ケルベロスの基地

三本脚で立つ~思考の経路

BABYMETAL探究(「天職」考)

2015-06-14 09:23:45 | babymetal
DOWNLOADフェスに、BABY DRAGON METAL FORCE 降臨!
それも、演奏したのが「ギミ・チョコ」で、かつ、MOAのマイク・トラブルまであった、という、らしいおまけつきの、まさに青天の霹靂と言うしかない、濃厚な衝撃だった。

いやあ、みなさん、にんまりしながら週末を過ごしているでしょうね。
多くの方の書き込みにもあるように、つくづく「ファンでよかった!」という
幸せな気持ちを与えてくれる、BABYMETALの至高性を感じた日になった。
昨日も仕事だったのだが、なかなか仕事モードに入れなかった。
だけれど、3姫も頑張ったんだから僕も、と思い、自分なりに真剣に仕事に没入してきた。
で、調子に乗って、連日の書き込みをする。

この降臨をめぐる一連の出来事でとりわけ印象的だったのが、
紹介されて登場し、位置につくまでのSU-METALの笑顔だった。
(ステージ上で、MOAMETALの方がSU-METALよりも深刻な顔を見せている、なんて絵は、はじめて見た気がする。)

通常のフェスや単独公演とは異なる、飛び入り・サプライズだということ、そして、このサプライズに対する観客の反応、それらが楽しみで楽しみでならない、という笑顔だったように見えた。
その笑顔を、こちらも胸をほんわかしながら見ているうちに、ふと頭に浮かんだのが、「天職」という言葉だった。

ああ、中元すず香は、SU-METALという天職を得たのだな。と、つくづく感じたのだ。

天職とは何か?

広辞苑をひくと、「天職」とは、
天から命ぜられた職 であり、
それを細分化した
㋐ 天子が国家を統治する職務
㋑ 神聖な職務
㋒ その人の天性に最も合った職業

の3つの意味があげられている。

これって、まさに、SU-METALの行なっていることじゃないか、と思ったのである。

そういう意味で改めて面白いのが、BABYMETALは、紙芝居やインタビューにおいて、そうした「天職」の構造、つまり、自分たちで望んでそうなったのではなく、メタルを司る神様、キツネ様から選ばれ、そのお告げを実行している、ということを前面に押し出していることだ。

それは、プロデューサーによって造られたギミック、というヘイターが真っ先に非難するだろう「負の側面」を、「設定」というネタとして昇華した開き直りの戦略、なのだろうが、しかし、事ここにいたってみると、こうした「天職」というかたちで、中元すず香、水野由結、菊地最愛、というヘヴィ・メタルにも縁もゆかりもなかったはずの天才少女3人を、ヘヴィメタル界にSU-METAL・YUIMETAL・MOAMETALとして降臨させた、ということは、ギミックとして批判すべきことでは全くなく、むしろ、感謝をもって讃えるべき奇跡的英断だった、と言わざるをえない、そんな事態になってしまっている。

それは、とりもなおさず、「天職」を実行する彼女たちの歌や舞踊が、(ヘヴィメタルとして)とんでもなく素晴らしい実力を持ちそれを発揮すべき場できちんと発揮してきた、ということだ。
そうでなければ、彼女たちのパフォーマンスは、ギミックという批判に潰されたはずだ。
それが試された修羅場は、数多くあった。
それを、彼女たちは、その歌と舞踊の魅力で潜り抜けてきた。疑念を雲散霧消させてきた。

いや、むしろ、
「天職」を実行することによって、3姫の歌や舞踊は、想像の及ばない次元にまで魅力を高めている、というべきだろう。
「天職」の意味のうちの、㋒ その人の天性に最も合った職業とは、おそらく、その前提である「天から命ぜられた職」㋑ 神聖な職務 を実行することにおいて、その実行能力が高められとんでもない結果を出すことができた、そこから事後的に㋒だと認識できるはずのものだろうからだ。

(以前にも「世をしのぶ仮の姿」考で少し考えたことだが)中元すず香のもっているポテンシャルを、最大に発揮できる場、それが、BABYMETALというヘヴィメタル・ユニットでの、ヴォーカル&ダンス、SU-METALという姿、であることは間違いないという確信が僕にはある(もちろん、偏見だが、僕にとっての真実である)。

例えば、「紅月」。
この楽曲を(舞いつつ)歌い続ける数年間において、SU-METALはその実力(歌、振り、表情、世界観を表出する仕方、バンドとの呼吸、等)を高め続けていることは間違いない。
ネットの動画の書き込みには、神バンドを従えてヘヴィメタルの楽曲を熱唱するSU-METALの姿に、かつては「すぅちゃんの喉を潰さないで」というような心配を表わすものが見えたが、今や「化け物」扱いである(笑)。でも、そう思わせる確かな(とんでもない速度での)レベルアップがあったのだ。

結果論?そうかもしれないが、ともかく(結果として)BABYMETALのSU-METALという「天職」を実現し続けることで、中元すず香はとんでもない高みに引きあげられてゆき続けている。

これは、彼女が「天命」を受ける前から望んでいたことではなかったはずだ。
例えば、ふつうの国内アイドル、アニソンの歌い手、シンガーソングライター。
「歌」を志す少女が何となく思い描くであろうそうした「夢」の姿には、
ワールドツアーで世界をかけめぐったり、
ヘヴィメタルのフェスでメタルヘッズたちを煽り・歓喜させたり、
世界中で名の知られたスピード・メタル・バンドのステージに飛び入り出演したり、
といった、いまのSU-METALが実現している姿はあるまい(あるはずがない)。

㋑ 神聖な職務
その鍵は、ヘヴィメタル、という、強い同胞意識をもった集団の、ほどよい狭さなのだろう。
これが、音楽界、となると、何とも曖昧模糊として、取りつく島もない。
メタルを司る神さま、という、ほどよいサイズの神が与えた、ということが、BABYMETALの歌や舞踊を、㋑ 神聖な職務すなわち「天職」たらしめている、のだろう。

㋐ 天子が国家を統治する職務
とは、現状のヘヴィメタル界のBABYMETALの立場(デビューしたばかり)からすれば、僭越な言い方だ。一人のファンの妄想、でしかない。
ただ、SU-METALの、BABY DRAGON METAL FORCEとしての登場時の笑顔には、王女の悪戯っ子の笑み、といった雰囲気を感じさせるものがあった。

英語を話しはじめた(これも「天職」がもたらしたレベルアップの一つだ)最近のSU-METALの姿も、王女としての覚醒、といった気品や風格の兆しを感じさせる。

父兄、などではなく、僕(しもべ)として、姫にお仕えする。
ファンの多くはもはやそんな気になっているのではないか。
それに値する姿を、立て続けにSU-METALは見せてくれている。

