同窓会にまた行ったでー!

会えてよかった友・友・友、そして恩師。言えて良かったあの時ごめんねのひと言。次も絶対来ようね!

無視して欲しくはない(バジル)

2007-10-07 01:13:37 | Weblog
体育の日が制定されたのは、1966年(昭和41年)のこと。
「スポーツにしたしみ、健康な心身をつちかう」という趣旨で制定されました。
最初は10月10日でしたよね。何故この日だったのかをご存知ですか?

1964年東京オリンピックの開会式のあった日にちなんでとうことなのですが、
実はオリンピック開催の日としては、異例に遅かったそうです。

では、何故このオリンピックを開催するには遅い10月10日を開会式の日にしたのか?

それは、東京地方のお天気のデーターにようるものだったようで、
秋雨前線が去った後の「晴れの特異日」。
つまり雨の降らない確率の高い日というわけ。
それで、スポーツに適した日という意味があったのです。

実際に、1966年から1999年までの34年間に東京地方で
体育の日に1ミリ以上の雨が降ったのはわずか5回ということなので、
大いに意味があったと言うわけですよねえ。

ところが、2000年(平成12年)からは「ハッピーマンデー制度」の適用により、
10月の第2月曜日となってしまったおかげで、雨の降らない確率の高い日ではなくなってしまったのです。

2007年5月には、体育の日と勤労感謝の日をそれぞれ仮に11月1日と11月5日に
移すことによって11月3日の文化の日と併せて秋に大型連休を作る構想までもが
与党内で浮上そうで、記念日の意味よりも、連休を作ることに意味を置く議員さんが増えましたね。

私の個人的な意見としては、制定した日に意味のあるものを、無視して変えるのは、
いかがなものかと思っています。

連休の経済効果があるのは承知していますけど、
意味ある日を無視して欲しくないと考えるのは、私だけなのでしょうか?



ところで、体育の日といえば、思い出すのは体育祭。
高校1年の時と3年の時とでは、楽しみ方がまるで違っていました。

1年の時には、私は体育祭実行委員だったので、実施要綱を書きました。
表紙の絵も描いたのを覚えています。

開催までの日は、毎日要綱とにらめっこをしていました。
入場や退場のゲートの位置はこれで良いかを考えるのは楽しかったのです。
前年通りのものも多かったんですけど。

当日はずっと本部席にいて時計とにらめっこで、全体の進行状況を気にしながら過ごしましたから、
自分のクラスが何組みだったのかを覚えてないなあ。

3年のときは黄色組。応援団でしたから、バッチリ楽しみました。
着物大好きさんの縫ってくれた、特製ホットパンツはお気に入りでした。

アメくい競争の時に、粉から顔を上げたとたんに、シャッターの音が聞こえたのを覚えています。
案の定卒業アルバムにはその写真がありますね。
その写真を選んだのも、着物大好きさんのはず。

優勝カップもいただいて、古庄さんのとなりで万歳をしたこともはっきり覚えていす。
古庄さんは覚えているかなあ?

あなたの体育祭はどんな体育祭でしたか?

修羅場を一緒にくぐりぬけると(バジル)

2007-10-05 14:30:26 | Weblog
 便利な機械は、動いてくれている間はとっても便利なんだけれども、いったん止まると、厄介ですね。

 人間よりもすばやく、正確に動いてくるれる物の代わりを、人間がやろうとすれば、おのずとスピードもなく、大量の不良品を作ってしまう。

 日ごろ現場に下りてこない課長も、非常事態となれば大活躍してくれる。

「これしかないですもんね。」と言って、課長と並んで機械の代わりを頑張った。

 修理までの3時間、課長が頑張れば、下の者は文句が言えない。
大量に出る不良品と良品を仕分けながら、皆でなんとかこの場を凌ぎきった。

 やっと動いてくれた機械を見つめて、「ありがたいものだねえ。」と感謝をすると、頑張った人達はみんな笑顔。

 修羅場を一緒にくぐりぬけると、仲良くなれるものですよね。

おかげで、腕はパンパンだけどね。アー疲れた。

 ところで、おいちゃんはどうしているのでしょう??
 
つぶやきが聞けないのは、寂しいぞーーー。

カボスが届いた(バジル)

2007-10-04 04:58:56 | Weblog
秋の味覚のカボスが届いた。実家の庭で実った物だ。早速秋刀魚に搾っていただいた。
大阪のスーパーでもカボスは売られてはいるが、どちらかと言えば、すだちのほうがメジャーのようだ。売場を占める面積に差がある。すだちのほうが三倍は有りそうだ。売り方も違う。すだちはケース売りなのに、カボスはビニール袋に二個入りで百円から百五十円位なのだ。これじゃメジャーになれないよ。味で負けるはずはないのだから、もっと頑張ってほしいなあ。

8ヶ月もかかってしまった(バジル)

2007-10-02 23:10:29 | Weblog
 ディスプレイの前や、人の前にいる仕事をはなれ、今の仕事について3年の月日が流れ、やっとこれが仕事なんだなと思えるようになってきました。

 今の仕事に就く前までの仕事の概念と違いすぎて、何をどう考えればいいのか分からず、どうにかこうにか、やっとのことで、自分を組み立て直してきたように思います。

 工場でのラインの仕事は、肉体労働。交代の人が来ないかぎり持ち場を離れることはできません。とにかく驚くことばかりでした。

 「教えてる暇ないねん。勝手に覚えて。」
これが年下の先輩の最初の言葉。

 え?仕事の説明はないの????
「いいから、やって。」
「は?」とこんな会話の繰り返し。
当然、一日で辞める人も多いのです。

 常に響く怒鳴り声、ここは動物園?まるで、動物を調教しているみたいな現場。
 何の説明もなくやらされ、相手の意としない行動をとってしまえば、怒号がなる。
 これが、仕事なのか?浮かぶのは疑問符ばかり。
まるで刑務所に入れられたような気持ちになっていたかな。

 「勝手に覚えて。」と言った先輩から「おはようございます。」という朝の挨拶の返事がもらえるまで、8ヶ月もかかってしまいました。初めて返事があった日は、思わず自分の耳を疑いましたよ。日記に書いておきました。

 今考えてみると、彼女達にしてみれば、一時期に何人も入ってきた、戦力になるかどうかも分からない、私達リストラ組みをどう扱えばいいのかを苦しんだのでしょう。怒鳴っている人間の方がきっと不安だったのです。

 教え方を知らないだけなのだと気づいてからは、相手に教えさせる工夫を重ねました。新入社員には、私達が教えたので、教え方を覚えてくれました。

 少しづつ、自分に心地のよい環境をつくり、動物園から人間社会へと変化させつつというところです。

 昭和40年代にタイムスリップしたような会社で、ここしか知らない人達の考え方を現代に近づけるのは、至難の業でしたが、かなり変わってくれたと思っています。これからも、頑張るぞー。

 

節約のつもりだったのに(バジル)

2007-10-01 10:49:04 | Weblog
あなたのパソコンはお元気ですか?
私のパソコンは最近ご機嫌斜めで、起動するたびに時計が狂っていました。

正常な終了をしているはずなのに、起動時にプログラムが走る?

何故そうなったのか?分からなかったので、友人に症状を告げると
「わかった。」と一言

「本体の電源、コンセントから抜いてない?」
「周辺機器と一緒に一発で切れるスイッチ付きのテーブルタップに差してるから、
コンセント抜いてるのと同じだけど。」
「やっぱりね。きっとマザーボードの電池が切れかかってるよ。
ほっといたら、起動せーへんようになるで。
電池換えたら、もとにもどるはずやから。」

そんなことなら、簡単とて、パソコンを開けて、マザーボードを見ると有りました。
ボタン電池が一個付いていました。そんなこと知らんかったわ。
はずしてチェックしてみると、本当に0に近い状態。
電池の種類は「CR2032」 これなら近所のコンビニに有りそう。

便利な世の中ですねえ。すぐに購入できました。
電池を新しいものにして、起動してみると、なるほど元通り。

周辺機器はテーブルタップのままにして、本体だけはコンセントから直接繫ぐことにしました。
こうしておけば、微弱な電気がながれ、マザーボートの電池切れはなくなるそうです。

時々しかパソコンを起動しないという方は、起動しなかったら、あわてずに電池を新しくしてみてね。