ケルベロスの基地

三本脚で立つ~思考の経路

BABYMETAL探究(『メタル・エヴォリューション』07)

2015-09-27 23:53:33 | babymetal
『メタル・エヴォリューション』第7回は、<革命!グランジ・ロックの光と翳>と邦題のついた、グランジをめぐる考察の回である。

『メタル・エヴォリューション』全11回のなかでも、いちばんこのブログで語りにくい回であった(あと4回残っているが、たぶん間違いない)。
仕事が忙しくてなかなか手をつけられなかった、という物理的な事情もあったのだが、今回までのブログの更新がなかなかできなかったのは、このグランジという対象に手をやいていた、ということも大きかったのだ。

具体的に言えば、この回に出てくる、ニルヴァーナ、パールジャム、サウンド・ガーデン、アリス・イン・チェインズ、ニッケルバック、といった数々のバンドについては、名前はもちろん知っているし、いくつかアルバムを買ったり借りたりしたこともあるのだが、残念ながら「愛聴」してきたと言えるバンドもアルバムも曲も、ひとつもないのだ。
むしろ、忌避してきたというのが正直なところだ。

僕がヘヴィ・メタル(別に、ハード・ロックという呼び名でも構わない、シェンカー時代のUFOなんてヘヴィ・メタルと呼ぶのにはむしろ違和感があるのだが)に求める<激情・疾走・様式美・感涙>といったツボのない、むしろその対極にあるともいうべき「グランジのかっこよさ」は、ひと言でいえば、苦手なのだ。

日本人には合いにくい、などと一般化するのは乱暴だろうか?(もちろん、乱暴だ。)
むしろ、世代差なのだろうか?(多少はそれもあるはずだ。)
でもまあ、結局は、単なる好み、あるいは、出会うタイミング、等等からくるものなのだろう。僕と同世代のおっさんでも、上にあげたバンド(のいくつか)を「愛聴」してきた方も大勢いらっしゃるだろうし。
ともかく、仮にグランジがメタルの進化形だとしても、それは僕にとっての「俺(たち)のメタル」ではない、そう感じて避けてきたのだ。

その苦手・不得手な対象に、今回、このブログを書くためにぶつかってみたのであった。
ヘヴィ・メタルの「通史」(進化史)の上でBABYMETALを考える、というのが、このブログのそもそもの指針なのだから、苦い汁でも飲んでみなくてはならない、大袈裟にいえばそんな覚悟で、『M・E』第7回を観、BABYMETALと突き合わせて考え、その上でまた観直す、ということを何度か繰り返してみた。
結果として、それなりの実りはあったと思う。
グランジと併せて考えることで、自分なりに、BABYMETALについて改めていろいろと発見・納得できたのだ。
その実りを、今回ここに記してみる。

まず、
BABYMETALはグランジか?
と問われて、Yes、と答える人はほとんどいないだろう。
そう、もちろんBABYMETALはグランジではない

では、その、BABYMETALがグランジではないということの内実とは何なのか?
それを考えることは、BABYMETALとは何か?をグランジという角度から逆照射することでもあろう。
(しかし、意外なことに、番組のこの回を見終わって感じたのは、グランジとBABYMETALの(より深層における)共通性でもあったのだ。後述。)

それ以前に、
果たして、グランジはメタルなのか?
そもそも、グランジとは何か?
メタル・エボリューション第7回は、そうした問いからはじまる。

グランジはメタルなのか?
メタルの進化史にグランジが果たしてきた役割があるとすればそれは何なのか?
逆に、グランジのミュージシャンは、自分たちをメタルと位置づけているのか?

そうした問いに対しての、番組内での、グランジ・ミュージシャンたちの発言をまとめるならば、グランジとは、とりわけヘア・メタル(”なぜか”日本ではLAメタルという呼称が定着しているが、この「メタル・エヴォリューション」では、ヘア・メタルあるいはグラム・メタルという呼び方がされている。確かにその方が”性質”の謂いになっているからより”正確”であろう。おそらくBURRN!誌に発するであろう「LAメタル」という呼び方にいまさら異を唱えようとなどとは思っていないが、このブログでは今後もヘア・メタルあるいはグラム・メタルと呼ぶことにする)に対するアンチテーゼとして出現したものだ

しかし、音楽スタイルは、明らかにメタルの先人たちの影響を受けてもいる。実際に、何人もの口から、影響を受けたバンドとして、アイアン・メイデンやヴァン・ヘイレンやモーターヘッド等の名前があがっていた。グランジも、ヘヴィであることを核心にした音楽、ではあるのだ。(そうでなければ、『メタル・エヴォリューション』にグランジなるものが登場してくるはずもないのだから、これは当たり前の話だが)。

では、その、アンチテーゼとはどういうことか?

それは、例えば、「メタルにありがちな超絶テクニック」への反感だ。
ヘヴィ・メタルは常にテクニック至上主義があったんだ。下品な露出狂めいた傾向があった。
とか、
(当時のメタルには)派手派手しいケバケバしい要素があった。それに対してグランジのバンドはストレートな表現を志していた。火炎噴射もなければ大量のマーシャル・アンプを並べたり、巨大なドラム・キットもない。音楽的な才能はどうであれ、機能としての音楽がそこにあった
とか、語られている。

そうした、ヘヴィ・メタルの持つある種の装飾性(悪く言えば虚飾性)への反抗として、より「知的」な「ストレートな表現」を志向した音楽、それがグランジだと定義してもよいだろう。
(その「ストレートな表現」とは、音楽的に言えばパンクとの融合ということになる)

例えば、サウンド・ガーデンのキム・セイルは
当時ファッションとされていたのは(ラットの「派手」なメンバーの写真が映る)若い女子向けな髪型とか音楽だったんだ。(ヘヴィはヘヴィだったけど・・・)あんなチャラい音はまるでパートリッジ・ファミリーさ
なんて言うし、他にも、
退廃的で自堕落でのノータリンの体育会系な音楽なんて、まともな人達には通用しなかったのよ
とか、
俺たちにしてみれば、あいつらのヘアスプレー音楽はジョークでしかなかった。大バカ用の音楽だね
なんて言葉が、様々なグランジ・ミュージシャン達の口から出る。

ひどい言われようだが、でも、まあ、よくわかる。それはそうだ。
今から振り返るとなおさらだが、「LAメタル」全盛の当時であってさえ、僕もヘア・メタル・バンドを「愛聴」することなんてなかったし、そうした嫌悪感は感じていた。

さて、では、
BABYMETALは、グランジか?それともグランジが否定しようとしたヘア・メタルか?
と二択式で問うならば、
明らかに、ヘア・メタル側に入ると答えなければならないはずだ。
例えば、「超絶テクニック」が大きな魅力の一つであり、「火炎噴射・大量のマーシャルアンプ・巨大なドラムキット」的な演出は(初期に比べればかなり減衰してきたともいえるが、それでもやはり)ふんだんである。
だいいち、ステージ上で可愛い女の子3人が高速激音にのって歌い・踊りまくる(これがBABYMETALの「本質」だ)なんて、「チャラい」といえばこんなチャラいものはないとも言えよう。

だから、BABYMETALはその音楽性・演出面においてグランジとは対極にあるというべきなのだが、しかし、もっと俯瞰して眺めるならば、意外な共通性もある、ということを、この回全体を通して観て、痛感した。今までもそれなりにわかっていたことであったのだが、グランジと比較対照しながら考えることで、それが鮮明になったのである。(今回の探究の「実り」だ)。

<共通性その1>
これは以前の回でも触れたことではあるが、
このシリーズの制作過程でわかったことは、音楽が誕生するには発祥の都市に理由があることだ。60年代にメタルが誕生したバーミンガムから80年代のベイエリアまで。・・・シアトルはどのようにしてグランジを生むことになったのだろうか
とサム・ダンも語るような、
音楽性の本質と発祥地との極めて深い関わり(必然性)、だ。

シアトル。この街だからこそ、グランジが誕生した

何人かがシアトルについてこう語る。
天候や経済かな。低賃金の仕事。とにかくシアトルはやることがない上に雨が多くて退屈なんだ。
シアトルは貝の中に住んでいるかのように湿っているんだ。未成年の飲酒が多発していたな。・・・ついでに成人の飲酒もな
シアトルには飛行機を作ったり木を伐採したりというブルー・カラーな伝統が元々あった。だからハード・ロックやメタルは割と受け入れられやすかった。シアトルは学生の町でもあったから80年代にはホワイト・カラーであるヤッピーもいて、ハード・ロックやメタル好きな労働者とパンクやアンダーグラウンドが好きな学生がいることによってグランジができたんだ。小さな町で全く異なった音楽が融合したんだ。

これは、シアトルの街の雰囲気・たたずまいを語っているのだが、確かに、これはそのままグランジという音楽のもつ冷ややかな空気感の謂にもなっている。

ここの発生の論理は、まったくそのままBABYMETALに置き換えることができる。

日本、とりわけ、東京だったからこそ、可愛いアイドルとメタルの融合、などという馬鹿げたものがとんでもない高次元において生れたのだ
(これは、例えば、オフィシャルのトレーラー「BABYMETAL - My First HEAVY METAL in TOKYO 2012」で、BABYMETAL陣営自身が宣言していることでもある)。

余談だが、だから、LAメタルなんて呼称を考え出した(とは、勝手な憶測だが・・・)BURRN!誌は、本来、いわば「東京メタル」とでも称してBABYMETALを新しいメタルのかたちとして取り上げるべきなのだ。海外のバンドではないから、などといって取り上げ(られ)ないのは、実に頓珍漢な自縄自縛の事態であろう。まあ、ごく近いうちに、必ず「回心」してくれるはずだ、と僕は信じ、その日を楽しみにしているのだが。


<共通性その2>
なぜグランジという”新しい”音楽が生まれたのか?について、番組内にこんな語りがあった。
それでヘア・メタル・バンドが潰れるならどうぞどうぞ。実際潰していたからね。
レコード会社はひどい音楽を送り出し、自分自身を隅っこに追い詰めていた。まともで聴き心地の良い音楽を探していたんだと思うよ。まともな人間が作る、感情のこもったー、そして少しばかりのオリジナル性がある音楽を求めていたんだ

そう、単に、異質なものを融合して、魅力的・刺激的な「新商品」を造り上げた、というのではない、「まともな音楽」という意味での新しさ、だ。
僕たちメタルヘッズがBABYMETALに夢中になるのは、まさにそこに(も)核心があるのではないか。
これが、今回、グランジの考察のなかで、改めてBABYMETALについて認識したことである。

それにしても、改めて考えてみれば、これは何とも凄いことだ。
まさに「AWESOME!」としか言いようがない。
だって、美少女アイドルの歌や高速ダンスと融合させることで、沈滞していたメタルを「まとも」にする、って!

