ケルベロスの基地

三本脚で立つ~思考の経路

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BABYMETAL探究(舞踊考1)

2015-02-27 23:12:13 | babymetal
ヘヴィ・メタルの進化の最先端形態としてのBABYMETAL、
その核が、三姫の舞踊であるとして、
では、彼女たちの「舞踊」は、「ダンス」なのだろうか?

いや、もちろん、CD『赤い夜』に記載のプロフィールにも、
BABYMETAL are SU-METAL(Vocal,Dance)
            YUIMETAL(Scream,Dance)
            MOAMETAL(Scream,Dance)
と記載されているし、召喚の儀でもそのようにアナウンス
されているのだから、公式には「ダンス」と呼ぶべきなのだろうが、
彼女たちの舞踊はヘヴィ・メタル<を>踊る「演」奏なのだ、
と考える立場からは、あの舞踊を「ダンス」と呼ぶことには
たいへんな違和感がつきまとうのだ。

MIKIKO(MIKIKOMETAL)がPerfumeについて語る動画
(ESPRIT JAPAN ?)を観たのだが、そこで彼女は、
「はじめは魂が伝わるダンサーになりたい」と思っていたのだが、
そのダンスとは「黒人ぽい踊りの再現、欧米の真似事でしかない」ことに気づき
自分が表現したいことは何だろうと深く考えた、という旨のことを述べたうえで、
「日本人の体型に似合う」「日本人らしい緻密さ」を備えた踊り、
「ダンスを踊っていますではなく、日常の仕種が体現できた時に、
その人が魅力的に見えるのではないか」
「リズムに日常の仕種をはめている」
「かな?ていったら、かな?というようなポージングを」
と語っていた。
彼女自身の言葉ではないが、ナレーションでは
「日常のしぐさを歌詞とリズムにのせて切り取る」
と語られてもいた。
(このあたりは「俳句」的だと僕は感じた)

『ヘドバン』1号でも「歌詞が見える振り」のようなことを
述べていたはず(知人に貸出中なので現在未確認だが)だし、
最新の6号でも、インタビュアーも、応えるMIKIKOMETALも、
「Road of Resistanceの振り付け」という言葉をデフォルトとして
応答がなされている。

そう、MIKIKOMETALによって付けられた「振り」。
「ダンス」ではなく、「振り」としての舞踊。
これは僕の実感にかなりしっくりくる。

広辞苑(第五版)をひけば、「振り」の項目に13もの意味が載っているが、
そのなかの

⑥舞踊の仕種(しぐさ)。また、歌詞の意味する所を形に現すこと。「冨士の山」という歌詞に対して、両手で冨士の山を描く類。また、舞台で、俳優の動作全部を指す。所作(しょさ)。科(しぐさ)。

を中心にしながら、

①振ること。振り動くこと。振りぐあい。
②外形。すがた。なり。
④ふるまい。動作。挙動。
⑤それらしくよそおうこと。ふう。

などの意味のふくらみを持つのが「振り」だ。
とりわけ、⑤の意味の「ふり」は、舞台上ではキツネ様が降臨していてその間記憶がない(YUIMETALは「あります」だそうだが)ことや、
舞台を降りれば世をしのぶ仮の姿になるという設定(「ふり」が逆転しているが)、
SU-METALの、舞台上でのイケメンぶり⇔日常でのポンコツぶりの極端な落差
等の、BABYMETALの世界観・魅力とも深く関わるのではないか。

「ダンス」には、ここまでの意味のふくらみはない、のではないだろうか。
したがって、彼女たちの舞踊を「ダンス」と語っているかぎり、
BABYMETALの魅力の核心には届かないのではないか。

細かな言葉の違いに拘泥しているだけ、だろうか?

