ケルベロスの基地

三本脚で立つ~思考の経路

BABYMETAL探究(横アリ2日目参戦記(4)~「合いの手」考)

2016-01-28 21:33:39 | babymetal
なぜBABYMETALのライヴは、あんなにもとんでもなく楽しいのか?
それを、昨年末の横アリ2日目を振り返りながら考察する回の続きである。

新横浜へ向かう新幹線の中で、娘がこんな質問をしてきたのだった。
「ねえ・・・あの、「いいね!」の、あれ、何て言ってるのん?
えっ、と、ほんの少し考えたが、すぐに「ああ、あのことか」と思い当たった。
(こんな曖昧な言葉の応酬で会話が成立するのは、親子ならでは、だろう)
「オマエノモノハ、オレノモノ」
娘、「あ、そっか。オマエノモノハ、オレノモノ、か。わかった

娘がこうして質問してきたのは、もちろん、BABYMETALのライヴに主体的に参加するための構え(準備)としてである。
僕自身も、ライヴ映像盤を観ながら、同じような「学習」を重ねて(ほとんどは無意識的にノリ方を覚えてしまった、という感じだが)構え・準備を整えて、BABYMETALのライヴに、それまでに2度参戦してきたので、娘が何のために何を訊こうとしているのか、はよくわかった。
そして、こういう参加のしかたになってしまうこと、こういう参加ができること、「そこが最高なんだ!」なのである。

吾が愚娘も、この日のライヴの「いいね!」での、会場の1万数千人の「オマエノモノハ、オレノモノ」の大合唱に”正しく”参加したはずだ。(ライヴの最中、それをきちんと確認する心の余裕などなかったし、ライヴのこの曲では別のところで鳥肌を立てていたが…後述。)それは、他では味わえない、BABYMETALのライヴに参戦する魅力の核心のひとつなのだ。

前回のベビメタ黒Tシャツに加えて、ここにもBABYMETALのライヴに「参加」する際の、極めてアクティヴな(主体的・能動的・積極的・行動的な)楽しみ方の秘密の鍵があるように思う。
つまり、単に、
a.演奏をナマで観聴きするというレベル  ではなく、
b.いくつかのサビや印象的なメロディに合わせて歌うというレベル  でもなく、
c.ライブの間にずっと身体を揺らし続け・時にはこぶしをふりあげ咆哮するというレベル  でもない。

もちろん、a~cを含んだ「コンサートを存分に楽しむ」ことをしながらも、僕たち観客は、a~cを超えたさらなる高い次元で「ライヴを実現」するのである。

そう、BABYMETALのライヴに参加するとは、(a~cを楽しみながらも、まず第一に)すべての楽曲の「演」奏に正しく「合いの手」を入れ続けることであり、
そして、この際の、
②”合いの手”の適度な難しさ→観客の「演」奏の主体性
によって、
いわば、観客である僕たちも、演者BABYMETALと一体化しながらライヴを形づくる楽しさを味わうのである。

(前回「探究」した黒Tシャツの着用も含めて)BABYMETALのライヴでは、観客席を埋めている僕たちファンひとりひとりにも、いわば「様式美にのっとったふるまい」が求められている、のだ。
(これは、初期から継承されていて、コルセット着用やコープス・メイクなどの「ドレス・コード」に典型的に形象化されている精神だ)
その「責任感」を胸に抱き、自らの身体や大声を使ってその「任務」をきちんと果たすことで、ライヴ会場全体の盛り上がりに寄与するのである。
そのことが、「自分がBABYMETALのライヴ現場に参加している」ことの喜びを、激烈に高めてくれるのだ。

ONE FOR ALL.  ALL FOR ONE.

まさに、これ、である。

こういう言い回しは大仰かもしれないが、しかし、これは、内実としては確かな事実だ。こうした観客の参加の仕方をデフォルトとして、BABYMETALのライヴは構成されているのだから。

(SU-METALに合わせてずっと歌い続けるファンも多い海外のオーディエンスに比して)日本の観客は、YUI・MOAに合わせて合いの手を入れてくれるので、曲が完成する、そんな安心感がある。

という旨の発言を、年末の葉加瀬太郎のラジオ番組でも聴くことができたが、
『ヘドバン』誌でのKOBAMETALやMIKIKOMETALのインタビューを読んでも、BABYMETALの楽曲・パフォーマンスが、観客の熱狂的なノリを引き起こすこと、引き起こした熱狂的なノリによっていっそう魅力を増すこと、それを考えて練りに練られたものであることは間違いないからだ。

そう、ある種の「儀式」、「様式美」。それを、観客席の僕たちが、どの曲も主体的・積極的に実現できるように、BABYMETALの楽曲は、YUI・MOAのSCREAM&DANCEは、ライヴのセットリストは、構成されているのだ。

僕たちの「合いの手」によって楽曲に「魂」が注入される、などという言い方は、思いあがりも過ぎるだろう(私見だが、BABYMETALの「本体」はYUI・MOA、「魂」はSU-と神バンド、なのだから)が、しかし、確かに、BABYMETALのライヴがライヴである意味とは、観客の積極的・主体的な参加が果たされることだ、ということは、疑いようがない。

その、主体性・積極性の鍵になっているのが、入れるべき「合いの手」の”適度の難しさ”だといま僕は思っている。隣にいた娘の動きなどから、改めてそれを実感したのだ。

アイドルのライヴには(30年前の、原田知世の「マスカット・リップス・ツアー」以来)行ったことがないので、ひょっとしたら、近年の他のアイドルと比較したらそんなことはないのかもしれないが、僕の素朴な印象ではBABYMETALのライヴで各楽曲に「きちんと合いの手を入れる」のは、適度に難しい、だからこそ、積極的・能動的な姿勢が必要になり、結果的に、達成感がいっそう高まる、つまり超絶的に楽しいと感じるのだ。

どの楽曲も、基本は、ウラ拍に(こぶしを振り上げながら)喚声・歓声をあげることだ。これはどのロックバンドのライヴでも(もちろん、メタルにおいては、そうだ)定式化されたものだろう。

メタル・バンドのライヴであれば、それに、印象的なメロディを「wow、wow」と合唱したり、エアでギター・ソロを奏でる振りをしたり、というノリ方が加わるのだろうが、しかし、さすがに、すべての曲のすべての瞬間に観客がノリ続ける、などということはないはずだ。

ところが、ここが、BABYMETALがオンリー・ワンのジャンルで(も)ある所以だが、ライヴの始まりから終わりまで、すべての(SU-METALのソロ2曲は除いて…後述)楽曲に、僕たちは、複雑な「合いの手」を入れ続けるのだ。
これが、BABYMETALのライヴの唯一無二の楽しさの「正体」(の重要な一側面)である。

例えば、(どの楽曲でもよいのだが、たまたま今このパソコン上で流れている)「CMIYC」だ。
この「CMIYC」で観客の僕たちがどんな動き・合いの手をするのか、書き出そうとしてみると、その複雑さ・多様さに、改めて驚くことになる。

イントロの不気味な鐘の音に続き、神バンドによるイントロが始まる。
① 僕たちは、「・オイ!、・オイ!」とウラ拍の喚声をあげはじめる。
神バンドの、まさに神的な(時には変態的な)プレイに頬をゆるめたり「ウォー!」と雄叫びをあげたりしながら、「・オイ!、・オイ!」とウラ拍の喚声をあげつづけるのだが、
② いよいよ3姫が「・ハイ!・ハイ!・ハイ!」と叫びながら舞台上に登場すると(音を聴くだけでも、『新春キツネ祭り』のライヴ盤のここの3姫と観客席との一体化には鳥肌が立ってしまう)、それは3姫と会場の僕たちの唱和(!)になるし、さらに、
「1、2、1、2、3、4」というカウントに合わせて叫び(ここはオモテ拍のノリだ)、
④ ウラ拍のノリの後、「ま~だだよ~!」を唱和
⑤ YUI・MOAの歌を聴きながら、またウラ拍のノリになり、
④⑤を繰り返した後、
⑥ 「オニさんこちら」ので(ここ重要!)拍手をはじめ、そのまま、SU-METALの「オニさんこちら」「手の鳴る方へ」に応えて「オニさんこちら」「手の鳴る方へ」を絶叫し
⑦ 「wow、wow、wow、ぐるぐるかくれんぼ」を唱和し、
⑧ 「まわってます」のウラで「ヴォイ!」の合いの手を入れ ×2
⑨ デスヴォイスに合わせて、「ヴォイ!ヴォイ!ヴォイ!ナクコハ、イネガ!ワルコ、イネガ」を叫び
でまた⑥の拍手→「オニさんこちら」「手の鳴る方へ」を唱和した後、
⑩ 「ミーツケター」を大唱和 …。

と、まあ、まだまだ続くのだが、この前半まででも、何ともはや凄まじい複雑さである。

(俺のノリ方は違うぞ、という方は当然いらっしゃるでしょうね。これは、あくまで僕は、こうノルように学習した、という一例です。以下の記述も、そうです。
まあ、標準的なノリ方をしているつもりなのですが…。
…いずれにせよ、一曲を通して「合いの手」を入れ続けることが、実は結構複雑なのだということ、そこには異論を持たれる方はあまりいらっしゃらないはずだと思っているのですが…)

娘が事前に確認してきた「いいね!」では、
① イントロの6連打(神バンドバージョンは、まるで、ガンマ・レイの「TRIBUTE TO THE PAST」を髣髴させるカッコよさだ、)がはじまったとたん「いいね!、キター!」と喚声をあげながら、続く「合いの手」へのココロと身体の準備をする
② つづく、「淋しい熱帯魚」のところでは、ウラ拍の「・ヴォイ!・ヴォイ!・ヴォイ!」をこぶしを振り上げながら叫び
③ 「チクタクしちゃうー」~「気持ち、アイスクリーモ~!」までは、SU-METALの歌声やYUI・MOAの時計の針の動きに合わせて、オモテ拍でノリ
④ 「それ、わたしのおやつ~」「ちょちょちょ、フラゲしないでよ~」では(MOA・YUIに合わせる方もいるかもしれないが)デスボイスに合わせて唱和、ノリ、そして、あの「オマエノモノハ、オレノモノ!」の大唱和の瞬間が訪れる。
(ここでのノリ方を、行きの新幹線で娘は確認したのだ)
⑤ と思う間もなく「ひとりきりで空見上げた」~の歌に合わせてノリ、「現実逃避行~!」ではステージ上の3姫を(スクリーンで)確認し
⑥ 「いいね!いいね!」では、完全なオモテ拍ノリになりながら唱和し、
⑦ 「とりま、モッシュッシュー!」でも大声をはりあげ唱和し、
⑧ 「イェーイ、イェイ」~「おんにゃのこは~」では(3姫の「イェーイ、イェイ」に合わせたオモテ拍ノリではなく)ウラ拍ノリになり、
⑨ 「(夢も、きっと)超カオスだよ~!」の「超」を大唱和して、
ひと息つく、ということになる。
その後、
⑩ 「YO、YO」のレゲエのリズム、3姫の煽りに合わせて「YO!YO!」を叫び
⑪ SU-METALの「SAY HO!」に応え、「横アリ!」に応え
⑫ SU-METALの「PUT YOUR KITSUNE UP」という御命令に従いキツネサインを掲げながら、
⑬ YUI・MOAの「キツネだお!」に唱和する
と、次の瞬間から、
⑭ 「メロイックサイン・ジャ・ナイ、キツネダ~」でのタテノリのヘドバンをしながら掲げたメロイックサインを大群衆の一員となって振る

と、この⑭を横アリのスタンド席からピットを見下ろすかたちで「目撃」したのだが、ここで(先に記したように)鳥肌が立った。
ピット席全員の突き出した両腕が、一糸乱れず前に後ろに揺られているこの光景は、壮観としかいいようがなかった。
スタンド席の隣でステージの3姫を見つめながら腕を振っている娘を、僕はつついて、「ほら」というようにピット席を観るように促した。娘は、「ワオ!」というように僕と目を合わせ、僕は頷き、またそれぞれの儀式に集中したのだった。

この後、
⑮ 「黄金虫は金持ちだ~」のインストのところでは、3姫が両腕を広げる3拍目に合わせて、「エイ!」等と叫び
⑯ 3姫の前屈姿勢に合わせて息をつめ、
⑰ ふたたびの「淋しい熱帯魚」のウラ拍の「・ヴォイ!・ヴォイ!・ヴォイ!」に声を張り上げ
…途中は省略して…
最後は
⑱ YUI・MOAに合わせて「いいね!いいね!いいね!いいね!」の絶叫の連呼で終わる

と、文字に起こしてみると、何ともまあ、複雑な「合いの手」である(これでも、後半を省略した粗い概要でしかないが)。
これが、すべての楽曲に、それぞれのかたちで存在するのだ。
どの曲にも、拍のウラにノルのか、オモテにノルのか、それだけでもずいぶん多様な組み合わせ(ノリ方の変化)が畳み込まれているのだ。

だから、これを「実現」するのは、それなりの「学習」「準備」が必要で、だからこそ、みんなと一体化しながらうまく「実現」している高揚感に身を滾らせることができる。

そして、もちろん、そのために(も)僕たちはライヴに馳せ参じるのだ。

ただ単に”視聴する”ためではなく、正しい合いの手を、会場全体が一体となって入れることで、大好きなBABYMETALの楽曲をともに「演」奏する、そのために手間と時間とお金をかけてでも参加するのだ。
(それを、休める数少ない時間が、SU-METALのソロ、ナマの歌声に聞き惚れているときだ、という、このとてつもない贅沢よ!)

BABYMETALの「合いの手」で、僕が、まず最初に「学習」したのは、
「イジメ、ダメ、ゼッタイ」の、1回目の「バイバイ」と2回目の「バイバ~イ」の差異で、吾が愚娘も、もちろん、横アリではしっかりこの「合いの手」を、入れ分けていた。

「ギミチョコ!!」のMVに「なんじゃこりゃ!」と驚いた視聴者も、その段階では、まさか(数カ月後の?1年後の?数年後の?)ライヴ会場で自分が大声で「ずっきゅん」「どっきゅん」を声も嗄れんと叫ぶことになろうとは思いもしないはずだ。
言葉を超え、国境を超え、年齢を・性別を超えて、数千人数万人が声を揃えて「ずっきゅん」「どっきゅん」と「合いの手」を絶叫する楽しさよ!

ちなみに、この観客との一体化がいちばんうまくいっている、そうした意味でのNo.1の神曲は、何と言っても「ウ・キ・ウ・キ★ミッドナイト」だ、と僕は思う。
ライヴ盤でも、この曲の、はじまった瞬間から観客と演者が一体化しているアゲアゲの狂乱は、とんでもない。
2ndがリリースされても、この曲のライヴにはぜひ「参加」し続けたいものだ、と切に願っている。日に日に、「当選」の確率がさがりつづけているのだろうけれど…。

そう、だから、一瞬たりとも気を抜けない、のだ。BABYMETALのライヴは。
爆音・高速の楽曲にノリながら、全神経・全体力を捧げて、BABYMETALの楽曲を正しく「合いの手」を入れる、というかたちで実現し続ける90分間。

これは、
なんとも激しくひたすら楽しい、充実の極みの時間、なのだ。

ライヴ後すぐにおとずれる、あの空虚感は、こうした夢中・熱狂の反動なのだろう。

あ、モッシュッシュやWODに参加するのは、さらに、いっそう、なのであろう。
だが、僕はこれらには体験したことがないし、今後もおそらくしない。
「精鋭」ファンから見れば、歯牙にもかからない”ヘタレ”なのかもしれないが、そんな”ヘタレ”な僕や、中学生の娘であっても、これだけ、主体的・能動的・積極的にライヴに「参加」できる。
これが、何にも代えがたい、BABYMETALのライヴの魅力なのだ。

こんなことを前回から書いているのだが、書きながら、行きたくて行きたくてたまらなくなってしまっている!
いや、ほんと、他にはないですもんね、あんな楽しい時間・体験は。

そうそう、
「ド・キ・ド・キ☆モーニング」の「ちょ、待って~、ちょ、待って~」で、3姫に合わせて楽しそうに手を突き出すポーズをとっている吾が愚娘の姿は忘れられません。
ほんとうに嬉しそうでした。
これは、さすがに僕はできませんでした(声だけで合いの手は入れましたが)。
ぼっち参戦の前2回の、ここの記憶はありませんが、隣に中学生の娘を連れてきている父親としては、ブレーキ(自制心?)がかかったのです。

自分の隣りで自分の親父が、「ちょ、待って、ちょ、待って~!」と腕を突き出している姿は、さすがに「キモ!」と感じてしまいますよね…。

そういった杞憂もまったくなしに、100%思う存分「合いの手」を入れるには、ぼっち参戦こそ最上なのかもしれませんね。

まあ、でも、今後もできるだけ娘も連れて行きたいと思っています。本当に楽しかったので。「ちょ、待って~!」は、我慢します。


(つづく)

BABYMETAL探究(横アリ2日目参戦記(3))

2016-01-21 23:25:05 | babymetal
わずか1カ月前なのに、すでに遠い昔のできごとのような、あるいは夢の中のできごとであったかのような気さえするのだが、昨年12月13日(日)、横浜アリーナでのBABYMETALのライヴに、僕は確かに、中3の娘と参戦したのだった。

今回は、その日の体験を振り返りつつ、なぜBABYMETALのライヴは、あんなにもとんでもなく楽しいのか?を改めて考えてみることにする。

映像盤を(できるだけ爆音で)視聴するだけでもBABYMETALのステージの素晴らしさ(カッコよさ、カワイさ)は十分堪能できるのだが、実際にライヴ会場にまで足を運び、その場に身を置き、汗まみれになり声を嗄らしながらの1時間半を体験することは、映像の視聴とは全く別の次元の高揚感を味わうことである。
去年6月に初体験した、幕張メッセでの『巨大天下一メタル武道会』や、自らコープスメイクをして臨んだ、8月の黒ミサⅡについて、個人的な参戦記はすでにこのブログに記したのだが、今回は、吾が愚娘の反応や言動と、それを目にして僕が改めて感じた、BABYMETALのライヴに参加するとは何をすることなのか・どうなることなのかを、より分析的に記述しておきたい。

基本的な内容は、前2回と重なるだろう(本質的には変わるはずもない)が、最新にして最高のライヴに熱狂しながらも、隣りにいる吾が娘(BABYMETALのライヴ初体験)のリアルな反応も間近に見聞きしながら感慨にふけったりもした、ということから、ぼっち参戦のとき以上に鮮明に見え・感じられた細部や詳細も、いくつかあるからだ。

① ”参加”する、ということ: We are BABYMETAL!の具現化
ベビメタ黒Tシャツを着こんで家を出る。この瞬間からすでにBABYMETALのライヴへの参戦がはじまっている
これは、ライヴ参戦への、いわば「正装」なのだ。
12月13日は、僕は「METAL GOD」T、娘は「THE DARK KNIGHTS」Tだった。どちらも、6月の幕張『巨大天下一メタル武道会』に僕が参戦した際に、物販で購入したものだ。
(どちらも、デザイン的にはとても気に入っている。BABYMETALらしいカッコよさ・可愛さ・可笑しさが詰まった秀逸なデザインだと思う。その日に入手したもう1枚の「RITUAL」Tも大好きで、普段着として重宝している。この時の3種のデザインはどれも素晴らしい。ただし、各サイズ1枚しか買えなかったので、「THE DARK KNIGHTS」Tは娘だけのもの、僕自身は着ることはないのだが)。

冬なので、上にはパーカーやジャンパーを纏ってはいるが、いわば、ライヴに臨む「姿勢」が主体的に・前のめりになっているのだ。ベビメタ黒Tを身に纏うとはそうした強い意味を帯びた、極めて主体的な行為なのである
(ちなみに、この日はスタンド席だったので、僕は、スニーカーではなく、Dr.Martensのブーツを履いていった。これも僕なりの、BABYMETALのライヴへの「正装」のつもりだった。)

ひょっとしたら、家ででも、このような恰好をして映像盤を視聴される方もいらっしゃるかもしれないが、僕自身は(さすがに)それは(まだ?)したことがない。普段着として、ギミチョコ!!パーカーや、手書きロゴパーカーは、よく羽織っているが、それはほんとうの普段着であって、ライヴに行くための「正装」とは意味づけが全く異なる。
「さあ、今日はいよいよBABYMETALのライヴに参戦するのだ!」という大義名分と高揚感をもちながら、ベビメタ黒Tシャツを羽織り、家から出る。これは、いわば一種の「聖なる儀式」なのだ。
(こうして文字にするだけで、当日の高揚感がよみがえってくる気がする…)。

多くのバンドが、ライヴ会場ではTシャツを販売するだろうし、ライヴの度に新たなデザインのものが販売されるのだろうが、BABYMETALのこれは、やはり特別なものだろう。

毎回ライヴ前に、物販の情報がネット上で公開されるが、それを見るだけで、「早く馳せ参じて、何としても入手せねば!」という気にさせられるのだが、それは、コレクター的な興味関心ではなく(僕の場合は、だが)、実際に着る・身につける「正装」のニュー・ヴァージョンとして手持ちの「正装」群のヴァリエーションが広がる嬉しさ、というのが、いちばん的確な表現だろうか。

2015年の国内ライヴだけでも、
① 新春キツネ祭り …4種
② 黒ミサ     …1種
③ 赤ミサ     …1種
④ 幕張ライヴ   …3種
⑤ Only The FOX GOD Knowsライヴ 1種
⑥ 赤ミサⅡ    …1種
⑦ 黒ミサⅡ    …1種
⑧ The land of Rising Sun tour 1種
⑨ OZZ FEST    …1種
⑩ 横浜アリーナライヴ …3種
⑪ COUNTDOWN JAPAN 15/16 1種
と、18種(⑧は⑩の1種とほぼダブるけれど)もある。
あと、④にはLVヴァージョンもあったし、海外ツアーやレディング・リーズなどもあるし、さらに、THE ONE公式や、「MERRY BABY CHRISTMAS 2015」(運よく僕もゲットでき、この年末・年始にはよく着た、このデザインも秀逸だと思う)も入れると、壮観である。

明らかな確信犯、というか、BABYMETALの活動の柱にTシャツがあることは疑いようがない。

常に、黒Tであること、(国内正規のものは)バックプリントがあること、この2つがポイントだ。

見出しに書いたように、これは、「We are BABYMETAL」の形象化、具現化なのである。

しかも、手持ちのベビメタ黒Tがある程度の枚数になると、「さあ、今回はどれを着て行こうか」という選択の楽しみ(贅沢な悩み)も加わる。
実際、12月13日は、黒ミサⅡのTシャツを着て行こうと当初考えていたのだが、結局、出かける寸前の気持ちで、「METAL GOD」Tに決めたのだった。
その選択には、娘は1枚しか持っていない「THE DARK KNIGHTS」Tを着ていくはずだから、それとの釣り合いを鑑みた、ということもおそらくあったはずだ。ペアルックとまでの意識はないが、「親子でベビメタ・ファンである」ということの表明、という意味合いはあったはずだ。

そうそう、(当然ではあるが、改めて確認し、ある種の感激を覚えたことの一つとして)吾が愚娘も、(僕は何も言わなかったが)当然のように「THE DARK KNIGHTS」Tを着て新幹線に乗り込んだ、のである。
そのへんに別にこだわらない方もいらっしゃるだろうし、もちろん、それはそれで全く何の問題もないのだが、BABYMETALのライヴに、Myベビメタ黒Tシャツを着て臨む、という主体的な”参加”の喜びがあること
これは、たいへん大きなことだ。

「BABYMETAL黒T」であるという統一性を持ちながら、その中のどのデザインを今回選んで身に纏うのか、その選択は各自の意志に委ねられている、というこのバランスが、絶妙なのだろう。
単なる「ファンクラブのお揃いのユニフォーム」ではないのである。
(まあ、しかし、BABYMETALファン以外の立場にたって傍から見たら、みんなが「狂信的なファンのお揃いのユニフォーム」を着ている風に見えているのだろうが…)。

高校時代に、兄にプレゼントしてもらった、マイケルシェンカーの顔のプリントされた黒Tを休日に誇らしげに着ていたし、修学旅行にもあえて着て行ったことなどを、このBABYMETALの黒Tシャツをめぐって思い出すこともある。
ここにも、僕のような<メタルヘッズおっさん>の胸をとろかす高い質のこだわりがある。
徹底的に本物のメタルで(も)あること。
メタル風のアイドルではない、BABYMETALの本物ぶりは、このベビメタ黒Tへの執拗なこだわりにも滲み出ているのだ。

12月13日には、京都駅や、新幹線の中では、BABYMETALの装束をした人を目にすることはなかった(中に着込んだ人とすれ違っていたのかもしれないが、認識はできなかった)。
新横浜の駅で新幹線を降り、小雨だなあ、と娘と顔を見合わせてから、地下街のうどん屋に入ったのだが、そこでは、もう、あちこちにBABYMETALの衣装をまとった人たちを目にすることができる。
「ほら」と僕が知らせると、目で追ってその姿を確認した娘は「わあ!」と嬉しそうな笑顔を見せる

現状、国内では(も)、まだまだBABYMETALはメジャーな存在ではない
娘の学校、クラスでも、ファンなどいないどころか、まだその存在を知らない子がほとんどだという(年末のMステ出演によって、多少状況は変わったのかもしれないが)。
とりわけ、関西は、なかでも僕の住まう京都では、BABYMETAL旋風の風速はまだまだ弱い。
そんななか、「いた!」を確認できるのも、ライヴ参戦の楽しさなのだ。

間もなくこの状況は大きく変わるのかもしれないが、少なくとも現段階では、疑いなくそうである。

だからこそ、ベビメタ黒Tを典型にしたベビメタグッズを纏った人を実際に目にした時の感激は、大きいのだ。

昼を済ませ、物販会場へと向かう。

この時の胸の内を率直に明かすならば、物販でのグッズ売り切れを心配する僕は、一刻も早くという気持ちでいっぱいで、駆け出したいくらいなのだが、それはさすがにしなかった。父親として、娘の前ではできなかった。小雨の中を傘を差したり閉じたりしながら、父親としての威厳を保つべくにこやかに娘と会話しながら、初めての横浜アリーナへと足を運ぶ。

物販会場に入ると、当然、長蛇の列であった。
ただ、6月の幕張の物販の印象からすれば「あれ、こんなもん?」という感じであった。2時間くらい並ぶのを覚悟して、ポータブルBDプレイヤーをもってきたのだったが、「30分くらいで買えそうだな」という感じであった(実際、丁度30分ほどだった)。
BABYMETALのライヴの物販に並ぶ人を見るのも、また楽しい。ここでも「We are BABYMETAL!」が確認できるし、ベビメタ人気の凄まじさ、客層の多様性をまざまざと見ることができる。
「わあ、可愛い!」と娘が声をあげた。視線の先には、メギツネの衣装を着飾った小さな女の子がいる。そうしたコアなファン(がお連れになった、お子さん)を見るのも楽しい。

ああ、すでに楽しい。ライヴ開演4時間ほど前だけど、BABYMETALの世界に身を浸している、そんな楽しさを味わっている。

この楽しさは、ライヴ会場に足を運ぶから味わえる楽しさである。
ぼっちの方、僕たちのような親子、家族、友人どうし、仲間の集団、夫婦、職場?の仲間、さまざまな人たちがライヴ会場の物販に並び、嬉しそうにグッズが買える順序を待っている。その場に身を置く楽しさ。もちろん、その先には、「今日のライヴはどんなのだろう?」という期待感が置かれているのだ。

この日は、並んだときには、「ブルータルロゴ パーカー」は売り切れていた。まあ、これは想定通りで、結局、「ブルータルロゴ コーチジャケット」も含めて欲しかったグッズは買えたので、大満足であった。

物販の部屋を出るとすぐに、娘が「これ着るわ」と「ブルータルロゴ コーチジャケット」の袋をあけて、羽織った。サイズはSはなくてMだったが、コーチジャケットなので、小柄な娘にも似合う。吾が愚娘も、いっそうBABYMETAL化していく、これは何とも嬉しいことである。ぼっち参戦では味わえない、「同志」意識の昂揚を覚えた。

ちなみに、僕はライヴ直前に、物販で購入した「TRINITY」Tに着替えて、会場入りをしたのだが、娘は「どうしようかな?」と考えた末に、「やっぱりこれで行こ」と「THE DARK KNIGHTS」Tのままでライヴに臨む、という決断をした。
ライヴ後に(当然、汗びっしょりだったので)「TRINITY」Tに着替えて帰路についたのだが、こうした選択ができるのが、楽しいのだ。

娘も、この日2枚買ったので、手持ちのベビメタ黒Tは計3種類になった。これから、TPO(?)に応じてベビメタ黒Tを選ぶ楽しみができたはずだ。


…Tシャツの話だけで、こんなに長文になってしまったが、これは、単なる余談、付録的な話ではないのだ。
BABYMETALのライヴに実際に参加することにおいて、これが、一つの核なのである。
それを、娘連れでの参戦で改めて痛感したのであった。

(つづく)

BABYMETAL探究(『メタル・エヴォリューション』08)

2016-01-15 21:44:13 | babymetal
さあ、ようやく2016年度の<METAL RESISTANCE>が本格的に動き出した、それを実感する一日になった。

無事、メタルネーム引き継ぎと、2ndアルバムTHE ONE限定盤の注文を終えた。
タワレコで初回限定盤も2枚予約(3月29日に確実にフラゲしたいので、店頭取置と、横アリ直後に特典下敷付は宅配で予約)しているので、すでに3枚買うことは確実になっている。
まあ、どうせ、いずれ「布教」用に何枚か買うことになるだろうから、いいのである。
手に入るうちに入れておかないと。

特典映像盤の詳細も明らかになった。
4月の黒ミサ、赤ミサ。
6月のメトロック。
どちらも、観客席との一体感の凄まじさが堪能できるはずで、たいへんたいへん楽しみである。
メトロックの「神映像」も、CSは観られない環境だったので録画などできていず、ネットで観るしかなかったのだが、映像盤として手元に置いておけるというのはたいへん嬉しいし有り難い。しかも、2曲以外の未知の映像も、同様の「神」レベルである期待ができそうだし。

「最新こそ最高」のBABYMETALライヴ映像盤が、つぎつぎと更新されてゆく。
そのリリースをワクワクしながら待つだけで、日々の仕事も励まされる。

次は、いよいよ6月21日幕張メッセでの『巨大天下一メタル武道会』が映像盤としてリリースされる、ということになる。
単体で映像盤化されるのか?
それとも、前回考えたように、楽曲「THE ONE」の”伏線→回収→発展”を軸にして、『Trilogy』として、あるいは、横浜アリーナでのライヴとセットとして、リリースされるのか?この場合、WOWOWの放映との関係で、リリースはまだまだ先になってしまうことになるのかもしれない。
まあ、それは楽しみが先に延びただけのこと。この3月末から4月にかけては、音盤、映像盤のラッシュの、まさに”お祭り”状態を存分に楽しめばよいのだ。

3月17日は仕事が確定しているので、応募はしない。できない。
応募された方、妄想が止まらないでしょうね。こっちまでニヤニヤしてしまいます。宝くじの一等、二等よりは確率は高そうですが、さあ、どんな「選考」がなされるのか?傍から、楽しませていただきます。)


…さて、久しぶりに、『メタル・エヴォリューション』を視聴して考えたことを記しておこうと思う。

このブログを書きはじめたそもそもの動機は、WOWOWで放映された『メタル・エヴォリューション』を観て、たいへんに触発されたことだった。

昨年の2月24日に書いたこのブログ第1回目の記事の冒頭を、僕は次のように記している。

WOWWOWで録ったサム・ダン監督の全11話にわたるドキュメンタリー『メタル・エヴォリューション』をひと通り視聴し終わった結果、「BABYMETALは、ヘヴィメタルの進化の最先端形態である」、という確信を得るにいたった。(もちろん、『メタル・エヴォリューション』には、“まだ”BABYMETALは登場してはいない)。

しばらく、『メタル・エヴォリューション』1話1話に即しつつ、具体的に、「BABYMETALとは何なのか」を、ヘヴィ・メタルの「進化」史のうえに載りながら、考えていこうと思う。

この、当初の意気込み・目論見に反して、さまざまな寄り道をしてきたために、約1年経っても、まだ全11回中7回ぶんの探究しかできていない。

まあ、あくせくと仕事をこなす日々の中、空いた時間を見つけての執筆になるので、そうした時間・集中できる精神状態がなかなか作れなかった、ということも大きな要因なのだが、それ以上に何と言っても、6月の幕張のBABYMETALのライヴに参戦できた!ということが絶対的に大きかった。

(すでに書いたことだが)映像で観ていたBABYMETAL(もちろん、それもとんでもなく幸せな体験であり、これがBABYMETALの魅力を享受するための”柱”であることは、今も、これからも、変わらないはずだ。だって毎日ライヴには参戦できるはずもないのに、毎日彼女たちの「演」奏を見ないと我慢できないからだになってしまっているのだから)とも全く異なる次元の、<死にそうになるほど楽しいライヴ>。
その初ライヴが、2万5千人オールスタンディングの『巨大天下一メタル武道会』だったからよりいっそう、という特別な事情もあったのだが、その後の、「黒ミサⅡ」そして横アリ2日目(これはまだ参戦記を書きかけだが)にも参戦できた。

それによって、語りたいことが次々と生れてしまい、当初の予定からこんなにも大きくずれてしまったのだ。だから、このことは決して悪いことでも怠慢でもない。必然、である。

で、年末・年始に帰省したときの新幹線の中で、久しぶりに時間をとって『メタル・エヴォリューション』第8回を観ることができたのであった。

第8回は、「ニュー・メタル」の回であり、(これもまた)たいへん興味深く、BABYMETALを探究する参考になった。
冒頭に挙げた、「BABYMETALは、ヘヴィメタルの進化の最先端形態である」という思いは、例えばこの回を視聴したことが大きく影響していたのだと思う(その時に何を感じていたのかは、自分でもよくは覚えていないのだが)。

