何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

きら²眼鏡で影を光に

2016-05-19 23:30:15 | 
この数か月の忙しさが一段落した今、脱力している。
忙しい時には、時間さえできれば、あれもしたいこれもしたいと思っているが、実際に時間ができると何もする気力がわかず、ひたすらボーっと過ごしている。
そんな区切りの先週末(15日)、母校ではないが大学(街)を訪問する機会があった。

駅から大学まで歩いている時、本好きとして気になったのは、古本屋はどこへいった?ということだった。
私が大学生の頃には大学周辺には古本屋が何軒もあり、悪徳教科書やら小説やらが天井まで所狭しと並べられていた。悪徳教科書はともかく、好きな小説は絶対に古本屋では買わないという友人もいたが、そこで授業の空き時間を過すのも、そこで見つけた本に引かれている傍線に思いを巡らせるのも、私には楽しいことだった。
そんな古本屋が訪問した大学周辺には一軒もなく、その代わりなのか、電柱に「○○教授の(悪徳)教科書譲ります、コピーあります」という張り紙ばかりが目立っていた。

それで、最近読んだ本に古本屋の場面があったことを思いだした。
「きらきら眼鏡」(森沢昭夫)
本の帯には、「古本に挟まっていた一枚の名刺から、運命が動き出す 愛猫を亡くし、喪失感にうちひしがれていた立花明海は、西船橋の古書店で、普段は読まない自己啓発系の本を買う。すると、中に元の持ち主の名刺が栞代わりに挟んであり、明海が最も心を動かされたフレーズにはすでに傍線が引かれていた―略―』とある。

愛猫を亡くした喪失感にうちひしがれながら古本屋に向かう人物が主人公とくれば、読まずにはおれないなかったが、古本屋と古本に挟まれた名刺という設定では、残念ながら短編集「淋しい狩人」(宮部みゆき)「歪んだ鏡」の方が、捻りが効いているかもしれない。
「歪んだ鏡」の、本に名刺が挟まれている理由とその後のストーリー展開は現実的で無理がなく、そのうえ古本に引かれていた傍線のフレーズ『男なんてものは、いつかは毀れちまう車のようなもんです』『毀れちゃってから荷物を背負うくらいなら、初めっから自分で背負うほうがましです』(「赤ひげ診療譚」(山本周五郎))は、短編小説に推理要素と深層心理まで加えている。
一方の「きらきら眼鏡」で古本屋が舞台となったのは、本に挟まれた名刺を登場人物の出会いの切っ掛けとしたかっただけであり、その本に引かれた傍線部分の『自分の人生を愛せないと嘆くなら、愛せるように自分が生きるしかない。他に何が出来る?』というフレーズもピリリと効く捻りではないかもしれない。
だが、物語を読み進めるうちに、他の印象的な言葉と相俟って、いい味をだすようになっていく。

「きらきら眼鏡」の主人公が読んた古本に傍線をつけていた女性には、余命宣告を受けている恋人がいた。その恋人から『限られた人生の時間を慈しむように、一分一秒を大切に使うべき』だとアドバイスを受け、きらきら眼鏡をかけることを決意した女性は言う。
『わたしね、気になる人には会ってみて、読みたい本は読んで、やりたい仕事はやろうと思うの。で、その結果、得られた感情は、一つ一つ丁寧に味わおうって思ってるんだよね』
そうすると、『人生の価値を決めるのは、その人に起こった事象ではなくて、その人が抱いた感情なのだ。~略~この世のきらきらした部分にフォーカスして、きらきらした感情を丁寧に味わえたなら、人生の幸福度は限りなく百点満点に近づいていくだろう』という事に気付くという。

主人公が上司に連れられて行ったスナックの『巨漢でマッチョなオカマさん』ゴンママも名言をくれる。
『ちょっと、あんた、人生を花束でいうなら、「幸福」は派手なバラで、「不幸」は地味なかすみ草なのよ。両方を合わせた花束は、いっそう「幸福」のバラが引き立って、とても愛すべき存在になるんだから』
ゴンママの名言はつづく。
『人生には、「不幸」も大切な要素だって・こ・と・よ』
『不幸な出来事ってのは、その裏側に必ず大切なプレゼントが隠されているんだって』

ゴンママさん曰く、不幸の裏側の見えないところに、こっそり神様はプレゼントを隠しているという。
つまり、不幸とは人生に起こった出来事に対して、自分で勝手にあとから「不幸」と名をつけるものでしかなく、この世に起こる事象はすべて単なる物理的な事象に過ぎない、その物理的な事象に対して「悲しい」という感情を後付して、それを「不幸」と呼んでいるだけなんだという。
例えば、彼女に振られたとしても、それで自分はフリーになれて、これから先もっと素敵な女性と出会えるチャンスができたのだと考えれば、「悲しい」気持ちになるのでなく、裏側のプレゼントとして前向きになれるという。
そんなことが出来るのか?
『(あまりにも悲しすぎて耐えられないときには)もう一人の自分を頭上二メートルのところに作って、そこから肉体のある自分を眺めおろしてやればいい』
『肉体のない、もう一人の自分ね。そいつの目線で、生身の自分を見下ろして、生身の自分に起きた「事象」を冷静に観察するんだって。そうすると、その「事象」に対して、生身の自分が抱いている耐えられないような感情も、しょせんは「後付け」だったことが見えてくるし、起こった「事象」の裏側にあるプレゼントも探しやすくなるんだってさ』

全く同じことを、「エースをねらえ」(山本鈴美香)で宗方コーチが言っていたと思うし、「後付け」の感情に振り回されて人生を棒に振ってはならないと「光と影」(渡辺淳一)も教えてくれているが、人間ができていない自分には、それは難しいことだと諦めていた。「災害と戦しちょるごたるある」
だが、「きらきら眼鏡」をかけることなら出来るかもしれない、そう思わせてくれる本に出会えて良かったと思うとともに、そんな出会いのある古本屋が学生(街)から姿を消していることを、とても残念に思っている。

頑張れ 本屋さん
本を読むのだ 若者よ

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする