ケルベロスの基地

三本脚で立つ~思考の経路

広告

※このエリアは、60日間投稿が無い場合に表示されます。記事を投稿すると、表示されなくなります。

BABYMETAL探究(メトロック2015偶感)

2015-07-26 23:45:38 | babymetal
観た、鳥肌たてた、泣いた。

メトロック2015のプロショット、見事である。
BABYMETALのライヴの魅力を、じつに生き生きと伝えている。

うまく言葉が見つからない。
これ、何度も何度も、繰り返し繰り返し見ていられる。ほんとすごい。
もちろん、BABYMETALがすごいのだが、でも、それを劣化させずにこうして伝えるというのは(残念な先例がいくつかあるだけに)さすがプロだ、と感心する。

さまざまなアングルから、ステージ上の3姫や4神の表情や動きを臨場感をもって伝えつつ
観客の躍動、ステージとの一体感まで、的確に見せる。
「We are BABYMETAL!」のライヴの楽しさが、ここにある。
いい映像だ。
日中の屋外だったから、過剰なライティングがなく、その所為で、
BABYMETALのいわば「筋肉」が、より露わになっている気がする。

これは、とんでもないクオリティでしょ。
音楽好きなら、これ観たらみんな嵌まるでしょ。
そんな映像だ。

それにしても、YUI・MOAの進化たるや、毎日『Live in London』を観ている目から見ても、圧倒的である。
カッコよさの、強度・光沢・伸びやかさ。
一年前のワールドツアーとは、全く別の次元に達していることが、ありありとわかる。

とりわけ、MOAMETALの表情よ!!!
「Road of Resistance」「イジメ、ダメ、ゼッタイ」の2曲って、
本来、そんな楽しい表情(のみ)で「演」奏する楽曲ではないはずなのに、
MOAMETALの底抜けの笑顔は、楽曲の肯定的な力強さを、観ている僕たちのハートに・肉体に滲みとおす、そんな力を発揮している

単に、超絶美形アイドルである、ということではない。
MOAMETALの笑顔はヘヴィメタルの「演」奏として、極めて高い次元にある、ということだ

例えば、ギターのマエストロ達も、最終的には、「観客のハートを震わせること」が狙いというか目的というか、自身の演奏の存在価値である、と考えているはずだ。
いくら高速速弾きができても、アクロバティックな変態フレーズを奏でることができても、それだけでは意味がない。それでは、単なる自己満足だ(例えば、一時期のイングヴェイにはそういう匂いもぷんぷんしていた。まあ、それが彼らしさ、といえばそうなのだろうが)。

MOAMETALの笑顔は、ギターのマエストロ達の感動的な演奏が与える効果を、観客に与えているという意味で、やはり卓越した「演」奏なのだ。
それを、このメトロック2015の映像で改めて確認できた。
(これはまた、いま探究しているBABYMETALの「聖性」の、核のひとつでもあるだろう)

「Road of Resistance」で、サークル・モッシュの中に、ベビメタ衣装をした女性が、実に楽しそうにハイタッチをしながら駆けている姿が一瞬映るが、そこで泣けてきた。
そう、BABYMETALのライヴって、信じられないくらい楽しいんだ。

ああ、またライヴに行きたくなってきた。

そうそう、今回、これを書いているのは、何と言っても、
このブログの「バトル」考でこだわってきた、
「イジメ、ダメ、ゼッタイ」の「バトル」前のキメ、
幕張2015で、YUIのキメとMOAのキメのユニゾンという新機軸に狂喜したのだが、このメトロック2015ヴァージョンでもそれが見られた

ということを記しておくためだった。
ワールドツアー2015ヴァージョンのキメ、なのかもしれない。


WOWOWさんも、幕張ライヴの放映、よろしくお願いします!
1月の新春キツネ祭りが3月放映だったので、と思っていたのだけれど、
8月中には幕張ライヴの放映がないのは明らかなので、
9月には、ぜひ!
そして、このメトロックのプロショットに負けないレヴェルで!
期待せずにはいられない。




コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

BABYMETAL探究(「聖性」考1)

2015-07-25 23:50:57 | babymetal
「紙芝居」を観ながら、泣いてしまう。そんな経験はないだろうか?

とりわけ、英語版で言えば、
Three Giris were chosen and given the holy metal name by the FOX GOD. He named them "BABYMETAL"...」の、「Three Giris were chosen」のところだ。
繰り返し繰り返し鑑賞を重ねた今でも、やはり時々眼頭が熱くなり、鼻がつんとしてしまう。何ともいえないせつない気分になる。

これはいったい何なのか?

僕(たち)(とりわけおっさん)が、BABYMETALになぜ惹かれるのか?、泣いてしまうのか?を考えていくと、「宗教」にも通じる「聖性」を(も)BABYMETALに感じている、ということに思いいたることは、前回、前々回にも触れたが、
「紙芝居」で泣いてしまうというのも、その一例なのだろう。

では、その、BABYMETALの、「宗教」にも通じる「聖性」、とは何なのか?

これは、(たぶん)たいへんなテーマで、僕などの手に負えるはずもないのだろうが、そのひとかけらずつでもこつこつと探究を重ねていくことで、うっすらとでもその正体を浮かび上がらせることはできるのではないか、とは思う。
そうした楽観的な期待を支えにしながら、BABYMETALの「聖性」についての探究を、(何回かにわたって・不定期に)行なっていこう。
一回一回の探究は偏っていたり中途半端だったりするだろう(もちろん今回も)が、漆を何度も塗るように考察を重ねていけば、きっと、何か見えてくるものがあるはずだ、と期待して。

今回、まずその導きの糸にするのが、たまたま蔵書の中にあった立川武蔵著『聖なるもの 俗なるもの』(講談社選書メチエ)である。
全体的には「仏教の神学」を論じている五冊シリーズの一冊目だが、BABYMETAL中毒者である僕から見ると、(例によって)まるでBABYMETALのことを論じているかのような箇所が、いくつも目にできる。

この書によってまず確認できたのが、
「宗教」とは必ずしも「教義」「教理」が必要なものではない、ということだ。
つまり、BABYMETAL教というものがあり、例えば、「ライヴではWODすべし」と教え込まれた多くのおっさんたちが盲目的にその教えに従うというようないわば洗脳状態、そうしたことのみを(たとえそれに似た事実があったとしても)BABYMETALの「宗教」性・「聖性」と考える必要はない、ということだ。
(「教義」「教理」「教典」については次回以降に考えていきたい)。
そういうふうに狭く限定する必要はなく、「宗教」「聖性」とはもっと広い射程を持つ言葉なのだ、ということがこの『聖なるもの 俗なるもの』を読んで僕がまず理解したことである。(もちろん、これは僕の曲解かもしれないので、あくまでも責任は、そう理解した僕にある)

では、広義の「宗教」とは何か?

宗教行為とは、「聖なるもの」と関係を結ぶことである

実にシンプルだが、だからこそ深い定義だと思う。

これにしたがえば、僕たちがBABYMETAL(の歌・「演」奏)を「聖なるもの」と感じているかぎり、視聴に没入したりライヴで一緒に歌い踊ったりという行為を通して、陶酔の悦楽・幸福を感じてしまうことを、「宗教」だと称することは、決して的外れではないということになる。
単に、細かな言葉づかいにこだわっているのではない。
BABYMETALの現象面を表面的に語るための大仰な比喩として「宗教」という言葉を使う、というのではなく、BABYMETAL体験のまさにど真ん中に、真の意味での「宗教」性・「聖性」がある、という事実、まずそれを上記の定義に基づいてきちんと確認しておきたいのだ。

この定義によれば、「宗教(的)」とは、単に、熱狂・集団的な狂乱を(比喩的に)表現したものでもない、ということになる。
これも、実感に極めて合致している。
つまり、他のヘヴィメタルバンド(等)への熱狂とBABYMETALにむやみやたらに「泣いてしまう」こととの差異だ。
もちろん僕も、今までに他のヘヴィメタル(等)のバンドに熱狂し、音盤を繰り返し聴き込み、鳥肌を立てたり時には涙ぐんだりし、運よくライヴに参加できたらそこで集団的な狂乱の一員となって腕を振り上げたり、咆哮したりなどしたこともあるが、そこに「宗教」を感じたことなどは一度もなかった。
それは、端的に言えば、そのバンド・楽曲・演奏に「聖なるもの」を感じることがなかったからだ。

つまり、
この定義を基にすれば、
BABYMETAL体験の唯一独自性、空前絶後性とは、
α BABYMETAL=「聖なるもの」
β 観客である僕たちがαととりむすぶ関係

この2つの独自性・唯一性(の積?)にある
、ということになりそうだ。

まず、
α BABYMETAL=「聖なるもの」とは、いったいどういうことか?

ここで、『聖なるもの 俗なるもの』には次のような(BABYMETAL「信者」=僕にはうってつけの)一文が載っているのだ!

「聖なるもの」とは、崇高、優美あるいは清浄というのみではなくて、非日常的で不気味であり、人を魅惑するものであり、しかもそれに対して敬虔さを持って接しなくてはならないようなものであります。

これは、まさにBABYMETALのことだ!
(そう思いませんか?)

① 崇高、優美あるいは清浄
② 非日常的で不気味
③ 人を魅惑するもの
④ それに対して敬虔さを持って接しなくてはならないようなもの

例えば、前々回に挙げた、「赤い夜」の「BABYMETAL DEATH」など、まさにこの①②③④が凝縮・体現されている。
それは、BABYMETALの場合、単純に分析すれば

Ⅰ ヘヴィメタルであること
Ⅱ アイドル(超美少女)であること
Ⅲ 真摯・純情・懸命であること

の縒り合わせからもたらされることだ。

特にキモなのが、「② 非日常的で不気味」である。
ここにたいへんな逆説がある(たぶん、そうした逆説こそが一般的に「宗教」的構造―「奇跡」「不合理ゆえに吾信ず」-のキモなのだろう)。

つまり、BABYMETALの3姫とは、「Ⅱ アイドル(超美少女)であること」において「① 崇高、優美あるいは清浄」という属性を持っているのだが、それに対する「② 非日常的で不気味」とは、「Ⅰ ヘヴィメタルであること」であり、例えば音楽的には本格ヘヴィメタル(超高速・轟音・デスヴォイス)であるということであり、視覚的には骨バンドや神バンド(7弦ギターや6弦ベースも含めて)、針の振り切れたライティング(映像盤『Live in London』の眩しさはアイドル映像作品としては失格モノだろう)、ということになるのだろうが、
「Ⅰ ヘヴィメタルであること」という立ち位置側からすれば、その、「Ⅱ アイドル(超美少女)であること」、日本人の超美少女3人が歌い・踊って「演」奏する、ということが、すなわち「② 非日常的で不気味」になってしまう、ということだ。この逆説!ヘヴィメタルにおけるBABYMETALの衝撃力とはまさにこれだろう。
(逆に言えば、日本のアイドル界―もはや何でもありのカオス状態―を立ち位置にするならば、BABYMETALの3姫の「② 非日常的で不気味」はあまり先鋭化されず、泣いてしまうほどの聖性を感じる、なんて言っても、「キモい…」という反応が返ってくるだけなのかもしれない)

「なんじゃこりゃ!」「ありえない!」
僕たちメタルヘッズのBABYMETAL受容は、まずそこから始まるのだが、それこそがすなわち「聖なるもの」を受容した反応だということなのだ!
まずは、ソッ閉じからはじまる。そこにこそBABYMETALの聖性がある、って、まさに「パウロの回心」と同様の構造なのではないか(これも次回以降いつか詳しく考えたい)。

もちろん、そうした「非日常で不気味」なものを「聖なるもの」として感じるには、「④ それに対して敬虔さを持って接しなくてはならないようなもの」がなければならない。
BABYMETALの場合、それは、何といっても3姫の「Ⅲ 真摯・純情・懸命であること」からもたらされるし、あるいは、神バンドの演奏力や練りに練り上げた高品質の扇情的な楽曲が、メタルヘッズにとっての④であるのだろう。あと、(言うまでもなく)SU-METALの歌声が。

どうだろうか?(おっさんメタルヘッズとしての)率直な実感として、上記のような構造において、僕たちがBABYMETALを「聖なるもの」と感じて(泣いてしまって)いる、ということは確かなことだと思えるのだが。

やや余談になるが、ここで改めて確認しておきたいのが、
やはりBABYMETALは「奇跡」なのだ、ということだ。
僕たちの多くがそう感じているそのまんま、これも決して大仰なレトリックの文言ではなく、まさにBABYMETALの降臨というのは、①②③④、ⅠⅡⅢによる「奇跡」、ありえないことの実現、なのだ。

そうなると、前回で否定的なコメントをした「泣いてしまう」要素「9.儚さ」 が、むしろ、僕たちがBABYMETALに涙を流す最大の要素だと言ってよいのかもしれない、とも思うのだ。

BABYMETALは全く新しい音楽ユニットなのだが、単に今までになかった、というだけではなく、もう二度とこんなユニットは出てこない・出てくるはずがない、ということは明らかであり、そうした唯一無二性という意味での「儚さ」が僕たちを泣かせるという側面は、確かにある(ように思われる)。
というか、映像作品を観るたびに(あるいは、もちろんライヴの現場で)まさにそうした「奇跡」を痛感して僕(たち)は涙していたのではなかったか

もちろん、似たようなユニットを送り出すことはできる。
Ⅰ’ ヘヴィメタルであり
Ⅱ’ アイドル(まあまあ魅力的な少女)であり
Ⅲ’ 真摯・純情・懸命に見えるようなパフォーマンスをすること
はできるはずだし、すでにそうしたユニットも出現しているのかもしれない。
ビジネスとしては誰も非難できない(日本のお家芸?)し、効率はよい。

しかし、それは絶対にBABYMETALにはならない。
「聖なるもの」なんて感じさせるはずがないし、おっさんメタルヘッズたちが腑抜けになり通勤電車の中で音盤を聴きながら「泣いてしまう」、なんてなるはずがない。
って書くのも馬鹿馬鹿しいほど、皆さんおわかりのとおりである。
ⅠもⅡもⅢも、すべて本物で、どれも最高級の品質で、驚くほど真心をこめてつくってある。こんな「奇跡」的なユニットはもう二度と出てくるはずがないのである。
そんな「奇跡」にリアルタイムで出会えている、そんな涙。
(こう書きながら、書く本人が涙ぐんでいます…)
その何割かには「9.儚さ」もある、と言ってよいと今は思っている。

さて、
β 観客である僕たちがαととりむすぶ関係について、簡単に触れておこう(詳しくはまた考察したい)。

僕たちが、ライヴに参加することはもちろん、音盤や映像作品を視聴しながら涙を流すとは、「聖なるもの」にうたれている、という意味で、「宗教的な行為」なのだ。

儀式の本質は「行為によって意味を演ずること」です。(『聖なるもの 俗なるもの』)

これは、演者の側にも観客の側にも言える。
ダンスメタルユニット、BABYMETALの本質。
つまり、通常のバンドとは全く異なり、BABYMETALは舞踊によって(も)「演」奏するということが、「聖性」を本質的に帯びている、ということだ。
巫女の舞、をおもわせる舞踊は「メギツネ」や「BABYMETAL DEATH」ではっきりと目にすることができるが、それだけではなく、すべての楽曲における、とりわけYUI・MOAの「演」奏とは、上の定義の「儀式」であるのだ。
(これもまた改めて考察したい。それにしても、このブログの当初にはもやもやしていた、彼女たちの舞踊はふつうのダンスとは全く違う、ということの内実が、かなり具体的になってきた。こうしてブログを書きつづけていてよかった…)

そして、BABYMETALのとりわけライヴにおける僕たち観客の、幾重にもかさねられた儀式、例えば(生ベビ考でも触れたが)ベビメタ黒Tを着てライヴ会場に集結し、YUI・MOAの煽りに応えて大声を張り上げたり、一緒に「合いの手」をあげたり、(僕は避けたが)モッシュやそれこそWODに参加したり、という「行為によって意味を演ずる」儀式も、まさに宗教的行為なのである。

そして、この儀式は、まさに掛け算である。
BABYMETALという仕掛の「凶悪さ」がここにある。

<アイドルファンとしての儀式(合いの手など) × メタルヘッズとしての儀式(黒T、モッシュ、WODなど) → 他に類をみない、とんでもない陶酔・悦楽 → 滂沱の涙>

そう。アイドルとメタルの融合とは、(演者BABYMETALにひけをとらないほど)僕たち観客においてその意味を発揮しているのだ。

…御柱祭の場合、この祭りの興奮に酔っている者たちは、仲間意識を強く持っています。自分だけが行なっているのではなくて、「御柱祭という集団行為に参加している」という連帯感が生まれているのです。…このように、集団的宗教行為においてその参加者たちは、「聖なるもの」(御柱祭など)が引き起こした気分の中に、比較的容易に―つまり、長期における苦行とか修練がなくとも―「自分たちも聖なるものに接している」という意識を持つことができます。

集団における宗教的狂乱、とは、常識的にもよく言われることなのだろうが、BABYMETALを考える上では極めて大切なことだ。
ライヴ会場でのモッシュやWOD、あるいは観客が一体となった「合いの手」。これは、単に結果として観客全員が盛り上がった、ということではなく、その楽曲や振り付けにおいて演者のBABYMETALが意図していることである。ライヴに参加すれば、それは嫌というほど体感できる。ベビメタTシャツで占拠されていた幕張の街の壮観についても述べたことがあるが、こうしたことは通常のバンドにおいては付加価値なのかもしれないが、BABYMETALにおいてはその本質のひとつというべきものだろう。
観客を煽り、陶酔させるための、楽曲、演奏・歌・舞踊。
まさに「儀式」なのだ。

そして、(今回の)最後に、泣けるひと言を、『聖なるもの 俗なるもの』から。

宗教はこの上なく謙虚な営みでありますが、一方でこの上なく欲張りな営みであるともいえます。

「この上なく謙虚」で「この上なく欲張り」。
これもシンプルだが味わい深く、BABYMETALの核心に触れた文言だ、と読めてしまう。
僕たちが泣いてしまうBABYMETALとはまさにこれを体現したものだろう。

「この上なく謙虚」とは、もちろんまず何と言っても3姫の人柄・姿勢の謂であるのだが、ステージ上でのふるまいもそうだ。MCもなければ企画コーナーもない。ただただシンプルにわずか15曲ほどのレパートリーを全身全霊で歌い・踊る。それがそのまま「この上なく欲張り」な(例えば、音の面でも視覚面でも、超絶的に高品質で圧倒的な情報量の)ものになっているのだ。

さらに、売り出し方も含めたBABYMETALのありよう。
これもいろいろなところでそういう書き込みを目にするが、中元すず香、水野由結、菊地最愛、3人ともとんでもない才能の持ち主で、いろんなジャンルのいろんなシーンでいろんな活躍ができるはずだ。
そんな3人が「Three Giris were chosen and given the holy metal name by the FOX GOD. He named them "BABYMETAL"...」によって、ただただ真摯に、命を削りながらヘヴィメタルを「演」奏するのだ。
本当に楽しそうに、生き生きと。

それを観る・聴く、こんな贅沢があろうか。

そのありがたさに涙が出る

これも、おそらく、僕を含めた多くのおっさんメタルヘッズ(洋楽ファン)の偽らざる実感だろう。





コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

BABYMETAL探究(「なぜ泣いてしまうのか?」考・補遺)

2015-07-17 09:25:16 | babymetal
前回の「なぜ泣いてしまうのか?」考をまとめてから、まだ数日しか経っていないのだが、例えば『LIVE IN LONDON』の映像作品を観ながらいくつもの箇所で涙ぐんでしまい、「さあ、これは1~8のどの要素だ?」と問いかけても答えられない自分がいることに気づく。
つまり、(精一杯考えたつもりだったのだが)、前回の探究はまだまだ不十分だったのだ。

ここで慌てて付け足しても、十分な探究にはならないだろうが、現段階で気づいた「なぜ泣いてしまうのか?」についての考察の補遺を、(忘れないうちに)しておきたい。

それにしても、あんな文章を書いたので、映像作品を観ても少しは興が醒めてしまうのかな、とも思っていたのだが、(いつものように)仕事帰りの電車の中でパソコンを広げて、例えば『LIVE IN LONDON』を観はじめると、今まで以上に涙腺が刺激されるのである。
BABYMETAL、恐るべし!
その奥深い魅力は、僕などの生半可な分析などにはびくともしない深さ・強さを持っているのだ。


前回、8つ挙げたので、その9から感涙ポイントをいくつか挙げてみる。(もちろん、1~8が間違っていたわけではない…はずだ)。
9以下も、1~8と大きく絡み合い重なり合っている。

9.儚さ(?)。
10.圧倒的な情報量。
11.表情の変化→感情の揺さぶり。
12.セットリスト→感情の揺さぶり。
13.SU-METALの、見た目・存在の、神々しさ。
14.MIKIKOMETALの振り付けのすごさ。
15.デロリアン効果。

9.儚さ(?)。について。
(?)をつけたのは、僕自身はまったくそういう思いを持たないからである。
現段階で、そんな涙を流す人がいるのだろうか?とさえ思ってしまう。

過去の映像作品、とりわけ「LEGEND Z」(まで)を観ていると、儚さを感じて涙が出てくる、というのは、わかりすぎるくらいわかる。
完全に後追いにファンになり、あの時には解散なんてしなかった、ってわかっている現在の僕までもが、終盤に近づくと胸が詰まる思いがしてくるのだ。
あの、残り時間が「00:00:00」になり「BABYMETAL」のロゴが崩壊する紙芝居の後の、場内の明転、って、気の小さな人なら卒倒する演出ではないか。あの場に生で参加された方って、今後の続行を正式には知らず、「ひょっとしたらこれで終わり?」という精神状態だったのだろうか。だとすれば、あのライヴの終盤→アンコール→崩壊→復活の流れは、もう滂沱の涙、どころか、失禁もの、という気がするが。

しかし、中元すず香=SU-METALがさくら学院を卒業してもBABYMETALは継続する、と正式に決定・発表されてからは、「いつ解散するのか?=儚い」という属性が前景化することはなく、むしろ、日本代表、なんて言葉が決して大袈裟ではないほどの、「たくましさ」を感じさせるユニットへと成長しつつある。
それでも、いまだに、「いつ解散?」みたいな話題で盛り上がるのは、多くのファンの胸中にBABYMETALは歳をとったらBABYMETALではありえない、という思いがあるからだろうか。
そう言われればそうかもしれない、と、僕も思わないでもないが、しかし、BABYMETALのパフォーマンスを観ていて、いま、儚い、なんて感じる人はいないんじゃないかな、という思いの方がずっと強い。
もちろんいつかは解散するのだろうが、例えばプロ野球の大谷翔平の活躍を見ながら「彼もいつか引退するんだろうな」なんて誰も考えたりしないように、今のBABYMETALにはそういう感情をもたせる隙はないはずだ。
「ド・キ・ド・キ☆モーニング」を初め、初期の「少女性」が魅力だった楽曲の「演」奏も、彼女たちの(実年齢の&ステージ上での)成長によって、よりダイナミックな、音楽性・演劇性の(超絶に)高いパフォーマンスを見せるものへと変化している。
なのだから、4①成長、を感じての涙はあったとしても、もはや9.儚さ、では泣かない、というのが僕の感覚である。
(もちろん、感覚は人それぞれだから、今でも儚さを感じて泣く、という人を否定するつもりは全くない)。

