さあ、いよいよ、レディング、リーズ!!!
仕事帰りに、この土・日のことを考えて、やはりドキドキしてました。
明日、明後日の日本時間の夜8時、遙か英国では、日本人女子高生3人が、レディング・リーズのメインステージに立ち、異国の数万人(?)の観客の前で懸命に歌い、踊っている!
そう思っただけで、鳥肌が立ち、涙腺が熱くなります。
皆さんも同じ思いでしょうが、こうしてBABYMETALと(ありえない)ドラマを共有できる、幸せですよね。
そんな思いを馳せながら、明日・明後日の夜8時からは、胸の中でWODをしつつ、過ごすつもりです。
さて、久しぶりに、『メタル・エヴォリューション』について。
(以下、論文調で)
「激速!スラッシュ・メタル」という、(笑える、しかし本質をついた)邦題の付された「メタル・レヴォリューション」第6回だが、この回も、BABYMETALの根幹について考えさせられる内容であった。
「この回も」と書いたが、ヘヴィメタルの進化史を追うこの番組についての考察も(ブログ開設当初の勢いに反して、チビチビとしか進んでいず、まだ6回目だが…)ようやく折り返し点に来たところなのだが、第1回から今回まで、どの回を観てもBABYMETALを考える上で決定的に重要な要素をいくつも確認することができた。
ということは、やはり、BABYMETALはヘヴィメタルの進化史の最先端にいる、ということなのだ。
単に、メタル風のアイドルとか、アイドルという飛び道具を巧みに取り入れたヘヴィメタル市場向けのあざとい商品とか、ではなく、ヘヴィ・メタルの進化の流れの果てに(奇跡的に)誕生した突然変異の個体なのだ。
そして、それは、決して幸せ一色に染まったものではない。BABYMETALがヘヴィメタルであるとは、BABYMETALはヘヴィメタルの光も影も、功も罪も負っている、ということなのだから。これもこの回を観てしみじみと感じたことである。
この第6回の冒頭に、サム・ダンのこんな語りが入る。
メタルのサブ・ジャンルの中でも最も速くアグレッシヴなスラッシュ。メタル・ファンにとっても音楽に聴こえないほどヘヴィだ。
何故これほど極端なスタイルが人気を得たのか?メタリカ、メガデス、スレイヤーといったメジャー・バンドを生み、どのようにしてそのポジションを保ってきたのか?
さて、この文言はBABYMETALにあてはまるだろうか?
もちろん、BABYMETALは、スラッシュ・メタル・バンド(ユニット)ではない。(あえて言えば、「BABYMETAL DEATH」1曲のみが、スラッシュメタルのエリア内にかろうじてある楽曲だ、と言ってもよい、だろうか?)
BABYMETALにいちばん欠けているスラッシュ的な要素(逆に言えば、BABYMETALの楽曲の中では相対的に「BABYMETAL DEATH」にのみほんのわずかかもしれないが見られる要素)とは、「邪悪さ」であろう。
サム・ダンも「スラッシュメタルは、それまでのどのスタイルよりも、過激で、戦争、苦しみ、そして大量殺人を歌にしてきた。」と語るとおり、スラッシュとは、ヘヴィメタルの持っている「邪悪さ」を極端に先鋭化し、歌詞として・サウンドとして・演奏として、具現化したものだ。
例えば、スレイヤーのケリー・キングはこう語る。
「いつもは俺ほどお気楽な奴はいないけど、一度渋滞にハマろうものならまるで死刑囚さ。その怒りをスレイヤーの歌詞に反映させてるんだよ。変な風にね。」
(全くの余談だが、このケリー・キングに対しての「髪の力を使ってないヘドバンがかっこいい!」という、YUIMETALの表現力には、驚嘆した。自らの体感からチャーミングな言辞を紡ぎ出す、極めて優れた詩人の才能、を感じた。トマトくん、と振られてのとっさの「トマトくん語り」にも露呈していたが、舞踊に匹敵する、ことばの才能、も持っている。天才、なのだ。改めて。)
こうした「怒り」の発散、といったものは、BABYMETALとは異質なもの、いちばん遠いもの、と言ってよいはずだ。
この部分は(異論もありえようが)、サム・ダンが言うように、スラッシュメタルの「パンクの魂、エネルギー」と共通する精神的姿勢だろう。
「パンクはフラストレーションから生まれた。世界がどこに行くのかわからない不安と不信から生まれた。」
スラッシュメタルを生む発露となったこうした精神的態度を、パンク(的)と呼ぶのは不当ではあるまい。実際に、番組内で、何組ものスラッシュ・バンドが、自分たちの姿勢が、パンクの精神を曳いていることをはっきり述べているのだし。
スラッシュメタルは、しかし、また、パンクではない。
何が違うのか?
アレックス・スコルニック(テスタメントのギタリスト)は、こう語る。
(パンクが好きだったんなら、何故パンクをやらずに、スラッシュ・メタルのギタリストになったの?)
「俺にとっては音楽性が凄く大事だった。パンクにはいいギタリストがいなかった。いい曲はあったけど、いいミュージシャンはパンクにはいなかった。ミュージシャンとしては物足りなかった。スラッシュだと、パンクの姿勢に、自分の音楽家としての才能を足して表現できると感じたんだ。」
さらに、パンク以外にスラッシュ・メタルに影響を与えたもう一つのもの、それは、N.W.O.B.H.M.、だ(と番組では語られる)。その内実とは何か?
