ケルベロスの基地

三本脚で立つ~思考の経路

BABYMETAL探究(”新たな調べ”考~幕張150621編その3)

2015-06-28 11:07:26 | babymetal
前回、書き忘れていたが、
BABYMETALのライヴの《楽しさ》、その筆頭にあげるべきなのは何と言っても
モッシュ、WOD
なのかもしれない。いや、当然そうなのだろう。
モッシュ、WODを楽しみに、BABYMETALのライヴに馳せ参じる、血気盛んな若者やおっさんも多いのだろうし、それがBABYMETALのライヴの「名物」でもある。
(報道の映像でも必ずそうした絵が紹介される)。
しかし、僕は、はじめからそれは諦めていた(避けていた)ので、前回の記事でもそこには全くノータッチだったのだ。僕の観ていたCブロックの前方では激しい動きがあったようだが、僕自身は、後方の、それほど圧縮もないところで、他のメイトさんとともに汗だくになりながら、モニターに映る3姫を視つつ、身体をゆらし、キツネサインを突き上げて「合いの手」を叫ぶ、その《楽しさ》に浸っていたのであった。
もちろん、BABYMETALのライヴの観客席で、モッシュやWODが見られなくなるなんてことはあってはいけない(ありえない)。
が、それは今後も、若い・体力のある方々にお任せして、体力のないおっさんである僕は、それなりに、それでも、存分に汗をかき喉を嗄らして《楽しさ》を満喫できる、そんなBABYMETALのライヴへの参加の仕方をしたいと思っている。
(幕張2015では、そういうふうに《楽しむ》こと、「俺得」に楽しむことができたのだった)。
以上、(当然書かなければならないことなので)補足しておきたい。

さて、”新たな調べ”について、である。

これ、とんでもない「神曲」だいや、「魔曲」というべきだろうか
あちこちの書き込みでも同様の感想が語られているが、その「神曲」「魔曲」たる所以を、分析的に書き記しておきたい。

幕張でナマで体験した際、この”新たな調べ”に関して(思いもよらぬ曲調ととんでもない《楽しさ》にノリノリになりながら)感じたことが、次の2つだった。
㋐ 「魔女っこ」(サリーちゃんとかメグちゃんとか)のアニメを思わせるメロディーだな。
㋑ 3姫の舞踊が、阿修羅像を思わせる。
BABYMETALのライヴ初参戦の熱狂の中、「新曲キター!」の興奮状態で感じた㋐㋑だが、今落ち着いて分析すると、次のようになるのでは、と思う。

㋐について、

まず、メロディがすさまじく”キャッチ―”だ。
ライヴのレポートや、他の方々の感想にもこの”キャッチ―”という言葉が頻出しているが、僕も(月並みではあるが)こう形容するしかない。というか、まさに”キャッチ―”を先鋭化した曲、”キャッチ―”の権化として作成された曲、と言うべきだろう。
僕は「魔女っこ」を思ったのだが、「GSを思う」「加山雄三」「ロカビリー」なんてコメントを目にすると、なるほど、と思う。80年代、70年代どころか60年代、50年代(おっさんである僕ですら産まれていない時代だが)にまで届く普遍的な懐かしさをもったメロディーだ。
洗練されたオシャレなカッコよさ、ではなく、コミカルに近いあえていえばダサさのカッコよさ
BABYMETALにとって全く新しい曲調ながら、こうして出されてしまうと、まさにこれぞBABYMETALだ、という説得力

SU-METALの歌も、高音の伸び、天性の不思議な魅力をもった声質が響きわたる。後半の「ち~が~う~」なんてハイトーンは、歌姫の魅力大発揮である。
歌詞やリズムのノリを捨象すれば、実は、極めて切ない哀愁のメロディーなのだ。「メギツネ」や「紅月」以上かもしれない。
そこに「知らん!」「違うのだ!」などという、今までのSU-METALにはなかった弾けた言葉がくる。SU-METALの新たな魅力(中元すず香的、とでも言おうか)が放射されている

そして、歌詞!
一度聴いただけで、(歌詞世界の詳細はわからないが)「違う」「困る」「気になっちゃって」「どうしよう」の繰り返しが印象づけられるし、そこに「ぱりやぱりやぱりらりら」「ぴっとぱっとてぃー」(実際には違う子音かもしれないが)という、宮沢賢治のオノマトペにも似た「呪文」が畳み込まれる。
言葉の、「論理的な意味伝達」ではない、呪術的な働き。それは、和歌の枕詞や掛詞などをはじめ、日本語の大きな特徴だろう。これだけワールドワイドで活躍するようになっても(なったからこそ確信犯的に)BABYMETALの「日本語歌謡」はますますその魔力を強めつつ、こうして表出されるのだ。

