ケルベロスの基地

三本脚で立つ~思考の経路

BABYMETAL探究(幸いかな、BABYMETAL馬鹿(たち)よ!!)

2017-04-12 14:39:17 | babymetal
いま、なんばにいる。

今日は仕事がないので、午前中に京都を発ち、昼になんば着。
もちろん、まずなんばパークス・シネマに馳せ参じ、
無事Tシャツ3種(復刻版I,D,Z)と、パンフレット、ラバーバンドを購入した。
誰も並んでいなかったので、待ち時間0秒!
僕のベビメタ人生上、「最速記録」であった。
(「最遅記録」は、もちろん、ちょうど1年前の、なんばZEPでの物販だ。あれも、今や、いい思い出だ。あの長い長い未明の行列は、今思い出すと、何か愛おしくさえある。)

で、久しぶりになんばで昼を過ごすので、かつて通っていたカツ屋でランチを食べながら、
早速、購入したパンフレットをめくる。
と、YUIMETALのあるコメントで、涙が滲んできて困った
(これから参加される方にとってはネタバレになるので、引用はしないが。)

我ながら、つくづく「この、BABYMETAL馬鹿よ!」と感じて可笑しくもなった。

おそらく、このフィルムフェスの開催そのものに対して、
そこでの復刻Tシャツ販売に対して、
そしてとりわけ、このパンフレットの体裁と値段設定に対して、
批判なさる方もいるだろう。

確かに、「商業」としてこれらを評価するならば、これらは「ぼったくり」なのかもしれない。

まあ、映画のパンフレットというものは、総じて「ぼったくり」に近い値段設定なのだが、
それにしても、このボリュームとこの内容で、1,800円というのは、何とも大胆な価格である。

しかし、僕は、率直に言って、値段はほとんど全く気にしていなかったのだ。

もちろん、金が有り余っているわけではない。
週に1度、毎週月曜日のスーパーの特売日(10%引き)を待って買い出しに、しかも、
ポリ袋を数枚持参したり等、涙ぐましい(というか、常識的な)節約は日々続けている。

ただ、BABYMETALに関してはまったく別、なのだ。

欲しいと思ったパンフレットを手に入れることができて、
その中のある言葉に涙を浮かべた。
そのことがすべて、なのである。
それでいいのだ。

日々額に汗して稼いだ貴重な金を、こうして「幸せ」のために使える。

BABYMETALをめぐるこうした様々なことは、まさに「プライスレス」なのだ。

「BABYMETAL馬鹿」でいられる限り、い続けたい
そう思っている。

だって、こんなバンドに出逢えたことが(人生後半に遭遇した)「奇跡」だから。
そして、もう二度と、こんなバンドに出逢うことなどあるはずがないから。

彼女達に出逢ってから、基本的に「毎日がお祭り」なのだ、考えてみれば。

だから、BABYMETAL運営側の仕掛ける、商業主義的な「効率」「採算」「適正価格」をほとんど無視した(ように見える)様々な「お祭り」には、「馬鹿(阿呆)」になって、一緒に踊ろうと思っている。

だって、それが楽しいのだから。
(このへんは、おそらく、日本のアイドル享受文化、を色濃く引き継いでいるはずだ)。

だから、今日発売の『LIVE AT TOKYO DOME (初回限定盤)』についての、
「ただジャケットが馬鹿でかいだけで、高い値段つけて、ぼったくりだ!」という趣旨のレビューを見たりすると、
「ああ、そう思っちゃう人もいるのか・・・」という感じなのだ(批判ではない)。

ジャケットが馬鹿でかいから、通常版よりも高い値段がついているのだから、それを選んで購入したのだったら、
「わ、何だこれ、バカでかいやん、わはは。さあ、どこに飾ろうかな」と楽しんだらいいのになあ、と思ってしまうのだ(批判ではない)。

僕は、でかいジャケットは欲しくなかった(僕には楽しめないはずだ)から初回限定版は買わなかった。
でも、CDは欲しかったから、2万7千円のTHE ONE版は購入し、毎日堪能している。

BABYMETALって、(僕にとっては)そういうふうに楽しむべきものであって、
いわゆる「常識的な費用対効果」なものを持ち込むのは、野暮、というか、筋違いだと思うのだ。
(あくまでも個人的な見解の吐露、であって、批判ではない)

そう、BABYMETAL馬鹿!!
馬鹿になって楽しむ、お祭り、なのだ。

「5大キツネ祭り」の開催に関しても、
「ふつうに全国のアリーナ・ツアーをやれば、誰も文句を言わないのに」といった批判を目にしたが、
まったく正論だとは思うけれど、それじゃあBABYMETALではない、とも思うのだ。

常に「なんじゃこりゃ!」という、ある種の「狂気(ゆえの狂喜)」を芯にしたユニット。
それがBABYMETALだ。
だって、メタル・ダンス・ユニット、という存在のありようそのものが「誰も文句を言わない」からかけ離れているのだから。

ミニギターにしても、
マイクロラゲッジにしても、
数々のTシャツにしても、
「大人の分別」をもってすれば、「そんなの買うなんて馬鹿じゃないの?」でしかないのだが、
うん、馬鹿なの。だから買っちゃうの。ああ、楽しいなあ」
と答える側に居続けたいのだ。
BABYMETALに関しては。


というわけで、擦り切れるほど観た、『LEGEND I,D,Z』。
映画館の大スクリーンで、300人ほどの「BABYMETAL馬鹿」たち(失礼)と一緒に楽しんで来るのだ。

実は、かなり、ドキドキ・ワクワクしているのだ。
何だろうか、これは。

あ~あ、「馬鹿」でよかった。
だって、楽しいんだもん。

BABYMETAL探究(FOX DAYに吹き荒れて !!!②)

2017-04-07 14:23:54 | babymetal
「NO RAIN, NO RAINBOW」についての、個人的な違和感というか物足りなさ、
については、ここでも数回語ってきたと思う。

ひと言で言えば、「メタルじゃない」ということ、
あとは、「面白くない(なんじゃ、こりゃ、が薄い)」ということ。

SU-METALのソロ曲の残り3つは、どれも「ヘン」である。そこがBABYMETALの醍醐味なのだ。
「悪夢の輪舞曲」は言うまでもなく「ヘン」な楽曲だが、
「紅月」も「Amore-蒼星-」も、”楽器隊の「とんでもなさ」”と、SU-METALの神々しい歌声との取り合わせは、
やはり超弩級の「なんじゃ、こりゃ」であり、
長年ヘヴィ・メタル等を聴いてきた、50歳過ぎのオッサンにも(だからこそ)鳥肌・感涙の不可避な「神曲」であり続けている。

それに比べて、「NO RAIN, NO RAINBOW」は、薄味というか優等生過ぎるというか、
オマージュ元のXの、例えば「Endless Rain」とか、あるいは「Say Anything」とかのバラードに比べても
淡泊な楽曲だな、と感じてしまい、
(BABYMETALの楽曲としてはほとんど唯一)「積極的に好き、とは言えない楽曲」であり続けてきたのだ。

だから、この曲が1stに収録されていないのは当然として、
ライヴでもほとんど演奏されないのは仕方ないと感じていたので、
2ndに収録される、と聞いて、むしろ驚いたのだった。

もちろん、「嫌いな楽曲」というわけではない。そんなものはBABYMETALの楽曲にはない。

ただ、野球で喩えるならば、6番バッターあるいは8番バッター、せいぜいそんな役割を果たすという位置づけだったのだ。
アルバム『METAL RESISTANCE』でも、「GJ!」→「Sis.Anger」の怒濤の攻撃の後を受けつつ、続く組曲「Tales of the Destinies」~「THE ONE」のための前奏としてほっと一息つくための清涼剤、そんな位置づけだったのである。

ところが、東京ドーム『BLACK NIGHT』でのこの曲の「演」奏を視聴した後では、
そんな印象・評価は一変した。

今後の、通常のライヴにもどんどん入れていってほしい。
ぜひ生で聴きたい!
例えば、SU-METAL自身が、あるいは、ギターの神のどちらか一人が、アコギ一本で弾き、
SU-METALが歌を聴かせる。
そんなステージであってもよい。そう思う。
それでもメタル(魂)は失われないし、
もっと言えば、別にメタルじゃなくてもまったく何の問題もない、
これも(他の楽曲とはまったく異なる)最新のBABYMETALだからできる「極み」(のひとつ)だ!

大人になったSU-METALだから説得力をもって聴かせられるメタルAORだ。
そんな気持ちになっているのである。

東京ドームの『BLACK NIGHT』にも参戦できなかったので、
この曲は、僕は実際のライヴで一度も聴いたことはない。

ただ、東京ドーム・デロ版を体験した後の僕にとっては、
今までの2回のこの曲の「演」奏が、この曲の本質に似つかわしくない、
演出過多・あるいは演出不足だったのでは、と思われるのだ。
それを、(僕は)この曲の「ひ弱さ」として強く感じていたのではなかったのか、と。

① 『LEGEND 1999』2013/6/30

このライヴ全体が過剰な演出に溢れたものだが、それ自体は、僕は大好きだ。

YUIMETALの「ちょこっとLOVE」、MOAMETALの「LOVEマシーン」も、紙芝居を含めて鳥肌・破顔不可避だ。
続く、「おねだり大作戦」も、(今観ると改めて)犯罪的な背徳感を感じさせる可愛さ、だ。

で、その後の紙芝居には、デーモン閣下が登場し、YUIMETAL・MOAMETALが蝋人形に変えられてしまった、
(ここの、蝋人形館、マダム・アッソーに並んでいるメタラーの蝋人形が、ジェイムズ・ヘットフィールドであり、ロブ・ハルフォードであり、YUI・MOAだ、というのも、この時は、完全なネタでしかなかったはずなのに・・・と思うと感慨ひとしおであるが、それはそれとして)
のに続き、会場のみんなには「あ、あれか?!紅の騎士SU-METALが助けに来るやつだな・・・」と思わせておいて、
紙芝居は「だが、止まない雨はない」「メタルの方舟」「エル・ド・ラ・ド」と続く。
さらには、クリスタル・ピアノ(Xオマージュ)まで出てきて、
荘厳なオーケストラ&リリカルなピアノのイントロ、に続き、
SU-METALが「ど~して、ね~むれな~いの~」とメロディックに歌いはじめる。

2回目のAメロにはディストーションの効いたギターのアルペジオが重なり、
サビの「絶望さ~えも~」では、神バンドがその姿を現わし、
間奏では、蝋人形にされたYUI・MOAが、登壇(コルセットを着用している)。
SU-METALが魔法を解く(?)と、2人はまた天使に戻り、
ツインギターに合せて、SU-METALとYUI・MOAが階段を降り(この天上から地平への移動のモチーフは、この曲の世界観の具現化だ)
ギターソロの終わりでは、YUI・MOAがピアノに突っ伏す小芝居の後、ぱたぱた羽ばたきながら、
クリスタルピアノに座し、ピアノを奏ではじめる(フリをする)。

という(ふう・・・)
今のステージからは考えられない、カオスに満ちた演出・凝りに凝ったステージなのだけれど、
初めて観たときから、「・・・」と感じてしまったのだ。

BABYMETALの持つギミック性・まがいもの感が、この「演」奏では昇華しきれないまま露呈している。
歌詞や楽曲展開の「まじめさ」が、こうした過度の演出によってむしろ「嘘くささ」をぷんぷん匂わせる、そんなステージになってしまっている、
と(あくまでも個人的な見解だが)感じてしまっていたのだ。

② 『Live at BUDOKAN ~ BLACK NIGHT』2014/3/2

この日も、前日『RED NIGHT』に比べると、「招喚の儀」の日だから、演出が多い。
もちろん、それは好ましい、この日のこのステージならではの魅力である。
階上に登場した3人が、ライトセイバーを持って降りてくる「BABYMETAL DEATH」の冒頭から、何とも可愛く・美しく・凜々しい。
銅鑼を鳴らしたラストに続く「招喚の儀」の後に流される、「YUIMETAL、MOAMETAL 降誕祭 in Europe」という紙芝居も、
「え・・・どういうこと?」という驚愕のラストであり、
はじめから最後まで前夜『RED NIGHT』とは違った豪華なステージだ。

一つの演劇的なメタルライヴとしての『黒い夜』という美しい舞台、それが演じられている。

で、その中の、まだ序盤、4曲目「おねだり大作戦」、5曲目「4の歌」(これは、僕は、レディ・ボーンなしの「RED NIGHT」の方が好きであるが)に続き、静かな紙芝居が始まる。
当日、会場で、「あっ!」と思われたファンも少なからずいるのだろうし、
「だが、止まない雨はない」のナレーションで確信をもって「キター!」と興奮された方も多かっただろう。

で、階段上にSU-METALが現れ、荘厳なオケのイントロから、「NO RAIN, NO RAINBOW」が始まる。

SU-METALの歌声は、9ヶ月前に比べるとはるかに深みを増し、
ギターのアルペジオも、クリーントーンで奏でられ、①のような「演出過多」という嫌み・臭みはほとんど感じられない。

ツインギターをフィーチャーした間奏においても、
SU-METALが、階段上から、神バンドのいる地上ステージへと一歩一歩あるいて降りる、
というシンプルな「演」出であり、①とはまるで違った清新なものになっている。

アウトロで、神バンドの位置から、魔方陣ステージの中央へと、片足すり足で歩み、止まる。

特に、文句をつけるようなものではないのだが、しかし、逆に言えば、見せ場がないのだ。

続く「紅月」で爆発するのだから、その前置きとしてうまく機能しており、ライヴの構成としては、全く破綻のない完璧なもののだが、
「NO RAIN, NO RAINBOW」単体で言えば、そつなくつなぎの役割を果たした、というものに終わっている。
(あくまでも個人的な見解DEATH!)

4番バッター「紅月」へ、そつなくつないだ6番あるいは8番バッター、という感じ、か(打順はヘンだが、印象として)。


ところが、だ。

③ 『Live at TOKYO DOME ~ BLACK NIGHT』2016/9/20

①②と異なるのは、もちろん『BLACK NIGHT』というライヴの中の一曲ではあるのだが、
演出の一部、つなぎの一曲ではなく、
この曲単体で、見せる・聴かせるものとして「独り立ち」している、ということだ。

何より印象的なのは、そのシンプルさだ。
そのために、この楽曲のメロディーのリリカルさ・歌詞の真率さが、屹立している

この夜のこの曲の「演」奏がそうなった、最大の要因は、SU-METALの歌の進化・深化、だろう。

『ヘドバン』誌で、KOBAMETALが、この曲を、ビリージョエルの「オネスティ」とかもなぞらえているという趣旨の発言をしていたが、
ただ単にうまく(下手ではなく)歌うだけなら今までの①②のSU-METALにもできてはいたのだろうが、
他のBABYMETALの楽曲群のように、魂を振るわせるレヴェルにまでこの曲を「歌う」には至らなかった(個人的見解DEATH!)。

この曲をこうして「独り立ち」させるには、やはり相応の年月・経験が必要だった、ということだろうか。
ある意味、他の曲とは纏っている雰囲気が全く異なる、世界観がまるで違う楽曲なのだから。

狂乱の「紅月」、目の眩む可愛さの「おねだり大作戦」が終わった。
ピアノの”あの”アルペジオの紙芝居がはじまる。
疑いようもなく「NO RAIN, NO RAINBOW」のはじまりだ。

東京ドームの円空ステージに、雨とフライングVの紙芝居が流れている絵が映し出される。
これだけで、すでに涙が滲んでくるのはなぜだろう。

①や②と紙芝居の文言、メッセージの内容はほとんど変わらないはず(「クリスタル」「メタルの方舟」「エル・ド・ラ・ド」等)なのに・・・。
(英語のナレーションだ、というのが効いているのか。シンプルな絵だからよいのか。このボロボロのフライングVはぼくたちにはほとんど「原風景」というべきものになっているということなのか)。

それとも、この楽曲には、これだけのスケールの大きさがふさわしい、ということなのだろうか。

まず、「お!」と思うのが、イントロだ。
映画音楽のような”あの”荘厳なストリングスのドラマチックなメロディではなく、
弦の小さなトレモロの後、いきなりピアノではじまるのだ。
この段階で、僕はすでに鳥肌を立てていた。
なんて清潔な「筋肉質」な、演奏!
こんな「NO RAIN, NO RAINBOW」があったのか。

そして、SU-METALの歌、「ど~して~眠れないの~」がはじまる。
いやあ、この歌声は、すごい。
深み・滋味・つや・張り。歌声の説得力が、①とも②とも、まるで次元が違う。

そして、「ど~こま~でも」の後、「二度と会えないけど~」に入る直前での、
ギターのザックザックのリフも抑え気味である。
このアレンジにも耳を瞠った(ヘンな言い方だが、心情的にはこんなだった)。

だからこそ、続くツイン・リードの、”歌う”メロディーが、
①②の演奏とも違う、”真率さ”を感じさせるのだ。

このツイン・ソロは絶品、だ。
本来、こうした”ギター・オリエンテッド”な”静謐”な(しかし根底にはもちろん熱い思い・血が滾った)
楽曲だったのだ。

大神とレダ神との背中合わせも、「紅月」でやらなかったのを、この曲でやるって、
何ともファン心理をくすぐる憎い演出だ。

そして、うっとりと二神のツイン・ソロに聞き惚れていると、
まさかの天空からの二番スタート
ギター・ソロ(デュオ)に陶然としている間に、SU-METALはエレベーターで天空ステージに昇っていたのだ。

いやあ、この神々しさよ!!!

この歌詞の世界観を、こんな風に表現するなんて。
こうしてライヴで実現してしまうと、まさにこの日のこのステージにぴったりなのだが、
この曲を作っている時に、まさか「東京ドームの天空ステージの上で」なんて想定できるはずもないのだ。

これもまた、BABYMETALをめぐる偶然的な必然、すなわち奇跡のひとつ、だろう。

曲名や歌詞から「天と地」の移動の演出は、必然、なのだ。
①でも②でも、上段から降りて来ていた。
それは、次の楽曲につづくためだ。ステージから、上に昇ったのでは、次の曲へと続かない。

ところが、この日は、SU-METALは天空ステージに昇ったままである。
そこに「天使」YUIMETAL・MOAMETALも一緒になり、
なななんと、「ド・キ・ド・キ☆モーニング」を天空で「演」奏する、のだ。

東京ドームのこの天空ステージだからこそ可能だった、この「地上から天空へ」の演出は、
「NO RAIN, NO RAINBOW」の演出として、ほんとうに神がかった「正しさ」である。

そうそう、アウトロもよい。渋い。

ギターの二神が、こんどは向かい合ってツイン・ソロを奏でるのだけれど、
ここ、何とも気高い。
この静謐な崇高さは、BABYMETALの他の楽曲にはない、まさにこの曲の大人の味わいだ。

まあ、でも、何と言っても、
花道先端に登場したSU-METALが、歌いながら魔方陣ステージへと歩きはじめ、
「絶望さえも~、光になる~」の前で、くるっと振り向く、その姿の美しさよ!
まず、この美しさで、度肝を抜かれる。
たった一回の、半回転の振り向き、それで観客のこころを鷲掴みにする。そのままラストまで連れていかれる。

この間記した、「BABYMETAL DEATH」でのYUIMETALのくるりん、に匹敵するキメの素晴らしさだ。

これも、数々の国内・海外でのライヴ経験から滲み出る所作のキレ、なのだろう。

その所作は、しかし、歌詞の内容を(ある意味愚直に)表現するBABYMETALらしい「演」奏なのだ。
そういう歌詞、世界観だもの。
これを観てしまうと、①②は、外していたな、と思う。
演出過多も見せ場がないのも、要は、この「NO RAIN, NO RAINBOW」って何なのか、きちんと掴めていなかったということではないか。
結果論だが、このすばらしい結果を目の前にした後で振り返るとそう思わざるをえないのだ。


・・・で、この夜は、この後に続くのが、「ドキモ」「メギツネ」「ヘドバンギャー!!」「イジメ」だもんな。
もう、100点満点で800点!そんな構成だ。

このラインナップ、この曲順、この会場だからこそ、
「NO RAIN, NO RAINBOW」が(僕にとっては、本当にようやく)その「正体」を現わしたのだ。

BABYMETAL探究(FOX DAYに吹き荒れて !!!①)

2017-04-03 22:12:24 | babymetal
書きたいこと・書くべきことが一気に押し寄せた、
そんな、4月1日の FOX DAY 、爆発的な出来事の奔流だった。

まずは、到着した『LIVE AT TOKYO DOME』映像盤・音盤について、第一印象をまとめておこう。

ひと言で言えば、「WOWOW版とはまったく別物だ!」という圧倒的な熱量を感じたのだった。

まあ、正規リリースの商品版なのだから、当然そうでなければいけないのだが、
それにしても、
BABYMETALのライヴが、いかに、はじめから終わりまで、
テンションを張り切った状態でつながり、
また、起伏・緩急のドラマが盛り込まれているのか、を圧倒的なスケールで体感できる

そんなパッケージになっている。

いやほんと、(ファンだから当然なのだろうが)観始めたらあっという間に惹き込まれて、
鳥肌を立てたり、ついニヤけてしまったり、ヘッドをバンギングしたりしながら、
気づいたら最後の曲まで観てしまう。

この”丸ごと感”よ!!!
(だから、音盤でも、紙芝居ごと”丸ごと”収録されているのが嬉しい。
『RED NIGHT』の「シン・ゴジラ」ネタ、大好きなのDEATH!
後ろの荘厳なオケも、女性のスキャット(?)も!)

多くの場面は、もちろんWOWOW放映版と重なってはいるのだが(小さなカット割の差異もいくつもあるようで、より好ましい方に変更されているように感じるが、それはそれとして)
2夜で、BABYMETALの全ての楽曲を、被りナシで「演」奏する
という、今回の(酔狂な)コンセプトが、ようやくしっかり体験できるようになったのだし、

また、単に東京ドームという大きな会場でライヴをおこなうというのではなく、
東京ドームという空間使って
BABYMETALの最新(=最高)の「演」奏を、今までにないスケールで・演出で・豪華な美しさで行った、
その「スタジアム・ロック」としてのステージの”大きさ”の全貌が、ようやく味わえるようになった。

例えば、『BLACK NIGHT』の”高さ”だ。

僕は『BLACK NIGHT』は体験していなかったので、WOWOW版のみを観ていた一昨日までは、
「あ、そうか、2日目は、あまり天空ステージは使わなかったのか。まあ、その方が、やっぱり盛り上がるもんな」
なんて思っていたのである。
WOWOW版では、ラストの銅鑼たたきで3人が天空ステージに上るだけで、
あとの楽曲は、魔方陣移動や、まわるステージはあっても、3人が上にのぼるものはなかったから。

ところが、(WOWOW版ではカットされていた)
「NO RAIN, NO RAINBOW」そして、「ドキドキモーニング」に、
まさに、
天空ステージを(ファンであればあるほど「えっ!」と驚くかたちで)”使った”、
特別なこの夜限りのスケールでの「演」奏が、実現されていたではないか。

あるいは、『RED NIGHT』の「4の歌」
東京ドームを4つに分けて、全員で「よん!よん!」と叫ぶ、
というBABYMETALならではの狂気(狂喜!)が加わってこそ、
『LIVE AT TOKYO DOME』であることの「意味」が存分に立ち上がる、それが体感できる。
(あ、僕は、やっぱり「幸せの4」チームだったようだ・・・かな?)

いや、しかし、こんな複雑な移動・段取りが必要だった「一発勝負×2夜」。
よくやったよな。
プロだから、当然といえば当然なのだけれど。

そして、(僕や娘も含めて)会場を埋めたファンも、この2夜のステージの大切な構成要素。台風の中。よくやった。

見えなくて・音がよくなくて残念、という思いをされた方も少なからずいたようだが、こうして「記念碑的な化け物ライヴ」の一端を担うことになった、という結果は、これはこれでファン冥利につきる、といえるのではないだろうか。
(勝手な憶測、ごめんなさい)

で、各論で言えば、僕が4月1日にいちばん感動したのは、
多くの皆さん同様(ですよね?)、何といっても「シンコペーション」だ。

イントロの、ドックン・ドックンからの緊張感、
さみだれ式に奏でられるイントロのフレーズ(キター!)
ひっぱってひっぱって→期待感マックスの後、
爆発的に曲が立ち上がる、その冒頭の瞬間の3人の動きの鋭さよ!

泣きました(ですよね?)。

・・・これは、凄い。・・・絶句。

そして、その後の、キレッキレの舞踊よ。
BABYMETALの舞踊を「キレッキレ」と称すのは常套句だが、
この「シンコペーション」は、とんでもない。

動きの速さ・可動域の大きさ・ダイナミックさ・かっこよさは、
「ヤバッ!」を超えて、BABYMETALの振付のなかでも「極」、だろう。

とりわけ、この日のこの曲でのMOAMETALの動きは、とんでもない。
ぶんぶん、と音がするような力動感が、鋭さへと化して、比類のない美しさだ。
不謹慎な喩えだが、表情も含めてこの曲でのMOAMETALは「美しい妖刀」と化している
BABYMETAL史上の、MOAMETALのベスト・アクトのひとつ、だろう。

もちろん、3人とも凄いのだ(MOAMETALがとりわけ、という話である)。
ライヴの現場では、「シンコペ、きたー!」という興奮に狂喜していたし、
3人の動きを冷静に観察なんてしていないのだけれど
(これがBABYMETALの常だが)こうして映像盤できちんと確認すると、
3人とも、とんでもない動きを高速で、いちいちキメていることに、慄然とする。

これこそが、(世界で唯一無二の)「メタル・ダンス・ユニット」だ!

いやほんと、BABYMETALを知らない人には、まずこれを見せるべきだろう。
(近日中に、やってみます。さあ、どういう反応をするだろうか?
その際には「これ、CGでもないし、アニメでもないし、早送りでもないですよ」と付け加えるのを忘れないようにしよう。)
(米国のアニメの主題歌に、というのもあながちありえないことでもない。米国のアルバムには未収録だし、このとんでもない振付があれば、日本語歌詞という「壁」も壁にならないだろう)

踊りは嘘をつけない。
映像盤化するにあたって、歌や楽器の音の差し替えはできても、舞踊の差し替えはできない。
(アングルや絵面の選択はできても、映る舞踊は、その日その時のものでしかありえない)
まさに「一発勝負」の神髄。

しかも、これ、まったく「ダンス・ミュージックじゃないじゃん!!」(by M.フリードマン)
この、「シンコペーション」を観て、改めてそのことの「凄み」を感じた。
(このブログでは、もう繰り返しの文言になるが)
メタルにあわせて踊っているのではなく、
メタルを踊りで「演」奏している。

その「凄み」は、この「シンコペーション」にまさに完璧に体現されている。

で、次に来るのが「Amoreー蒼星ー」(井上陽水の「少年時代」を想わせる長いイントロも大好きなのDEATH!)。
その次が、「GJ!」。

(鳥肌)うえ~ん!(感涙)

この、「シンコペーション」→「Amoreー蒼星ー」→「GJ!」、の並びよ!
まさに至高

例えば、「シンコペーション」1曲だけなら、BABYMETALの3人と同じように、あるいはそれ以上にキレッキレに歌い・踊る3人を見つけてくる(オーディションで選ぶ)ことはできるかもしれない(・・・できないか?)。

しかし、その中の一人が、「Amoreー蒼星ー」を歌い踊って、5万5千人を圧倒・感涙させ、
他の二人が「GJ!」を歌い踊って、5万5千人を仰天・破顔させる。

この三連チャンは、ゼッタイに無理だ。
ありえない。

で、さらに「悪夢の輪舞曲」が続き・・・、「4の歌」、で、「CMIYC」・・・
(鳥肌)うえ~ん!(感涙)
ラス前には、「Tales of the Destinies」まであるのだから。
(鳥肌)うえ~ん!(感涙)


この、”丸ごと”なんだよな。
BABYMETALの「恐ろしさ」は。
(MCなし・アンコールなしの「恐ろしさ」、だ)

それをたっぷり味わえる、とんでもないディスクだった。


そして、もう一曲、「NO RAIN, NO RAINBOW」。

僕は、この曲(だけ)にはBABYMETALの演目として本心からは納得できていなかったのだが、
この『BLACK NIGHT』のこの曲の「演」奏には、もう、降参です。
ごめんさい。僕が見損なっていました。

(つづく)