実は、今日思ったのですが…。
いわゆる、学校(義務教育)を「国民生活認定試験」(仮称)の場所にするというのは、いかがかと…。
(やりようによっては、これも国家権力に利用されかねないのですが。)
つまり、「あなたは、もう学校に来なくても、十分にこの国で生活していくなかでの学力は身につけました。大丈夫ですよ。」というようなものです。
聞けば、外国籍の方が帰化申請が、行われる場合、申請者が受けるようなテストに受かれば、「この国で暮らしていくことができますよ。」というものを、今の学校(義務教育)で行うようにすればよいというのはいかがでしょう。
もちろん、問題は山積みです。
でも、学校制度(学制、義務教育)のそもそもの目的は「識字率を高める。学びたくても学部機会が与えられない子を0にする」という主旨から始まったはずです。
だとしたら、その原点に戻り、そうするべきかと…。
もう一度言います。問題は山積みです。
例えば、試験に受かり、その後の「高等教育」「専門教育」を受けようという人の受け皿は?(例えば「飛び級」など)
試験に受からず「学校に通い続ける子の人権は?」
「特別支援教育学校、学級在籍の児童、生徒の人権は?」
「家庭などの問題で、学校に通うことができない子どもの支援は?」
等々。
しかし、今回のような感染症禍が次に起こったときに、何も変わっていなかったら、また同じように「休校」にして…。
そんなことの繰り返しにならないかと…。
「今回のような感染症禍はもう起きないだろう。だから、今回の休校措置は一過性のもの。」
と思われているとしたら、それこそ、子ども達…未来を背負っていくべき、次の世代に対して「失礼」「無責任」ではないでしょうか?
-K.O-