ケルベロスの基地

三本脚で立つ~思考の経路

BABYMETAL探究(『METAL RESISTANCE』フラゲ「当日」寸感)

2016-03-30 01:52:13 | babymetal
(多少ネタバレを含みます。『METAL RESISTANCE』未聴の方はご注意ください。)

明日も仕事なので、夜中にこんなことを書いている場合ではないのだが、BABYMETALのニューアルバムを入手した日、というのは、これからの人生でもう何度もあるとも思えないので、簡単に「記録」しておきたい。(もう日付は替わっているが、3月29日の話として、以下記す)

タワーレコードに予約した盤の発送メールは昨日来ていたが、出勤で家を出るまでには届なかったので、当初の目論見通り、(フラゲのために)職場近くで店頭受取予約していたタワーレコードに向かう(というか、本来「出勤」のための出発なのだが)。

午後からの仕事だったので、11時過ぎに電車を降り、駅近くのビル内のタワレコの階へ入る。
大々的にBABYMETALコーナーはあるが、旧譜のみで肝心の新譜を置くべきスペースはぽっかり空いている。「あれ…?」と思いながら、カウンターで「あの…BABYMETALの新譜は?」と問うと、「ごめんなさい、まだ商品が到着していないんです」との返事。

まあ、まだフラゲ日だし、夕方には来てるだろうし、と気を取り直し、少し早めの昼ご飯を食べに、先日のラーメン屋へ。
『ヘドバン』10号のKOBAMETALのインタビューを読みながら(何度目だ?)ラーメンをすする(阿呆である)。
食べ終わり、まだ仕事始まりまでは少し時間があるので「念のため」と、再度タワレコのあるビルへと向かう。夕方にはまた移動があるのでそのときには受け取れるし、と、昨日までは思っていたのだが、もう気持ちは、1分でも早く手に入れたい!聴きたい!モードになってしまっていたのだ。

と、その時!
6階のタワレコへと向かうエスカレーターで、『METAL RESISTANCE』の紙袋(タワレコの29日・30日店頭特典)をさげた、男子高校生らしき人とすれ違った!

『METAL RESISTANCE』が本当に買えるのだ!

勢い込んで店に入ると、さっきまで空だったスペースに、ずらりと『METAL RESISTANCE』が並んでいる!

早速カウンターで予約の引き取りをし、当然のようにクジは外し、特典のファイルとともに、『METAL RESISTANCE』の紙袋に入れてもらい、ウキウキとレジを離れる。隣のカウンターでも同じように『METAL RESISTANCE』を購入されていた。

で、まだ仕事までほんの少し時間があったので、Wi-Fiのつながるところに座り、パソコンに『METAL RESISTANCE』をインポート、すぐにウォークマンへインポート。

職場へと歩きながら、「何か一曲聴きたいな」と思い、(一曲目から聴かないのは邪道だけど、「Road of Resistance」→「KARATE」→…の順に聴く時間の・心の余裕はない。)5曲目の「Amoreー蒼星ー」を選びボタンを押す。

すっ、と息を呑む音の後、SU-METALの声が伸びやかにアカペラで歌い始める。
そして…
激速メロスピが疾走しはじめる!

わーん。

「これは駄目だ…」と必死にこらえながら、ほとんどしゃくりあげる寸前の状態で、顔に力を入れて職場まで歩き続けた

これはもう、神曲、だ。
たった数十秒で、降参、であった。

もちろん、ベース・ソロはもろ「Eagle Fly Free」なのだが、それも含めて”ハロウィンの1曲目”然とした(例えば「Just A Little Sign」とか)劇的な疾走感。

ブリッジの「も~しも君を…」のところ、SU-METALの声による何とも心地よい織り合わせは、まるで遊佐未森を聴く心地よさだ(個人の感想です)。

それでいて、「二十四時間走り続ける」とか、とりわけ「愛よ地球を救え」という歌詞にはニヤリとさせられるくすぐりがあり(「イジメ、ダメ、ゼッタイ」と同趣)、そこに、最後の最後で「紅月」への言及があるところなど、鳥肌ものである。

しかし、何よりも、SU-METALの歌う「文語」の美しさよ!

