同窓会にまた行ったでー!

会えてよかった友・友・友、そして恩師。言えて良かったあの時ごめんねのひと言。次も絶対来ようね!

新年にあたりお父さんが考えるべきこと!それはお母さんと食・・・

2006-12-26 22:28:27 | Weblog
つまらないつぶやき⑦

もうすぐですね。「あけましておめでとう」と同窓会が一緒にやって来ます。きっとご家族お揃いで平安な素晴らしい初春をお迎えなさることと存じます。

し・か・し お母さんはそんな呑気なことを言っていられませんね。大晦日には、今年最後のご馳走と年越しそばを作り、正月にはお雑煮やおせち料理を食べさせよう!と今から既に準備中でしょう。中には実家に持参する分もと多めに作る方もいる。きっと今頃は「今年はこういう風に変えてみよう」「あれもいいがこれもいい」と思案中かな。七日が来れば家族の健康を願い、七草粥を作り、11日(?)鏡開きにはぜんざいを作る。

考えてみると正月前後のお母さんは超多忙ですね。こんなお母さん方を見て、当然だ!それがお母さんの役目だ!正月は仕方ない。というのは、我々よりもずっと上の世代の思い。我々世代はむしろ、そんなお母さんの姿を感謝の気持ちで見るし、手伝って!と言われれば、「はい!」といってしまう世代だ。うちわでパタパタ、味見を少々・・

話は飛躍しますが、日本の長い歴史の中では、食料がこれほどまでに豊かになったのは、ここ30年余りのことだと思います。(いや、たしか40年位前だ。という方もいるようですが)それ以前は国内で食するものはほとんど国産だった。国産食料を国民が消費する割合を自給率といいますが、今のところ4割弱しかありません。全国民が米を食べるようになったのは、昭和17年頃からといわれています。それまでの主食は、麦やイモであったようです。(想像できないが、大先輩は皆さんそういわれる。イモはもういい。見たくない。・・・いやな思い出だったのでしょう。)

昔と変わらない正月の食材の数々は原産国が日本から外国に変わりました。豆腐、味噌、醤油の類は日本の代表食品です。お気づきのとおり一部国産もありますが、大部分は輸入に頼っています。(大分の名産に麦焼酎がありますが、原料の多くはオーストラリア産と聞きます。いいちこの「西の星」は、県北宇佐の麦を使っているようです。)
食することが豊かになればなるほど自給率は低下する一方のようです。

昔は、食べることに恵まれていなかったからこそ、正月に色々なものを食べて、家族一緒に幸せを感じていたのだろうと思います。食べることにより人は生命の鎖を繋いでいくものです。

さて、食という字は「人を良くする」と書きます。そこで、お父さんに告ぐ!お正月には、食べて・飲んで・テレビ見て・飲んで・・ではなく、お母さん(奥さん)への深ーい、深ーい感謝とともに、食事することについてその意味をよく考え、自分自身も含めて人を良くし、人を育てることを考えてみてはどうでしょうか。(子育ては終わった、もう遅いという方もいますが、あなたのお子さんまだまだ大人になりきれていませんよ。職場の新人しかり。お父さん頑張って!)   

いきなり立ち上がった妻から「それはあなた自身のことですよ!少しは家族のことも考えてるの!」といわれそうであるのでこの辺でやめとこう・・・・。

○きっこのブログは長くてなかなか最後まで読むのはつらい。きっと同じ思いで読んでもらったのかもしれない。感謝・感謝   さあ!いよいよあと 一週間!




上には上がいる!杵高卒業50周年同窓会の記事に驚き・・・

2006-12-20 22:57:43 | Weblog
つまらないつぶやき⑥

今日、12月20日(水)の大分合同新聞夕刊の記事に驚いた!杵築高校8回卒の方々が卒業50周年の同窓会を10月に開催したとある。何と!総勢150人も集合したようだ。すごい!熟年パワーというか、老年パワーというか、当時の生徒数はよくわからないが、よく集まったものだ。みなさん元気そうである。

そこに当時の何人かの恩師も同席している。平野先生(確か平野君のおとうさん)もお元気そうである。

今から40年くらい前、中学にあがる前に英語の塾に通ったことがある。(3回目くらいで辞めてしまったが)松山塾だった。元気そうに中心に鎮座されているあの方は松山先生?。あーあーあの先生も元気にされていたのか!