10.圧倒的な情報量。について。
ひとことで言えば、「いろんな意味で凄すぎて涙が出てくる」のだ、BABYMETALは。
一つ一つの質の高さについての謂が、前回の1~3であり、この後の11~14であるのだが、僕たちおっさんがBABYMETALに涙を流してしまうのは、彼女たちのパフォーマンスの圧倒的な情報「量」による、ことも事実だろう。
いわば、僕たちがBABYMETALを観ていると、(あっという間に)ほとんど飽和状態、沸騰寸前にまで心身状態が高まってしまうのだ。
爆音の超絶技巧による楽器演奏が魅力的な楽曲をつぎからつぎへと奏でる、それが耳から入り僕たちの身体をゆり動かす。その上を、SU-METALの倍音バズーカの歌声が舞い、目からは、YUI・MOAの扇情的な舞踊が突き刺さって来る。その、僕たちの感覚を・ハートを震わせる情報の質と量の奔流!
実際に涙を流すきっかけが、ある1曲の、あるフレーズの歌声だったり、ある仕種だったりするにせよ、それまでに僕たちの心身が多量の刺激によって高められているから、そうなるのだ。
ヘヴィメタルであること。超絶にカワイイアイドルであること。その情報量の掛け算の嵩が、僕たちを半ば狂わせるのである。

11.表情の変化→感情の揺さぶり。について。
ミラーニューロンについては以前にも触れたことがあるが、僕たちは他人の微笑を見ると自分の脳の微笑に関する神経が発火し微笑む筋肉が刺激される、他人のあくびを見ると自分があくびするときの神経・筋肉が活性化する、のだ。
とりわけYUI・MOA2人の、一曲の中でもくるくる変化するその表情に対しては、僕たちは単なる観客ではなく、それにつられて自らもそのように表情を動かし感情を震わせているのだ。例えば、MOAMETALの微笑は、それそのもので僕たちおっさんを泣かせるものではなくても、それによって確実に(物理的・生理的・心理的に)僕たちの感情は・神経は・筋肉は揺り動かされ、常に閾値近くにまで高まっているのである。あとはほんのわずかな刺激で、涙腺崩壊する、のだ。
『LIVE IN LONDON』の、とりわけFORUM版は、この、表情の変化→感情の揺さぶりの「凶悪さ」が堪能できる。2曲目の「いいね!」だけでも、どれだけの表情の変化→感情の揺さぶりがあることか。

12.セットリスト→感情の揺さぶり。について。
一曲一曲の素晴らしさが僕たちの感情を揺さぶるだけではなく、曲と曲とのつながり・組み合わせによってそれが増幅されることがありうる。もちろん、これはどんなバンドでもそうなのだが、BABYMETALの場合、それがいっそう「凶悪」である。
例えば、『LIVE IN LONDON』のFORUM版であれば、
悪夢の輪舞曲→おねだり大作戦→Catch me if you can→紅月→4の歌
あたりの曲のつながり・組み合わせによって喚起される僕たちの感情の起伏、これはなかなか凄いものがある。
SU-METALのソロ、BLACK BABYMETALのデュオ、真ん中のCMIYCの冒頭は神バンドの超絶ソロの掛け合いでもある。強弱、硬軟の大きな波・たゆたいによる催眠術のようなもので、映像から目を耳を離すことができない。
にしても、紅月→4の歌、って!
BRIXTON版では、おねだりと4の歌の前後が入れ替わるかたちであったし、他の映像作品ではまた大きく順序が異なる。このセットリスト効果だけでも、いろいろと深く探究しがいがあるテーマだ。

今ふと思ったのだが(すでにどなたかがどこかで指摘されているだろうが)、アルバム『BABYMETAL』通りのセットリストは、今までなかった、はずだ。
アルバムは、「BABYMETAL DEATH」 ではじまり、「イジメ、ダメ、ゼッタイ」で終わるのだから、ライヴでもこの曲順にしてもよさそう(今なら、最後にRoRを加える)なのに、そうしないのは、それでは観客の興奮がそがれてしまうからだろう。
アルバム丸ごと再現のライヴ、というのがいろんなバンドで、時々行われるが、BABYMETALの場合は、ほとんど毎回アルバム収録の全ての楽曲を演奏しているのだから、そうした営みはインパクトを持たないし、むしろ、例えば、ああ次はウキミか、とわかってしまうのは興を削いでしまう。
わずか15曲ほどしかレパートリーがないからこそ、その組合せの妙に心血がそそがれ、結果として観客の感情を揺さぶる魔術が発生する、というのは、俳句にも似ている、と言えるかもしれない。限られているからの、組み合わせによる、豊かさの醸成、その魔術、だ。

13.SU-METALの、見た目・存在の、神々しさ。について。
前回触れた7.(圧倒的な)美しさ、とも重なるが、この13.は単純にSU-METALそのものの神々しさにおっさんは涙するという事実がある、ということである。
参加した先日の幕張ライヴでは、Cブロックの後方でステージはほとんど見えず、もっぱらモニターを見ながらはしゃいでいたのだが、唯一、「悪夢の輪舞曲」では、せりあがったSU-METALを肉眼で見ることができた。豆粒のようというよりも、100m先のミクロマン人形を眺めるよう、だったのだが、その神々しさ、といったら!
ライティング効果もあったのだろうが、オーラが出ているというよりも、存在そのものが光を発している、と感じたのだ(…って、やっぱりライティング効果なのかな)。
「紅月」のマント姿なんて、下手すればギャグであろう。YUIMETAL・MOAMETALでさえ、マント姿はさすがにありえない。ところが「リアルあずみ」と称される(ホントに似ている!)SU-METALのマント姿は、ただひたすら凛々しく美しい。そして、静かな激情を秘めたその表情。天賦の声だけではなく、立ち姿・表情だけでおっさん達を泣かせてしまう。いや、ほんと、よくぞこんな娘が出てきたものだ。

14.MIKIKOMETALの振り付けのすごさ。について。
振り付けを見て泣く、とは、どういうことなのか?
でも、実は、これはBABYMETALにおける必然でもある。
このことも、幕張に向かう車中での回に書いたが、結局、ライヴの観客(敷衍すれば、映像作品の視聴者)がいかに盛り上がるか、いかにノるか、そのことを目的においてBABYMETALの振り付けが構成されている、ということだ。
それが、YUI・MOAの舞踊がヘヴィメタルの「演」奏である、ということの核心でもあった。まあ、泣く、まで至るかどうかはひとそれぞれだが、YUI・MOAの舞踊によって観ている僕たちの感情が鼓舞されていることは疑いない。

泣ける振り付けの筆頭は、何といっても「駄々っ子ヘドバン」だ。電車内で映像を観ている時も、これはやばい、と思って、あえてぼーっと眺める時さえある。ありえない想定だが、「イジメ、ダメ、ゼッタイ」の振り付けにこれがなかったら、もっとBABYMETALに対しては冷静でいられたはずだ。
でも、そうしたレベルの振り付けは、どの曲にもある。一般的なバンドにおける印象的なギターのリフやソロにも相当するYUI・MOAの舞踊は、単純に「このソロに泣く」「このリフに鳥肌が立つ」というレベルで語るべきものだ
「ヘドバンギャー!!」は、そうしたリフ・ソロが満載であるし(泣ける!)、「メギツネ」の終わりの扇風機ヘドバン(泣ける!)、「4の歌」のすべて(おっさんたちすべてが破顔!)。挙げていけばキリがない。

ああ、そうか。だから、洋楽ファンが嵌まるのだ、という側面もあるのだろうな、と、今改めて気づいた。ロックやジャズやの、ソロやリフを楽しむというのは、たぶん邦楽よりも洋楽寄りの楽しみ方だろうし、そうした感性・嗜好に、MIKIKOMETALの振り付けは確実に訴えかけてくるのだ。

