何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

ワンコが舞い降りる 夜

2016-05-01 02:18:57 | ひとりごと
昨日30日、あみぐるみワンコが再臨した。

ワンコ実家の母さんが、嘆いてばかりで立ち直れない我が家を見かねて、得意の編み物でワンコを再臨させて下さったのだ。
15センチほどの編みぐるみワンコの頭には、ワンコの爪と首のところの毛が編み込まれている。
家族それぞれに、それぞれの思い出があるだろうからと、一体一体心を込めて家族の人数分を作ってくださった。

編みぐるみワンコ 再臨
春休みにウリ²が家庭科だかクラブだかで覚えたフェルト細工で作ってくれたマスコット・ワンコと並んで今パソコンの隣に座っている。 「桜よりぼた餅かい ワンコ」 「我が主様 ワンコ」


実はこのところ、眠れない。
ワンコ介護で夜中に起きていた頃は、呆れるほど何処でも寝られた。
寝れる時に寝ておかねばダウンする危機感から、電車で座るなり、椅子の背にもたれるなり睡魔に襲われた。それで睡眠時間をこまめにとっていたせいか、意外なほど気持ちはシッカリしていたが、体は悲鳴をあげていたのかもしれない、精密検査を受けねばならないかと思われる症状が出てはいた。

ワンコが天国に遊びにいった直後は、''何処でも睡眠''の習慣が残っていたということもあるのだろうが、本当に体が参っていたのかもしれない、我ながら薄情ではないかと思うほど、眠ることができたのだが・・・・・。

精密検査の心配をした症状が消え、体力が戻ってきた頃~ワンコが遊びにいってしまってから一月たった頃から、ワンコの夜鳴きとチッチで起きていた、丑三つ時と明け方に目が覚めるようになり、更に一月たった頃から、寝つきが悪くなってしまったのだ。

それが、昨夜はpm11:50分に眠れそうな気がしたので、フェルト&編みぐるみワンコのおかげだと穏やかな気持ちで床についたのだが、活字中毒の私の習慣で、つい手にとった本が、悪かった。

「天久鷹央の推理カルテⅡ」(知念実希人) http://shinchobunko-nex.jp/special/180027.html
これは以前も書いた通り、少女マンガのような女の子が表紙に書かれている医療モノだ。 「ワンコの夜症候群」
「お前の病気(ナゾ)、私が診断してやろう」と豪語する天才診断医が主人公だが、医療に絡めてあるとはいえ、病院の病院たる所以ともいえる怪談話?人魂やら処女懐胎やら吸血鬼やらを診断し、事件は解決、患者は回復というハッピーエンドがお決まりなので気に入り、シリーズを読み始めたのだ。
この本がいつもの調子で終わってくれれば、久しぶりにぐっすり眠れ、こんな時間にこんなモノは書いてはいない。

第三話(本編最終話)、「天使の舞い降りる夜」、これがいけなかった。

人の気持ちと空気を読む力が皆無でコミュニケーション能力はゼロだが天才的な頭脳の持ち主である主人公の天久鷹央は、誰もが診断できない病気に、たちどころに診断を下す。
奇妙な事件と珍しい症例をバッサバッサと解決していくストーリーは痛快で、いわゆる医療モノのもつ諸々がないはずだったが、「天使の舞い降りる夜」は違った。
鷹央は、患者の苦しみを前にしても「その病気であればその症状は止むを得まい」というクールなスタンスに見えるのだが、8歳の少年が再入院していると知り、院長の小児病棟で起る事件と病気に解決を図るようにという命令をもってしても、小児病棟に近づくことさえできなくなってしまう。
その少年とは、鷹央が研修医時代に小児科をまわった時に友達になった、三木健太だった。

『先天的に鷹央には「他人の立場に立って考える」よいう能力が欠落している』と評される鷹央は、オーベンのご機嫌を伺いながら同輩と協力し、下げたくない頭を看護師にさげ、時に我儘な患者の言い分を聞くなどと云う芸当は到底できない。
だが、医療の現場と云うのは基本的にチームで治療にあたるため、ブラックジャックのような手術手技が世界一というワンマンドクターならいざ知らず、知識が驚異的に豊富というだけでは、通用しない。そのため、鷹央の研修は困難の連続だったが、それを救ったのが、この健太少年だったのだ。
鼻血が止まらないという理由で救急受診をした健太を、救急医は焼却止血しただけ返そうとしたが、健太の足にわずかな紫斑があることを見つけた鷹央が、血液検査で急性リンパ性白血病を発見し、早期の化学療法のもと完全寛解に持ち込んのだ。
正確に診断し正確な治療を施してくれた恩を感じて、というよりは、人からは理解されない鷹央のキャラが、まだ幼い子供には新鮮だったのだろう、医師と患者と云う関係でなく友達として二人は仲良くなった。
化学療法で毛髪がなくなった健太に帽子をプレゼントしたり、励ますために絵本を贈ったりという、相手の状態と心を気遣っての行動は、鷹央には人生で初めてのことだった。
その健太が、再発に再発を繰り返し、今まさに最期の時を迎えるために再入院をしていると知り、鷹央は小児病棟に近づくことすらできなくなったのだが、小児病棟では原因不明の症状が起こったり天使が現れたりと、日頃の鷹央なら涎を垂らして飛びつきそうな事件が起こっていた。

健太が徐々に「その時」を迎える症状を読むと、ワンコを思い出さずにはいられなかった。
まだ8歳の健太は「その時」が遠くないのを感じ取り、だが「天使が天国に連れて行ってくれる」と信じることで、最後の時間を安らかに過していた。
この「天使が天国に連れて行ってくれる」という発想こそが、鷹央がかつてプレゼントした絵本にあるものだったのだ。

「天使が・・・・・見えるよ」と笑みを浮かべながら天国に旅立った場面を読むと、眠りながら笑いながら眠っていったワンコの姿が甦り、もういけなかった。

眠れるはずがない。

思えば、この年を生きてきて、意外なほどに「死」は私の近くにはなかった。
それが、17年と二か月良い思い出しかないワンコと、最後の4か月ともに寝て密度の濃い時間を共有し、最期の最期には私の腕のなかで、私を見つめながら、眠るように笑うように眠っていった、ワンコ。

鷹央の「なんで健太は・・・・・8歳で死なないといけなかったんだろうな。あんな良い子だったのに・・・・・」というつぶやきが、ワンコに重なってならない。
犬の17歳2か月のそれは大往生であることは頭では分かってはいるが、若い頃と変わらない姿を保っていたワンコは、私にとってはまだまだ幼い坊やでしかなく、鷹央の言葉に重なったのだが同時に、この世には幼い可愛い盛りの我が子を見送らねばならないという哀しみがあることを、思い起こさせた。

そして、たった一人の哀しみに暮れながら、子を亡くした母をなぐさめるお釈迦様の説話を思い出した。

しっかりしろよ、とワンコが叱ってくれている。

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