同時に塾でのいやーな思い出が頭をよぎった。富坂を登った突き当たり付近だったかなあ? 何故か理由は思い出せないが何度も怒られた気がする。あれ以来中学入学早々に英語が嫌いになったなあ・・・

話は戻るが、新聞を見ると150人が1枚の写真に上手く収まっている。この写し方なら個々の判別も、表情もよく分かる。よしこれでいこう!この角度で集合写真に収まるよう事務局長に進言してみよう。

○つまらないつぶやきも本当につまらなくなりました。その証拠に、投稿や返信がパッタリと途絶え、検索する方もめっきり減ったような気がします。(毎日の検索状況は私の方しか確認できません) あと少し、もうちょっと、ときどき画面(背景)を変えたりしながら頑張ります。 どなたか何か返信してくださーい。 おーい8組のみんな!どうかな? では。

●ブログ管理者(自称:ブログおいさん)連絡先は、aomei@oct-net.ne.jp まで
 ご意見・ご要望をお寄せください。(ただし、債務の連帯はご遠慮いたします。・・)





自然がいい、気張らない方がいい、ゆるくていい 同窓との再会・・・・・

2006-12-18 22:26:19 | Weblog
つまらないつぶやき⑤

『いよいよだね』 『もうすぐ会えるね』 『・・・・』そんな声がだんだん大きくなってきた。『あの頃のこと、はっきり思い出せるよ』『一緒に青春を取り戻そうね』一部ではあるが、そんな前向きというか積極的な声もあなたの周りで聞かれませんか?

とうとう来ちゃいました、あと二週間に迫った同窓会。意識はしていないが、何故か少し力んでしまう。不思議な感じ、こんな思いしている方いませんか?・・・実はあなたのことですよ!(顔をそむけないで!)

同窓との再会の『入り方』などあるはずがない。気を張る必要は全くない。自然がいい。どちらかと言うと『ゆる目がいい・ゆるい方がいい』そんな気がしています。

シャッフルされたこの30年、ときめきの出会いと悲しい別れ、栄光と挫折、選択と後悔、迷いと決断、喜怒哀楽、一喜一憂・・語りつくせぬいろんなことを体験しましたね。

そんな日常からの 『逃・避・行』 と思えばいい。 

所詮は、束の間のひととき、ウルトラマンのタイマーがなるまでの間 みたいなもの。

お酒はぬる目の燗がいーい、でまいりましょう。





青春とは・・サミュエル??曰く、おいさんでん、お○゛さんでん気の持ちよう・・・あんた自身が問題で!

2006-12-15 23:51:21 | Weblog
つまらないつぶやき④

やがて平成も19年となる。昭和19年という時代に青年であった方は、今80歳位。今の青年達と終戦前に青年であった方たちの丁度中間世代が我々となる。意識の中では、80歳の人たちは遠くの存在であり、若者はグッと近づいて見える。(見えませんか?)やはりそれは、戦前世代と戦後世代の違いなのか、戦前の教育を受けたものと戦後教育を受けたものの違いか?と我々世代は感じるが、実は若者世代から見れば、プラス30歳の我々世代はおいさん世代であり、さらにプラス30歳は爺ちゃん世代という等間隔に見えるらしい。

ニュースを聞くと、本日の参院で教育基本法の改正が通過成立したようだ。1947年の制定以来というから実に60年振りの手直しとなる。賛否両論あろうが私見はここでは差し控えたい。新たにわが国と郷土を愛する態度を養う・・・との記述が盛り込まれ、これが『愛国心』論議の核心部分となっている。生涯学習の理念や家庭教育ということも改めて条項に盛り込まれたと聞く。

同窓の仲間も学校の先生になった方が結構いる。30人を越える。この方たちにとっては相当影響ある、身近に迫った課題として今回の教育基本法改正問題に向き合っていることが想像される。

我々の学生時代、小学校・中学校時代は担任の先生が愛の鞭と称してよく手を出し、時にビンタをはったものである。その時は先生としての威厳を感じたが、今はそれができないようだ。(個人的には、先生にはビンタは認めてあげたい)授業や生徒指導では子供の目線にたって、仲良しを基調とした関係性作りに腐心していると聞く。正に先生も受難だ!

先生になりたくてもなれなかったが、ならなくてよかったような気もする。なった先生方には、心からご苦労様と言いたい。新しく改正された法律の枠内で、定年までは精一杯頑張っていただきたい。 (いらん世話!と一喝されそうだ。)

話が逸れたが、やっぱり今の若者は困ったものだ!と感じる。(そう思う自分がおいさんの証拠!と、家族の者から揶揄されるが)第一ねばりがないのに金を欲しがる。人と会話するのが苦手。偉そうに自己主張はする。・・・数えればきりがない。

我々世代は、当時はもう少し謙虚、ひとの話・先輩の話を聞いてから必要により主張する。真似ながらいろいろ覚える。(たとえ不都合な時にも、まず相手に合わせてみる、努力する)こんな姿勢で社会人としてスタートしたものだ・・・今の方たちとは随分違う気がする。

『新人類』という言葉も流行ったが、我々の次の世代の若者への蔑称であった気がする。『指示待世代』もその後かな(?)・・今の若者は、彼らとも違う。

し・か・し・・・今の若者を作り出し、育てたのは紛れもなく我々世代である。そういう意味では社会的責任の大部分は我々にこそあるのではないか!と一方では自省の念を抱いてしまう。親世代はいつの時代でもそういう思いを持つものだろう。


平成19年まであと少し。そして我々の同窓会がやって来る。
おいさんになってもお○゛さんになっても、改めて青年の気持ちで再会することを誓おうではありませんか!


みなさん校歌を歌えますか?・・・

2006-12-13 22:27:34 | Weblog
つまらないつぶやき③

いよいよ ア・ト 20日に迫りましたね。
『あんた行くん?』『どうして行く?タクシー乗り合わす?』『何時ごろ着くん?』『どんな格好していく?』『何着るん?』『終わったら大分で二次会する?』『大分にはいつまでおらるんの?』『ゆっくり話してえなあ!』『あん人どうなっちょるかなあ。会うの楽しみじゃなあ!』・・・仲良しネットワークの間ではこんな懐かしい言葉で会話が行き交ってることと存じます。いいですねー同窓会。会うまでがとっても楽しみです(?)ね。

突然ですが、杵築高校校歌の歌詞を全部覚えていますか?歌えますか? 私は、『両子の高嶺由布の峰 その影映す豊の海』までしか覚えていません。あとは『るるる・・・』となってしまいます。3番まであった気がしたのですが、確認したところ2番まででした。

今回の同窓会シナリオでは、終盤にみなさんで声高らかに歌う・・となっています。
このブログのリンク先の杵築高校ホームページをクリックされると校歌があります。また、アルバムが取り出せる方は、表紙裏面に掲載されています。一度口ずさんでおきましょう。同窓会ではもちろんアカペラとなります。自信のある方は大きな声でお願いします。

校歌の歌詞はどこの高校でも素晴らしいですね。未来を見据え・夢を抱き・努力して・公のために尽くし・自らその先頭に立って・範となす、そんな青年であれ!という趣旨のものが校歌として作られているようですね。もちろんその時代を映し出していますね。

我が名門杵築高校、旧制中学時代を名門というのかも知れませんが、大人になってから、古い方からよくそういわれます。『あんた十王会なんじゃなあー!』という言われ方です。○庁十王会、○○銀行十王会、○○株式会社十王会などあるようですが、結構大先輩の方々は誇りをもって活躍されていたようですね。

校歌に『偉人傑士の跡ふみて・・・』という部分があります。太平洋戦争の終結は大分県人によって収束されたといわれています。中でも偉大な先輩、重光葵さんなど多くの偉人を傑出したところが名門といわれるところなんでしょうね。何年か前にサンフランシスコ講和条約に署名した本物の文書をオークランドというところで見たときに、『これか!』という思いとともにわが故郷の偉人の本物のサインだ!と感動しました。(サインは先勝国各国とサインしたため、相当の時間を要したとのことも知りました。)

杵築高校の高訓(?)は、志四海・・これも含蓄のある言葉。青年を奮い立たせる言葉ですね。

これまで、それぞれの道を歩いてきた我々世代。途中いくつもの分かれ道で、右か左かを選択しながら今の自分がいます。後悔しても今更巻き戻しできませんが、校歌・高訓(是?)を改めて読み・噛み砕いてみると、正直反省が先に立ちます。

そこで、皆さん!同窓会では 校歌の歌詞を少し意識しながら 大きな声で歌ってみませんか!



 



最終の打合せ会も無事に終了。幹事のみなさんご苦労さまでした!

2006-12-10 20:22:17 | Weblog
同窓の皆様へ 遠来からの閲覧の方へ ・・・それから本日欠席の幹事さんへ

本日最終回となる第6回の幹事会を開催し、出席者の最終確認・当日の進行・準備物等再確認いたしました。(本日は飲み会なしで16時頃には散会しました。)今回も古庄事務所の特別室を利用させていただきました。

○本日出席の幹事のみなさん(クラス順に)
 久保君、荒木(理)君、渡辺(村田)さん、河野(秦)さん、横江(矢野)さん、古庄君、元島君、阿部(末永)さん、山本(河野)さん、濱野(東)さん、稙田君、青柳の12名でした。
 
 ※濱野実穂さんは皆勤賞!山本さんは今回が初参加。

○まずは、気になるクラスごとの出席予定者数は・・・・
 1組 22名 
 2組 17名
 3組 21名
 4組 24名
 5組 11名
 6組 10名
 7組 10名
 8組 11名
 計 126名  男性84名 女性42名

※今日も電話作戦を展開、前回の115名から11名増加し、各クラスともに二桁に到達しました。(調整してくれた皆さんに心から感謝いたします。)

○先生は、本田、仲田、秋吉、黒木、中島、岩本、後藤先生以上7名の先生方が出席されます。

○今後の出欠の増減については、クラス幹事経由→古庄事務所か濱野(東)実穂さんに連絡してください。

○クラス幹事の方は、当日は受付時間の30分前(10時30分)までに、会場に集合してください。

○帰りのマイクロバスは、杵築直行便(24名限り)1便のみ・・・15時10分ごろにホテル→JR杵築駅→大分交通杵築バスターミナルまで  ご利用の方は先着順です。あしからずご了承ください。

●さていよいよ、3週間後(23日後)に迫った 卒業30周年記念同窓会 あと半年先かーと思っていたのがつい先日に思えますが、もう既にそこに迫っています。
準備も一応何とか間に合った。かな? 幹事一同ホッとしています。
当日になって恐らく予定通りに行かないところも出ましょうが、そこは皆さん大人としての対応ができる方達ばかりなので大丈夫でしょう。ですよね?

●6回の幹事会を終えて・・・幹事の皆さん方はすっかり30年前に戻り、高校時代にはあまり会話する機会のなかった同士なのにすっかり仲良しになりました。飲み会も何度か重ね、新たな友情も芽生えた(かな?)、支えあう・補完しあう姿をあちこちの場面で見てとれました。  

●何かお気づきの点やおしらせがありましたら、ご遠慮なくこのブログに書き込んでください。







前半はとっても辛く・後半は楽しかった(?)・・・プログおいさん的青春回顧<部活編> 

2006-12-09 13:00:40 | Weblog
つまらないつぶやき②   

30年前の記憶を正確に覚えているはずがない。記憶の引き出しから取り出された思い出は、きっと自分にとって都合のいい部分だけ切り取り、仕舞っていたものに違いない。そんな思い出は<ひとりよがり・思いあがり>と一蹴されそうだ。そういう思いに駆られながらも、敢えて今公開に踏み切る。・・・・

