何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

柔軟性が導くトロイとマヤ

2016-05-11 23:15:25 | 
「売っての幸せが織りなす金銀」 「ご体裁 加之」からのつづき

「あきない世傳 金と銀」(高田郁)の時代と現在は、バブル期の後に長く続く不況にあえいでいるという点で似通っているので、深い考察を加えて現代を生きるヒントにしようなどとご大層なことを考えていたが、無理だった。
それをするにはパソコンの調子も、私の調子も悪すぎる。
上からの「まだwindows10にはするな」の命を守るためには、ファンが気になる音をたてているパソコンをだましだまし使わねばならない状態だし、PM2.5だか黄砂だかにやられて開けていられないほど目も痛く何かを考える元気もないので、いつも通り印象に残った場面と、このシリーズに期待することだけを記しておくが、時代を切り拓くキーワードは、柔軟な発想と個人の能力を活かすということだと思っている。

ともかく、「あきない世傳 金と銀」(高田郁)
主人公・幸の父は私塾を主宰する学者であるが、先祖は大楼閣様に治水事業を任される武士だったという尻尾が抜けきらず、長男ばかりかまだ7つか8つの娘にまで、『人々の暮らしの基は、農にある。政の基も、本来は農にあるべきなのだ。自らは何も生み出さず、汗をかくこともせず、誰かの汗の滲んだものを右から左へ動かすだけで金銀を得るような、そんな腐った生き方をするのが商人だ。商いとは、即ち詐なのだ』『手の荒れておらぬ者は信用するな。自ら汗を流さぬ者を信用するな。商人などという輩と、決して深く関わってはならない』と頑なに説いている。
一方母は、自らもおなごでありながら「おなごには読み書きすら不要、ただ子供を産み育てればいい」という考えで、幸が指に水つけて板敷に字の練習をすることすら尻を叩いてまで禁じようとする。
このような両親と兄・雅由は、商いについても女子の生き方についても考えを異にしている。
優秀と誉れ高く将来を期待された雅由は、漢学だけでなく早くから経済も学びその重要性を認識し、妹・幸に読み書きを教えるだけでなく商いについても語って聞かせる。
『「経済禄」の一節に、「今世の諸侯は、大も小も皆、首を低れて町人に無心を言ひ」とあった。要するに武士は豪商の金銀に頼って暮らさざるを得ないのが実情だ、というのだよ。こうした武家の困窮を救うには、金銀を手に入れることこそが大事になるだろうし、そのために物の売り買いというのは益々重要になっていくだろう。おそらく、今後は治世を論じる上でも、金銀を抜きには語れない時代がくる、またそうでなければ、この国は危うい』
『士農工商というけれど、人の値打ちが身分で決まるとは、私には到底思えない。農を重んじることは大切だが、さりとて商を貶めて良いものではないだろうに』

兄の商いに対する姿勢は後に五鈴屋へ奉公に出された幸に大きな影響を与えるが、兄の教えはそればかりではない。
例えば、金と銀の色を知らないという幸を川辺に連れて行き、『朱と黄とが混じりあったような夕陽の輝き、あれが金色。川面の煌びやかな色、あれが銀色、どちらも天から与えられた美しい色なんだ』と雅由が教える場面は印象的だが、この言葉はただ金銀の色合いを教えるだけでなく、奉公先が扱う金銀(銭)への偏見を変えることにも繋がっていく。
読み書きに加え人の道を情緒と実利から語ってくれる素晴らしい兄は18歳で急逝してしまうが、生前から『知恵は、生きる力になる。知恵を絞れば、無駄な争いをせずに、道を拓くことも出来る。知恵を授かりたい、という幸の願いはきっと叶えてもらえるよ』と幸が学ぶことを励まし続けていた姿勢を貫き、亡くなる直前に最期の願いとして両親に『幸に教育をつけて下さい。女子だからと学ぶ機会を奪わないでやってください』とまで頼んでいた。
このような優秀で心優しい長男を喪い、長男を追うように失意のうちに父までも亡くなったことが一家の運命を激変させ、幸は9歳で大阪は天満の五十鈴屋へ女衆として奉公へあがらねばならなくなるが、そこには兄の想いを継いでくれるかのような出会いが待っていた。
当時のお店は、女衆は『一生、鍋の底を磨いて過ごす」ものとされていたのに対し、男の使用人には店が引けてから読み書きそろばん商いのイロハが教え込まれていた。まだ9つの女衆でしかない幸を、男の使用人と机を並べて学ばせることはできないが、幸の賢さをいち早く見抜いていた番頭・治兵衛は何くれとなく世話をやいて、幸が文字から商いについてまで学ぶ機会を与えてやる。時には小娘の幸に、商人としての人の道まで語って聞かせるのだが、「商いは詐なり」という幸の父の考えも川辺での兄との思い出も理解したうえでの、治兵衛の言葉は優しい。
『「商い」いうんは、あの川に似ている』『川の始まりが湧水なら、反物の始まりはお蚕さんだすやろ。それが最後にはお客さんという海に辿り着く』
『悪いことして、流れを乱す奴も居る。洪水もあれば渇水もある。けれど、真っ当な商人は、正直と信用とを道具に、穏やかな川の流れを作ってお客さんに品物を届ける。問屋も小売も、それを生業に生きるさかい、誰の汗も無駄にせんように心を砕く。それでこそ、ほんまもんの商人出す』