15.デロリアン効果。について。
ワールドツアーの、様々なフェスや、授賞式等でBABYMETALの3姫が撮った「ズッ友」写真。とりわけ、ブライアン・メイとの「ズッ友」写真には思わず涙が出てきたのだが、これはどういう涙なのか?
4②快挙、にも近いようだが、しかし、「ズッ友」写真なんて、きちんと頼めば写ってくれるだろう(違うのかな?)から、僕は、快挙に涙しているのではないはずだ。
じゃあ、なぜ?と考えると、それは、「デロリアン効果」とでも呼ぶべきものではないか、と思うのだ。
この場合のデロリアンとは、映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」の自動車型タイムマシンである。(もちろん、わざわざこの名前を拝借するのは、中元すず香の逸話にちなんでのことだ。)
BABYMETALの、メタルやロック界の面々との「ズッ友」写真とは、いわば、過去と現在との邂逅だ。過去の記録映画の中に今を生きる3姫がいる、あるいは逆に、過去の記憶の中の重要人物が、今を生き生きと生きる3姫の時空間のなかに登場した、という、だまし絵にも似た驚き。その「ありえなさ」に対する涙だ、というのが僕の実感にいちばん近い。
これがBABYMETALの「デロリアン効果」だ。
だから、メタル界隈ではなく、予想もしていなかったブライアン・メイとの「ズッ友」写真がその衝撃度が大きく、涙が出てきたのだろう。
そして、3人と写るおじさん・おじいさんたちの誰もが、実に嬉しそうな笑顔を見せている(ように見える)のにも感激する。これは、4②快挙への感動と言ってよいだろう。「そうだろ、我らがBABYMETALは、○○○まで笑顔にしてしまうんだぜ」という誇らしさ・嬉しさ、だ。また、前回の最後に挙げた、8.絶対的な肯定性、でもあろう。
洋楽ファンがBABYMETALに嵌まる、というのには、このデロリアン効果によるところも大きいのかもしれない。「自分の過去=洋楽」と「今=日本人アイドル」とのありえない邂逅、その衝撃。

そして、「ズッ友」写真に限らず、僕は、BABYMETALの、例えば音盤を聴きながら、ふと、「これは本当なのか?」というような思い(それほど明確な言葉にはならなくても)に襲われることがよくある。現在進行形の今、本当にBABYMETALという日本人女子高生3人のユニットが、ヘヴィメタルを軸にした音楽界で世界を席巻している、ということへの、信じられなさ、大仰に言えば「奇跡」を改めて噛み締めて味わう瞬間がよくあるのだ。涙ぐみながら。
これは4②快挙への涙、でもありながら、自分が30年以上聴いてきたこのヘヴィメタルに、という思いを重視するならば、15.デロリアン効果、という別のネーミングをすべきだ、と思うのである。
BABYMETALは、おっさんたちの今現在を刺激的に楽しませてくれるだけではなく、おっさんたちが長年聴きつづけてきたヘヴィメタルの(ロックの、洋楽の)過去の蓄積をも刷新する、新たな色で塗り直してくれるのだ。
とりわけ、おっさんがBABYMETALに泣いてしまうのには、この「デロリアン効果」が大きく影響しているのかもしれない。その象徴が、「ズッ友」写真に湧き出る涙、なのかもしれない。


と、こうやって、つらつら書き並べていくと、結局、今までこのブログに書き連ねてきたことの総まとめみたいになってしまう。やはり、BABYMETALを探究する、ということは、「なぜ泣いてしまうのか?」を探究することと、ほぼ同値であるのだろう。
つまり、おっさんが泣いてしまうということがBABYMETALの音楽性・演劇性・芸術性…等々の核心の、端的なあらわれなのだ。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

BABYMETAL探究(「なぜ泣いてしまうのか?」考)

2015-07-13 22:07:40 | babymetal
BABYMETALを観たり聴いたりしながら、泣いてしまう。

これは、他のミュージシャンの音盤や映像盤を観たり聴いたりすることとは明らかに異質な、視聴者にとってのBABYMETALの主要な、ある意味では最大の、独自性だと言えるだろう。
(以前にも書いたが、先日の幕張でのライヴは超絶に楽しくて泣くどころではなかったので、これは、僕においては、今のところ、音盤や映像盤の「鑑賞」時における特徴的な反応なのである)。

いや、もちろん、今までにもヘヴィメタルの音盤を(名曲を)聴いて涙ぐむことはあった。だからこそ僕は、ヘヴィメタルを人生の伴侶として聴きつづけてきたのだ。
しかし、それとは頻度や強度がまるで違う。
BABYMETALを視聴しての「泣いてしまう」を基準にすれば、今までそんなことはなかった、と言ってしまえるほど、BABYMETALの「泣いてしまう」は際立っている。
むやみやたらに、というくらい涙が出てくるのだ。毎日毎日(数限られた)映像盤をとっかえひっかえ観るなかで、昨日まではなんてことのなかった1シーンに今日は涙ぐんでしまう、ということが繰り返されるのだ。
よく考えてみれば、(映画ならともかく)音楽の映像作品を観て泣いてしまうなんて、僕は経験したことがなかった
そうした意味で、まさにBABYMETAL(の映像盤)は、唯一無二なのである。

ネットには、「なぜBABYMETALに泣いてしまうのか?」を語りあうスレッドもある。「泣いてしまう」ことはBABYMETALに関して探究する価値のある大きなテーマのひとつなのだろう。
ひょっとしたら、これがBABYMETALの核心、なのかもしれない。

まずはじめに、それはおっさんだから、という点を確認しておくことは重要である。
「なぜ泣いてしまうのか?」という発問自体、おっさんである僕自身に向けているのだ。
「なぜ泣くのか?」スレッドも、書き込みをしているのはほとんどがおっさんのようで、確かに、自分がもしも今10代だったならば、BABYMETALを視聴して泣いてしまう、なんてあるはずがない、とも思う。
楽しい、カワイイ、かっこいい。そんなふうにしか感じないのではないか。
それは、僕たちおっさんたちの、泣いてしまうという(加齢臭的な)反応とは異なる、健康的な爽やかな反応だ。むしろ3姫にはそちらの反応をこそ差し上げたい、のぞましい感想だ。
だから、現在の若いBABYMETALのファンが、今回のこのブログの文面を見たら、気色悪く感じるだろうな、ということも想像できる。
しかし、仕方がない。だって、実際に泣いてしまうのだから。
若い人のことを慮って抑える必要などないのである。

なぜおっさん(である僕)(たち)はBABYMETALを視聴して泣いてしまうのか?

パッと思いつく要素は、6つである。それぞれは重なり合い・絡み合って涙腺に襲いかかってくるのだろうが、あえて分析するならば、次のように腑分けできるだろう。

1.楽曲が(ヘヴィメタルとして)感動的だ。
2.SU-METALの歌声が心に沁みる。
3.楽器隊の演奏が凄すぎる。
4.エピソードがドラマチック。
5.ひたすらステージで一所懸命に歌い・踊る3人の少女に胸を揺さぶられる。
6.すぐれたアスリートのパフォーマンスを見る時の、「すごい」という感動。

これらの総体が、「おっさんが泣いてしまう」BABYMETALの魅力、ということにまずはなるはずだ。おそらく僕だけでなく多くのおっさんファンも、(人によって各要素の濃淡等はあれ)この1~6が綯い交ぜとなって涙腺に襲いかかってくる、という経験をしているのではないか。
(外国のメタルヘッズたちは、どうなのだろう?1~3はともかくとして、4~6への感傷的な思い入れは、僕たち(大和おっさんたち)ほどはないのだろう、か?)

1.楽曲が(ヘヴィメタルとして)感動的だ。について。
BABYMETALの楽曲は、どの曲もヘヴィメタルとしてのさまざまなとんがった魅力にあふれているのだが、「泣いてしまう」楽曲といえば、何といっても「紅月」と「イジメ、ダメ、ゼッタイ」の2曲だ
私的な感涙のヘヴィメタルの超名曲の数々、例えば、Michael Schenker Groupの「Into the Arena」、Helloweenの「Eagle Fly Free」、Vandenbergの「Waiting for the Night」、Y&Tの「Forever」、等々に匹敵する、あるいはそれらを超える、泣ける名曲である、この2曲。
楽曲の人気投票でも必ず最上位に入るこの2曲を、ごく初期のうちからレパートリーにしているということは、BABYMETALが(僕にとって)本物のヘヴィメタルであることの証でもある。
どちらも、直接的にはXの名曲たちのオマージュなのだろうが、個人的にはやや長すぎると感じてしまうこともあるXの楽曲のインストパートの、いちばん美味しいところだけを必要にして十分にフューチャーした、「完璧」な楽曲2曲だ。
(ただし、この二曲以外、例えば「4の歌」でも泣いてしまう、というのがBABYMETALの恐ろしいところなのだ。だから、なぜ?を考察したくなるのである。)

