ケルベロスの基地

三本脚で立つ~思考の経路

BABYMETAL探究(生ベビ考~幕張150621編その2)

2015-06-22 21:33:38 | babymetal
「BABYMETALの本当の凄さは、ライヴを体験しないとわからない。」

まさにそれを、骨の髄まで体験・体感したのが、昨夜の幕張ライヴだったのだが、
しかし、こういう言い方にはこれまで少なからず反感を覚えてもいたのである。
何か、勝ち誇ったような、発言者のドヤ顔が見えてくるようで。
行きたくたって、行けない人がここにいるんだ!
と言いたい気分だったのである。

最近の、このブログ、ひょっとしたら、そんなドヤ顔になっていないだろうか?もし、そうお感じになった方がいらっしゃったら、申し訳ない。そういうつもりで書いている訳では全くない。

あくまでも、「ヘヴィメタルの進化史のうえで、BABYMETALとは何なのかを考える」という、このブログの趣旨をベースにしてBABYMETALを探究するために、ブログ主である僕が実際にライヴを体験した、その実感を綴っているのである。
ぜひ(今後も)お付き合いください。

さて、体験談の続き、である。

まず、泣かなかった、ということを告白する。

号泣を覚悟して参戦したのに、泣かなかった。
(なぜか、CMIYCの小神様の超絶変態ソロを聴きながら、ニヤニヤしながらもぐっとこみ上げるものがあったけれど、涙が流れるところまでは行かなかった)
始終ニヤニヤし、歓声をあげ、飛び跳ねていた。

僕の位置(Cブロック最後方)からは3姫の躍動する生の姿がほとんど見えなかった、ということも、泣かなかった原因のひとつかもしれないが、それ以上に、轟音に乗ったヘヴィ・メタルの《楽しさ》に打ちのめされて、泣いているどころではなかった、というのが率直な実感だ。

ライヴに行ったことで初めて体験した、BABYMETALの(ヘヴィ・メタルとしての)《楽しさ》。
それはいったいどのようなものなのか?

それを言葉で語るなんてことは、体験しないとわからない、ということと矛盾するし、体験したひとには語る必要もないことなのだろうが、語ることができそうなことをいくつか取り上げ、BABYMETAL探究の視野を、さらにすこし広げてみることにしよう。


① 行くまで、開演まで、閉演後、帰りの、時空間における「体験」。

ライヴ会場に足を運ぶ、ということは、それなりの時間をかけて自分の身体を動かし空間の移動を行う、ということだ。そのなかで肉体的に・心理的に、さまざまな「体験」をする。
これは、家で、ネットや映像盤で「鑑賞」しているときには全く味わえない、(極めて甘ったるい言い方になるが)「一回かぎりの思い出」づくり、だ。

昨日の僕の場合で言えば、例えば、入場前に長い時間、外の駐車場に並ばされて雨に打たれたこと。このこと自体は楽しいことでも何でもないが、しかし、その後入場し、開演までを2万5千人(以前、3万人と適当に書きましたが、修正します)のメイトの1人となって蒸し暑い人いきれのなかで待ち、やがて暗転してみんなで「ウォー」と叫びながら拍手し、冒頭の紙芝居のSEが流れて…、という「体験」をした後では、あれもまた楽しかった「思い出」の一部となってしまう。

あるいは、今、新幹線で帰る途中なのだが、まだ左耳の難聴は続いていて(このままずっと治らなかったら「思い出」なんて言ってられないが)、昨日の夕方の「あのライヴ」を自分がほんとうに体験したのだ、と、何か甘酸っぱいような気分になっている。(コンサートの最中には感じなかった、涙が出てくるような気分を、帰路の今、感じている)。