ラーズ・ウルリッヒは語る。
「アイアン・メイデンやジューダス・プリーストなど、何人かのメタル野郎がパンクのエネルギーとスピリットにヘヴィで入り組んだリフを加えた。」
ここに、BABYMETALの重要な本質のひとつをくっきりと見ることができる。
パンクとの違いであり、また、N.W.O.B.H.M.から継承したもの、とは、「高い音楽性」「複雑な楽曲構成」「卓越した演奏テクニック」だ。
超絶テクニックこそは、パンクとスラッシュの分水嶺であり、神バンドの各々の手足から高速の超絶テクニックが繰り出されるBABYMETALのステージは、(表面的にはそれがスラッシュの楽曲ではないにせよ)スラッシュの血の生動を観客である僕たちに体感させている、のだ。
つまり、BABYMETALがヘヴィメタルの進化史の最先端にいる、本物のヘヴィ・メタル(ユニット)だ、と、僕たちメタルヘッズに感じさせるのは、何と言ってもまず、その圧倒的な演奏の、正確さ・激しさ・キレ、だ。
神バンドの演奏ほど露骨ではないが、YUIMETAL・MOAMETALの、(表情も含めた)舞踊も、そうした圧倒的な、高速・正確・過激な「演」奏である。僕たちがそこに観るのはパンクの放埒さではなく、スラッシュの過激さ・精緻さだ。(ここはこのブログの前回の<アイドルダンス>で考えた、BABYMETALの、他のアイドルユニットとの際立った差異、でもある)。
エクソダスのギタリスト、ゲイリー・ホルトの、こんな興味深い発言もあった。
(どうしてそれらの影響で新しい何かを作ろうと思ったのかな?)
「新しいことをやっていたなんて思わなかった。アイアン・メイデンやジューダス・プリーストといった偉大な先人達に続けとばかりに、彼らの代表作を真似て、人殺しについて歌って、ちょっと歪んだベイエリア・バージョンをやっていただけさ。」
『メタル・エヴォリューション』を通して見ていると、時代だけでなく地域性が、メタルのサブ・ジャンルを生む際に(メタルのある進化において)重要だったことがわかる。
BABYMETALは、まさに日本で生まれたヘヴィメタル、日本だからこそ生まれた、日本でしか生まれえなかったヘヴィメタルだ。
例えば、代表作「ギミ・チョコ」は、ゲイリー・ホルトの言葉を借りるならば、「チョコレートについて歌った、ちょっと歪んだJポップ・バージョン」だろう。
突然変異と自然淘汰、という「進化」論の概念は、このブログに当初から掲げているものだが、あらゆる創作物・芸術作品が、伝統の継承とその革新という力学のなかから生まれてくる。BABYMETALも、例えばアイアン・メイデンやジューダス・プリーストを淵源とするヘヴィメタルの流れの上にあり、それは数々の引用・オマージュであきらかなのだが、それを”いかにもそれ風”に処理・継承するのではなく、そこに「日本語アイドル歌唱」や「合いの手」という日本独特の”歪み”が加わっているところが”新しい””本物”なのだ。
これは、『M・E』で語られる、スラッシュメタルの核心においてもあてはまる。
スラッシュの、最も速くアグレッシヴな、ヘヴィな、サウンドや演奏。
その中でもとりわけ、スラッシュのアイデンティティともいえるのが、ドラムスの<高速ツー・バス>である。
スラッシュは単なるパンクとN.W.O.B.H.M.のミックスではなかった。その甲高いヴォーカルと超速いリズム・ギターで独自の音楽スタイルを確立していた。その中でもひと際独特だったのがツー・バスの容赦ないビート。
それは一体どこからきたのか?そして何故スラッシュに欠かせないものになったのか?
ここをめぐる裏話がたいへん興味深かった。
何人ものスラッシュのドラマー達がモーターヘッドのフィル・テイラーの名を挙げる。
もちろん、ツー・バスを用いた楽曲はそれまでにもあったのだが、スラッシュを生む原動力になった<高速ツー・バス>は、モーターヘッドの、とりわけ「オーヴァーキル」が嚆矢だと言うのだ。
そしてそして、高速ツー・バスというスラッシュのアイデンティティの祖とも言うべきこの「オーヴァーキル」は、ドラムの練習中に偶然に生まれた、というのだ。
(「オーヴァーキル」で叩いていたツー・バスはどのように思いついたのかな?)