2.SU-METALの歌声が心に沁みる。について。
「イジメ、ダメ、ゼッタイ」の、イントロのSU-METALの「るるる~」の後の、「あー」のシャウトだけで泣いてしまうことのある人もいるだろう。僕も(いつも、というわけではないが)そのひとりだ。
SU-METALの「心に沁みる」声質についてはいくつかのサイトで専門的な考察もなされているようだが、素人なりの僕の素朴な印象を言葉にすれば、倍音をたっぷり含んだみずみずしさ至極の歌声、という感じだ。
この声は、おそらく、あらゆるジャンルの歌を歌ってひとを感動させることのできる、そんな魅力をもった、天から与えられた声、まさに至宝、なのだろう。
それに、あの、圧倒的な声量。さながら爽やかな倍音バズーカ、だ。
でも、その至宝である天賦の声を、いかにも「うまいでしょ」的な歌に使うのではなく、ただただひたむきな歌声として聴かせるのは、歌っているのがヘヴィメタルだから、という側面も多分にあるのではないか。そこがいっそう僕たち(おっさんメタルヘッズ)を泣かせるのではないか。
今、新春キツネ祭の再々放送分の録画を流し観・聴きしながらこれを書いているのだが、例えば今流れてきた「Road of Resistance」という楽曲、これは、そうしたSU-METALの声という至宝が、ヘヴィメタルを歌うことによってそのひたむきさの純度を高めている、その精華だといえる楽曲ではないか。
SU-METALの熱唱、あの「かかってこいやー」、その後の「We are!」のシャウトの連呼を聴きながら、今夜もやはり涙が出てきてしまった。
(にしても、「We are!」だけでおっさんを泣かせる、というのは、とんでもない「実力」である。)

3.楽器隊の演奏が凄すぎる。について。
残念ながら、僕は少しギターをかじったくらいで、本格的なバンドの経験もないのだが、そんな素人の僕でも、神バンドの演奏の凄まじさは感じることが出来る。ましてや、本格的にバンド等の楽器演奏経験がある人たち(おっさん達)には、BABYMETALのライヴ(映像盤、音盤)は「なんじゃこりゃ!」という畏怖を伴う感動を与えるものだろう。
単にうまい、というのではなく、過剰に、凄・す・ぎ・る、のだ。だから泣いてしまう。
”アイドルのバックバンド”(ある意味では、まさにそうなのだが)には全く必要のない超絶的なスピードと爆音とテクニック。はじめてメタリカを聴いた時の(僕は「Fight Fire with Fire」だった)衝撃に似た息づまる感触に、ライヴ(映像、音盤)のいろいろなところで遭遇する。
例えば、「Road of Resistance」の冒頭からのドラムスのドコドコドコドコの凄まじさには、涙をさそわれる。
BRIXTONライヴ音盤のメギツネのギターリフで泣いたことは以前にも書いた。
(1.の「紅月」や「イジメ、ダメ、ゼッタイ」の感動にも、この3.は大きく寄与している)。
テクニックが凄いヘヴィメタルのバンドは数多くいるが、BABYMETALの場合はその凄さが「むきだし」に襲いかかってくる。
表面が甘いからこそ、その激辛が強烈で、余計に涙腺を串刺しにするのだ。
アイドルとヘヴィメタルとのギャップ(の音楽的な意味)とは、まさにここにこそあるのだろう。

4.エピソードがドラマチック。について。
以前にも少し触れたことがあるが、BABYMETALの来歴、ストーリーは、マンガを超えている。あまりにもドラマチックな逸話が満載である。(ていうか、BABYMETALの実話をそのままマンガ化・アニメ化するだけで、とんでもない感動の名作マンガになることが保証されている、そんなエピソード・物語がてんこもりだ。)
この項目をもう少し細分化すれば、
4①成長
4②快挙
4③事件

のように区分できるだろうか。
もちろんこれが絡み合ってさまざまなエピソードを構成しているのだが、①②③は、それぞれ、異なる涙のツボを刺激する、のだと思われる。

4①成長、というか、飛躍、というか、変化、というか。
実生活上の、息子や娘たちも、もちろんすくすく成長しているのだ(ろう)が、常に身近にいるからそれはなかなか見えにくい。ところが、BABYMETALの3人は、そのとんでもない成長・飛躍・変化を、とんでもない濃度に圧縮して見せてくれる。(いちばん古い映像作品の「LEGEND I」から、まだ3年も経っていないのだ!)。
SU-METALの最近の映像作品でのアップに、つい、可憐girl'sのSUZUKAの顔を思い浮かべてしまうと、もうたまらない。(というか、MVで、SUZUKAの、こりんとした顔を見るだけで、泣けてくるのだ。…何なんだ?これは)
BABYMETALを作りはじめたときに、こんなことは想定していなかったはずだし、少なくとも計算などできるはずがない。計算などはるかに超えた、とんでもない速度での飛躍・成長・変化。少女たちだから、ということに限らず、成長のストーリーには、ひとを泣かせる力がある、ということだろうか。

4②快挙。
ソニスフィアを典型例として、とんでもない結果を出しつづけてきたBABYMETAL。
半信半疑の、あるいはむしろ否定的な先入観を持っていた、観客たちが、「あれ?」→「これは…」→「ひょっとして、本物?」→「いやいやいや、これは凄い」→「なんじゃ、こりゃ!楽しい!」→「最高!!」と反応を変化させ、陥落していく様を目にするのは、まさに「ガラスの仮面」「BECK」の感動と同種の経験だ。
この夏にも、レディング&リーズ・フェスがある。
国内でもまだまた「快挙」のネタは残っている。METAL HAMMER は早速注文したが、BURRN!誌の表紙を3姫が飾る日が来たら、本屋の店頭で滂沱するおっさんたちは続出するだろう。もちろん僕もそうだ。号泣する準備はできている。
この感情は、乱暴な言い方をすれば、やはり、同胞としての誇り、なのだろう。
オリンピックやワールドカップ等で、日本チームや日本人アスリートが、勝つ、ゴールを決める。思わずガッツポーズをし、よっしゃ!と叫ぶ自分がいる。目をウルウルさせながら。
BABYMETALに泣いてしまう成分の何割かは、そうした涙だ。

4③事件。
とりわけ「赤い夜」がその筆頭だが、ソニスフィアの冒頭のMOAのイヤモニの不通、などなど、小さな事件は、それこそいくつもあった。僕たちおっさんを泣かせるのは、それらの事件が、(今のところは)最終的にそれをたくましく乗り切る3人の少女の凛とした姿を見せる契機になっていることだ。
ピンチはチャンス。ライヴは戦い。アウェイこそホーム。
そうした姿には、それなりに人生の辛酸をなめ、栄光も挫折もそれなりに経験し、紆余曲折を味わってきたおっさんとしては、泣かずにはいられないのだ。

5.ひたすらステージで一所懸命に歌い・踊る3人の少女に胸を揺さぶられる。について。
ひょっとしたら、他のアイドルのファン(おっさんたち)の心理もこうしたものなのだろうか?
全く想像もつかないが、BABYMETALの3人へのおっさんたちのこの5.の涙は、アイドル=「偶像」という意味からは、大きく逸脱したものだ。
今まさに目の前に、懸命にパフォーマンスする少女たちの生きた身体が心がある、その確かな存在感。
これはもちろん4.とも深く絡み合っている涙なのだが、とりわけ事件や快挙には関わらずとも、ステージ上で汗だくになりつつキリリとした表情で一語一語に心をこめながら歌うSU-METALの顔や、例えば「イジメ、ダメ、ゼッタイ」での「駄々っ子ヘドバン」のYUI・MOAの汗を飛び散らせ腕をふり身体を揺らしながら髪の毛をぐるんぐるんぐるんぐるん振りまわすその姿は、それ自体がおっさんたちを泣かせるのだ。
可憐、とはまさにこのことなのだろう。
決してなよなよとした弱っちい泣かせ・媚態、ではなく、凛とした懸命さ、「命を削りながら」という言葉が決して大袈裟ではない、まさにそうとしか形容できない熱演だ。
これも、僕が10代だったら、このように感じることができたか、といえば、かなり微妙である。
やはりここには父兄的な目線、あるいは、自分自身がこれほど「懸命」にはなれないことから逆照射される、若さの眩しさ、を感じる、その涙なのだろう。