さあ、BABY DRAGON METAL FORCE(龍にまたがって天を翔ける、王女、姫たち)の、Road of Resistance をわくわくしながら待とう。









BABYMETAL探究(「バトル」考3~よりみち編)

2015-06-12 21:11:27 | babymetal
おめでとうございます!
チームBABYMETAL、そして(僕を含め)ファンの皆さん!
ある一つのマイル・ストーンになった日、でしょうね。

この、KERRANG!の、The Spirit Of Independence Awardって、
そんな賞があることなど今日初めて知ったのだけれど、
まるでBABYMETALのために設定されたような賞だ、と思ってしまうのだが、
きちんとそういう評価軸を持っている英国音楽業界は質が高いなあ、
とつくづく感心した。
例えばBEATLESに象徴されるように新しい音楽を生み続けてきた、さすが、ダーウィンの国だ
と素直に感じさせられた。
「突然変異」と「自然淘汰」、地球上の生命のそうした「進化」のうねりを、
味わう・楽しむことができる、文化的な成熟、というか、懐の深さ、を改めて感じる。

そして、事実、METAL RESISTANCE EPISODE Ⅲを彼の国の上で開始し、Road of Resistance を彼の国で初披露したBABYMETALは、英国の音楽雑誌のThe Spirit Of Independence Awardを「deserve=受けるに値する」ユニットだ。
真の意味での「実績」による受賞である。

授賞する側にも受賞する側にも、<METALは正義、カワイイも正義。>を感じる。
何ともすがすがしい。
(それにひきかえ…なんて、言うつもりはありません。)

さて、以下、本題を少しだけ。実は、

何て迂闊(うかつ)だったんだろう、と自分の頭を自分でポカポカ殴っているところなのである。

BABYMETALの舞踊をダンスと呼ぶことへの違和感。
このブログを書く原動力とも言えるそれを、うまく言語化できないでいたのだが、前回からの流れを振りかえっていて、さっき、はっと気がついたのだ。

BABYMETALは、常にステージ上で闘っている、のだ、と。

それが、彼女たちの舞踊をヘヴィメタルだ、と僕(たち)が感じる核心なのだ。
考えてみれば、ごくごく単純な理屈ではないか。

彼女たちの正規のレパートリーも、すべてどこかに「闘い」が表現されている。
BABYMETALを、異形ではあるが本物のヘヴィメタルだと感じるのは、そこにも秘密があるのではないか。


1. BABYMETAL DEATH
【闘い要素】: 曲調、振り付け
2. メギツネ
【闘い要素】: なめたらいかんぜよ
3. ギミチョコ!!
【闘い要素】: チョコレート戦争(チョコをよこせ、チョコの誘惑との戦い、など)
4. いいね!
【闘い要素】: フラゲしないでよ!オマエノモノハオレノモノ~!
5. 紅月-アカツキ-
【闘い要素】: 全て
6. ド・キ・ド・キ☆モーニング
【闘い要素】: 遅刻との戦い
7. おねだり大作戦
【闘い要素】: 究極の知能戦
8. 4の歌
【闘い要素】:「4=死」という伝統的な表象との戦い
9. ウ・キ・ウ・キ★ミッドナイト
【闘い要素】: 振り付け(極めて鮮明にファイティングポーズの応酬がある)
10. Catch me if you can
【闘い要素】: 全て
11.悪夢の輪舞曲
【闘い要素】: 勝てない闘い
12.ヘドバンギャー! !
【闘い要素】: 全て(泣き虫なヤツはここから消え失せろ!過去との訣別)
13.イジメ、ダメ、ゼッタイ
【闘い要素】: 全て
14.Road of Resistance
【闘い要素】: 全て

かなりこじつけもあろうが、しかし、遅刻との戦い、とか、チョコをめぐる戦い、とか、「闘い」があることで、美少女たちの「可愛い」が、重くて鋭くてつややかな「カワイイ(Kawaii)」へと止揚(アウフヘーベン)しているのだ、というのは、(少なくとも僕のBABYMETAL体験の)核心をついている。

SU-METALの、「ライヴは戦いだ」という趣旨の発言も、単に、お客さんに負けないように私(たち)もがんばるわ!、という心構えだけの謂ではなく、実際にBABYMETALの楽曲を歌い・踊るとは、「闘い」を汗ふりみだしながら表現することだ、ということから(も)きているのだろう。

また、「ウ・キ・ウ・キ★ミッドナイト」は、BABYMETALの楽曲の中でもかなり地味な曲(人気投票では上位にこない曲)だろうが、個人的には偏愛している曲で、しかし、曲の構造も(BABYMETALの楽曲のなかではおそらくいちばん)単純だし、歌詞に深みがあるわけでもないし…と、腑に落ちなかったのだが、上に記したように、この曲の振り付けが、まさに「闘い」の表現なのである。
そう、初めてきちんと観た映像作品「LEGEND I」の4曲目の、3姫のユニゾンの左右のフックパンチ、あれを観たときの衝撃に、僕はノックアウトされたのだ。


たぶん、こんなことはすでにどなたかが指摘されているのだろうが、
改めて、なぜ僕(たち)のヘヴィ・メタルを愛する感性が、
BABYMETALにこれほど惹かれるのか、その核心に触れたことができた気がするのだ。

ドヤ顔で、ここに記しておきたい。
(これも、コツコツ駄文を重ねてきた成果だ。こうして、つまらない主観・偏見でもそれを書き重ねた先に見えてくること、があるのだ。)
で、『殺陣』や『アクション(闘いを観客にみせる表現)』についての本を読みはじめたところでもある。BABYMETAL探究は、ますます収拾がつかなくなっている。それについては、またいつかまとめて書いてみたい。

何ともめでたい日になった。さあ、祝杯!

以上、「バトル」のよりみち編でした。

それにしても、幕張前に、何ともアゲアゲの流れになってきましたね。
あと一週間後、本当に楽しみです。
ステージ上の姿はたとえ見えなくても、同じ時空間を、BABYMETALと、そして熱い想いで彼女たちを応援するメタル魂を持った人たちと共有できる、本当に熱い夜になるでしょう。全く無心で、ただただ、会場の熱気に埋もれにいく気ですが、
でも、ひょっとして新曲?YUI・MOAの生誕祭的な何か?2ndアルバムの告知?なんて妄想をしては、いやいや、何も考えず感じるだけだ、そのために行くのだ、と言い聞かせています。

BABYMETAL探究(「バトル」考2~イジメ、ダメ、ゼッタイ7)