こうした、いわば「前戯・後戯」に挟まれて、ライヴの「体験」が(単なる「鑑賞」ではない)自分自身のナマの人生にあざやかに喰い込む分厚さをもつものとなるのだ。そうした《リアルな体験の強さ》がBABYMETALのライヴの《楽しさ》の主成分であることは間違いない。
(今、ふっと思ったのだが、「No Rain ,No Rainbow」の「絶望さえも、光になる」という歌詞は、こうしたライヴ体験の構造を言っていたのだ、と考えると、僕はこの楽曲をこれまでよりもずっと好きになることができるように思う。)


② ベビメタTシャツ

①とも深く関わるが、これは、今回のライヴに「参戦」して、強烈に印象に残ったことなので、ぜひとも独立した項目としてあげておきたい。

昨日は、(いろいろ考えて、結局)戦国WODのTシャツを着て、自宅を出たのだが、幕張に向かう前、東京駅で新幹線を降りたときに、一人の中年男性が新春キツネ祭りのTシャツを着て前を歩いているのを目にし、「おう!」と思ったのである。
ベビメタTシャツを着ている誰かの生身の姿を見たのは初めてだったのだ。
しかも、僕と同じようなおっさんが!
見知らぬ国で初めて同朋に会ったような喜びを軽く感じながら、京葉線の乗り場へと向かうと、ぞくぞくと、ベビメタTシャツが増えてくる。
おっさん、兄ちゃん、ねえちゃん。カップルも親子連れもいた。

そうした人たちに混じって歩きながら、気分が急激に昂揚してくる。
同胞がこんなにいるのだ!いよいよ聖地に近づいているのだ!
そんな昂揚感が、黒のベビメタTシャツを次々に目にすることで高まってくる。

蘇我行きの快速の車中は、同じ車両に、ベビメタTシャツの男性・女性が7~8人はいただろうか。
そして、海浜幕張駅で降りると、そこはもうベビメタの国。
そこにもかしこにも、まるでそれが当然であるかのように、それこそ老若男女が、さまざまなベビメタTシャツを着て、闊歩したり、談笑したりしている。
すぐに駅構内の蕎麦屋に入ったのだが、店内にも5~6人のベビメタTシャツが黙々と蕎麦や定食を食べている。

チェックインしようとホテルに向かっていると、メタルゴッドTシャツを着た(初)老の男性とすれ違う。「ひえ~、(あんな歳なのに)朝から物販に並んで買わはったんや!」と尊敬のまなざしで、見送って、ホテルへ急いだ。

(コンサート中は当然として)コンサート後の、夜の幕張の街にも、いたるところでベビメタTシャツとすれ違う。僕が入ったスタバにも、先客として1人いらっしゃったし、街を歩きながら、いろんな店の中にベビメタTシャツを着たさまざまな人の存在を目にした。
BLACK BABYMETALの紙芝居のネタになった”A-ON”モール(このことにも後日触れたい)にも、夜に立ち寄って買い物をしたのだが、そこにもベビメタTシャツ(若者や若い女性が多かった印象)があちらにも、こちらにも。

当たり前だが、こんな「体験」は、幕張なら幕張に、足を運ばないと絶対に得られないものだ。

そして、このベビメタTシャツだが、単にアイドルの(アーティストの)お揃いのTシャツ、というのではなく、”ヘヴィメタルとしてのBABYMETAL”の、いわばアイコンである。やや大袈裟にいえば、BABYMETALのアイデンティティを象徴的に表わすものだ。

そのデザインは、決して、お洒落に洗練された、というものではない。
「メンズ・ノンノ」とかのファッション雑誌でモデルがカッコよく着こなす、そんなものでは全くない。
例えば、新しい彼女ができたとして、その初回のデートに来ていく服では絶対にない。

あえて言えば、ダサい。でも、そこが最高なのだ。
それこそが、僕たちが愛してきたヘヴィ・メタルの持つ属性、なのだから。
あるいは、BABYMETALの黒Tシャツは僕たちのメタル魂(ハート)の籠もったウェアなのだから。
(NHK放映の『BABYMETAL現象』は、この属性を冒頭で実に印象的に語っていた。(もちろんTシャツには触れていなかったが)それが、BABYMETALの本質を伝える素晴らしい番組になったポイント(のひとつ)だと思う)