㋑について、

3姫、とりわけYUI・MOAがここで見せる「ゴーレムダンス」(こんな表情でこんな動きをするYUI・MOAは、もちろん初めてだ)は、男性的フレーバー、マッチョさを帯びている。それを超絶美少女が舞踊する、という屈折を帯びた《楽しさ》。
美少年であり美少女である、という倒錯
僕が阿修羅像を感じたのは、そうしたとんでもないビジュアルからなのだろう。
そして、高度な動きのシンクロ。
飛んだり跳ねたり以上に、力を溜めてじわっと動く、それで観ているこちらを魅了・扇動するという、これは、YUI・MOAの舞踊の新境地だ(スローハンド、とは意味が違うが、YUI・MOAの新たな「奏」法を僕たちは目にしたのだ)。
SU-METALの歌が幼さ・無邪気さを前景化しているぶん、YUI・MOAが少女性ではない木偶(でく)性でバランスをとっているともいえる。これもいくらでも探究しがいのある、BABYMETALの新たな旨みがぎゅっと凝縮されたものだ。何よりも、「どすこい・どすこい」といったようなダサい動きが満載である、そのカッコよさ!!!

こうして考えると(考えるまでもなく、なのだろうが)、この”新たな調べ”にも、高い音楽性を極めて異形のかたちで表出するというBABYMETALらしさがぷんぷんしている。
この”新たな調べ”の”キャッチ―”とはそうしたものだ。
BABYMETALらしい、針を振り切った攻めの姿勢での、異形の”キャッチ―”であって、大衆の人気をつかむために迎合・手加減を加えた売れ線狙いでは全くないところが、凄い。
例えば、抒情的なバラード(YUI・MOAの舞踊はどうする?)とか、中学生・高校生にウケるような恋をめぐる女の子のゆれる心を歌やダンスでモジモジと表現する、とかでは全くない。

いや、凄い。ほんとうに凄い。そして、文句なしに《楽しい》。
この”調べ”を、今、こうして繰り出す、ということにチームBABYMETALの凄さを改めて感じる。
例えば、ドキモ、いいね、の後に、この”調べ”であれば、それは、キワモノの道へまっしぐら、だったかもしれない。RoRを正規公開し、世界各国で音盤を正規リリースし、ワールドツアーを2年連続で行ない、英国雑誌の音楽賞を続けて受賞した、今このタイミングでの、この”調べ”の降臨、とは、あまりにもロック的だ!

つい最近、ここで、「BABYMETALが国内で大衆的な圧倒的な人気を得なくても(僕は個人的に)構わない。」などと書いた(バトル考2)のだが、前言を撤回する。

この”調べ”で、日本のお茶の間を席巻し、ぜひ天下を取ってほしい!

切にそう思う。この”調べ”でBABYMETALが日本を制覇するなんて、涙が出るほど/大笑いしてしまうほど痛快だ!

これは、シングルカットする”調べ”だと思う。

表面的にはシンプルな楽曲構造になっているので、幕張で「演」奏されたものよりも、さらにショートヴァージョンにしても魅力はほとんど失われないだろうから、TV地上波などの短い時間の中でも存分にBABYMETALの魅力を伝えることができる

これ、お茶の間に流れたら「なんじゃこりゃ!」だろうな。それでいて、何か懐かしい。でも、なんじゃこの子どもたちの振り付けは!でも、ものすごくカワイイ。何じゃこりゃ…!
この衝撃力は、さながら、<2015年の(最新形態の)ピンクレディー>だ
(わかりやすく言えば、デスヴォイス、ブレイクダウン、ピッキングハーモニクス、BPMの数値等が、1970年代のピンクレディーにはありえなかった、BABYMETALの新しさだ。…でも、今見ても、ピンクレディーの振り付けは衝撃的、である。おっさんになった僕も、今でもドキドキしてしまう。劇薬だ。)

ハーメルンの笛のような「魔力」をもった”調べ”。
この”調べ”で紅白に出るんだったら、いいじゃないか。
ワクワクするのだ!

そして、僕がこの”調べ”を「神曲」「魔曲」と感じるのは、単にお茶の間をひきつける”キャッチ―”さを感じるから、というだけではない。

何よりも、これはライヴで狂乱の”調べ”になる、と確信できるからだ。
メギツネ以上のお祭りソング、ギミチョコ以上の灼熱ソング、になる、と。

幕張ライヴに参加して、感得したのが、We Are BABYMETAL!の We とは、3姫だけでも、神バンドを含めた7人だけでもなく、声を合わせてそう叫ぶ観客全員を含めてのWeなのだ、ということだった。
端的にいえば、(前回も触れた)「合いの手」だ。
ステージ上での「合いの手」はYUI・MOA担当だが、それに扇動・先導されて巻き起こる観客席の(幕張2015で言えば2万5千人の)「合いの手」が、”その場のその楽曲の「演」奏”となって、会場中に響きわたり、地を揺るがせる
こんなことは、今までの映像の「鑑賞」でも、見えて・聴こえていたはずの「事実」だったのだが、ライヴの現場に身を置いて「体験」したことで「真実」として実感されたことだ。