2015-06-11 09:40:58 | babymetal
最近読んだ、河出夢ムック『メタリカ』に、伊藤政則氏への次のような興味深いインタヴューがあった。

伊藤 業界の大先輩のある方が、ブリティッシュ・ハードロックとアメリカン・ハードロックの違いを、実にわかりやすい言葉で表していた。「アメリカン・ハードロックはスポーツだ、ブリティッシュ・ハードロックは劇場だ」と。
(編集部 なるほど。スポーツ観戦と劇場鑑賞。)
伊藤 うん、ブリティッシュ・ロックというのは芝居を鑑賞しているような、舞台芸術に近いものがあるかもしれない。ステージの要のものが動いたり崩れたりする。イギリスで言えばシェイクスピアの演劇。アメリカは違う、グランド・ファンク・レイルロードとか、音もでかいし……。
(編集部 まさに「ホームラン!」って感じですね(笑)。
伊藤 そう考えれば、「スラッシュ四天王」の中でも、メタリカの意識と他3バンドの意識の違いが見えてくる。メタリカは劇場だし、他の3バンド、スレイヤー、メガデス、アンスラックスはスポーツなんだよね。


単なるステージ上の演出ではなく、楽曲の音像や構造にも関わる「なるほど」という話だが、では、BABYMETALはどうか?と問われたらどう答えるべきだろうか。

答えの一つ(そしておそらく標準的な「正解」)は、劇場でもありスポーツでもある、というものだろう。単に融合というのではなく、「止揚(しよう)」とでもいうべき、両方の性質が保たれたまま高い次元で融合し全く新たな何かになっている、という考え方だ。おそらく、BABYMETALのありようの全体像とは、このように答えるべきものなのだろう。

しかし、もう一つの答えもありうる。それは、どちらでもない、というものだ。こう答えたくなる典型例のひとつが、ここで考えている、YUI・MOAの「バトル」である。
「イジメ、ダメ、ゼッタイ」の間奏で見せる、YUI・MOAの「バトル」とは、スポーツでも演劇でもなく、(以前にも書いたが)いわば武道の「演武」であり、つまり抑制されたかたちで表出されてはいるが、そこにあるのは「ほんものの闘い」であるように(僕には)思われてならないのだ。そして、その「ほんものの闘い」のオーラがライヴ全体に満ちているからこそ、少女3人が歌い踊るという異形のすがたかたちを目にして、僕(たち)は、これが本物のヘヴィ・メタルだ、と感じているのではないか。

彼女たちは(ごく一部の原案は除いて)楽曲も作らないし、楽器の演奏もしない。

しかし、曲を作って楽器を演奏する大人たちのように、傲慢だったり、ライヴでは手ぐせで適当なフレーズを弾いたり、歌をフェイクでごまかしたり、ニヤニヤ意味もなく笑ったり、酔っぱらっていたりクスリに溺れたり、楽器を叩き壊すことで観客を煽ったり、そんなことは全くしない。

ただただストイックに、自らの身体を全身全霊かけて動かしながら、ひたすら、楽曲とそして観客と、切り結んでいるのである。
(精緻な舞踊を踊り続ける、とは、ライヴ中、一瞬たりとも気を抜くことがない、ということであり、それは改めて考えて見れば、とんでもなく過酷で壮絶なことだ。)
演劇とかスポーツとかではなく、もっと切迫したそれこそ「命懸け」の「演」奏を僕たちは目にし、それに、胸を熱くし涙を滲ませている、のではないのだろうか。

そうしたBABYMETALの本質が凝縮して表現されているのが、「イジメ、ダメ、ゼッタイ」での、YUI・MOAの「バトル」なのだと僕は考える。
その、YUI・MOAの「バトル」(16小節)の変遷を、
a①での、MOAの攻撃の仕方、それのYUIの受け方(尻餅をつくか?)
a②での、YUIの攻撃の仕方、それのMOAの受け方(尻餅をつくか?)
b①での、MOAの攻撃の仕方、それのYUIの受け方(尻餅をつくか?)
b②での、YUIの攻撃の仕方、それのMOAの受け方(尻餅をつくか?)
という目で古いヴァージョンから順を追って眺めてみよう。

いわば、YUI・MOAの「バトル」史、である。

ヴァージョン1 LEGEND I 版(2012・10・06)
<武器なしの素手の闘い>

a① MOAが両手を×にして突進 → YUI 尻餅(MOAもつんのめる)
a② YUIがフォース攻撃の突進 → MOA 尻餅
b① MOAがフォックスサインの両腕を交互に突き出しながら突進 → YUI 全身を撃たれながらこらえる
b② YUIがフォックスサイン両腕を交互に突き出し突進 → MOAが撃たれて尻餅


以前にも書いたが、(意外にも)最初期のこのヴァージョンは神バンド版であり、とりわけドラムス(SHIN氏、のようだ)の金属的な音色の、ヘヴィメタルとしての凶暴さを帯びた生々しさが印象的だ。

ここでのYUI・MOAの「バトル」は、武器なしの素朴な突進を繰り返すものだ。
2人とも、両手を突き出しながら、がむしゃらに相手に向って突進していく、という動きだ。ひょっとして、手から光線・フォースを発している、という設定なのかもしれないと思い、a②には「フォース攻撃」と書いたが、これは単なる個人的な印象である。

はっきりと攻撃の動きや武器を扱うしぐさをみせない点において、YUI・MOAの「バトル」史において、「なんじゃ、こりゃ」をもっとも感じさせるヴァージョン、といえるかもしれない。「闘っている」のかどうかも定かではない原型的なバトル、ともいえる(2人の距離も離れているし)。

攻撃へのリアクションとして、MOAは2回とも尻餅をつくが、YUIは2回目はまるで全身に銃弾を受けているかのような仕種をしながらも、倒れるのはこらえる。
このヴァージョンでの尻餅は、全身で「バトル」を「演」奏している結果だろうが、また、当時のYUI・MOAの体力・筋力から、コンサートラストでのこの曲のこの動きでは、尻餅をついてしまうのも必然、だったのかもしれない。

この後、2人の「バトル」はこのヴァージョン1をいわば骨組みにしつつ、その上にさまざまな武器や攻撃法をまとったものへと変わってゆく。


ヴァージョン2 LEGEND D 版(2012・12・20)
<荒ぶる少女たちの「バトル」はじまる>

a① MOA 突進→飛び蹴り → YUI 尻餅
a② YUI 顔の前でフォースの球をつくり突進し、ぶつける → MOA 尻餅
b① MOA フォックスサインを交互に打ち込みながら起き上り、キック、突進 → YUI撃たれながらもこらえる
b② YUI フォックスサイン交互に突進 → MOA 尻餅 → YUI右手でパンチ右足キック


ヴァージョン1から2カ月半後の「バトル」だが、印象が全く刷新されている。少女2人による激しい闘いが、本格的にはじまった、と感じさせるヴァージョンだ。

骨バンドの演奏だが、映像作品としては、これはこれで疾走感に満ちた、観応え聴きごたえあるものになっている(何といっても、曲が素晴らしいのだ。この曲を生みだしたのが、BABYMETALの成功の大きな鍵であることは言うまでもない。…と、これは、他の全ての曲に言えることだが。)

いきなり、a①でMOAが飛び蹴りをくらわす。当ろうかというところを、YUIが尻餅ですべって後退し、よける。(MOAは飛び蹴りの後、着地してもこけずにこらえる)ヴァージョン1にはなかった、接近戦、衝突である。
YUIの反撃は、突進していき、フォースの球(個人的印象です)をMOAに向かって投げ下ろす。動きだけ観れば、刀を振り下ろす動きにも見える。
次の、MOAの反撃が、荒ぶっている。
両手でフォースをぶつけながら起きあがり、首を振りながら突進、飛び蹴りをし、さらに突進する。
b②では、YUIが反撃の突進、尻餅をついて倒れたMOAに、”とどめだっ”といわんばかりのダメ押しのパンチとキックを浴びせる。

喧嘩、ではなく、闘い、というべき、身振りの質・量である。

こうして文章にするために、何度も巻き戻ししながらスロー再生しているのだが、なんとも情報量が多い。
しかし、このa①a②b①b②は、わずか13秒ほどの間の動きなのだ。突進したり、飛び蹴りしたり、尻餅をついたり、また起きあがって突進したり、これを、「イジメ、ダメ、ゼッタイ」という一曲の完成された「演」奏のなかで行うのである。
(次のパートのcでは、美しい舞踊に戻っている)
この集中力と瞬発力は、こうして改めて観ると驚嘆せざるをえない。
大人にはできない、YUI・MOAによる「速弾き」とでも言うべきなのかもしれない。


ヴァージョン3 LEGEND Z オープニング版(2013・02・01)
<くるくる回るMOAMETAL>

a① MOA 回転しながら突進、回し蹴り、回転パンチ → YUI 尻餅 → MOA とどめのパンチ
a② YUI 起きあがり、飛び蹴り → MOAつんのめって倒れる → YUI 両手で叩く  
b① MOA キツネサインを交互に出しながら突進 → YUIひたすら後退 
b② YUI キツネサインで反撃 → MOAくるくる回りながら逃げる → YUI飛び蹴り
 

15のヴァージョンの中での、唯一の、オープニングでの「イジメ、ダメ、ゼッタイ」である。
LEGEND D のラストで(生誕祭なのに!)十字架にかけられたSU-METALが、このLEGEND Zのオープニングでは、重厚な「ナウシカ・レクイエム」が流れるなか、紙芝居の「女神がⅡび蘇るのだ」というナレーションの後、十字架にかけられたまま壇上に登場し、「イジメ、ダメ、ゼッタイ」のイントロに合わせてダメ・サインをして甦る。
劇的にカッコいい、破壊力抜群のヴァージョンのひとつだ。(これ、生で観てたら、悶絶しただろうな…)
(あと、今初めて気づいたけど、サーフ・クラウドが、この時にもう発生してたんですね!)

「バトル」の一小節目、ギターのピッキングハーモニクスに合わせて、SU-METALとYUIMETALがダメ・ポーズをユニゾンで決めるのが、はっきり確認できる。
SU-METALがこのタイミングでのこのポーズをキメるのは15のヴァージョン全てでずっと固定化されているようだが、YUIMETALがここでポーズを決めるのは、前の2つのヴァージョンにはなかった(以後、いくつかのヴァージョンで確認できる)ものだ。
このヴァージョンでは、MOAMETALが、a①で飛び蹴りではなく、回転パンチ・キックで攻撃し、b②でYUIMETALの攻撃をかわすときも回転しながら”必死に”逃げるのが特に印象的だ。
2人の間合いも、ヴァージョン2よりもさらに詰まっていて、LEGEND Z オープニングからの劇的な展開に乗り、それを加速する、熱い「演」奏である。
「バトル」にふさわしい熱「演」である。オープニングで、体力に余裕があるのだろう、YUI・MOAの動きのキレがとんでもない。尻餅も、a①のYUIのみである。


ヴァージョン4.LEGEND Z ラスト版(2013・02・01)
<WHITE BABYMETAL>

a① MOA 突進  → YUI尻餅 → MOA飛び蹴り(こけず着地)
a② YUI 突進パンチ → MOA尻餅(?) 
b① MOA 突進 大振りのパンチ → YUI こらえる 
b② YUI キツネサインの乱れ打ち、突進、飛び蹴り → MOA 尻餅
(衣装のふりふりで確認しにくいのだけれどほぼこのよう)


神バンド(ベースはBOH神ではないが、ドラムスは青山神のあの音だ)の演奏で、炎も上がる、今に連なる「新生BABYMETAL」の「演」奏だ。
いろいろと貴重なヴァージョンだ。
唯一の、ドレスのような巫女の衣装のような純白の衣装であり、
ナレーションも、このヴァージョン独自のものである。
「私たちは新たな命を手に入れた」「だけど、永遠には続かない命」「いまこの瞬間を忘れないため、私たちは歌い続ける」「悲しそうな君の泣き顔は、もう見たくないよ」「君の心のなかに私たちはいつもいるよ」「だから一緒に歌うんだ」「イジメ、ダメ、ゼッタイ」

「バトル」は、同じコンサートのオープニングであるヴァージョン3とは大きく異なる。
この衣装では戦いにくそうだが、a①のMOAの飛び蹴りの高さ、b②のYUIの突進してからの飛び蹴りのキレ、どちらもさすが、だ。


ヴァージョン5.LEGEND 1999版 (2013・06・30)
<粘り強い受け合い>

a① MOA 突進し飛び蹴り → YUI 飛びながら一回転して耐える
a② YUI フォースを持ち突進、ぶつけ、飛び蹴り → MOA 前のめりでしゃがむ 
b① MOA キツネサインを交互に出しながら突進  → YUI 撃たれながらも耐える 
b② YUI キツネサインの連射・突進で反撃 → MOA (尻餅?)


映像も音質も、最上とはいえない収録状況だが、神バンドヴァージョンである。重低音のぶ厚い爆音がドコドコドコドコと疾走する演奏は、この曲に「魂」を与えたのだな、ということが、こうして時系列に沿って聴き並べてみると、よくわかる。
SU-METALの汗だくの顔が、とりわけ印象的なヴァージョンだ。
「バトル」の特徴は、攻撃を受ける側の粘り、である。
b④のMOAのリアクションをカメラがとらえていないので、そこは確認できないのだが、a①a②b①において、攻撃を受ける側が、勢いにおされて簡単に尻餅をつくのではなく、次の攻撃をするために相手の攻撃を受けとめこらえる、という動きが見える。
(これも、「五月革命」の成果、といえようか?)
「バトル」のはじめのキメ、は、ヴァージョン3同様、SU-とYUIのユニゾンになっている。


ヴァージョン6.サマソニ13版(アルバム初回特典映像) (2013・08・10)
<真夏の夜の赤い剣士登場!>

a① MOA 突進し飛び蹴り → YUI 後退ジャンプ。
a② YUI 腰から剣を抜き、突進しながら二太刀あびせる → MOA のけぞりながら後退しつつよけ、前につんのめる 
b① MOA キツネサインを交互に出しながら突進  → YUI 撃たれながらも耐える 
b② YUI キツネサインの連射・突進で反撃(たぶん) → MOA つんのめる


所有している中では、初の野外フェス版になるが、汗だくの三姫の熱演を見ることができる。まるで夕立にうたれたかのような三姫の髪や首までずぶ濡れの姿は、ステージ上のスモークと赤いライティングの効果もあり、映画の1シーンのようだ。
これも、初めのキメは、SU-とYUIのユニゾン。
a①の、MOAの飛び蹴りの飛距離もすごいが、何と言っても、a②で剣士YUIが初登場!片手で剣先をくるくる回しながら下から切り上げる動きは、日本刀ではなく、フェンシングの剣さばきだ。
b①、b②は、どちらもキツネサインを連射しながら、突進するようだ。b②は途中からSU-METALの顔のアップになり、YUIMETALの動きが確認できない。
今回は、尻餅はない。

それと、バトルと関係ない小ネタだが、青山神の髪がたいへんなことになっているようで、背後から髪を束ねるための手が何度か出てきているのに、繰り返し観ているうちに気づいた。


7.ラウドパーク13版(WOWOW放映)(2013・10・20)
<幻の空中戦(?)>

a① MOA 手裏剣しながら突進し、飛び蹴り → YUI 後退する。
a② YUI フォースの球を抱えて突進、飛び蹴り → MOA 「く」の字後退ジャンプで、みごとに着地。 
b① MOA ?(おそらくキツネサインの突進)  → YUI ?(おそらく後退しながら耐える)
b② YUI キツネサインの連射で反撃、突進、飛び蹴り(たぶん) → MOA ?

ネット上では、サムアップして三姫が歩み寄るところで、MOAMETALが泣いている、なんて書き込みがあるヴァージョンだが、何度見直しても、汗であろう、と思う。
それよりも、b①はほとんど見えず、b②もYUIがおそらく飛び蹴りをしたであろうところで画面は切り替わる。

神バンド(ギター)のアップになるのだ。
WOWOWの、ラウドパークの映像だから、仕方がないのだが。

ひょっとしたら、b①でもMOAが飛び蹴りをしていたら、飛び蹴り4回の応酬という、空前絶後のヴァージョン(ラウドパーク仕様?)だったのかもしれない。
ステージの幅はずいぶんあったようで、a①ではMOAMETALがすいぶん後ろまで下がって助走距離をとってから、突進している。
a①でのMOAMETALの手裏剣も、初登場だ。

ここでの、キメは、最新ヴァージョンに近い、a①に入る前の、ギターのチャチャッチャ、チャチャのキメに合わせてYUIがダメポーズをし、その後のa①の1小節目で、SU-が決める、というかたちのように見える。

ヴァージョン6もヴァージョン7も、尻餅はない。
野外フェスだから、というよりも、「バトル」としての成熟を示すものだろう。
何となく、「イジメ、ダメ、ゼッタイ」の「バトル」では、YUI・MOAがよく尻餅をつく、という印象があったので、(尻餅をつくか?)というチェックポイントを設けたのだが、神バンド帯同が基本になってから(つまり五月革命以降)、「バトル」での尻餅は基本的になくなったのだ、ということが、こうして観並べてみて確認できた。


ヴァージョン8.LEGEND 1997版(2013・12・21)
<空中戦 → ラ・セーヌのYUI → 殺陣>

a① MOA 突進し飛び蹴り → YUI 後退しつつ飛んでよける。
a② YUI キツネサインで突進、飛び蹴り → MOA 後ろに飛びつつ「く」の字になるが着地。 
b① MOA キツネサインを交互に出しながら突進、回し打ち  → YUI 打たれながらも耐え 
b② YUI 走りながら右腰から剣を抜き、右に払う → MOA 頭を下げてよける → YUI 下から切り上げる → MOA 膝を地べたにつけ、海老反りになってよける


楽器隊の音に埋もれてほとんどSU-METALの歌声が聴こえない(YUI・MOAの合いの手(SE)の方がはっきり聴こえる)という、とんでもないダメダメなミックスのヴァージョンだが、絵は、白いマリア像の前で、黒光りする3姫、という、崇高な美しさである。
このヴァージョンでは、SU-がキメのポーズをとるところは、YUIはすでに肩の上にフォースをためて戦闘に入っている姿勢をとっている。

「バトル」の激しさ美しさでは、ベストに近いヴァージョンではないか。

とりわけb②の、駆けながら腰から剣を抜くYUIMETALと、その2太刀を、頭をかかげ、海老反りになってよけるMOAMETALとの、殺陣、のスピード・キレは素晴らしい。
見出しの「ラ・セーヌの」とは、YUIMETALのb②での剣さばきは、日本刀のそれではなく、フェンシングのそれのように見えるからだ。さながら「ラ・セーヌの星」だ、と。駆けながら剣を抜きさばく、という動きがそう思わせるのかもしれない。

それにしても(繰り返しになるが)コンサートのなかの一曲の舞踊のなかの、ごく一部(b②はわずか4秒ほどのなかの動きだ)において、この複雑な動きをこれだけのスピードにのせて、これだけ切れ味鋭い「演」奏を2人は見せているのだ。
楽器を弾かない、なんてディスってる場合じゃないだろ。他にこんなことのできる人間を連れて来てみろよ!と言いたい。

ほんとうに、ほんとうに、驚愕である。

BABYMETALが国内で大衆的な圧倒的な人気を得なくても(僕は個人的に)構わない。でも、この、「YUI・MOAの凄さ」は、日本じゅうの人たちに知ってもらいたい、と切に願う。それだけの価値がある、とんでもない本物なのだから。

ヴァージョン1から、ここまで、14カ月。
このヴァージョン8では、YUI・MOAは、単に一度も尻餅をつかないだけでなく、よけ方の身のこなしだけでも唖然とするしかない動きを見せている。
圧倒的な、「バトル」の進化だ。
(当たり前だが、コンサートの本番でこれだけ完成された動きを見せるということは、それまでに、とてつもない鍛錬と努力の日々があったのだ。それは、人生経験を重ねたおやじ達にはよくわかる。だからこの「バトル」を観るだけでも感涙してしまうのだ。)


今回はここまで。
次回は、2014年度以降のヴァージョンだ。


BABYMETAL探究(「バトル」考1~イジメ、ダメ、ゼッタイ6)

2015-06-07 11:20:07 | babymetal
「イジメ、ダメ、ゼッタイ」の、(現在僕が所有している)15のヴァージョン。
その、間奏のYUI・MOAの「バトル」をあらためて観なおしてみよう。

BABYMETALの演奏(楽器隊)の際立った特徴が、超絶的な安定性、だ。
ライヴにおいて、その場その場のフィーリングに任せた演奏を(放埓に)行なうのではなく、とんでもない速さの重爆音を一糸乱れずに演奏し続ける。それも、ライヴならではのドライヴ感をいきいきと纏わせながら。
それは、SU-・YUI・MOAの舞踊を支えるための必然、だ。
ソロ(「Mischiefs of metal gods」や「Catch me if you can」のアタマ)を除いては、神バンドはその超絶的な演奏技術をあくまでも舞踊を支えるために使用し、舞踊に奉仕するバックバンドに徹する。
(この関係性が、とりわけおやじメタルヘッズたちの、胸を熱くするのだろう。)

また、SU-・YUI・MOAの舞踊そのものも、細部まで彫琢されたものであり、何度繰り返し見ても(繰り返し見れば見るほど)、その精密な工芸品のような完成度に、目を奪われる。(とりわけ、YUIMETALの動きには、たびたび唖然とさせられる。例えば『赤い夜』の「ウ・キ・ウ・キ★ミッドナイト」のゾンビ・ダンスの手足の動きは、アニメーションの早送りとしか思えないとんでもない高速で動く。なんじゃ、こりゃ、と、ゾッとしてしまう。童顔とのギャップがありすぎる。…顔と動きとのギャップ?って論理的には意味不明だが、でも、実際にそう感じてしまうのだ)

BABYMETALの「演」奏とは、楽器隊も舞踊も、その日その日のインプロヴィゼーションではほとんど全くなく、むしろ「完璧」な再現を指向するものだろう。
もちろん、型にはまった「完璧」をめざすために動きが死ぬ、などということはない。溌溂とした「生」の動きにおいて、理想形としての「完璧」へと、求心的に七人が高度な技術を組み合わせ「演」じる、というものだ。(と書いたが、実は、かなり開放的な自由を感じさせもするのだが。このへんの魔術についてはまたいつか考察してみたい)

そうしたBABYMETALの「演」奏のなかで、ダントツに即興性の高い箇所が、「イジメ、ダメ、ゼッタイ」での、YUI・MOAのバトルだ。
もちろん、2人での掛け合いだから、全くのその場での即興ではなく、あらかじめ打ち合わせはするのだろうが、他の曲やこの曲の他のパートの音や舞踊の動きがきっちりとできあがっているのに比べると、たいへん自由度が大きく、今度の「演」奏はどんなだろう、とワクワクさせられる最大の要素だ。
(近年は、デフォルトとも呼べる、ある基本形はあるようだが、それも順を追って考えていこう)
BABYMETALの「演」奏の、インプロヴィゼーション、アドリヴ。それは、楽器隊以上に、YUI・MOAが担っている。いわば、完璧な「演」奏の、フリルの役割を、YUI・MOAは果たしているのだ。

「イジメ、ダメ、ゼッタイ」の、三人がサムアップで歩み寄り、「イジメ、ダメ、ゼッタイ」とポーズを決めた後からが、YUI・MOAの「バトル」であり、SU-METALが仲裁(?)に入るところまで、16小節ある。
(以前の回で、パートⅤ 間奏その2 14:J バトル(8小節)左右入れ替わる(8小節)と記していたところだ。)

「バトル」は、さらに4分割すると、その構造をつかみやすい。
基本の動きは次のようになっている。

a.4小節( C#m |A B|C#m |E G#m/D# )
 a① MOAの攻撃をYUIが受ける a② YUIの攻撃をMOAが受ける
転調し、
b. 4小節( Fm |D♭ E♭|Fm  |A♭ )
 b① MOAの攻撃をYUIが受ける b② YUIの攻撃をMOAが受ける
c.4小節( D♭ | E♭| A♭ |Cm )
 c YUI・MOAが剣豪どうしの睨みあいのように間合いをはかりながら、左右入れ替わる
d.4小節( D♭ | E♭| Fm |E♭ )
 d MOA・YUIが両側からパンチ・キック・キツネサインのさざれ打ち

この後、SU-METAL(a①の第一拍のギターの音に合わせてダメポーズをしたままdまで動かないでいた)がYUIにキック→YUIがダメポーズで受けとめ、MOAにキック→MOAがダメポーズで受けとめ→3姫のダメ・ジャンプのユニゾン→MOA・YUIがクルクルと独楽廻り
で間奏終わり、「いとしーくてー」と続く。

間奏前半の、abcdをここでは「バトル」と呼んでおくが、そのなかでcd(「バトル」後半)はどのヴァージョンでもそう変わらないように見える。
ヴァージョンごとに(時には全く)異なるのが、abだ。

a①での、MOAの攻撃の仕方、それのYUIの受け方(尻餅をつくか?)
a②での、YUIの攻撃の仕方、それのMOAの受け方(尻餅をつくか?)

b①での、MOAの攻撃の仕方、それのYUIの受け方(尻餅をつくか?)
b②での、YUIの攻撃の仕方、それのMOAの受け方(尻餅をつくか?)

このように書くと、aとbとは対称的(リフレイン)になっているように見えるが、転調をしているので楽曲としても単純な繰り返しではないし、「バトル」の動きは全く異なる。
以前にも書いたが、本当にこの曲は、様々なパーツが精緻に複雑に組み合わされたプログレ(それでいて、冒頭からラストまで一つの世界観を保ったまま疾走する哀愁のスピードメタル)なのだ。

(尻餅をつくか?)と書いたのは、これが、BABYMETALの舞踊の大きな特質のひとつだと感じるからだ。音楽番組などでたまたま目にする他のアイドルの振りやダンスユニットのダンスと、BABYMETALの舞踊の大きな違いのひとつに、この”地べた”との関係がある。
Resistance、という概念とも関わるだろうし、YUI・MOAの舞踊がヘヴィメタルの「演」奏だ、という実感の基礎にもなっているのが、”地べた”に崩れ落ちたり、這いつくばったり(例えば、土下座ヘドバン)、寝そべったり(例えば、ドキモ)という、動きだ。
いわば、泥臭い、あえて言えばダサい、野蛮な、動き。
都会風の洗練されたフェミニンな優雅なダンスではなく、ヘヴィ・メタルを少女の身体の動きによって「演」奏している、そのことが、とりわけ鮮明になるのが、”地べた”に身体ごと触れ合うさまざまな動きだ。
その典型的なひとつが、ここでの尻餅(あるいは、つんのめり、等、身体を地べたに乗せる動き)だし、「バトル」の肉体表現としての説得力(リアルというのは言い過ぎになるだろうが)を感じさせるものだ。

これは全くの個人的印象だが、この尻餅は、初めから、<尻餅をつく振り付け>として練習を重ねた、ということではないように思う。
<尻餅をついてもいいから、本気で闘う(本気で攻め、本気で逃げる)>というコンセプトのもとの、YUI・MOAのインプロヴィゼーションによる「演」奏が、結果的に尻餅(やつんのめり)になっている、というように見える。

言うまでもないが、本気の「バトル」を振り付けにした、本気で戦う美少女という舞踊は、アイドルにもヘヴィメタルバンドにもない、BABYMETALの唯一性だ。
「カワイイ(kawaii)」の究極形(のひとつ)が、このYUI・MOAの「バトル」なのだ。


長文になるので、ヴァージョン1からの具体的な分析(「バトル」の変遷)は、次回(以降)きちんと順を追って考えてゆく。










BABYMETAL探究(『メタル・エヴォリューション』05)

2015-06-02 15:21:49 | babymetal
ずいぶん久しぶりの『M・E』考察の回になる。

特に意図や狙いがあるわけではなく、何となく行き掛かり上このような執筆の仕方になってしまっているのだが、この文章を書くために先日『M・E』第5話を観てみたところ、BABYMETALの「今」(ドイツでの受容のされ方・拒否のされ方について、等)を考える上で、何とも貴重な素材を与えてくれる回だった。逆に言えば、BABYMETALがヘヴィ・メタル進化史の最先端にいるということは、こうして、あらゆる過去のヘヴィ・メタルの栄枯盛衰・問題を「今」のものとして生き生きと含んでいる、ということなのだろう。

第5回は、「華激 グラム・メタルの甘い罠」という邦題の、グラム・メタル、ヘア・メタル、ポップ・メタルをめぐる回だ。日本での呼び方で言えば、LAメタル、だ。

冒頭、サム・ダンのこんな独白からはじまる。僕も含め、多くのメタルヘッズが(同意するかどうかは別にして)少なくとも共感はできる想いだろう。

少年時代の僕は、グラム・メタルだけはまったく我慢ならなかった。ヘア・メタルだか、ポップ・メタルだか、呼び名はどうでもいいが、僕からしたらメタルが持つべき力強さが全く感じられなかった。どのバンドもアイドル・グループで、全部レコード会社が売る為だけに作られたようにしか見えなかった。

番組内で語られる「グラム・メタル」の系譜とは、直接的な淵源としてのヴァン・ヘイレン(とりわけデイヴィッド・リー・ロス)→モトリー・クルー→クワイエット・ライオット、ウォレント、ラット、ポイズン、ドッケン等だ。
そして、その系譜はいったん完全に死んだ(今でも、懐メロ的なフェスを年に何回も行ない、生計を立てている姿が番組後半で紹介されているが、現役のシーンには何の影響も与えていない。彼らは、すでに終わった、のだ)。
だから、もちろん、BABYMETALはグラム・メタルではない。しかし、上のサム・ダン発言は、そのまま「今の」BABYMETALに向けられる代表的な言質とさえいってもよいのではないか。
つまり、「グラム・メタル(LAメタル)」の問題は、BABYMETALがまさに今「抵触」している問題なのだ
BABYMETALに対する拒否感のいくらか(何割?何パーセント?)には、80年代のグラムメタルといういわばヘヴィ・メタルの「黒歴史」への忌避、が潜在的に含まれている、とも言えるのではないだろうか。

この『メタル・エヴォリューション』第5回が、BABYMETALを考えるうえで啓発的な内容であるのは、上記のような反感をメタルヘッズとして持ちながらも、文化人類学者として「ヘヴィメタルとは何か」を考え抜こうとするサム・ダンの学術的な姿勢によるところが大きい。
サム・ダンは、上の言葉に、こう続けるのだ。

とはいえ、このスタイルもメタルの歴史を語るには欠かせないもの。だからこそこのスタイルがどう始まりメタルの進化にどのような役割を担ったのかを調べてみたいと思う。

実際には、この回の中でグラム・メタルのヘヴィ・メタル進化史における役割、というものは明言されてはいない。
むしろ、時代の流れのなかに咲いた徒花(あだばな)であり(そういう言い回しは番組内にはなかったが)、そのいわば反作用として、ガンズ・アンド・ローゼズ、ニルヴァーナの登場や、グランジという潮流を生むこととなった、という方向での位置づけがなされていて、いわば、現在から振り返るとそれを乗り越えて、次の本物の音楽が出てくるための虚栄だったという見解だ。

後述するような(今までのヘヴィメタルにはなかった)要素をもつグラムメタルは、大衆的な支持、メガ・ヒット、巨大な売り上げを誇った。そうした受容のされ方は、ヘヴィ・メタル史における特筆すべきもののひとつであり、しかし(あるいはそれゆえに)、音楽的には堕落であった。

番組中、「何百万枚もの売り上げを誇るまでの一大現象へと成長していった」という文言が出てくる。

これには、ドキッとした。
「BABYMETALはもはや現象なんだよ」なんて発言を、ファンが誇らしげに引用するのは、極めて危ういのではないか、と感じたのだ。
「現象」という言葉を、『M・E』のこの回に当て嵌めると、大衆的な支持による流行・普及の勢い、といった肯定的なニュアンスよりも、むしろ、「音楽性」との対義語として用いられている、そんなニュアンスを感じるのである。
そして、現実に、グラム・メタルは、(例えばメタリカがヘヴィメタルにもたらしたような)音楽的な影響(「進化」への貢献)をほとんど全く果たしていない。
僕は、BABYMETALは、そのビジュアル的な「演」奏(空前絶後の!)も含めた、高い音楽性を実現しているユニットだと魅了され、こんなブログを書き綴っているわけだが、「現象」という言葉で称されるグラム・メタルとのある種の共通性は、非音楽的な商業主義、とも表裏一体の危険性を孕んでいるのである。

グラム・ロックの(それ以前のヘヴィ・メタルとは異なる)際立った特徴は、次の5つだ(5つの特徴は相互に絡み合っている)。一つ一つ、BABYMETALに即して考えてみよう。

①ビジュアル重視

「ニッキ―・シックスは常にエッジの効いた禁じ手なしの演劇のようなバンドを目指していた」と語られるが、ニッキ―自身、MVで自らの身体に炎を立てたことに「音楽的にも視覚的にも常にチャレンジしていかないとね」と語る。
これは、BABYMETALとも強く共通する要素だ。

② プロデューサー(制作側)のコントロール

ビルボードのアルバム・チャート1位を獲得した、クワイエット・ライオットの『メタル・ヘルス』、その最大の要因はもちろん「カモン・フィール・ザ・ノイズ」の大ヒットだが、これは、プロデューサーのスペンサー・プロッファーの考えだった。インタビューを観ると、彼がカー・ラジオでスレイドの「カモン・フィール・ザ・ノイズ」を聴き、これをカヴァーできるバンドがいれば、どれだけカッコいいだろう、と考え、あてはまるバンドを見つけたのがクワイエット・ライオットだった、そうだ。ヴォーカルのケヴィンなど、この曲をやるのは絶対に嫌だと、レコーディングの時には「人を殺しかねない目」で周りを睨みつけていたという。

これも、極めてBABYMETALにも共通する。確かに、ここに拒否感を持つメタル・ヘッズがいることはよくわかる(僕も基本的には同じような心性を持っている。)
だから、例えば「4の歌はYUI・MOAの作詞作曲だ」などということは反論にもならない、BABYMETALの誕生の仕方、出自そのものが、ヘヴィ・メタルとしての異形の「宿痾(しゅくあ)」を負っている、とも言えるのだ。

③ 女の子のファン

アンスラックスのスコット・イアンが「派手な髪型でタイツ履いている奴らをブッ飛ばすことを推奨していた訳じゃないけど別に止めもしなかったな」と語っているが、男の音楽であるはずのヘヴィメタルを、チャラチャラした化粧をした奴らが女の子にキャーキャー言われるのが、我慢ならん!という感覚は、よくわかる。
また、そうした女性ファンとの間の「頽廃的」な関係(セックス・ドラッグ・ロックンロール)を演者もファンも楽しんでいたようで、そのことへの、羨望と軽蔑、といった感情の綯い交ぜもメタラーたちにはあったようだ。

ここは、改めて考えてみると、面白いところだ。

男のものであるヘヴィ・メタルを、(ある意味で)女性的なものにする、という目で見れば、(例えばマノウォーとかアクセプトとかの「男ぶり」とは正反対であるという意味で)グラム・ロックとBABYMETALにはある種の共通性があるのかもしれないが、
演者が少女であるBABYMETALに感じるのは、グラム・ロックにつきまとう「女性的(ナヨナヨ)」「頽廃的」とは真逆の、<少女ゆえの凛々しさ>だ。
それが、BABYMETALにおける「カワイイ(Kawaii)」の性質であり、「闘う少女たち」の表現、こそが、BABYMETALの「演」奏の大きな柱のひとつであり、それが、(異形ではあっても)本物のヘヴィ・メタルとしての証明なのだ、ということをグラム・メタルとの対照において感じてしまうのだ。

④ MTVの影響

ステージ上でのビジュアル的な演出に心を砕いていたグラム・ロックは、MTVとの親和性が高く、それによって大衆的な支持を広げることができた。
これは、BABYMETALにおけるYOUTUBEとの関係によく似ている(「ギミ・チョコ」旋風)ようでもあるが、まるで対極にある、ともいえる。
それは、簡単に言えば、「なんじゃ、こりゃ!」だ。
BABYMETALのYOUTUBE、ツィートによる普及とは、大衆の支持(受容されやすいものが受容される)ではなく、むしろ、ゲリラ的な活動方法として見るべきだろう。インパクトを与え、楽曲やライブを見てもらうことで、BABYMETALを理解する、そのためのきっかけがYOUTUBEであり、MVそのもののマスの消費を狙わない。
決して、MTVに乗って大きな潮流として席巻したグラムロックを指向するのではなく(むしろ、愚直に、そうしないよう・そうされないように、舵を切りながら)、あくまでライブ勝負、楽曲勝負、する。そのための、一歩一歩(ひとりひとりに)届けるツールとしての動画だ。

⑤ パワー・バラード

グラム・メタルの音楽的な「自殺(自縄自縛)」。それが、パワーバラードだった。
インタビューで、ジョージ・リンチが「必要悪」と語っていたのが印象的だったが、売れるがゆえに濫造される、パワー・バラードは、「メタルの鎧を着たポップ・ソング」であり、だからこそ、ガンズやニルヴァーナ、グランジ勢の、「ヤバいサウンド」が出てきたときに、メタルヘッズはそちらが「本物の音楽」であり、渇望していた「直球勝負」だと感じたのである。

さて、BABYMETALは「メタルの鎧を着たポップ・ソング」ではないのか?
「別にそれでもいいでしょ。BABYMETALはBEBYMETALでオンリー・ワンのジャンルなんだから。ヘヴィメタルにこだわる必要なんてないでしょ」という意見には(もちろんそれはそれで尊重すべきご意見なのだが)、全く同意はできない。
BABYMETALの楽曲で、パワー・バラードといえそうなのは、今のところ、「No Rain No Rainbow」一曲だが、この曲は、個人的には、(『黒い夜』を視聴する時にこの曲をを飛ばしたりはしないし、嫌いな曲という訳でもないが)ヘヴィ・メタルの楽曲だとは全く思えない。極端に言えばBABYMETALになくてもよい曲だし、正式にリリースされていないのは当然だ、と思う(この曲のファンの方、ごめんなさい。あくまでも個人的な偏見です)。

BABYMETALは「メタルの鎧を着たポップ・ソング」ではない。
むしろ、「ポップ・ソングの衣装をひるがえす本物のメタル」だ。
そのことを、そのライヴで証明し続けなければならない、そういう運命を(先述した「宿痾」)を背負っているのだ。
だからこそ、ライヴで、「ヤバいサウンド」「本物の音楽」「直球勝負」を世界のメタルヘッズに見せつける、そうした巡業を行っているのである。

サム・ダンは、飽和・衰退後、懐メロバンドや、テレビタレントとして生計を立てている元グラム・メタラーの数人を訪ねた後、番組を次のような述懐で終えている。

今でも僕はグラム・メタルは好きじゃないし、あの派手な格好には我慢がならないけど、ただのアイドル・バンドじゃない奴らがいたことを知った。実際にグラム・ミュージシャンに会って、彼らの音楽に対する努力や愛情、そして僕みたいなメタル・ファンにどんなに罵られようが負けない精神を尊敬出来るようになった

もしも、BABYMETALを、グラム・メタル的だというような見方で拒否するメタルヘッズがいても(実際に、多く存在するはずだが)、上のような意味での「尊敬」を勝ち取ることは可能であろうし、「今」のBABYMETALの世界ツアーにはそうした意味も大いにあるのだろうと、思う。
生身の人間が汗を滴らせながら全身全霊をかけて歌い・踊る、それを目の当たりにすれば、国境を越え、世代を超え、通じるものがあるはずだ。
チームBABYMETALが「今」行っているのはそういうことなのだ、と、改めて考えさせられたのだった。

Resistance とは、本来「弱者」が行うものだ。それを、BABYMETALは前提にして、Road of Resistance を行っているのである、と。