いや、僕には、ここは、BABYMETALとは何かを考えるうえで、
BABYMETALの魅力を語るうえで、
決定的なキモの一つではないか、と思われるのである。



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BABYMETAL探究(序-2)

2015-02-24 23:28:47 | babymetal
正確を期すならば、「進化とは、集団中の遺伝子頻度が時間とともに変化すること」(『進化と人間行動』)であり、この概念を、比喩的に援用することを認めたにしても、BABYMETAL単体の登場だけでは、「遺伝子の変化」とは言えないはずだ。つまり、それは単なる「突然変異」であったとしても、「進化である」とはいえないはずなのだ。
「大事なのは、進化は遺伝子の変化であるということです。集団の個体の中に変わり者が現れたり、特定の色や模様が増えたりしても、それが遺伝子の変化に基づいたものでなければ、それは進化とは呼びません。」(『進化と人間行動』)
したがって、「進化」という概念をBABYMETALにあてはめることが妥当であるのは、今後、同じ「遺伝子」が発現した形態をもつグループがいくつも出現したときなのだろう。つまり、BABYMETALによって新たなジャンルあるいはサブジャンルが形成されたときにこそ、「進化」という比喩はある程度”正当な”意味をもつものになる(この「ジャンルとサブジャンル」については、やがて詳考することになるだろう)。
そういう意味で、サム・ダンの『M・E』は、まさにヘヴィ・メタルの「進化」を追うドキュメンタリーだった(アイアン・メイデンのTrooperが流れるタイトルバックにも、ダーウィンの長い鬚面の画が映し出されていた)。

しかし、そのことを一応確認したうえで、学術論文でも何でもないこの文章においては、「進化」という概念を切口にして、BABYMETALを考えてみたい。面白いし。

「進化」の基本は、①突然変異、と、②自然淘汰の中での生き残り、である。
これをBABYMETALにあてはめると、

① 突然変異
 → 可愛い少女がヘヴィ・メタル<を>踊る
   SCREAM&DANCEという「演」奏

② 自然淘汰の中での生き残り(環境適応)
 → 神バンドの演奏(音)、SU-METALの歌(声)

となるのではないか。
(①については、自発的なバンドではなく、KOBAMETALのプロデュースの賜物である、という側面も大問題だが、これはまた別に考える)

つまり、②は説得力、ヘヴィ・メタルであることの保証である。僕を含めた多くのメタルヘッズがBABYMETALを「これは(自分たちが愛してきた)メタルだ!」と心から認めることができる要素であり、LOUDPARK13や、SONISPHEREでの、アウェイをホームにひっくり返してしまう伝説的なパフォーマンスも、この②の高品質が大きな要因となっているのは言うまでもない。両脇のちびっこ要らない、とか、声なしで聴きたいとか、BABYMETALに遭遇したときに多く見られるメタルヘッズの反応も、②での安心を求めていたわけである。
しかし、②だけでは、「進化」ではない。YUIMETAL、MOAMETALのいないBABYMETALとは、せいぜい新種のパワーメタル(『M・E』第11回でドキュメントされているのでこの側面からも、当然後日考察することになる)に過ぎない。すでにBABYMETALに出会った後では、それもアリと考えるかもしれないが、たぶん、それでは僕らの多くがBABYMETALに出会うこともなかったはずである。

①こそがBABYMETALが、他のヘヴィ・メタルバンドとは全く異なるところである。ファンになったメタルヘッズが、②を賞賛したくなる気持ちはよくわかるが、BABYMETALに対して真に賞賛・驚嘆すべきなのは、やはり、①なのだ。「なんじゃ、こりゃ!」という衝撃を与えること。例えば、メタリカがそうであったように、これは『M・E』で丁寧に追いかけられている、ヘヴィメタルを「進化」させる重要な要素である。
BABYMETALが他の大御所たちから愛されているのは、三人が可愛いからだけではなく、そうした「進化」をもたらす新たな要素をBABYMETALが持ち込んでいることを、そうした勝負をしてきた当事者だからこそ、積極的に認め・讃えることができるからであろう(か?)。