さくら学院の(「SUN!」だったか)で、中元すず香が百人一首の一首を即興で歌った映像のことを想起してしまった。彼女の「ひとの心を揺さぶる」歌(声)の天才ぶりを露わにする映像だったが、あの感動をそのまま激走美メロ・スピードメタル(ジャーマン・メタル)へと化した、そんな曲である。

事前の情報から、「紅月」とのかぶりをほんの少し懸念していたのだが、全くの杞憂だった。
メジャー調を主調としながらのこの「ほろ悲しさ」は、ある意味「My Graduation Toss」のメロスピ版という趣も感じさせる。

いずれにせよ、SU-METALだから可能神曲である。

いやあ、続きを聴きたくて聴きたくて、その後はじまった仕事をしながら「仕事よ、早く終われ、早く終われ」と願ってしまいました。申し訳ない。こんなことは初めて(久しぶり?)です。

まだ4回ほどしか通して聴けていません。家で、よりよい機器で聴くと、また迫力・厚み・音像空間のすみずみにまでしみわたる気品が確認でき、格別です。

もう、さすがに寝なければならないので、続きはまたじっくり少しずつ書きます。

「META!メタ太郎」が、YUIMETALのソロで(歌パートが)はじまったぜ!という驚きと感激。
「Tales of Destinies」(だんだん慣れて来ましたが、それなりにプログレも聴いてきたこの耳にも、何が起こっているのかさっぱりわかりませんでした。仰天・驚愕・唖然、それでいてキャッチーという、謎のキラーチューン)の後のタメとその後の「THE ONE」の大団円感恰幅の大きさ

単に素晴らしいというのではなく、僕たち熱狂的なBABYMETALファンにも「何じゃこりゃ!」という驚きを与える。
これが、BABYMETALの大きさなのでしょう。
それを痛感させる、何とも凄いアルバムです。

では、また。



BABYMETAL探究(『METAL RESISTANCE』フラゲ前日寸感)

2016-03-28 18:43:08 | babymetal
さあ、いよいよ明日、ニューアルバムのフラゲ日である。

もちろん、ワクワクはしているのだが、この不思議に落ち着き払った気持ちは何なのだろう?

素晴らしいものに違いないことがもう間違いない
おそらく、そうした安心感・絶対的な信頼、なのだろう。

前日にこんな気持ちになるなんて予想もしていなかった。
多少の不安感も混じった、ワクワクドキドキを感じるだろうな、と思っていたのだ。

こんな気持ちになったのは、近日に襲われた”春のBABYMETALの怒濤”の所為だ。

仕事がまた忙しくなって、まだあまり堪能しきれていないのだが、

① WOWOWでの横アリライヴ放映
② 「The ONE」の公式MVの公開(スタジオ音源の降臨)
③ 『ヘドバン』10号

これらを通じて、今、上記のような静かな心持ちで、明日のアルバム入手を待っているのだ。

③については、今ここに書くのはネタバレ・興を削ぐことになるので、書かないが、やはり涙腺崩壊だった。昨日の午前中に、タワレコへ行って、まだ店頭には並べられていなかったので、スタッフの方に訪ねて、倉庫から1冊出していただいた。(お手数をおかけしました。ありがとうございます。)
それを手に、昼を食べようとラーメン店に入ったのだが、はじめのYUI・MOAのところを読み始めると、もう「やばい…」状態になり、慌てて、KOBAMETALのインタビューまでめくって、読みながら(鳥肌多多)、ラーメンを食べて午後の仕事に向かったのだった。
仕事終わりに電車の中で、YUI・MOAのインタビュー、そして、SU-のインタビューのある言葉に、涙腺決壊したのだが、隣に人がいなかったので、事無きを得た(またそのうち詳しくは書きます)。

①、たいへん素晴らしかった。これもまだ、通して2回しか見ていないのだが、ベース・ドラムスの音がゴリゴリと聴くことができ、SU-METALの圧倒的な歌声もあり、まさに「最新が最高」だということをありありと感じた。
この放送も、娘と一緒に見ていたのだが、オープニングから二人ともじっと画面を見つめるだけであった。ライヴ会場ではこんなにアップで表情を見られなかったから、どの映像も新鮮な美しさに満ちていて、ありがたく堪能させてもらった。黒と赤がこれまで以上に映える、美しくド迫力のステージに圧倒されていたのだが、娘が「うわ。」とはじめて声をあげたのが、神バンドソロだった
凄まじい。
僕も小神様のソロから「うわ。」と嘆声をあげていた。これも、過去最高のソロ回し、だったのではないか。
(ほんとに、BABYMETALのライヴって、記憶が飛んでますよね。それが改めて確認できました。恥ずかしながら、SU-METALの銅鑼叩きも、覚えてませんでした。娘に「あれ?銅鑼叩いたっけ?」って訊いたら、「叩いたやん」と笑われましたが)