この回とりあげられているバンドは、例えば、
セパルトゥラ
コーン
パンテラ
リンキンパーク
リンプ・ビズキット
等である。

率直に言って、僕はこれらのバンドをほとんどきちんと聴いたことがない。
苦手、である。
BABYMETAL経由で、リンプ・ビズキットのベスト盤を借りてきて聴いてみたものの、途中でギブアップした。聴きこめば魅力的に感じる部分も当然あるのだろうけれど、そこまで我慢することができないのだ。
これは、単に僕の個人的な偏見ではなく、例えばNWOBHMの洗礼を受けてメタルを聴くようになった同好の士の、多くに共通する感慨ではないか。

語り手のサム・ダン自身も「好きになれない」と言い(何しろ、この『メタル・エヴォリューション』のタイトルバック冒頭と結末に流れるのは、アイアン・メイデンの「トゥルーパー」なのだから、彼自身、いわゆるガチ・メタル好きなのである)、リンプ・ビズキットのライヴに列をなしているファンに、「どこが魅力なの?」「どうして僕は好きになれないのかな?」なんて質問をしたりしていた。
ただし、(ここがこの番組の素晴らしいところなのだが)そうした個人的な好みや相性を超えて、ヘヴィ・メタルの「進化」史において、これらニュー・メタルが果たした役割とは何か?を考えようとするその内容は、ヘヴィメタル史を俯瞰してBABYMETALを語りたいと考える僕にも通じる立ち位置であるため、たいへん啓発的だったのである。

BABYMETALが、単に、ヘヴィメタルという「市場」に放たれた「あざとい人気商品」なのではなく、いわば、<ヘヴィメタルの進化史>が生みだした(異形の)王女(たち)(ひょっとして「救世主」)なのだ、ということ。
それが、この回を視聴して、僕には身にしみて感じられたのだ。

BABYMETALのワールドツアー2014でも「宣言」されてきた、冒頭の紙芝居の文言(一部を抜粋)、

A Long Time ago in a HEAVY METAL galaxy far,far away...
...
The METAL MASTER grieved about the World's chaotic situation.
...
He was determined to make the world become one with HEAVY METAL again.
...
He gave them(=BABYMETAL) the misson to make the world become one with HEAVY METAL again.

Now is the time to join the METAL RESISTANCE,

As BABYMETAL- the guardians of HEAVY METAL - travel across the galaxy.


のとりわけ下線部が、単なる煽り文句ではなく、まさに音楽的にBABYMETALが実現していることの象徴的な表現なのである、と。

つまり、ニュー・メタルが苦手な僕のようなおっさんに、ニューメタルのエッセンスを(唯一無二のクオリティの、Kawaiiというかたちで)体験させ、その魅力を臓腑を揺らすレベルで体感させてくれる。

これも、BABYMETALが果たしている役割のひとつなのだ。
(だから、批判・嫌悪感を示す方も多くいる「姫」という呼称だが、僕はこのような意味での畏敬をこめて、臆することなくこれからも「姫」という呼称を用いるつもりだ。)

BABYMETALに体現されている、ニュー・メタルのエッセンスをいくつか挙げると、
a ラップとメタルの融合
b グルーヴ → 縦ノリ
c ダウン・チューニング
等だ。

aを忌避するメタル原理主義者は多いだろう。僕もどちらかといえば、そっち派だ。
しかし、BABYMETALは、例えば、「おねだり大作戦」でこのa&bを実現した、というところが凄い。

天才歌姫SU-METALであっても(だからこそ、か?)単体では、例えばaを行うことは不可能ではないにせよ(事実、「おねだり大作戦」の音源ではSU-METALのつぶやきが使われているのだから)、ライヴのステージ上で、会場全体を縦ノリの狂乱に巻き込むという、これほどのチャーミングな(むしろ「狂った」というべきか)衝撃を与えることは難しかっただろう。

SU-METAL + YUIMETAL・MOAMETAL
という二等辺三角形の、
ヘヴィ・メタルの「演」奏者としてのとんでもない機能性


が、例えばa→bの実現を見ると、いっそう鮮明になるのだ。
(他のガールズ・バンドには、ここまでの「演」奏の多様性はない、ありえない。これは、バンドではない、メタル・ダンス・ユニットという異形性がゆえの実現力だ。)
もはや悪魔の発明、とでも言うべきものだろう。

「メギツネ」等の楽曲においても、SU-METALの周りを跳ねまわる、YUIMETAL・MOAMETALの、異国の観客でさえ一瞬で、縦ノリ・横ノリさせるその「実力」よ!

話を「おねだり大作戦」に戻すと、FORUMライヴをよくよく観ると、後半、お立ち台の上でのふたりのダンスが、たたらをふむ、というか、まるでお立ち台の際を足で掴みながら(ブーツを履いているのだから、そんなことはできるはずがないのだが)踊る、などという超絶技巧を使っているのではないか?と見えるところがある。
MOAMETALの左足は半分台からはみだしながら(26:17あたり)、踏み落ちることなくグルーヴを生み続けている。
これ、何度巻き戻して確認してみても、鳥肌がたつ!

要素cに関しては、神バンドの、ツイン7弦ギター(ISAOは8弦でしたっけ)、6弦ベースというのも、単に、鬼面ひとを驚かすたぐいの強面(こわもて)の装備などではなく、音楽的には、グランジ→ニューメタル→…の果ての2010年代に、BABYMETALがヘヴィメタルの最新形態として出現した、という「進化の証」なのだ。

ニューアルバムでは、そうした「ヘヴィ・メタル史の横断」「BABYMETAL- the guardians of HEAVY METAL - travel across the galaxy.」が、さらに大きなスケールで体験できそうである。
すでにライヴで披露された楽曲群は、そうした「品格」を備えた粒ぞろいのものだ。

単に時代の寵児、人気者のニューアルバム、にとどまらず、「ヘヴィ・メタルとは何だったのか、何なのか、どうありうるのか」、その可能性を見せてくれる・聴かせてくれる、そんな期待をしている。その期待は必ず叶うはずだ。

音楽的な「志」の高さ(と、超絶的な「実現」力)
僕たちおっさん(メタル好き、ロック好き、洋楽好き、音楽好き)がBABYMETALに涙する核には、まずもってこれがある。
ほんとうに、ほんとうに、誇らしい。


最後に、まったくの余談ですが、たいへん心躍る出来事がありましたので、ご報告を。

先日、夕方の仕事の前に寄ったスタバから出た後で、雑踏の中で、<ブルータルロゴ・ニットキャップ>をかぶった方(自転車に乗っておられました)とすれ違ったのです!
おっさん(失礼!)でしたので、「おう、同志よ!」という思いをいっそう強く持ったのでした。
「あっ!」と思った瞬間には、自転車はかなたに去ってしまっていましたが、僕も<ブルータルロゴ コーチジャケット>を着ていたので、おそらく向うの方も気づいたのではなかったか、と思います。

京都の町なかでベビメタ・グッズを身につけた他人に遭遇したのは初めてだったので、感激、でした。
やっぱり、おっさんだった!」という思いも持ちましたが、それもまた、BABYMETALらしくて、ぐっときたのでした。
京都の烏丸御池あたりで、何でもない日常の時間に、横アリライヴでの物販グッズを身に纏った見も知らぬおっさん二人がすれ違うなんて、メタル・レジスタンスは着々と進行しているのだ、そのひとつの表れでしょう。

それと、数々の海外の音楽誌のサイト、例えばRolling Stone の『25 Most Anticipated Metal Albums of 2016』で、BABYMETALのニューアルバムが期待されるアルバムの1枚として取り上げられていますが、僕たちファンはもう「ふ~ん、またか」みたいに不感症になっていますが、これって、もの凄いこと、ですよね、よくよく考えると。

この2つの出来事を合わせて、改めてBABYMETALの”いま””現象”を、まさに目にした・体感した気がしたのでした。

FOX DAYが来るのが、楽しみを通り越して、怖ろしくさえなっています。
とんでもないことになるのでしょうね。
ひえ~!

