何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

ご体裁 加之

2016-05-08 23:51:15 | 
ニュースを見ては手入れの必要な庭を見ては、思いがあちこちに飛ぶので、<つづく>と書きながら、そのままになっている本が何冊かある。
その一つである「あきない世傳 金と銀」(高田郁)についての「売っての幸せが織りなす金銀」からの、つづき

本書に関心を持った理由に、本書の時代背景が現代に似通っていることがあるのだが、もう一つ興味を惹いた理由がある。
実はこの本、「あさが来た」(2015年度下半期放送のNHK「連続テレビ小説」第93シリーズ)|で涙をさそった「はつ(あさの姉)」の婚家・山王寺屋のモデルとなった天王寺屋に触れているのだ。

あさと同じく知識欲旺盛な「あきない世傳 金と銀」の主人公・幸は、奉公先の番頭・治兵衛から商いのイロハを叩き込まれるのだが、両替商や手形について教えられている時に、手形取引を創設した人物として出てくる名前が「天王寺屋五兵衛」なのだ。

「あさが来た」は自伝的物語とはいえ、そこはやはり物語であるから、天王寺屋の顛末がドラマ通りでないのは確かだろうが、あの時代に嫁の意見を商いに活かし時代の波を泳ぎ切り乗り越えていった加野屋の繁盛ぶりと山王寺屋の没落とを比較すると、男女の区別なく人物本位でその才能を活かすことの重要性について、考えさせられるところは大いにある。

あさちゃんは幼い時から知識欲旺盛だったにもかかわらず、「女子に学問は必要ない」と実家・今井家では学校に通わせてはもらえなかったが、婚家の舅に先見の明があり、あさが商いを覚えることを許すだけでなく、あさの意見を次々取り入れ、使用人には「あさちゃんの言う通りにせぇ」と命じる。
あの時代のこと、「女子の命令を受けられるか」と息巻く者も多く、事実ピストルを持参して乗り込まねばならないほど危険な商いでもあったが、女性でも実力があれば男性と対等に商いを任すという姿勢を示すことは、逆に、立場はどうであれ才覚さえあれば認めると示すことに繋がり、使用人たちに希望を与えたかもしれない。そして、それこそが加野屋が生き残った理由のように感じられてならないのだ。「チェスト行け! 朝がくる」

本書の主人公・幸は、優れた学者である父と優秀な兄をもち、自身も学問を修めたいと願うが、「女子に学は要らん。お尻が重いうなるだけやわ。先生も何で、女子にまで読み書きを教えはるようになったんか。ほんとに余計なことやわ」と、幸が読み書きを覚えたがるのを疎んじる。
「女子は子供を産んで育てれば十分で、読み書きすら不要だ」という母に対して、父は「学問を究めるのは男だとしても、女子にも読み書きを覚える機会は与えるべきだ」と、その地域で初めて女子にも読み書きを教えるようになるが、この父をもってしても、女子の命は男子の命と同じではなかった。
幸の兄は、幸が優秀なことをいち早く見抜き、意欲がある女子ならば学問を修めるべきだと考えていたが、疝気のため18歳にため急逝してしまう。悲嘆に暮れた幸は、兄が自分にそうしてくれたように妹に文字を教えようとするが、それを見ていた父の言葉は幸を打ちのめす。
・・・・・『 』「商い世傳 金と銀」より引用
『幸は自分が兄にしてもらったように、妹に読み書きの手ほどきをしようと決めていた。そこでまず、手本を地面に書いたのだ。土の上に書いた文字なら、幾度でも消せるし、書き直せる。墨も筆も紙も要らない。~略~
「『か』は、もとは、こんな漢字だったの」先の尖った石を手に取ると、「加」と書いた。
そして少し考えて、「之」を書き加え、「これで『しかのみならず』と読むの」と、小さな声で言い添えた。~略~
ふと、ひとの気配を感じて顔を上げれば、広縁に立って重辰がこちらをじっと見ていた。あ、父さん、と幸は思わず立ち上がった。
地 面の漢字を見つめる父の双眸に、哀しみと苛立ちとが宿るのを認めて、幸は狼狽える。小石を握り締めて立ち竦んでいる娘に目をやって、重辰は溜息交じりに言った。
「お前が男ならば」
父の口調に籠る無念が、幸を打ちのめした。
父さんは、娘は要らないのか。息子の方が良かったのか―そんな思いが黒々とした濁流となって、幸を呑み込んでいく。』

娘を打ちのめす「お前が男ならば」という無念を胸に抱え、息子の名前を口にしながら、流行病であっという間に、父まで亡くなってしまう。
学者である父と将来を期待された長男を失った一家はたちまち住むところにも困り、母は読み書きが出来なかったという理由だけでなく幼い妹を抱えていたという事情もあるのだろうが、住み込みの下女として働くしかなく、幸は9歳で奉公に出されることになるのだ。

だが、この奉公が幸の人生を大きく変える、そのあたりについては、又つづく

ところで、「お前が男ならば」という言葉は、敬宮様をご出産されたばかりの雅子妃殿下の病室で言い放たれた言葉だともいう。
女子を出産されたばかりの雅子妃殿下に、「これで子供が産めることがハッキリしたのですから、次こそは’’男子を’’」と宣った輩がいるというのだ。これは雑誌か何かの情報なので真偽は確かではないが、その後の皇太子様のご会見の御言葉から拝察するに、ホントだったのだと思われる。

平成16年、皇太子様お誕生日の御会見 敬宮様の御成長についてのお答えより一部引用
『周りから自分が認められているということを分かるようにしてあげることが大切で,それは一つの安心感につながっていくと思います。』

二歳になったばかりに娘の成長を説明するのに、「自分が認められているということを分かるように」「それは安心感につながる」と語らねばならない状況ほど悲しいものはない。
この御会見の二か月前には宮内庁長官による「第三子を」発言もあり、如何に敬宮様が軽んられていたかが分かるが、御両親である皇太子ご夫妻は男女の区別なく愛情を注がれているのだろう、勉強の優秀さはもちろんだが組体操で最下段を任される責任感と体力をもち、チェロに書道に百人一首にと文武両道に優れたお姫様に成長されている。

男女区別なく良いものを取り入れるという姿勢は、男女同権のご体裁を整える以上の素晴らしいものを、人にも国にも商いにももたらしてくれると思っている。

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