これは、YUI・MOAの舞踊、例えば、「Road of Resistance」のそれ、の特徴でもある(これも、近日中にきちんと考察するつもりだ)。あの、冒頭の、乗馬(乗「龍」、か)の振りは、洗練されたオシャレ、ではない。(いつも比較対象にあげてしまうが、E-GIRLSはあんなダンスはたぶんしない。もっと優雅なオシャレなダンスだ)。
必死に闘っていることの舞踊としての表現であり、あえて言えば、ダサい、のだ。でも、だからこそ、(一見、「げえ。こりゃないわ」と思ったとしても)強さとなって、繰り返し見るごとに、胸に熱く訴えかけるものになるのだ。メタル魂の表現として、僕たちメタルヘッズの心をゆさぶるのだ。あえていえば、ダサいから、だ。
それが、ヘヴィ・メタルの様式美の核心(のひとつ)だろう。

そうしたベビメタTシャツを、多くの人が身につけ、歩いたり話したりしている光景は、「Metal Resistance」の具現化であろう。自分もベビメタTシャツを着て、その中にいることの《楽しさ》。それも、ヘヴィメタルを愛するがゆえの《楽しさ》の、重要なひとつなのだ。

さらに、どれを着るのか?というチョイスがある。
これは、古参のメイトさんにとっての、晴れ舞台でもあろう。
昨日も、古くからの(現在ではほとんど入手不可能な)レアなTシャツを着ている(印象としては、なぜか女性のメイトさんが多かった。なぜ?…)方を見るたびに、「うわ」「あっ」「すげえ」と感嘆していたのだ。
「LEGEND D SU-METAL降誕祭 Tシャツ」とか
「BABYMETAL DEATH Tシャツ」とか。

僕自身は、「戦国WOD Tシャツ」をチョイスしたのだが、「キツネ様2015 Tシャツ」とどっちにしようか迷ったのだ。白と黒のシンプルな色遣いで、これまでにも唯一、普段着としても使っているTシャツだったから。
でも、まあ、ライヴ初体験だし、今回は、「超弩級の凱旋」公演なのだからそれを讃えるにふさわしいのは赤・黒を基調にした「戦国WOD」だな、というチョイスだった。
例えば、このように、各人がそれぞれBABYMETALに対するそれぞれの思いを籠めて、チョイスしたTシャツなのだ。

そう、各自がそれぞれ自分の意志で個性的にチョイスした黒のベビメタTシャツとは、
We Are BABYMETAL!! の、僕たちなりの表現なのである! 
(ソニスフェアのTシャツや、AC/DC、METALLICA、も見た。もちろんこれも、BABYMETALに対するメタル魂の表現だ)

会場でいちばん多かったのは、「The One Tシャツ」かな、と思ったが、当日の物販の3種で臨んでいる人も多かった。
(余談だが、あきらめてみたけれどやっぱり欲しい、と、ホテルのチェックインの後、すぐに物販に並んだ。2時半に行って1時間後にはTシャツ3種すべて買えて、ホテルに戻って置く時間もあったし、物販に関しても今回は「俺的に完璧」、だったのだ)

と、これも、現場に行って強烈に体験した、BABYMETALのライヴの《楽しさ》だった。(黒ミサとは、こうした《楽しさ》を、極限にまで増幅・異形化したもの、なのだろうか?)


③ 合いの手

これは、参戦直前に、新幹線の中でMIKIKOMETALのインタビュー経由で考えたことにも通じるが、実際にライヴに参加して、「合いの手」を入れる、というのが、こんなにも《楽しい》のだ、ということを体感した。

いやいや、これは、尋常ではない、想像をはるかに超えた《楽しさ》である。

これは、それまでのヘヴィメタルの楽曲にはなかった、BABYMETALのアイドル成分がヘヴィメタルに持ち込んだ革命的な要素、だと感じる。アイドルとメタルの融合、その、最も鮮鋭な表出形態が、メタルのリフやグルーヴに乗りながら「合いの手」を入れる、という《楽しさ》だったのだ。
考えて見れば、たとえそれがどんなにダークでヘヴィで暗鬱な曲であったとしても、そこに「合いの手」を入れたら、途端にお茶目な《楽しさ》という不思議なフレーバーが加わった楽曲になるだろう。
BABYMETAL DEATH とは、まさに、そんな曲ではないか。
(初めから、映像作品でもその《楽しさ》は映されていたのである。ただそれは、やはり実際のライヴに参加してこそ「実感」できるものだったのだ。)

「BABYMETAL現象」で、23年さんが「BABYMETALほど楽しかったライヴはマジでなかったぜ!」と述べていたが、
これを僕は、昨夜のライヴを経験するまでは<ファンになってしまった人の心理状態>だと理解していたのだけれど、今は、<事実を正確に述べた発言だ>と受け取ってよかったのだ、と思っている。
(国によってもノリ方は異なるだろうし、MOAMETALが、「BABYMETALのコンサートで、海外のお客さんはSU-METALに、日本のお客さんはよりYUI・MOAにシンクロしている」という趣旨の発言をしていたから、23年さん等の海外の観客が、どのように《楽しさ》を感じているのか、それがどの程度「合いの手」の効果なのか、定かではないけれど、しかし、他に「合いの手」を入れ続けるヘヴィメタルなんてないのだから、そのように考えても大きく外れてはいないはずだ。)

改めて、昨夜のセットリストを眺めてみても、オープニングのBABYMETAL DEATHから、ずっと、どの楽曲もそれぞれ個性的な「合いの手」=観客側の感情の爆発的表出、を蔵している。

最後の「Road of Resistance」は、「合いの手」ではないが、その進化形だ。
まだカラオケにも入っていないから、僕は初めて自分の声を張り上げて歌ったのだが、「ウォーオーオーオー」は確かに男声では厳しい音程だった。だから、はじめはオクターブ下げて歌っていたのだけれど、それでは昂ぶる気持ちのおさまりがつかず、途中からまたオクターブを上げた。最高音はファルセットになって情けない声になるけれど、そっちの方が実に気持ち良かった。
昨夜はSU-METALは(「イジメ、ダメ、ゼッタイ」で「かかってこいやー!」を叫んだので)、「まくはり~!」とシャウトした
僕も幕張の一員だったのだから、広く言えば、僕をSU-METALが呼んだのである。
激熱!である

そう、「合いの手」だけでなく、「コール・アンド・レスポンス」(日本語では何て言うんだろう?)も、ライヴならでは、の《楽しさ》だが、これも広義の「合いの手」の《楽しさ》だ。

セットリストの中でも、特に特に、僕が、(もちろんわかってはいたけれど)「合いの手」の《楽しさ》を実感したのが、4の歌、と、メギツネ、だった。

4の歌。あんなにも笑顔で野太い声で「よん!よん!」と何度も何度も何度も何度も声を張り上げたのは、人生初、である(みなさんそうでしょうね)。「へい、へい」「う~、ふぉー!」等も含め、「合いの手」の嵐、凄い曲である。今までの映像作品の「鑑賞」では、YUI・MOAの凶悪な可愛さばかり感じとっていたのだが、観客自身にとっても、とんでもなく昂揚できる曲だったのだ。
「日本のお客さんはよりYUI・MOAにシンクロする」まさにそうした構造での、最強の曲だ!

