同窓会にまた行ったでー!

会えてよかった友・友・友、そして恩師。言えて良かったあの時ごめんねのひと言。次も絶対来ようね!

この国のゆくえを憂いてばかりではいられない。明治の群像から学ぶこの国のかたち。

2007-06-17 09:38:41 | Weblog
つまらないつぶやき⑨

昨日のつぶやきの続きです。参議院選挙を前にして年金問題が政争化していますね。皆さんご自身の年金履歴大丈夫ですか?同窓の方で社保庁勤務の方はいらっしゃらなかったと思いますが、社労士の方いたかなあ?自分じゃないが身内がとても困っている!誰か教えてー!という方もいらっしゃるのではないかと思います。こんな方へ友情の手を差し伸べてあげられる方はいらっしゃいませんか!・・・ところで、我々世代はちゃんと貰えるのかなあ?ちゃんとじゃないかもしれない?かな。

本題に移ることにする。数年前にある書店で手にしてはみたもののいつか読んでみたいなぁと心に誓いつつ書棚に戻した・・・あれ以来すっかりそのままになっていたが遂に買い求めた。この3月からチビチビ読み始め3ヶ月かけて先日やっと第8巻を読み終えた。司馬遼太郎作、「坂の上の雲」。久々に大作に挑戦した。

やはり読んでよかった。読みながら色々なことを考えさせてもらえた。私は、ばあちゃん子である。明治の女。祖母はとても気丈な性格で少女時代(10歳頃より)から八坂家(杵築市野田の元市長故八坂善一郎さん宅)に奉公していたことにプライドを持っていた。そんな祖母から40年ほど前に聞かされた日清・日露戦争。乃木希典や東郷平八郎を念仏のようにというか自慢げに語っていた祖母の姿が蘇った。男に生まれたからには・・

世はまさに列強(欧州各国)の全盛時代、明治という若い国家のいわば瀬戸際の時代に多くの主役達が登場し、彼らの思考と行動がビジュアルに描かれている。勝、西郷、大久保、木戸といった大物が世を去り、いわば薩長藩閥維新の生き残りがふたつの外国との戦争を切り盛りした時代。この小説(フィクションではなくあくまで史実に忠実らしい)では当時傑出した兄弟の存在を浮き彫りにして描いている。伊予の秋山好古・真之兄弟である。その友人であった正岡子規も登場する。旅順港口封鎖作戦で活躍した広瀬神社に奉られる広瀬武夫も登場する。彼は竹田市出身である。

和魂洋才、付け焼刃で作ってしまった当時の軍隊組織、軍事大国ロシア相手に断然不利な状況。したくない戦争に突入してしまったからには負けるわけにはいかない。しかし現実は、屍積み上げそこを越えてもなお辿り着かない203高地、壮絶な厳寒のなかでの一進一退の黒溝台、奉天での対峙。絶体絶命の日本の命運。起死回生の日本海海戦により戦いは収束した。これにより日本国土は保全された。

軍人だけでなく当時の庶民・国民はこの戦争についてどう考えどう行動したのかが伝わってくる。確か与謝野晶子の君死にたもうことなかれ・・・もこの日露戦争時代の作。

明治25年生まれの祖母にとっては、とても自分でこの戦争について評価できるはずがない。この戦勝を契機に日本の軍隊はそれまでの「手段」から「目的」に変容し、大正・昭和前期の忌まわしい時代へ突入した。乃木・東郷の名はこの軍国化の道筋で権力に都合よく美化され神格化されたといわれる。祖母が語った乃木・東郷の響きはきっと昭和の時代の大本営発表の受け売りであろう。

読み進むにつれ作者は容赦なく課題提起する。組織のリーダーとは?管理職とは?私がいうまでもなく司馬遼太郎は大作それも名作と評価される多くの作品を著した。比較するわけではないが城山三郎が書いたものも結構読んだ。戦後復興以来それぞれの局面でリーダー達は難局にどう立ち向かったのかといったものを読んでみた。お二人とも既に他界されたのでこれからは新たな小説は出てこないが、おふたりが残された作品はこの国のかたちをつくろうとした人々に光をあて同時に、読者に日本人とは何か?人間とは何か?を問いかけているようだ。

司馬遼太郎は40代の始めに約4年間かけてこの作品をサンケイ新聞に掲載し、その後史実との違いや関係者からのクレーム対応、表現の修正作業などたびたび現地に出向いたり、膨大な資料を解析したりで、単行本を世に出したのは49歳になっていたという。このことを想像しても彼の偉大さというか人生への立ち向かい方に感動を覚える。40代を終えようとしている自分の何とちっぽけなことか。

こんな名作に出会うと次への挑戦意欲も自然とわいてくる。もっともっと司馬遼太郎に近づきたい。不思議な気がする。だから読書はやめられない。

○四国松山に「坂の上の雲 記念館」ができているようです。NHKもスペシャルドラマ化するようですね。
○ここで一句 「さあ梅雨だ 雨が上がれば 夏の巻?」
        「松山に 修学旅行だ ○の巻?」・・・どうかな古庄君?

あなたのご趣味は?「読書と貯金」ですか?いいえ「読書とブログ」です・・・

2007-06-16 12:17:02 | Weblog
つまらないつぶやき⑧

えーもうやめたん?という極一部の方からの社交辞令を真に受けつつ、少しの緊張感と厚顔なのに僅かな恥じらいを感じつつ半年振りに「つぶやき」を復活することにした。(関西の盛り上がりに水を注してゴメン

まずは遠来の友へ報告したい。ふるさと大分ではいよいよ梅雨を迎えました。県南部から北に向かって順番に始まった田植えも、杵築の平場あたりが今真っ最中といったとこで、あと一週間もすれば県内全域で完了です。予報では今年の梅雨は短かく渇水が心配されます。田植えが終わるこの時期は格別で爽やかな風景が広がります。ふるさとが持つ多面的な効用を改めて実感します。毎年思うことですが、この田園風景は我々世代の責任で次世代に引き継いでいかなければなりませんね。

大分県は全国的にも名水の宝庫といわれていますね。中でも山香町の水の口湧水は評価が高いようです。わがふるさと八坂川の源流ですね。12月に別府市のビーコンで第1回アジア・太平洋 水フォーラムが開催されます。県庁で活躍する同窓の方が実行部隊の責任者として関わっていると伺っています。大成功を祈念いたします。我々世代が生まれる前までは、水と空気が国際的なテーマになることはなかったでしょうが、我々がこの世に出現して50年、それまでタダで無限にあると思われたものが、「このままでは危ない!」と叫ばれるようになりました。これからの50年はどうなっていくのでしょうか?環境問題、決してお金で済ますのではなく、一人ひとりが真面目に考え、少しだけ行動を変えていくことが必要なのでしょう。・・・きっとそんな気持ちが合わさることが大切なのでしょうね。

さて、自然の移ろいは毎年繰り返されていきますが、わが体調は顕著な変化を見せているなぁと感じるこの頃です。決して大袈裟なことではないのですが、日中特に体を動かしているわけでもないのに、毎夜報道ステーションが始まる頃には必ず睡魔が襲いかかってきます。結構強力な奴です。逆に朝は目覚ましよりも早く起きてしまいます。もちろん我が家では一番先。冷蔵庫の麦茶を一口飲んで、新聞受けからそっと朝刊を取り出し記事を拾い読みする。そんな毎朝の行動にふと、自分は既においさんになってしまっているのでは?と勝手に感じています。狼狽するほどのことではないのですが・・どうでしょう?こんな方はいらっしゃいませんか。老いという言葉・現象はまだ当分先のこと、鍵の掛かった引き出しの中に仕舞い込んでいたはずなのにもうすぐそこに順番待ちしているような・・・こんな話は止めとこう。

本題に近づくことにします。学生時代はもちろん社会人になってからもあまり読書とくに小説を読む習慣はありませんでした。購入するのはもっぱら雑誌ばかり。そんな私も四十代になって本屋通いするようになりました。それまでは、パチンコもやりゴルフや釣りにもよく行きました。都町にも通いました。(ここへは今でも時々通っています)子供達の成長とともに本が身近になった気がします。要するに家人が取り合ってくれない、構ってくれないようになったからかもしれません。子の親離れ、妻の夫離れ?でしょうか。時間ができるようになって、本を手にするとその方が気楽だから自然にそうなってしまったようです。

読書のジャンルはいろいろ。実存する経営者の経営哲学やリーダーシップ論は読み漁りました。高杉良や城山三郎の経済小説は結構読みました。山崎豊子もよかった。不毛地帯や沈まぬ太陽は今も印象に残っています。日航に行った友はこんな職場で働いているのかなぁーと思いながら読んだ気がします。とにかく経済ものばかり・・・・家人曰く、そんな本ばかり読むと頭がガチガチになるぞ!たまには恋愛小説でも読んだら!と忠告あり。指摘されシャクではあったが書店で手にした本は、唯川恵の100万回の言い訳という本。レジに出す時少し気恥ずかしさを感じたが読んでみて結構面白かった。大人の女性の心理描写が見事で、彼女の作品を続けざまに読んだ。小説の魅力は登場人物に寄り添う自分も感じることができること。一緒になって悲喜交々、心ときめく瞬間を味わえること。

あーぁもっと若いときに小説にめぐり会えばよかった。ごく最近挑戦し感動した作品について次回のつぶやきで紹介させてもらいます。

○6月9日に関西地区でも最初の集いが開催されたようです。町田君、山口君が中心になってご苦労された様子が画面一杯にはみだすくらいに広がっています。わが8組からも元気な顔がふたつ。
○高校時代からおいさんだった有廣君。懐かしいひとつも変わっちねぇーぞ。京都の有名量販店の店長さんとして日夜ご奮闘らしい。体に気をつけて。
○増原君。写真で見ると恩師かな?みたいな感じでー。心の広い、優しかった彼の姿が蘇ってきます。お元気そうで何よりです。帰省の折には連絡してくださいよ。

○最後に一句 「ブログ書く 画面の向こうに 友がいる」




関西同窓会 開催しました!

2007-06-11 10:41:02 | Weblog
ついに関西同窓会を開催しました。

先週末の6月9日(土)梅田の阪神百貨店10Fの「つる屋」に関西圏の杵築高校28回卒業生9人が集まり、楽しいひとときを過ごしました。

参加者は
2組 山口 良一くん、脇坂 直義くん、佐古田(新本)美智子さん、野中(有田)千鶴子さん、町田 建一
5組 川井(田原)郁子さん
7組 丸喜(杉本)諭枝さん
8組 有廣 利光くん、増原 光男くん

特に脇坂くんは毎回広島から参加していただき、感謝しています。

5時から開始し、予定の2時間はあっという間に過ぎ、閉店の10時まで思い出話に花が咲きました。

有廣くんと増田くんは高校卒業後、同窓会と名のつく会に初めて参加したそうで、とても楽しそうにしていました。

7組の丸喜(杉本)さん、8組の有廣くん、増原くんは正月の大同窓会に参加できなかったので、井ノ本(原山)さんからいただいたDVDを会の途中に見てもらいました。(コピーを皆さんに配り、大変喜ばれました)

持参した「伊吹木」に参加された何人かは投稿してましたが、すっかり忘れていたようで、とても懐かしいと読んでいました。
店の閉店後、一応解散して山口くん、脇坂くん、佐古田(新本)さん、有廣くん、町田の5人でショットバーに席を移し、終電間際まで語り合いました。

最後に、皆さんと相談した結果、関西同窓会は年2回の開催をしようということになりました。

次回は11月の第2週の土曜日が良いのでは、ということでした。

今回は第1回目ということでいろいろ不備な面もあり、参加者も約半分しか集まりませんでしたので、次回はもう少し工夫したいと思ってます。


いのちの授業

2007-06-07 18:08:11 | Weblog
幸せな気分になれる川柳をたくさんありがとうございました。
この頃、紙面に子殺しや親殺しなどの暗いニュースが多いですね。

5/31に放送されたNHK ドキュメントにっぽんの現場「心に響け いのちの授業」で大分県豊後高田市の養護教諭 山田泉さんの半年を追った番組を拝見し、自身がんの副作用と戦いながら命の大切さを身を持って伝える姿に感銘を受けました。2日後に永六輔さんのラジオ番組で山田さんの話が出てびっくり。直ぐにインターネットで{「いのちの授業」をもう一度}という本を購入し、昨夜一気に読んでしまいました。
この本を読んで、保健室というものは、今の中学生に無くてはならない場所なのだと改めて思いました。中学生の叫びが良く分かり、それを一緒に考えて答えを出そうとしている先生と子どもたちの関係が羨ましく感じます。(私は平凡に生きてきたのかな?怪我をした時ぐらいしか保健室に行った記憶が無いもの。)
その一環として、外部からいろんなこころの先生を招き、生徒と一緒に命の重さについて考える「いのちの授業」が子どもたちにとってこれからの人生に大きな役割を与え、この先生に出会えた田舎の小さな学校の中学生は、本の中に会ったように日本一幸せな中学生だと思いました。こういう授業をどこの学校でも行えば少しは子どもたちも変わるかもしれませんね。

私が心に留めておきたいと思った文がありますので、抜粋しますね。

こころの先生の中にホスピス患者の稙田妙子さんが最後のお別れの時に子どもたちに言った言葉
「来てくれてありがとう…。あのね、私をよく見て。人が死ぬということは、ご飯が食べられなくなり、歩くことができなくなり、水が飲めなくなり、あたりまえのことが一つずつできなくなることなの。あなたたちはあたりまえのことができるよね。だからね…今のうちにやりたいことを思い切ってやって、納得のいく人生を送ってね」
「人生にとって一番大切なものは…お金じゃないなぁ。一番大切なものは、自分をさらけだせる友人を持っているかってこと…。あなたたち、今そんな友達がいなくてもいいのよ。30歳になってからかもしれない。40歳になってからかもしれない。でもね。人にやさしくしていたら、いつかめぐりあうよ」

もう一つ永六輔さんの書いた詩です
 生きているということは
 誰かに借りを作ること
 生きていくということは
 その借りを返していくこと
 誰かに借りたら
 誰かに返そう
 誰かにそうしてもらったように
 誰かにそうしてあげよう

  山田泉著  「いのちの授業」をもう一度   ㈱高文研発行 1,890円