(素人の全くの主観だが)率直にそんな印象を持っている。

これは、娘連れであったがための、思わぬ(喜ぶべき)副産物だった。
「耳栓ナシで”ナマの音を聴く”」ということにこだわる必要はなかったのだ、というのが、横アリへの参戦で確認できたことである。

耳には耳栓をして過度な負担を減らすことで、きちんと「SU-METALの歌を聴き」ながら、身体全体で”ナマの爆音・激音”をぞんぶんに浴び、それに合わせて身体を、そして鋼鉄魂(メタル・ハート)を揺さぶる

これが、ライヴ3回目にしてようやく体得できた、BABYMETALのライヴへの正しい身の処し方、だった。

見出しの文言に戻れば、BABYMETALにおけるライヴの爆音・激音とは、ステージ上を、さらには会場全体を、非日常的な時空間へと劇的に変質させる「装置」でもあるのだ。

④ 体力勝負

②とも大きく重なる要素であるが、BABYMETALのライヴへの参戦は、聴き手である僕たちにとっての体力の消耗戦でもある。
汗を流しながら大声をあげ、身体を動かし続ける1時間30分。
横アリでは、スタンド席だったから、前2回の(とりわけ、あの暑い暑い幕張会場での)ライヴよりはずいぶんと楽をさせてもらったのだが、それでも、ライヴ後はTシャツが、汗ぐっしょり。持参したペット・ボトルの水(500㎖)を1本半飲み干した。

そのことによるカタルシス、もBABYMETALのライヴの楽しさを構成する大きな要素だ。

音楽の楽しさ。演劇の美しさ。さらにはスポーツ(ジムでの運動?)の快感。
それらが渾然一体となり、高次元へと弁証法的発展を遂げた、唯一無二の醍醐味。

タオルは必須アイテムだが、僕は、リストバンドも嵌めている。これ、かなり有用だ。
幕張ライヴに参加する際には(オフィシャルのリストバンドは持っていなかったので)、前日にスポーツショップで、テニス用のリストバンドの赤と黒を買い、右手・左手に嵌めていった。自分なりに工夫したBABYMETAL仕様である。
その後、オフィシャルのリストバンドを運良く買えたので、黒ミサⅡにはそれで(ただし片腕だけだが)臨んだ。
横アリでは、会場で、娘に「ほら」、とロゴ入りのオフィシャル・リストバンドを渡すと「わあ!」と目を輝かせ、すぐに嵌めた。
僕は、赤黒のテニス用リストバンドで臨み、あっという間に、たっぷりという言葉では足りないほど汗だくになっっていったのだった。

3姫の天空をゴンドラ一周で駆ける神々しい姿、
ニューアルバム・リリースと東京ドームでのライヴという、期待を超えた告知。

それらを体験したあと、明転した会場で、「・・・凄かったな」なんて娘と顔を見合わせた後、
「汗ぐしょぐしょだろ?」「うん」
「着替えなきゃなあ」「そうやな」
で、「お父さん、2本目ももうほとんどないわ」とペットボトルを差し上げて見せると、娘がにっこり笑うので、
どれぐらい水飲んだ?」と訊いたところ、
ぜんぜん飲まんかったわ」という娘の返事だったのだ。
「えっ、一滴も水、飲まなかったの?」「うん」
 驚愕!である。言葉が出なかった。
 女子中学生、恐るべし!


⑤余韻

ライヴ後、新幹線で京都に向かうべく、駅に向かったのだが、予約していた列車の発車時間までには少し時間があったので、夕食を済ませようと、駅ビルの地下に降りた。
といっても、それほどゆったり食べる暇はない。
そこで、「すぐ入れますよ!」と声をかけてきた海鮮居酒屋店に入り、カウンターに並んで座ったのだった。

右隣には、僕よりもずっと年上のおじさん(うなぎをつまみに冷酒を飲んでいた)ともう少し若い、会社の上司・部下かな?と思われる2人組

左隣には、20代~30代に見受けられる、女性2人組

そして、僕たち、おっさんと女子中学生の2人組

この3組が並んで食べたり飲んだりしていたのだが、ライヴの感想などを娘と言い合いながら海鮮丼(「これなら、すぐできますよ!」と薦められたので)を食べていると、右隣からは、明らかに「MOAMETAL」という言葉が聞こえてくるのだ。「幕張では・・・」「新曲が・・・」なんて単語もちらほらと

へえ、と思いながら、意識を左側に向けて耳に力を入れて聞いていると、なんと!女性2人組も、「神バンド・・・」「大村さん・・・」「SU-ちゃん・・・」という単語の散りばめられた会話をしているではないか!

娘が、僕をつつくので、「えっ?」と向くと、魚の泳いでいる水槽越しの向こうのカウンターの、さらに奥を顔で示し、「あっちも、BABYMETALや」と嬉しそうに言う。
確かに、よく見てみると、向こうの奥の座敷では、黒Tシャツの集団による打ち上げとおぼしき賑わいが繰り広げられている。

ライヴ会場の近くの、終演後の居酒屋、だから当然といえば当然の光景なのだが、まさに老若男女、多種多様な人たちが、(あのとんでもない)ライヴ後の余韻にひたりながら、幸せそうに歓談してる風景は、桃源郷とはこんな雰囲気か?と思わせるものがあった。

新幹線に乗り込み、娘と、今日のライヴの曲順は?と確認しようと言い合ったのだが、「あれ?」「あれ?」の繰り返しだった。
なんか、違うのだ。

全精神を、全体力を注入して(卓球部で汗を流してきた中3の娘にとっては「余裕」だったようだが)完全燃焼した、ノンストップの1時間30分のライヴの後の余韻。

はっきりと曲順を思い出せない、というのも、その熱狂の残り香のような気がして、これも、なぜか、ふわふわと楽しい気分だったのだった。



・・・突然の、来週ライヴ参戦(?)のチャンス、手に入れた方は、存分に楽しんでください!
僕は、仕事なのでエントリーもしませんでした。
どんなのでしょうね?
いろんなワクワク・ドキドキが、溜まってきました。

そして、気がつけば、新盤降臨まで、あと50日弱!
ずいぶんリアルに”その日”が迫ってきた気がします。
ワクワク・ドキドキが高まってきましたぞ。