メギツネ。「き~つ~ね~」のプレ・イントロから、ジャ、ジャ、ジャ、ジャッジャジャン、のイントロがはじまり、どんどん高まって、「ツォレー!」の「合いの手」の大爆発!まさに、お祭りメタル!
「合いの手」の神曲、キラーチューン。
この曲をどこにもってくるかで、コンサートのノリの山・谷をコントロールできる、そんな曲だろう。

だからこそ、例外なのが、SU-METALのソロ2曲で、特に「悪夢の輪舞曲」は(僕も、僕の周りも)観客が聞き惚れる、そんな曲だ。
SU-METALにはたいへん申し訳ないが、観客の僕たちもどこかで休憩が必要で、昨夜は、コンサートのほぼ真ん中で、SU-METALの神がかった歌声に聞き惚れながら水分補給をするという(SU-METALほんとにごめんなさい!)超贅沢な休憩タイムをとったのだった。
(このへんの観客の「体力」も、日本と海外とのノリの違いになっているのだろうなあ)

…。

それにしても、帰宅してから映像を見ると、凄いライヴだったんですね。
2万5千人のダメジャンプ、なんて、鳥肌もの、じゃないですか。
現場ではそんな実感はなく、ただ単に、汗だくになりながらおっさんが大声で楽しみまくっていただけなのですが。

WOWOW放映→映像盤化、ほぼ確定ですね。一生の宝物になる、と思います。
BABYMETALが輝いているから、僕たちライヴ参加者も、輝く作品の一部になることができる。
ほんと、こんなもの凄いアイドル/アーティストのファンになることができて、幸せですね、僕たちは。


昨夜のライヴから考えたこと、まだまだ続きます。
次は新曲について(?かな…?)。


BABYMETAL探究(生ベビ考~幕張150621編その1)

2015-06-22 00:25:04 | babymetal
YUI・MOAの「バトル」の、全く新しいヴァージョン、幕張に降臨!!!!

って昂奮している人は、今日の幕張公演参加者でもそう多くはないだろうとは思うけれど、本当に贅沢な盛りだくさんだった今日の公演の中でも、個人的な「キター!」のピークの一つが、これだった。

サムアップが終ったあとの、「バトル」に入る前の「キメ」のポーズについては、ここでこだわって書いてきたのだが、今までの「演」奏では、

① SU-のキメ(これは、常に、ギター・ベース・ドラムスのキメの次の小節のアタマ、市販のスコアのJのアタマで、ダメポーズを決める)に合わせてYUIもキメ・ポーズ
② SU-のキメ(同上)のみで、YUIは特にキメずに「バトル」をはじめる
③ YUIがギター・ベース・ドラムスとユニゾンのキメを決め、その後時間差でSU-
がいつものキメを決める。

のどれか、だったのである。
ざっくりと変遷を追えば、②→①→③の順だが、ここしばらくは、ずっと③だった(赤い夜も、黒い夜も、The FORUMも、BRIXTONも、新春キツネ祭りも)。
だから、今日も、「さあ、いよいよバトルがくるぞ…」とモニターを観あげながら(このへんの機微はまた後日書くつもりです)、今日は、MOAがどういう技で攻め、YUIがどんな武器を使うか、なんて思いながら(ライヴの熱狂のなかなので、こんなに冷静ではなく、ほんの一瞬ちらっと頭をよぎった、という程度だが)、その前のキメの部分で「えっ(狂喜)!」してしまったのである(周囲のみんなもここでウォーと沸いたような気がしたけれど、希望的空耳、かもしれない)。

ギター、ベース、ドラムスのキメに合わせて、YUIMETALもそして何と!MOAMETALも!、ダメポーズでキメ、のポーズを決めた!

「それがどうしたの?」と思う人もいるかもしれないが、これは、今までの「イジメ、ダメ、ゼッタイ」の「演」奏においては、ありえないものなのである。
なぜならば、次の小節からa①MOAの攻撃が始まるから、その助走のためにMOAはここでは後退し、突進のスペースを空けておかねばならない、という「演」奏上の必然があるからだ。

神バンドのキメ、とユニゾンする、シンメトリー(左右対称)のYUI・MOA

こんなとんでもない絵姿を、初体験のライヴで目にすることのできた、このブログ主(=僕)の歓喜といったら!