そして、BABYMETALの①とは、単にヘヴィ・メタルの楽曲に合わせて三姫が可愛く踊る、ということではない。
彼女たちの踊りは、「演」奏である。BABYMETALの三姫は、楽器ではなく、自らの身体で曲を「演」奏しているのである。(したがって、彼女たちが楽器を演奏しないことを根拠に彼女たちを否定するのは全く筋違いである。まあ、しかし、今までに全くないパフォーマンスなのだからそうした反応は仕方がないのだが)
事実、僕たちは、例えばマイケル・シェンカーのギターソロに陶然とさせられるように、三姫のメギツネの舞踊に酔い、ザックワイルドのリフに鼓舞させられるように、YUI&MOAの合いの手や煽りに血が滾るのである。
AndroidのCMで一瞬だけ彼女たちが映る、すると、あっメギツネだ、とわかる。これは、じゃ、じゃ、じゃーんというリフを聴いただけで、スモークオンザウォーターだとわかる、のと同じ構造の体験であろう。

ヘヴィ・メタルにおける、舞踊という「演」奏。比喩の上に比喩を重ねるならば、この①こそがヘヴィ・メタル・ユニットBABYMETALの「本体」であり、安心の②はヘヴィ・メタル・ユニットBABYMETALの「魂」である、とでも言えるのではないか。
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BABYMETAL探究(序)

2015-02-24 22:03:43 | babymetal
WOWWOWで録ったサム・ダン監督の全11話にわたるドキュメンタリー『メタル・エヴォリューション』をひと通り視聴し終わった結果、「BABYMETALは、ヘヴィメタルの進化の最先端形態である」、という確信を得るにいたった。(もちろん、『メタル・エヴォリューション』には、“まだ”BABYMETALは登場してはいない)。

しばらく、『メタル・エヴォリューション』1話1話に即しつつ、具体的に、「BABYMETALとは何なのか」を、ヘヴィ・メタルの「進化」史のうえに載りながら、考えていこうと思う。
なお、『メタル・エヴォリューション』(以下『M・E』と略すことにする)は、DVD、BRでも販売されているので現在でも例えばAmazonで購入可能である。
筆者も、もう35年間ハード・ロック、ヘヴィ・メタルを愛聴しつづけて来たが、自分の好きなバンドを好きなように聴いてきただけであり、名前は知っていても聴いたことのないバンドや「サブジャンル(この概念については後日詳考したい)」はたくさんある。それゆえに、サム・ダン氏の広く学術的にヘヴィ・メタルを考察するこのドキュメンタリーは、たいへん刺激的かつ有益なプログラムであった。
冒頭の結論めいた感慨、「BABYMETALは、ヘヴィメタルの進化の最先端形態である」を、単なる1ファンの主観や妄想ではなく、客観的な考察として綴ってみよう、というこのブログの連載記事の主旨も、まさに『M・E』に押し出されるかたちで生れたのである。

とはいっても、あくまでも筆者の個人的な思い込みの語りであり、BABYMETALの素晴らしさに僕なりの(へ)理屈をつけてみよう、という一つのささやかな試みでしかないのだが。

はじめに、まず、言葉の定義を確認しておこう。
「エヴォリューション」とは、「進化」のことであるのだが、この「進化」という概念が誤解を招きやすい。「進化」について定評のある入門書として『進化と人間行動』東京大学出版会(長谷川寿一・長谷川真理子)があるが、そこに「進化をめぐるいくつかの誤解」として「自然淘汰に目的はない」「進化は進歩ではない」等と述べられているとおり、「進化」を、「ある目的のために、より高度な機能を持つように進歩した」(例えば、高い樹のうえの葉っぱを食べるためにキリンの首は伸びた)と考えてしまいがちであるが、これは俗な勘違いである。
そうではなく、「進化」とは、(ざっくりと言えば)①突然変異で生まれた形質が、②自然淘汰の過程で生き残る、ということに過ぎない。
だから、「BABYMETALは、ヘヴィメタルの進化の最先端形態である」とは、何も、BABYMETALこそが理想的なヘヴィメタルのかたちの究極形だ、ということではない。①突然変異②自然淘汰での生き残り、という「進化」という観点でBABYMETALを考察することによって、そのヘヴィ・メタルとしての本質が見えてくるのではないか、と考えるのである。(つづく)
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