郷土教育全国協議会(郷土全協)

“土着の思想と行動を!”をキャッチフレーズにした「郷土教育」の今を伝えます。

私の少年時代ー10(民主化されなかった学校)

2021年06月02日 | 日記

「♪ 年の始めの 例(ためし)とて 終わりなき世の めでたさを 松竹(まつたけ)たてて 門ごとに 祝(いお)う今日こそ 楽しけれ ♪」

今でも正月になると、つい口に出してしまいたい衝動にかられる。
そう、明治より伝わる文部省唱歌「一月一日」の歌詞である。

ちなみに、これは一番で、二番こそすごい歌詞である。
「♪ 初日のひかり さしいでて 四方(よも)に輝く 今朝のそら 君がみかげに比(たぐ)えつつ 仰ぎ見るこそ 尊(とお)とけれ ♪」

何故この様なものを知っているかといえば、小学生の頃、元旦には登校して講堂へ全校児童が集まり、新年の祝典を行っていたのである。
オルガンの伴奏に合わせて、この歌を声高らかに歌った記憶は未だに消えることはない。
もちろん、歌詞の意味など分からぬまま歌っていたのである。

何だか戦前戦中の話のようだが、私が体験したのは紛れもなく「昭和30年代」であった。
既に敗戦後10年以上経過していたのにもかかわらず・・・。


しかし、ずっと続いていたわけではない。
はっきりとは覚えていないが、高学年になった頃には元旦登校がなくなっていたようだ。
もしかすると、盛んに歌っていたのが、ちょうどあの頃、そう当時の皇太子(今の天皇)が結婚して日本中が騒いでいた頃だったかもしれない。
我が家にもブラウン管14インチの白黒テレビが入り、婚姻パレードの様子を何度も見ていたものだ。

だから、60年安保の頃は既になくなっていたのである。

それにしても、何故、天皇賛美の歌をわざわざ登校させてまで歌わせたのか?
戦後民主教育は、地方の田舎学校までは行き渡っていなかったのか・・・?

そういえば、歌にまつわる話がもうひとつある。
卒業式の練習をしている時であった。
「君が代」や「仰げば尊し」を何度も歌わせられていたのだが、歌詞の意味が分からない上に間延びしたあの曲が何ともおかしくて笑ってしまったのである。
他人のせいにしたくはないが、私の列の前の子が最初にクスッと吹き出したのにつられて私も我慢できずついに笑ってしまうのだった。
すると、突然後ろからゲンコツの音が聞こえてきた。
後方で監視していた男の教員が、私たちの列の子を立て続けに殴ってきたのである。

多分、あれが最初で最後のゲンコツだった。
何故なら、真面目な私はそれ以降、どんなに嫌でもおかしくても我慢して教員の指示に従っていたからだ。

因に殴った教員は、担任ではなく学校一怖がられていた評判教員だった。
担任は、全く逆で、私に社会科を大好きにさせてくれた人だった。
だからこそ、当時の私が通った学校事情はどんなだったか知りたいが、既に知る由もない。

 

-S.S-


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