(写真はWeb上から借用)
夏休みの思い出が、やっぱり多く残っている。
田舎の季節の行事は旧暦で行われている。
今でもそうだが・・・。
8月に入ると、私たち子どももにわかに忙しくなる。
七夕とお盆が立て続けにやってくるからだ。
今の子どもたちの七夕は、7月中に学校等で願い事を短冊に書いて笹竹に付ける程度だが、私たちの頃はの一大行事を子どもたちが担うのだ。
8月7日が近づくと、各家々で大きな七夕飾りを一本作り上げる。
そこには、家族一人ひとりの願い等の言葉が書かれた短冊と嗜好を凝らした飾りつけがなされている。
因みに、この飾りつけの豪華さでその年の七夕担ぎの「先立ち」が決まる。
7日の午後、子どもたちは手分けして各家々の軒先に掲げられた七夕飾りの笹竹をいただきに行く。
中の笹竹が集められ、集落中央部の田園の道端に突き立てられる。
それは見事なものだった・・・。
中学生のリーダーたちが、その中から2本だけ見栄えの良い笹竹を選ぶ。
それ以外の笹竹は全てまとめて縄で束ねられ、一本の丸太のようなものができる。
「七夕」の完成だ。
これを私たちは神輿のように担いで中を練り歩くのだ。
背の高さに合わせて担ぐ場所が決められる。
これも年長者の役割だ。
七夕神輿(これを「七夕」と称していた)を担ぐ先頭に2本の笹竹が立つ。
これを私たちは「先立ち」と言っていた。
選ばれた家は名誉そのものである。
私は一度だけ先立ちをやらせてもらったことがあるが、この役は水に濡れずに済む。
何故なら、担いで練り歩く往来では時々水がかけれるのだ。
肩が赤く腫れ上がるほど、七夕の重みをズッシリ感じたものだ。
何か掛け声をかけながら歩いた記憶があるが、何を言ったか覚えていない。
中を練り歩いた後、七夕は隣町との境界線を流れる小川の橋の上までやってくる。
当時その川は綺麗で水量が多く、貴重な農業用水であり、子どもたちの楽しい釣り場でもあった。
橋の上から、掛け声もろとも束ねられた七夕は川に投げ込まれ、水の流れに流されて行くのだ。
これで子どもたちの「七夕まつり」は終わる。
中学生達はその後、次々に川に飛び込み泳ぎ始めるが、度胸のなかった私はただ上から眺めているだけだった・・・。
そうそう、この「七夕まつり」は全て男の子だけで営まれていた。
当時の女の子は何をしていたのか、記憶はない。
たしかに子どもにとって楽しい行事ではあったが、子ども心にも「毎年やらなかえればならない」義務感のようなものもあったことは確かだ。
貧しい農村の子どもたちに与えられた恰好の年中行事であったが、私が中学生になったころには廃止されてしまった。
-S.S-