今や、BABYMETALが確かな「実績」を積み重ねているから、「そういうこともある」とか「みんな考えてはいたんだ」なんて感じたり言ったりしてしまうかもしれないけれど、BABYMETAL出現以前に、こんな馬鹿げた、与太な文言は、誰も受け入れないどころか、そもそも、思いつきもしないし、ましてや、実際に、膨大な人と時間とお金と手間をかけて実行しよう、なんてするはずもない。

重要なのは、それが、単に、奇抜なアイディア商品、というのではなく、「まともな音楽」を真摯に実現しようとし続けている、ということなのだ。

先日の、FM802 REDNIQS出演の最後に、SU-METALが、いつもの「アイドルでもメタルでもなくBABYMETAL」という台詞の前に「アイドルでもメタルでもあり」と付け加えていたのが個人的にはとても印象的だった。

最終的な目標として、私たちはアイドルでもメタルでもあり、アイドルでもメタルでもない、新しいジャンル、BABYMETALっていう新しいジャンルを作りたいと思っていて、これからも自分たちの信じる道を進んでいく、のみかな、って思っています。

ああ、いつものあれだな、とか、KOBAMETALが書いた文言をそのまま喋ってるだけだ、なんて思った方もいるかもしれないが、僕はそうは思わない。
これは、(もちろん、方向性はFOXGODから与えられたものだろうが)SU-METALの心からの本音だと思う。
昨年末放映の『BABYMETAL現象』の収録からも約1年、ワールドツアーも2年目を迎え、さまざまなフェスにも参戦しながら、他のヘヴィ・メタル・バンド等と自分たちの違い、つまりBABYMETALの独自性をSU-METALじしんが肌で感じたからこそ出てきた言葉だろう。

他のバンドとは異なる「ウケ方」、それが自分たちが「美少女アイドル」であることから来る、ということを各地での歴戦を重ねながら(「ミュンヘン事変」も含めて)ひしひしと体感しただろう。
最新の、ギミチョコ!!での3人で顔を寄せての「シンギーン!」なども、そうした自己認識の深化からきた、パフォーマンスの深化・先鋭化だろう。

話は少し逸れるが、馴染みのなかったグランジ・バンドのなかで、例外的に、クリードだけは、今までも僕が「愛聴」に近い聴き方をしてきたバンドだった。
のだが、番組後半で「グランジ第二世代」として取り上げられ、グランジ第一世代のミュージシャンからも評論家からも、
「嫌いだったな。独創性がまったくないのが頭にくるんだよ」
「詐欺師バンド」
「ただの猿マネだよな」
「まるっきり凡庸だった」
「作為的なラジオ受けのいいイミテーションだ」
「レコード会社の思惑・・・少しばかりの苦悩感とメロディが書けるバンドを探そう、あまり挑戦的なものでなく、大衆に受け入れてもらえるものをやってみようってね」
等々、ひどい言われようであった。
・・・確かに、このように批判されるのはわかる。でも、いい曲はあると思うけど・・・。
でも、その「いい曲」という甘口が批判されているのだ、と言うことを痛感したのだ。

そう、上で触れた、「まともな音楽」と「いい曲」(ヒットする曲・大衆にウケる曲)とは違う、ということだ。
簡単に言えば、それがロック・ミュージックであり、ヘヴィ・メタルである以上、何らかの「なんじゃ、こりゃ!」的な衝撃・異質感を持っていなければならない(持ち続けなければならない)ということだ。

ヘヴィメタル然としたヘヴィメタルが、いかにもヘヴィメタルであるがゆえに「ヘヴィ」でも「メタル」でもないという自家中毒的な逆説。

アイアン・メイデンの先日リリースされた新譜にも、残念ながら、僕はそうしたものを感じてしまった。いかにもメイデンらしい重厚な楽曲が続く、「おう!これがメイデンだ!」と思いながら、3回ほど聴いた後ではもう、「聴きたい!」という燃えるような思いを持たせてくれる魅力が褪せてしまったように感じてしまったのだ。ひと言でいえば、安心感はあるけれども、裏切りがない。なさすぎる。(新譜がお気に入りの方、ごめんなさい。個人的見解です)。

BABYMETALが「まともな音楽」だというのは、そうしたヘヴィメタルがヘヴィメタルであるがゆえにもつその退屈さ(あくまでも個人的な、でも正直な実感です)を吹き飛ばす、「なんじゃこりゃ!」を常に伴っている、ということだ
異端、異形だからこそ、ヘヴィメタルとして(広く言えばロックミュージックとして、あるいは音楽として、あるいはエンタテイメントとして)「まとも」だ、ということ。
これもまた大きな逆説だろう。


<共通性その3>
『M・E』の、他の回と同じように、グランジをめぐるこの回でも、新しく生まれたムーヴメントが、次第に(あるいはあるきっかけで急激に)認知・支持され、やがてメジャーレーベルと契約し、人気が大規模に爆発し、「商品」として売れまくり、そして、やがて干からび衰退していく、という、その「盛衰」ぶりが語られる。

1994年のカート・コベインの自殺は、グランジ衰退の象徴ではあっても、原因ではなかったと。
実際にカートの自殺はシアトルのシーン、そしてグランジの進化にどのような影響を与えたのだろうか?
カートが自殺した時には、すでにグランジもピークを過ぎていたから、残っていたのは商業的に活動をしていて、大手のレコード会社に所属していたバンドだけだったよ。90年代のビジネス・プランにのっとった活動をしているものだけ。オリジナルの源泉はとっくに干上がっていたんだ。
もうその頃のバンドは楽しむために音楽を演奏してなかった。大手のレコード会社と契約をしてお金儲けをするためにシアトルに集まっていた。もうシアトルのシーンは様変わりしていたんだ

このあたりも、まさに『メタル・エヴォリューション』、すなわち、進化の機微だろう。

このグランジさえも免れなかった衰退を鑑みたときに、気づくのは、
いかに(爆発的にヒットして「消化されつくす」ことなしに)長く鮮度を保ち続ける、音楽的な「意味」を保ったユニット、刺激的な存在であり続けるか?
KOBAMETALを中心にしたBABYMETAL陣営の「戦略」は、すでにその次元を見すえているようだ、ということだ。
(だから、「こうすればもっと売れるのに、それをしない陣営はアホだ」といったファンの発言こそ、とんでもなく的外れだ、というべきなのだろう。メタル進化史のうえに累々と積み重なる「屍」を見よ!)

いかに地盤をしっかり固めるか?

世界的にファンがじわじわ増えつつある今だからこそ、そこを見ている気がする。

今回のテーマとは直接関係はないが、黒ミサⅡでKOBAMETALの姿を(2~3曲の演奏中に)眼前1mくらいのところで見た(おかげでCMIYCでの3姫がよく見えなかった・・・)ことは少し書いたことがあるが、そのときの彼の姿は、率直に言って、「怖い」というものだった。

まったく首を振ったり身体を揺らしたりすることなく、両耳にイヤフォンを挿してじっと聴きながら、ステージと熱狂する観客席を冷静に厳しく観察している、そんな風に見えた。
(まあ、逆に、KOBAMETALが観客と一緒にノリノリで、笑顔で「キンキラリーン!」なんてはじけて跳ねていたりしたら、もうBABYMETALも終わりだろうが。)
だから、冷静に「仕事」をするのは当然といえば当然なのだが、冷徹ともいうべきたたずまいの「怖さ」に、今落ち着いて考えると、安心を感じるのだ。

おそらく、KOBAMETALも想定していなかった早さと大きさでBABYMETALの人気は世界規模の広がりを進めている。(というか、こんな奇妙なユニットが、こんなに受け入れられるなんて、誰ひとり想像できるはずがない)。
だからこそ、その広がりに、きちんと根を据える営み、それを、Zeppツアーや、ツタヤのレンタルや、(マイナーな)ラジオやテレビの情報番組のみの露出、というかたちで行なっているのかもしれない。

BABYMETALの「メタル・レジスタンス」は、すでにそうした次元に入りつつあるのではないだろうか。つまり、「上を向いて歩こう」ではなく、「地面を見て、確かな足跡を深い地層にまでくっきりとつけよう」という次元に。

いま、国内「ドーム」ツアーなんてやったら、(地方では完売にならないかもしれない、という心配などでは全くなく、逆に)、そこで消費されてしまう。そうした「怖れ」を感じているのかもしれない。そして、それは、今回の『M・E』を観ても、実に「正しい」姿勢だと思う。
もちろん、いくらそうした営みを重ねても、人気が爆発し、「消化」されてしまうかもしれない。しかし、できる限りの杭は打っておくべきだろう。