で、翌朝、②があったことを知る。
このスタジオ音源、とてつもなく感動的なサウンドだ。SU-METALの声の響きもそうなんだけれど、なぜかこの曲全体が懐かしい響きに満ちている、と感じてしまうのだ。
とりわけ、「Tell me why.終わりがあるなら、Tell me why.教えてほしい」の後の、ギターソロの始まり。ここで、なぜか、泣けてくるのだ。
例えば(あくまで一例だが)松田聖子の「チェリー・ブロッサム」を思い起こさせるような、そんな、青春時代の甘さ・懐かしさを纏った、何ともいえないポップなメロディーラインのソロだ。(その前の歌詞との響き合いもあるのだろう)。

これで決まり、であった。

すでに音源をダウンロードして毎日リピートしている、「Road of Resistance」「KARATE」。
正規の音源はまだだが、ライヴでも体験した「あわだまフィーバー」「YAVA!」。
それらで始まる『METAL RESISTANCE』の、ラストの「The One」が、こんなに素晴らしい(爽やかな、音楽的に豊かな、で、なぜか懐かしい甘酸っぱさに満ちた)音像世界である、なんて。

これは(僕にとって)大名盤であることはもう確定である。

なおかつ、『ヘドバン』等によれば、その前の「Tales of The Destinies」が、以前勝手に期待・想像した激走メロスピではなく、それどころか、その予想を遙かに超える、神バンドでさえ演奏が難しそうなプログレ・メタル(そんな予想なんて事前にできるはずはない!)だそうで、他の楽曲も、とんでもない多様なメタルのてんこ盛り、だそうだ。どれもこれも、楽しすぎる、という印象。

何かもう凄すぎて、きょとんとしてしまう
僕は、今、そんな心理状態なのかもしれない。

みなさん、さあ、明日です。
堪能しましょう!泣きましょう!



BABYMETAL探究(J-POPの”進化”の果てに…)その5~まとめ

2016-03-25 01:03:12 | babymetal
BABYMETALを”J-POPの進化史”のうえにおいてみると、決して単なる「孤高の存在」なのではなく、BABYMETALは、J-POPのさまざまな先達の知恵と工夫の積み重ねの果てに生まれた「J-POPの進化の最新形態」なのだ、ということが見えてくる。

『亀田音楽専門学校』シーズン3、全4回を契機・参考・刺激にしながらそんなふうにBABYMETALを考えるこのシリーズの、今回は、第2話第3話について、である(第4話はシリーズの初回に検討したので)。
前回分の記事を消してしまったのでその概要の再掲も含め、今回がまとめの回になる。

① 1988~1993年 「J-POP誕生の時代」
② 1994~1999年 「J-POP大躍進の時代~インパクト合戦の時代」(☚ これ と)
③ 2000~2005年 「J-POP文明開化の時代」(☚ これ)
④ 2006~現在    「J-POPの現在 そして未来」

まず、② 1994~1999年 「J-POP大躍進の時代~インパクト合戦の時代」について。
(ここからしばらくは、消してしまった前回分の概要です。既読の方は飛ばしてください…ごめんなさい。)

この時代のJ-POPの特徴を番組に即して概説するならば、CDが空前の売れ行きをみせるなか(1998年は、史上最高、年間4億5千万枚)、アーティスト側がそれに埋もれないよう、いかに「パッと聞き」のインパクトを聴き手に与えるか、それを追求した時代、ということになる。

そこでのポイントは、大きく2つ。
②a ハイトーンヴォイスのインパクト
②b 転調~てんこ盛り!

②aについて、いちばん「なるほど!」と思ったのが、ハイトーンヴォイスの魅力・効果とは、単に高い声を出す、ということではない、ということだ。
(裏声ではなく)地声でハイトーンを歌うことで、「ひたむき感」「一生懸命さ」を聴き手に感じさせることになる。
アーティスト側にとっては、思いやエネルギーの爆発、であり、そうした”地声のハイトーンヴォイス”によって、楽曲がパワーの象徴と化す。
それこそが、この時代のJ-POPにおける”ハイトーンヴォイスのインパクト”の意味だった、と亀田誠治は指摘する。

②bについて、それまでももちろん「転調」の見られる楽曲はあったのだが、この時代には、まったく突然の思いがけない転調によるインパクト”が実現されたのだという。その「主犯」は、小室哲哉であり、この”小室転調”と名づけられた”まったく突然の思いがけない転調”は、今やJ-POPの常套手法としてすっかり定着したのだ、という。
小室哲哉じしんが、自らの楽曲の造り方を驚き→感動→思い出という公式で語っていたのが印象的だった。

これって、どちらも、まさにBABYMETALだ!と(例によって)感じたのである。

②aは、SU-METALの歌唱の魅力の本質を言い当てているように感じる。「上手い!」と舌を巻くというよりも、「いいなあ(ジーン)」と聴き手の魂にしみいる、あの歌声(デスヴォイスならぬ、ヘヴンヴォイスとでも呼ぶべきか)には、確かに「ひたむき感」「一生懸命さ」が強く感じられるのだ。
例えば、ロブ・ハルフォードの超絶的なハイトーンヴォイスに、この、「ひたむき感」「一生懸命さ」を感じるということはない。SU-METALのハイトーンヴォイスとは、まさにJ-POPの「ひたむき」「一生懸命」なハイトーンヴォイスの精華・精髄なのだ、とも言えるのだろう。

BABYMETALの数々の楽曲は、②b「転調」だけではなく、あまりにも唐突な展開(転回)のてんこもり、パッチワーク的な構造になっている。②bのさらなる進化形、とでも言おうか。
それにしても、「驚き→感動→思い出」とは、まさにBABYMETALに遭遇し、いずれBABYMETAL中心(と言っても言い過ぎでもない)の生活を送るようになる、僕たちのBABYMETALに対する心理的態度を的確にあらわす文言にもなっていて、驚きである
前回触れた秋元康も、今回の小室哲哉も、何とはなしに僕は「仮想敵」のように心の中で扱ってきたのだが、彼らが為してきた知恵・工夫・哲学の流れの果てに、わがBABYMETALもあるのだということを再確認したのだった。

(以上が、消してしまった前回分の概要でした)

続いて、③ 2000~2005年 「J-POP文明開化の時代」について。

この時代は、前時代と対比するならば、大量の売り上げ・ヒット・インパクトを追求する時代が一段落し、落ち着いて楽曲・演奏の「質」を追求する時代になった、そんな時代だ。
R&B、ヒップホップ、青春パンク、レゲエ、ミクスチャーなどなど、新しいアーティストが次から次へと登場し、今までにない多彩な才能がJ-POP界に花開いた時代
「大ヒット曲」という縛りが解けて、アーティストが様々な自由な試みをするようになった時代。
まさに「文明開化の時代」だと番組では称される。

そこには、日本でも、音楽フェスが定着し、フェスのライヴでのノリ、その価値・意味が認識されるようになった、という事情も大きく影響している。
多くの種類のアーティストをいっぺんに楽しむことができる「楽園」が、日本にも普及したのだ、と。
また、i-pod等の普及で、(カセットテープやCDをとっかえひっかえしていた時代に比べ)音楽の聴き方もいっそう自由に多様になった、という意味でも「楽園」の時代である、と。

この時代のJ-POPの、大きな特徴は、3つ。
③a リズムの楽園
③b サンプリング
③c 生音の楽園


③aは、先に述べたようなさまざまな種類の音楽がJ-POPと融合し、”さまざまなリズムを身体で感じて楽しむ”ことが楽曲のそして歌唱・演奏の、大切な要素になった、ということだ。
番組内では、R&Bのリズム、パンクのリズム、レゲエのリズム、を各楽曲から抽出して紹介していたが、この時代のJ-POPの”進化”とは、単に「~風リズム」をオシャレな意匠として散りばめるようになったというのではなく、日本人の聴取者がそうしたリズムを本格的に・生身の身体で、楽しむようになった(楽しめるようになった)、ということだ。
典型的に言えば、「裏ノリ」を楽しめるような身体を日本人が所有するようになったのだ、と。

亀田誠治校長:談
J-POPって、なんだかんだ言って、何か、ずーっとメロディ重視、メロディ優先だった気がするわけ。
でも、この時代になって、リズムだけでも、ワビ・サビだったり、サンバの持つ陽気感だったり、いろんな表現・いろんな表情をリズムだけで出せるようになったわけ。
メロディ主義からリズム主義へ、ていうか。この時代に大きな変革があって、まさに「リズムの楽園」が花開いた気がする。

これ、”ダンスメタルユニットBABYMETAL”の核心、と言ってもよい大切なポイントだ。
もちろん、ヘヴィメタル(といっても様々なサブジャンルがあるけれど)が基調になっているのだが、そこにさまざまな”リズム”がパッチワークされていて、まさに”リズムを身体で感じる”こと(とりわけライヴ会場で)が、BABYMETALの楽曲を楽しむ、ということの中核にある

ここまでの内容で、改めて(初めて)気がついたことがある。

YUI・MOAの舞踊・スクリームとは、まさにそうした”リズムを感じる楽しさ”を観客に感じさせるために視覚化・前景化・鮮明化した「楽器」の働きを(も)果たしている
のだ。

例えば、「イジメ、ダメ、ゼッタイ」。
この曲におけるYUI・MOAのスクリーム・合いの手は、歌詞の面では、「チャチャ入れ」、「生真面目なメッセージを相対化・輻輳化する”メタ”な次元」として(も)機能しているのだが、
リズムという観点から分析してみると、僕たちがYUI・MOAに合わせて「持って~」「負けないで~」「見つけちゃいや~」「イエスタデーイ」「バイバイ!」「ダメ!」と合いの手を入れるとき僕たちは必然的に「裏ノリ」を(とは限定できないかもしれないが、歌メロとは異なる”リズム”の刻みを自らの身体と声で体現することになっている、ということだ。

(「イジメ、ダメ、ゼッタイ」においては)ある意味、オールドスタイル・オーソドックスなとも言えるSU-METALの歌唱に、”進化”したJ-POP的エッセンス「リズムの楽園」を、YUI・MOAは、そして2人に導かれて僕たちは、ふりまぶしている、ということなのだ。

SU-・YUI・MOA、の、単なる「3人」というだけではない、極めて確固・鮮明な二等辺三角形の「この3人」の関係性が、こうした面でも複雑な有機的な機能を果たし、BABYMETALの楽曲を・「演」奏を唯一無二のものにしている。
改めて、BABYMETALを考え出した人って天才だろ、と言いたくなる。

しかし、少なくとも、2000年以前には、BABYMETALは生まれ得なかった、ということがよくわかった。やはり、”J-POPの進化”がBABYMETALを生み出した、のでもあるのだ。

③bは、ラップからの由来で、ゲストのリップスライムのメンバーによれば、
サビの部分だけを繰り返す、その楽しさ」じゃないのかな
ということだ。
アナウンサーに「何のために?」と質問され、一同、苦笑していたが、もちろん、それが「楽しい」「気持ちいい」から、だ。
曲の作り方が自由になった、作り手にとっての「楽園」、だと称されていたが、BABYMETALの場合、いわゆるラップ的なサンプリングもあちこちに挿入されているけれども、本質的には、やはり、
YUI・MOAのスクリームこそが、この”サンプリング”の機能をも果たしている、ということを、僕は思った(あくまでも偏った私見なので、この見解が「正しい」などと”主張”するつもりはない)。

繰り返しは省くが、例えば、やはり「イジメ、ダメ、ゼッタイ」のYUI・MOAの合いの手。

「ダメ、ダメ。ダメ・ダメ・ダメ・ダメ」は、まさに、「サビの部分だけを繰り返す、その楽しさ」だし、「KARATE」の「セッセ、セッセッセ、セイヤ!」も、「ウォオ~ウォオ~オオ~」も、言ってみればそういう機能を果たすパーツであろう。
何のために?もちろん、それが「楽しい」「気持ちいい」からだ。
ここでも、SU-METALと、YUIMETAL・MOAMETALとの、二等辺三角形が…(以下同趣旨、省略)。

J-POPの”進化”によって生まれてきた「リズムの楽園」「サンプリング(の楽しさ)」少女の(舞踊と)声で体現する、という、何とも可憐で大胆不敵なYUI・MOAの”スクリーム&ダンス”

こうして考えると、YUIMETAL・MOAMETALこそが、(初見の方の多くが感じるような「邪魔」なものなどでは全くなく)BABYMETALを最新・最先端にしている「要」であることがよくわかる。(YUI・MOAがBABYMETALの「本体」である)

もちろん、それは、SU-METALの歌と神バンドの演奏、という最高級の本格的「安心」「信頼」があってのことだが。(SU-METALと神バンドがBABYMETALの「魂」である)


③c 生音の楽園。
この「生音」とは、番組内では、アコースティックな楽器の生音や、ストリングスについての指摘であった。それは現段階ではBABYMETALにはそのまま当てはまらないだろう(『METAL RESISTANCE』はどうだろうか?)が、しかし、少し角度を変えれば、これもまた、まさにBABYMETALの魅力の本質の謂、だと言ってもよいのかもしれない。

あらゆる人が口を揃えて言う、「BABYMETALはライヴが凄い!」(実際に、そうだ!)。
そこにあるのは、ギミック的仕掛けやプロデュース等の演出を超えた、音盤や映像盤さえも遙かに凌駕した、「生」の凄さこそ、BABYMETALの凄さだ、ということだ。

その核のひとつは、(またまたまた)YUIMETAL・MOAMETALの「生」声の躍動するスクリーム
さらに、神バンドによる「生」演奏の驚愕。
そして言うまでもなく、SU-METALのとんでもない「生」歌による感動

そして、3人の美(少)女が実際にステージに立ち、信じられない精度の精緻な(いっさいごまかしのきかない)「生」な舞踊を繰り広げ続ける、メタルダンスユニットであるという、BABYMETALの本質

番組では、亀田誠治校長が次のように述べていた。

90年代って、作り手も聴き手も、曲にインパクトを求めて、刺激的な曲、テクニック満載のそんなサウンドが多かったんだけれども、2000年代に入ると、人肌の体温を感じるような、そんなアコースティックな生音志向に変わっていった気がするんです。