フィル・テイラー
「新しいドラム・セットを買ったばかりでツー・バスの練習をしてたんだ。(足をパタパタ踏みならし)こんな風にね。ちょうどその時にエディとレミーが来てね、彼ら曰くドアの向こうで「これはヤバイぞ」ってお互い思ったらしい」
レミー
「奴がツー・バスの練習をしている時に俺とエディが部屋に入ってそのまま「オーヴァーキル」を作ったのさ」
ヘヴィメタルの黎明期のブラック・サバスの「黒い安息日」のリフ(ホルストの「惑星」を弾いていたことから生まれた)や、ディープ・パープルの「スモーク・オン・ザ・ウォーター」のあのリフも、偶然の賜物であったことは、『M・E』の以前の回にも紹介されていた。
BABYMETALの場合、そうした偶然による決定的な鍵の誕生、といえば、もちろん、何と言ってもキツネ・サインだ。(それが「いつ?」なのかは詳細には検証していないのだが、)紙芝居の設定にも影響を与えたこのシンボルサインは、具体的には例えば、「イジメ、ダメ、ゼッタイ」の「キツネ飛べ!」という歌詞を生み、「メギツネ」という楽曲(ライヴの「波動砲」!)を生み、METAL HAMMERにお面の付録をつけさせる、等等の数多の派生物を生んでいる。
BABYMETALの世界観・その表象を、決定的にかたちづくっているキツネ・サイン。
これなしに、今のBABYMETALはありえない、それほどのものが、3姫の勘違いによって生まれた、というこの構図は、「オーヴァーキル」に端を発する<高速ツー・バス>の偶然の発祥と同じ構図だ。
(プロデューサーKOBAMETALによって作られたユニット、もちろんそうなのだが、この構造は、BABYMETALは3姫自身が生んだものでもある、とも言える(極めて大きな)側面であろう。)
<高速ツー・バス>の話に戻れば、BABYMETALの楽曲はスラッシュメタルではないにせよ、<高速ツー・バス>というスラッシュのアイデンティティは、ほとんどすべての楽曲に引き継がれている。
例えば、デビュー曲の「ド・キ・ド・キ☆モーニング」。
一聴して、この曲は「メタルじゃなくね?」とも感じられる曲だ。まして、全くスラッシュなどではない。他の、例えば、「イジメ、ダメ、ゼッタイ」「紅月」「Road of Resistance」等に比べても、ガチメタル度の低い、相対的にアイドル寄りの楽曲だ。
しかし、この曲にも、サビで、高速ツー・バスのドコドコドコドコが極めて印象的に入る。スタジオ盤でもそうだし、とりわけ、「Live in London」なかでも、「O2 BRIXTON」の音像は、これはもうスラッシュといってもよいくらい凶悪なガチメタルである。
このことから見ても、BABYMETALはスラッシュの洗礼を受け、ヘヴィメタルが高速ツーバス化という「進化」を辿ったその最先端の「正嫡子」として、誕生したユニットなのだ。
(<高速ツー・バス>をふんだんにフューチャーしたアイドルグループなど他に存在しない)
次に、印象的だったのが、メタリカ誕生の頃の雰囲気が語られるところだ。これは、アイアンメイデンのデビュー当時とも共通するものを感じた。「画期的」なバンドが通る必然、なのだろう。
つまり、それが新しい音楽性をもっていればいるほど、必然的に”道なき道を切りひらく”ことが必要になる、ということだ。
だからこそ、BABYMETALが、今までのヘヴィメタルとは異なる「なんじゃこりゃ感」満載であること(それでいて、楽曲も演奏も確かなものであること)は、自らもその当時の「なんじゃこりゃ」であった先人バンド達には、好ましく・微笑ましく受け取れられるに違いないということでもある。
メタリカのデビュー当時は、
「80年代初頭のLAでグラム・メタルの全盛。一体どのようにしてこの異なるメタルのスタイルが共存できたのだろうか?」
ラーズ・ウルリッヒは語る。
「モトリー・クルー、ラット、スティーラー等、彼らは俺たちが忌み嫌うものすべてだった。奴らが牛耳っていたサンセットに俺たちが入り込むのは至難の業だった。・・・凄く心細かったよ。1982年のLAでメタリカとして生きていくのは凄く寂しかったよ。俺たちのやっていることはなかなか受け入れられなかったから。3、4週間に一回ぐらいサンフランシスコに行ってライヴをやった。そこですぐに火が付いたからとっとと荷物をたたんでサンフランシスコに移り住んだのが1983年2月初めさ」
サンフランシスコ。
ここで、パンクとメタルが融合した、と語られる。
デス・エンジェルのマーク・オセグエダの語り。
「どんなライヴをやってようが皆がルーシーズ・インに集まって、パンクだろうがメタルだろうがメタル小僧とパンク野郎で常にいっぱいだった。そこで2つのジャンルが融合したのさ。」
ロブ・カヴェスタニイ。
「1回俺たちが出た時なんてチラシに異文化交流イベントって書いてあったんだ(笑)。俺たちの他にはパンクバンドが出ていた。」
音楽雑誌リヴォルヴァー・マガジンのブランドン・ガイスト。
「スラッシュ・メタルとパンクの融合によって起った最大のことといえば、メタルのライヴでの空気感が変わったこと。メタルがモッシュに遭遇して生まれたのがスラッシュ。スレイヤーのライヴに行くとまるで監獄での暴動だよ。それまでのメタル・ショーといえば、ヘッドバンギングして拳を突き上げる。スラッシュのライヴに行くんなら、まず、これ(眼鏡をつまんで)はしてはいけないこと。真っ先に壊されるからね。」
まさに、これはBABYMETALではないか!(「アタマゆらせ、メガネはずせ…」)
ここでも、(楽曲がスラッシュではないにせよ)スラッシュメタルの流れの果てにBABYMETALがある、ことがありありと現われている!
