ケルベロスの基地

三本脚で立つ~思考の経路

BABYMETAL探究(さあ、”新たな調べ”だ!)

2017-09-25 23:34:11 | babymetal
さあ、いよいよ ”新たな調べ” 降臨の「祭り」がはじまる。(たぶん)。

SSA1日目、2日目、大阪城ホール1日目、それぞれに1曲ずつ”新たな調べ”a・b・cが降臨し、
僕の行く大阪城ホール2日目、巨大キツネ祭り千秋楽では、
aもbもcも3曲すべてともに披露(さらに+α)!。

なんて、たいへん欲どおしい妄想を抱いているのだが、
例えば、aが3人で、bがSU-METALソロで、cがBLACK BABYMETALデュオで、
なんてことは、妄想は妄想でも、ありうる美しい妄想ではないか。

で、その前夜、忘れないうちに記しておきたいのが、MIKIKOMETALの決定的な発言である。

私の振り付けは、演奏の一つとしてとらえている

MIKIKO(METAL)御自ら、正式にこう語ったのは初めてではないか。

NHK8月19日放送の『SWICHインタビュー』前半の、種田陽平によるMIKIKOへのインタビューの中でのことだ。
(大阪のサマソニの日だったので、その話題のため、この番組はBABYMETALのファン界隈ではあまり話題にはならなかったと思う)

まとめサイトでは、この番組の感想として、
「BABYMETALの登場が一瞬だけだった(「ギミ・チョコ!」のPVが10秒ほど)」
等の不平の書き込みしか目にしなかったが、いやいや、そういうことではなく、ここでMIKIKOが語ったことは、BABYMETALの魅力とは何なのか、それを理解するうえで、たいへん重要な、決定的なものだった。
(Pefurmeのメンバー3人と一緒に振り付けを練り上げていく様も映像で映されていたが、「ああ、BABYMETALもこうやってるんだろうなあ」なんて思いながら観ていてじわーっと来てしまった)


MIKIKO(METAL)の凄さは、自分の行っていることを、実に自覚的に、方法論的にとらえていることだ。
だから、いつでも高いクオリティで仕事として実現できる。
この、芸術性の高さ(あるいはキャッチーさ)と、安定して量産できる、
というのは、まさに、エンターテインメント業界の第一線で活躍できる、その秘訣なのだろう。

番組で、「なるほど!」と思った発言はいくつもあったが、例えば、

□ まず、MIKIKOなりの楽曲のイメージからのドラマ的設定(世界観)を立て、それによって振り付けの細部をつくる。

□ 曲の「リズム」の理解を深め、振り付けとの相乗効果をはかる。

□ 音の振幅の波形をイメージして、振り付けをつくっている。

などなど。
で、次の二つの対話は、まさに「決定的」だった。

□(「恋ダンス」をめぐっての会話)

種田 「特に、あれですね。手が重要ですね。手話じゃないけど、手が語るみたいな。」

MIKIKO「はい。手がなんか手話っぽい、ドキドキというというときもあれば、なんか、こうフワッと「見えなくなる」みたいな歌詞なので、カンカン(頭の上に猫耳のような掌を立て)というのはビートをひろってて、で、女の子が可愛く見えるポーズで、「見えなくなる」でキュッて閉じてって、で、次はこう「のぞく」っていう振りが入っていたりする。歌詞をなぞりながら、ビートをなぞりながら、こう、ストーリーを作っていってる、みたいな手法で」

種田「おもしろいですね。ビートで踊るのはともかく、あの、そこにそういう手振りっていうんですかね、振り付けと、その手の動きとか身体の動きを見ていると、ストーリーが少しずつ伝わってくるんですよね」

MIKIKO「そうなんですよね。うんうんうん。なので、いちばんの最後にやるのは、全部音を消して無音の動画を見ることにしてて、自分の振り付けを。で、その、無音でも、何となくいま、悲しい曲なんだろうなあ、とか、ビートの速いワクワクした曲なんだろうなあ、みたいなのが、分かるとこまでいけるように、ていうのが、最後の仕上げ、です」

BABYMETALの舞踊の素晴らしさの核心が、まさにこれだ。
楽曲に乗せたカッコいいダンス、ではなく、「演」「奏」としての舞踊!。

□ メッセージ性のある振り付け をめぐって

種田「MIKIKOさんの振り付けって、対話がある、っていうか、なんかこう伝わってくるものがあって。それが子どもにも伝わったりとか」

MIKIKO「すごい難しいんですけど、そのお、踊り・ダンスみたいなものが、とってもカッコいいものです、ってそんなに思ってなくって。もちろん、日本人だから、あんまり、こう、喜んで子どもが生まれて踊る、とか、そういう性質ではないし、日本人が「踊ること」「踊っている者を見ること」に対してちょっと壁があること、みたいなことを感じながら生きてきたんです。で、実際作って人に見てもらうってなったときに、やっぱり、不自然じゃないもの、自然に見えるもの、Perfumeでいうと、それこそおしゃべりしているようなダンスであったり、なので、普通の「ダンサー」の人が見ると、もしかすると何か物足りないかもしれないんですけど、演奏のひとつとして捉えているとこがあるから、ああいうような動きになっている

僕はなにも「本人の、言質をとったぜ!」とドヤ顔をしているのではない。
「やっぱり、そうですよね」と、深く肯いているのだ。
「踊り・ダンスみたいなものが、とってもカッコいいものです、ってそんなに思ってなくって」なんて発言は、
まさに、BABYMETALの舞踊が、他のダンスユニットと決定的に異なる、その核心を、語り抜いた台詞だろう。

例えば、「ヘドバンギャー!」のYUI・MOAのジャンプ。
あれが「言語」「手話」だなんて頓珍漢な理解はありえないのであって、
また、決して、カッコいいダンス、でもない。

彼女たち2人の全身全霊のジャンプによって、
「ヘドバンギャー!」という楽曲(音楽の実質、あるいは、世界観)を「演」奏し、魂を与えているのだ。

奏=かなでる

BABYMETALの舞踊の「神々しさ」
それは、
それが楽曲に乗った流麗なダンスではなく(もちろんこれはこれで楽しく美しいのだが)、
彼女たちの身体による「演」が、調べを「奏=かなでる」、その発露になっているから、でもあるのだ。

”新たな調べ”を「演」し、「奏」=かなでる、
そんな新たなBABYMETALが、いよいよ明日登場する。

さあ、新たな祭り、新章のはじまりだ(たぶん)。

どこまでもついて行くぞ。
The Chosen 500(Five Hundred)も申し込むぞ!(・・・たぶん)。

BABYMETAL探究(「白キツネ祭り」の後で・・・思うこと)

2017-09-11 01:15:29 | babymetal
ようやく「巨大キツネ祭り」の大阪城ホールのチケットを、セヴンイレブンで発券した。「白キツネ祭り」が終わるまで、楽しみは後にとっておこうと思っていたのである。
スタンド席2枚。
娘と行く、3度めのBABYMETALのライヴ。
運よく、3年連続で秋~冬に二人一緒に参戦できているのだが、もちろん大阪では初めて。

ステージの位置がわからないのでまだシートの席位置の実感はないが、2015年にいくつも落ちた後、ぴあ先行でやっと入手した12月の横アリ公演のスタンド席でも、比較的ステージがよく見えたので、THE ONE先行で当選した今回は、それ以上によく見えるはずだ、と勝手に思っている。

ドキドキである。

8月30日の大阪「白キツネ祭り」。
まったりと楽しんだ。

整理番号から、覚悟していた通り、ステージはほとんど見えない場所になった。
とはいえ、小箱なので、距離的にはそんなに遠くなかったのだけれど、
すぐ前に位置していたでかい人たち数人にステージへ向かう視界がほとんどふさがれていたのだ。

それでも、その隙間から時々は、YUIMETALが、MOAMETALが、とくにお立ち台の上に立ったときには、チラッチラッと見えた。
一瞬、一瞬、ことごとく可愛い。
ほんもののYUI・MOAは可愛さも立体的だ(馬鹿な感想・・・)!
さらに、ラストの「Road of Resistance」の冒頭では、二千人以上の白塗りの群衆に指令をおくる、お立ち台の上のSU-METALの尊顔
これを肉眼でしっかり拝見することができた。
鳥肌が立った。
「生」でみるSU-METALの、凛々しさ、雄々しさ、そのイケメンぶりの神々しさ、カリスマよ!!

