ケルベロスの基地

三本脚で立つ~思考の経路

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BABYMETAL探究(巨大天下一メタル武道会・雑感2~「ギリギリ」考)

2015-10-30 00:59:59 | babymetal
ステージの狭さ、というのは僕の錯覚なのかも知れないが、しかし、ワンマンでは過去最大級のライヴ「巨大天下一メタル武道会」であったにも関わらず、ごくごく限られたスペースで3姫は「演」奏していた、これは、映像を観ると、間違いないことだ。

あるいは、あの三角形のステージの「鋭角」が、そうした印象を与えるのかも知れない。

『Red Night・Black Night』や『Live in London』と比べて、実際のステージでの「可動域」が狭いということはないのかもしれないが、もうそれ以上先に行けば落ちてしまうという限界線がそこにありありとあることで、「ギリギリ」の緊迫感を感じてしまうのだろうか。

そうした空間的な制限「枠」を設定することで、BABYMETALの3姫の舞踊の緊迫感が増し、観ている僕たちに、「ギリギリ」の、「ストイック」な、「タイト」な、といった印象を与える、ということは、たぶん間違いない。
そして、その印象は、まさしくヘヴィ・メタルがもたらす興奮・緊迫感なのだ。

観ているだけで全身が汗ばむ(目には涙がにじむ)

そんな反応を起こさせる彼女たちの舞踊は、単に高速・轟音ヘヴィ・メタル音楽を奏でるバックの楽器隊の演奏に載って、美少女3人が歌い・踊っている、というのではない。
彼女達の身体の動きそのものが「ギリギリ」を体現している、のだ。
つまり、SU-・YUI・MOAの舞踊それ自体がヘヴィ・メタルの体現、としての「演」奏、すなわち、目で見て(も)感じるヘヴィ・メタルなのだ。

これこそが、”メタル・ダンス・ユニット”BABYMETALの本質だ。

彼女達が「METAL」を名に冠していること、そのことに、(俺たちの)METALをアイドルのネタにされた!、と、侮辱されたかのような憤りを感じた方も少なからずいただろうし、今もいるだろう。
しかし、彼女達の「懸命」な(まさに、命を削った)「ギリギリ」のステージを目にすれば、数十年来のメタルヘッズであっても(いや、むしろ、そうであればあるほど)「これは俺たちの愛してきた本物のメタルだ!」と(鳥肌を立てたり、涙を流したりしながら)笑顔でうなずくことになるのだ。

それも、まったく今までに見たことのない、そんなことがありうると想像すらしたことのない、超絶美少女3人の歌・舞踊・合いの手というかたちでのヘヴィ・メタルの体現、が。

そんな、ヘヴィメタル「魂」の唯一無二の権化、それがBABYMETALなのだ。

サーカスの綱渡りや空中ブランコではないが、YUI・MOAの舞踊は、単に高速なダンスという以上に、「極限」を感じさせる「ギリギリ」の動きが満載だ。

例えば(わかりやすい典型例をあげるならば)、

「メギツネ」の扇風機ヘドバン。
「ヘドバン・ギャー!」のジャンプ。
「イジメ、ダメ、ゼッタイ」の駄々っ子ヘドバン。

等々。どの楽曲にも、こうした「ギリギリ」のスリリングな動きが蔵されている。

YUI・MOAの「Danscream」のいちばんの機能(目的)が、観客を「煽る」ことにあるとすれば、彼女たちのそうした「ギリギリ」のスリリングな動きはまさに「煽り」だ。
僕たちはそれによって、常に体温があがり、精神的に昂揚した状態でステージに接しているのである。
(そして、恐ろしいことに、彼女たちの超絶美少女ぶりまでもが、「煽り」としてたいへんに機能している。単に可愛い少女たちがメタルを演じているのではなく、可愛いことが先鋭なヘヴィ・メタルとしての「極悪」な機能を果たしているのだ。まさに、なんじゃ、そりゃ?だが、でも、事実そうなのである。とりわけ、最近のMOAMETALの凄さ、には驚嘆させられっ放しである。これについては、近いうちに探究したい。)

ステージの「狭さ」、空間的な「ギリギリ」の話に戻ろう。

武道館の”あの事件”があったにも関わらず、今回の「巨大天下一メタル武道会」のステージには、柵などは見えない。
もちろん、それなりの安全策はとってあったのだろうが、<落ちないように安全にしています>なんていうのを見せるのは、「ギリギリ」感を削ぐ。それが全くない。逆三角形のステージの上で、「ギリギリ」のタイトな動きを「演」じてみせるのだ。

その「ギリギリ」をとりわけ象徴するシーンが、三つ。
オープニングの「BABYMETAL DEATH」での、狂乱。
「イジメ、ダメ、ゼッタイ」での、YUI・MOAバトル。
最後の「Road of Resistance」での、高みでのWOWWOWの指揮、だ。

「BABYMETAL DEATH」
始めはいつものそれ、三人の立ち位置のトライアングルと舞台の三角形がシンクロして、美しささえ感じさせるむしろ静謐さに満ちたパフォーマンスだが、後半、ブレイクダウンの後、三角形の各頂点に3人が位置し、飛び跳ねはじめると、途端に「ギリギリ」感が沸き立つ。
そして、「狂乱」の駆け廻りのシーンになるのだが、武道館やロンドンのそれに比べても、このヒヤヒヤ感は群を抜いている
最後に「DEATH!DEATH!」と腕を振り上げて観客を煽りながら、ステージの端を歩き回る姿も、まさに、「ギリギリ」感満載である。
ライヴ当日は、Cブロック後方だったからステージが見えなかったし…というのは言い訳で、たとえしっかり見えたとしても、ライヴがはじまったという昂揚感の爆発のためにそんなことは気がつくはずもないのだが、こうして映像化されると何度でも見返すことができ、改めて、このステージのとんでもなさを痛感しているのだ。