BABYMETAL探究(「謎かけ」考)

2016-01-12 12:57:37 | babymetal
新年早々から、ひたいに汗を滲ませながら仕事をしているうちに、このブログも更新できないまま、もう今日になってしまった。
The One の登録開始日まであとわずか、15日になれば、映像盤などの予約も始まるだろう(希望的観測!)し、ぽっかりと空いた”ベビメタ・ロス”が少しは癒されるのではないか、と思っている。
(それにしても、12月にあんな素晴らしいライヴを行ったばかりなのに、ファンから”ロス”なんて言われる(責められる?)とは、ベビメタ側からは、こいつら何て欲どおしいんだ!って言いたくなるだろうな)

そんななか、あることが、ふと脳裏をよぎったのだった。

ああ、『新春キツネ祭り』の「CMIYC」のイントロ、神バンドソロ回しでの、大神様のソロの締めのフレーズは、”あれ”だったのか!、と。

いやあ、本当にお恥ずかしいが、事実なのだ。
これまでにこのライヴのこの箇所を、映像盤でもライヴ音盤でも繰り返し繰り返し耳にしながら「どこかで聴いたことがあるなあ」と思いつつ、「ええと…、有名なヘヴィメタル、ハードロックの楽曲の一部だったはずだけど…何だったっけ?」などと勝手に思い込んでいたせいか、”あれ”であることに全く思い至らなかったのだ。

『巨大天下一メタル武道会』での、「ハッピー・バースデイ」や、ワールド・ツアーでの各国の国歌など、<TPO>をふまえた大神様のソロから言えば、この『新春キツネ祭り』でのソロは、”あれ”であって当然だった(だから、会場の皆さんは、難なくというかごくごく自然に、理解・体感できたでしょうね)のに、約一年後の2016年の新春になってようやく気づくとは、何ともまあ間抜けな話で、本当に恥ずかしい。

まあこれは、僕の単なる不明でしかないのだが、BABYMETALにはこのような「謎かけ」や「伏線」が数多く仕掛けられていて謎が解けた時、伏線が回収されるのに遭遇したとき、「ああ、あれはこのことだったのか!」「そこまで考えていたのか!」とハッとするというか、場合によってはゾッと鳥肌が立つこともしばしばある。

BABYMETALの、ただでさえどこをとっても最高のパフォーマンスが、「謎かけ」や「伏線→回収」というドラマチックなストーリーのうえに乗って僕たちのリアルな日々の時間とシンクロしながら展開される
なおかつ、とんでもない「成長」「成熟」、「サクセスストーリー」、時には「口惜しい挫折」をも共体験できる。

こんな凄まじいエンタテイメントは、(僕の、気がつけば半世紀にもなる人生のなかでは)なかったし、今後もないだろう。あるはずがない。
おそらく、これは、僕たちオッサンファンすべてに共通する感慨だろう。


ただし、そうした「伏線の回収」や「謎とき」が、いつでもあらかじめ計算されているのかと言えば、そうでもないはずだ。
打ち上げた花火のうちのいくつかを、なりゆき上、あるいは、偶然、できそうであれば回収する、「前にあんなこと言っちゃったから、ここは、こっちにしておこうか」と意志決定する、などということも、けっこう多かったのではないか。

思わせぶりに煽ったものの、結局、雲散霧消してしまった宣言も多いだろうし。(その代表が「解散」を思わせる数々の文句だ。まあ、これらは、X(JAPAN)や聖飢魔Ⅱからの、引用・オマージュ、すなわち「様式美」でもあったのだろうが。)

しかし、皮肉なことに、この”いつでも伏線がきれいに回収されるわけではない”ということが、逆に、伏線が回収された時の、きれいに謎が解かれた瞬間の、意外性となって働いているように思うのだ。(荒れ球ピッチャーだからこそズバッと決まったときにはとても打てない、のようなものだ)。
逆に言えば、「とんでもないどんでん返しがある」と評判になったミステリーを読んで、その評判の「とんでもないどんでん返し」に出逢ったとき、それはもはや「とんでもないどんでん返し」ではなく(大げさに言えば)予想通り・予定調和になりさがってしまうのだ、という逆説。その真逆である。

BABYMETALの場合は、「ああ、様式美的な大言壮語の設定ね、はいはい」と油断してしまうからこそ、「ああ、あれはこのことだったのか!」「そこまで考えていたのか!」という、決まった時の衝撃が大きいのだ。

最近で言えば、(僕は直接体験してはいないが)何といっても、横アリ1日目のオープニングでの「The One」の降臨、だ。
その伏線は、もちろん、6月の幕張メッセ『巨大天下一メタル武道会』の、あのラストシーンだ。(これが「伏線」であるとは、回収されてはじめてわかることなのだが)

3姫が光のピラミッドへと昇って行き、SU-METALのプログレ調のスキャット「ららら」が流れていた、あの、何とも謎めいた、余韻たっぷりのラストシーンから、約半年が経ち、国内ツアーファイナルの横アリ・ライヴの1日目の、そのファースト・シーンへとつながる。
この伏線と回収(さらに、これは横アリ2日目の、あの”宙を駆ける少女たち”へとつながるのだが)のドラマは、とんでもなく衝撃的・感動的である

その場にいたら、僕も号泣していた。絶対に。

これは、疑いようもなく、構成され計算された演出だ。
幕張のラストの紙芝居で、横アリ2daysが発表されていたのだし、なおかつ、この曲が「The One」という名を負うていることからも、(どこまで細部が詳細に詰められていたのかは別にして)これは今年の国内ライヴ全体の機軸の仕掛けであったはずだ。

そう、今になって考えてみれば(というか、6月時点でも)、6月の『巨大天下一メタル武道会』の物販での「MAGIC CIRCLE PYRAMID」は、実に不可解なグッズだった。
WOWOW放映の映像で観ればステージが三角形だとわかるけれど、僕を含め、2万5千人の観客のほとんどは、3姫が三角形のステージで歌い・踊っているなんて、わからなかったのだから(ですよね?)。
しかし、横アリ2Daysまで終わると、なるほど、と首肯できる(このグッズは僕は全く欲しいとは思わないが)。

そもそも、「Trilogy」とは何だったのか?

この「謎解き」の、標準的な「正解」は、SSA、幕張メッセ、横アリ、を頂点とする三角形のことで、その(ほぼ)中心に、東京ドームがある、ということだ。
(公式には発表されてはいないが、極めて論理的整合性が高く、したがって標準的「正解」というべき「解」だ)。
早いうちから、この「正解」を披露する書き込みを目にしたこともあるが、すばらしい慧眼であると感心しきりである。
で、さらに、その後目にしたネットでの書き込みには、上の「Trilogy」が、単に公演のロケーションだけでなく、頭文字(イニシャル)が、S、M、Y(順序がやや不整合だが)であり、東京ドームは別名<BIG EGG>だから、B(BABYMETALの頭文字)である、というのを見て、(やや苦しいかなあ、とも思いつつ)「おお!」と驚嘆したのである。

しかし、これは、前述した「The One」の伏線→回収ほどには、計算されたものではないように、僕は感じる。
だって、『新春キツネ祭り』の時には、まだ「Trilogy」なんて単語はまったく出てきていなかったのだから(たしか、そう、ですよね?)。
まったくの憶測で、何の証拠もないが、横浜アリーナという会場は、BABYMETALのライヴ2daysの翌々日の火曜日からポルノグラフィティのライヴ2daysがあったことからも、このへんの日程がいわば「アミューズ枠」としてはあらかじめ確保されてはいたもののの、12月12日・13日を、BABYMETALの2daysライヴに充てるという、いわば<経営判断>は、『新春キツネ祭り』以降になされたものだ、と考えるべきだろう。

つまり、上記の「Trilogy」の伏線→回収は、後からこじつけた、という要素が多分にあるのだと思う。

しかし、いずれにせよ、こうしたいわば「謎かけ→謎解き」「伏線→回収」というストーリーが、BABYMETALの活動にはふんだんに盛り込まれ、<意味のふくらみ>として働いている
ステージの超絶的なクオリティに、さらに、そうした「物語」の起伏までもがある。
こんな、連続的な「ストーリー」を(仕掛けとして)体現するバンドやユニットがいる(いた)だろうか?
少なくとも僕には、全く心あたりがない。ていうか、いないでしょ、こんな面白いユニットは
やはり、空前絶後なのだ、この点においてもBABYMETALは。


過去の映像を観ても、ステージのパフォーマンス以外に、そうした「謎かけ→謎解き」にぞっとさせられることがある。

例えば、(これももちろん皆さまご承知のように)『赤い夜』の、(いつ見ても号泣必至の)「ヘドバンギャー!」~「イジメ、ダメ、ゼッタイ」が終った後の、紙芝居で、このような文言が紹介される。

LEGEND”巨大コルセット祭り”、またの名を、天下一メタル武道会ファイナル

メタルマスターより与えられし数々の過酷な試練を乗り越え
遂にBABYMETALは天下一メタル武道会で勝利し
(1)
ホントのメタルを手に入れた

ホントのメタルは鋼鉄魂(メタルボール)へと姿を変え
まるで龍(ドラゴン)が昇天するかの如く音速のスピードで駆け上がり
(2)
天空を紅に染めた

メタルレジスタンスの最終章へ向け
カウントダウンは始まった


この後、翌日の『黒い夜』の予告があるから、上記の文言も、盛り上げるための修辞、壮大な煽り文句、という風にも見える。

まさか、(1)が、この『赤い夜』での事件を指しているはずはないから、(1)は一般的な様々な活動・ライヴパフォーマンス等を指していたはずだが、ライヴの涙のラストを観てからこの文言に触れると、まるでキツネ様=METAL GODは、この「事件」までもBABYMETALに試練として与えたのかのように思えてしまう

そして、(2)は、もちろん「Road of Resistance」のことだが、ライヴ当日のこの段階でそのことに気づいている人はいるはずがない。(それとも、「ドラゴンフォースとのコラボによる、ガチ・メタルの音速チューンが降臨するのだ!と見抜いた慧眼の主がいたのだろうか?)

