何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

小説に学び 小説に勝て

2017-01-18 00:17:51 | ニュース
昨日1月17日は、阪神淡路大震災から22年だった。

あの時には、これほどの惨事を二度と見ることはないだろうと思ったのだが、あの日から22年、地震だけでなく噴火に土砂災害など、毎年毎年 被災地と呼ばれる場所ばかり増えてきた。
それにともない、災害を取り上げる小説が増えるだけでなく、その過激度も増している、増しているのも拘わらず、それより更に信じがたい大災害が起るのだから、来るべき南海トラフや富士山噴火はいかばかりか。

ただ、災害小説が単なるフィクションの絵空事ではいことも確かである。
災害パニック小説という分野があるとすれば、間違いなくその第一人者として名を挙げられるであろう高嶋哲夫氏の作品は、あまりに先見の明がありすぎ、恐ろしいくらいだ。

災害三部作と云われる「M8」「TSUNAMI 津波」「ジェミニの方舟 東京大洪水」のなかでも特に強烈に印象に残っているのは、「TSUNAMI 津波」だ。
図書館で借りて読んだ本なので正確ではないかもしれないが、2005年に出版された本書は、三連動の大地震で引き起こされた大津波に襲われた原発がメルトダウンしそうになるという話だ(ったはずだ)。

出版から間もない時期に読んだ時には、そこに、電源喪失の恐ろしさも、水蒸気爆発の危険性も、それらを経てメルトダウンに至ることも書かれていたにも拘らず、何も理解できていなかった。
それが、東日本大震災後 改めて読んだ時、「TSUNAMI 津波」に書かれていた用語の一つ一つの意味が実態をともない胸に迫ってきた。
しかも、本書では原発職員の英雄的行為によりギリギリのところで回避されたメルトダウンが、現実には起ってしまった。

事程左様に、かなり過激だと思える小説を超える事態が生じてしまうのが、悲しいけれど現実で、まさに「事実は小説より奇なり」だが、著者・高嶋氏の日本原子力研究所の元研究員という経歴を考えれば、本書は高嶋氏にとって奇想天外な絵空事ではなかったはずだ。ご自身の研究と経験に基づき想定される最悪の事態を小説にされたのだとすれば、何故これを(実際に)危機管理にあたる人々が想定し、対応してこなかったのかと悔やまれてならない。
だが、悔んでばかりでもいられない。
高嶋氏はその後も、強毒性インフルエンザのパンデミックを「首都感染」で書き、経済に壊滅的打撃を与える首都直下型大地震を「首都崩壊」で書き、富士山噴火はそものもズバリ「富士山噴火」で書くなどし、世に警鐘を鳴らし続けておられるので、今度こそ対処を万全にしなければならない。
危機管理を統率する人々にこそ心して読んでほしい本だと、阪神淡路大震災の日から22年、思っている。

ところで、阪神淡路大震災の時には、海外から災害救助犬派遣の申し出が多数あったにもかかわらず、検疫に拘ったために受け入れが大幅に遅れ、生存者の発見につながらなかったと記憶している。
この手痛い経験から、現在では国内でも災害救助犬が養成され活動しているのは、殺処分寸前のところを救われ災害救助犬となった※「夢の丞」の活躍もあり、広く伝えられているが、そんな災害救助犬が山岳救助犬としても活躍する本が、「南アルプス 山岳救助隊 k-9」(樋口明雄)シリーズだ。

東日本大震災で、災害救助犬として活動したボーダー・コリーのメイとそのハンドラーである星野夏実が、山梨県警山岳救助隊(南アルプス山岳救助隊K-9)として北岳で活動する本シリーズ。
シリーズ当初の「天空の犬」「ハルカの空」は所謂山岳救助モノだったのが、最近では大規模テロの首謀者を山で迎え撃つ「ブロッケンの悪魔」や、誘拐犯が人質を連れ込んだ山で大規模噴火が起る「火竜の山」へと、過激度を増している。

山に、’’山’’以外の要素をあまり紛れ込ませないで欲しいと思わずにはおれないが、明らかに噴火警戒レベルをあげる状況にありながら、市議会の多数派や商工会議所の青年部が、山を観光資源としてしか見做さないため、その判断が遅れる場面(「火竜の山」)を読んでいると、最近の観光地での噴火警戒レベルのスッタモンダを思い出し、高嶋氏にも樋口氏にも、警鐘を鳴らす本をどんどん書いていただかなければならないとも思っている。

「火竜の山」などにみる、犬と人との絆については、又つづく


K-9について「火竜の山」より引用
欧米では警察犬や災害救助犬を使うチームのことを、ラテン語が語源の犬をあらわす英単語、canineの音をもじってk-9と呼ぶらしい。


※ 夢の丞の活躍
「命をつなぐ夢」「夢が生き、夢で生かされる」「ワンコと人の絆は永遠」

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おぜんざいの日

2017-01-15 20:51:01 | 自然
1月15日というと、今どきの子供は「いちごの日」と言うらしいが、私にとっては「おぜんざいの日」だ。

毎年11日に鏡開きをし、15日の どんど焼きを済ませた後、鏡開きの鏡餅でおぜんざいを食べることにしているのだが、今年は例年どんど焼きに出かけてくれている御大が酷い腰痛に悩まされているため、子供の時以来となる どんど焼きに行ってきた。

どんど焼きといえば、「しろばんば」(井上靖)だ。
ほぼ全ての本を読んでいるというほど井上靖氏の本を好きだが、その出会いは教科書に載っている「しろばんば」だった。(『 』「しろばんば」より引用)
たしか「赤い実」という題で、「しろばんば」の一部を習った記憶がある。

『14日はどんどん焼きの日であった。どんどん焼きは昔から衣たちの受け持つ正月の仕事になっていたので、この朝は耕作と幸夫が下級生たちを指導した。子供たちは手分けして旧道に沿っている家々を廻り、そこのお飾りを集めた』~略~
『お飾りは、田圃の一隅に集められ、堆高く積み上げられた。幸夫がそれに火を点けた。火勢が強くなると、
「みんな書初めを投げ込め」幸夫は怒鳴った。子供たちは自分が正月二日に書いた書初めを、次々にその火の中に投げ込んだ。耕作も幸夫も投げ込んだ。そしてその仕事が終わると、くろもじの枝の先の先端につけた小さい団子をその火で焼いて食べる、このどんどん焼きの中で一番楽しい仕事へと移って行った。
この日は、男の子供も女の子供も一緒だった。一年のうちで、男女の児童たちが一緒になるのは、この一月一四日しかなかった。』

この何の変哲もない文章の何処にこれほど惹かれるのか自分でも分からないのだが、井上氏の文章に初めて触れて以来、井上氏の文章全てに共通する、文の流れや、主人公の一人称の語りながら(引いた視点をもつ)客観的な文体を、とても気に入っている。

それは兎も角、この場面には印象的な箇所がある。
あき子という耕作より一級年上の少女の書き初めの文字が、露わになった所だ。
『少年老い易く学成り難し
 一寸の光陰軽んずべからず』
男の子でも書くそうな強い感じの大きな字で、何枚か繋ぎ合わせた半紙に認められていたこの二行を読み、耕作は『いきなり立ち上がって、土蔵に帰り、二階へ上がって勉強をしたいような気持にさえなった。
耕作は、自分の書き初めを火の中へ突っ込んでいる少女を、尊敬の思いで眺めた。今まであき子に惹かれたことはあったが、併し、今の惹かれ方は全く違っていた。自分にこのような感動を与える文章を書き初めに書いた少女への讃歎であり、讃美であった。』

本書は、『その頃、と言っても大正四五年のことで』と始まるとおり、大正初期の物語ではあるが、意外なほど今に通じるものがある。
今日久しぶりに出かけた どんど焼きでは、しめ飾りを持ち寄った子供が楽しそうにしていたが、それは残念なことに、現在どこでも見かけられる風景ではないだろう。時代が変われば、変わるものがあるのは、已むをえない。
だが、時代が変わり取り囲む物や設定が変われども、人の営みには変わらないものがある。
複雑な環境で育つ「しろばんば」の主人公・耕作(耕ちゃ)が、大人の事情を慮り、徐々に気遣いを働かせることを学んでいく過程や、淡い初恋を抱くところなどは今に通じるものであり、それが懐かしい景色や行事とともに描かれている本書は時代をこえて読み継いでいくことができる作品だと、思っている。

ところで、ここにも複雑な環境のなか苦しみながら一歩ずつ成長されている少女がいる。
大人の醜い思惑と、それに乗じる心ない一部の好奇の視線に晒されながら、一歩ずつ直向に歩んでおられる少女がいる。
その少女が、書写の授業で書かれた書が発表された。
平成二八年 宮内庁職員組合文化祭美術展より敬宮様の書

女子には存在価値を認めない環境のなか苦しんでおられる少女、その環境のおかしさを糊塗するために攻撃され続ける少女。少女がありのままに認められる時代になるよう心から願っている。

おかわり!おぜんざい
どんど焼きから帰宅し、鏡開きの鏡餅の おぜんざいを食べたのだが、もう一杯面白い おぜんざいモドキを作ってみた。
あるブログで、「餡子の串団子を串からはずし、耐熱容器に入れ、水を適量加えて’’チン’’して作る汁粉(もどき)」が紹介されていたので、さっそく試してみたのだ。
’’チン’’のタイミングをうまく計らないと、団子が溶けてしまうが、寒い日に小腹がすいた時など、お手軽で良い方法だと気に入った。
お試しあれ。

追記
「しろばんば」では、’’どんどん焼き’’と書かれているが、転勤族で幾つかの土地に住んだ経験からすると、’’とんどさん’’や’’どんど焼き’’は聞いたことがあるが、実は’’どんどん焼き’’は聞いたことがない。

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人生という作品

2017-01-13 23:50:35 | ひとりごと
<実は読んだことない文豪の名作小説! 2017年1月13日 06:00Jタウンネット配信>という記事が話題になっているようだ。

2016年10月26日、毎日新聞が発表した「第70回読者世論調査」によると、読んだことのある本のトップは「坊ちゃん」(夏目漱石)で、なんと61%の人が「読んだことがある」と答えたという。
この世論調査を受け、逆に、明治以降の日本の名作小説の中には、意外に読まれていない作品があるのではないかと考えたJタウン研究所が都道府県別にアンケート調査をした(総投票数520票、2016年11月21日~2017年1月10日)その結果が、上記の記事である。

読んだことのある本1位の「坊ちゃん」は、読んだことのない本9位にもランクインしているし、読んだことのある本3位の「雪国」(川端康成)は、読んだことのない本10位にもランクインしている。
「読んだことのある本or読んだことのない本は?」と突然質問されて、ともかくパッと思い浮かぶほど、両作品は有名だということだろうか。

毎日新聞の元記事によると、読んだことのある本の上位は教科書に採用されたものが多いらしいが、なぜか読んだことのない本の上位も教科書に採用されているものが多い。
たしか・・・12位「羅生門」(芥川龍之介)、5位「舞姫」(森鴎外)、3位「山月記」(中島敦)2位「たけくらべ」(樋口一葉)はすべて教科書で習った記憶があるが、世論調査によると、多くの人が読んだことがないと答えるという。
11位「銀河鉄道の夜」(宮沢賢治)や5位「人間失格」(太宰治)を読んでいないのでは、「恥の多い生涯を送って来ました」と頭を垂れねばならないだろうと生意気にも思ったが、エラソーなことを抜かしていられるのも、ここまでで、8位「細雪」(谷崎潤一郎)、7位「暗夜行路」(志賀直哉)は、当該作品を読んでいないのみならず、恥ずかしながら両作者の作品を読んだことがないし、4位「檸檬」(梶井基次郎)の感想にいたっては、梶井といい高村光太郎といい「この時代はよほどレモンが貴重だったのだろう」という情けなさだ。
こんな調子なので、「読んだことのない本」堂々の一位「蟹工船」(小林多喜二)も、当然のことながら私も読んだことがない。

だが、この結果を見て、久しぶりに「山月記」を読み返し、気が付いたことがある。
「坊ちゃん」「雪国」は、’’読んだことがある本’’にも’’読んだことがない本’’にもランクインしているが、それは両作品の有名な冒頭「親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている」という率直な物言いと、「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」という素朴な自然描写が、人の心を強く掴む一方で、それ以後の内容が冒頭ほどにはインパクトに欠けるせいではないか。
そう考えると、人の心をうつ文というのは、言葉を巧みに捻くり回した名文というよりは、素朴な感情を平板な言葉でつづったもののように思えてくるのだが、それは、「山月記」の主人公の李徴の詩が世に受け入れられなかった理由にも通じている。
授業で「山月記」を習った後、文庫文を買い折にふれ読み返したのは、優秀と誉れ高い李徴が並の官位では納得できず、高名な詩人を目指すも夢破れ、最後には虎に成り果ててしまう’’無念’’に感ずるところがあったからだが、李徴の詩が巧いにも拘らず人の心を打たなかった理由の重要性が、今なら分かる。
李徴の詩は、『高雅、意趣卓逸、一読して作者の才の非凡を思わせるもの』だが、唯一の友人は『第一流の作品となるのには、何処どこか(非常に微妙な点に於て)欠けるところがあるのではないか』と感じている。
それを、李徴は自身の『臆病な自尊心と、尊大な羞恥心との所為』で『僅かばかりの才能を空費して了った』と理解し嘆いているが、そうだろうか。
李徴は虎に身を堕とした理由を、飢え凍えているであろう妻子より自身の詩業を気に掛けるような男だからと理解しているが、それこそが人の心をうつ詩を作るうえで大切なものだったのではないだろうか。

本や詩歌を読む(鑑賞する)のもまた人なので、技巧的な上手さ云々よりも、素直な表現の方が心に馴染むし、そこに人としての素直な感情の吐露があれば尚更、心をうつ文となる。

そのような理解に至ったのは、今日が「歌会始の儀」の日だったせいかもしれない。

平成29年お題「野」 雅子妃殿下お歌
那須の野を 親子三人で歩みつつ 吾子に教ふる 秋の花の名

あるがままを詠われ、まったく捻りも何もないが、昨年秋から敬宮様が体調を崩されていたことを思えば、親子三人で花の名を語り合っていた何気ない一日を思い出し詠まれたことに、母としての情がしみじみ感じられると思うのだが、これまでの歌会始の歌で一番好きなのは何かと問われれば、迷わず挙げる歌がある。

平成17年お題「歩み」で詠われた皇太子様お歌
頂きに たどる尾根道ふりかへり わがかさね来し 歩み思へり

歌から思い浮ぶ景色は広がりがあるし、そこに人生を重ねておられるところに深みがあるが、歌そのものは純朴で素直で、心にすぅっと届いてくる。このような歌をこそ、益荒男振りというのだろう。
皇太子様が歩かれた尾根道 常念岳~蝶が岳
皇太子様の歌に自分が撮った写真をつけるのは躊躇われるが

人の人生も又その人の作品だとすれば、皇太子御一家の作品には上手く見せようという作為も技巧もないため、それは時に剥き出しの悪意に晒されることがあると拝察される。
だが、愚直なまでに正直に作品に取り組み、あるがままを示されることに心を打たれる人も多いと思う。
そのような皇太子御一家を、今年も心をこめて応援していきたいと思っている。

追記
授業で習った後わざわざ文庫本を買ったくらい、李徴の’’無念’’に感ずるところがあり、それは年を経て一層身に沁みているのも拘わらず、自分勝手な解釈を書いたために、「山月記」にモノ申した文になってしまったのではないかと気に病んでいる。

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ゆく者は斯くの如きか

2017-01-12 23:25:51 | 
昨年夏から何度も読み返しながら、その度に挫折していた本がある。
「後白河院」(井上靖)

本来 井上靖氏の作品は、読みやすい。
「敦煌」「天平の甍」「孔子」など歴史小説は、抑えた筆致と平易な言葉で淡々と記されているため、小説でありながら客観性を感じさせ、読みやすい。
また井上氏は「しろばんば」「夏草冬濤」「北の海」など私小説も多いが、それらが青春時代を描いているという点を差し引いても、私小説独特の独善性はなく、読みやすい。
だが、「後白河院」だけは、どうにもこうにも読みづらい。
読みづらいと感じる理由は、もちろん私の歴史認識の欠如によるものだが、一つ自己弁護をすれば、そもそも本書は末尾に206もの注解をつけねばならぬほどに難解なのだ。

ただ、元旦早々、新聞一面に「上皇」の文字が踊っているのを見つけ、よもや21世紀の現代に、このような言葉に出くわすとはと驚いた時、「後白河院」を読みづらいと感じ続けた最大の理由が分かったような気がすると同時に、空しくなった。

本書は四人の語り手が一編ずつ後白河院について語るという形式で進められ、後白河院ご本人が直接何かを語られるということはない。
第一部の平信範から、建春門院中納言、吉田経房、第四部の九条兼実までの四人が、それぞれ残した日記や回想記を資料とし、この四人を語り手にして、後白河院とその時代を浮かび上がらせていく手法は面白いが、四人の語りをもってしても、後白河院の心の内は漠として、知れない。

何度も幽閉されながら今様などを詠いながら遣り過ごし、御自身が先頭にたち闘うことなく、藤原氏の内部や武家内部を巧妙に対立させ、気が付くと全てを手中に収めているという後白河院の手法は、源頼朝をして「日本国第一の大天狗」と云わしめたほどだ。
例えば源平の戦いでも、平氏討伐の院宣を木曽義仲に出し、源頼朝が立てば義仲追討を頼朝に命じ、平家を倒した源義経が京に戻れば官位を与え、それに頼朝が怒れば、頼朝に義経追討の院宣を出すといった具合。
これを、台頭してくる武家勢力に対する奸智に長けた戦略と云えばそうだが、それよりは、骨肉相食む関係性のなか皇位を思うがままにしようする執念により鍛えられたものに私には思えた。

本書第一部では、後白河院を語るうえで欠かせない崇徳院のご不幸の説明から始まるが、後白河院の人生だけでなく、この時代に不気味さを与えているのが、崇徳院のご出生にまつわる噂とその顛末だ。(『 』「後白河院」より引用)
後白河院の同母の兄である崇徳院は、鳥羽院の御長子として誕生されたが、『鳥羽院はこの王子を御祖父白川院の御胤であるとして、終生父子の愛情をお持ちにならず、おじ子、おじ子とお呼びになって』おられたという。『果たしてこのような事実があったかどうかは判りかね』るが、『鳥羽院が崇徳院に対して、終生愛情をお持ちにならなかったということは、崇徳院がその一生を通じてご経験になられた』ことであり、それが皇位継承問題を引き起こす。
法皇とはいえまだ若く実権を掌握していたい鳥羽院と、御長子でありながら愛されぬ上皇・崇徳院の間に『不穏な気がわだかまり始めたのも已むをえないこと』であり、『眼に見えない不気味なものが、どこか時代の片隅の方に巣喰らいつつあった』というが、この不気味なものは『遊び好きの派手な御性格の』後白河帝が即位することで抑えきれないほど蔓延し、保元の乱につながっていくのだ。
保元の乱の後、崇徳院は流刑された讃岐で崩御されたが、『朝廷におかれまして亡き院のために何の御儀も執り行わなかった』という。

これで兎も角、皇位継承や藤原家内部のゴタゴタが収まり世が鎮まったかといえば、そうではない。

『京中京外、人々は西に東に逃げ惑い、一日として安穏な日のないことは、まことにこれ崇徳院怨霊の所為かと思いたくなる』ような惨状が続いたが、怖ろしいことに、怨霊の所為というのは根も葉もない噂話というわけではない。
『崇徳院が讃岐に於いて御自筆で、血を以て五部大乗経をお書きになり、奥書に天下亡滅を祈って筆を執ったと記してあるものが、御子元性法師の許に伝わっている』という。

このような親族間の骨肉の争い、という話が私は苦手だ。
日本史が得意な友人は、古典の知識を系図に重ねて権謀術数や栄枯盛衰に思いを巡らせることを楽しんでいたが、私にはそのような趣味はない。
私自身、人を裏から操ったり陥れたり呪ったりするくらいなら、いっそドンパチしてしまった方が良いと思ってしまう性質(たち)なので、この時代に武士が台頭してきたことは必然だったのではないかと思うが、本書にも同様のことが書かれている。
『合戦騒ぎが終って、私共に一番はっきりと感じられましたことは、長い間陰気にくすぶっていた皇室や公卿の対立が、合戦というもので、あっという間に片付いてしまったということでございます。極わく僅かな時間で、そうした陰気などろどろした厭なものが跡形もなく消え去ってしまい、片方が勝利を占め、片方が殺されたり、流されたり、幽閉されたりして、信じられないようなすばやさで一切のけりがついてしまったということでございました。 』(第一部より)

だが、一つけりがつけども、更に争いは生じてくる(生じさせる人がいる)

『今日は賊を追討する院宣を賜った者が、明日は立場を変えて賊の汚名を蒙るに到った例は、一、二には止まらぬ。末世と謂う以外仕方ない混乱の時代は長く続き、しかも現在なお終わりにはなっていないのである』(第四部より)

この混乱に乗じ、敵方双方を対立させ争わせ弱体化させ、自らは一度も闘わずして一つ一つケリをつけ、二条帝から後鳥羽天皇まで5代50余年にわたり院政を敷き君臨されたのが、頼朝をして「日本国第一の大天狗」と言わしめた後白河院その御方だが、その見方を、最終章第四部の語り手である九条兼実は、後白河院の崩御後、一変させている。

『世の事件の持つ意味はある歳月を経て初めて判然として来るものである。その事件の渦中にあった人々の言動も、その真実の意味を知るにはある歳月を必要とする』
『(後白河院は)院の政の時代に生まれ、その弊についてお気付きになっておられたとしても、御自分も亦そうしなければ、外戚の公卿朝臣たちをお押さえになることはできなかったのである。~武門の擡頭は一朝一夕の準備にして成ったことではない。たまたまそのような時代に院はお生まれになり、帝位にお即(つ)きになったまでのことである』

終始一貫 頼朝側につき後白河院に意見してきた九条兼実ですら、歳月を経て考えを改めているのだから、それから更に歳月を経た現代人に、当時の院の政や争いが正確に理解できるはずもないことは分かっている。
だが、ひとつ動かしようのない事実としてあるのは、後白河院崩御の翌年、京から遠く離れた東の地に鎌倉幕府が誕生したということだ。(注 ※)

皇位継承に混乱が生じているため、世が乱れたのか? 世が乱れているため、皇位継承に混乱が生じたのか?
院の政が、世の乱れを加速させたのか? 世が乱れているため、院の政を必要としたのか? 
それは、慎み深く心のうちで考えるべきことかもしれないが、よくよく心に留めておかねばならぬことは、その混乱を個人としては上手く掻い潜ることができたとしても、問題の大元を解決しなければ、本体自体が弱体化してしまうということだ。

ある種のイメージが付き纏う「譲位」「上皇」という大時代的な言葉に釈然としないものをもっていたのだが、コンピューターシステムなどの対応という点では、事前に元号が発表されることは有難いことだという。「三つの時代を生きる」
だが、今日は今日とて、報道は錯綜し混乱している。
朝刊で、日経新聞は「天皇退位後「上皇」に」と、毎日新聞は「<退位後称号>「上皇」使わず 政府「前天皇」など検討」と記事にしているが、昼ごろ産経新聞が「天皇陛下の譲位 政府首脳、毎日新聞の「前天皇」報道を否定」と配信している。

混乱は、人々がこの件を軽々しく口にするため生じている。
政府関係者・有識会議関係者がそれぞれに語り、それを受けマスコミがそれぞれ真反対の記事を書き、真反対のそれを受け世論が右往左往する。
混乱すればするほど、人がそれにつき語れば語るほど、軽い話題の一つになっていく。
それで良いのか?