家でみるディスプレイやモニター上のSU-METALも、とんでもなく神々しいのだが、そうした二次元の神々しさとは違う、三次元・四次元のカリスマに撃たれた。

以前にも記したが、僕の初めてのBABYMETALライヴ参加は、2015年6月の幕張メッセ「巨大天下一メタル武道会」。
2万5千人のオールスタンディング、そのほとんど最後列、という「最低限」から始まった(それでも超絶に楽しかった!!一生の思い出だ)。
なので、その後のどのライヴも、「あれに比べたらよく見えた・よく聞こえた」となるのだ。
初期設定値が高くなかったことが、その後の僕のBABYMETALライフをいつでも楽しいものにしてくれている。

で、「白キツネ祭り」に参戦して、特に感じたこと、2つ。

① 3rdアルバムが、いっそう楽しみだ!

チラッチラッと見える、YUIMETAL、MOAMETALに、(うまく言い表すのが難しいが)余裕・熟成、といったものを感じたのだ。
つくづくと。ぞんぶんに。

たとえば国内で地上波テレビに出演したり、といった露出度・認知度を高める活動ではなく、英米というロックの本場中心に、ビッグ・バンドの前座をつとめるという2017年度の活動の「成果」の一つとして、<パフォーマーとしての3人の成熟>というものがあったのだな、と、東京ドーム以来約1年ぶりのライヴの現場に身を置き、身をもって体感したのだった。

1stアルバムのワチャワチャしたはじけっぷりから、2ndのより本格的な凄み高みへと、大きく進化したBABYMETALの楽曲群。
だが、その進化は、演者である3人の「成長」があってのものだったんだな。
そのことも、改めて、自らの身体で、体感させられたのだった。

KOBAMETALの差配のもとに、楽曲群が創られる。
3人はそれを与えられて、歌い・踊る。

確かにこれがBABYMETALの楽曲群のプロデュース・ラインなのだが、しかし、その「楽曲群が創られてゆく」際に、(その時点での)3人がそれを歌い・踊ることをゴール・イメージにして、楽曲が練られ、調整され、仕上げられているのだ。

だから、例えば、2014年の春に1stアルバムがリリースされた時点での3人には、2ndアルバムの楽曲群は(まだ)そぐわない。
(どちらかと言えばカワイイ系の)「あわだまフィーバー」や「ヤバッ!」でさえ、あるいは「メタ太郎」でさえ、その後のワールドツアー等の「修行」を経た彼女たちの成長があって、BABYMETAL「らしい」楽曲、BABYMETAL「ならでは」の楽曲としてこの世に披露されるようになった。
 
「巨大キツネ祭り」では待望の「新たな調べ」が披露されるだろう(ワクワク!)が、
それは、
いまのYUIMETALやMOAMETALが歌い踊ることがふさわしい「らしい」「ならでは」の楽曲のはずなのだ。

それは、1st・2ndの楽曲を超えた、
熟成、というか、深み、というか、柔らかさ、というか、
そうしたものをおおいに湛えたものになるはずだ。
もちろん、キャッチーなヘヴィ・メタル楽曲でありつつ。

うまく言葉で表現できないが、「白キツネ祭り」でチラッチラッと見える2人には、そうした「柔らかな力強さ」「力強い優しさ」「深さ」が見えたのだ。

SU-METALの進化ぶりは、これまでもよく聴きとれたのだが、YUI・MOAのそうした進化ぶりが、「白キツネ祭り」に参戦することで鮮明に見てとれた、のだった。

ああ、3rdアルバムはこんな感じになるのだな。
そう思ったのである。

もちろん、曲調はさまざまなものだろうし、よりいっそう過激な、ブルータルな、あるいは奇妙キテレツなものかもしれない。しかし、それを今の3人が、とりわけ「深く熟成した」YUI・MOAが演じるとなると、それは、1st・2ndよりも、いっそう聴いて幸せなものになる、そう確信したのである。

ああ、3rdアルバムは、大丈夫だ。

そう理解したのであった。
いわゆる「無敵」を感じたというのとは少し違う、「全幅の信頼による安心感」だ。

それにしても、「演者である3人の成長・成熟に合わせて、楽曲も進化・深化していく」というこのBABYMETALをめぐるプロデュース・ラインは、何とも美しく・すがすがしい。

けっして「3人の美少女を消費する」ことなく、「3人の美少女を(大切に、しかも、厳しく修行・鍛錬させながら)輝かせる」。
これがBABYMETALのプロデュースの方針だ。