それは、もちろん、モッシュの流れを汲むモッシュッシュ、でもあるし、また、もう少し抽象的な次元でいえば、「2つのジャンルが融合した」「異文化交流」ということでもある。
BABYMETALの、超絶的に楽しいライヴ、その観客のノリは、パンクのモッシュ、メタルファンのノリ、アイドルファンの合いの手、それらの融合なのだ(「合いの手」は<アイドルダンス>考3で詳しく考えるつもりです)。
BABYMETALのみが、アイドルとメタルを融合したキワモノだ、というのではなく、ヘヴィメタルのある意味ど真ん中、典型的なヘヴィメタルともいえるスラッシュメタルが、メタルとパンクの融合だった、ということは、BABYMETALを語る上では常識としておさえておきたいところだ。(だから、例えばメタリカを基準にして、BABYMETALは本当のメタルではない、などというのは笑止なのである)。
番組のその後は、どんどんムーブメントが大きくなり、メジャーレーベルからレコードが出るようになり、金回りがよくなり、でも飽和状態が来て、・・・というスラッシュメタルの栄枯盛衰が語られる。
ここは、ヘア・メタル(グラム・メタル、LAメタル)の回でも描かれていたのと全く同じ構図だ。
ああ、まさに、諸行無常…。盛者必衰の理…。
「消費されたくない」とKOBAMETALが語っているが、BABYMETALはそうした意味で実に危うい存在だろう。これほど消費されやすい可能性をもったメタルユニットはない、と言ってもよい。
冒頭に述べた、光と影、功と罪、とは、まずこのことである。
ヒットを狙う、ファン拡大を狙う、のは当然である。しかし、ヒットすればするほど死へと向かう、ということも、ヘヴィメタルの進化史を見ていれば明らかなのだ。
ヘア・メタル(LAメタル)は言うまでもなく、そうした商業主義からいちばん遠そうなスラッシュメタルといえどもそうであった。
BABYMETALがこの轍を踏まない、ということはできるのだろうか?
新春キツネ祭りのライヴCDのリリース、もちろん即ポチった。
通勤途中、休日、僕がBABYMETALに触れるのは、何と言ってもウォークマン経由であり、「RedNight」「BlackNight」「Forum」「Brixton」と、四種のライヴ盤も交互に堪能している。とりわけ「Brixton」のど迫力、「メギツネ」のイントロで涙が出たことには以前にも触れたが、「キツネ祭り」のCDもそうした意味で純粋に楽しみである。
と同時に、ライヴCDリリースの告知に「なんじゃこりゃ」感を感じたことも事実だ。(ほとんど)同じ楽曲で、またまたまたライヴ盤発売とは!
しかし、これがBABYMETALなのだ。
こんなヘヴィメタルバンドもアイドルユニットも、おそらくなかったはずで、それはBABYMETALの特異なありようの、また一つの典型的なかたちである。ここまでしつこいと、痛快である。
それに、現在のワールドツアーを映像盤や音盤にしたとしても、レパートリーは(ほとんど)変わらない。こうしたしつこさは来年もずっと続くのである。これがBABYMETALなのだ。
1stアルバム(聖典『BABYMETAL』)と、それを演奏した数多くのライヴ盤とライヴ映像、それにほんのちょこっとずつ新曲が加わる、というこのかたち。
それは、決して消費されない、という強い決意、そしてもちろん、自らの圧倒的なパフォーマンスに対する絶対的な自信、から来るものだ。同じ曲目であっても、すべてのヴァージョンはそれぞれ異なる。それは一つ一つじっくり味わうに足るそれぞれの輝きを帯びている、のだ。
それが、”ダンスメタルユニット”BABYMETALの、リリースのあり方なのだ。
(ここはまた探究すべきテーマである。”バンド”ではない”ダンス・ユニット”であるBABYMETALにとって、ニュー・アルバムとは何なのか?を)
僕たちファンは、(今までの自分の「常識」、”バンドのニューアルバム”という概念から離れて)こうした「異常な」リリースの仕方に慣れなければならない。
もちろん、「さすがに、もう、飽きたよ」と離れるのは、自由である。
(飽きる?・・・とても考えられないが…。)
繰り返すが、拡大路線、大ヒットとは、また「死」への突進でもある。それは『メタル・エヴォリューション』という歴史を見れば明らかなのだ。
(といいながら、もちろん、セカンドアルバム発表の告知があれば、大快哉を叫ぶ。当然だ!・・・でも、それは、それとして。)
と、ここまで書いて気がついたのですが、前回の<アイドルダンス>と今回の<スラッシュ・メタル>。
BABYMETALを考えるために、これら両方を交互に探究するって、よくよく冷静に考えれば、「なんじゃ、こりゃ!」の極みですよね。とてもありえない組み合わせ。
でも、BABYMETALを語るためには、これは「当然」であり、「必然」である、のだ、と。
アイドルでもメタルでもなくBABYMETALだ、ということは、
BABYMETALはとんでもないアイドルでありとんでもないメタルでもある、ということなのだ。
改めてそれを感じた次第です。
(…いつもにも増して、グダグダの長文になってしまいましたね。ごめんなさい。)
がんばれ、チームBABYMETAL!
仕事帰りに、この土・日のことを考えて、やはりドキドキしてました。
明日、明後日の日本時間の夜8時、遙か英国では、日本人女子高生3人が、レディング・リーズのメインステージに立ち、異国の数万人(?)の観客の前で懸命に歌い、踊っている!
そう思っただけで、鳥肌が立ち、涙腺が熱くなります。
皆さんも同じ思いでしょうが、こうしてBABYMETALと(ありえない)ドラマを共有できる、幸せですよね。
そんな思いを馳せながら、明日・明後日の夜8時からは、胸の中でWODをしつつ、過ごすつもりです。
さて、久しぶりに、『メタル・エヴォリューション』について。
(以下、論文調で)
「激速!スラッシュ・メタル」という、(笑える、しかし本質をついた)邦題の付された「メタル・レヴォリューション」第6回だが、この回も、BABYMETALの根幹について考えさせられる内容であった。
「この回も」と書いたが、ヘヴィメタルの進化史を追うこの番組についての考察も(ブログ開設当初の勢いに反して、チビチビとしか進んでいず、まだ6回目だが…)ようやく折り返し点に来たところなのだが、第1回から今回まで、どの回を観てもBABYMETALを考える上で決定的に重要な要素をいくつも確認することができた。
ということは、やはり、BABYMETALはヘヴィメタルの進化史の最先端にいる、ということなのだ。
単に、メタル風のアイドルとか、アイドルという飛び道具を巧みに取り入れたヘヴィメタル市場向けのあざとい商品とか、ではなく、ヘヴィ・メタルの進化の流れの果てに(奇跡的に)誕生した突然変異の個体なのだ。
そして、それは、決して幸せ一色に染まったものではない。BABYMETALがヘヴィメタルであるとは、BABYMETALはヘヴィメタルの光も影も、功も罪も負っている、ということなのだから。これもこの回を観てしみじみと感じたことである。
この第6回の冒頭に、サム・ダンのこんな語りが入る。
メタルのサブ・ジャンルの中でも最も速くアグレッシヴなスラッシュ。メタル・ファンにとっても音楽に聴こえないほどヘヴィだ。
何故これほど極端なスタイルが人気を得たのか?メタリカ、メガデス、スレイヤーといったメジャー・バンドを生み、どのようにしてそのポジションを保ってきたのか?
さて、この文言はBABYMETALにあてはまるだろうか?
もちろん、BABYMETALは、スラッシュ・メタル・バンド(ユニット)ではない。(あえて言えば、「BABYMETAL DEATH」1曲のみが、スラッシュメタルのエリア内にかろうじてある楽曲だ、と言ってもよい、だろうか?)
BABYMETALにいちばん欠けているスラッシュ的な要素(逆に言えば、BABYMETALの楽曲の中では相対的に「BABYMETAL DEATH」にのみほんのわずかかもしれないが見られる要素)とは、「邪悪さ」であろう。
サム・ダンも「スラッシュメタルは、それまでのどのスタイルよりも、過激で、戦争、苦しみ、そして大量殺人を歌にしてきた。」と語るとおり、スラッシュとは、ヘヴィメタルの持っている「邪悪さ」を極端に先鋭化し、歌詞として・サウンドとして・演奏として、具現化したものだ。
例えば、スレイヤーのケリー・キングはこう語る。
「いつもは俺ほどお気楽な奴はいないけど、一度渋滞にハマろうものならまるで死刑囚さ。その怒りをスレイヤーの歌詞に反映させてるんだよ。変な風にね。」
(全くの余談だが、このケリー・キングに対しての「髪の力を使ってないヘドバンがかっこいい!」という、YUIMETALの表現力には、驚嘆した。自らの体感からチャーミングな言辞を紡ぎ出す、極めて優れた詩人の才能、を感じた。トマトくん、と振られてのとっさの「トマトくん語り」にも露呈していたが、舞踊に匹敵する、ことばの才能、も持っている。天才、なのだ。改めて。)
こうした「怒り」の発散、といったものは、BABYMETALとは異質なもの、いちばん遠いもの、と言ってよいはずだ。
この部分は(異論もありえようが)、サム・ダンが言うように、スラッシュメタルの「パンクの魂、エネルギー」と共通する精神的姿勢だろう。
「パンクはフラストレーションから生まれた。世界がどこに行くのかわからない不安と不信から生まれた。」
スラッシュメタルを生む発露となったこうした精神的態度を、パンク(的)と呼ぶのは不当ではあるまい。実際に、番組内で、何組ものスラッシュ・バンドが、自分たちの姿勢が、パンクの精神を曳いていることをはっきり述べているのだし。
スラッシュメタルは、しかし、また、パンクではない。
何が違うのか?
アレックス・スコルニック(テスタメントのギタリスト)は、こう語る。
(パンクが好きだったんなら、何故パンクをやらずに、スラッシュ・メタルのギタリストになったの?)
「俺にとっては音楽性が凄く大事だった。パンクにはいいギタリストがいなかった。いい曲はあったけど、いいミュージシャンはパンクにはいなかった。ミュージシャンとしては物足りなかった。スラッシュだと、パンクの姿勢に、自分の音楽家としての才能を足して表現できると感じたんだ。」
さらに、パンク以外にスラッシュ・メタルに影響を与えたもう一つのもの、それは、N.W.O.B.H.M.、だ(と番組では語られる)。その内実とは何か?
ラーズ・ウルリッヒは語る。
「アイアン・メイデンやジューダス・プリーストなど、何人かのメタル野郎がパンクのエネルギーとスピリットにヘヴィで入り組んだリフを加えた。」
ここに、BABYMETALの重要な本質のひとつをくっきりと見ることができる。
パンクとの違いであり、また、N.W.O.B.H.M.から継承したもの、とは、「高い音楽性」「複雑な楽曲構成」「卓越した演奏テクニック」だ。
超絶テクニックこそは、パンクとスラッシュの分水嶺であり、神バンドの各々の手足から高速の超絶テクニックが繰り出されるBABYMETALのステージは、(表面的にはそれがスラッシュの楽曲ではないにせよ)スラッシュの血の生動を観客である僕たちに体感させている、のだ。
つまり、BABYMETALがヘヴィメタルの進化史の最先端にいる、本物のヘヴィ・メタル(ユニット)だ、と、僕たちメタルヘッズに感じさせるのは、何と言ってもまず、その圧倒的な演奏の、正確さ・激しさ・キレ、だ。
神バンドの演奏ほど露骨ではないが、YUIMETAL・MOAMETALの、(表情も含めた)舞踊も、そうした圧倒的な、高速・正確・過激な「演」奏である。僕たちがそこに観るのはパンクの放埒さではなく、スラッシュの過激さ・精緻さだ。(ここはこのブログの前回の<アイドルダンス>で考えた、BABYMETALの、他のアイドルユニットとの際立った差異、でもある)。
エクソダスのギタリスト、ゲイリー・ホルトの、こんな興味深い発言もあった。
(どうしてそれらの影響で新しい何かを作ろうと思ったのかな?)
「新しいことをやっていたなんて思わなかった。アイアン・メイデンやジューダス・プリーストといった偉大な先人達に続けとばかりに、彼らの代表作を真似て、人殺しについて歌って、ちょっと歪んだベイエリア・バージョンをやっていただけさ。」
『メタル・エヴォリューション』を通して見ていると、時代だけでなく地域性が、メタルのサブ・ジャンルを生む際に(メタルのある進化において)重要だったことがわかる。
BABYMETALは、まさに日本で生まれたヘヴィメタル、日本だからこそ生まれた、日本でしか生まれえなかったヘヴィメタルだ。
例えば、代表作「ギミ・チョコ」は、ゲイリー・ホルトの言葉を借りるならば、「チョコレートについて歌った、ちょっと歪んだJポップ・バージョン」だろう。
突然変異と自然淘汰、という「進化」論の概念は、このブログに当初から掲げているものだが、あらゆる創作物・芸術作品が、伝統の継承とその革新という力学のなかから生まれてくる。BABYMETALも、例えばアイアン・メイデンやジューダス・プリーストを淵源とするヘヴィメタルの流れの上にあり、それは数々の引用・オマージュであきらかなのだが、それを”いかにもそれ風”に処理・継承するのではなく、そこに「日本語アイドル歌唱」や「合いの手」という日本独特の”歪み”が加わっているところが”新しい””本物”なのだ。
これは、『M・E』で語られる、スラッシュメタルの核心においてもあてはまる。
スラッシュの、最も速くアグレッシヴな、ヘヴィな、サウンドや演奏。
その中でもとりわけ、スラッシュのアイデンティティともいえるのが、ドラムスの<高速ツー・バス>である。
スラッシュは単なるパンクとN.W.O.B.H.M.のミックスではなかった。その甲高いヴォーカルと超速いリズム・ギターで独自の音楽スタイルを確立していた。その中でもひと際独特だったのがツー・バスの容赦ないビート。
それは一体どこからきたのか?そして何故スラッシュに欠かせないものになったのか?
ここをめぐる裏話がたいへん興味深かった。
何人ものスラッシュのドラマー達がモーターヘッドのフィル・テイラーの名を挙げる。
もちろん、ツー・バスを用いた楽曲はそれまでにもあったのだが、スラッシュを生む原動力になった<高速ツー・バス>は、モーターヘッドの、とりわけ「オーヴァーキル」が嚆矢だと言うのだ。
そしてそして、高速ツー・バスというスラッシュのアイデンティティの祖とも言うべきこの「オーヴァーキル」は、ドラムの練習中に偶然に生まれた、というのだ。
(「オーヴァーキル」で叩いていたツー・バスはどのように思いついたのかな?)