6.すぐれたアスリートのパフォーマンスを見る時の、「すごい」という感動。について。
とりわけYUIMETALの、信じられない動き。
そこに気がつく頃にはもう後戻りできないBABYMETALの深みに嵌っているのだ。
僕がBABYMETALにここまで夢中になってしまった大きな要因も、これだ。
もちろん、YUIMETALだけではなく、3姫ともに、その身体能力は、超人的である。ここは、ファンになればなるほど強く実感するところだろう。
何せ、その年齢、女の子であること、可愛らしいルックス、それらがカーテンとなって覆い隠してしまうために、3姫のアスリート的なとんでもなさを初めのうちはきちんと観ることができないのだ。せいぜい、「よく動くなあ」「結構ダンスもキレキレだな」という程度の感想だろう。
ところが、視聴を重ねていくうちに、いつか、「この娘たちってバケモノだ!」と畏怖を感じる瞬間が、遅かれ早かれやって来るのだ。涙を流しながら。
幕張ライヴでも、僕自身は、冒頭の2曲(BABYMETAL DEATH → ギミチョコ)でもうヘトヘトだったが、3姫たちは、これらを皮切りに残り90分の「巨大天下一メタル武道会」を、ノンストップで歌い踊り続けたのである。空調などがひどく、とんでもない悪コンディションだったのに。おっさんであるこっちは、「すごい!」そして「面目ない」とひれ伏すしかなかった。
本当に、掛け値なしに凄い、のである。
たぶん、こんな「畏怖」を感じさせるところは、他のアイドルともヘヴィメタルバンドとも、異なる、BABYMETALの独自性の大きなひとつ、だろう。
このブログでしつこく書きつづけているYUI・MOAの「バトル」も、この6.の「すごい」を鋭く感じさせる動きだ。迫力のある、殺陣の美しさ。
あとは、例えば、「赤い夜」「黒い夜」の、「ウキウキ★ミッドナイト」。これはとんでもない。
あの高さ・狭さで踊り・跳ぶのだ。ニコニコしながら、である。そのすごさに、涙が出る。

と、ここまで、1~6、すいぶん駆け足で大雑把な分析を重ねてきた。
どれか1つだけを見ても、ファン(のおっさんたち)を泣かせる力を十分にもっているのに、これが6つも縒り合されて襲いかかってくるのだから、おっさんたちはイチコロである。
これは、泣くのが、必然だ。

そして、さらに、この6つ以外にも、「泣いてしまう」秘密はある。
とりあえずあと2つ、気がついたので加えて今回の長文を終えたい。
(テーマが大きすぎましたね。それぞれを、またより深く探究する日がいつか来る、のか?)

7.(圧倒的な)美しさ。
これは、具体的には、「赤い夜」の「BABYMETAL DEATH」を観ていて強く感じたことだ。
(振りかえって見れば、おそらく上記の1~6の根底にあり続けていた要素なのだろう。)
DEATH!DEATH!DEATH!と、3姫が揃って飛ぶ場面(とりわけ、狂乱のパートが終ったあとの曲の終わり近く)を観ていて涙が出てきたのである。
しかし、これは、なぜだ?と問いかけても、1~6では説明のできない涙なのだ。
これはあえて説明的な言葉で表現するならば、美しいから、としか言いようがない。
3人であること。身長のバランス。赤、黒、銀の配合。肉体と人工の融合。光と影。デスヴォイスと3姫の容姿がユニゾンでジャンプをしていること。
そうした様々なバランスの調和が絶妙に美しいのだ。

映像盤の中では、何といっても「赤い夜」が、この圧倒的な美しさを堪能できる、と個人的には思っている。とりわけ「BABYMETAL DEATH」での神々しい美しさは、比類のないものだ。オープニングではなく、武道館公演初日のいよいよラスト3曲の皮切りの、静謐さを伴った激情とも言うべき演奏の温度、ここまでライヴを進めてきた3姫の心身の熱し具合など、比喩的に言えば「黄金比率」が実現されたのではないか。腕をクロスしているため、顔の見えないSU-METALの凛とした美しさ。髪をふり乱した後のMOAMETALの妖艶な笑顔。その遠くに見えるYUIMETALの後姿の可愛さ。

言葉を恐れずに言えば、ここまで神々しい美しさを見せるアイドル、とは空前絶後ではないか(山口百恵には、それがあったのかもしれない。中森明菜にも、そうした気配はあったのではないか)。
とりわけ近年の、素人くささを前面に押し出したわちゃわちゃしたアイドルたちとは全く異質の美しさを見せる瞬間がBABYMETALにはあり、その神々しさにおっさんの涙腺はゆるんでしまうのだ。

そして、最後に、
8.絶対的な肯定性
これも、1~7のすべてを根底で支える要素であり、BABYMETALがヘヴィメタルにもたらした最大の新機軸(あるいは逆説)というべきものだ。
具体的には、「新春キツネ祭り」のWOWOW映像(完全版入手まであと1カ月になった、わくわくが止まらない!)の、「ヘドバンギャー!!」で、YUI・MOAが「ひさしぶりにー、いくよ~!」と言いながら、駆け、スモークガンを手に取り、「いくぞ~!」(MOAMETAL)「いくよ~」(YUIMETAL)と叫びながら噴射する、その一連の姿。これに、泣いてしまったのである。もちろん、頬を緩ませながら、だから、つまりは泣き笑いの表情になって、だ。
これは、1~6でも、7でも、説明できない涙、だ。
で、なぜ涙が出るのかを問いかけて出てきたのが、この、絶対的な肯定性、という文言だったのだ。
スモークガンの噴射、とは、本来、ヤンチャな行為、攻撃性の表現、というべきものだろう。ところが、これを、YUI・MOAが行なっている姿には、”やさぐれた”感じなどみじんもないのだ(ファンにとっては当たり前だが、これは改めて考えてみると実に実にとんでもないことなのではないか)。
最も凶悪な、というべきヘヴィメタルを、まったく負の印象を与えることなく歌い・「演」奏する、ということ。観ている人間に、絶対的ともいえる肯定性な”しあわせ”を感じさせること。
あるいは、「4の歌」等でのYUI・MOAや、時にはSU-の、煽り。
ここにもまったくダークな感じがない。(ディスるつもりは全くないが、乃木坂46のライヴ映像で目にした「コウモリよ」の煽りには、やさぐれた感じがあった。ヘヴィメタル風にする、とは、そうしたやさぐれ感・棘をつけるということなのだ、普通は。)
これは、受け手である僕の主観的印象だから、絶対化はできないが、しかし、どんなにヤンチャなことをやっていても、常に気品を失わず、前向きの凛とした姿勢として、それが表現される、ということ。
これって、実に貴いことだ。そこに、涙が出たのだと思う。
国境を越え、言葉を超え、BABYMETALがファンを広げているのは、単に楽曲やパフォーマンスの素晴らしさだけではなく、3姫の一挙一動ににじみ出る、絶対的な肯定性に心打たれるひとたちが増えている、ということなのかもしれない。
なぜ、BABYMETALの3人はそんな風でありうるのか?には、わからない、としかいいようがない。生まれも育ちもよい3人が奇跡的に集まった、ということなのか。
ただ一つ、彼女たちが、ヘヴィメタルをよく知らない(全く知らなかった)ということが秘密の大きな鍵であるような気がする
たいへんな逆説、だが。
ほんの少しでも知っていたら、ヘヴィメタル風のダークな匂いや色香がほんの少しとはいえ纏わりついていたのではないか。そうなると、今僕たちが涙を流すこの奇跡のBABYMETALにはなっていなかった、のではないか。
いわば、マリアの処女懐胎、のような聖性を、BABYMETALはそのなりたちにおいて帯びている、ということになりはしないか。

7や8は、もはや音楽から離れた、宗教的な陶酔の悦楽・至福、とでもいうべきものなのかもしれない。
こうした種類の言説は、公共の場に載せるのははばかられるものだが、しかし、BABYMETALを観ていて泣いてしまう、その秘密のなかには、確かに宗教にも通じる、人間離れしたものがあるのだ、と、僕は思う。