「イジメ、ダメ、ゼッタイ」。
この巨大天下一メタル武道会のステージがとてつもなく狭い、と気づいたのが、やはり(このブログ主だからこそ)この曲のあのバトルシーンだった。YUIと同時にMOAが”決め”のポーズをつくるのだが、そこで(フォースの?)力を溜めるような全身の盛りをつくった後、YUIMETALに襲いかかる。
他のヴァージョンならば、MOAMETALが上手に大きくハケて、そこから駆けてきてキック!等でバトルがはじまるのだ。しかし、今回のステージではその助走の距離をとることができない。必然的に、接近戦・肉弾戦の様相を呈する。より精神的な緊迫感のある(まるでコーマック・マッカーシーの小説内でのリアルな「斬り合い」を思わせるような)バトルである。

「Road of Resistance」
両端のYUI・MOAと、舞台中央のSU-が、リフト(?)で高みまで昇り、WOWWOWの合唱を煽るのだが、YUI・MOAの台には支えと転落防止用の鎖があるのが見てとれるが、SU-METALの台にはそうした柵や支えは何もない(ように見える)。
仁王立ち。
「巨大メタル天下一武道会」の謳い文句(冒頭の紙芝居で宣言される)は、
あの~天下一メタル武道会ファイナル~から再び、己のの限界が試される時が来た。巨大魔法陣によって動き出した時計の針は、もう誰にも止める事は出来ない。すなわち、MCも無ければアンコールも無い。武道会に召喚された瞬間から、既にバトルは始まっているのである。そう破滅へ向かって・・・
というものだが、
その掉尾を飾る楽曲であり、さらには、BABYMETALという存在そのもののマニフェストとも言うべきこの曲で、はるかな高みにSU-METALが柵なし支えなしですっくと立っている凛とした姿は、まさに「女王」のそれ、である。
これも、単に舞台中央に立つのではなく、ちいさな面積の台座に立ち遙か高みに位置しながら、という「ギリギリ」感が、よりいっそうSU-METALの崇高さ・女王ぶりを高めているように感じるのだ。

(僕もその2万5千分の1だった)大群衆観客の、息のそろった合いの手やモッシュやWODの(埃っぽい)スケール感と、いつものように溌剌と魅力をふりまきながら、とんでもなく汗だくで、とんでもなく狭いステージで歌い踊りまくる3姫の(キラキラの)精妙な「ギリギリ」感との、アンバランスのバランスによって、この「巨大天下一メタル武道会」の映像は、BABYMETALの他のライヴ映像にはない独特の「熱さ」を発している

(つづく)
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BABYMETAL探究(巨大天下一メタル武道会・雑感1)

2015-10-25 00:47:02 | babymetal
仏教の根源的な考え方に、「煩悩」こそがあらゆる苦しみの源であり、人間は世俗で暮らしている限り「生・老・病・死」をめぐる「煩悩」に振り回されながら思い通りにならない苦しみを送るのだ、というものがある。(雑駁な理解だが、大筋は外れていないだろう)
そこからの「解脱」を求めて、ブッダ自身、「煩悩」のいわば発生源である妻・子を捨てて、「煩悩」を消し去るための修行の旅に出た、のだった。

その「苦=思い通りにならないもの」のひとつに、「求不得苦(ぐふとくく) - 求める物が得られないこと」というのがある。いわゆる「四苦八苦」の「八苦」のひとつだ。

今の僕の状態は、まさにそれ、出家前のゴータマ・シッダルタ状態、「煩悩」に振り回されっぱなしの状態だ。
横アリになんとか参戦したい、でも当選できない、でも可能性がある限り「観たい」「会いたい」…。
そんな煩悩が掻き立てられ、でも、それが(今のところ)やっぱり叶わない、という苦しみが募る、そんな日々を過ごしているのである。

実は、すでにもう「ライヴ・ビューイング頼み」の心境になっているが、まずLVが開催されるのか?されたとしてこれも抽選だろうし・・・、とこれもさらなる煩悩をかき立てる・・・。

まあ、これからもこうした苦しみはずっと続くのだ。
いわば、BABYMETAL道、である。

それに耐えながら、たまさかのライヴ参加という僥倖で乾きを癒しつつ、年間365日のほとんどは、映像盤や音盤を楽しむ、という日々が、BABYMETAL道をゆくファンの日々なのである(そう、自分に言いきかせている)。
BABYMETALに限らず、誰かの熱心なファンになるとは、こういうことなのだろう。ファンであるがゆえの喜びと苦しみ。
やはり、苦楽とは、いつでも「糾(あざな)える縄」のようなものとして綯い交ぜになっているのだ。
こうした「落選」という苦しみも「込み」で楽しむ、という、「大人」であることが、BABYMETAL道には必要なのだろう。

えらく抹香くさい文面になってしまったが、いまの僕の偽らざる心境である。
…でも、同好の皆さん、まだまだ頑張りましょうね。
成功への道とは諦めない事である、と言うじゃありませんか!

ちなみに、こうした経験を経て、僕は、握手券付CDをたくさん買えば確実に(?)握手ができるシステム、というのは、たいへん「正当」なシステムでもあるなあ、と実感している。肯定的に評価はできないし、全くしたくもないし、BABYMETALに於いては「当選」を勝ち取った者のみが拝顔できる、という、今のシステムに異存はないけれども、例えば「The One」に入ってるのだから、確実な割合でライヴ当選させろ!一日も当然しない人もたくさんいるのに、両日当選者がいるってどういうことや!という気持ち(僕はこうは思わないが、こう思う人は少なからずいるだろうと理解はできる)の延長線上に、たくさん買ったら握手できます、というシステムがあるはずだから、心情的に共感できなくはないなあ、と思い始めてもいるのだ。

って、とんでもなく、心が弱っているのだろうか?BABYMETALファン失格だろうか?

