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E・コッカーと戯れる浪費派リーマンのゆるい生活

頑張れ、熊本! 天草さすらい編。の巻

2016-07-21 11:32:03 | 旅行記
夏だねえ。

老夫婦は旅立ちます。




一路、西へ。




あら、関門橋を渡ってるよ~。


今回の旅のテーマは、「頑張れ、熊本!」

俺たちなんかに言われなくても頑張ってるんだろうけど、まあ、とりあえず現地で費消しましょう、と。

そーゆーことです。


で、その前にお礼参りです。

とゆーのも、ショーネン(現セーネン)の大学受験の際、魔神KOOさんが太宰府で参ってくれたのよ。

親のわしらはまたーーーく参ってないんだけどねw


その際のエクストリームな写真がコレ。




どれだけポールポジションやねんw


太宰府天満宮です。








ころっけ、興味津々。




スリング、初登場です。




さあ、絵馬をベストポジションに!




いろんな絵馬がありますねw




これは凄いなあ。




ころっけはおじいさんが気になってなりません。




「鯉にパンをやるんなら、わたしにちょうだい!」




セーネンが楽しくやれますように。




さあ、熊本に向かいましょう。

至る所にクマモンがいます。


おお、コレも凄い。




で、これレンタカーなんだね。


そしてここのみんなも、激しく頑張ってるんだろうなあ。




われわれの「中国山地」(http://www.chugoku-np.co.jp/column/?localfrom=chugokusanchi)の最大のライバル。

今回の相手は熊本地震になりそうだ。

昨年の「御岳」に続き、今年もこちらが涙を呑みそうだけど、まあ、お互い頑張りました。


そして熊本行きの大きなミッションはこれ。





亡くなった「鬼」のお父さんのお参りです。


会社の近くの飲み屋のご夫婦。

このバカブログにも何度も登場してる「鬼の家」


http://blog.goo.ne.jp/19960408/e/e48d2c13c0b04e130391e490b5101296



家は少し被災してたけど、お母さんはお元気そうでした。

こっちの病気の心配までしてもらって、スマヌスマヌでありました。


みなで贈った絵は、玄関の一番いいところに飾ってあったよ~。

「広島に遊びに来てね」ってお願いし、さらに南下します。


さあ、天草へ。

いっぱい橋を渡ります。




産業遺産だね。

三角港。








ころっけも元気にお散歩。




さらに橋を渡って、宿に着きました。






ムダにオーシャンビューです。


ころっけと戯れる奥さん。




その先にはこんなヒト。




さらにころっけとにらめっこ。




なんだかコントみたいだね。




さあ、ごはんに行きましょう。


満海ってお店です。



海鮮尽くしですね。




満腹のおなかをさすりながら、夜のお散歩。






スズキを狙ってました。




あっ、ホントに釣れた!




もう寝ましょうよってころっけ。




よしよし、おねむしましょ。


そして翌朝。

プライベートビーチでざぶんざぶん。






ころっけ、最近ちょっと海は苦手。

波の音が怖いみたい。


昔は沖のブイまで泳いで、くわえて持って帰ろうとしてたんだけど、今はもう岸近くで安全運転です。

それはそれでありがたいことだけどね。


そんな犬と50男の情景を奥さんが切り取ってくれてましたよ。




そして朝ご飯。

充実してますね。




ふだんは野菜ジュースだけだから、ちょっと調子が狂っちゃうよね。


海沿い、そして山道をずんずん南下。

天草市へ。


目指したのは崎津天主堂さ。


http://www.t-island.jp/p/spot/detail/86






もちろんころっけは入れません。

老夫婦でもう一度。




天草四郎もそうなんだけど、ここ天草の地であった弾圧や悲劇には心を揺さぶられる。

人間の弱さと強さ、醜悪さと荘厳さが、そこかしこに滲んでるよね。


小さな漁村を歩きました。









遠くに見えるのがマリア像だ。




最果てといってもいいようなこの崎津の地で、みな信仰を守ったわけ。

そして今に脈々とつながっているんだろうな。


とゆーのも、ふと気付いたのさ。




あれ?






これってロザリオだよね。

うーむ。


「お前にとって譲れないものはなんだ? そのために闘ってるか?」


路地の猫から問われたような気がしたなあ。




熊本方面に引き返す際に立ち寄った「天草四郎メモリアルホール」。




蜂起した民衆三万七千人がすべて命を絶たれたとされる島原の乱。

その最高指導者であった彼。当時16歳だ。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E8%8D%89%E5%9B%9B%E9%83%8E


おそらく細部は「伝説」の類いでもあるんだろうけど、そこに至った彼の地の人々の思いはいかばかりか。




ネタみたいなPで終わるのもいかがなものかだけど、さまざまに考えさせられた天草行でしたよ。




さあ、「怒濤の阿蘇編」はアシタのココロだぁ!



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