それは、もちろんビジネスとしての長期戦略である。
しかし、それはまた、BABYMETALという異形でありながら(あるからこその)とんでもない「逸材」をプロデュースすることにおけるメタル界(を超えたロック界、音楽界、エンタテイメント界)に対する使命感・責任感、でもあるはずだ。

こんなとんでもない3人が揃い、そして、こんなに見事にすくすく成長するなんて、奇跡としかいいようのない、空前絶後のこと、もう二度と起こりえないことである。
それは(言うまでもなく)、僕たちファン以上に、関係者皆がわかりすぎるくらいわかっていることなのだから。

初期の設定のような「少女期のみのユニットだから、もうすぐ解散…かもしれません」といった儚さをまとわせつつ、華々しく咲き・散る(だろう)、というコンセプトならば、プロデュースもずっとずっとたやすかっただろう。楽しかっただろう。

しかし、今のBABYMETALは、(永遠などということはありえないにせよ、しかし)覚悟としては永遠に刺激的(音楽的な意味をもった)な「生きた」ユニットでありつづける、そんな役割を果たすこと、それを目指しつつある。SU-METALの前述の宣言にもそれが表れている。
そこまで辿りつくためには、今なにをすべきなのか。
そんな「壮大な」考えで、いま動いているのだ。

最後はまったくグランジとは関係のない感慨になってしまったが、しかし、グランジの盛衰を観たからこその、実感である。
それほど頓珍漢なことを語ったのではないはずだ。

BABYMETAL探究(『INTRODUCING BABYMETAL』 を視聴して)

2015-09-19 00:57:15 | babymetal
ああ、Zeppツアー、実に楽しそうで、うらやましい!

まさに、まさに、垂・涎。

京都に在住しているのだが、仕事で毎週水・木曜日には大阪に行き、よる10時くらいまで働いているのだ。だから、今回の「BABYMETAL WORLD TOUR 2015 in JAPAN」なんば公演2Daysも、眼の前にまでBABYMETALが来ているというのに、仕事のために抽選に応募することもできなかったのだ。
ぐぬぬ。
昨日、一昨日も、仕事先から「Zeppなんば」なんてすぐ鼻の先で、昨日などは、地下鉄「なんば駅」で乗り換えさえしたのだ。そのもどかしさよ!
夜、仕事しながらも、時計をちらっと見て、「ああ、もう夜7時半、いよいよはじまるころだな」と思ったりしていたのである。
深夜に帰宅してから、皆さんのライヴ参加感想などを読んで、こちらまで半ばうっとりしつつ、歯ぎしりをしているのである。

楽しかっただろうなあ。
いいなあ。

で、その鬱憤を晴らすべく、ツタヤで『INTRODUCING BABYMETAL』 を借りてきた(し、ええい、と、Dr.Martens の8eyeBootsまで買ってしまったぞ!)のである。

今回は、それについての感想を(もちろん靴の話などしませんが)。

一時、「すわ、新曲の入ったミニアルバム?」なんて話題になった企画盤だが、音盤も映像盤も全て既発売のものであり、ツタヤのレンタルのみだから、すでにファンで音盤・映像盤を所有している人間にはいわば無用のもの、なのだが、
「ひょっとして、サプライズ音源とか映像とかが、こっそり収録されているのでは?」
なんて思って、ツタヤに足を運び、借りてきたのである。

京都は(京都も)まだまだBABYMETALの認知度は低い、と思う。
一時期、視聴できるコーナーのあったタワーレコードでさえ、今や「どこに売ってるの?」という扱われ方である。JEUGIAには、2Fの角っこにまだミニ・コーナーがある(『ヘドバン』の在庫も充実している)。先日ふらっと寄った時には、西欧人らしき若い男性2人が角っこのコーナーでDVDを手に取ってニヤニヤしながら何か語りあっていた。

自宅近所のツタヤにも、CD大賞の小さなPOPが貼ってあったりしたが、ほとんどおざなりである。
それよりも例えば「ゲスの極み乙女。」の方が断然大きな扱いなのだが、まあ、それはそうだろう、と納得はしている。BABYMETALのアルバムなんて、スタジオ盤と「RED NIGHT」2枚しかないし、レンタルする層なんて、ツタヤを訪れる客のなかのごくごくごくごく一部だろうし。

ところが、今度の『INTRODUCING BABYMETAL』は、ぱっと見てすぐわかる新譜コーナーに、10枚ほど並んでいるではないか!
驚きつつ、1枚を手に取りレジへと歩きながら、ドキドキしていた。
何やら、「本気」を感じたのだ。
ツタヤの、ではなく、BABYMETAL陣営の「本気」を、である。

ビジネスの裏側の事情はわからないから、これは勝手な素人考えだが、「なるほど、国内でのBABYMETALのプロモートは、こういうカタチで行くのか」と、勝手にうなずいた、のである。

プロモーションとして、手っとり早くて効果があるのは、何といってもテレビ出演だろう。
実際に、昨年のNHKの『BABYMETAL現象』によって多くの(?)ファンを獲得したようだし、個人的には「黒歴史」という印象をぬぐえない年末のMステでも、SU-METALの歌声に打たれてファンになった人も少なからずいたようだし。
幕張で”新たな調べ”に打たれた時も、「これでお茶の間を制覇だ!」なんて興奮していたのだが、BABYMETAL陣営が目指しているのは、もっと地味で・確かな基盤づくりなのだ。

今回の、この、レンタルCDの棚に並べて誰かが手にとってくれるのをじっと待つ、というのは、テレビに出て認知度を上げるというスタイルとは真逆のものであろう。
(ZEPPツアーという、今の人気からは信じられない小箱でのツアーというのも、何か、似た匂いがする)。

昨年以上に、国内では、ファンの「数」よりもファンの「強度」の重視というか、「音楽として聴いて・観て本気で好きになってくれる人をじわじわ増やす」という戦略をとっているように感じたのだ。

さて、『INTRODUCING BABYMETAL』の中身であるが、「音盤」と「映像盤」の2枚組である。

① 音盤
ひょっとして、新録など、ひそかに混じっているのでは?と妄想もあったのだが、完全にスタジオアルバムからの抜粋である。

1.メギツネ
2.ギミチョコ!!
3.いいね!
4.ド・キ・ド・キ☆モーニング
5.ヘドバンギャー!!
6.イジメ、ダメ、ゼッタイ

通して聴いたが、さすがに、さんざん聴き倒した音源だから、特に感想はなく、むしろ、「平板さ」を感じてしまった。(後述するが、映像盤には独特の「ワクワク」を感じることができた。)

逆に言えば、上記以外の楽曲によって、1stアルバム『BABYMETAL』の魅力的な「起伏」が生まれていたのだ、ということを再確認した。

1. BABYMETAL DEATH
2. メギツネ
3. ギミチョコ!!
4. いいね!
5. 紅月-アカツキ-
6. ド・キ・ド・キ☆モーニング
7. おねだり大作戦
8. 4の歌
9. ウ・キ・ウ・キ★ミッドナイト
10. Catch me if you can
11.悪夢の輪舞曲

12.ヘドバンギャー! !
13.イジメ、ダメ、ゼッタイ

個人的には、なんと言っても、「紅月」だ。
そして、BLACK BABYMETALの2曲。
いや、何はさておき、オープニングの「BABYMETAL DEATH」。
なんじゃこりゃ、の体現である「CMIYC」。

って、挙げていけばきりがない。

あらためて、アルバム『BABYMETAL』に収められた”調べ”群の、”必要にして十分”の凄みを感じたのである。
もちろん、この『INTRODUCING BABYMETAL』 の音盤に収録された6曲は(インディーズ時代も含めて)シングルにもなったようないわばBABYMETALの「顔」「名刺」がずらりと並んでいるのであり、BABYMETALの<INTRODUCING>として、ふさわしい楽曲群であることは言うまでもない(これら6曲を外しては『INTRODUCING BABYMETAL』にならない)。
しかし、これらを中心としながらも、極北(BMDやCMIYC)も極南(4の歌、おねだり)も、そしてど真ん中(アカツキ)も、渾然となっているのがアルバム『BABYMETAL』の濃厚さであり衝撃力であったのだ。

結論としては、この『INTRODUCING BABYMETAL』 においての、①音盤は、いわば「アリバイ」である、というのが僕の個人的な感想である。

つまり、ツタヤでレンタル商品として置き、何かのきっかけで未来のファンに手に取ってもらうためには、<音楽CD>である必要があり、そのための「資格」を得るためのものとしてこのラインナップが選ばれたのだ、と。

そして、そのこととは直接関係ないことだが、『INTRODUCING BABYMETAL』のパッケージの素っ気なさというかストイックさというか、それはいつものとおりである。
BABYMETALのロゴと、アルバム名と、収録曲名と、あとは、例の「BABYMETAL are SU-METAL(Vocal,Dance)…」があるだけ。
写真もないし、歌詞カードも入っていない。
見た人を惹きつける、神々しい写真、カッコいい写真、はいくらでもあるはずだが、全くそれらを封印したパッケージだ。そこに、上に述べた「本気」を感じるのである。
テレビに出ない、ということと、超絶的に魅力的なビジュアルを封印して棚に並んでいる、ということとは、同じ線上にある。

歯に衣着せぬ言い方をするなら、「バカは寄ってくるな」ということだろう。(僕ももう完全にバカの中のバカだ。靴まで3姫と揃えたくなってたまらなくなり、しかも、同じモデルでもないのに買ってしまうのだから。…まあ、それはそれとして)。上っ面だけで吸い寄せられる浅いファンはいらない、ということか。

名前だけは聞いたことがあるような気がするし、ちょっと借りてみようかな、よくわからないけれど、という人間(例えば、音楽好きの男子高校生)とかが、音盤を聴いたりダビングしたりした後で、「せっかく付いているし、返す前にDVDも観ておこうか」なんて観はじめた時、電撃的ショックを受ける。

そんな「蟻地獄」的な仕掛けを、この『INTRODUCING BABYMETAL』は蔵しているように思われる。

だから、『INTRODUCING BABYMETAL』の本領は、②映像盤のDVDにこそあるのだ。

「赤い夜」から
1.メギツネ
2.紅月
「黒い夜」から
3.4の歌
4.ヘドバンギャー!!
「Forum」から
5.BABYMETAL DEATH
6.ド・キ・ド・キ☆モーニング
「Brixton」から
7.ギミチョコ!!
8.イジメ、ダメ、ゼッタイ

これは…、堕ちる。

いまのオッサンの僕はもちろんだが、そうではなく、30年以上前の若かりし日の、例えば男子高校生だった僕でもこの映像は「何だこれ!BABYMETALって、かっこいいやん!なんでBURRN!に載ってないんだろう?」なんて思わせる、とてつもない即効性がある。

武道館とロンドンの映像盤から、各2曲ずつ、計8曲のラインナップである。
時系列、つまり、<赤い夜→黒い夜→FORUM→BRIXTON>を守りつつ、各2曲ずつで、BABYMETALの魅力を”正しく”初心者に伝える
さて、どんな抜粋の仕方がよいのか?
試しに皆さん考えてみてはいかがだろうか?
僕も、いろいろと考えてみた。
そうすると、このラインナップ・順番が、かなり「必然」「絶対」であるように思えるのである。

1曲目は、「BABYMETAL DEATH」か「メギツネ」かであろう。
Zeppなんばでは2日間とも「いいね!」スタートというサプライズ(ナマで体験できた方は、”一生の自慢”ですよ、これ!…いいなあ!)だったが、 『INTRODUCING BABYMETAL』としては、このどちらかでしかありえない。

そして、「赤い夜」の実際のオープニングが「メギツネ」だったこと、そして、「BABYMETAL DEATH」の5での衝撃力(後述)から考えて、ここは「メギツネ」が正解である。
「き~つ~ね~、き~つ~ね~」のSU-METALの声のリフレインに乗って浮かび上がってくる巨大魔法陣セットの、幻想的な世界観。
赤を基調としたライティングの中、「BABYMETAL」フード付マントタオルを羽織って浮かびあがる3姫。
ぐるりを取り囲んだ武道館の観客のペンライト等の揺れも、「登場」にふさわしい幻想的雰囲気を増している。
そして、マントを脱ぎ捨てた3姫の可愛さ・美しさ。踊りのキレのよさ、激しさ。
メタルヘッズ高校生であった僕が見ても、鳥肌を立てて「すげえ!」、というであろう演奏と映像が続く。

そして、2曲目が、「紅月」!。
借りてきて、曲目とか観ないようにして(初めて遭遇する人の気持ちにできるだけ近づこうと思って)、「メギツネ」が終って、さあ、次は何かな…と待っていたときに、”あの”ピアノのイントロが流れてきて、「おう!」とゾクゾクした。
実際の単独ライヴでは、2曲目に「紅月」はありえない。YUI・MOAの休憩タイムでもある、というこの曲の「裏の機能」が発揮できないからだ。
しかし、日本人ならば(とりわけメロ・スピ好きならば)好きにならないわけのないこの曲を、ここで出すのは、(音盤には収録されていないからこそ、いっそう)アリ、だ。
3曲目の「4の歌」とのバランスを考えると、2曲目に「紅月」が来る必然性がいっそう首肯できる。

「4の歌」。
この曲単体の評価ならば、僕は、「赤い夜」バージョンの方を好む。端的に言えば、「黒い夜」のシスター・ボーンが邪魔なのだ(ごめんなさい!)。アイドルの後ろで、プロのダンサーが何人も踊る、というのは、よく目にする絵である。この”調べ”の、とんでもない「可愛さ=凶悪さ」(この曲こそ、世界中で空前絶後・唯一無二、まさに、オンリー・ワンだろう)は、「赤い夜」のYUI・MOAふたりによる初公開映像こそが、本領だと思うからである。

しかし、では、2.「4の歌」(「赤い夜」より)→3.「紅月」(「黒い夜」より)ではどうか?と言えば、これは明らかに順序がおかしい。
「メギツネ」の後に「紅月」のホンモノ感があるからこそ、次の「4の歌」が正しく機能するのであって、「メギツネ」→「4の歌」ではキワモノすぎる。

だから、『INTRODUCING BABYMETAL』の通り、2.紅月(「紅い夜」)→3.4の歌(「黒い夜」)で正解なのである。
なお、ロンドン2公演での「4の歌」は、YUI・MOAの「煽り」(それに必死に応えるおっさんメタルヘッズたちのよん!よん!)がないために、衝撃度は「赤い夜」「黒い夜」にぐっと劣ると思う。

そして、4.ヘドバンギャー!!。
まさか「赤い夜」バージョンを使うわけはないのだが、あの「ヘドバン・ヘドバン」や「バンバン・バ・バーン」や、YUI・MOAのジャンプは映像として是非観てもらわなければならない。
さらに、この「黒い夜」バージョンには、YUI・MOAの「煽り」がある。
Scream とは、単に合いの手だけではなく、このバージョンでの「もっと!」「聞こえないよ~!」「もっと、出せるでしょ~!」の叫びも含めてだろう。

「4の歌」と連続しての、「ヘドバンギャー!!」でのYUI・MOAの煽り!!その濃さを堪能させる2連チャンだ。

ようこそ、みなさん。そうなんです。この濃厚さがBABYMETALのライヴ、なんDEATH!

おまけに、このバージョンの最後には、せりあがってきた「あの銅鑼を鳴らすのはあなた」のパフォーマンスまである。
何と濃いことよ!
大団円、というべき、「演」奏をたっぷり味わい、前半終了である。

ここまで4曲で、23分余り。

そして、凄いのは、何といっても次の5.「BABYMETAL DEATH」だ

1~4の、(後半と比べると)武道館でのライヴの、美しさ・上品さが感じられるパフォーマンスに対し、よりヘヴィメタルの凶悪度が剥き出しに突き刺さる轟音・爆音の楽曲!
しかも、観客のロンドンっ子(だけでもないけど、印象としてはそうだ)の熱狂!

実際のライヴでも、アンコールの幕開けにも何度か使われた”調べ”だから、「BABYMETAL DEATH」がここに来るのは違和感がないどころか、いよいよ、二段目のロケット・エンジンが噴射されたかのような推進力を感じる。

高校生メタルヘッズだった僕ならば、「4の歌」「ヘドバンギャー!!」で頭に浮かんだ(でも、名曲「紅月」への信頼でまだ観つづけている)「???」が、この「BABYMETAL DEATH」」で完全に払拭されるはずだ。

そのうえで、6.ド・キ・ド・キ☆モーニング、7.ギミチョコ!!である。

もしも、音盤を先に聴いていたら、その印象は(いい意味で)刷新されるはずだ。
ラウド系の音色で仕上げられたウェルメイドのアイドル楽曲、にはとてもおさまらない、ライヴのグルーヴ感にあふれた、「生バンド」の演奏のカッコよさ!
ここには、確かに「メタル魂」があるじゃないか。

ギミチョコ → ドキモ → イジメ
ドキモ → ギミチョコ → イジメ

微妙な差だが、下の方が、より納得性が高いと思うのだが、どうだろうか?
7.ギミチョコには「カモ~ン、ロンドン!」「アイ、キャーント、ヒア、ユー」「ラウダー、ラウダー」の英語煽りもあるし。「イジメ」につながるラス前にふさわしい。

最後は、もちろん、8.イジメ、ダメ、ゼッタイである。
Brixtonバージョンが最高だとは思わないが、最後がこの曲でもちろん何の文句もない。
SU-METALの英語での紙芝居も紹介され、次々と観客がサーフされ、掃きだされる熱狂が映る。

ああ、このライヴに行きたい!!!

高校生メタルヘッズだった僕でもそう思うだろう。
そんな熱い映像である。

ここまで、8曲で、計45分。
音盤が6曲で計26分なのに比べて、圧倒的な熱量・濃さの差がある。

そして、興味を惹かれて、さらに映像盤を探って観れば、神バンドの壮絶なパフォーマンスをはじめ、「まだまだこんなものじゃない」ということが痛感されるはずである。

まさに、『INTRODUCING BABYMETAL』にふさわしい、内容だと思う。

新作なので、最長で2泊3日。明日には返さなくてはならない。
ひとりでも多くの音楽ファンが、この映像盤に遭遇し、しあわせになってほしいと思う。あくまでもこれは新規のファンのためのものなのだから。


そして、

くっそー。絶対に横浜アリーナ当ててやるぞ!Dr.Martens履いて、黒ミサⅡのTシャツ着て、参戦するのだ




BABYMETAL探究(「アイドルダンス」考3)

2015-09-11 00:53:18 | babymetal
BABYMETALのライヴ、その、異常な「なんじゃ、こりゃ!」感を伴った超弩級の楽しさ。
その楽しさの秘密の核には、「振りコピ」がある。

竹中夏海は、こう語る。

振りコピはライブ会場でノッている自分を表現するための手段にもなります。「音楽にノる」という行為が、まだハードルが高いという日本人は少なくないですが、アイドルの場合は振りを真似することが盛り上がりを表現するひとつの手になるのです。
その他、アイドルのライブでよく見られるコールやMIX等にも同じことが言えますが、「目に見えて」盛り上がっている反応は、それらだけが全てではないものの、ステージに立つ側にとってもモチベーションが上がる一材料となり得ます。
『IDOL DANCE!!!』