…と、そんな「煩悩」に振り回されて苦しみながら、仕事と私用がいろいとろ重なり、ブログ更新がなかなかできない日々が続いている。

そんな僕の状況には関わらず(当たり前だ)、BABYMETALをめぐっては、連日、ネット上等で、ブログのネタにもなるような興味深い出来事がどんどん出てきている。
その最大のものが、WOWOWでの6月の幕張ライヴの放送、そして、新春キツネ祭りの音盤(とレインポンチョの)到着だ、が、それらを切口に、BABYMETALについて腰を据えて「探究」することまではまだできていないし、しばらくできそうにない。

花火を打ち上げた「Danscream考」、それを「探究」するための鍵の幾つかが、これらの映像と音盤に(も)あることは間違いないはずなのだが、じっくり考察を重ねる時間がとれないのだ。

仕方がないので、ここでは、少しずつでも、気がついたことを書き連ねておこうと思う。
いわば「覚え書き」だ。
まあ、このブログ自体が、「塵も積もれば・・・」の作業なのだから、それでいいのである
(と、すぐこんな風に「ケロケロ」と考える僕も、YUIMETALと同じO型 なのDEATH!)。

まず、WOWOWで放映された、6月21日の幕張ライヴ『巨大天下一メタル武道会』を観て、気づいたこと・感じたことをいくつか書いておきたい。

まだ、録画したものを6回しか観ることができていないのだが、放送を観て、実際にライヴに参加された多くの方同様、僕も「ああ、あの日のライヴって、こうなっていたんだ!」と初めて理解したことがたくさんあった。
何しろ当日は、ステージはほとんど見えなかった(そんなことは気にならないほど「熱狂」していた「初ライヴ」だった)から、ステージでの3姫や4神のパフォーマンスをつぶさに「観る」のは初めてだったのである。

それでも、放送を観ながら「そうそう、そうだった」と、思いだしたこともいくつかはあった。

その筆頭が、冒頭の紙芝居だ。
「2014.3.1 赤い夜 LEGEND 巨大コルセット祭り ~天下一メタル武道会ファイナル~」の絵が映るが、その中の、3姫が手に白光の輪(実はコルセット)をもって駆けて来るシーンである。
その感動的なこと!

この放送を観て、確かにライヴの現場でこれに遭遇したことを、思いだしたのだった。
現場のリアルタイムでは「さあ、いよいよBABYMETALのライヴが始まるのだ!」という(初体験の)高揚感で舞い上がっていて、一瞬の感動をすぐに忘れてしまっていたのだが、改めて放映盤を観て、当日感じた、あの「戦慄」を味わいなおしたのであった。
(映像盤できちんと見ると、SU-METAL、YUIMETALのはじけるような笑顔と対照的に、あのMOAMETALの苦しそうな顔が確認でき、改めて限界を超えていたんだな、と目頭が熱くもなる。…この辺の「真相」をメンバー自身がいつか語ってくれる日が来るのだろうか、でも、たとえそんな日が来たとして、その時僕はまだ生きているだろうか…これはマジな感慨である)。

今となっては、2015年6月21日の幕張メッセでのオールスタンディング・ライヴが、「巨大天下一メタル武道会」すなわち、「MCもなければアンコールもない。武道会に召喚された瞬間から、既にバトルは始まっているのである」という宣言にはじまる、ノンストップ・ライヴであったことは「事実」なのだが、ライヴ当日のリアルタイムにおいては、(少なくとも僕は)今日のライヴがまさかあの(僕にとっては「伝説」の)「赤い夜」と連続しているなんて思ってもいなかった。

2万5千人の、誰ひとり、予想していなかったはずである。

だって、「赤い夜」は、「天下一メタル武道会ファイナル」だったのだから、その後にまた「天下一メタル武道会」が来るはずがないのである。
「巨大」がついた、ということでイクスキューズは成立するのだが、このへんの「設定の歴史」を踏まえた意外な演出、も、BABYMETALの魅力のひとつである。
あ、もちろん、批判しているのではない、「ああ、シルバー仮面とシルバー仮面ジャイアントとは別物だもんな」というようなわけのわからない納得をして、また狂乱に戻ったことを思い出したのだ。

一期一会、というのはおかしいが、例えば次の「横アリ」でどんなステージになるのかわからなくってワクワクする、というのが、BABYMETALの楽しさで、もちろんどのアーティストのライヴもそうなのだが、BABYMETALのライヴは、せいぜい1時間半、おこなわれる楽曲も固定されている、というもう一つの側面があり、不易流行、というべきかもしれないが、その「反復と差異」が毎回のステージ演出をそれぞれ魅力的にしている。

で、放映版の映像を観て気づいたことのうち、まず最初に書くべきことなのは、

このステージ、何て狭いんだ!

ということだ。
一辺10mくらいか。
ライヴの現場(Cブロックの後方)では「全く」わからなかったが、今回のステージは、三角形形をしていた。三角形にこだわるのは「トリロジー」の形象化としてよくわかるのだが、ステージ最前辺が最大の幅で、奥に行くにしたがって急激に狭くなるこのステージは、「2万5千人オールスタンディング」という観客側の大きさに目を眩まされがちだが、実は、とんでもなく「狭い」ステージではないのか?

ライヴ当日の夜に書いたブログには、「イジメ、ダメ、ゼッタイ」のYUI・MOAバトルに関して、YUIMETALだけでなく同時にMOAMETALも「キメ」のポーズを見せたことに対して、「全く新しいヴァージョン降臨!」と無邪気に興奮した記事をあげたのだが、こうしてステージの見える映像を確認した後では、あの「キメ」は、単に新たなヴァージョンというだけではなく、ステージの狭さから来る「必然」であったのだ、ということがわかる。

「赤い夜」でも、真ん中のせり上がる狭いスペースを使った「ウキ・ウキ★ミッドナイト」(よりにもよってこの曲で!)の超絶舞踊があったが、こうした、あえて「狭い」場を設定してダンスの緊迫感を高めるという、ドS(いや、むしろ、ドM、か?)の設定は、今後もBABYMETALのひとつのステージングの基調になるのだろうか。
いったいここにどのような意味(あるいは機能、もしくは必然性)があるのか?

(つづく)
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BABYMETAL探究(番外編:落選ノ記)

2015-10-16 00:29:25 | babymetal
しょぼ~ん…

タイトル通りです…。

今朝は、起きてすぐに、パソコンで、クレジットカードの使用明細をWebページで確認し(昨夜確認した時に、つい最近ネットで購入した本の支払い明細もまだ上がっていなかったので、仮にチケットの引き落としがあったとしてもまだ記されていない、とわかっていたのに、でも、ひょっとしたら…と思いながら。昨夜は、最新で「アミューズ」の引き落としが記載されているのを見て、一瞬やった!と思ったけど、値段や日付を見て、ああ、CDとレインポンチョか、と溜息をついたりしました。)で、たまたま、12時過ぎに家を出たら仕事に間に合う日だったので、「当落発表」まで、身支度や仕事の準備をしたりしては、またクレジットカードのWebページを確認し、と、落ち着かない時間を過ごしていました。

11時50分になると、ひょっとして、もう…なんて、BABYMETAL TICKETのページを開き、「抽選待ち」の表示のままなのを確認し、身支度に戻り、なんてしていたら、12時になりました。腕時計の秒針を見て、12時1分になるのを待ち落ち着いてるよ、俺は、というつもりだったのでしょう、たぶん)、パソコンの前に座ると、メールが来ていたので、無造作にクリック。

=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=
INFORMATION FROM 「BABYMETAL TICKET」
=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=

この度は「BABYMETAL TICKET」をご利用いただきましてありがとうございました。
お申込みいただいたチケットにつきまして厳正なる抽選を行った結果、残念ながら席のご用意ができませんでした。


あれ、どういうことかな…、と、二三回読み返し念のため、開いたままにしていたBABYMETAL TICKETのWebページを更新してみて(数分前と違って)「落選」の表示になっているのを確認し、パソコンを閉じたのです。

さあ、仕事だ、とパソコンを鞄に入れて、家を出たものの、身体に力が入らないのです。

「悲しい」というのとも違う。
落選は、もちろん想定はしていたことですから、「ショック」「脱力」というのでもない。
まさにこれが「落胆」なのでしょうか。「胆」すなわち「身体の芯」に力が入らない感じなのです。

申し込みの仕方に選択の余地はなかったので、「後悔」は全くない。
誰のせいでもないから「恨み」など微塵もあるはずがない。

ただただ「しょぼ~ん…」として仕事に向かったのでした。

職場では、もちろん、そうしたことは意識にのぼらせないようにして、普段よりも誠心誠意で仕事をしました。そうした集中はできたと思います。
(ライヴの申し込みに落選したからといって仕事が杜撰になるなんて、BABYMETALに申し訳がたたない、3姫に対して恥ずかしいですから)

で、仕事が終わり、帰宅の電車の中で、パソコンを膝に、これを綴っているのです。
今夜は、『黒い夜』のDVDを流しながらです。

こうして綴ることで、少しは「しょぼ~ん」が緩和されるような気もしてきました。
(こんな文章にお付き合いいただいて申し訳ありません。)

体験した2回のライヴが、本当に本当に楽しかったので、その反動の「しょぼ~ん…」の強さ、でもあるのでしょう。

まさに「お祭り」だったもんなあ、幕張も黒ミサⅡも、2つとも。

ライヴ自体ももちろん超絶的に楽しいのだけれど、その前後の、昂揚感・余韻。
(ふだんはなかなか目にしない)多くの黒シャツをまとった同胞たちと終結する、熱い場の雰囲気。
行きの新幹線の中で、あれこれ想像すること。
帰りの新幹線の中で、映像作品を観ながらあれこれと反芻すること。

そういう前後の時間の感慨をも含んで、「生きていてよかった!」と感じるのがBABYMETALのライヴなので、それを摑みそこない、次にそれがいつあるかわからない、という体感、それが、「しょぼ~ん…」なのでしょう。

あっ、今、「黒い夜」の「No Rain,No Rainbow」がはじまりました。
何か、今まででいちばん胸に滲みる「No Rain,No Rainbow」です。
やば…

SU-METALのしぐさ・表情、こんなに切なかったのですね。
あらためて、感動しています。
この歌をこんな状況でこんな気持ちで聴いている、ということも、今後忘れられない思い出になるのかもしれません。

そして…次は…
そう、もちろん、あの「紅月」です。
今日、「しょぼ~ん…」を奮い立たせるために、何度も何度もこの曲をウォークマンで聴いたのでした。でも、観るのは(今日は)初めてです。

いやあ、カッコいい。美しい…。
それに、「ほろびるま~で~」で下に伸ばす右手のさきのクイッ、の可憐さよ。
何度見ても、そのたびに、新たな感嘆の吐息をつきます。

こんな美しい映像作品がいつでも観られるのだから、ライヴに行けなくてもまあいいか。

なんて、そんなことは全く思うはずはない!!!!
BABYMETALの生のライヴは、(同義反復ですが、こう言いたくなるほど)なまなましい全く別の次元の世界なのだから!


…ですが、でも、何かだんだん癒されてきた気はします。

まだ、数回は、今度の横アリの抽選に参加するチャンスはあるはずですから、最後まで挑戦し続けます。

娘と一緒にダメジャンプ!

それを、叶えるために!
父ちゃん、まだまだ頑張っど!
(自信もアテもないけど…それでも!)

今日の僕と同じような想いをなさった方も大勢いるでしょうね。
お互いに、くじけずに、頑張りましょう!

Put Our Kitsune Up!
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BABYMETAL探究(Danscream考・番外編 Perfume偶感)

2015-10-15 00:14:30 | babymetal
「Danscream考」もいきなり番外編になってしまうのだが、それは、「MJ presents Perfume 10th Anniversary」(Perfumeの、結成15周年、メジャーデビュー10周年、のスペシャル番組)を観たためである。
特にPerfumeのファンというわけでもない僕も、時々涙をにじませながらの視聴になってしまった。熱いものがいろいろとこみあげてくる、いい番組だった。
(いつかBABYMETALもこんな番組を…と思いながら見ていた…。)

同じアミューズ所属、広島アクターズスクール出身、ダンスで魅せる3人組のアイドル、という共通項も持つPerfumeは、BABYMETALを考える上で、絶えず参照項になる存在だろう。
とりわけ、MIKIKO先生との関係性についてメンバーが語る(…もらい泣き…)なんてことは、BABYMETALにおいては(まだ)見たことがないので、この番組から類推・想像の羽をはばたかせたのだった。
(『ヘドバン』誌で、BABYMETALを語るMIKIKOMETALのインタビューは目にしたことがあっても、その逆に、MIKIKOMETALを語るメンバーのインタビュー、というものは目にしたことがない)。

今後、BABYMETALの「Danscream」を考える参考にもなるはずなので、忘れないうちに偶感を綴っておきたい。
(にわかなので、勘違い・間違いもあるかも…ご容赦を)。

これまで、MIKIKO(METAL)のインタビューを見たり読んだりしながら(何となくは)知っていたのだが、売れない時代も長かったPerfume3人の、「ポリリズム」をきっかけにして世界が180度「激変」してゆくことへの驚きと感激と戸惑い、でも、そうした「怒涛の」盛り上がりに浮かれることも奢ることも決してなく、つねに「初心」を忘れない謙虚な人柄に、番組を見ながら感じ入ってしまった。

(BABYMETALとも強く共通する)そうした謙虚な姿勢は、周りのスタッフとの関係性も大きいのだろうと思う。番組内には、中田ヤスタカとMIKIKOが映像で登場し、3人への(ふだんは近いからこそ言わない)熱い思いを語っていた(…もらい泣き…)が、この2人との出会い・関わりがなければ、Perfumeの今の成功はない。それは、自他ともに認めるところで、まずそれが3人の謙虚さの根源にあるはずだ。

BABYMETALの3人も、楽曲や振り付けやそしてステージで後ろを支える神バンドの演奏や、と、それぞれプロフェッショナルの大人たちの情熱をこめた丁寧な仕事に支えられて自分たちの「成功」「躍進」があるのだ、ということは心から理解したうえで、だからこそそれに負けないように、自分たちにできる「演」奏を毎回毎回全力で・魂をこめて行っているのだ。
「We are BABYMETAL!」
というSU-METALのシャウトの「We」には、会場じゅうの観客を吸いこんでしまう求心力がある。
それは、彼女の懸命のシャウトが、うわべだけのステージ上の演戯ではない、真心のほとばしりだから、でもあろう。
この3人だからBABYMETALなのだ、が、3人だけでなく、みんなが・みんなでBABYMETALなのだ!これは、おそらくSU-METALの心からの本音だろう。

Perfumeの3人が、中田ヤスタカと初めて仕事をした時にレコーディングでの冷たいダメ出しに泣かされた、と語っていたのも印象的だった。
今まで自分たちが歌ってきた歌(歌い上げる系の歌だったそうだ)とは全く異なる種の歌(リズムにノることが生命の楽曲)を与えられ、それを徹底的に厳しく鍛えられ、その成果として信じられない規模の「成功」を獲得してゆく、という姿は、まさにBABYMETALの姿でもある。

BABYMETALの3人がKOBAMETALのダメ出しによって泣かされた、という話は聞いたことはないが、自分たちが思ってもいなかったことを「やらされる」という<構造>は、今後もBABYMETALにつきまとう。それは、端的に言えば、彼女たちがプロデューサーによって造られたアイドルである、ということの証左である。
しかし、その「やらされる」ことを、ワクワクしながら「引き受ける」ことで、それは、彼女たちの主体的な「仕事」になる。
番組内で、Perfumeが「こんなカッコいい音楽ができる」という言い方をしていた。
同様の思いは、BABYMETALの3人も感じているはずだ。

この番組を見ながら、「アイドル」であるがゆえに懸命・謙虚である、ということが、どういうことなのか、改めて鮮やかに感じることができたように思う。
大人たちと、演者である少女たちとの、年齢差や立場を超えた、プロフェッショナルとしての関係性。
それが、PerfumeやBABYMETALの、謙虚さの源なのだ。
(「総選挙」という人気投票には、こうした、プロフェッショナルな演者である少女と企画する大人との対等な関係性、というものは感じられない。個人的には、おぞましい、と言うしかない世界がそこにある。まあ、だからこそ、その身も蓋もない「本音」が大衆的な商品として売れている、のかもしれないが…)

いちばんたいへんな振り付けは?」という質問に、あ~ちゃんが「近々のが、そうじゃな」と答えていたのも、ああ同じだ、と感慨深かった。
新しい曲を重ねるごとに、どんどん振り付けも高度化・難化しているのだ。
MIKIKO先生(MIKIKOMETAL)だからこその、現状に妥協しない挑戦的な姿勢は、PerfumeにもBABYMETALにも(そのたたずまいはずいぶん異なるけれども)同じように浸透し、燃える「魂」として滾っているのだ。

Perfumeの初の武道館公演は、結成9年目の2008年、3人が20歳の時(今、BIOGRAPHYを確認したら、2007年の11月の武道館公演時点での実年齢は、のっちが20歳、あ~ちゃんと、かしゆかは19歳だが、学年でいえば、3人が20歳になる年度の11月である)で、それまでずっと小さな会場やライヴハウスでやってきたから、「アリーナ!」と言うのが恥かしいというかこそばゆいというか畏れ多いというか、といった戸惑いが「密着取材映像」で見えたのが、とても印象的だった。
2週間重ねた練習で、あ~ちゃんの足の裏が水脹れになり、べろーんとはがれている絵も映った。当然と言えば当然だが、あれだけの完成度の高いステージを見せるために、まさに「血の滲む努力」を重ねているのである。BABYMETALの3姫についても、推して知るべし)
武道館公演のはじめ(?)に、3人で「本日は、ライヴハウス、武道館~!」と叫ぶのも、感涙ものだった。会場の規模は大きくなっても、熱い「初心」は変わらないのだ。
武道館公演の、コール・アンド・レスポンスで、「アリーナ!」「1階!」「2階!」「みんな~!」と会場中の観客に向かって叫びかけるのも、それまでの小さなライヴ・ハウスでの活動を思い起こしながらの万感の思いがこもっていた、という。

幸か不幸か(今のところ「不幸」といえそうな要素は皆無に思えるのだが、でも、本当にそうなのだろうか?BABYMETALは何もかもがあまりにもうまくゆきすぎているのではないか?その躍進の反動、光の裏面の影、それはどうなっているのだろうか?なんて番組を見ながら考えてしまった)BABYMETALは、ごくごく若いうちに(というかまだ幼いうちに)武道館という晴れ舞台に立つことができた。
武道館公演の女性アーティストとしての最年少記録樹立、なんて、Perfumeの長い下積みに比べると、たいへんな躍進である。
その人気の拡大ぶり・加速ぶりは、改めて考えてみると、異常としかいいようがない。

初の武道館ライヴでの、「アリーナ!」という掛け声を聴くことができるのは、BABYMETALの場合は、「赤い夜」の「4の歌」での、YUI・MOAの煽りの際だ。
MOAMETALの「スタンド~!」に続く、YUIMETALの「アリ~ナ~!」というケロケロっとしたシャウト。
そこには、Perfumeにあった「感慨」「万感の思い」などみじんも感じられない。実にあっけらかんとしたものだ。
しかし、もしも、これが、さくら学院のコンサートだったならば、菊地最愛も水野由結も、「感慨」「万感の思い」があったのかもしれないなあ、なんて妄想し、改めて、BABYMETALというユニットの不思議さを感じたのである。

やっている当人たちも自分たちがやっているとは信じられないような不思議な次元で、マンガを超える、ありえない出来事が起こっている

2010年には、Perfumeは、5万人の東京ドーム・ライヴを開催した。
公演後、MIKIKO先生と顔を見合わせて、ぼろぼろ泣く姿(…もらい泣き…)は感動的であった。5万人を前に、3人だけのステージをやりきったメンバーに「すごいね。こんなの見たことないね。」とMIKIKOが語りかけ、3人で頷きながら、あ~ちゃんが「ホンマにありがとう。先生のおかげじゃわ。こんなにカッコいいステージ…」と泣きじゃくりながらお礼を言うのもこみあげるものがあった(…もらい泣き…)。

MIKIKO先生にとってのPerfumeとは?という質問に、
「おおげさだけど、人生の一部ですよね。」と答えていたが、まさにそうであろう。3人と出会ったからこそ、いろんな仕事も広がった、というのも事実だし、それ以上に、人間としてお互いに無名の時代、3人が小学生の頃から、世界的人気ユニットに駆け上るまで支え合い・刺激を与え・受けあいながら、Perfumeを作ってきた、という思いは強いはずだから。

で、そのMIKIKO先生の語りの映像を観ながら、メンバー3人(とりわけあ~ちゃんは)スタジオで涙を滂沱させながら、
あ~ちゃん「うれしい。よう見てくれとる。ホンマにねえ。」、
かしゆか「こちらこそ、ほんとにPerfumeの一部ですね。先生がいないとここまで来れなかったし、Perfumeでいちばん注目されていて、みんなが好きって言ってくれているところを創ってくれている存在なので、ほんとにかけがえのない人です。」
のっち「メンバーですね。うん。一緒に悩みながら、同じプレッシャーを感じながら、進んで来たと思います。先生とは。」、
あ~ちゃん「ホンマにうれしい。こういう信頼関係ができているのも嬉しいし、すごい魅力的な人なのに、ウチらのこともまだこうやって、求めてくれているというか、期待してくれている、というのが嬉しいですね」
と語っていた(…もらい泣き…)。
よくわかる。

そして、番組の最後にも、2人の言葉が紹介される。
中田ヤスタカが「さらなる、予想外の状況を作っていけたら、いいんじゃないかな。」
MIKIKO先生が「3人だから、チームPerfumeだからこそ、できることがある。これからもいろいろあると思いますが、手をつないで頑張っていきましょう。」
と語っていたのが、
BABYMETALにも重なって胸を熱くした

そう、常に、音楽的・演出的に、挑戦し続けるということ。

もちろん、ビジネスだから、売上・利益をあげていかなければならないのは当然だが、そうした「高い志」によって、多くの人間に元気・勇気・情熱を与え続けている、PerfumeもBABYMETALも、そこが最高なんだ、と改めて痛感した。

今後、何度も繰り返し観直すはずの番組であった。
(いつかBABYMETALもこんな番組を…)

…ここからは、全くの余談である。

それも、科学的な見地からは、全く噴飯ものの与太話になるのだが、今回の文章を書くのに、PerfumeのBIOGRAPHYを確認してびっくりしたことがある。
Perfumeの3人とも、血液型はA型なのだ!
何か、ひどく納得してしまった。
血液型なんてまったく何の科学的根拠はない。
確かにそうなのだろうが、Perfumeのあの精緻なダンスを観て、3人ともA型だ、と知ると、何かとっても納得、である。
BABYMETALは、SU-METALがB型、YUIMETALがO型、MOAMETALがA型(だそう)だが、これもひどく納得、である。
この構成の「カオス」(は大袈裟だが)的なバランスは、まさにそのまんまBABYMETALのブレンド具合であり、「らしさ」がこんなに鮮やかに表出されていることに驚く。

同じ(アミューズ所属の)女性3人のユニットでも、同学年の同じA型3人のPerfumeと、二等辺三角形のような年齢構成で3人とも血液型を異にするBABYMETALとの差異、というのが感じられて、これも実に興味深い。

ごめんなさい。本当に与太話で。

さあ、いよいよ横アリの当落発表ですね…。
(いつものことながら)ドキドキが止まらない…!

最後に、フラゲした『ヘドバン』8号、今号も熱い!
まだ途中ですが、The冠 → 川西全 おふたりのインタビューにさしかかり、帰宅途中のJR快速電車の中で、涙ぐんでしまいました。放送されなかった加山雄三のコメントも感動モノです。

BABYMETALのおかげで、本当に、楽しい日々、を過ごしています。
感謝!


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BABYMETAL探究( Danscream考・序)

2015-10-09 00:49:52 | babymetal
先日のNHKの「MJ(ミュージック・ジャパン)」に、あのThe冠が出演し、熱演していた。
徹底的な自虐ネタ(他虐もしきりに誘っていた)で会場を沸かせていたが、歌はさすがにうまい、感心した。
新聞の番組紹介欄には「ヘビメタ男」とだけ載っていて、「誰?」と思っていたのだが、観てなるほど、である。
NHK、The冠(冠徹弥)、とくれば、昨年末の『BABYMETAL現象』だ。
その意味で、「同胞」でもあるThe冠がメタル自虐ネタで会場の若者の笑いをとっていても、不快に感じるどころか、「がんばれ!いいぞ!」と声援を心の中で送っていたのだ。
(ちなみに、「MJ」は、昨年度の放送のある回に、途中のニュースコーナーでBABYMETALが紹介されたことがあり、その時録画して以来そのまま自動予約に設定しているので、毎週、録画したものをざっと流し観しては消している。他のアイドルやバンドやユニットを手軽に確認できる、僕にとっての「勉強」の素材のひとつだ)

で、その、The冠が「MJ」で披露した「傷だらけのヘビーメタル」の歌詞に
嫁も聴いてるイジメ、ダメ。どうやらメタルがきているのだ
というのが出てきて、驚いた。

調べてみると、この「傷だらけのヘビーメタル」の発売は2009年3月であり、元の歌詞にBABYMETALが出てきているはずもない。
もともとは「嫁も読んでるDMC(=デトロイト・メタル・シティのこと)、どうやらメタルがきているのだ」であった。
この曲の世界観全体(そしてThe冠という存在そのもののコンセプト)から、「きてる」と思いこんでいる(あるいは、思いこもうとしている)男の可笑しさ・哀しさを表現している歌詞であったはずだが、
しかし、2015年の10月に、NHKの「MJ」で歌詞を変えて披露した、
嫁も聴いてる、イジメ、ダメ。どうやらメタルがきているのだ
とは、もはや決して勘違いとはいえない、というところが、胸熱、である。
(NHKのMJに、The冠が出演する、ということ自体が、メタなレベルで、すでに「どうやらメタルがきているのだ」が必ずしも勘違いとも言えない、ということの傍証になっているのだし。)
パロディが反転して現実になりつつある、そんなThe冠の熱演を、僕は好ましく思ってみていた。(なぜかほとんど話題になっていないようだが、『BABYMETAL現象』を象徴する1シーンだった)。

BABYMETALだけのおかげではない、ということは言うまでもないことだが、しかし、少なからざるBABYMETALの力によって、本当に「メタルがきている」律動が起こりつつあるのであれば、まさに昨年の『BABYMETAL現象』の冒頭の、冠徹弥による「さあ、メタルを愛する者たちよ、今こそ涙を拭いて立ちあがるがいい。俺たちの救世主、BABYMETALを迎えよ(う)!」という雄叫びが、単なる煽り文句ではなく、予言(預言)であった、ということだ。

「メタル再燃」に関するテレビ報道もあいついでいるが、ヘドバン最新号でも「メタル復権」がテーマになっているようなので、その考察をまた楽しみに待ちたい。

それにしても、BABYMETALがメタルを揺り動かしているとして、その原動力は何なだろうのか、と考えてみると、「ありえないほどの美少女3人が」ということ(アイドルであること)ももちろん大きな要因なのだが、「メタルを踊る」ということがその最大の要因であることは、疑いようがない。
そもそも「メタルダンスユニット」という自称には、「アイドル」という文字は入っていないのだ。)

しかも、単に「メタルを踊る」というだけでなく、「歌いながら踊る」「踊りながら歌う」ということ。これは、(すでにBABYMETALの完成されたステージを観て慣れっこになってしまっている僕たちには、あらためて対象化して捉えにくいことなのだが)、僕たちファン・視聴者が考えているよりも、はるかにとんでもないことに違いない。

コンテンポラリー・ダンサーが、アイドルの振付を見て「歌いながら踊るって凄い」と感嘆する言葉を、例えば『IDOL DANCE!!!』でも目にすることができるが、歌う時の筋肉等の動きと、ダンスの際の身体の動かし方とは、まったく別のもの、ということなのだろう。
ましてや、BABYMETALの3姫の舞踊は、その速さも精度も運動量も、並のアイドルのダンスとは隔絶した質・量を持っているのだから、もしもプロのダンサーがBABYMETALのステージを見たとしたならば、その時の驚愕は、超弩級であろうと思われる。
(おそらく、僕たち素人にも、その超弩級の凄さの「気配」は伝わってくるのだろう。この娘たちは「本物」だ、というBABYMETALのパフォーマンスが与える印象は、まさにそうした、その道のプロが見ても舌を巻く高品質のパフォーマンスが凝縮されていることから来ているはずだからだ)。

あるいは逆に、BABYMETALのライヴ映像を初めて観た、例えば生粋のメタルヘッズが、「これ口パクだろ」「かぶせっぽい」などと、SU-METALの生歌を否定したくなるのは、これだけ踊って声が乱れないなんてありえない、という「常識」から来るものだろう。で、生歌だとわかった瞬間に、驚愕し、畏怖・畏敬の念を抱いて…墜ちる、のである。
とりわけ、実際にバンドでヴォーカルをしていた(している)人が、SU-METALの「歌いながら踊る」「踊りながら歌う」パフォーマンスを観て、驚嘆しているコメントは、いくつも目にしたことがある。

SU-METALの「Vocal,Dance」とは、単に「歌ったり・踊ったり」するなんて次元のものではない。
超絶的舞踊を(もちろんYUI・MOAとの役割分担においての「静」を基本にはしているがそれでもとんでもない動き)を「演」奏しながら、力強く・澄み切った、唯一無二の倍音バズーカを操り・発射するのだ。
「化け物」あるいは「至宝」と呼びたくなる(事実、そう、なのだが)所以である。

また、YUI・MOAの「Scream,Dance」も、単に「叫んだり・踊ったり」するなんて次元のものではない。
超絶高速舞踊にのせた「Scream」は、完璧に舞踊と一体化している。「声による舞踊」と言ってもよいだろう。それを「専門職」にしたメンバーを有するバンド・ユニット・グループなんて、いなかった。(歌うだけ、踊るだけ、煽るだけ、のメンバーを含むユニットならばいくらでもいたし、いまでもいるだろうが)
唯一無二のユニットBABYMETALの本体が、YUI・MOAである(これ、久しぶりに使う文言だなあ)、とは、そうした印象の謂でもあるはずだ。
そして、あれだけの超絶高速舞踊を、ライヴ中、し続けているのである。
それも、単に身体を音楽に合わせて動かす、というレヴェルではなく、観客にとっての楽曲のインターフェイスとして、裏返しに言えば、ヘヴィメタル楽曲の体現として、常に激しく・楽しく・美しく、舞い・跳ね・踊り続けているのだ。
ライヴ中、し続けている。
ライヴ中、し続けている。
ライヴ中、し続けている。

何度繰り返し書いても、書き足りない。
これって、本当にとんでもないことだ、ということは、BABYMETALのライヴ体験者ならば、皆、(自分自身のヘタレぶりの認識と対照させることによって、全身全霊で)痛感していることだ。

BABYMETAL are
            SU-METAL(Vocal,Dance)
            YUIMETAL(Scream,Dance)
            MOAMETAL(Scream,Dance)

この、シンメトリーとアシンメトリーとの組み合わせ(3人の組み合わせをこう呼ぶのは、やや不適切な言葉づかいだろうか。YUI・MOAについては、「シンメトリー」とKOBAMETALがはっきり語っているが)の絶妙さ。
この3人だからBABYMETALなんだ」ということの意味。
それが「歌いながら踊る」「踊りながら歌う」という、彼女たちのヘヴィ・メタルにおける全く類を見ない「演」奏において、最大限に組み合わされ・引き出されている。
「歌い手と踊り手との役割分担」ならば、よくあるかたちなのだが、BABYMETALはそうではない。

そして、ここまで考えを進めたうえで、あらためて振りかえってみれば、「歌いながら踊る」「踊りながら歌う」とは、やはり、僕らが慣れ親しんできた、日本のアイドルたちに特徴的なパフォーマンスだ。それを極限まで高めたら、世界に衝撃を与え、言葉の壁を超えて観客を幸せにする、こんなパフォーマンスになった、ということだ。

単に世界的に人気、というだけでなく、日本代表、と僕たちファンが胸を張りたくなるのも、「歌いながら踊る」「踊りながら歌う」というBABYMETALの、昭和のアイドル由来の「演」奏の性質によるものだ。

このへん、今後さらに掘り下げて考えてみたい。

とりわけ、YUI・MOAの「Scream,Dance」は、「歌いながら踊る」「踊りながら歌う」というBABYMETAL独自の「演」奏において、その機能を十全に発揮しているのだから。
「BABYMETALというオンリーワンのジャンル」とは、具体的なパフォーマンスの次元で言うならば、まさにこのことだ。

今回のタイトルの、「Danscream」とは、単なる「Scream」&「Dance」ではない、それらが渾然一体となった、YUI・MOAの独自の「演」奏の質を言い表わすための造語である。
これについては、少しずつ角度を変えながら、このブログで繰り返し繰り返し語ってきたのだから、まさに「屋上屋を架す」ことになるのだが、「YUI・MOAとは何か?」を語ることこそが、このブログで行う「探究」の主旨なのだから、これでよいのだ。
今までと同じようなことを書いているようで、このブログの内容も少しずつ「進化」している(はずな)のだから。



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