この番頭の教えに感謝し、幸は『治兵衛から色々教わって知恵を蓄えることを大事にしよう。たとえそれが生かされずに終わったとしても、知恵は自分の宝になる。それで充分だ、と』決意するが、幸の成長を見守るのは番頭・治兵衛だけでない。
番頭がいくら女衆の賢さに目をかけても、一介の女衆に学びの機会を与えるのは難しいが、本を読むのが三度の飯より好きだという五鈴屋の三男坊・智蔵ぼんも『私に似てるさかい、あの子(幸)もきっと生き辛うおますやろ。「変わってる」「けったいや」て、他人さんから思われてしまう。けど、似てるからこそ、わかるんだす。人にどない思われたかて、自分に知恵がつけば、それでええ。物を知ることは生きる力になるんだす』と、幸が学ぶことを後押しする。
智蔵ぼんの『物を知ることは生きる力になるんだす』という言葉こそ、母に疎まれても読み書きを学ぼうとする幸を励まし続けた兄の言葉に重なるものでもあり、幸と智蔵ぼんのこれからも楽しみだが、肝心の五鈴屋が、色ごとにしか関心がない長男と商いの才覚はあるが人情味のかけらもない策士の次男の対立により窮地に陥ってしまうところで、一巻は終わってしまう。

武士と商人、男子と女子、お店の上下関係と、いつの時代も乗り越えがたい垣根はあるが、時代に即したしなやかな対応が重要なことは、「あさが来た」の加野屋と山王寺屋のあれこれを例に引くまでもない。幸には是非あさちゃんのような活躍を!と次巻を待っているが、そこは「みをつくし料理帖シリーズ」の作者・高田氏のこと、主人公に課す道はなかなか厳しいとは思う。ともかく当分この不況もおなご軽視も収まりそうにないので、幸の幸いを願いつつ現代に通じるヒントを探しながら、読み続けていきたいと思っている。

物語周辺の小話については、つづく

ここまで書いて、面白いニュースを見つけた。
<カナダの少年「マヤ文明の古代都市」を星座の星の配置から大発見>  sorae.jp 5月11日(水)10時0分配信より一部引用
まさに発想の勝利とでも言うべき、素晴らしい発見がカナダの15歳の少年によって達成されました。同国に住むウィリアム・ガドリー君は星座の星の配置を地図に当てはめることで、ジャングルに被われたマヤの古代都市を発見することに成功したのです!
以前より中央アメリカの古代文明に興味を惹かれていたガドリー君は、星座の星の並びとマヤの古代都市の配置を観察していました。そしてある時、その星座の星とマヤの古代都市の位置に関連性があることを発見するのです!
22の星座の星が117のマヤの都市に一致していることを確認したガドリー君は、23番目の星座の星の一つに一致する都市がないことに気づきます。その場所は、メキシコのユカタン半島。ガドリー君はカナダの宇宙局に事情を説明し、当該箇所の衛星写真を撮影。そして、ピラミッドと思われる古代都市の一部の発見につながったのでした。


現代版シュリーマンのような話には夢があるが、私がこの話を素晴らしいと思うのは、ただ単に未知の遺跡が発見されたからではない。
シュリーマンがトロイの遺跡を発掘できた理由の一つに、既存の考え(「イリアス」(ホメロス)を物語にすぎないと見做す)に囚われない柔軟な発想があったとすれば、この度の古代都市の発見も柔らかな思考の賜物であり、しかもそれが15歳の少年の思いがけない発想を、大の大人が信じて関係各所の協力により成し遂げられたところにこそ、素晴らしさを感じるのだ。

このニュースは、既存の考えに凝り固まらずに・女子供の意見だと退けずに、良いものは良いと取り入れる柔軟性をもった時に大きな進歩があるのだと教えてくれる。
女子供の幸が活躍していく物語について書いている今、このニュースに出会えたことを喜んでいる。

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