波乱の海をぶじ目的地へ

現世は激しく変動しています。何があるか判りませんが、どうあろうと、そんな日々を貧しい言葉でなりと綴っていけたらと思います

櫓(やぐら)

2018-10-04 17:45:03 | 超短編



 三坂村がP市に合併されると、今まで見かけないものも現れるようになった。
 盆踊りの櫓の上で太鼓を叩いていた洋子の父も、そんな若者のグループを見かけるようになった。胸を張り肩を揺さぶって歩く、その身ごなしもどこか不良っぽい。そんな若者の一人が、娘を誘って、踊りの輪に加わった。不愉快を禁じ得なかった娘の父親は、握るバチに力を込めてひときわ強く太鼓を叩いた。
 次の日もその若者のグループはやって来て、前日と同じ若者が娘を誘って踊りの輪に入った。娘の父親は不興げに太鼓を三つ四つ叩いた。
 その音に、若者は顔を浮かせて、洋子の父親に目をやった。その壮健な感じの中年男は、若者のまったく知らない顔だった。
 父親もその後は普通の叩き方で、盆踊りは進行していった。そして踊りが佳境に入って、若者と娘の踊りが熱を帯びそうになると、父親の太鼓は先ほどの強い調子になった。また若者の顔が上がる。しかしそれは音の強さに惹かれて、無意識にしているのかもしれなかった。
 娘の洋子も、太鼓が強く打ち鳴らされたときは顔を上げたが、父親がわざとしているとは思わなかった。
 間もなく盆踊りは中断され、乞われてやって来た村では著名な歌手が艶歌を歌いだした。広場中央の櫓の上を舞台にしていたので、洋子の父は姿を消し、舞台にいるのは、歌手と司会の二人だけだった。
 歌手は得意気に声をふるわせて、次々と艶歌を流していった。
 艶歌が終わったあと、盆踊りは続行されなかった。司会の男がうまく丸めて、社交のダンスに模様替えしたのである。
 音楽も軽快な洋楽になっていた。数少ないダンスのカップルが、広場に散って踊りだした。先ほど洋子を盆踊りに誘った若者も、おくれてダンスに加わった。相手はやはり洋子だった。
 櫓の舞台からは、父は姿を消していた。鳴っているのは、艶歌でも太鼓を中心にした盆踊りの歌でもなく、軽快なダンス音楽だった。
 翌日の夜も若者のグループがやって来て、前夜の若者が洋子を誘って踊りだした。
 父親の太鼓叩きは脂が乗って、強く打つところは昨夜より滑らかだった。むしろ強調する叩き方が、そのリズムをおびはじめて、この名調子が父親の新たな演出になっていくのではないかと思われた。そのとき若者がたまりかねたように、洋子に訊いた。
「あの右端の太鼓叩きは、この村のどういう人?」
 洋子は昨夜の父親の荒み方を知っているだけに、言っておかなければならない必要を感じて、
「私の父親よ!」
と教えた。そう言って、櫓の上の父をまともに見たのである。その父は片肌脱ぎになっており、裸の肩から二の腕にかけて、大きな龍の刺青がしてあった。刺青をしている父親など知らなかった。
「お前の父親だって!」
 若者は驚き慌てたように、そう憤慨して、
「なら、どうして俺に教えなかったんだよ」
と洋子を突き放すように言って、踊りの輪を出て行った。
 洋子は真実を教えてよかったと、胸を撫で下ろしていた。
 その夜、晩酌をしている父の腕に、龍の刺青はなかった。

 おわり