これは、J-POPだけの特徴でもないのかもしれないが、少なくともJ-POPにおいて、徹底的にプロデュースされ、作り込まれるようになり完成度があがった楽曲・演奏だからこそ、そのインターフェイスとして「生」の”人肌の体温”がひときわ大切になった、というこの”進化”の道筋の、やはり最先端に、BABYMETALはある、と僕は思う。
(例えば、MOAMETALの微笑み、って、生楽器やストリングスによるカウンターラインの機能を果たしている、と言ってもいいんじゃないか、と思うのだ。)

番組の総括、として、亀田誠治校長はこう語る。

この時代は、J-POPが豊かになった時代だと思います。
音楽の根元、根っこにある、リズムだったり、ナマの音だったり、ナマの声だったり、そういったものが求められるようになった。
まさに人を芯から揺さぶる音楽、そういった音楽がいろんな形で咲き乱れた、本当に、J-POPが成熟して、楽園になった時代だ、と思います。


(しつこいが)これって、まさにBABYMETALだ!
と、ここでも僕は言いたくなる。

J-POPの進化によって現出した「楽園」。
その「楽園」に芽吹き、茎を伸ばし、とんでもない大輪の花を咲かせたのが、BABYMETALだったのではないか、と。

それにしても、これほど凝りに凝った楽曲、素人の僕などには(この番組に出逢わなかった)気づかないような、”最先端”の徹底的なこだわり、それを統括し、練りに練って(ある意味慎重すぎるからこそ大胆であるとも言える逆説的な)発表を続けているKOBAMETALと、
そうした(オーバー?)プロデュースに呑み込まれても「素材」としての凜とした初々しさを保ち続けている、SU-METAL・YUIMETAL・MOAMETAL(中元すず香・水野由結・菊地最愛、と言うべきか)との出逢い、
というのは、本当に「奇跡」としか言いようがない。

今回の考察でも、「この3人だからBABYMETAL」という絶対性が、より強く露わになった、と僕は思っている。

さあ、FOXDAYまで、あと600000秒余りだ!(公式HPによる数字です。…ぴんと来ないけど)














BABYMETAL探究(「KARATE」MV偶感)

2016-03-22 01:01:43 | babymetal
ニューアルバム降臨まで、いよいよあと1週間!
ついにここまで来た。(ですよね?皆さん!)

その前に、「KARATE」のMVをめぐる喧噪、これって、物凄いことが起こっているのだろうか?そうなのだろう、おそらく。
再生回数の上昇ぶりとかについては疎いのでその凄さ(凄いのか?)はよくわからないのだが、YOUTUBEのコメント欄を眺めると、「横のふたり要らない…」とか「何このダサい歌詞www」とか「笑っちゃう、何でこんなのが世界で人気なの?」とか「こんなのはメタルじゃない!」等のディスるコメントが散見される。BABYMETALをディスるのに典型的な、なんとも初々しいコメントだ。
ということは、このMVによってここ数日のうちにBABYMETALに初遭遇した方々が数多くいるということだ。
このMVの「威力」は強烈にあった、ということになる。

僕たちファンの感覚からすれば、とんでもなく遅すぎるMV公開だが、この大喧噪の最中に、
WOWOW4時間半連続放映→ニューアルバムリリース→WEMBLEYアリーナ公演→NHKライヴと、(この列挙の仕方は、玉石混淆に過ぎるだろうか?)大爆発が続くのだから、何ともまあ絶妙のタイミングでのMV公開、なのだろう。
さすが、である。

にしても、今回のMVには、BABYMETALの「素材」としての無敵ぶりを改めて痛感させられた。

ディスるコメントにも見られるように、確かに、ダサいといえばダサい、のである。
これは、ベビメタ黒Tシャツにも通じる、BABYMETALのヘヴィメタル属性の現われのひとつ、だろう。
この、ある意味でダサいかっこよさこそが、ヘヴィメタルのかっこよさなのだ。

ところが、そうしたダサいかっこよさの上に乗って、SU-METAL、YUIMETAL、MOAMETALの表情や動きのキレや歌声は、気品を保った美しさ・可憐さを損なうことなく放射し続ける(もちろん楽曲の質の高さ、演奏・サウンドの透明感を帯びた重厚さが、そうした気品を高めていることは間違いない)。

例えば、闘いの前の静かに力を溜め、心を研ぎ澄ませる姿勢の美しさ。

「セイヤ、セッセッセセイヤ」での、MOA・YUIの天真爛漫な笑顔(「イジメ、ダメ、ゼッタイ」のYUI・MOAの役割を彷彿させる)。

音楽と有機的に一体化しているため、あまり意識の前景には出てこないのだが、3人の一つ一つの身のこなし。個人的にはとりわけ、くるっとYUI・MOAが回転するところの素早さには、さんざんBABYMETALの映像を見慣れたこの目であっても、「えっ、いま、どんな動きしたの?」と唖然とさせられる。

倒された3人が立ち上がり、SU-METALがYUIMETALの肩に手を置き、MOAMETALがそれに寄り添う、その姿絵の神々しさ!(そういう動きをするとわかってても、この、3人の集合図には、どうしても目頭を熱くしてしまう)。

そして、3人のキャラクターを生かした、ファンならにやりとしてしまう「神技」の披露。
ここでは”愛の天使””微笑の天使”MOAMETALが、まさにその面目躍如、いちばん美味しいところをかっさらっていった感があるが、”舞踊の天使”YUIMETALの、バットを前にして「ハーッ」と精神統一をする時の表情や、バットを粉々にしてからの身体の回転、その後の「押忍!」と気合いを入れる表情も、ただただ見惚れてしまう。
SU-METALの技の後の特殊効果(地が割れ、宙空に波動がひろがる)も、納得してしまうリアリティがある。
実際、ライヴでのSU-METALは、このような「化け物」なのだし。

そして、仮面が割れて出てきた白い3人の、それぞれの「目」。これだけで、完璧な美しさ、だもの。これは、他の誰も敵わない・・・。

最後の最後、キツネサインを胸に畳み、下手に顔を向け目を伏せた、3人の揃った立ち姿も、ただただ美しい。

で、こうした「素材」としての3人の美しさそのものが、この「KARATE」という楽曲の世界観(心研ぎ澄まして)・音楽的な実質(重厚な透明感)を表現する、いわば「演」奏の素材となっているのだ。
こうしたBABYMETALならではのパフォーマンス構造こそが、メンバー自身が語る、「オンリーワンのジャンル」「この3人だからBABYMETAL」の内実なのだ。

そうそう、『ミュージック・マガジン』はもう皆さんお読みになっただろう。
たいへん、よい記事だったと思う。
さすが音楽雑誌、BABYMETALを純粋に「音楽」として批評するならば例えばこうなるのか、と納得できる記事が多かった。

そのなかでも、3人への質問とその答えに、上記の「素材」の素晴らしさを痛感させられた。
購入後、電車の中で読み始めたのだが、そこで(例によって)涙が滲んできて困った。
(これでこれだったら、来たる『ヘドバン』では、もう涙腺大決壊になってしまうだろうなあ…)

具体的に、ジンときた3人の答えを1つだけずつ挙げると、

① SU-METAL
(海外ツアーを経験したことで、大きく変わったことは?)
海外に行くようになり、慣れない場所で英語を話さないといけなかったり、予想もしないアクシデントを経験して、それに動じない心、対応力を学び、積極的になったと思います。

② YUIMETAL
(BABYMETALを始めたころに比べて、いちばん自分が成長したな、と思うところは?)
逆にどこが成長していると思いますか?私はこれからも、もっと努力をし、初心の気持ちを忘れずにYUIMETALを進化させていけるように頑張りたいと思います。

③ MOAMETAL
(BABYMETALのなにが世界中の多くの人々に受け入れられていると思いますか。)
何か受け入れられているといいなと思います。受け入れてもらえない人もいると思いますが、私達は私達の音楽を届け続けたいと思います。そして、一人でも多くの方と、道なき道を進んで行きたいDEATH!


こう書き写しているだけで、また涙が滲んでくるのだが、この涙は何に対するものなのだろう?

僕の場合は、実の娘2人に挟まれる年齢にSU-・YUI・MOAがいることになるので、完全に「親」世代であり、まるで、成長した娘のしっかりとした発言を目に耳にしたときの感激、のようなものかもしれないが、それ以上に、「正直」「素直」「本音」がここにある、その貴重さ・愛おしさ、による涙なのだと思う。