このブログでは、<YUI・MOAの舞踊がヘヴィメタルの「演」奏だ>ということにこだわっていて、もちろんそれはもう間違いなくそうなのだが、そのことの意味が、僕自身が幕張のライヴを経験した後、変化した。
今までは「鑑賞」しかしていなかったから、上に書いたことも主にステージ上でのパフォーマンスに限られていたのだが、<BABYMETALにおいては、観客も「演」奏しているのだ>ということが、ライヴの現場に身を置いて、よくわかったのである。

で、この”新たな調べ”、観客がどのようにこの”調べ”を「演」奏するのかを考えると、いろいろな《楽しさ》が考えられる。

① SU-METALの歌に、ずっと合わせて歌う。
② 裏拍のデス・ヴォイスの「ヴォイヴォイ」の「合いの手」を入れる。
③ YUI・MOAの「ちがうちがう」のコーラスや、「やだ」を一緒に。
④ 「ぴっとぱっと・ぴっとぱっとてぃー」を全員で声を合わせて歌う。

日本の観客にとっては、②③の、いわゆる「合いの手」を入れるのが<作法>だろうが、この”調べ”の新機軸なのが、①④だ。

海外の観客はSU-METALによりシンクロする、ずっと歌う、という姿が見られるようだが、この”新たな調べ”はバックの楽器隊のBPMの高速に対し、SU-METALの歌メロはゆったりとした抑揚で歌いやすいし、歌詞の語彙も多くないので「習得」するのは比較的たやすいはずだ。
例えば、ドキモの冒頭などは日本人の僕でさえ舌が回らないが、この”調べ”ならば外国人でも歌いやすいだろう。
この”調べ”の歌詞の呪文めいた奇妙さは、ひとつには海外の観客も通して歌えるために作られているのだ、と思う。
今や、BABYMETALは、ドメスティックなファンを対象にしたJ-POPを輸出する、のではなく、はじめからワールドワイドのファンを視野に置きながら活動しているのだから。

そして、僕たち日本の観客だって、SU-METALの歌に合わせて歌って楽しんでもよいのである
「紅月」や「悪夢の輪舞曲」を観客が歌うのは、(少なくとも日本では)顰蹙を買う行為だ。至宝であるSU-METALの声に耳を傾けるのが<作法>だ。それは今後も変わらないだろう。
しかし、どうだろうか、この”調べ”ならば、僕たちも「ち~が~う~」とSU-METALとユニゾンしても、誰も不快に思わないどころが、みんなが《激楽しい》のではないか。

そして、④だ。

これは、当然、全員で合唱するのだ!

「ギミチョコ!!」のラストの「パラッパ・ラッパ…」も、ハーメルンの笛吹きのような<みんなをさらってゆくよ>のようなイメージ、振り付けになっていた(事実、世界中の多くの人をさらっていったのだ)が、それをさらに呪術的に仕上げたのが、この”調べ”の「ぴっとぱっと・ぴっとぱっとてぃー」だろう。

世界的に活躍するためには、英語の歌詞を歌わなければならない。
そんな先入観(劣等感)を打ち破ったBABYMETALだが、ここで、この「ぴっとぱっと・ぴっとぱっと・ぴっとぱっとてぃー」という日本語ともいえない呪文で、さらに多くの<みんなをさらってゆくよ>と、攻めに出たのである。
呪文ロックと言えば、FOCUSの「ホーカス・ポーカス」とか、MAGMAの諸作品を思うが、ロカビリーめいたこの曲調に、こうした呪文が乗る、とはありえない組み合わせであり、それをこうして実現するのは、BABYMETALしかいない。(こう言っても誰も大法螺とは思わない、なんて改めて考えてみると、凄いことだが)

例えば、レディング・・フェスで、リーズ・フェスで、何万人もがYUI・MOAと一緒に「ぴっとぱっと・ぴっとぱっとてぃー」を大合唱する
これはタイミング的にもう無理なのかもしれないが、しかし、この呪文の「合いの手」の《楽しさ》は、(日本のお茶の間も含め)世界中の会場全体を高みに浮遊させる、そうしたとんでもない飛翔力をもっている。

「魔曲」、降臨である。
(あれが、わずか一週間前の出来事だったとは、信じられない。何なんだろうか、この感覚は…?)

1 コメント

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気になっちゃってどうしよう (cxh004731)
2015-09-27 18:44:54
この曲の映像 どこにあるのでしょうか
今すぐ聞いてみたいです

よろしく^^
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