ケルベロスの基地

三本脚で立つ~思考の経路

BABYMETAL探究(『メタル・エヴォリューション』05)

2015-06-02 15:21:49 | babymetal
ずいぶん久しぶりの『M・E』考察の回になる。

特に意図や狙いがあるわけではなく、何となく行き掛かり上このような執筆の仕方になってしまっているのだが、この文章を書くために先日『M・E』第5話を観てみたところ、BABYMETALの「今」(ドイツでの受容のされ方・拒否のされ方について、等)を考える上で、何とも貴重な素材を与えてくれる回だった。逆に言えば、BABYMETALがヘヴィ・メタル進化史の最先端にいるということは、こうして、あらゆる過去のヘヴィ・メタルの栄枯盛衰・問題を「今」のものとして生き生きと含んでいる、ということなのだろう。

第5回は、「華激 グラム・メタルの甘い罠」という邦題の、グラム・メタル、ヘア・メタル、ポップ・メタルをめぐる回だ。日本での呼び方で言えば、LAメタル、だ。

冒頭、サム・ダンのこんな独白からはじまる。僕も含め、多くのメタルヘッズが(同意するかどうかは別にして)少なくとも共感はできる想いだろう。

少年時代の僕は、グラム・メタルだけはまったく我慢ならなかった。ヘア・メタルだか、ポップ・メタルだか、呼び名はどうでもいいが、僕からしたらメタルが持つべき力強さが全く感じられなかった。どのバンドもアイドル・グループで、全部レコード会社が売る為だけに作られたようにしか見えなかった。

番組内で語られる「グラム・メタル」の系譜とは、直接的な淵源としてのヴァン・ヘイレン(とりわけデイヴィッド・リー・ロス)→モトリー・クルー→クワイエット・ライオット、ウォレント、ラット、ポイズン、ドッケン等だ。
そして、その系譜はいったん完全に死んだ(今でも、懐メロ的なフェスを年に何回も行ない、生計を立てている姿が番組後半で紹介されているが、現役のシーンには何の影響も与えていない。彼らは、すでに終わった、のだ)。
だから、もちろん、BABYMETALはグラム・メタルではない。しかし、上のサム・ダン発言は、そのまま「今の」BABYMETALに向けられる代表的な言質とさえいってもよいのではないか。
つまり、「グラム・メタル(LAメタル)」の問題は、BABYMETALがまさに今「抵触」している問題なのだ
BABYMETALに対する拒否感のいくらか(何割?何パーセント?)には、80年代のグラムメタルといういわばヘヴィ・メタルの「黒歴史」への忌避、が潜在的に含まれている、とも言えるのではないだろうか。

この『メタル・エヴォリューション』第5回が、BABYMETALを考えるうえで啓発的な内容であるのは、上記のような反感をメタルヘッズとして持ちながらも、文化人類学者として「ヘヴィメタルとは何か」を考え抜こうとするサム・ダンの学術的な姿勢によるところが大きい。
サム・ダンは、上の言葉に、こう続けるのだ。

とはいえ、このスタイルもメタルの歴史を語るには欠かせないもの。だからこそこのスタイルがどう始まりメタルの進化にどのような役割を担ったのかを調べてみたいと思う。

実際には、この回の中でグラム・メタルのヘヴィ・メタル進化史における役割、というものは明言されてはいない。
むしろ、時代の流れのなかに咲いた徒花(あだばな)であり(そういう言い回しは番組内にはなかったが)、そのいわば反作用として、ガンズ・アンド・ローゼズ、ニルヴァーナの登場や、グランジという潮流を生むこととなった、という方向での位置づけがなされていて、いわば、現在から振り返るとそれを乗り越えて、次の本物の音楽が出てくるための虚栄だったという見解だ。

後述するような(今までのヘヴィメタルにはなかった)要素をもつグラムメタルは、大衆的な支持、メガ・ヒット、巨大な売り上げを誇った。そうした受容のされ方は、ヘヴィ・メタル史における特筆すべきもののひとつであり、しかし(あるいはそれゆえに)、音楽的には堕落であった。

番組中、「何百万枚もの売り上げを誇るまでの一大現象へと成長していった」という文言が出てくる。

これには、ドキッとした。
「BABYMETALはもはや現象なんだよ」なんて発言を、ファンが誇らしげに引用するのは、極めて危ういのではないか、と感じたのだ。
「現象」という言葉を、『M・E』のこの回に当て嵌めると、大衆的な支持による流行・普及の勢い、といった肯定的なニュアンスよりも、むしろ、「音楽性」との対義語として用いられている、そんなニュアンスを感じるのである。
そして、現実に、グラム・メタルは、(例えばメタリカがヘヴィメタルにもたらしたような)音楽的な影響(「進化」への貢献)をほとんど全く果たしていない。
僕は、BABYMETALは、そのビジュアル的な「演」奏(空前絶後の!)も含めた、高い音楽性を実現しているユニットだと魅了され、こんなブログを書き綴っているわけだが、「現象」という言葉で称されるグラム・メタルとのある種の共通性は、非音楽的な商業主義、とも表裏一体の危険性を孕んでいるのである。

グラム・ロックの(それ以前のヘヴィ・メタルとは異なる)際立った特徴は、次の5つだ(5つの特徴は相互に絡み合っている)。一つ一つ、BABYMETALに即して考えてみよう。

①ビジュアル重視

「ニッキ―・シックスは常にエッジの効いた禁じ手なしの演劇のようなバンドを目指していた」と語られるが、ニッキ―自身、MVで自らの身体に炎を立てたことに「音楽的にも視覚的にも常にチャレンジしていかないとね」と語る。
これは、BABYMETALとも強く共通する要素だ。

② プロデューサー(制作側)のコントロール

ビルボードのアルバム・チャート1位を獲得した、クワイエット・ライオットの『メタル・ヘルス』、その最大の要因はもちろん「カモン・フィール・ザ・ノイズ」の大ヒットだが、これは、プロデューサーのスペンサー・プロッファーの考えだった。インタビューを観ると、彼がカー・ラジオでスレイドの「カモン・フィール・ザ・ノイズ」を聴き、これをカヴァーできるバンドがいれば、どれだけカッコいいだろう、と考え、あてはまるバンドを見つけたのがクワイエット・ライオットだった、そうだ。ヴォーカルのケヴィンなど、この曲をやるのは絶対に嫌だと、レコーディングの時には「人を殺しかねない目」で周りを睨みつけていたという。

これも、極めてBABYMETALにも共通する。確かに、ここに拒否感を持つメタル・ヘッズがいることはよくわかる(僕も基本的には同じような心性を持っている。)
だから、例えば「4の歌はYUI・MOAの作詞作曲だ」などということは反論にもならない、BABYMETALの誕生の仕方、出自そのものが、ヘヴィ・メタルとしての異形の「宿痾(しゅくあ)」を負っている、とも言えるのだ。

③ 女の子のファン

アンスラックスのスコット・イアンが「派手な髪型でタイツ履いている奴らをブッ飛ばすことを推奨していた訳じゃないけど別に止めもしなかったな」と語っているが、男の音楽であるはずのヘヴィメタルを、チャラチャラした化粧をした奴らが女の子にキャーキャー言われるのが、我慢ならん!という感覚は、よくわかる。
また、そうした女性ファンとの間の「頽廃的」な関係(セックス・ドラッグ・ロックンロール)を演者もファンも楽しんでいたようで、そのことへの、羨望と軽蔑、といった感情の綯い交ぜもメタラーたちにはあったようだ。

ここは、改めて考えてみると、面白いところだ。

男のものであるヘヴィ・メタルを、(ある意味で)女性的なものにする、という目で見れば、(例えばマノウォーとかアクセプトとかの「男ぶり」とは正反対であるという意味で)グラム・ロックとBABYMETALにはある種の共通性があるのかもしれないが、
演者が少女であるBABYMETALに感じるのは、グラム・ロックにつきまとう「女性的(ナヨナヨ)」「頽廃的」とは真逆の、<少女ゆえの凛々しさ>だ。
それが、BABYMETALにおける「カワイイ(Kawaii)」の性質であり、「闘う少女たち」の表現、こそが、BABYMETALの「演」奏の大きな柱のひとつであり、それが、(異形ではあっても)本物のヘヴィ・メタルとしての証明なのだ、ということをグラム・メタルとの対照において感じてしまうのだ。

④ MTVの影響

ステージ上でのビジュアル的な演出に心を砕いていたグラム・ロックは、MTVとの親和性が高く、それによって大衆的な支持を広げることができた。
これは、BABYMETALにおけるYOUTUBEとの関係によく似ている(「ギミ・チョコ」旋風)ようでもあるが、まるで対極にある、ともいえる。
それは、簡単に言えば、「なんじゃ、こりゃ!」だ。
BABYMETALのYOUTUBE、ツィートによる普及とは、大衆の支持(受容されやすいものが受容される)ではなく、むしろ、ゲリラ的な活動方法として見るべきだろう。インパクトを与え、楽曲やライブを見てもらうことで、BABYMETALを理解する、そのためのきっかけがYOUTUBEであり、MVそのもののマスの消費を狙わない。
決して、MTVに乗って大きな潮流として席巻したグラムロックを指向するのではなく(むしろ、愚直に、そうしないよう・そうされないように、舵を切りながら)、あくまでライブ勝負、楽曲勝負、する。そのための、一歩一歩(ひとりひとりに)届けるツールとしての動画だ。

⑤ パワー・バラード

グラム・メタルの音楽的な「自殺(自縄自縛)」。それが、パワーバラードだった。
インタビューで、ジョージ・リンチが「必要悪」と語っていたのが印象的だったが、売れるがゆえに濫造される、パワー・バラードは、「メタルの鎧を着たポップ・ソング」であり、だからこそ、ガンズやニルヴァーナ、グランジ勢の、「ヤバいサウンド」が出てきたときに、メタルヘッズはそちらが「本物の音楽」であり、渇望していた「直球勝負」だと感じたのである。

さて、BABYMETALは「メタルの鎧を着たポップ・ソング」ではないのか?
「別にそれでもいいでしょ。BABYMETALはBEBYMETALでオンリー・ワンのジャンルなんだから。ヘヴィメタルにこだわる必要なんてないでしょ」という意見には(もちろんそれはそれで尊重すべきご意見なのだが)、全く同意はできない。
BABYMETALの楽曲で、パワー・バラードといえそうなのは、今のところ、「No Rain No Rainbow」一曲だが、この曲は、個人的には、(『黒い夜』を視聴する時にこの曲をを飛ばしたりはしないし、嫌いな曲という訳でもないが)ヘヴィ・メタルの楽曲だとは全く思えない。極端に言えばBABYMETALになくてもよい曲だし、正式にリリースされていないのは当然だ、と思う(この曲のファンの方、ごめんなさい。あくまでも個人的な偏見です)。

BABYMETALは「メタルの鎧を着たポップ・ソング」ではない。
むしろ、「ポップ・ソングの衣装をひるがえす本物のメタル」だ。
そのことを、そのライヴで証明し続けなければならない、そういう運命を(先述した「宿痾」)を背負っているのだ。
だからこそ、ライヴで、「ヤバいサウンド」「本物の音楽」「直球勝負」を世界のメタルヘッズに見せつける、そうした巡業を行っているのである。

サム・ダンは、飽和・衰退後、懐メロバンドや、テレビタレントとして生計を立てている元グラム・メタラーの数人を訪ねた後、番組を次のような述懐で終えている。

今でも僕はグラム・メタルは好きじゃないし、あの派手な格好には我慢がならないけど、ただのアイドル・バンドじゃない奴らがいたことを知った。実際にグラム・ミュージシャンに会って、彼らの音楽に対する努力や愛情、そして僕みたいなメタル・ファンにどんなに罵られようが負けない精神を尊敬出来るようになった

もしも、BABYMETALを、グラム・メタル的だというような見方で拒否するメタルヘッズがいても(実際に、多く存在するはずだが)、上のような意味での「尊敬」を勝ち取ることは可能であろうし、「今」のBABYMETALの世界ツアーにはそうした意味も大いにあるのだろうと、思う。
生身の人間が汗を滴らせながら全身全霊をかけて歌い・踊る、それを目の当たりにすれば、国境を越え、世代を超え、通じるものがあるはずだ。
チームBABYMETALが「今」行っているのはそういうことなのだ、と、改めて考えさせられたのだった。

Resistance とは、本来「弱者」が行うものだ。それを、BABYMETALは前提にして、Road of Resistance を行っているのである、と。