何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

連作~球児に春よ来い!

2017-01-29 18:51:05 | ひとりごと
「廻りまわって 連作」より

今年は元旦早々 暗澹たる幕開けとなってしまった。
おそらく当分の間、かなり不愉快な月日を過ごさねばならないという覚悟と同時に、何をどう応援すれば良いのか分からなくなってしまったという困惑もある。

暗澹と不愉快の原因は色々あるが、遠い世界を憂いていても仕方がないし、もはや意固地になっている家人の頑迷さを変える努力をする元気もないので、今年一番の応援は、若いエネルギーと持てる時間のほとんどを野球にかけて頑張っているJ君へのエールから始めようと思う。

J君の応援から始めるのは、年末に読んだ短編集の一つが気になるからだ。
「生真面目な心臓」(永井明)

私は、作者が医師である本は小説であれエッセイであれ大いに期待して読むのだが、それは医師の書く本に、医師としての科学的客観的な視点と究極の人間ドラマに否応なく立ちあわざるを得ない人独特のヒューマニズムを感じるからだ。
永井氏は、その作風からしてヒューマニズムの強い作家さんであるが、一編ごとに様々な器官の移植を描く本書を読むと、永井氏が臓器に魂が宿ると信じていること、又そのような臓器や代替物を移植することに躊躇いがあるであろうことを、強く感じる。

そのような短編集のなかで、気になったのが「肺と金メダル」という作品だ。

※これは、アトランタオリンピックに日本代表として出場し見事金メダルを勝ち取った選手の話である。
群れを嫌い、努力を嫌い、群れで努力することを更に嫌い、専門医の助言と持ち前の筋肉だけが彼の武器だ。
100メートル男子日本代表、浅見吾郎。またの名をスプリンターⅩ。(※滅入っているので、ドクターⅩで遊んでみた)

吾郎は高校入学後初めて受けた身体測定の後、同校の校医であり、陸上部のコーチも務める長沢に大学病院に連れて行かれ、様々な検査を受けさせられた。
検査結果に確信を得た長沢は、どうすれば女の子を引っかけることができるかしか頭にない吾郎に「短距離選手になれ」と説く。 (『 』「生真面目な心臓」より引用)
『人間が走るとき、つまり脚の筋肉が収縮するときには、たくさんの酸素が必要になる。それを元にしてエネルギーを生み出すわけだな。しかし、そのエネルギー合成システムが作動し始めるのは、全身の最大酸素摂取能力の50%を越えてからなんだ。それまでの間は、酸素を必要としない別のシステムが、筋肉を動かすエネルギーを作る』
『骨格筋は速筋繊維ご遅筋繊維という二種類からなっていて、このうちの速筋繊維が酸素を必要としないシステムで働くんだ。つまり、アデノシン三リン酸分解酵素やクレアチンフォスキナーゼなどの活性が高いわけだ』
『短距離を走るスプリンターの場合、使っているのはほとんどこの速筋繊維なんだ。逆に長距離を走る選手では遅筋繊維の働きが重要になる』
『お前(五郎)の場合、百メートルを走るために必要な速筋繊維が、人並み外れて発達している。これは努力なんかでどうこうなるもんじゃない。生まれつきの資質なんだよ。だから、勧めているんだ。お前の脚なら、世界を狙える』

この速筋繊維をもってすれば、「(練習は)いたしません」と大口をたたいているだけで良かったのだろうが、吾郎はハーマン・リッチ症候群に冒されてしまった。別名「びまん性間質性肺線維症」というこの病に罹ると、肺の正常繊維がどんどん線維化し、線維化した肺は弾力性を失い、ガス交換率は極端に低下するが、肺移植以外に有効な治療がなく、走るどころか死を待つしかない。
だが、吾郎の速筋繊維を諦めきれない長沢は、悪魔の所業に出てしまう。
それは、酸素摂取量はピカ1の肺を持ちながら足の筋肉繊維が陸上向きでない選手(吾郎の高校の後輩)が交通事故に遭ったのを幸いに、無理やりに脳死状態に持ち込み、臓器提供に同意させ、さっさと肺を取り出し、吾郎に移植してしまうものだった。

かくして、自前の最強の速筋繊維に、移植された最強の肺を備えた吾郎の走りは、オリンピック男子百メートル金メダルをを勝ち取るのだが・・・・・。

年末年始、生と死、心臓と脳そして思考の在り処に関わる本を読んでいたので、脳死判定や臓器移植という重いテーマについても考えていきたいが、今日ここで書きたい気がかりは、そのことではない。

医師でもある作者が 『お前(五郎)の場合、百メートルを走るために必要な速筋繊維が、人並み外れて発達している。これは努力なんかでどうこうなるもんじゃない。生まれつきの資質なんだよ』 と、努力では超えられない天賦の才を力説している点が気になったのだ。
オリンピックなどのスポーツ競技で活躍する親子鷹だけでなく、何代も続く伝統工芸や伝統芸能の世界での世襲の利点は、何代にもわたり同じ姿勢や同じ部位を鍛えることで、遺伝的にというか、そこが発達した家系となることは知られている。
だが、それが全てではないから、多くのスポーツ少年・少女に夢がある。
それが全てでないと証明したかった人達が、「練習量がすべてを決定する柔道」と云われる高専柔道を作り上げたと「北の海」井上靖氏は語っている。(参照、「繋ぐんじゃ」 「アインス、ツバイ、ドライ応援を繋ぐんじゃ」

しかし、医師である作者に、努力では太刀打ちできない筋肉や酸素摂取量があると説かれると、今J君が日常生活と学習などあらゆるものを犠牲にして堪えている練習は何になるなのかと、考え込んでしまう。

R君のように、小3の夏に野球をはじめて以来9年 朝から晩まで野球漬けの毎日に一切の後悔はなく、「野球に出会えて良かった。野球の良さを伝えるために教師になり野球部の顧問になる。でも浪人1~2カ年計画さ」とセンター試験を前にした今でも笑って言えれば、どう応援するかは明確で良い。
R君 頑張れ!

だがJ君はそうではない。
文武両道を目指すが、迷っている。
かける時間とエネルギーに見合うものがあるのか?-自分の野球センスと限界そしてチームの位置、得意だった英数がイカン状態になる不安の間で揺れている。
世知辛い世の中の、酸い方ばかりを舐めている気がする私としては「誰もがイチローや黒田になれるわけではないのだから・・・」と言いたくなるところを、ぐっと堪えて見守っている。高校生になり、一回りも二回りも大きくなった背中にかけてあげるだけの言葉を持たない自分が情けない。
どのような選択をしようが、選んだ道を真面目に地道に頑張る限りは、私は心から応援しているよ J君
J君 頑張れ!


29日現在
R君は、時間はかかろうと定めた目標を達成すべく、目標を真っ直ぐ見定め頑張っている。
J君は、一月足らずの間で、何かを吹っ切ったのか方向性を定めたのか、表面上は変わらない毎日ながらも明るさを取り戻し頑張っている。
頑張れ! R君 J君
頑張れ! 球児

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廻りまわって 連作

2017-01-29 10:41:55 | ひとりごと
「号外 春来る 追記アリ」より

次回にUPする「球児に春よ来い!」は、1月4日19:52:47に投稿したつもりの文章であったが、なぜか掲載されていないことに、26日になって気がついた。
それは、「瞳に映るもの」手塚治虫氏が書く’’移植’’について取り上げたために、同じく’’移植’’を題材とする「生真面目な心臓」(永井明)を思い出したからだが、この「生真面目な心臓」について触れているのが「球児に春よ来い!」だったのだ。

「ブラックジャック」(手塚治虫)「春一番」に、殺人事件の被害者の角膜を’’移植’’された女性の不思議な話がある。
「春一番」を初めて読んだ当時、今際の際に見たものが角膜に焼き付けられるということがあるのか、仮にあるとして、角膜を移植された人にそれが見えるのか、と知人(医師)に訊いたことがことがある。
「ない(はず)」との答えだったが、作者の手塚氏は医師でもあったので、長年の疑問であった。
それが、年末読んでいた「生真面目な心臓」には、移植された臓器に提供者の個性(魂)が宿っている場面が数多く描かれているだけでなく、作者がやはり医師であるので、興味深かったのだ。

廻りまわって、今日掲載することになった「球児に春よ来い!」だが、選抜出場が決定し愈々 球春という時期となったことは良かったのかもしれない。
そう感じながら、1月4日の「球児に春よ来い!」をそのまま掲載したいと思っているが、1ページが長くなり読みづらいため、次にUPすることとした。

つづく

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