いま、こうして、「世界的成功」などと賞賛されるようになってきたが、どう考えても、BABYMETALとは(その「レシピ」においては)「キワモノ」「ゲテモノ」のはずなのである。
中学生・小学生の時に、いわば「お仕事のひとつ」として「やらされて」始めたBABYMETAL
その「キワモノ」「ゲテモノ」であったはずのユニットを、彼女たちは、その類いまれな才能と想像を絶する努力とで、世界に通じる「本物」へと化しつつある
僕(たち)は、その結果(成果・精華)のみを享受し、例えばこんなところにこんな好き勝手なことを書いたりして楽しんでいるだけでよいのだが、こんな空前絶後・唯一無二のものを生み出す道程において、彼女たちに、苦労・努力、悩み・迷い、試行錯誤、不安、不審がなかったはずはない
例えば、学校とか仕事の場などで、いわば「キワモノ」「ゲテモノ」を揶揄するような罵詈雑言の類をかけられなかったはずはない。さすがに直接的にそんな言葉は投げかけられたりはしなかったかもしれないが、例えばインタビュアーの大人たちの表情やリアクションに、「あ、ネタね」「すごい設定だね」「ははは。ま、がんばって!」といった気配はいくらでも垣間見えただろう。
今でも、とりわけ彼女たちの同世代からは、そうした否定的な反応を多く受けることもあるだろう。(「すてきな歌うたってるんだね!」なんてとても言われにくい活動、であるはずだ)。
あるいは、例えば、ドラ・チョコの現場で物が投げ込まれたり、というような反応・気配を、これだけ聡明な彼女たちが感じていないはずはないのだ。

MOAMETALの③の答えは、まさにそうした現実(今後も、ずっと付きまとうだろう。オンリーワンのBABYMETALだからこそ味わわなければならないオンリーワンの毀・貶だ。)をしっかり受け止めたうえで、自分は自分にできることを、精一杯やるしかない、という覚悟だろう。…ジーン…。

YUIMETALの②の答えは、彼女らしい実にストイックな発言だが、単に優等生的な「(結構、人気も出てきたけど)まだまだです…(って私、良い子ですよね。ニヤニヤ)」というような形式的な謙遜では、まったくない。彼女のナマの本音として、「もっともっと成長しなければ!成長したい!」という切望があるのだろう。そして、そうした思いの基準となっているのが、例えばメタリカであり、スレイヤー(ケリー・キング)であり、ということなのだ。何という16歳なのだ…ジーン…。

SU-METALの①の答えは、反作用として「もしもSU-METALがBABYMETALに出会っていなかったら…」という思いに誘われる。文献等からの憶測でしかないが、”読書好きの、ひとりの時間が好きな、マイペースな女の子”であったのではないか。そんな女の子が、BABYMETALを通じて、例えば、ライヴ会場で、何万人もの熱狂する聴衆に向かって「かかってこいやー!」と熱くアジる、世界的なロック・クイーンになりつつあるのだ…ジーン…。

なんてことを、3人の答えから僕は感じ取り、ジンときたのだろう。たぶん。
(以前に、「素材」考でも触れたことだが、BABYMETALというこんな奇矯なユニットにおいて、3人が自分のナマな気持ちを凜と保ち続け、それを心を籠めたパフォーマンスの原動力としている、この「強さ」を3人ともが兼ね備えているということこそ、「奇跡の3人」のいちばんの核なのだろう)。

『ミュージック・マガジン』の「KARATE」評にも同様の指摘があったが、

心折られても、立ち向かってゆこうぜ!」
「ひたすら闘うんだ。立ち上がれなくなっても、走れ!」
という歌詞は、
心折られそうになって、立ち向かってゆくんだ!」
「ひたすら闘うんだ。立ち上がれなくなりそうになっても、走れ!」
とは、その意味合いが全く異なる。

この歌は、とんでもなく凄絶な覚悟・生き方、を歌っているのだ。

でも、実際に(ツアーの日程を見るだけでも)BABYMETALはそうした凄絶な覚悟と地道な努力の積み重ねによって、こんなにも楽しく・美しく・カッコイイパフォーマンスを僕たちに届け続けているのだ。

この楽曲を、ニューアルバムに先駆けての、いわば”勝負”のMVにしたのは(『イジメ、ダメ、ゼッタイ』や『Road of Resistance』同様)この楽曲がまさにBABYMETALの覚悟・努力・ありようそのものを表わしている、「正攻法」の体現だから、でもあるのだろう。

「楽器も演奏しない…、こんなのクソだぜ!」
   ↑
そう、私たちは楽器を持たないの(「空・手」)です。
でも、私たちには「素手」があります。
決してくじけない(「心折られても」「立ち上がれなくなっても」ひたすら闘う、立ち向かってゆく、走る)心と身体があります。
そして、何より、仲間(「この3人だからBABYMETAL」)があるのです。
私たちは、こうして闘い続けるのです。
心研ぎ澄まして。

そんな”宣戦布告の楽曲”、それが「KARATE」なのだ。

初期の楽曲のような、ワチャワチャした楽しさ、ではなく、まさにここまで活動を積み重ねてきた彼女たちだからこそできる(彼女たちにしかできない)シンプルで壮絶なメッセージソング、なのだ。

MVを繰り返し視聴しながら、そんなことを思っています。