ケルベロスの基地

三本脚で立つ~思考の経路

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BABYMETAL探究(2015年がゆくよ・感)

2015-12-29 01:07:46 | babymetal
横アリ参戦記が、なかなかうまくまとまらない。苦労している。

書きたい細部がたくさんあり過ぎて、その取捨選択がうまくできないのだ。
新横浜駅地下の、娘と一緒に寄った昼食のうどん屋でのメニュー(温玉うどんとかきあげ)まで書こうとしてしまい、これはさすがに要らんだろ、と消すと、”あの日”のディティール・雰囲気が損なわれたパサパサのレポートになりさがり…と、行ったり来たりを繰り返している。

年末年始はネット環境のないところ(故郷の山国)に籠るので、今回で今年の更新は最後になるのに…。

仕方がないので、横アリ参戦記は、年明けに再開することにして、今回は、2015年の終わりにあたっての偶感を記しておくことにする。

今年の2月から、それなりに(…狂ったように?)一所懸命にこのブログを書き綴ってきた身としては、いちおう、それなりの「締め」はしておきたいのだ。

去年の今ごろのBABYMETAL環境を考えると、信じられない思いがつのる。だって、去年の今ごろは、音盤はまだスタジオ盤『BABYMETAL』1枚しかなかったのだから
日々、どうやって過ごしていたのか、今となってはほとんど想像もつかない。
1月にライヴ盤「RED NIHGT」がリリースされて以来、この1年間はほとんどライヴ盤を聴きこんできたことになる。
(12月13日の横アリでの”お告げ”以前には)「ニューシングル、ニューアルバムが出ないのか?」とか、「さすがに飽きるぞ」、という類の書き込みを、あちこちでちょこちょこ目にしたこともあったが、とんでもない。

音盤だけでも、実にたっぷりと楽しんだ1年だった。
まったく飽きるはずもない濃厚な1年だった。

2015年に入手した正式リリース(The One限定も含む)の音盤は、
・RED NIGHT
・BLACK NIGHT
・LONDON FORUM
・LONDON BRIXTON
・新春キツネ祭り
の5種類もある。
1年前を考えると、何と贅沢なことよ!

音像としていちばん好みなのは、(このブログでも何度も書いたが)「BRIXTON」盤なのだが(だから、通勤の際に、「よし!」と気合を入れるためには、これの「紅月」か「イジメ」かが圧倒的に多い)、しかし、最近最も愛聴し、しばしば鳥肌を立てているのは、「新春キツネ祭り」盤だ

音像は、ややシャリシャリしている感じで、最高!とは言うには少し抵抗があるのだが、何といっても観客席との一体感が素晴らしいのだ。泣ける!のだ。
今朝も、出勤途中に歩きながらウォークマンで聴いていて、「ウ・キ・ウ・キ★ミッドナイト」で涙が滲んできた。

そう、「ウ・キ・ウ・キ★ミッドナイト」で!

これも、1年前には考えられないことだ。
もちろんこの曲も最初から大好きな曲で、BABYMETALに遭遇した最初期に、この楽曲の歌詞と舞踊との所為(おかげ!)で、BABYMETAL魔宮に入りこんでゆくことになったのは確かなのだが、それにしても、この曲をウォークマンで聴きながら涙を滲ませる出勤途中の自分の姿、などというものは想像もできなかった。

この盤でのこの曲の、観客との一体感は、凄まじい

そして、これこそが(今の)BABYMETALなのだ!

そう心底思えるようになったのは、僕自身の、この1年でのBABYMETALの”THE ONE”メンバーとしての成長・成熟なのだろう。

THE ONE はファンクラブにあらず。
選ばれし者「THE ONE」となり、共にメタルレジスタンスを起こそうではないか!!


ライヴに3回参加して、今年(の後半)ようやくそのことの真の意味を体験・痛感したのだった。

初めから、ライヴでの聴衆を煽ることを前提として楽曲が練られ、振り付けがなされているBABYMETALにおいて、観客がYUI・MOAに合わせて合いの手を入れることで、曲が「完成する」
これはメンバー自身も、海外の観客の反応との違いということで語っていたことである。

いわば、ライヴ会場全体がステージライヴ会場全体が演者なのだ。
それが、”ファンクラブではない THE ONE”のいちばん鮮やかなかたち、だろう。 

その、ライヴの楽しさがいちばん堪能できる音盤が、(現段階では)「新春キツネ祭り」盤なのだ。ロンドンのライヴ盤(もちろんとんでもなく素晴らしい、ということは当然として)では、この観客との一体感による「完成」を味わうことはできない。武道館のライヴ盤(これも、それぞれ魅力的で今でも愛聴しているのだが)の時には、まだこの熱狂の圧・量が(今と比較して)上品だった(ように聴こえる)。
「巨大天下一メタル武道会」盤が出るまでは、やはり「新春キツネ祭り」盤が、最強のライヴ盤であり、今後も、いろいろなところで涙を滲ませながら”擦り切れるほど”聴きまくり続けることになるに違いない。

にしても、BABYMETALのライヴ・アルバムのサウンド・エンジニアは、これからもたいへんだろう(それが、プロフェッショナルとしての「やりがい」なのかもしれないが)。

楽器隊神バンドと、SU-METALの歌声と、だけでも、バランスの取り方が悩ましいのに(まあ、だからこそ僕たちは数多くのライヴ盤を「ヴァージョン違い」としてそれぞれ愛聴するのだが)、そこにYUI・MOAのスクリームが入り、さらには僕たち観客の合いの手をどう載せるのか、まで、考えなければならないのだから。

これまでの、他の多くのバンドのライヴアルバムでも、もちろん観客の歓声が重要な「ライヴ感」を構成する要素になっていたはずだが、BABYMETALのライヴアルバムほど、(ほとんど)すべての楽曲で観客の合いの手が(初めの想定から)楽曲「演」奏の有機的な一部になっている、なんてものはなかった、はずだ。
この意味でも、”BABYMETALという新しいジャンル”という文言は、ユニットの希少性を強調するための単なる謳い文句ではなく、音楽的な実質の謂いなのだ、ということ。

2015年の終わりになって、僕自身のなかでこうした認識がはっきりしてきた。
もちろん、今年の6月に初めてライヴに参加して…から来る認識の深まりだが、これは、BABYMETALというプロジェクトの人知を超えた高さ・奥深さ、から来るものだ。

畏敬
2015年の終わりに、改めて僕が感じている感情を簡潔に言うならば、これである。

年頭の『赤い夜・黒い夜』の映像盤にもすでにその片鱗を仄かに感じたのだが、この1年のさまざまなBABYMETAL体験を経て、その思いはどんどんどんどん強くなっている。

僕たちは、ある意味麻痺してしまっている(レディング・リーズの9万人って、とんでもなくとんでもないことのはずなのに「まあやっぱり英国で人気のベビメタだし」なんて思ってしまっている自分がここにいる…)が、本当に本当に、BABYMETALとはとんでもないスーパーバンド(ユニット)なのだ

Mステの”あれ”で、SU-METALの歌のうまさをたたえるツイートが飛び交ったようだが、それは、いわば、キャッチボールだけで「このピッチャー、とんでもない!」と素人にも衝撃を与える、というレベルの話だろう。いやもう、喩えようのないポテンシャルなのだ。

何て、書いていると、きりがないので、
最後の最後に、昨日・今日、出た雑誌2冊、の寸感。

『ヘドバン』9号
今まででいちばんBABYMETALの頁は少ない(その代わりに、次号はBABYMETAL大特集もあるようだ)。しかし、その中でも次の言葉には、感涙してしまった。

(2015年を振り返って、もっとも印象的だった出来事は?への答えの一部)
…また、メタリカさんのライヴをステージの横から観させていただくことが出来、ずっと鳥肌が立っていました。


メタリカに鳥肌を立てている3姫、という絵図は、何か、宗教画を思わせる。
(僕としては)口を噤んで(涙を溜めて)ただじっと見つめていたい、そんな「可憐」なとんでもなく「崇高」な絵、ではないか。

『日経ビジネス』<次代を創る100人>特集。
紹介されているのは、
「PIONEER 輝き出した開拓者」10人、
「MESSIAH 闇からの救世主」13人、
「CREATOR 静かなる創造主」13人、
「LEADER 逞しき指導者」21人、
「CHALLENGER 美しき挑戦者」21人、
「INNOVATOR 革新なる人々」10人、
「TOMORROW 明日を創る人」12人

BABYMETALは、どのカテゴリーに入ってもよさそうだが、この中の、「MESSIAH 闇からの救世主」の巻頭だ!やはり、このカテゴリーが、一番「らしい」!
しかも見開きぶち抜き(この扱いは、全部で9人だけ、他には、鎌田華乃子、横山祐果、ハヤカワ五味、柚希礼音、ヒラリー・クリントン、錦織圭、波留、シリア難民)という「破格」の扱いだ。

海外フェスの写真で、神バンド含めて7名が映っている(藤岡氏は半分切れているが)、ギターが藤岡氏とLEDA氏なので、これは昨年のものだ。
SONISPHEREだろうか?きちんと確認はできていない。。
日経ビジネスという雑誌では、おそらく異例の写真だろう(いつもは読んでいない雑誌なので憶測です)。
どの100人も、それぞれの「推薦者」が魅力・期待を熱く語る、という形式になっているが、BABYMETALは、加山雄三さんが、熱い熱い賞賛を語っている。
(ぜひお読みください)。

FUNKOのフィギュアも届いたが、そういえば今年はAERAの表紙にもなったのだった。
もう、何が何だかわからないが、これこそがBABYMETALだ。


そうそう。近所のツタヤに寄ったら、アルバム「BABYMETAL」3枚の在庫が3枚とも貸出中になっていた。
これって、何か、たいへんなことが起こりつつあるのか?
そんな気がする。


皆さま、よいお年を。
待ち遠しいですけど、すぐに、4月1日(実際には3月29日に皆さんフラゲするでしょうけれど)が来ます。

僕も、実家の大画面テレビで年末年始、BABYMETALを堪能してきます。
コメント (2)
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BABYMETAL探究(「素材」考)

2015-12-22 23:39:46 | babymetal
完璧な素材

横アリ以降の、最近のBABYMETALをめぐる出来事を見聞きしながら、改めてそんな文言が頭をよぎった。

BABYMETALを料理に喩える、なんてことは、あまりにも通俗的で陳腐なのかもしれないが、しかし、通俗的で陳腐だからこそ、わかりやすく鮮やかにBABYMETALの本質を言い当てる、というメリットもあるかもしれない。
今ここで語ろうとしていることは、すでにどこかでどなたかが語られたことなのだろうが、最新の僕の印象として、どうしても「素材」という言葉で(も)BABYMETALの凄さを語っておくべきだ、と感じたので、たいへんベタな内容になるかもしれないが、文章にしておきたい。
(横アリ参戦記は、また次回以降、続きを書きます。次のライヴを体験するまでにはたいへん長い時間がありそうでもありますし)

毎日毎日狂ったようにBABYMETALを観つづけ、聴きつづける
BABYMETALに遭遇した昨年の9月以来そんな状態が、僕の場合は、1年以上続いている。
おそらくこのブログをご覧になっているほとんどの皆さんが同じような症状を呈していることだろう。
そうした「中毒」症状は、何に拠るのか?

BABYMETALを紹介する際の定型句、「アイドルとメタルとの融合」というのは、いわばレシピ(調理法)を言い表わしたものだ。

僕たちがBABYMETALに初遭遇したときの衝撃(よかれ悪しかれ)は、その「レシピ」によるところが大きい。いわゆる「そっ閉じ」という負の反応も含めて、こんな「味」を体験したことがないメタルヘッズには、「なんじゃこりゃ!」という衝撃をもたらすのは、まさにそれだ。

しかし、BABYMETALの魅力とは、「レシピ」によるものだけではない。視聴を重ねるごとに、そのことが身にしみてわかってくる。
もしも「アイドルとメタルとの融合」という「レシピ」がBABYMETALの魅力の「核」ならば、1年以上も、毎日毎日狂ったように観続け、聴き続け、多大な時間とお金と労力をかけてライヴに参加するために遠征するなんて行動を繰り返し、などということを、それなりに人生経験を重ねてきた大のおとながとるはずがない。
(それとも、「包丁人味平」に出てきた”ブラック・カレー”のように、レシピの仕上げとして、BABYMETALには何か麻薬的なものが振りかけられている、とでもいうのだろうか?)

僕たちが、「BABYMETALが成功したのは、アイドルとメタルの融合という斬新さ・ギャップの衝撃によるもので…」というような、したり顔の分析に同意できないのは、それが、単に「レシピ」の指摘にすぎないからだ。

なるほど、「アイドルとメタルとの融合(ギャップ)」というレシピによって、それなりに刺激的なユニットを生みだすことは(これからも)できるかもしれない。BABYMETAL以上に刺激たっぷりの激辛・激甘のユニットをつくる、それは可能であろう(今でも行われているのかもしれない)。

しかし、(BABYMETALに魅せられている僕たちの誰もが)確信をもって断言できるのは、そうしたレシピによって生み出されただけの他のユニットなど、BABYMETALという空前絶後の多次元の魅力がぱんぱんに詰まった絶品料理には及ぶはずがない、ということだ。

それは、KOBAMETALという地獄の底までもかっさらうようなこだわりを持った凄腕のシェフや、MIKIKOMETALという世界一のパテシエが、BABYMETALの楽曲や振り付けをつくりだしている(この辺の喩えは適当ですごめんなさい、でも、まあ、ざっくり言えばこういうことですよね)というところにもあるのだが、それ以上に、何といっても、BABYMETALという絶品料理の「素材」が、SU-METAL、YUIMETAL、MOAMETAL、この、全世界73億の人間のうちのたった3人、まさにこの3人であった、ということに拠る。

73億ぶんの3

決して単に「偶然」に集まったわけではなく、SU-METALを軸にしてこの3人でBABYMETALが生み出されることには、それなりに筋の通った道すじがあったのだが、それにしても、この、人間としての素晴らしさを持った、相互の絶妙のバランスを保った、3人の邂逅、これは、皆さんが感じているように、「奇跡」と呼んでよい事態だと思う。
(僕の人生の過去・未来を通して遭遇する、最大の「奇跡」だろう。だから、これを「奇跡」と呼ばずに、いつ「奇跡」という言葉を使うのだ!という気がするのでこれからも、BABYMETALを語る際には「奇跡」という言葉をためらいなく使うのである)

歌や舞踊や、というステージ上のことについての「素材」性も(とんでもないレベルで)そうなのだが、それらのみを見るならば、世界にはもっとすごい才能をもった人材はいるだろう。
しかし、最近見聞きした、オフステージでの3人の言動の生き生きした姿、その「地」の人間性には、「ああ、これは、他の誰も敵わないだろうなあ」、と思わせる、「素材」の最高ぶりがあらわれている。

その、ひとつ。
武藤彩未さんの活動休止宣言に対して、SU-METAL(中元すず香)が誰よりも早く言葉を送った、という記事を目にした。私の憧れは彩未さんです、と。
涙が湧いてきて困った。仕事の途中に立ち寄ったスタバでの出来事だったので、何とか必死にこらえたのである。
SU-METAL(中元すず香)の送った言葉は、憐憫とか形式的な励ましとかでは全くなく、心の底からの真摯な言葉だ、と僕には感じられる。
ド直球の思い、だと。
そう、これが、SU-METAL(中元すず香)なのだ。
このことから、改めて、彼女の人柄の「まっすぐさ」(や、さくら学院のメンバー同士のこころの繋がり)に、胸を打たれたのだ。
昨年の年末のMステで、Perfumeの楽屋を訪れて、あ~ちゃんに握手を求めたSU-METALの手がぶるぶる震えていた、というエピソードにも、彼女の人柄があらわれていて、今こうやって思い出すだけでも、涙が湧いてくる。
こんなピュアな心の持ち主が全霊を籠めてまっすぐに歌う(しかも圧倒的な声量と唯一無二の魅力的な声質で)歌、それは言葉の壁を超えて世界中の多くの人の心を揺さぶる。それは当然だ、と改めて思ったのだ。

これは、「アイドルとメタルの融合」という「レシピ」とは別の次元にある、「素材」の素晴らしさだ。
もちろん、SU-METAL(中元すず香)という「素材」の魅力が、このとんでもない「レシピ」によって超絶的な次元の味わいを帯びて引き出されていることは間違いないのだが、そもそもそこにSU-METALという素晴らしい「素材」(今回は、歌い手というよりも、人間としてのピュアさのことが言いたいのだが)があったからこそ、天下無双の絶品料理として成立しているのだ。

逆にいえば、「アイドルとメタルの融合」などといういわば”あざといレシピ”は、生半可な「素材」であれば、その味わいが殺されてしまう、危険なものでもあるはずなのだ。

初期のBABYMETALに対する感想(さすがに最近はとんと目にしなくなったが)に、「やらされている」感を述べるものがあったが、これはまさに、「レシピ」のために「素材」そのものの味が消えてしまっている、という印象の吐露だろう。
僕は、そうは感じたことはないが、例えば初期の映像作品のYUI・MOAの表情や動きには、今から振り返ればそう感じられるところもある、と言えなくもない。

しかし、どうだ。
2015年末の今のBABYMETALを観て・聴いて、SU-METAL、YUIMETAL、MOAMETALの3人が、やらされている、すなわち、その「素材」が「レシピ」に負けて本来の持ち味が消えてしまっている、などと、思う人はいないはずだ。

そう、この3人は、「素材」としてとてつもなく勁い(つよい)のである。
「アイドルとメタルの融合」というとてつもなく奇妙なレシピで料理されても、平気で「地」の「味」をだし、オッサンたちを泣かせる「魔力的なピュア」とでもいうべき魅力を醸し出すそんな(ありえない)たくましさをもった素材なのだ。

葉加瀬太郎とのラジオ出演、ほんとうに楽しかった。
皆さんおっしゃっているように、耳が幸せ、だった。
3人とも、声がとんでもなく魅力的だ、と感じさせるのは、ワールドツアー等の経験と鍛錬のたまものなのかもしれないが、それ以上に、番組中、3人ともが本当に「自然体」でBABYMETALの活動を語っていることに、聴いていてこちらもたいへん幸せになった。

今まで日本人の誰もが経験したことのない、想像すらできない挑戦・経験をつぎつぎと重ねながら、それとまっすぐに向き合い、等身大の感想を抱き、それを素直な言葉で語ることができる。

こんな女子高生がいるか?なんて言い方はたぶん無意味であって、3人は年齢を超えたモンスター級の「ピュアな素材」なのである。
(「世をしのぶ仮の姿」考で探究した、幼い頃からの芸能活動によって培われた、というところも大きいのだろう)

「売れたい」「人気を獲得したい」「もてはやされたい」といった欲望・渇望を抱く間もなく、まさに天から降ってくるように、とんでもないレベルでの活動規模やファンの数の拡がりが起こった、ということ(いわば「育ちのよさ」)も、彼女たちの人間性のピュアさが失われない要因なのかもしれないが、ここは、そうした理由づけでは説明しきれない、「人間性が天才」である3人が集まった、ということなのだ、と言うしかないと思う。

もちろん、「人間性が天才」といっても、例えばマザー・テレサのような3人だ、などと言っているのではない。
ステージ上でのパフォーマーとしての「人間性が天才」、いや、もっと正確に言えば、BABYMETALの「素材」としての「人間性が天才」ということだ。

同義反復のようだが、そうではない。

「素材」のための「レシピ」、「レシピ」のための「素材」、それが「奇跡」的に出逢ったマジック、それがBABYMETALなのだ。だから、空前絶後、唯一無二、と断言するのである。こんなことはもう絶対にありえない。

ロックの本場イギリスでの、ガチのメタルフェスや、由緒あるロックフェスの、メインステージ。何万人もの、自分たちを受け入れてくれるかどうかわからない、ひょっとしたら大群衆のヘイターとなるかもしれない、外国人の観客の前に登場し、「完璧」以上のステージングを見せる。
僕には想像すら及ばないが、「繊細」と「大胆」とが絶妙にバランスのとれた性格でないとこんなことはなしえない、と思う。いい意味での「天然」と、常人には持ちえない「気遣い」との、最高レベルでの共存
それを、SU-METAL、YUIMETAL、MOAMETALの3人ともが持ち合わせ、二等辺三角形的な美しいバランスを保ちながら、明るく楽しく切磋琢磨し続けてきた、ということ。

冒頭に述べた、「中毒」症状。
ハマるきっかけは「レシピ」なのかもしれないが、噛みしめても噛みしめても(噛みしめれば噛みしめるほど)深く、そのピュアな「素材」の味わいが出てきていつまでも飽きないのは、3人の人柄という「素材」の味によるものだ。
知れば知るほど、抜けられないというか、止められないというか。
飽きる理由がまるでないのである。


そうそう、最後に、(調子に乗って比喩語りを重ねるならば)神バンド(による演奏)とは、いわば、濃厚な激辛ソース、だ。
これも、よほどの「素材」ではないと、ソースに負けてしまい、単にソースだけの味になってしまう。
また、いくら絶品のソースであっても、ソースだけでは、料理として人々に提供され、舌に喉に腹に幸せを与えることはできない(BOH氏がいつか語っていたのはこのことだろう)。まあ、たまには、ソースだけをぺろんと舐めて「美味しい!」と言うこともあるのだが。
神バンドを「バック・バンド」として従えて、全くその魅力を損なわないどころか
それによっていっそう魅力を増幅している3姫は、そんな意味でも、とんでもない「素材」なのだ



Mステ、ほんとうにほんとうに楽しみですね。
BABYMETALの剛速球を体験してみろ!という期待でワクワクします。
(「ギミチョコ!!」は、剛速球ではなく、超高速スライダーでしょうか?)
できれば、お茶の間で初遭遇した音楽好きの中学生とか高校生が「きゃはは」と笑ってしまい、「何これ、楽しい、かわいい…でも、何かカッコイイ…」なんて思ってくれたらいいな、と期待しています。
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BABYMETAL探究(横アリ2日目参戦記(2))

2015-12-17 15:47:30 | babymetal
いまだに、3姫の乗ったゴンドラが会場の上空をゆっくり巡っている情景が目の前に浮かんでくる。

「原風景」と呼ぶのは間違った呼び方なのだろうが、もう人生の折り返し地点は確実に過ぎたはずの僕の残された人生の時間のなかで、事あるごとにたびたび思い起こすであろう、根源的な「聖なる」意味をもった光景であった。
そんな気がする。
(映像化されれば、何度も見返すことになり、記憶がさらにより鮮明に補完されるのだろう)

初めにゴンドラが登場し、予想に反してステージに降りずに客席の上空へとせりだしてゆくのを目にして、ステージから会場の後ろへまっすぐ渡って消えていくのかな、と思っていたのだ。ところが、ゴンドラの動きを統べている天上に配置された「線」を目で追っていき、いま何が起ころうとしているのか、これから何が起こるのか、理解したのだ。

その瞬間、涙腺がぶわっと崩壊した

東スタンドで娘と並んで見ていたから、ぐるりと周る最後に僕たちの前を(といってもアリーナではなかったので距離はあったがそれでもずいぶんと近くを。幕張ライヴのことを考えたら、至近距離といってもいいところを)赤い三角錐が過ぎってゆく。

物販で、買おうか買うまいか最後まで迷い、「迷ったら買え(?でしたっけ、買って後悔せよ、でしたっけ?)」の格言に従って、「ええい」と結局買ってしまったTrilogyTEE①3姫をトライアングル型にフィーチャーしたTシャツ、「ふだんはさすがに着づらいし、今日はこれ着て臨もう」とライヴ前にこれに着替えて(同じように考え、着替えたおっさんメタルヘッズも多いでしょうね)、1時間30分のライヴで汗だくにしていたのだが(スタンド席も全員総立ちで合いの手入れまくりでした)、目の前の赤い三角錐のゴンドラに載った3姫と、自分のTシャツのイラストとの照応に気づき、「そうか、そういうことだったのか!」と、今度は鳥肌が立ったのだった。

しかも、(「ららら」ではなく)「The One」(Kerrang!のKOBAMETALのインタビューにははっきりとこう明示されているから、正式決定なのだろうか)のメロディー、プログレっぽいソリッドで変態的なギターの速弾きがピロピロ鳴り続け、SU-METALの圧倒的な歌声(質も量も)が絶えることなく会場に響き続ける。

あれは、結局、何分間のできごとだったのだろうか?10分間くらい?
いずれにせよ、SSAでの「Road of Resistance」に匹敵する、新曲の超ロング・ヴァージョンであったが、とりわけ今回のは、もはや演奏という以上に「聖なる儀式」だ、と、そんな思いを持った。

赤い三角錐のゴンドラで宙を経めぐる3姫たちは、さながら、迷える(しかし絶対的な忠誠を誓う)下々たちを睥睨・閲覧する姫・皇女たち、といった佇まいだった。
僕には、そう感じられた。

それでいい、と思う。
いや、もうすでに、事実そう、なのだ。

僕たち(勝手に「たち」にして、ごめんなさい。でも、皆さん、気持ちは同様ですよね?)オッサンメタルヘッズ(あるいは洋楽好き中年~初老男)は、「姫さま」3人を支える「爺や」とか「男衆」とかのひとりでよいのだ、と。

それにしても、こうした3姫とファンとの「関係性」は、BABYMETALの「いま」だから成り立つものであって、例えばさくら学院とその「父兄」との関係性とは全く質を異にするものだし、今年6月の幕張ライヴ『巨大天下一メタル武道会』ですら、こうした<絶対的な崇高さ>を、これほど明らかなかたちで僕たちが感じることはなかった。

今回の横アリ・ライヴに関しての多くの方の感想を読んだが、(表現の仕方は異なるが)「これまでとは全く違う」というコメントをいくつも目にした。
このことは、単なる僕の一個人的な偏見ではなく、実際にあの日あそこで実現されたことが、会場の観客の多くに同じ印象を強く感じさせるものだった、ということだ。

単に、ゴンドラで会場の宙を一周するという仕掛けが斬新だった、ということではない。
その後の重大発表も含めて、これが「今」の(「今」からの)BABYMETALなのだ、ということ、それは今までのBABYMETALとも次元を異にするものなのだということ、その象徴的な表現を、僕たちはこの目でこの耳でこの身体で、心底感じた、ということなのだ。

ひと言で言えば、神々しさ、だ。

BABYMETALというアーティスト(?)パフォーマー(?)バンド(?)は、僕たちが経験してきたバンド、そこから想像できるアーティストたち、それらをすでにはるかに超えた存在になってしまっていた。

それを何といっても痛烈に体感させるのが、あの日のSU-METALの歌声だった。

横アリ2日目のラストを体験して、数日後のいま何か言えといわれるならば、まず出てくる言葉が、やはりそれだ。これも皆さん異口同音にそう述べているが、僕も口を揃えたい。

いやいや、もう、凄かった。さんざんBABYMETALを観倒し・聴き倒してきたファンが皆口を揃えてそう言うほど、あの日のSU-METALは凄かった

SU-METALの歌は、決して(テクニカルな意味で)「上手い」と感じさせるものではない。
にも関わらず、SU-METALの歌声は、聴くたびに、こころの奥まで浸み徹り、全身に響きわたり、僕たちの存在全体を揺さぶるのだ。涙を流させるのだ
そこが、他のいわゆる「私、歌上手いでしょ?」とビブラートを巧みに操る「歌姫たち」とは、全く異なるところだ。

「魂」というか、「まごころ」というか、全身全霊を籠めたさわやかな歌声、それがSU-METALの歌声だ。
暑苦しくはないのに、重たくはないのに、聴き手の身体全体に染みわたる。

そうしたSU-METALの歌声の”らしさ”が、これ以上ないほどリミッターを解除された楽曲、それが「The One」であり、そのある意味での最高の表現形態が、横アリでのあの場面だった。

女神のような、とよぶべき歌声が、崇高な雰囲気を纏った歌を、長時間ずーと歌い続ける。
目には、宙をへめぐる三角錐のゴンドラが、ゆっくり、僕たちの上空を巡るのが見えている。

そうした、明らかに自分たちの知見を超えた存在に対する感情とは、畏敬、帰依、といった感情だろう。(この夏に書いた「聖性」考に通じる)。
単に、楽曲が魅力的だ、演奏が凄い、歌がすさまじい、舞踊が超絶的だ、そして、とんでもなくカワイイ、というだけ(だけ、って…これだけでももちろんとんでもない至高のものなのだが)ではなく、彼女たちがその高い才能によって成すことが出来る成果に満足することも奢ることもなしに、常に”とてつもなく大きなもの”に立ち向かい続け(結果としてほとんどの場合見事に勝利し)ていくその姿は、神々しいとしか呼びようのないものだ。

一緒に参戦した娘だが、会場に向かう途中でいろいろとBABYMETALをめぐって話をするなかで、「3人とも、蹴り上げすごいよなあ」という言葉を発した。
蹴り上げ?
一瞬考え込んでから、ああ、と首肯したのだが、娘は少林寺拳法を10年近くやっていて、少林寺拳法では、SU-METALのメギツネでの「なめたらいかんぜよ」のあのキックのような蹴りを、<蹴り上げ>というのだ。
それなりに専門的な鍛錬の年月を重ねてきた娘(全国大会に出たこともある)が言うのだから、単に素人目に「キックもびしっと決まっている!」というのとは異なるレベルで、彼女たちのパフォーマンスは、細部に至るまで高度な完成度で濃縮されているのだ。

そうした多次元の完成度の中でも、その「核」がSU-METALの歌であることは、すべてのファンが首肯するだろう(BABYMETALの「魂」である、とここでも何度か形容した)が、その「核」「魂」の白熱が、とんでもないレヴェルで放射される、それを僕たちは目撃・体験したのだ。

ライヴ参加後の多幸感にずーっとひたっていよう、こんな拙い文章をコセコセ書いて感動を薄めるようなことはしないでおこう。このまましあわせに包まれた気分で年を越そう。
そんな思いもあるにはあったのだが、「World Tour 2016 USTour」の告知を見て、がばっと跳び起きたのだ。

姫たちが(過酷な)闘いに出ようとしている時に、下々の爺や・男衆である僕がのんびりしているわけにはいかない!

横アリライヴをめぐって、さらに「探究」をするのである!

(つづく)

コメント (3)
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BABYMETAL探究(横アリ2日目参戦記(1))

2015-12-14 00:27:04 | babymetal
今、横アリから、新幹線とJRと地下鉄を乗り継いで、帰宅した。

こんな素晴らしいライヴに、BABYMETAL初参戦の娘を連れて行けて、本当によかった。

ラストの、3姫がゴンドラで観客席を一周する、その光景。

おそらく、こんな演出は、最初で最後のだろう。
(例えば、新春キツネ祭り「イジメ、ダメ、ゼッタイ」での、YUIMETALがMOAMETALを飛び越えた、それが”一度きりの名演”であるように)

それを、この目でじっと眺めることができた、そのことは、僕にとって本当に有り難いことだ。やや早いが、「冥途の土産」と言ってもいいのかもしれない。
(次に、チケットが当選するのは、いつなのか?次があるのか?)

さらに、横で、これもBABYMETALを大好きな、というか、YUI・MOAを尊敬している吾が娘が、3姫をずっと目で追っていた。
これは、やや大袈裟に言えば、今後の彼女の人生を支えるかもしれない崇高な光景であったはずだ。こんなものは、僕のような平凡な男には、決して与えることのできない、選ばれた”スター”しか与えることができないものだ。

BABYMETALに、そして、それを支える多くのスタッフに、感謝したい。

何といっても、SU-METALの凄さに、今日は、本当に本当に本当に感動した
凄いことは十分にわかっていたのだが、いやはや、その凄さの大きさ・深さがとんでもないことになっていた。
「悪夢の輪舞曲」と、新曲(「ららら(We are the One)」)で、2度泣いた。

映像作品をいくらでも繰り返し見ることができるのは、YUI・MOAの魅力が大なのだが、ライヴの現場で、「BABYMETALって凄い」と感じるのは、(今さら言うまでもないが)SU-METALの歌声である。



詳しくはまた後日書きます。

時空間をともにした皆さん、ありがとうございました。
僕たちはシート席から見下ろすかたちになりましたが、
モッシュピットの一体感、何度も鳥肌が経ちました。
アリーナ席も、シート席も、BABYMETALが大好きだ、ということを確認しながらの、2時間弱のライヴでした。
We are BABYMETAL!
今日のライヴは、みんなの勝利です。

みんな素晴らしかった!
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BABYMETAL探究(番外編~横アリ目前「小ネタ」集)

2015-12-12 11:01:00 | babymetal
さあ、いよいよ横アリ・ライヴが迫ってきた!

もう、楽しみで楽しみで、どうしようもない。
昨朝も、ウォークマンで「新春キツネ祭り」のライヴを聴きながら出勤したのだが、「イジメ、ダメ、ゼッタイ」で会場のみんながYUI・MOAに合わせて、「持って!」「負けないで!」「みつけちゃいや~!」「イエスタデイ~!」「バイ・バイ!」と合いの手を入れるのを聞いて、不覚にも涙が(また)滲んできた。
もうすぐ、僕も、我が娘と並んで、会場のみんなと一緒に合いの手の大合唱をするのだ。そう思うと、もうたまらなくなったのだ。
このへんのバランス(アンバランス?)が最高なのだ、BABYMETALは。だから、感情を根こそぎ持って行かれるのだ。改めてそれを痛感した。

圧倒的な歌声で観衆を説き伏せるSU-METALの脇に、YUI・MOAが笑顔で煽り・踊りまくり、神バンドが爆音超音速の演奏でヘヴィメタルとしての魂を与え続ける。
いや、これは、もう、誰も敵うはずがない。
ファンには言わずもがなのそんな思いを、今日もまた(勤務先に向かいながら)痛感したのだった。

そんなこんなで、とてもとても、集中して「探究」を書くような精神状態にはなれないので、横アリ参戦直前の今回は、BABYMETALをめぐる最近の近辺のトピックを、備忘録的にいくつか書いておきたい。
いわば、小ネタ集である。
いつも以上に、気軽に読み流してください。

① 伏見稲荷神社に行ってきた。
前々回、ああは書いたものの、本当に自分が足を運ぶかどうか、半信半疑だったのだが。
賽銭をあげ、「どうか御無事で…」と祈ってきた
でも、これは僕にとっては「本当にささやかな報恩」である。(それ以前に、取り越し苦労、なのだろうが)。

BABYMETALに(とりわけYUIMETALに)、日々どれだけ元気を鼓舞され、癒しを与えてもらっているか。
いや、本当に、これはいくら言っても言い足りない、「事実」である。
BABYMETALに出会ってから、1年あまり、今までに体験したことのない幸せ・充実感を感じながら生きているのは、確かである。
とりわけ、3人の、アウェイに「挑戦」し続けるイケメンぶりの姿、しかもいつも謙虚に純粋に、決しておごることのない姿は、カッコよく、まぶしく、可愛くて、僕自身の仕事に対する姿勢の鑑にもなっているのだ。
本当に、BABYMETALに出会ってから、今まで以上に、人生に対して、前向きに、楽しく、積極的になることができている。僕と同世代のファンの方々(おっさん)も、多くが同様の思いを持っているのではないだろうか。音盤や映像盤を毎日見て楽しむだけではなく、自分自身の生き方にまで影響を与えてもらっている。
だから、休日に、電車を乗り継いでも1時間もかからない伏見稲荷神社に足を運ぶ、なんてことは本当に何でもないことだし、そもそもそんな行動を実際にするということ自体、(ズボラな僕にしてみれば)BABYMETAL(YUIMETAL)に引き出された行動なのだ。

伏見稲荷は十二月はじめの月曜日でも、たいへん賑わっていた。
狛犬ではなく、狛狐がすっくすっくと立っている姿は、改めて優美な気品を感じた。

キツネ面は買わなかった。
土産物屋で手に取って裏返すと、中国製とか書いてあったりして、「買うのならライヴの物販で」と思い直したからである。まあ、他にも買いたいグッズはいくつもあり、娘の分もあるから、キツネ面を買うかどうかは、自分でもわからないが。
代わりに、数百円出して、金属製の狛狐(二体セット)のキーホルダーを買い、鞄にさげた。
ときどき、ぶつかりあってシャリンと音を立てている。


② ジーンズショップで、ベビメタ話!
ジーンズを買いにある店に寄り(初めて入った店)、試着して気に入ったので「じゃあこれ買います」と言ったところ、店員のお兄さん(20代後半?)が、「ありがとうございます。…で、このパーカーって、BABYMETALですか?よ、ね?」と話しかけて来てくれたのである。
その日は、ギミチョコパーカーを羽織っていたのだ。
「あ、知ってますか?」と訊くと、「きちんと聴いたことはないんですけど、3人組の女の子の絵柄だから、あ、そうじゃないかな、って」とのこと。ご本人もバンドをやっているらしく、BABYMETALの存在はよく認知しているようだ。「グーグルのCMにも出てましたよね?」なんて言葉も聞くことができて、感激である。
もう一人の店員(女性、もう少し年上か?)も、「世界で活躍って凄いですよね」「私の友人も大ハマりしてるんです」とのことで、僕が今度の横アリに行くというと、「友人も行くって言ってました」とのことだった。

6月の幕張に参加して以来、(気に入ったTシャツが増えたこともあり)休日には必ずベビメタTシャツと、季節・気候によってはパーカー(ギミチョコ/手書きロゴ)を羽織って(最近はその上にジャケットを重ねて)街をうろうろしているのだが、こういう風に声を掛けられたのは初めてだったので、年甲斐もなく、うれしいやら、気恥ずかしいやら。
 
残念だったのは、女性の方の店員に「ももクロも聴かれるんですか?」と訊かれて、うまく答えられなかったことである。
思いもかけない質問だったので、あがってしまい、口ごもりながら、「素人の寄せ集まりって感じがして…」なんて、ももクロをディスるような言葉を返してしまった。
何とも恥かしく、申し訳ない。
「メタルじゃないから、聴きません」(きりっ)
こう答えるべきでした。猛反省しています。次は必ずそう答えます。

…、にしても、13日の新横浜駅~横アリあたりを、BABYMETALの黒Tシャツとかパーカーとかを羽織った方々が、群れなして闊歩しているのだろう、と想像すると、わくわくします。
何度か書きましたが、BABYMETALのライヴに「参戦」する楽しみには、これも大きなものなんですよね。残念ながら今回はLVはなかったけれど、たとえLVがあり、スクリーンでライヴ会場よりも3姫をつぶさに観ることができたとしても、「あの雰囲気」は味わえない。
まさに、聖地巡礼。
BABYMETALのライヴに行く、ということは、その前後も含めたお祭り、なのですよね。


③シシヤマザキ『フェイスフェイス』も買ってしまった
ネットで発売の情報を知り、たまたま空き時間もあったので、「とりあえず見てみるだけ」のつもりで、仕事の移動時間にジュンク堂に立ち寄ったのである。
で、後ろからぱらぱらめくっていくと、収録されているタレントたちの紹介があって、BABYMETALも紹介されていて、「かわいい活火山」というコピーに、「なるほど」と思いつつ、ページを前にめくっていくと、何と、いちばんはじめのページにBABYMETALの3人の水彩画が!
「わお」と思い、ついレジに運んでしまった。どんな理由(例えば売上アップを見込んだ戦術とか)があるにせよ、あるイラストレーターの画集の冒頭にBABYMETALの絵が載っている、ということに感激したのだ。

一年前の年末と比べても、BABYMETALの認知度は、ずいぶん進んだ。
確実に、確実に、「メタル・レジスタンス」は遂行され・浸透しているのだな。
そんな思いを新たにした。
(あ、『NEW HERITAGE OF REAL HEAVY METAL』も買い、時々聴いています。)


④『BURRN!』1月号を購入。
高崎晃のインタビュー、面白かった。
で、「そういえば、LOUDNESSのアルバム、デビュー当時から3作続けて買ってたっけ」ということを思いだしたのである。
デビューアルバムを買おうと、お年玉を財布に入れて電車に1時間ほど乗って市街のレコード屋に行き、「え~っと、どこの棚にあるのかな?」と迷ったことを思い出した。
ハードロック・ヘヴィメタルや、洋楽ロックではなく、歌謡曲のところに確か置かれていたと記憶しているが、それから35年後のいま、BABYMETALもいまだ似たような状況である。
来年の今ごろには、さらに大きな地殻変動があるのかもしれないけれど。


⑤ カラオでBABYMETALを歌ってきた。

(どうでもいい?ですよね。ごめんなさい)
当然、ライブダム。2時間コースの柱になるのが、”まま音”武道館公演の4曲だ。
BABYMETALのライヴ映像に合わせて歌うこれは、もはやカラオケとは言えないが、大画面大音量で素晴らしい映像をみながらSU-METALに合わせて歌う(時にはYUI・MOAの合いの手や、デスヴォイスに合わせたりもする)というのは、他に変えることのできない楽しさだ。
「イジメ、ダメ、ゼッタイ」は、赤い夜ヴァージョンだが、映像には(何度見てもやはり)胸がつまり、涙がこみあげてくる。MOAMETAL、ほんとうによく耐えた。
で、歌う歌を物色していて、MSGを検索してみると、なんと”Into the Arena”と”Captain Nemo”が「カラオケ」に入っているではないか!しかも、全7曲中の2曲として、である。ほんとびっくりである。
さすがにこれらは歌えないので、”Looking for Love”を歌って帰りました。

いや、ほんと。

明日の今ごろは、横浜へ向かう新幹線の中です。今日はこれから頑張って仕事をしてきます。

リアルタイムで、こんな「奇跡」のユニットを体験でき、未知のストーリーが紡ぎ出されるその現場に馳せ参じて、時間と空間を共有できること。
万を超える同士(同志)の方々と、YUI・MOAに合わせて合いの手を絶叫できること。
そんな幸せを味わえるのも、もうすぐなのです。

13日のライヴ体験については、仕事の関係でしばらく後になると思いますが、しっかり「探究」するつもりです。



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