ヘヴィ・メタルという荒くれた音楽ジャンルの中にあるこの美しいラインは、僕たちおっさんが胸を熱するのに値する、とあらためて思うのだ。
(アミューズの「大里会長の決意」まで遡って考えてみると、まさに「日本アイドル史」が生み出した珠玉、精華、それがBABYMETALだ。ドキュメンタリー映画「WE ARE Perfume」では、大里会長が涙を流しながらPerfumeの3人に、鼓舞・激励の声(「MSG単独公演を必ず!」と)をかけている姿が映されていたが、BABYMETALもそういう環境にあるのだろう。・・・)

もちろん、そうしたプロデュースを引き出し、その期待に応えて(あるいは期待をはるかに超えて)しまう3人の「実力」が、あってこそのこの動きなのだが。

いや、ほんと、「新たな調べ」がどんなタイプの楽曲であっても、今の3人なら、とんでもなく「深く」歌・踊りで「演」奏できる。
ぜったいに大丈夫! 

 BABYMETAL馬鹿たちに、ジーン・・・

「白キツネ祭り」の当日は、午後3時前まで仕事をし、いそいそと京都から移動。
会場に到着したのは4時15分くらいだったが、すぐに物販に並び、Tシャツとタオルが買えた。
マスクとリストバンドは、(これまでの報告から)100%無理なのは承知のうえだったので、
楽にグッズが買えたのは、望外の喜びだった。

で、会場入りに整列するのにはまだだいぶ時間があるし、まだ白塗りしなくてもいいな(2回目なので余裕!)と、
会場近くの歩道脇の日陰のところに座り、ぼーっと集まったみんなを眺めていた
29日は猛烈に暑かったようだが、30日はこの時間になると風も涼しくなり秋の気配も濃く、
何か不思議に幸せな時間を1時間ほど過ごしたのだった。

すでに白塗りをしていた方も多かったが、2年前の黒ミサⅡ参戦時と違い、あまり皆さんのメイクは気にならなかった。
それよりも、Tシャツを「あ!」「お!」「へ!」なんて思いながら眺めていた。
もちろんおっさん比率は高いのだが、(黒ミサⅡとは違って)若い兄ちゃんたちも、女性陣もたくさんいた。

意外に多かったのが、昨年の白ミサのTシャツ。
横アリの、3人の顔が割とリアルに載っている、「The land of the Rising Sun」Tシャツもちらほら見かけた。
で、「イケメン兄ちゃんが着ると、どのTシャツもかっこよく、微妙なオッサンが着るとどのTシャツも微妙だ」という
道理を改めて確認したのだった。

同じTシャツで、こうも見栄えが違うのね・・・
と。

でも、(微妙なおっさんたち=僕も含めて)みんなそれぞれベビメタTシャツを選んで、
(僕自身は、黒ミサⅡTシャツだった。僕以外に、2人、同じTを見かけた)
ここに馳せ参じているのだ。
こんな大阪のはずれに。
しかも、すでに・これから、白塗りをしてまで。
こんなに大勢が・・・。

なんて、思ってしまい、ふとジーンとしてしまった。
ウルっときた。

東京と違って、京都・大阪・神戸では、まだまだBABYMETALの知名度は低い。
こんな凄い存在なのに、「不当に」知られていない。

でも、平日の夕方に、
みんな楽しそうに・誇らしげに、
奇妙奇天烈なメイクをして、こんなところにわさわさ集まっている。
BABYMETALのライヴを心待ちにしながら、(男性は)一生に数度しかしないだろうメイクをしている。
歓談をしている。

あ、いいなあ!!
と思ってしまったのである。

ライヴは祭り。公演の前も後もすべてひっくるめて、祭り。

それをまったりと楽しんだのであった。

僕自身も、(冷静に考えてみれば)わざわざ貴重な休みを使って「下見」に行き、
「自動販売機が少ない!・・・確認できてよかった!」なんて、祭りの前の興奮を楽しんでいたのだ。

馬鹿である。
それが、こんなに大勢いて、秋の初めの風に吹かれながら、
暮れなずむ港湾地帯の歩道にたたずみながら、何かとても幸せだったのだ。

で、結局、こんな顔になって参戦しました。
馬鹿っ面を、ちょこっとさらしておきます。



ああ、楽しかった!
60分のライヴ、全力疾走で、完全燃焼したぜ!