そして、そうしたことの数々から敷衍して、
僕は、今年の東京ドームのライヴには、ある「謎かけ→謎解き」が仕掛けられているのではないか、と思っている。
横アリ2日目の、ラストで披露され、会場全体が歓喜・鳥肌・感涙ではじけた、あの紙芝居の文言に、その伏線が張られている。

2016年のワールドツアーは、ここ日本で最終公演・史上最大のメタルレジスタンスを行う
選ばれし者・THE ONEが大集結し、奇跡を起こす時が来たのだ


と、ここまでは、結果的に発表された<東京ドームでのライヴ>の単なる前振りに見える。問題はこの後である。

歴史は繰り返される。あの日あの時あの場所で運命の時計の針は動き出したのだ。

と、ここで映る絵を見て、横アリでの僕は、「えっ、また武道館?」と驚いたのであった。
つまり、ここに映される会場の絵は、今まで見てきた紙芝居(LEGEND Z)での武道館の絵姿と同じなのである。

迫り来るDOOMSDAY・運命の日はもう誰にも止めることはできない。

で、「東京ドーム」という文字が映る。

2016年”運命の日―DOOMSDAY―”
ついに世界はひとつ―THE ONE―になる


と続くのだが、
この紙芝居から、単に、東京ドームという過去最大の会場でのライヴの告知、だけを情報として受け取るのは不十分だと思うのだ。

それならば「史上最大のメタルレジスタンスを行う」だけでよいのであって、その後の、「選ばれし者・THE ONEが大集結し、奇跡を起こす時が来たのだ」とは単なる煽り文句ということになる。
(あ、もちろん、解散があるはずはない。だいいち、紙芝居の文句にも全く合わないし)

a.選ばれし者・THE ONEが大集結し、奇跡を起こす時が来たのだ
 +
b.歴史は繰り返される。あの日あの時あの場所で運命の時計の針は動き出したのだ。
 +
c.武道館を思わせる絵
 ↓


ここから導き出される「謎解き」の解は、すばり
超巨大コルセット祭り
である。

そう、cは、武道館ではなく、コルセットの絵なのだ。
『赤い夜』はコルセット祭りであり、そしてb「運命の時計の針は動き出した」のがそれであることは、去年6月の幕張ライヴの冒頭でも明言されていた。
単に5万人(?)が観客として集まっただけではa「奇跡」とはいえまい。しかし、その5万人の老若男女がすべてコルセットを着用して、一糸乱れず「合いの手」を挙げ、シンガロングし、モッシュシュやWODをしていたら、その壮観はまさに「奇跡」と言うべきものではないか。
(さらに言えば、黒ミサ、赤ミサのドレスコードも課されていたら、なおさら「奇跡」になるはずだとわくわくするが、さすがにそこまではやらないだろうし、その「伏線」は見当たらない)


もちろん、妄想です。
ありえない。
でも…、ありえないことを次々と実現してきたBABYMETAL、「道なき道」を切り開いてきたBABYMETALの東京ドーム公演は、単なる5万人動員のライヴ、だけでは終わらないような気が、より強くするのです。

「謎かけ→謎解き」「伏線→回収」の荒れ球、果たして、今回はどっちに行くのか。
いずれにせよ楽しみです。





BABYMETAL探究(「大志」考)

2016-01-02 19:05:45 | babymetal
いよいよ2016年の幕開けである。
年末に帰省への出発とすれ違いになってしまい受け取れなかったフードタオルも、たった今、ようやく受け取った。あとは、13日の「The One」への登録の日を待つだけである。これ、袋もカッコいい!何か、よい再利用の仕方はないかなあ。

それにしても、楽しみだらけの新年幕開けである。

もちろん、ニューアルバム(タイトルは、やっぱり『The One』?それとも(それこそ英国のQUEEN等に倣って)『BABYMETAL Ⅱ』?)の降臨がまず何といってもワクワクドキドキ待ちきれないのだが、収録される”新曲”群の「解禁」に伴って、WOWOWで1回放送したきりの、昨年6月21日開催の『巨大天下一メタル武道会』の、正式な映像盤や音盤のリリースが期待できるのも、実に実に楽しみである。
「チガウ(仮)」や、ラストの「THE ONE」(6月の幕張での一部のみ初披露の段階では、<神秘的な、SU-METALによる謎のスキャット>でしかなかったが)を含んだ完全版が、ようやく正式リリースされるのでは、と待ち遠しい。

年末年始に実家の大画面テレビでBABYMETALのライヴ映像をいくつか観たが、自宅の小さな画面やパソコンのディスプレイで観るのとはやっぱり全然違った。
で、『新春キツネ祭り』も『巨大天下一メタル武道会』も、大画面で見ると、その迫力というか大画面のすみずみまで行き届いた楽しさの完成度は、もう、言葉を失うしかない。
WOWOW等で録画しておいた他のアーティストのライヴ映像をいくつか観た後だったので、BABYMETALのライヴの楽しさの”凝縮”度を、つくづく痛感した。
もう他のアーティストのどのライヴ映像を観ても”ダラダラしている””ゆるんでいる”と感じてしまう、そんな身体になってしまった自分がいた。

いやほんと、BABYMETALのライヴ映像は、どの瞬間どの瞬間にも、画面の端から端にまで、溌溂とした魅力がみなぎっている。
高濃度の「魅力の飽和状態の緊張感」を保ったまま、激しく楽しく美しい楽曲の演奏にのって、激しく楽しく美しい3姫の歌と舞踊が、最初から最後まで疾走し続けるのだ。
そして、会場まるごと波しぶきをあげながらうねり続けるような<観客との一体感>よ!
”これ”を観てしまうと、もう他では物足りない。
とりわけMCで、気が抜けてしまうというか醒めてしまうというか。
<MCナシ>というBABYMETAL独自のスタイルは、観客の沸点に達した熱狂に水を差さない・醒まさない、というたいへんな効果があることを(他と比較することであらためて)痛感したのだった。

そうそう、横アリのライヴ、WOWOWでの放送も「今春」ということは決定している。「今春」では、ニューアルバムリリースとの前後関係もはっきりしないのだが、WOWOW放映では、新曲を映すということは今度もないのだろうか?
いやいや、それでは放送自体が不可能である。
収録日は12日・13日の両日になっているが、どのような構成の放映であるにせよ「The One」を省いてはこの両日のライヴの放映として意味をなさないだろうから。
「カラテ(仮)」が放映されるかどうかは予測もつかないが、2Daysのライヴをどのような構成で放映するのか、いずれにせよ、たいへんたいへん楽しみである。
12日のライヴももちろん観て見たい。会場のほとんど全員が恐らく言葉を失ったであろうオープニング(「泣いた」という感想、よくわかります。この曲からはじまるなんて誰も予想もしていなかったし、そこにあのSU-METALの神々しい歌声が響きわたるのだから、泣いて当然です。泣かない方がおかしいと思います。)、13日には演じなかった「紅月」「4の歌」そして神バンドの新インスト、どれも観たい・聴きたい。

さらにさらに、よく考えてみれば、「新春キツネ祭り」の映像盤もまだ一般販売されていないのだ。ということは、これも含めて、 『BABYMETAL 2015 Trilogy完全版』として、4枚組の映像盤の正式発売、もあるのではないか?などと勝手な妄想に胸をふくらませてもいる。

で、今年はじめのこの「探究」では、新年にふさわしく、BABYMETALの「大志」をめぐってあらためて考えてみたい。

BABYMETALが、単なる魅力的な1バンドであることを超えて、僕たちにとって「空前絶後」「唯一無二」の絶対的な存在になってしまったのは、BABYMETALが僕たちの想定を超えたはるかはるか高みを見ている、その「大志」から滲み出てくるもので(も)ある。

「世界征服」
と高らかに(書初めの筆文字で)掲げたのは、「イジメ、ダメ、ゼッタイ」のリリースすなわちメジャーデビュー直前の、2013年の番組「ハッピーMUSIC」でのことだったが、それは、単に、国内を飛びだして世界中をマーケットにする、という意味での「世界制覇」のことではない。
むしろ、そうしたビジネス戦略、販路拡大等とは別の次元における「大志」こそ、僕たちがBABYMETALに感じる「聖」性の「核」(のひとつ)なのだ。
番組内でも、「私たちは、オンリーワンのユニットを目指しているんですけど、世界中の人たちに、何じゃこりゃ!と思ってもらえるようなユニットになるために、ぐんぐん成長中です」と語っていた。

皆さんもよくよくご存知のはずのこの文言だが、こうして書き写してみると、改めて鳥肌が立つ思いがする(このころからBABYMETALを見続けてきたファンの方の素の感想をぜひお聞きしたいものだ)。今実際にBABYMETALが成し遂げていることが、まだ幼かった3人の可愛らしい笑顔・挙措を通じてこっそりと、そして、堂々と「予言」「宣言」されていた、というこのストーリーは、やはりとんでもなくドラマチック、というか、恐ろしい、というしかない。

ぐんぐん成長中!