MIXとは、注によれば、「「タイガー!ファイヤー!」などと叫ぶ、アイドルファン特有のコールの一つ。90年代からあるオタ芸の一つだがAKB以降大流行し、MIXが入る間を意識して曲が制作されることもあるほど流行した」のことだそうだ。

確かに、こうしたアイドルのライヴの要素が、BABYMETALの超弩級の楽しいライヴの片面として機能していることは、疑いようがない。

ただ、少し修正を加えるならば、「ノッている自分を表現する」という以前に、振りコピやコールやMIXという動作や発声をすることによってますます「ノる」のだ、ということ。まずそれを指摘しておく必要がある。

ヘヴィメタルのコンサートであれば、演者の演奏に合わせて、ヘッド・バンギングをしながら身体を揺する、サビを一緒に歌う、ギターソロをエアーでなぞる、等というノリ方があろう。
BABYMETALのライヴでも、まずそれらが基調である(これはメタルヘッズ的なノリ方、なのだろうから、そうしたことをしないファンもいるだろうが、僕はそのようにライヴに参加したし、今後もするはずだから、こう書く)。

例えば、多くのライヴでオープニングとなってきた「BABYMETAL DEATH」だ。
僕が参加できた2ライヴ、幕張巨大天下一メタル武道会でも、黒ミサⅡでも、これが幕開けだった。

荘厳なイントロが流れはじめ(紙芝居がはじま)る。ウォー!!という雄叫びをあげる
シンバルのカウントに続き、6連符+4分音符の、重厚な凶悪なリフがはじまる。合わせてヘッドバンギングをしながら、裏拍にヴォィ!と雄叫びを入れる。キツネサインをつきかざす。
「BABYMETAL DEATH!」「BABYMETAL DEATH!」のデス・ヴォイスと唱和し、タメの後、
(幕がある場合には、ここで幕が開き)
高速のリフがはじまる。とヘッド・バンギングも熱狂を帯びた高速になる

と、ここまでは、全くヘヴィ・メタルのライヴのノリである。

ところが、ここでステージ上の3姫が両手のキツネサインをふりかざし揺らしながら首を振っているのに同調して、当然客席の僕たちもキツネサインをふりかざし揺らしながら、より激しくヘッドバンギングするし、
「B!」「A!」「B!」「Y!」「M!」「E!」「T!」「A!」「L!」を叫びながらステージ上の3姫に合わせて両手を掲げる
これは、まさに「振りコピ」であり、「コール」「MIX」である
その後の、「DEATH!DEATH!DEATH!DEATH!」のダメジャンプも、同じく「振りコピ」「コール」「MIX」と呼ぶべきものだ。
で、「SU-METAL DEATH!」「YUIMETAL DEATH!」「MOAMETAL DEATH!」ではステージ上の3姫の姿を注視しながら、じっと耳を傾けるのだ。「アイドル」を鑑賞すべき瞬間である。
僕たちの期待に答え、3姫は、キメの台詞をチャーミングに発声しながら、いつもの魅力的なキメのポーズを決めてくれる。

と、ここまでわずか3分足らずだが、会場全体がすでにとんでもない熱狂の波にうねりくるっている。
いつものことだ。

たしかに、ここには、ヘヴィメタルのライヴの轟音・高速・過激なノリに、アイドルのライヴでの「振りコピ」「コール」「MIX」が盛り込まれていることによって、BABYMETALのライヴのとんでもない熱狂が引き起こされているのが、はっきりと見てとれる。
(ついでに何度でも書きたいのだが、『赤い夜』の「BABYMETAL DEATH」の崇高な狂乱の激情的な美しさよ!ライティングも、『LIVE IN LONDON』ほど過剰ではなく、理想的に、ステージ上の3姫の一心不乱の「演」奏に神々しい輝きを添えている)

BABYMETALのライヴにおいて、観客である僕たち(メタルヘッズ)は、ヘヴィ・メタル楽曲の高速・轟音の演奏に血をたぎらせる、といういつものヘヴィメタル・ライヴの熱狂に加えて、ステージの3姫に合わせて自分の身体を動かし雄叫びをあげることで、心身があっという間に極限にまで昂揚するのだ。
さらにさらに、周囲の「目に見える」盛り上がりと一体化することで、それは何倍にも増幅される
そう、竹内夏海のいう「ノッている自分を表現する」という「振りコピ」は、BABYMETALのライヴでは、観客どうしの相互作用としてとりわけ働くのだ。
これは、映像盤の鑑賞ではなかなか実感・体感はできない。現場に身を置いて全身で浴びてイヤというほど感じるものだ。下着まで汗でぐっしょりになり、肩でぜいぜいと息をしながら、ニヤニヤ頬の緩みが(時には涙が)止まらない、という「症状」を伴いながら。

そして、冷静に分析してみれば、「BABYMETAL DEATH」での「振りコピ」とは、呆れるほど単純であることに気づく。キツネサインで両手をV字に振り上げるだけ、両手をXに組みぴょんぴょんとびはねるだけ、なのだ。
しかし、その呆れるほど単純な「振りコピ」が、効果として、恐ろしいほどの熱狂をもたらすのである。

アイドルダンスの特徴その2:振りコピ
「真似しやすい」振付というのは、単純に簡単なダンスというだけではなく、動きがキャッチ―で、印象的であることが重要です。歌詞と振付のリンクは、そのキャッチ―な要素のひとつとも言えるでしょう。

真似しやすいという要素は、アイドルダンスの振りコピを語る上で重要な部分です。なぜなら他ジャンルのダンスに比べ、アイドルダンスを観る層は、ダンス経験のない人が圧倒的に多いからです
クラシックバレエにしろ、HIPHOPやコンテンポラリーダンスにしろ、全てのダンス公演に共通することは、客席にダンス経験者、ダンス関係者が非常に多いということです。映画のように、全くの一般層がわざわざ会場に足を運びダンスの公演を観るという感覚は、現在の日本では殆ど定着していません。そういう意味で、ダンスは残念ながらまだまだ内向きの文化といえるのでしょう。
しかし、アイドルのライヴ会場の客層はダンスの経験や知識のない一般層が殆どです。これは他ジャンルのダンスから見ると非常に革新的なことといえます。客層はダンス経験者が圧倒的に少ないにも関わらず、振りコピ文化が発展した理由は、アイドルのダンスが、少し頑張れば真似することが出来る範疇の振付だったからなのです
『IDOL DANCE!!!』


この、他ジャンルのダンスとの比較、は、僕のようなダンス素人にとって実に貴重な分析である。なるほど、こう言われてみると全くそのとおりなのだろう。
僕たちダンス未経験者、おっさんメタルヘッズが、ライヴで「振りコピ」しながら急激に絶頂に達することができるように、BABYMETALの振付はいわば「設計」されているのだ

KOBAMETALが、MIKIKOMETALに、「観客をノセる」ことを至上命題として振付を依頼していることには、いくつもの明確な証言がある。
その依頼に対するMIKIKOMETALの答えの一つが、こうした、簡単に「振りコピ」できるキャッチ―な動きによって、観客の狂乱を煽る、というものなのだ。

ただ、では、BABYMETALの振付とは、誰でもがすぐ真似できる単純なものか、といえば、もちろん全くそんなことはない。

天才美少女たち3人の、信じられないキレとスピードを備えた、超絶舞踊
それが率直な印象だろう。世界レヴェルの至高の舞踊、だ。

アイドルのダンスは、振りコピ文化が浸透しているため、ダンスを真似して貰う前提で作られた振付も多く見られます。それらは「初見で直ぐに真似出来る」振付です。これは、熱心なファンでなくともその場で直ぐに参加することができるので、とても即効性のある要素です。また、直ぐに真似出来る振付の場合、足のステップは覚えずとも手の動きだけで出来ることが多いため、スペースの狭い客席でも振りコピしやすいという利点もあります。しかし、これを安易に多用し過ぎると、今度はアイドル自身のパフォーマンスレベルを犠牲にしてしまうことがあり、諸刃の剣とも言えます。
というのも、アイドルのライブ会場では客席全ての人が振りコピをする訳ではありません。振りコピはあくまで沢山あるライブの参加の仕方のひとつであり、これだけを前提に振付を作ってしまうと、簡単な動きの繰り返しが続き、振りコピをせず、ステージ上のパフォーマンスを観たい人にとっては単調過ぎる印象になってしまいがちです。
「初見で直ぐに真似出来る振付はサジ加減ひとつで、多くの人が参加しやすい入口として「観客に歩み寄る」ための良いフックにも、「観客に媚びる」単純な動きの連続にも成り得るのです。大事なのは非・振りコピ層が観ているだけでも充分に満足できるダンスパフォーマンスと、より多くの人が参加しやすい”その場”で振りコピできるポイント、この両要素のバランスの取り方なのでしょう
『IDOL DANCE!!!』


長い引用になったが、BABYMETALの舞踊を考えるための、重要な座標軸を与えてくれる話である。
最後の「バランス」は、”メタル・ダンス・ユニット”BABYMETALの場合には、(ほどほどのところで折り合いをつける中庸としてのバランスでは全くなく)ヘヴィ・メタルの肉体的視覚的な体現としての、人間の限界をほとんど超えた高速キレキレ超絶舞踊の「演」技を本義としながら、そこに、さらに、観客のメタルヘッズたちを昂揚させ捲き込むような「仕掛け」として「振りコピ」できる単純でキャッチ―な動きや、「コール」MIXを誘発する「間」を、いくつか効果的に織り込んでいる、と言うべきだろう。

例えば、「メギツネ」
「BABYMETAL DEATH」に次ぐ、また別のオープニング曲でもあり、ライヴを爆発させることが確実な必殺技、いわば「波動砲」である。ライヴでも、ほとんど死んでしまいそうになるほど楽しいお祭りメタル楽曲であり、映像盤でも観客席が丸ごと波打っている絵をいつも見ることができる。
しかし、実は、この曲は、「振りコピ」という目で眺めると、とてもとても「振りコピ」できるようなレヴェルの舞踊ではない
ステージ上の3姫の、さながら「イングヴェイ日舞」(あるいは「インペリテリ日舞」)とでもいうべき超高速の、優雅で・可憐で・華やかな動きは、最初から最後まで目で追うのが精いっぱいであり、観客席で真似をしているおっさんなどいない。できるはずがない。
ところが、観客席の僕たちも、「ソレ!ソレ!ソレソレソレソレ!」「チキチキワッショイ!チキチキワッショイ!」「ヒラヒラワッショイ!ヒラヒラワッショイ!」「クルクルワッショイ!クルクルワッショイ!」「コンコンコン・コ・コ・コンコ・コン!」と合いの手(コール・MIX)を叫び、「ソレ!」では「振りコピ」とは言えないまでも、ステージの3姫に合わせて両腕を掲げるから、ダンスなどできないおっさんであっても、あっという間にアゲアゲに燃え上がるのである。
(それにしても、この”調べ”に乗ったYUI・MOAの超高速の「振り」って、改めて見てみても、もの凄い動きだ。映像を追いながら、涙が出てきた。やっぱり、この娘ら、とんでもない「バケモノ」だ。すげえ…。)
その後の、「いにし~え~の~」からのSU-METALの歌のところは、身体を揺すり、首を振りながら、ノル、という、いわゆる「メタルノリ」が結構長い。意外にも純メタルノリをも多く含んだ曲なのだ。一緒にこぶしを回して歌うことすらできる
そして訪れる、ブレイクダウンの、重厚な縦ノリ。当然、激しく縦ノリのヘッド・バンギングだ(まるで、アクセプトのライヴでのように)!
その後の、「ソイヤ、ソイヤ、ソイヤ、ソイヤ!」からの昂揚のクレッシェンド
そして、再度の「ソレ!ソレ!ソレソレソレソレ!」からの爆発!!!
…、冷静に分析してみると、「観客をノセる・煽る」ための急・緩・急の構成が、実に緻密に構成された”調べ”なのだ。

「BABYMETAL DEATH」の場合は、舞踊自体は全体的に「振りコピ」しやすい単純なものだ。(だから、あっという間に、会場全員が一体化するのだ)。しかし、言うまでもなく、3姫の美しさが、比類ない。(とりわけ「赤い夜」の、崇高な美しさよ…)静止しているときも、跳躍しているときも、ひたすらとんでもなく美しいのだ。
誰も真似のしようがない<素材の質の高さ>が、「振りコピ」しやすい簡単な動きを、それだけに終わらない、高次元の芸術作品たらしめている、ということだろう。

ズルい?そう、ズルいのである。
これだけ美しければ、何をしたって、誰も真似のできない高度なステージになるに決まっているのだから。(最近の、数々のインタビュー動画等を見れば明らかである。3人がニコニコしながら何かしゃべっているだけで、魅せられてしまう、のだから)

しかし、そのズルさにあぐらをかかないどころか、そのズルさをステージ上ではむしろ封印して、「非・振りコピ層が観ているだけでも充分に満足できるダンスパフォーマンス」どころか、「なんじゃ、こりゃ」と鳥肌が立ち涙が出てくるような、高速の美しい動きをこれでもか、と繰り出してくるのだから・・・。
誰も、敵うはずがない。
(そして、これは、”アイドル”BABYMETALの、ヘヴィメタルに対する畏敬・真摯さ・実直さ、のあらわれでもあろう。僕たちメタルヘッズの胸を打つのは、まずもって、ここなのだ。)


最後に、もう一つ、竹中夏海の論を引用する。

ダンサーの出るステージで「何を踊るか」「どう踊るか」が重要視されるとすれば、アイドルのステージではまず「誰が踊るか」が最も重要なのではないかと思います。これは歌についても同じことが言えるのではないでしょうか。ダンスや楽曲を自ら作る訳ではないアイドルがファンにどうメッセージを伝えていくのかといえば、それは自分自身を以て発信していくのではないかと思うのです。だからこそ技術だけではダメで、でも発信していくには技術も必要で、そうやって徐々にスキルアップしながらアイドルは自らをメッセージとしているのだと思います。
ステージ上で楽しそうにしている。周りに操られているのではなく生き生きしている。そんな子達に私自身魅かれるため、私が作る振付の中では特にそういう”余地”を多く残しています。
例えば客席だけを向いているのではなく、メンバー同士でアイコンタクトを取れるような向かい合わせになるポイントをいくつか作ります。その時に大切にしているのは決して強制はしないということです。そうした遊び心は指導されてやるものでもないと思うので、遊べそうなポイントだけ投げてみて、後はメンバーに好きにやらせてみる。
(略)
大人が仕掛けすぎたところであまり面白くならないだろうというのは、私自身がファンとして観に行ったライブの経験上、思うことです。本人達自身が「面白い」と思って自発的にやり始めたことかそうでないかくらいはファンであれば見分けられてしまうものであるからです。
『IDOL DANCE!!!』


BABYMETALはアイドルではない、という意見も「アイドル」という言葉の定義によっては肯くこともできなくもないのだが、今回考えた「振りコピ」コール・MIXを軸にするライヴの爆発的魅力や、上に掲げた引用(特に下線部!)のような意味で、BABYMETALはやはりアイドルである、と考えた方が、BABYMETALの他に類を見ない超絶的な魅力を探究するうえでは生産的であろう

アイドルとメタルの融合、それが、単なる足し算ではなく、その化学反応によって、とんでもなくありえない輝きができあがってしまった、という、いうなれば、錬金術。
これは、世界初の達成でありながらおそらくもう二度と起こらない奇跡であろう。
そう考えるならば、これからも、BABYMETALの半面である「アイドル」の側からBABYMETALを執拗にていねいに考えてみる作業は、意味のあるものになるはずである。






BABYMETAL探究(番外編~ベビメタ記念日)

2015-09-07 18:36:24 | babymetal
俵万智の『サラダ記念日』も、もう30年ほど昔になるのだが、それに倣えば、
9月8日は僕にとってのベビメタ記念日、である。
つまり、1年前のちょうど今日、BABYMETALに遭遇したのだ。

まったくの自分語りになるが、僕がBABYMETALにどうやって嵌ったか、は、皆さんが読んで苦になる話ではない、と思うので、今回はそれを綴ってみたい。
(いつも以上に気楽に読み流してください。)

9月8日、と日付がはっきりしているのは、Amazonの購入履歴で確認できるからである。

2014年9月8日 デジタルミュージックでアルバム『BABYMETAL』をダウンロード

これが、正式にBABYMETAL関連を入手した初めてだった。

そもそもの最初のきっかけは、Amazonの「この商品を買った人はこんな商品も買っています」をいくつか辿っているうちに、雑誌『ヘドバン』にたどりつき、「へえ、こんな雑誌にこんなにレビューしてる人がいるんだ…」とレビューを読みはじめたことだった。
(その段階では『ヘドバン』という雑誌があることは知っていたのだが、『BURRN!』誌に比べてうさんくさいというか、そんな先入観を持っていたため、手にとってめくってみるということもしたことはなかったのだ。当然、中の記事などまったく読んだことはない)。

『ヘドバン』のどの号のレビューだったのか、記憶は定かではない。
が、ちょうど最初のスピンオフ号が発売されたばかりだったから、その号か、あるいは第1号のどちらかだったのだろう。
ともかく、今からちょうど1年前、2014年9月7日の深夜、Amazonの『ヘドバン』をめぐるレビューにおいて僕は「BABYMETAL」という活字を生まれて初めて目にしたのである。
『ヘドバン』のレビューなのだから当然なのだが、レビュアー達が、「メタル界にBABYMETALという(素晴らしい)存在がいる」ことを前提に、様々なレビューを書いているのを読みながら、ずいぶん当惑した印象が鮮明に残っている。

これでも、メタル歴30年以上、「BURRN!」誌も最近はほとんど買うことはなくなったが、毎号必ず発売日か次の日には書店で立ち読みをし、めぼしい新作の発売情報等はチェックしていたつもりだったので、曲を聴いたことがないというのはともかく、名前も聴いたことがないバンドを、メタルヘッズ達が当然のように語っているのに、まさに「キツネにつままれた」ような気がしたのだ。

そして、レビューをいくつも読んでいるうちに、どうやら『ヘドバン』というメタル雑誌が、BABYMETALというバンドをいつも特集し大プッシュしているらしい、ということがわかってくる。レビュアーのレビューを読んでいくだけで、BABYMETALという存在をめぐる、とんでもなく熱い状況があるのだな、ということがわかってきたのだ。BABYMETALを取り上げるために『ヘドバン』という雑誌を作った、みたいな文章までも目にするに至って、(自分がまったくその存在すら知らなかったからいっそう)すでに鳥肌が立っていたと思う。
これが、9月7日の深夜であった。

で、当然、「この商品を見た後に買っているのは?」で挙げられていた、アルバム『BABYMETAL』の頁へと移動する。
でも、この段階では、まだ、BABYMETALって何なのか、さっぱりわかっていない。

アルバム名なのか、単発的なプロジェクト企画なのか、さらには、全くの先入観から、まさか洋楽バンドではなく邦楽グループだ、なんて思いもしていなかった。本当に、全く何も知らなかったのだ。『ヘドバン』のレビューには、そんな超初歩の説明なんてあるはずがないから、何にも知らない人間の素朴な実体験である。