問題の大元に決して触れぬままに、呼称をいかにするかという問題だけで右往左往しているのを見ていると、「いい国つくろう」(注※)と違う体制が成立した歴史が思い出されてならない。
これで良いのか?
この議論の真ん中にあるべきものは、これからの世に必要なのものは、’’敬愛’’だと、私は確信している。

※ 最近では、鎌倉幕府の成立年について諸説あるようだが、ここでは1192年をとっている。


タイトル「ゆく者は斯くの如きか」は、「孔子」(井上靖)に何度も記されれる「論語」の一節。

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DOTCH 

2017-01-12 18:35:05 | ニュース
昨年夏ごろから、大時代的な用語を耳にするようになり久しいが、愈々それが政治日程にあがってきたようで、混乱している。

この問題が話題となって以来、何度か手に取る本のなかに、院の政の時代の混乱を憂いている一文がある。

『今日は賊を追討する院宣を賜った者が、明日は立場を変えて賊の汚名を蒙るに到った例は、一、二には止まらぬ。
 末世と謂う以外仕方ない混乱の時代は長く続き、しかも現在なお終わりにはなっていないのである』
「後白河院」(井上靖)第四部より)

ある種のイメージが付き纏う「譲位」「上皇」という大時代的な言葉に釈然としないものをもっていたのだが、コンピューターシステムなどの対応という点では、事前に元号が発表されることは有難いことだという。(「三つの時代を生きる」
だが、今日は今日とて、報道は錯綜し混乱している。
朝刊で、日経新聞は「天皇退位後「上皇」に」と、毎日新聞は「<退位後称号>「上皇」使わず 政府「前天皇」など検討」と記事にしていたが、昼ごろ産経新聞が「天皇陛下の譲位 政府首脳、毎日新聞の「前天皇」報道を否定」と配信している。

混乱は、人々が軽々しくこの件を口にするため生じている。
政府関係者・有識者会議関係者がそれぞれに語り、それを受けマスコミがそれぞれ真反対の記事を書き、真反対のそれを受け世論が右往左往する。
混乱すればするほど、人がそれにつき語れば語るほど、軽い話題の一つになっていってしまうが、それで良いのか?

<天皇退位後「上皇」に 政府検討> 2017/1/12 2:00日本経済新聞 電子版より一部引用
政府は、天皇陛下が退位された場合、その後の呼称を「上皇(太上天皇)」とする方向で検討に入った。皇族としつつ皇位継承権は付与しない方針で、公務など活動のあり方が焦点となる。

<退位後称号「上皇」使わず 政府、「前天皇」など検討> 毎日新聞 1/12(木) 7:15配信より一部引用
政府は天皇陛下が退位した後の称号について、歴史的に使われてきた「太上天皇」と略称の「上皇」は使用しない方針を固めた。上皇が天皇より上位にあるとして政治に関与した歴史があり、皇位の安定性に懸念を抱かせる恐れがあると判断した。代わりに天皇より上位とみなされにくい「前天皇」や「元天皇」とすることを検討している。今春以降に国会に提出する退位の関連法案に明記する。
上皇は平安時代後期から鎌倉時 代中期にかけ、政治に関与する「院政」を敷くことがあった。政府の有識者会議では「現行憲法下の象徴天皇と結びつけるのは飛躍がある」として、懸念は不要という意見もあった。
しかし、上皇は歴史的な称号で権威を与えかねず、新天皇に即位する皇太子さまとの「国民統合の象徴の分裂」が起こる懸念がある。「二重権威になっていさかいが起こるイメージがある」(有識者会議関係者)こともあり、使用を見送る判断に傾いた。
陛下は2010年7月の宮内庁参与らの会議で「自分は上皇になる」と述べていた。

<天皇陛下の譲位 政府首脳、毎日新聞の「前天皇」報道を否定> 産経新聞 1/12(木) 11:05配信
政府首脳は12日、毎日新聞の同日付朝刊が天皇陛下の譲位後の称号をめぐって「退位後『上皇』使わず」「政府 称号『前天皇』など検討」と報じたことについて「元天皇、前天皇は検討しておらず間違いだ。上皇に関しては、過去の上皇とは異なる意味合いで称号とする可能性はある」と述べ、明確に否定した。


近くアメリカ大統領に就任する次期大統領は、当選後初の会見で、貿易不均衡について日本を名指しで批判しているが、そのような時に、混乱していて良いものか?

混乱がもたらす混乱について、「後白河院」(井上靖)を紐解き考えてみたい、つづく。

注、本文は後の「後白河院」考に収める予定

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