波乱の海をぶじ目的地へ

現世は激しく変動しています。何があるか判りませんが、どうあろうと、そんな日々を貧しい言葉でなりと綴っていけたらと思います

バイク 雪女 未完 5

2019-05-06 13:27:55 | 超短編


 そのうち羽音が頻繁になり、それが迫真するバイクの爆音とも重なり合って直子をかきむしり、雑草の繁茂する方へなだれ込んで行った。いくつもの羽音の中に、一つのバイクの音を捉えている気もしていた。
 直子が草の茂みに飛び込むやいなや、一つのバイクの響きは、まぎれもなく彼女を捉えて強迫してきた。それを掻き消す雑駁な音も飛び込んできて、彼女は不当な攻撃を振り払うべく必死に叫んでいた。雀蜂が礫のように、彼女を襲ってきたのだ。直子は雑草の中に倒れこみ,頭を押さえて叫んだ。
「助けて、誰か来て!」
 蜂の攻撃を逃れて、草の上を転げまわっている直子の耳に、明るく軽快な羽音を響かせてる確かな、しかしこれこそが本物であるというような手応えのようなものを感じ取っていた。
 園部のバイクだ。直子は項に食らいついてくる蜂をもぎ取り払い除けながら、救いの色々を実感していた。しかし、その救いは迫ってくるにしては、夢のように遠かった。
 ほどなくバイクの音は農道の傍らに来て止まり、彼女の上に一人の男が覆いかぶさってきた。それが一度として接したことも、言葉を交わしたこともない,園部透だったのだ。
 園部は直子の腕や項に食らいついている雀蜂を握りつぶして殺した。なお迫って来る蜂を手で追いながら、直子を横抱きにすると、農道へと運び上げた。そのまま直子をバイクの後部座席に乗せると、
「ぼくにしっかりつかまっていなよ。うっかり手を放したら命がないよ」
 園部透はそう言い放ってバイクをスタートさせた。
「市の大きな病院へ飛ばすか、近い村の病院に信頼して、近いほうを選ぶか」
 透はそんな言葉を吐いてはいても、それは直子に訊くというより、彼自身への問いかけだった。
 彼に救い出された安心によるのか、直子は意識がかすんでいき、背後から彼に捕まっている力の配分が全くわからなかった。園部透もそれを感じるらしく、
「力を緩めちゃダメだ。しっかり捕まるんだ。いのちだ。いのちだ。力を抜いたら,アスフアルトに頭をぶつけて、それでおしまいだ。命を大事にしな。俺のいのちじゃない、君のいのちだ」
 それが園部透との全てだった。直子は早朝のこととて、開院準備中の村の診療所に運び込まれ、ベッドに寝かされると、意識も遠くなり眠ってしまった。すぐ注射がうたれ、眠り込みながら、雀蜂にさされた時の報告を、問われるままに伝えただけである。
 園部透は、広くもない診療所内とか、前庭を歩き回っていたが、自分のするべきことも見つからず、病院を出て行った。彼のバイクの遠ざかる音を、直子は耳にしたような気がするが、定かではなかった。

未完 5



バイク 雪女 未完 4

2019-05-06 12:30:32 | 超短編


 彼、園部透が突然バスに乗らなくなったのだ。バスには乗らなくても、彼が高校を
退めたわけではなかった。それが分かってから、彼女は心臓の止まる思いはなくなったが、彼を失った思いは強く残って、園部透のことを思わない日はなかった。彼がいなくなったのは、高校のあるY市で下宿をしたからでもなく、通学の手段をバスからバイクに変えたからだった。長距離歩かなければならない孫の大変さを思いやって、祖父が彼の父に協力してバイクを買い与えたからだった。彼女、井関直子は、また苦しみを募らせることになる。彼が消えてしまったのではなく、同じ高校に通学していることではほっとしたものの、彼と顔を会わせる機会がなくなってしまったのだ。そのことが何より井関直子の心を痛めた。
 彼の乗るバイクの音が、あたかも井関直子の心臓の炸裂音のように重なってきてならなくなった。高校に向かって走っているバスが停留所に停っているすぐ横を彼の乗ったバイクが追い越していくときなど、いわれのない心のおののきを覚えるようになった。あの蜂の羽音のようなバイクの唸りが、耳につくようになった。聞きたくなくても、勝手に耳に飛び込んできて彼女をかきむしり、遠ざかっていくのだ。
 高校の花壇や自宅の庭に来る蜂の羽音さえ、バイクの音と勘違いするほど、直子は痛めつけられられるようになり、バイクを買い与えた彼の祖父と父親を敵のようにも感じはじめた。
 バスが高校前の停留所に留まる時など、あんなにもうまくいっていたのに、それが不当だと言わぬばかりに、彼をバス通学から追放してしまったのだ。彼女に蜂の唸りだけを残して、園部透を遠ざけてしまったのだ。彼の所属する2階の教室の前を、素知らぬ顔をして、何度か行ったり来たりしたが、一度も彼を見かけることはなかった。
 そしてあの日、直子は重たい頭を抱えたまま、通学の始発になっているバスターミナルに向かって歩いていた。足が地につかない感じは、熱もいくらかあるようだった。いつもより、時間が遅いのか、早いのか、その確認もつかめなかった。
 時折低空を大きな蜂が横切って、唸りを残していった。彼のバイクだわ、と足を留めたりもした。

未完 4