私は子供の頃から、父の勤めている会社に行くのは好でした。
働く父の姿を見るのも好きだったように思います。
大きなコンピューターのドラムがゆっくりと回る景色が、
テレビのヒーロー番組の中の地球防衛軍の基地に似ていたからなのでしょう。
あのころの出力は紙のカードでした。それに小さな穴をあけてデーター表示していました。
だから、読み取るにも読み取り機にかけていたようです。
打ち出されてゴミ箱に入るカードの丸い粒を集めて、
貼り絵をして夏休みの宿題を作ったこともありました。
スーラの点描画を再現したものです。
そのころの父は私の中で絶対で、正しかっのです。
怒っていたとしても、それが正しかった。
高校の時にも、何度か父のいる会社に足を運びました。
その時、得意先の営業マンに対して、電話で怒っていたのです。
父が何時にこちらに到着するのかを聞いたのに対し、相手は
「昼から一番でお伺いいたします。」
と答えたらしいのです。
たちまち相手は無礼者となり、到着時刻を聞いてやって、
それに合わせて段取りを進めているのに、曖昧な返事をしたと憤慨していました。
「君はこちらに、君の会社からこちらまでの距離と交通事情を把握して、
どのくらいで到着できるかを考えさせるのか」
と怒鳴っていたのでした。
それを聞いているたあの頃の私は、まだ父は正しくて、
相手の営業マンのほうが、無礼者だと感じていたに違いないと思います。
しかし、今の私はどうだろう考えてみました。
父と同じ立場で、同じ質問をして、相手が同じような答えかたをしたなら、
どう答えるのでしょうか?父と同じように憤慨する可能性はあるのでしょうか?
まず、憤慨はしないでしょう。
「昼から一番」という言い方をする人はそれがその人にとっての「ふつう」だからでしょう。
特別にこちらを軽視したわけではなかったはすです。
私ならたぶん、こんな話をするだと思います。
「今ここに、急ぎの仕事が到着しているものがあるんだけど、私としてはお宅のほうを先に取り掛かりたいの。
もし、あなたが13時30分までに到着できるのなら、あなたのほうから取り掛かれるのだけど、
何時ごろ着きそうかしら?」
と言い、仕上がりが遅くてもよければ、後回しにしたい旨を伝えると思います。
相手の可能性を聞きつつ、こちらの都合も話して、
折り合いのつく場所はどこにあるかを探ることでしょう。
そんな私から見た父はどう映っているのでしょう。
父は昔のままで、すぐに無礼者を作りたがるのは変わっていません。
無礼者を作ったところで、自分自身も怒っているので能率は下がるし、
相手のテンションも下げてしまうだけなのになあと思うのですが。
こうして、何も変わっていない父の地位は私の中勝手に下落し、
コミュニケーション能力の低い人になってしまいました。