何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

人生という作品

2017-01-13 23:50:35 | ひとりごと
<実は読んだことない文豪の名作小説! 2017年1月13日 06:00Jタウンネット配信>という記事が話題になっているようだ。

2016年10月26日、毎日新聞が発表した「第70回読者世論調査」によると、読んだことのある本のトップは「坊ちゃん」(夏目漱石)で、なんと61%の人が「読んだことがある」と答えたという。
この世論調査を受け、逆に、明治以降の日本の名作小説の中には、意外に読まれていない作品があるのではないかと考えたJタウン研究所が都道府県別にアンケート調査をした(総投票数520票、2016年11月21日~2017年1月10日)その結果が、上記の記事である。

読んだことのある本1位の「坊ちゃん」は、読んだことのない本9位にもランクインしているし、読んだことのある本3位の「雪国」(川端康成)は、読んだことのない本10位にもランクインしている。
「読んだことのある本or読んだことのない本は?」と突然質問されて、ともかくパッと思い浮かぶほど、両作品は有名だということだろうか。

毎日新聞の元記事によると、読んだことのある本の上位は教科書に採用されたものが多いらしいが、なぜか読んだことのない本の上位も教科書に採用されているものが多い。
たしか・・・12位「羅生門」(芥川龍之介)、5位「舞姫」(森鴎外)、3位「山月記」(中島敦)2位「たけくらべ」(樋口一葉)はすべて教科書で習った記憶があるが、世論調査によると、多くの人が読んだことがないと答えるという。
11位「銀河鉄道の夜」(宮沢賢治)や5位「人間失格」(太宰治)を読んでいないのでは、「恥の多い生涯を送って来ました」と頭を垂れねばならないだろうと生意気にも思ったが、エラソーなことを抜かしていられるのも、ここまでで、8位「細雪」(谷崎潤一郎)、7位「暗夜行路」(志賀直哉)は、当該作品を読んでいないのみならず、恥ずかしながら両作者の作品を読んだことがないし、4位「檸檬」(梶井基次郎)の感想にいたっては、梶井といい高村光太郎といい「この時代はよほどレモンが貴重だったのだろう」という情けなさだ。
こんな調子なので、「読んだことのない本」堂々の一位「蟹工船」(小林多喜二)も、当然のことながら私も読んだことがない。

だが、この結果を見て、久しぶりに「山月記」を読み返し、気が付いたことがある。
「坊ちゃん」「雪国」は、’’読んだことがある本’’にも’’読んだことがない本’’にもランクインしているが、それは両作品の有名な冒頭「親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている」という率直な物言いと、「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」という素朴な自然描写が、人の心を強く掴む一方で、それ以後の内容が冒頭ほどにはインパクトに欠けるせいではないか。
そう考えると、人の心をうつ文というのは、言葉を巧みに捻くり回した名文というよりは、素朴な感情を平板な言葉でつづったもののように思えてくるのだが、それは、「山月記」の主人公の李徴の詩が世に受け入れられなかった理由にも通じている。
授業で「山月記」を習った後、文庫文を買い折にふれ読み返したのは、優秀と誉れ高い李徴が並の官位では納得できず、高名な詩人を目指すも夢破れ、最後には虎に成り果ててしまう’’無念’’に感ずるところがあったからだが、李徴の詩が巧いにも拘らず人の心を打たなかった理由の重要性が、今なら分かる。
李徴の詩は、『高雅、意趣卓逸、一読して作者の才の非凡を思わせるもの』だが、唯一の友人は『第一流の作品となるのには、何処どこか(非常に微妙な点に於て)欠けるところがあるのではないか』と感じている。
それを、李徴は自身の『臆病な自尊心と、尊大な羞恥心との所為』で『僅かばかりの才能を空費して了った』と理解し嘆いているが、そうだろうか。
李徴は虎に身を堕とした理由を、飢え凍えているであろう妻子より自身の詩業を気に掛けるような男だからと理解しているが、それこそが人の心をうつ詩を作るうえで大切なものだったのではないだろうか。

本や詩歌を読む(鑑賞する)のもまた人なので、技巧的な上手さ云々よりも、素直な表現の方が心に馴染むし、そこに人としての素直な感情の吐露があれば尚更、心をうつ文となる。

そのような理解に至ったのは、今日が「歌会始の儀」の日だったせいかもしれない。

平成29年お題「野」 雅子妃殿下お歌
那須の野を 親子三人で歩みつつ 吾子に教ふる 秋の花の名

あるがままを詠われ、まったく捻りも何もないが、昨年秋から敬宮様が体調を崩されていたことを思えば、親子三人で花の名を語り合っていた何気ない一日を思い出し詠まれたことに、母としての情がしみじみ感じられると思うのだが、これまでの歌会始の歌で一番好きなのは何かと問われれば、迷わず挙げる歌がある。

平成17年お題「歩み」で詠われた皇太子様お歌
頂きに たどる尾根道ふりかへり わがかさね来し 歩み思へり

歌から思い浮ぶ景色は広がりがあるし、そこに人生を重ねておられるところに深みがあるが、歌そのものは純朴で素直で、心にすぅっと届いてくる。このような歌をこそ、益荒男振りというのだろう。
皇太子様が歩かれた尾根道 常念岳~蝶が岳
皇太子様の歌に自分が撮った写真をつけるのは躊躇われるが

人の人生も又その人の作品だとすれば、皇太子御一家の作品には上手く見せようという作為も技巧もないため、それは時に剥き出しの悪意に晒されることがあると拝察される。
だが、愚直なまでに正直に作品に取り組み、あるがままを示されることに心を打たれる人も多いと思う。
そのような皇太子御一家を、今年も心をこめて応援していきたいと思っている。

追記
授業で習った後わざわざ文庫本を買ったくらい、李徴の’’無念’’に感ずるところがあり、それは年を経て一層身に沁みているのも拘わらず、自分勝手な解釈を書いたために、「山月記」にモノ申した文になってしまったのではないかと気に病んでいる。

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