つまらないつぶやき⑨
昨日のつぶやきの続きです。参議院選挙を前にして年金問題が政争化していますね。皆さんご自身の年金履歴大丈夫ですか?同窓の方で社保庁勤務の方はいらっしゃらなかったと思いますが、社労士の方いたかなあ?自分じゃないが身内がとても困っている!誰か教えてー!という方もいらっしゃるのではないかと思います。こんな方へ友情の手を差し伸べてあげられる方はいらっしゃいませんか!・・・ところで、我々世代はちゃんと貰えるのかなあ?ちゃんとじゃないかもしれない?かな。
本題に移ることにする。数年前にある書店で手にしてはみたもののいつか読んでみたいなぁと心に誓いつつ書棚に戻した・・・あれ以来すっかりそのままになっていたが遂に買い求めた。この3月からチビチビ読み始め3ヶ月かけて先日やっと第8巻を読み終えた。司馬遼太郎作、「坂の上の雲」。久々に大作に挑戦した。
やはり読んでよかった。読みながら色々なことを考えさせてもらえた。私は、ばあちゃん子である。明治の女。祖母はとても気丈な性格で少女時代(10歳頃より)から八坂家(杵築市野田の元市長故八坂善一郎さん宅)に奉公していたことにプライドを持っていた。そんな祖母から40年ほど前に聞かされた日清・日露戦争。乃木希典や東郷平八郎を念仏のようにというか自慢げに語っていた祖母の姿が蘇った。男に生まれたからには・・
世はまさに列強(欧州各国)の全盛時代、明治という若い国家のいわば瀬戸際の時代に多くの主役達が登場し、彼らの思考と行動がビジュアルに描かれている。勝、西郷、大久保、木戸といった大物が世を去り、いわば薩長藩閥維新の生き残りがふたつの外国との戦争を切り盛りした時代。この小説(フィクションではなくあくまで史実に忠実らしい)では当時傑出した兄弟の存在を浮き彫りにして描いている。伊予の秋山好古・真之兄弟である。その友人であった正岡子規も登場する。旅順港口封鎖作戦で活躍した広瀬神社に奉られる広瀬武夫も登場する。彼は竹田市出身である。
和魂洋才、付け焼刃で作ってしまった当時の軍隊組織、軍事大国ロシア相手に断然不利な状況。したくない戦争に突入してしまったからには負けるわけにはいかない。しかし現実は、屍積み上げそこを越えてもなお辿り着かない203高地、壮絶な厳寒のなかでの一進一退の黒溝台、奉天での対峙。絶体絶命の日本の命運。起死回生の日本海海戦により戦いは収束した。これにより日本国土は保全された。
軍人だけでなく当時の庶民・国民はこの戦争についてどう考えどう行動したのかが伝わってくる。確か与謝野晶子の君死にたもうことなかれ・・・もこの日露戦争時代の作。
明治25年生まれの祖母にとっては、とても自分でこの戦争について評価できるはずがない。この戦勝を契機に日本の軍隊はそれまでの「手段」から「目的」に変容し、大正・昭和前期の忌まわしい時代へ突入した。乃木・東郷の名はこの軍国化の道筋で権力に都合よく美化され神格化されたといわれる。祖母が語った乃木・東郷の響きはきっと昭和の時代の大本営発表の受け売りであろう。
読み進むにつれ作者は容赦なく課題提起する。組織のリーダーとは?管理職とは?私がいうまでもなく司馬遼太郎は大作それも名作と評価される多くの作品を著した。比較するわけではないが城山三郎が書いたものも結構読んだ。戦後復興以来それぞれの局面でリーダー達は難局にどう立ち向かったのかといったものを読んでみた。お二人とも既に他界されたのでこれからは新たな小説は出てこないが、おふたりが残された作品はこの国のかたちをつくろうとした人々に光をあて同時に、読者に日本人とは何か?人間とは何か?を問いかけているようだ。
司馬遼太郎は40代の始めに約4年間かけてこの作品をサンケイ新聞に掲載し、その後史実との違いや関係者からのクレーム対応、表現の修正作業などたびたび現地に出向いたり、膨大な資料を解析したりで、単行本を世に出したのは49歳になっていたという。このことを想像しても彼の偉大さというか人生への立ち向かい方に感動を覚える。40代を終えようとしている自分の何とちっぽけなことか。
こんな名作に出会うと次への挑戦意欲も自然とわいてくる。もっともっと司馬遼太郎に近づきたい。不思議な気がする。だから読書はやめられない。
○四国松山に「坂の上の雲 記念館」ができているようです。NHKもスペシャルドラマ化するようですね。
○ここで一句 「さあ梅雨だ 雨が上がれば 夏の巻?」
「松山に 修学旅行だ ○の巻?」・・・どうかな古庄君?
昨日のつぶやきの続きです。参議院選挙を前にして年金問題が政争化していますね。皆さんご自身の年金履歴大丈夫ですか?同窓の方で社保庁勤務の方はいらっしゃらなかったと思いますが、社労士の方いたかなあ?自分じゃないが身内がとても困っている!誰か教えてー!という方もいらっしゃるのではないかと思います。こんな方へ友情の手を差し伸べてあげられる方はいらっしゃいませんか!・・・ところで、我々世代はちゃんと貰えるのかなあ?ちゃんとじゃないかもしれない?かな。
本題に移ることにする。数年前にある書店で手にしてはみたもののいつか読んでみたいなぁと心に誓いつつ書棚に戻した・・・あれ以来すっかりそのままになっていたが遂に買い求めた。この3月からチビチビ読み始め3ヶ月かけて先日やっと第8巻を読み終えた。司馬遼太郎作、「坂の上の雲」。久々に大作に挑戦した。
やはり読んでよかった。読みながら色々なことを考えさせてもらえた。私は、ばあちゃん子である。明治の女。祖母はとても気丈な性格で少女時代(10歳頃より)から八坂家(杵築市野田の元市長故八坂善一郎さん宅)に奉公していたことにプライドを持っていた。そんな祖母から40年ほど前に聞かされた日清・日露戦争。乃木希典や東郷平八郎を念仏のようにというか自慢げに語っていた祖母の姿が蘇った。男に生まれたからには・・
世はまさに列強(欧州各国)の全盛時代、明治という若い国家のいわば瀬戸際の時代に多くの主役達が登場し、彼らの思考と行動がビジュアルに描かれている。勝、西郷、大久保、木戸といった大物が世を去り、いわば薩長藩閥維新の生き残りがふたつの外国との戦争を切り盛りした時代。この小説(フィクションではなくあくまで史実に忠実らしい)では当時傑出した兄弟の存在を浮き彫りにして描いている。伊予の秋山好古・真之兄弟である。その友人であった正岡子規も登場する。旅順港口封鎖作戦で活躍した広瀬神社に奉られる広瀬武夫も登場する。彼は竹田市出身である。
和魂洋才、付け焼刃で作ってしまった当時の軍隊組織、軍事大国ロシア相手に断然不利な状況。したくない戦争に突入してしまったからには負けるわけにはいかない。しかし現実は、屍積み上げそこを越えてもなお辿り着かない203高地、壮絶な厳寒のなかでの一進一退の黒溝台、奉天での対峙。絶体絶命の日本の命運。起死回生の日本海海戦により戦いは収束した。これにより日本国土は保全された。
軍人だけでなく当時の庶民・国民はこの戦争についてどう考えどう行動したのかが伝わってくる。確か与謝野晶子の君死にたもうことなかれ・・・もこの日露戦争時代の作。
明治25年生まれの祖母にとっては、とても自分でこの戦争について評価できるはずがない。この戦勝を契機に日本の軍隊はそれまでの「手段」から「目的」に変容し、大正・昭和前期の忌まわしい時代へ突入した。乃木・東郷の名はこの軍国化の道筋で権力に都合よく美化され神格化されたといわれる。祖母が語った乃木・東郷の響きはきっと昭和の時代の大本営発表の受け売りであろう。
読み進むにつれ作者は容赦なく課題提起する。組織のリーダーとは?管理職とは?私がいうまでもなく司馬遼太郎は大作それも名作と評価される多くの作品を著した。比較するわけではないが城山三郎が書いたものも結構読んだ。戦後復興以来それぞれの局面でリーダー達は難局にどう立ち向かったのかといったものを読んでみた。お二人とも既に他界されたのでこれからは新たな小説は出てこないが、おふたりが残された作品はこの国のかたちをつくろうとした人々に光をあて同時に、読者に日本人とは何か?人間とは何か?を問いかけているようだ。
司馬遼太郎は40代の始めに約4年間かけてこの作品をサンケイ新聞に掲載し、その後史実との違いや関係者からのクレーム対応、表現の修正作業などたびたび現地に出向いたり、膨大な資料を解析したりで、単行本を世に出したのは49歳になっていたという。このことを想像しても彼の偉大さというか人生への立ち向かい方に感動を覚える。40代を終えようとしている自分の何とちっぽけなことか。
こんな名作に出会うと次への挑戦意欲も自然とわいてくる。もっともっと司馬遼太郎に近づきたい。不思議な気がする。だから読書はやめられない。
○四国松山に「坂の上の雲 記念館」ができているようです。NHKもスペシャルドラマ化するようですね。
○ここで一句 「さあ梅雨だ 雨が上がれば 夏の巻?」
「松山に 修学旅行だ ○の巻?」・・・どうかな古庄君?