ブログおいさんは中学時代(始まりは小学校)から剣道してました。(実は代表幹事の古庄君も同じチームでした。敏腕弁護士として現在大分に君臨する彼は、当時剣道ではあまりぱっとしませんでした・・・失礼)

ある時、中学の担任から何故杵築高校を選択するのか?近いところにあるからか?進学したいからか?○○の職業に就きたいからか? 当時の私には自らの意思はなかったというのが正解です。『お前はうちで剣道しろ!安岐高には行くなよ! 先輩には逆らえんからなあ・・』というのが本当のところでした。中・高校時代の先輩は正に先生以上であり、今風に言えばやっぱりいじめの範疇に入るのかもしれませんね、決して後輩には暴力は振るわないが、かかり稽古と称するシゴキは相当なものでした。

そんな思いで入った杵築高校。古庄君、高橋君、堀内君と中学時代の仲間はそれぞれに強い意志をもって剣道と決別し(高橋君はやがて先生となり今中学の部活で剣道顧問として頑張ってるようですね)勉強コースへの道を歩んでいった・・・

1年生の頃は、授業が終わるとすぐさま部室で着替えて道場に向かう日々の連続。そこには精神的なゆとりなど全くなかった気がする。当然、クラスの仲間と放課後に楽しく会話した記憶などない。剣道場に行きたくない。でも足は確実に道場に向かっている。同級生の仲間も皆同じブルーな気持ち。(横を見ると阿部順三君がいた。)土曜日も日曜日もない。年中無休の剣道部。(テスト前・中は休めたかも?)

ある授業中のこと、突然雨が振り出す、手を上げて『先生!防具を片付けていいですか!』先生の了解を取り付けると一目散に道場の外に干している先生・先輩方の剣道防具・稽古着を仕舞う。我々1年生に課せられた仕事である。

そんな部活を共に過ごした仲間の中に二人のマドンナがいました。伊○真理ちゃんと詫○綾さんです。彼女たちは高校から剣道をはじめ、3年間本当に頑張った仲間です。

彼女達の存在は、我々以上に先輩方や後輩達のどれほどの癒し(真面目な意味で)になったことか。ある大会でのこと、試合もいよいよ佳境に入り次は県大会決勝戦。ここで二人のマドンナ手作りの輪切りレモンの砂糖漬けを先輩方が美味しそうに口にする。応援部隊の我々としては何とも言えない、とっても羨ましくもあり・・そんな効果か先輩方は2年連続して県体優勝です。(・・・我々世代は代表戦の末に惜しくも準優勝)
来年は、あの輪切りレモン!きっと俺も口にするぞ!心にそう誓ったものでした。
(今は、スポーツドリンクやカロリーメイトなどありますが、当時は砂糖水が主流だったかな?)

そんな日々、くさい・汚い・キツイ汗まみれの一所懸命な部活でしたが、気がついてみると頑強な体と苦しさへの立ち向かい方など部活を通していろいろ身につけさせていただいた気がします。

今は亡き藤松先生と大分に戻られ今も元気に小学生・中学生の指導を続けている植木先生の存在があればこそと感謝の気持ちで一杯です。

○長くなってしまいました。マイナーな思い出ですが、1番と2番の引き出しから取り出してみました。

さあ、明日はいよいよ最終(6回目?)の幹事会です。最終的には、何人になっただろうか?期待しています。

愚問・難問?同窓会(で)の目的とは何か!それは人それぞれ?・・・

2006-12-05 22:45:24 | Weblog
つまらないつぶやき①

何故、同窓会に行くのですか?と聞かれるとあなたはどう答えますか?
それは・・・思わず言葉に詰まるということはありませんか?
 
ないない絶対ない! あなたは何を言ってるの!と叱られそうだ。
会いたい人に会えるから! 会いたい人といっぱーい話をしたいから!
酒を酌み交わし人生を語りたい!お互いの健康を確認したい(これはまだ早いか?)
気になってた人に会いたい・見たい!  ・・・こんな声が聞こえてきます。

会いたい人に会うと、そのひとと一緒に思い出もついて来る。記憶が鮮やかに蘇る。自然と笑いが出る。思わず大声になってしまう。不思議なことに当時は苦しかった、嫌だった記憶が今にしてみればちっぽけな出来事として思い出される。自分でも当時の自分を笑ってしまう。こんな光景があちこちで見られるでしょう。

中学時代の3年間、高校時代の3年間、この多感な時代の時間と経験は、その後の30年間を凌駕してしまうほど思い出一杯の時間だったと感じるのは、私だけであろうか?いやそんなことはないはず。多くの友もきっと同じ気持ちであろう。

人それぞれに楽しみへの期待をもって臨む同窓会。そこには思わぬ気付きや新鮮な発見が潜んでいることでしょう。

30年振りの疑問の解消や、はたまた愛の告白場面になるかも? (でも今となっては巻き戻しできませんね。


○ブログのテンプレート(背景)を時々変えています。気分転換のつもりです。ご理解願います。

熱い友情に応えて、動き出す復活の絆!

2006-12-03 10:34:38 | Weblog
12月に入り、スケジュールの調整から調整の末に『同窓会に行けるぞ!』という声がクラス幹事のもとに届いているようです。結論に至った舞台裏を想像すると、こちらの胸にも熱いものを感じます。クラスを越えて今そんなやりとりを続けていただいてます。頑張っている皆さん方に、古庄実行委員長およびクラス幹事団に代わり心からお礼申し上げます。

さて、本当にいよいよあとひと月になりましたね。ブログの方も閲覧者が段々増えて、ややプレッシャーを感じつつ(自意識過剰ですかねえ)、当日までにこまめに書き込んでいきたいと思います。当時の記憶・思い出や同窓会当日の運営・盛り上げ方などについての話題を取り上げてまいります。
是非、提案したいこと、アイデア、昔話などありましたら、イニシャル・匿名でも結構です。投稿してください。(注;個人の誹謗・中傷やこの場に相応しくない場合は削除させていただきます・・・)

現在のところ、5組さんから8組さんのここに来ての頑張りにより、各組とも何とか二桁の参加が見えてきたようですね。



いよいよ先生走る月を迎え、クラス仲間の交信も活況を呈す!

2006-12-01 20:56:58 | Weblog
同窓の皆様へ

いよいよ12月に入りました。温暖な大分の地でも結構寒いですね。名簿では北海道岩見沢にお住まいの方がいらっしゃいました。これからが大変ですね。毎日が雪だるまマーク。ドイツのジュッセルドルフ?ここはどうでしょう?たぶん寒いのでは。(行ったことがありませんので。)一方、沖縄県竹富島 ここは寒くはないでしょう。・・・・全国で、世界で活躍する我が28回生。多くの方々が故郷から遠く離れて活躍されていますよ。

さて、いよいよですね。あとひと月経ったら、そんな遠くの方から、元クラスメートの呼びかけで、中には30年振りに元気な顔を見せてくれます。楽しみですね。自分も変身したけど、あの人はどれくらい変身しているだろうか?(特段の意味はありませんよ)

このブログを立ち上げてから早2ヶ月が経過しました。アクセスの累計も10,000ヒットを超えました。(冗談です。)でも、結構見てくれてるんだなあーとやや満足しています。我々の若い頃はこんなものありませんし、交信の術がありませんでした。今とは大違いですね。便利なものです。「参加者が少ないよー手伝って!」と訴えれば、翌日には県外からメールで「私ができることはやってみるからね!○○ちゃんに声かけとくから!」と応援の声。ありがたいですね。クラスの幹事を中心に 今こんなやりとりが活き活きと行き交っているそう想像します。 30年前のクラスマッチみたいですね。

「ブログいつも見てるよ。皆さん見てるしなかなか書けないので携帯メール教えて!」という声もいただきました。(バラしてごめんね。名前は伏せとくから・・)いろいろな声をいただきました。ありがたいですね。

あと一月、再会がとても楽しみになってきました。 では、参加人員の増員を目指して
幹事さん ガンバローね!!!