でも、その後の「バトル」はきちんと追えてない(覚えていない)のだ。
b②で、YUIMETALがとんでもなく高く跳躍して、日本刀を切りおろしながら舞い降りるという動きをした、のはしっかりと目に焼きつけたのだが。
(と書きながら、実はこのワールド・ツアーではすでにこの新しいヴァージョンで世界中をまわっていたのかもしれない、という可能性に思い至った。各国のファンカムまで逐一追いかけてはいないし。まあ、でも、新春キツネ祭りでの、YUIのMOA飛び越え、という前例があるから、やはり、これは「母国」での凱旋記念の特別ヴァージョン、だと思っておこう。その方が楽しいし)

それにしても、こんなところ(ほんの数秒の差異)に注目し歓喜する人間なんて、熱心なファンでもそう多くないだろうに、そうした新たな味付け(細部の工夫)を凝らしてくるチームBABYMETALには、ほんとうに敬服する。

わかる人にはわかるだろう、という気配りであり、逆に言えば、こうした細部を味わい分けるファンが少なからずいるはずだ、というチームBABYMETALの、ファンへの信頼(それは裏返せば、そうしたファンを擁しているはずだというBABYMETAL自身への自負でもあろう)だ。

また、BABYMETALの「演」奏のなかで、とりわけインプロヴァイゼーション(アドリブ)といえるのが、この「バトル」だ、ということが今日の「演」奏でも露わになった。今後も、どのライヴでも、楽しみである。ヴァージョン違いを楽しむのが、BABYMETALを味わう「通」の楽しみなのだ、というのは、さすがに気取りすぎだろうか。

と、
今日のコンサート(新曲の降臨や、「あわだまフィーバー」や、YUI・MOAではなくSU-METALの「もっと出せるよね?」(大意)や、最後の「WORLD TOUR 2015 in JAPAN」告知や、といった大事件がぎゅうぎゅう詰まっていた)のなかで、まずは極私的な話題を書いておく。

他にこのことをとりわけて書く人も、そういないだろうし。(映像化されたら、さらに細かく検証することに当然なる)。

まだまだ書くことは数多くあるのだが、いくらでもあり過ぎて、止まらないので、とりあえず、今日はここまでに。
本当に、ずーーっと、いつまででも、こうやってつらつらと書きつづけることができそうな、そんな2時間弱を、今日は(もう日付は昨日になりました)体験した。

いや、でも、超絶的に、今日は楽しかった。何もかもが僕にとって良かった(「俺得」だった)のです。それはまた次回以降に書くつもりです。

BABYMETALのライヴには参加しなきゃその楽しさはわからない、ってよく言われるけれど、本当にそうですね、それを心底実感しました。
音盤や映像作品は、ライヴの「上澄み」であって、3姫や神バンドのパフォーマンスはそうしたツールによって「鑑賞」することはできるけれど、BABYMETALのライヴは、そうした上澄みとは全く異次元の《楽しさ》に満ちたものなんですね。ってことがよくわかりました。
もし、これをお読みの方で、ライヴ未体験の方がいらっしゃったら(BABYMETAL WORLD TOUR 2015 in JAPAN も告知されましたし)、無理をしてでも一度ぜひぜひ参加してみてください。これはこうやって言葉では書けない(でも、次回以降、何とか分析していくつもりです)ものなので、行って体験することでしか味わえない。
まあ、でも、現実問題として、チケットが当たるかどうか、ですよね、何といっても問題は。ちなみに、僕は、今回の幕張は、2回落選して、3回目の応募で何とかゲットしました。Cブロックの4500番台という、最後方でしたけれど、でも、BABYMETALのライヴを堪能できましたよ。どんな席でも、それなりに・それぞれに《楽しさ》を届けてくれる、それがチームBABYMETALです。とりあえず、神のご加護を信じて、応募し続けることを、ぜひお勧めします。

ああ、難聴です。とくに、左耳がやばいです。
でも、こういう後遺症も、ライヴでしか体験できない、いわば「勲章」ですよね。
やっぱり、BABYMETALはヘヴィ・メタルだな、って、理屈こねなくても、このコンサート後のやばい耳が証明しています。