そうその通り。しかし、その「ぐんぐん」ってどれだけ「ぐんぐん」だったのか、誰も予想もできないオバケな「ぐんぐん」だった、ということだ。

また、SU-METALがその口から発し続けてきた「アイドルでもメタルでもない、BABYMETALという新たなジャンルを確立したい」という文言も、まさにその「大志」の極めてソリッドな表現だろう。

去年末、NHKの『BABYMETAL現象』のラストでSU-METALがこの文言を口にするのを耳にしたときには、しかし、僕自身この言葉を、「言い訳、自己正当化」というか「ユニークな自己紹介」というか、そんなふうにしか受けとめていなかったように思う。
このブログの初めにも、そうした僕の浅薄な理解がぷんぷんしていたはずだ。一年前の僕は、あくまでも「BABYMETALはヘヴィメタルなのだ」ということにこだわり、それを強弁したくて仕方がなかったのだ。
もちろんそれは、今でも、決して間違っていたわけではない。
が、それはBABYMETALのいわば「土台」の指摘でしかない。

僕がそんな風にBABYMETALを浅くしか理解していなかったいちばんの「原因」は、何といってもやはり、BABYMETALのライヴを体験していなかったことだ。

そう、「アイドルでもメタルでもない、BABYMETALという新たなジャンル」ってその実質は何?と訊かれたならば、現場でライヴを体験せよ、と言えば足るのだ。
逆に言えば、BABYMETALのライヴとはまさに「アイドルでもメタルでもない、BABYMETALという新たなジャンル」の一回一回の具現化、でもあるのだ。

今までに経験した他のどのバンドのライヴとも異なる、まったく異次元の楽しさの体験、それがBABYMETALのライヴだ。
そこには間違いなく、ヘヴィ・メタル・バンドのライヴの熱狂がある。
また、そこには(これは僕は体験したことがないので憶測でしかないが)おそらくアイドルのコンサートの楽しさ・一体感があるだろう。
しかし、BABYMETALのライヴは、それらを含みながら高い次元へと「止揚」した、全く独自の唯一無二の<音楽&演劇>時空間なのだ。

その(現段階での)最高峰、が、言うまでもなく、横アリでのライヴであった。
3体のキツネ・スフィンクス(?)というセットは、皆さんご指摘のように、例えば『パワー・スレイヴ』のジャケットを髣髴させる(僕は、『背徳の掟』のジャケットのメタリオンのキツネ・ヴァージョンという印象をも持った、いずれにせよ)完全にメタル由来のものである。3姫の服装も、”戦う(美少女)”のそれなのだ。
が、しかし、YUI・MOAの”尻尾”をはじめ、3姫のたたずまいは、他のメタルバンドの女性メンバーとは全く異なるテイストのどうみても”アイドル”由来というべきものだし、何といっても3姫の存在そのものが、(これまでの)ヘヴィ・メタルとはいちばん遠いもののはずなのだ。

もちろん、BABYMETALは、ヘヴィ・メタルという出自へのリスペクトは今後もずっと(その名にMETALを負う者の使命として)持ちつづけるだろう。
そうしながら、BABYMETALという”新たなジャンル”の具現化を、「大志」として実行し続けるのだ。

BABYMETALという”新たなジャンル”、それをひときわ顕わにしているのが、新曲群、だ。

これぞパワー・メタルという曲調の「Road of Resistance」以後、ライヴで披露された4曲の新曲は、ある意味「これって、メタルじゃなくね?」と言われても仕方がない楽曲、と言えるかもしれない。
しかし、それが、SU-METALの歌声と、YUIMETAL・MOAMETALの煽りあるいはコーラス、そして3人の舞踊によって「演」奏されることによって、まさに「BABYMETALという新たなジャンル」のうちの魅力的な一曲として僕たちの前に呈示される。

その先陣を切ったのが、4曲中唯一公式に名が明かされている「あわだまフィーバー」だ。
正直に言って、僕は(も?)最初にネット上の音源を耳にした時には、「微妙」と感じた。「ギミ・チョコ!!!」の二番煎じ…?、でも、衝撃力は劣るなあ、という印象だったのだ。
ところが、(皆さん異口同音におっしゃるように)BABYMETALの楽曲はどれもこれもスルメ曲なのだった。この「あわだまフィーバー」も、いつのまにか、ライヴでのキラー・チューン、会場全体をカワイさで揺さぶる「鋼の楽曲」になっている。
こんな曲のこんな「演」奏は、世界中のあらゆるバンドの中で、ただBABYMETALのみが実現できるものだ。

「カラテ(仮)」もそうだ。
この曲、もうすでに聴くたびに涙ぐまずにはいられない神曲になりつつあるが、少女たちの澄み切った「セイヤ、セッセッセセ、セイヤ!」「押忍!」ではじまる、こんな奇妙な要素が取り合わせられた楽曲を、ギャグではなく、聴き手に涙を浮かばせるような真摯なロックの楽曲として成立させる、なんてことは、SU-METALの歌声、YUIMETAL・MOAMETALのスクリーム、3人のカワイく凛々しい「演」奏によって初めて成立する「奇跡」のバランスによってのみ、である。
とりわけこの曲の、ミドルテンポに、凄みを感じる。
これこそ、新しいBABYMETALの姿(のひとつ)だ。
デビューの時からオンリー・ワンであったBABYMETALだが、「高速」であることによって”メタル”成分をいわば「確保」していた初期からの、いわば「脱皮」を顕わにした1曲、だ。

そして、さらに、BABYMETALの「大志」とは、今までも紙芝居で語られていた、以前からいわば「啓示」されていたものでもある。

曰く、「メタルで世界を一つにする」ためにメタルの神、キツネ様から「選ばれた3人」、それがBABYMETALなのだ、と。

この、マンガのような設定を、もはやネタとして笑って楽しんでだけいるファンはいないはずだ。だって実際にBABYMETALの3人は、一歩一歩、それを実行・実現しつつあるのだから。

例えば、先日の、ANAのラジオでの葉加瀬太郎との対談を聞いてもよくわかる。
こうした崇高な予言・啓示を(国境を超え、言葉の壁を超え)身をもって実行する3人の美少女たち(もう少女と呼ぶのが憚られるようになってきたが)。
これは、彼女たちは21世紀の神話の実現者でもある、ということだ。


”Tシャツ商法”などと揶揄する(これは、アンチからではなくむしろファンからの「自嘲」「自虐」であるのだろうが)コメントもときどき目にすることがある。
僕自身、昨年1年間で購入したTシャツは、11枚になった。
ライヴ映像盤、ライヴ音盤、そしてTシャツやグッズ等、たくさん「買わされ」ている。

しかし、僕が例えばTシャツを買うのは、僕自身、それを着るのをいわば「誇り」にしているからだ。

街を歩く人の99%はおそらく未だその存在を知らないであろうBABYMETALのTシャツを身にまとい街のあちこちに出没すること、それは、「メタル・レジスタンス」のささやかな実行であり、単にBABYMETALのファンだから、好きだから、というだけではなく、「啓蒙」という意識がどこかにあるような気がする。

そうしたことを(意図的にではないが)僕(たち)は、自らがベビメタTシャツを身にまとい、各地に出没することで、世に広げようとしているのかもしれない。そうしたファンひとりひとりの日常生活の行動まで広がって、「The One」の「大志」は実現されるのだ、と思う。

ただし、この種のファンの思いあがり・独善には気をつけなければならない。
偉い・凄いのはBABYMETALであって、ファンではないのだ。
虎の威を借るキツネ、に僕たちがならないように、気をつけねばならない。


改めて、そういう謙虚な思いに身を引き締めながら、この「奇跡」のBABYMETALを巡って、今年も、極私的な「探究」をしていきます。
どんな1年になるのか、想いを馳せただけでクラクラします。

お暇なときに、立ち寄ってください。