私には敬愛する先輩が4人ほどいる。
って、4人かよ。我ながら刻むなあ。
で、そのうちの一人のお言葉。
まあ、この人にだけは言われたくないってお方なんですがね。
ええ、ええ、またまたサイクリングの話です。
チビも自転車の道にはめようと、
なじみの自転車屋さんに連れて行った私。
チビのルイガノにスタンドやボトル入れを付けてもらいました。
その後、二人でサイクリング。
父としては無上の喜びなのさ。
で、チビの喜びは、きさく。
辛さゼロの冷やしを所望。
大好きなんだよねえ。
で、「ほどほどでない」のはその次の日の話。
朝、チビは塾。
9時前に一緒に家を出て、私はそのまま東へ。
車では離合の難しい道も、自転車ならむしろスイスイ。
広島駅から船越峠を越え、府中、海田へ。
西国街道をひた走ります。
瀬野駅を越えた辺りで、榎山峠に。
だらだら坂をのんびり登ります。
2キロぐらいあるような感じだけど、割と楽にいけますな。
痩せたからかしら?
で、どこか気になる施設に出くわしました。
さまざまな思い出のある会社の関連施設。
「何でこんなのの出くわすかなあ」と、思わず前述の先輩に写メール。
自転車でやってきたと付記したところ、
タイトルのような返事があったわけですね。
この先輩の命を受け、いろんなことをしました。
さまざまな教えは私の血となり肉となっているわけですが、
ある種のジャンルに限られているのもまた事実(笑)。
いやあ、オモシロ辛かったなあ。
なぞとしみじみしながら走っていると、いつの間にか東広島市に。
志和ですね。
いにしえの条里制の名残がうかがえる一帯だそうですが、
浅学非才のみには何がなんだか。
しかし、そんな私も「現場」には異常に鼻が利きます。
「あれ? ここって、ひょっとして…」
私にとって究極の「現場」がそこにありました。
そう、奥屋パーキングエリア。
2000年5月3日に起きた西鉄バスジャック事件の現場です。
当時、この案件に深ーく関わった私。
無駄に力が入っていたのは否めませんが、フルライフで取り組みました。
3カ月後にシンキンコーソクで死にかけたのは、ちと余計だったけどね。
とゆーことで、その後の人生を変えたってことだけは、
確実に言える現場なのだ。
そんな場所で、にやにやしながら、アイスクリームを食べる私。
福富町の「カドーレ」のアイス。
福富は福富で、激しく思い出があります。
ここにも前述の先輩が出てきて、
美しい思い出をどす黒く彩るのですがね(笑)
で、PAのトイレで記念写真をパチリ。
しかしまあ、いろんなことをやってきたなあ、と。
行き着く先にたいてい思い出があります。
そのほとんどが公言できない、ろくでもないものであるのが残念ですが…
帰りは畑賀峠経由。
で、これが異常にきつかった。
初めて、「足着いちゃおうかなあ」って思ったほど。
広島側から登ったら、もっと辛いような気がしますな。
てなことで、この日は60キロ弱。
こんな日々がずっと続けばいいのになあ…。
いろいろと、心が揺れる今日この頃なのでありました。
お帰りは水越峠を満喫されたんですね~( ^^) _U~~
ってゆーか、それこそ野生の勘。
あの「府中」ってゆー標識を見た瞬間、
なぜか忌避し、海田に下った私です。
後で、なるパパさんたちのブログを読み、
「行かなくてよかった…」と安堵した私です。
やはり感謝はしています、多少。
世の中、根性焼きは必要。
言うだけ番長ならこっちもイロイロ言えるんだけど、
背中で見せられると困るんだよねえ…
こっちも意地っ張りだし。
まあ、迷惑掛けたなあって感じなんだよねえ。
まあ、困った先輩だし、私も困った後輩です。
でも、俺たちはそんな世界で育ってきたんです(笑)
買いんちゃい!
最近、すこーし距離感覚が壊れてきて、
50キロぐらいはフツーになってきてしまいました。
しかし、誰かさんのように、
夜討ち朝駆けがフツーの感覚にはまだ到達できません(笑)
ありがとう!
まだ食していません。
いずれアップいたします。
で、世田谷。
何であの辺をうろついてたのかな、俺。
よく行ったなあ。
磁場が歪んでいるような、
未曾有の悪意が潜んでいるような、
戦慄を覚えるような雰囲気があったね。
あれは解決しないといけないよね…