静かな劇場 

人が生きる意味を問う。コアな客層に向けた人生劇場。

【法楽寄席】 身投げ橋

2011-06-21 19:49:50 | Weblog
 昔は、両国橋のような大きな橋になりますと番人という者がおりまして、通行料(二文)を取るほか、監視の役目もしていたそうです。
 ある年、毎晩のように橋から〃身投げ〃があったものですから、町奉行より、夜中も見張れとのお達しで、橋番たちはしぶしぶ寝ずの番をしております。そこへ真夜中ふらっと来たのが一人の花魁(おいらん)。

「ここ通らせてもらうよ。はい、通行代」
「一文?いや姐さん、これじゃ半分だ」
「いいんだよ、私は橋の真ん中までしか用事がないんだ」
と言うや、トントントントンと駆けていきます。
「?ちょっと待った!まさか身投げするんじゃ?まあ花魁、ちょっと待ちねえ」

 後ろから抱きかかえるようにして引き留めると、

「放して!」
「そうはいかねえ」

 花魁はその場に泣き崩れる。うつむくうなじに鬢のほつれが三つ四つ。ほのかに漂う麝香が艶かしい。

「もうだめ、いっそ死んでしまいたい……」
「何があったか知らねえが、そう早まるもんじゃねえや。好きな旦那にでも捨てられたのかい?気の毒になあ。でも、あんたみてえな器量よしなら、幾らでもいい相手が見つかるだろうと思うよ。もう一ぺん頑張って生きてみなよ」
「いいえ私はね、生きるのがもう嫌んなったの。それでも頑張れ?頑張れって一体何を頑張れっていうのさ?」
「そりゃ……生きてりゃいいこともあるさ。朝の来ない夜も、春の来ない冬もねえだろ。そのうちきっと夜が明けるさ。やがて花咲く春が来るって」

 励ますものの、花魁はじっと橋番の目を見据え、

「橋番さん、その夜明けって何さ?花咲く春って何よ?あんた今まで、何かいいことあったの?」。
「いいこと?家には病気の親に、うるさいカカア、それに貧乏人の子沢山。どうせこの先も苦しいことばかり……」
「それごらんよ。生きたっていいことなんてありゃしないさ。来ない春を待ち暮らすなんてごめんだよ。生きろと言うなら、あんたこそ、生きてせいぜい苦しむがいいさ」
「ひでえこと言うぜ。でも、お前の言う通りかもしれねえな。苦しいのになぜ、生きるんだろ?」
「ねえそうだろ。じゃあ、あんた、私と一緒に死ぬってのはどう?」
「え?」
「一人で死ぬのは寂しいと思ってたとこさ。それにさ、あんたよく見ると男前だし。来世を契った心中ってのはどう?それなら格好もつくし、明日は江戸中、大騒ぎさ」
「どう?って、お前」

 花魁は、橋番の手をぎゅっと握ると目と目を合わせ、

「もう決めたの。『この世の名残、夜も名残、死にに行く身をたとうれば、あだしが原の道の霜……』。さ、気分も出てきたし、じゃ、飛び込むわよ。一、二の」。

 とんでもない女がいたものでございます。ちょうどそこへ巡回中のお奉行が。

「そこの二人、何しとる」
「何してるってお奉行さま、見ての通りでさあ」
「早まるでない。朝の来ない」
「あー『朝の来ない夜はない』ってねえ、それはさっき終わったんでさあ。お奉行さま、ここは一つ目をつぶっておくんなせえ」
「お前たち、心中してどこへ行くつもりじゃ」
「え?どこへって、死ねば楽になれるんじゃあ?」
「じゃあ?って、行く先がハッキリもせんのに軽々に飛び込む奴があるか!この大馬鹿者。お聖教には『一度、人身を失いぬれば万劫にもかえらず』とある。後生は取り返しがつかんのだぞ!」
「さ、さようでございましたか。でもお奉行さま、後生って今からハッキリするものでございますか?」
「もちろんだ。それを教えられたのがお釈迦さまじゃないか。いつ死んでも極楽参り間違いない正定聚の身に、この世でハッキリ定まるとお教えじゃ。その身になれば、浄土へ往くまでのこの人生は大安心、大満足。苦悩のままが満足いっぱい!その身になるための人生じゃ。いいかい、何があろうと仏の教えの通り、光に向かって進むことだよ。お二人さん」
「へえそうだったんですかい。ありがてえお話だ」
「こんな私でも、仏法聞けばお浄土参りできるんですね!ああ、うれしい」

 花魁と橋番が手を取り合う。

「随分と仏教に詳しいお奉行さま。でも何でこんな所、歩いておられるのですか?一体、何奉行さまでございましょう?」
「わしか?わしは衆善奉行(*)じゃよ」        


*大宇宙の諸仏方が共通して教えられている「七仏通戒偈」の一句「衆の善を行い奉れ」

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