フィル・テイラー
「新しいドラム・セットを買ったばかりでツー・バスの練習をしてたんだ。(足をパタパタ踏みならし)こんな風にね。ちょうどその時にエディとレミーが来てね、彼ら曰くドアの向こうで「これはヤバイぞ」ってお互い思ったらしい」
レミー
「奴がツー・バスの練習をしている時に俺とエディが部屋に入ってそのまま「オーヴァーキル」を作ったのさ」
ヘヴィメタルの黎明期のブラック・サバスの「黒い安息日」のリフ(ホルストの「惑星」を弾いていたことから生まれた)や、ディープ・パープルの「スモーク・オン・ザ・ウォーター」のあのリフも、偶然の賜物であったことは、『M・E』の以前の回にも紹介されていた。
BABYMETALの場合、そうした偶然による決定的な鍵の誕生、といえば、もちろん、何と言ってもキツネ・サインだ。(それが「いつ?」なのかは詳細には検証していないのだが、)紙芝居の設定にも影響を与えたこのシンボルサインは、具体的には例えば、「イジメ、ダメ、ゼッタイ」の「キツネ飛べ!」という歌詞を生み、「メギツネ」という楽曲(ライヴの「波動砲」!)を生み、METAL HAMMERにお面の付録をつけさせる、等等の数多の派生物を生んでいる。
BABYMETALの世界観・その表象を、決定的にかたちづくっているキツネ・サイン。
これなしに、今のBABYMETALはありえない、それほどのものが、3姫の勘違いによって生まれた、というこの構図は、「オーヴァーキル」に端を発する<高速ツー・バス>の偶然の発祥と同じ構図だ。
(プロデューサーKOBAMETALによって作られたユニット、もちろんそうなのだが、この構造は、BABYMETALは3姫自身が生んだものでもある、とも言える(極めて大きな)側面であろう。)
<高速ツー・バス>の話に戻れば、BABYMETALの楽曲はスラッシュメタルではないにせよ、<高速ツー・バス>というスラッシュのアイデンティティは、ほとんどすべての楽曲に引き継がれている。
例えば、デビュー曲の「ド・キ・ド・キ☆モーニング」。
一聴して、この曲は「メタルじゃなくね?」とも感じられる曲だ。まして、全くスラッシュなどではない。他の、例えば、「イジメ、ダメ、ゼッタイ」「紅月」「Road of Resistance」等に比べても、ガチメタル度の低い、相対的にアイドル寄りの楽曲だ。
しかし、この曲にも、サビで、高速ツー・バスのドコドコドコドコが極めて印象的に入る。スタジオ盤でもそうだし、とりわけ、「Live in London」なかでも、「O2 BRIXTON」の音像は、これはもうスラッシュといってもよいくらい凶悪なガチメタルである。
このことから見ても、BABYMETALはスラッシュの洗礼を受け、ヘヴィメタルが高速ツーバス化という「進化」を辿ったその最先端の「正嫡子」として、誕生したユニットなのだ。
(<高速ツー・バス>をふんだんにフューチャーしたアイドルグループなど他に存在しない)
次に、印象的だったのが、メタリカ誕生の頃の雰囲気が語られるところだ。これは、アイアンメイデンのデビュー当時とも共通するものを感じた。「画期的」なバンドが通る必然、なのだろう。
つまり、それが新しい音楽性をもっていればいるほど、必然的に”道なき道を切りひらく”ことが必要になる、ということだ。
だからこそ、BABYMETALが、今までのヘヴィメタルとは異なる「なんじゃこりゃ感」満載であること(それでいて、楽曲も演奏も確かなものであること)は、自らもその当時の「なんじゃこりゃ」であった先人バンド達には、好ましく・微笑ましく受け取れられるに違いないということでもある。
メタリカのデビュー当時は、
「80年代初頭のLAでグラム・メタルの全盛。一体どのようにしてこの異なるメタルのスタイルが共存できたのだろうか?」
ラーズ・ウルリッヒは語る。
「モトリー・クルー、ラット、スティーラー等、彼らは俺たちが忌み嫌うものすべてだった。奴らが牛耳っていたサンセットに俺たちが入り込むのは至難の業だった。・・・凄く心細かったよ。1982年のLAでメタリカとして生きていくのは凄く寂しかったよ。俺たちのやっていることはなかなか受け入れられなかったから。3、4週間に一回ぐらいサンフランシスコに行ってライヴをやった。そこですぐに火が付いたからとっとと荷物をたたんでサンフランシスコに移り住んだのが1983年2月初めさ」
サンフランシスコ。
ここで、パンクとメタルが融合した、と語られる。
デス・エンジェルのマーク・オセグエダの語り。
「どんなライヴをやってようが皆がルーシーズ・インに集まって、パンクだろうがメタルだろうがメタル小僧とパンク野郎で常にいっぱいだった。そこで2つのジャンルが融合したのさ。」
ロブ・カヴェスタニイ。
「1回俺たちが出た時なんてチラシに異文化交流イベントって書いてあったんだ(笑)。俺たちの他にはパンクバンドが出ていた。」
音楽雑誌リヴォルヴァー・マガジンのブランドン・ガイスト。
「スラッシュ・メタルとパンクの融合によって起った最大のことといえば、メタルのライヴでの空気感が変わったこと。メタルがモッシュに遭遇して生まれたのがスラッシュ。スレイヤーのライヴに行くとまるで監獄での暴動だよ。それまでのメタル・ショーといえば、ヘッドバンギングして拳を突き上げる。スラッシュのライヴに行くんなら、まず、これ(眼鏡をつまんで)はしてはいけないこと。真っ先に壊されるからね。」
まさに、これはBABYMETALではないか!(「アタマゆらせ、メガネはずせ…」)
ここでも、(楽曲がスラッシュではないにせよ)スラッシュメタルの流れの果てにBABYMETALがある、ことがありありと現われている!
それは、もちろん、モッシュの流れを汲むモッシュッシュ、でもあるし、また、もう少し抽象的な次元でいえば、「2つのジャンルが融合した」「異文化交流」ということでもある。
BABYMETALの、超絶的に楽しいライヴ、その観客のノリは、パンクのモッシュ、メタルファンのノリ、アイドルファンの合いの手、それらの融合なのだ(「合いの手」は<アイドルダンス>考3で詳しく考えるつもりです)。
BABYMETALのみが、アイドルとメタルを融合したキワモノだ、というのではなく、ヘヴィメタルのある意味ど真ん中、典型的なヘヴィメタルともいえるスラッシュメタルが、メタルとパンクの融合だった、ということは、BABYMETALを語る上では常識としておさえておきたいところだ。(だから、例えばメタリカを基準にして、BABYMETALは本当のメタルではない、などというのは笑止なのである)。
番組のその後は、どんどんムーブメントが大きくなり、メジャーレーベルからレコードが出るようになり、金回りがよくなり、でも飽和状態が来て、・・・というスラッシュメタルの栄枯盛衰が語られる。
ここは、ヘア・メタル(グラム・メタル、LAメタル)の回でも描かれていたのと全く同じ構図だ。
ああ、まさに、諸行無常…。盛者必衰の理…。
「消費されたくない」とKOBAMETALが語っているが、BABYMETALはそうした意味で実に危うい存在だろう。これほど消費されやすい可能性をもったメタルユニットはない、と言ってもよい。
冒頭に述べた、光と影、功と罪、とは、まずこのことである。
ヒットを狙う、ファン拡大を狙う、のは当然である。しかし、ヒットすればするほど死へと向かう、ということも、ヘヴィメタルの進化史を見ていれば明らかなのだ。
ヘア・メタル(LAメタル)は言うまでもなく、そうした商業主義からいちばん遠そうなスラッシュメタルといえどもそうであった。
BABYMETALがこの轍を踏まない、ということはできるのだろうか?
新春キツネ祭りのライヴCDのリリース、もちろん即ポチった。
通勤途中、休日、僕がBABYMETALに触れるのは、何と言ってもウォークマン経由であり、「RedNight」「BlackNight」「Forum」「Brixton」と、四種のライヴ盤も交互に堪能している。とりわけ「Brixton」のど迫力、「メギツネ」のイントロで涙が出たことには以前にも触れたが、「キツネ祭り」のCDもそうした意味で純粋に楽しみである。
と同時に、ライヴCDリリースの告知に「なんじゃこりゃ」感を感じたことも事実だ。(ほとんど)同じ楽曲で、またまたまたライヴ盤発売とは!
しかし、これがBABYMETALなのだ。
こんなヘヴィメタルバンドもアイドルユニットも、おそらくなかったはずで、それはBABYMETALの特異なありようの、また一つの典型的なかたちである。ここまでしつこいと、痛快である。
それに、現在のワールドツアーを映像盤や音盤にしたとしても、レパートリーは(ほとんど)変わらない。こうしたしつこさは来年もずっと続くのである。これがBABYMETALなのだ。
1stアルバム(聖典『BABYMETAL』)と、それを演奏した数多くのライヴ盤とライヴ映像、それにほんのちょこっとずつ新曲が加わる、というこのかたち。
それは、決して消費されない、という強い決意、そしてもちろん、自らの圧倒的なパフォーマンスに対する絶対的な自信、から来るものだ。同じ曲目であっても、すべてのヴァージョンはそれぞれ異なる。それは一つ一つじっくり味わうに足るそれぞれの輝きを帯びている、のだ。
それが、”ダンスメタルユニット”BABYMETALの、リリースのあり方なのだ。
(ここはまた探究すべきテーマである。”バンド”ではない”ダンス・ユニット”であるBABYMETALにとって、ニュー・アルバムとは何なのか?を)
僕たちファンは、(今までの自分の「常識」、”バンドのニューアルバム”という概念から離れて)こうした「異常な」リリースの仕方に慣れなければならない。
もちろん、「さすがに、もう、飽きたよ」と離れるのは、自由である。
(飽きる?・・・とても考えられないが…。)
繰り返すが、拡大路線、大ヒットとは、また「死」への突進でもある。それは『メタル・エヴォリューション』という歴史を見れば明らかなのだ。
(といいながら、もちろん、セカンドアルバム発表の告知があれば、大快哉を叫ぶ。当然だ!・・・でも、それは、それとして。)
と、ここまで書いて気がついたのですが、前回の<アイドルダンス>と今回の<スラッシュ・メタル>。
BABYMETALを考えるために、これら両方を交互に探究するって、よくよく冷静に考えれば、「なんじゃ、こりゃ!」の極みですよね。とてもありえない組み合わせ。
でも、BABYMETALを語るためには、これは「当然」であり、「必然」である、のだ、と。
アイドルでもメタルでもなくBABYMETALだ、ということは、
BABYMETALはとんでもないアイドルでありとんでもないメタルでもある、ということなのだ。
改めてそれを感じた次第です。
(…いつもにも増して、グダグダの長文になってしまいましたね。ごめんなさい。)
がんばれ、チームBABYMETAL!