で、アルバム『BABYMETAL』のレビューを見て、「アイドルとメタルの融合」なんだ、ということを知るのであるが、いちばんときめいたレビューが、「ホンモノのイロモノ」というNeGIZO氏のレビューだった。
今読み返しても、素晴らしいレビューだと思う。とりわけ、「メギツネ」という曲をめぐる、
しかし、幅広いジャンルのリスナーを取り込んでしまう音楽性は凄い(爆)特に「メギツネ」のピッキングハーモニクスを合図に一気に落とす極悪ブレイクダウンパートのガチ感も強烈ですね!!
とか、
例えば「メギツネ」は「さくらさくら」のような古典的な日本古謡(和の要素)も織り交ぜながら「和の要素」も前面に押し出しているのが聴いていて伝わってくるし、そういう部分が「自分達は日本のバンドなんだ!」という日本人にしか出せない(創造できない)独自の「和風メタル」サウンドに繋がっているんではないかと思った。
本場の西洋人のメタラー達に「どうじゃ!これが日本が世界に提示する和風メタルじゃ!」と言わんばかりの西洋のメタル野郎達に喧嘩を売ってる感じがして、世界に向けて「日本人を舐めたらいかんぜよ!」というメッセージ性までビンビン伝わってくる!!
特に斬新で面白いと思ったのは、あの有名な「さくらさくら」の「さくら さくら やよいの空は 見わたす限り」の優美なメロディを、そのままダウンチューニングしたギターサウンドにしてヘヴィなゴリゴリのブレイクダウンに重ねて表現してるパートは斬新すぎて鳥肌が立った!!「こんな手法があったのか!?」と!!!その斬新なアイディアに感心してしまった!!


とか、の極めて熱い煽りを読んで、すでにファンになりかけの自分がいるような陶酔感を覚える

で、すぐに、YOUTUBEに飛び、「メギツネ」のPVを観たのである。

モノクロからはじまる「和メタル」の祭りのノリ。
スタイリッシュでありながら観たことのないエネルギーの迸りを感じる画面。
とても懐かしくて、でも、とんでもなく新しい。まさに「なんじゃ、こりゃ!」
3人の女の子も、好感のもてる可愛いさ、を持っている。ちっとも「メタル風」でないことに、すごく好感をもった。YUI・MOAの(その時は、もちろん名前なんてよくわかっていない)ほんとうに自然にたのしそうなふるまいも、ヴォーカルの凛々しい少しお姉さん(SU-METALという名をきちんと知るのは翌日以降である)も、一所懸命に本気で「演」じている、と、(矛盾しているけどでもそうとしか言いようのない)何とも言えない、<上質な高さ>を感じた。
能楽堂を思わせる舞台や挟みこまれる神社等のイメージショットも、無意味なカッコつけ、ではなく、言葉にできない説得力を感じた。
そして、レビューにあったブレイクダウンや、「なめたら、いかんぜよ」というセリフ、刀マイクの刃がキラリ!遊びゴコロと、それをキラーフレーズにする、センス、演技力とでもいうべきたたずまい。(今落ち着いて考えれば、SU-METALの「声」にヤラれた、というのもたいへん大きかったはずだが、その時には、そんな冷静な分析などできるはずもない)。
これらすべてに、とてつもない「本物」感を感じて、衝撃を受けた、のである。
このころ、すでに日付が変わって、9月8日になっていたはずである。

で、たてつづけにいくつかPVを観て、「いかんいかん、仕事があるからもう寝ねば」と、またAmazonに戻って、で、とりあえず、ダウンロード版をポチリ、したのである。

この間、1時間ほどだろうか。ある意味、この歳になって、また人生が大きく転回した瞬間だったのだ。それが、2014年の9月7日から8日にかけての、深夜の出来事である。

で、8日の朝の出勤時から、『BABYMETAL』を聴きまくる日々がはじまったのである。
その日に、ヘドバン・スピンオフを買い、3日後には2号、3号を買い、でも売り切れで入手困難だった(Amazonのとんでもない値段の出品を何度も見ては悩む日々)1号の、10月の重版の知らせに狂喜し、重版発売日の前日に、ふだんは行かないHMVまで足を伸ばしてフラゲし、と、渉猟に胸を躍らせる日々もはじまったのである。

ほんとうに、『ヘドバン』様様、である。
あの日、『ヘドバン』のレビューをふらっと覗いたりしなければ、まだ僕はBABYMETALを知らなかったかもしれない。(覗いてしまえば、BABYMETALへの一本道がそこにある、ということは疑いようがないのだが。)
梅沢編集長をはじめ、熱い、そして、単なる称揚に堕すことのない、ヘヴィメタルとしてのBABYMETALの本質を剔出する、記事を書き続けているライター・スタッフの皆さんには、いくら感謝してもしきれない。

『ヘドバン』があったから、僕はBABYMETALに巡り合えたのです。
本当にありがとうございます!

以下、Amazonの購入履歴を見ると、

9月13日 LIVE ~ LEGEND 1999&1997 APOCALYPSE [Blu-ray] 購入
これは、この段階では10月末発売の予約商品である。「メギツネ」のライヴを観たくて、と思い、予約したのである。
すでに映像盤としては、LIVE~LEGEND I、D、Z APOCALYPSE~ [Blu-ray]が発売されていることはわかっていたが、「メギツネ」も収録されていないし、とそちらは余裕で見送り、1カ月半後が楽しみだな、なんて思っていたのだ。

9月17日 LIVE~LEGEND I、D、Z APOCALYPSE~ [Blu-ray] 購入
わはは。「余裕」はたった10日ほどしか持たなかったようだ。
辛抱たまらん、と、ポチッたのだ。
翌々日には届き、その日の夜中に「とりあえず今夜は最初のLEGEND Iだけ」と見始めて、気がついたら目尻に涙をにじませながら、たっぷり3時間、LEGEND Z の大団円まで見入ってしまい、外が明け白んでいたことを、これも鮮明に覚えている。
もう完全に虜である。
凄いものを観てしまった、何なんだこれは、と思いながら、夜明け前の布団に潜りこんだ余韻も忘れられない。

9月22日 BABYMETAL[BABYMETAL WORLD TOUR 2014 限定ステッカー・ジャケット仕様] 購入
止まらない。すでにアルバムはダウンロードしていたが、特典DVDが観たくてポチったのである。この時はまだ今ほど高騰してはいず、5千円ほどで買えた。
「LEGEND I、D、Z」よりも成長した、神バンドを従えてのサマソニ・ライヴ。
メンバーのコメント入りの、PV集。楽しくて仕方がない。

9月26日 メギツネ (Air vocal ver.)
      紅月-アカツキ- (Air vocal ver.)
      イジメ、ダメ、ゼッタイ (Air Vocal ver.)   購入

止まらない。カラオケヴァージョンまでダウンロードして聴きはじめたのだ。

1年前だから、まだよかった、とも言えようか。
今だったら、音盤はライヴアルバム、映像盤も、「武道館」「ロンドン」はいいにしても、ファンクラブ限定の「黒い夜」の音盤とか、限定盤「ロンドン」の幕張映像盤やライヴ音盤とか、「キツネ祭り」映像盤とか、とんでもない値段でも買ってしまっていたかもしれない。(あるいは、買えなくて、地団太ふみながら、悶悶としていただろうか)。

それにしても、あの夜から、1年。毎日聴いているし、ほぼ毎日観てもいる。

それが、日々の心の支えになっている。

SU-METALのステージでの凛々しい顔を観て、「よし、俺も自分のできる仕事を精いっぱい頑張ろう!」と鼓舞され、YUIMETAL、MOAMETALの笑顔を見て、疲れを癒され、爆音で神バンドと3姫の歌や演奏や「演」奏を聴いて心を高めながら、勤務先に向っている。

いや、ほんと、楽しい1年でした。
あっという間、でした。
(でも、BABYMETALの場合、動画とかで「過去」を追体験できますから、もう何年もファンであり続けてきたかのような錯覚を覚えますよね。)
1年のうちに、ライヴにも2回行けたし、信じられないドラマも目撃・体験できました。
新参者ですが、ほんとうに濃い1年でした。

今夜は、少しだけ贅沢に、祝杯をあげます。

次回から、またBABYMETAL「探究」を続けます。

極私的な駄文、失礼しました。


BABYMETAL探究(ニュー・アルバム考)

2015-09-05 23:19:11 | babymetal
あまり話題にはなっていないようだが、「BABYMETAL talk to Ticketmaster backstage at Reading Festival 2015」のインタビュー動画での、MOAMETALの発言が、感涙ものだった。
ジューダス・プリーストから「STAY METAL」という言葉をかけてもらった、という発言だ。
状況もニュアンスもわからないから、期待をこめた熱い言葉としてもらったのか、単に社交辞令としてかけてもらったのかはわからないが、「STAY」ということは、自分たちと同じメタルにBABYMETALがいることをジューダス・プリースト(ロブかどうかは不明)が認めている、という言葉である。

もちろん、BABYMETALはヘヴィ・メタルである。そんなことはわかりきったことだ。だからこそ、僕(たち)はこんなにも魅せられ、時間があれば僕はこうして文章を書き連ねてもいるのだ。今さら、大御所のお墨付きが必要、なんてことなど全くない。

それでも、実際に、”あの”ジューダス・プリーストが、いわば「同胞」としての言葉を3姫にかけてくれた、という事実、これは何とも感慨深いものがある。
MOAMETALは続けて、「これからも私たちはこのメタルを続けていきたいと思いました。」と言い、SU-METALの「…5年後には…」という発言へと続く(こちらは多くの人が取り上げている)のだが、さて、今後5年間の「STAY METAL」の内実は、と考えると、何とも謎めいていてワクワクさせられるのだ。

レディング・リーズ・フェス出演の結果は、(ある意味で、もはやそれがいつものことだ、というのがファンの実感でもあろうが)僕たちの予想・心配・期待をはるかに超える、「なんじゃこりゃ!」であった。
9万人の集客って!?
どうなっているのか、本当によくわからない。とんでもないことが起こったのだ。

で、そうした「なんじゃこりゃ!」を「ニュー・アルバム」に敷衍して考えてみる、というのが、今回のテーマである。

5年後、BABYMETALは何枚のアルバムを発表しているだろうか?

何と、相変わらず『BABYMETAL』1枚だけ(つまり、今後5年間「ニュー・アルバム」リリースはナシ)、ということもある、のではないか。


ただし、もちろん、作品のリリースはある。海外のレコード会社との契約等もあるだろうし。どしどし出す、のだ。
しかし、それは、ライヴ盤や映像盤であり、スタジオ盤『BABYMETAL』に少しずつ新曲が足されたりはするが、5年後にもまだ正規スタジオ盤としては1stの聖典『BABYMETAL』があるのみ、ということもあるのではないか、と僕は今思っている。
あるいは、2年後の、神バンド演奏&少し大人っぽい声になった3姫による、新曲数曲を足した再録版のリリースとか。

もちろん、そんなことはあるはずはない。

しかし、(漫画や映画を超えた)あるはずがないストーリーを次々と実現してきたBABYMETALにとって、あるはずがないことを実行(実現)することは、ありうる(実際にあった)ことなのだ。
最近の回で触れたが、「新春キツネ祭り」のライヴCDリリース、には、その予兆の匂いがするのである。今後も、(5年間!)こうしたリリースが続くのではないか、と。

これは、単にありうる可能性の想像ではなく、BABYMETALというユニットの特異性からくる、ある種の必然をめぐる考察でもある。

つまり、”ヘヴィメタル・バンド”と”メタル・ダンス・ユニット”とにおける「ニュー・アルバム」の意味の違い、
さらに突き詰めれば、
”メタル・ダンス・ユニット”BABYMETALにおける「アルバム」とは何か?という問題(他のバンドにはありえない、オンリーワンの問題)だ

映像盤「Red Night」冒頭で、KOBAMETALは、次のように宣言する。

「…漆黒の闇が紅に染まる時、キツネ様はBABYMETALに更なるパワーを与えるため、メタルの神バンドを降臨させるのである。
ギターの神。ベースの神。ドラムの神。
最強のメタル楽団は、キツネ様より与えられし大教典、”BABYMETAL”に記された”鋼鉄の調べ”を、ひとたび音が鳴り出した瞬間から止まること無く、まるで組曲のごとく奏で続けるのだ。
すなわち、MCもなければ、アンコールも無い。…」


「天下一メタル武道会」は、今年の幕張でも「巨大天下一メタル武道会」として開催されたが、それは、いわば、いちばんシンプルなBABYMETALのステージ、紙芝居等の演出を極力省いた、歌と舞踊と演奏とのみでライヴ全てを構成する、というものだ。

逆に言えば、(少なくとも日本のライヴでは)それ以前は、(フェス等は除いて)紙芝居やカヴァー曲や、といった、数々の演出によってステージが構成されていたのであり、骨バンド時代にはそうした「仕掛け」が必要だった、ということだ。

それが、この「Red Night」「Black Night」をいわば通過儀礼として、神バンドの超絶演奏を従えた歌と「演」奏のみ(もちろん、ライティングや昇り舞台などの舞台装置はあるのだが)によって、観客の狂乱を引き起こすことができる、その確信が持てるようになった、それが現実の常態になった、ということだろう。

そして、そこで演じられる”(鋼鉄の)調べ”とは、アルバム『BABYMETAL』全て(+新曲数曲)、である。

他のバンドならば、ライヴでの<アルバム完全再現>が画期的な企画になりうるが、”メタルダンスユニット”BABYMETALでは、(曲順の違いはあれ)いわばほぼ全てのライヴでいつも<アルバム完全再現>を行っているのだ。これは以前にも書いたが、BABYMETALの「アルバム」を考える上で、常に念頭においておくべきことだ。

これは、単に「量」としてまだ1stアルバム収録の楽曲しかないからそうなっている、というのではなく、本「質」としてまさにこれがBABYMETALだ、ということではないか。

例えば、先日「ニュー・アルバム」が発表されたアイアン・メイデンの現在のライヴでも、「Aces High」「Hallowed Be Thy Name」といった定番曲が演奏されないということはまずないはずだ。数多くのアルバムの数多くの楽曲の中でも、そのバンド(及び観客)にとって欠かせないいわばそのバンドのアイデンティティとも言える楽曲群がある

BABYMETALにとって、現状のレパートリーであるアルバム『BABYMETAL』の”(鋼鉄の)調べ”群(及び、「Road of Resistance」と最近では「あわだまフィーバー」、”新たな調べ「違う」”)は、<少ない持ち曲>ではなく、ぜひ観たい・聞きたい、BABYMETALのアイデンティティというべき<定番曲>なのである

いわば、アルバム『BABYMETAL』とは、その名の通り、BABYMETALそのものなのだ。だから、5年後に、その中の楽曲、例えば、「メギツネ」をやらない、とか、「ヘドバンギャー!!」をやらないとか、いうことは、考えられない(考えたくない)のだ。

ニューアルバムがありえない、という根拠を、単純に二分化すれば、次のようになる。

a.フルレンスのニューアルバムは、「演」奏できないということ(必要条件)。
b.ニューアルバムなしで、観客が満足するということ(十分条件)。


a.について言えば、”メタルダンスユニット”の肉体・体力的な限界であり、さらには、”観客をノセる”ことを第一義にしているBABYMETALのステージの質が招く、量的な限界、である。

10曲増えて、ライヴが2時間50分になり、僕たち観客が25曲をぞんぶんに堪能できるのならばともかく、それは肉体的に不可能である。
まず、演者のBABYMETALの3姫の(いくら「モンスター」であっても)体力が持たない。これは、”バンド”ではなく、身を削り、命を削って一瞬一瞬「演」奏し続ける”ダンス・ユニット”だからこその限界である。
さらに、それ以上に、観客が体力的に無理だ(これは、ライヴ体験者ならば身をもってわかっている)。本当に、死者が出る。
家で、映像を鑑賞しているのならば、何時間でもぶっ続けに観ていられるが、BABYMETALの本領であるライヴは、そんなものではない、とんでもないものなのだから。
(大変下品なたとえで申し訳ないが、「腹上死」者続出、というイメージがかなり近いかもしれない)

b.について言えば、BABYMETALのステージのとんでもない、カッコよさ、美しさ、激しさ、それらの総体としての楽しさ。それは、「いつも曲目が一緒だから、もう飽きたよ…」などといわせないものだ。
さらに、これからますますライヴに参加できる機会は少なくなる(抽選に当たる確率は低くなる)だろうから、5年後にも「ライヴに行きたい!」という吸引力を失っているなんてことはないはずだ。もちろん、何パーセントかの「飽きた」というファンは出るだろう。しかし、それ以上に、「一度でいいから(伝説の!)BABYMETALのライヴに参加してみたい」というファンが増えてゆくことは(現状では)疑いない。

それに、「成長」だ。
これも、楽器を弾く”バンド”ではなく、自らの身体で舞踊する”ダンス・ユニット”だからこそ、観客の僕たちがありありと感じることのできる、まさに他のヘヴィメタルバンドにはない、BABYMETAL独自のものだ。(もちろん、3姫の実年齢、まさに”BABY METAL”から来るものでもある)。

(どの”調べ”でもよいのだが)例えば、「おねだり大作戦」
最初期の映像作品である「LEGEND I」と、「新春キツネ祭り」とでは、これは全く別物、といってもよいほどの印象の違いがある
たどたどしく、楽曲を・振り付けをなぞる(と、これは、現在の「演」奏と比較しての後づけの評価であり、初めて観て以来今までずっと、これが「おねだり大作戦」なのだ、と魅せられ続けてきたのではあるが)という印象の「LEGEND I」のYUI・MOAの「演」奏は、だからこそある種の背徳感さえ漂う妖しい魅力のあるものだが、最新の映像盤「新春キツネ祭り」の「演」奏は、まったく別次元の高みに到達した、颯爽としたカッコよさを堪能できる。天上からのカメラ・アングルの所為もあって、YUI・MOAの舞踊のスピードを堪能できるし、「説教するなら金をくれ」のところでのMOAMETALの変顔は、この”調べ”をすっかり我が物にした余裕のカッコよささえ感じることができる
YUI・MOAの成長によってこの”調べ”が「演」じられなくなるのでは、という見解も時々目にするが、僕はむしろ、5年後の20歳を越えたYUI・MOAの「演」じる「おねだり大作戦」とは、どんな魅力を発散するものなのか、楽しみで仕方がない。

同様に、5年後の3姫の「演」奏は、どの”調べ”においても同じ”調べ”でも全く別の輝きをもった舞踊=「演」奏として、観客を魅了することは疑いようがない。

というようなことを考えてみると、BABYMETALのニュー・アルバムはありえない(無理だし、必要ない)、などという「なんじゃ、そりゃ!」という結論になるのである。

まあ、こんなことを書きながら僕も、「ニュー・アルバム」を来年の2月くらいには!、なんて思って、楽しみにしているのではある。もちろん。

でも、ニューアルバムなんて出ないまま、4月のウェンブリーを迎え、その映像作品のリリースをまたまたワクワクしながら待つ、というのが、BABYMETALの”らしい”楽しみ方のような気がする。
そこまで行けば、「STAY METAL」のBABYMETALの他に類を見ない独自の(空前絶後の)ありようというのが、よりくっきりと見えてくる、そんな気もするのだ。
さながら(というか、まさに)、「STAY BABYMETAL」なのか。