だって、これだけ多くの(世界中の)おっさんが、彼女たちの超絶に楽しいパフォーマンスを観て聴いて、泣く、のである。
これはもう、事実として、BABYMETALが宗教的な力を持っているということ、だろうから。(このことを大声で主張しようなんて、もちろん思いはしないが)。
コメント (8)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

BABYMETAL探究(「成功」?考)

2015-07-08 10:27:46 | babymetal
BABYMETALはなぜ成功したのか?
というような商業的観点からの分析を、ときどき目にする。
経済学・経営学というもの全般に対する個人的な不信感はおいておいても、「BABYMETALが成功したのはメタルというジャンルに徹底的にこだわったからです」みたいな分析の言説には(皆さんの多くと同じように)唖然とするしかない。

BABYMETALがヘヴィメタルであること、
その”困難さ”を見ること・感じることのできない人間には、BABYMETALがいま為しつつある「奇跡」など全く見えていない、つまりBABYMETALのBの字の半分さえも、まるでわかっちゃいないのだ。

このブログの言い方でいえば、「突然変異」。
そこに触れえないまま、「世界的大人気、その秘密は?」のような「自然淘汰での生き残り」だけに目をあてて、手持ちの理論で料理して見せるBABYMETALをめぐる言説は、無害ではあれ、無益なものだ。
誰の何の役にも立たないし、ちっとも面白くもない。

経済学者やコンサルタントたちにとっては「ヒット商品」としての分析の対象のひとつなのだろうし、「ヒットした」という現象としての結果から、それはなぜなのか?と帰納的に(あるいは手持ちの理論から演繹的に)分析する、それしか彼らにはできないのだから、彼らがそうするのは仕方がないことなのだ。
僕も、別に腹を立てたりしているわけではない。

ただ、あまりにもとんちんかん、だと思うだけである。

そもそも、BABYMETALは「成功」したのか?

彼らがいう成功とは何なのだろうか?世界的にファンが増えつつあることは確かだが、でも僕の娘たち(大学生と中学生)に訊いても、ほとんどの同級生(つまり国内の中学生・高校生・大学生)はその存在すら知らない、と言う。国内においても決して知名度がズバ抜けているわけでもない。ましてや海外で、みんなが知っている、なんてあるはずがない。(これは、BABYMETALが、まさしくメタルアーティストだ、ということなのか。)
海外で発売したアルバムが、その国のヒットチャートの上位に来ることも特にない。当たり前だ。国内でも、じわじわと売れ続けているのが凄いのであって、爆発的なヒットをしたわけではない。
つまり、BABYMETALは「ヒット商品」ではないのだ。
確実に言えるのは、BABYMETALの音盤、映像作品、そして何よりもライヴを体験し、彼女たちに魅せられるファンが増えつつある、ということだ。僕のように、魂を鷲づかみにされて、鳥肌を立てたり涙を流したりしながら音盤・映像盤を視聴しまくり、運よくライヴのチケットが取れれば何をさておいても馳せ参じ、汗を飛び散らせながら歌い踊りまくる、そんな人たちがじわじわと増えつつある、ということだ。
商品としての消費者の増大ではなく、その高い音楽性・芸術性・経験したことのない楽しさに魅せられるファンが少しずつ広がっていること。

そして、これこそが、BABYMETALの「本懐」なのである。

世間的にどうしてもアイドル・ソングってお手軽なイメージが強いと思うんですよ。パァーッと作ってアイドルの人も仮歌を聴いて一回二回歌を入れて終わり!みたいな。ポンポン量産されるような。インスタントラーメン作っている感覚というか。そういう感じだと音楽ファンとしては面白くないなと。時間かかるけど面白いほうがいいなって。

ここにこうして引用するまでもなく、皆さんご存知であろうKOBAMETALの発言(『ヘドバン』第1号)だが、これが、気取ったセリフ、大言壮語などでは全くなく、まさにこれを愚直に・真摯に行ない続け、その結果として(ヒット商品としてではなく)人生の伴侶ともいえるような高い質の音楽作品としてファンを獲得している、BABYMETALの根幹にある考え方だ。
これを「ヒット商品」として分析しよう、というその出発点そのものが、まったくピントが外れているのである。

(-KOBAMETALさんが思うメタルとアイドルの微妙な立ち加減というか…そのバランス感覚っていうのかなり気にしていたりしますか?絶妙なバランスで跨いでいたりしますよね)
それはあるかもしれないですね。どっちかに寄り過ぎてもダメだろうし。メタル方向に寄った場合はそっちはそっちでたくさんいるし。アイドルはアイドルでそれこそたくさんどころのレベルではないくらいいる。そこを狙ってもしょうがないなと思っていて。BABYMETALはオンリーワンってことをテーマにしているんですよ。BABYMETALだけしかできないことをやろうってメンバーとも話していて。そこはつねに考えているかもしれないですね。


さんざん目に・耳にした言葉で、今さら取り上げるまでもない言葉かもしれないが、しかし、よくよく考えて見れば、こんなことを本気で実現しつづけようとするのは、とんでもなく「壮絶な」ことだ。

BABYMETALにしかできないことって、何だ?

例えば、全くヘヴィメタル界になかった声質をもった日本人の少女による日本語の歌唱で、海外のメタルヘッズたちを魅了すること。
例えば、美少女3人がヘヴィメタルを、高速の時にはコミカルな動きの舞踊によって「演」奏すること。
例えば、ヘヴィメタルの楽曲にカワイイ「合いの手」を入れ、観客の熱狂を煽ること。

いやいや、本当に、こうやって文字にしてみると、ほとんど狂気の沙汰、である。
そして、BABYMETALは、その狂気の沙汰を、ストイックに実行し続けている、のだ。

だから、BABYMETALについて本当に語るべきこととは、(「ヒット商品」としての企画の秘密・売れた構造の分析、「一般解」「方程式」の提示などではなく)、目指すべき高い高いヴィジョンを極めて明確に保ち続けながら、それを実現できる能力を持っているであろう才能のある面子(プレイヤー、スタッフ)をきちんと集め、みんなで知恵を出し合いながら丹念に練習・鍛錬を重ね、きちんと結果(観客の熱狂)を出し続けている、ということだ。(経済学はともかく、経営学ならば、このことに焦点をあてて語ることはできるはずだと思うのだが…)

ちなみに、あらためて『ヘドバン』第1号のこんな箇所にも目がとまった。

(-あの3人に対しては、最初からステージに立たせたら凄いとわかっていたわけではなくて、いざステージに立たせてみたらビックリって感じですか?)
そうですね。やっていくうちに本物のBABYMETALになっていったんだと思います。もちろん、みんな真面目だしこっちが出したことに真剣に返してくれるというか…。そこは最初から本気で取り組んでくれてたんですよね。だから楽しいし、楽しくも真剣というか。でもやっぱり…何でしょうね?ライヴを重ねたりとか…どんどんお客さんが増えてきたりとか…いろんなことが重なって本人たちにも自信がついてきたんでしょうし。もっと大きく見せていこうというか…最初は小さいステージでやってたのがZepp Tokyo くらいになると三倍くらいのステージの広さなんで…同じ振り付けでも今までのようにしていても多分小さく動きが見えちゃうんですよ。なるべく大きく見せようって本人たちは意識的なのか無意識なのかやってるので、かなり一人一人の存在は大きく見えてる感じはしますよね。


本物のBABYMETALになっていった、というのは、実に味わい深いコメントだと思う。実際にそうだ。幸いなことに、僕たちは映像盤等を追ってその過程を味わうことができる。ここで書いたYUI・MOAの「バトル」史なんてまさにその典型だろう。

楽曲においても、
デビュー曲の「ド・キ・ド・キ☆モーニング」は似たようなことのできる(アイドル)ユニットはいるだろうが、最近作の「RoR」や”新たな調べ”はアイドル側からもメタル側からも真似などできない(もちろん舞踊という「演」奏も含めて、である)高みに達している。

アイドルとメタルの融合、という方程式による「ヒット商品」としての分析ではなく、
アイドルとメタルの融合でありながらアイドルでもメタルでもないオンリーワンのBABYMETALへとどんどん先鋭化し続けている、その比類ない唯一性・高みの検証。

BABYMETALの「成功」を語りうるのは、そうした言説であるはずなのだ。










コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする