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高齢者になっても、ヒマ・ひま・暇やはり暇

高齢者「さいら」ブログ。リタイヤーから、晴れて高齢者の仲間入り。店名をマイナーチェンジ。内容は以前と同様雑他。

今日の話題アラカルト(3)

2006年03月30日 | 今日の話題
靴下の履き方(2006年3月30日)
 所用のために来週火曜日まで更新が出来なくなりますので軽い話題を一つ。靴下と言っても、ソックスのことである。職場の或る先輩の話である。
 その先輩は幼少の頃から靴下をはく時に、片足で立って、前屈みになって、上げた足の方の靴下をはく。次ぎに足を変えて、同じようにはく。要はズボンとかパンツと同じ様に立ったままで、はくのである。小さいときからの習慣なので、靴下はそういう風にしてはかなければならないと信じ込んでいたそうだ。
 背が小さい幼い頃、未だ身体が柔らかい青壮年の頃は特にそれが苦痛ではなかったそうである。しかし年齢と共に、50を超えるとその方法は難しく時には、ケンケンをするようになり、勢い余って、部屋の中を飛び跳ねたり、ひっくり返ることもあったそうである。そして、靴下をはくことが苦痛に感じたそうだ。しかし、靴下はそういう風に、はくものであると信じて疑っても見なかったそうだ。
 丁度その頃その先輩が、同僚と出張で同室になったそうだ。先輩は、苦労をしていつもの様に靴下をはいたそうだ。そして、ふと同僚を見ると、同室の同僚は胡座に座って何の苦労もなく、靴下をはいているではないか??その時、先輩は何とも言えないショックを受けたそうだ。この数年間の苦労は何だ??
 そんな話をする先輩を思わず笑わずにはおれなかった「さいら」であった。ところで「さいら」は、立ってパンツをはくのも苦痛に感じる今日この頃である。

属地統計と属人統計(2006年4月23日)
 漁獲量統計には二つの統計があります。一つは属地統計です。これは例えば「和歌山県」に水揚げされた漁獲量です。他府県の漁業者が和歌山県に水揚げしたときにも計上され、和歌山県の漁業者が他府県に水揚げしたときには計上されません。もう一つは属人統計です。これは和歌山県の漁業者の漁獲量です。和歌山県の漁業者が他府県に水揚げしても、に計上され、他府県の漁業者が和歌山県に水揚げした場合には計上されません。沿岸漁業のようにほとんどが県内で完結する場合には、両方の統計値は余り違わないのですが、関西で最大で全国から水揚げされる「マグロ集散基地(勝浦漁港)」がある場合は、大きく異なってきます。これらの統計は事業計画策定などの目的に応じて使い分けされます。
 日経新聞にGDPとGNPの話が掲載されていました。これらの統計値は詳しくは分りませんが、属地統計と属人統計に似ているように思いました。経済指標として昔はGNP(属人に該当します)が用いられていましたが、最近ではGDP(属地に該当します)が用いられています。丁度、和歌山の勝浦漁港のようにマグロの国内での集散基地化と同じようにわが国の経済活動がグローバル化した実態があるようです。
 しかし、これらの統計値は、どちらかを絶対視するのではなく、解析内容によって使い分けが必要であろうと思います。

進歩的文化人(2006年5月1日)
 メーデーの頃になると思い出すことがある。組合の職場委員をしていたときのことである。職場委員はその課の一番若い者の仕事と相場が決まっていた。メーデーの動員は「課で何人」と組合本部からノルマがある。なかなかノルマ達成とは行かない。やむを得ず、課の中で最も組合に縁遠く、無関心と思っていた方に恐る恐る声を掛けた。まさかと思ったが、その方が言うには「進歩的文化人はメーデーには参加しないとね。」
 メーデーのイメージがその時変わった「さいら」であった。

「人」と言う字(2006年5月9日)
 或るブログに「共依存」という言葉が出ていた。何となく新鮮な言葉に思えた。そこで述べられている例は余りにも身近すぎるので、間違いを恐れずに「さいら」の例を上げてみよう。
 幼子は親に依存している。食事・日常の生活等々。そう言う我が子を見て親はその子無しでは生きていけないと思ってしまう。親も子に依存しているのである。
 「共」の言葉から「さいら」が想像する平面的なと言うか、対等な「相互」依存関係でなく垂直的な「相互」依存関係であるように思えた。それを読んで、思い出したことがある。
 小学校の4,5,6年の担任の先生が話してくれたことである。記憶は定かでないので、間違っているかも知れない。黒板に大きく「人」という字を書いて話し始めた。「この人という字の様に人間は支え合って生きている。」「決して、一人で生きているのではない。」「人の字のどちらか一つの棒を取ってしまうと転けてしまう。」当時の生意気な「さいら」達を戒めた言葉と思うが「共依存」という言葉を聞いて、なるほどと改めて思う。
 と言う様なことを思っているときに、或る新聞に「互恵的利他主義」が解説されていた。この言葉は実に説明的な言葉である。「私の背中を掻いてくれ。あんたの背中も掻いてやる。」が例示されていた。自分で自分の背中を掻くことには不便を感じる。確かにこれは協力関係である。その解説によるとその様な行動は単純な行動で人間以外でもありそうであるが、どうも人間特有のものであるらしい。そして、人類の特徴は「お返しをする動物」であると言う。このような関係が成り立つのは「お互いにずっと一緒にいることが分かっている伝統的な共同体のような環境中だけだ」という。
 お返しの必要がないと判断すると、脆くもこの関係は壊れてしまう。この関係は「ずっと一緒にいることが分かっている」中でのみ成立することから「依存関係」とも言える様な気がする。
 小学校の「人という字」、「互恵的利他主義」、そして「共依存」何れも「ギブアンドテイク」、「もちつもたれつ」、「お互い様」などと同じ様な意味合いの様に思えるが、何処か全く違う様に思える。

風邪引き(2006年5月9日)
 数日前から風邪の兆候。昨日の朝、目が覚めると喉がひどく痛い。熱も有りそう。で、今日は朝から掛かり付けの医者へ。熱は38℃ほど。風邪のいつもの処方と血圧のいつもの処方。
 血圧は生活習慣病と言うことで綿密な生活指導。それに「さいら」のサインが必要。幾つも項目がある中で「毎日、30分以上のウオーキング」にチェックを入れてサイン。その医院、何時も思うのだが小さい待合室に大きい灰皿が二つ。多分先生が愛煙家なのであろう・・・。

加齢と肥満とベルト(2006年5月31日)
 ズボンは皺が入りやすい。と言うことで、これは妻のお仕事ではあるが、ズボンのその日の役目が終わるとベルトを外して、ズボン用のハンガーに掛ける。決して、毎日アイロンをする訳ではない。念のため。少しでも皺が伸びると言うことだろう。
 さて、朝、そのズボンを履くのであるが、丁度腹回りが合っていて、ベルトなしでも、ズボンがずり落ちることは全くない。昔はそうでなかった。そう言うこともあって、ベルトをするのをよく忘却してしまう。加齢も重なって、そのまま外出しても全く気が付かない。昔は気付かないことはなかった。
 ああ。嫌だ。加齢と肥満。そしてそれを分からせるベルト。ああ。嫌だ。

一台と一人(2006年6月7日)
 ご無沙汰していました。三宮から娘宅までは、有料トンネルを通って行くのが普通です。乗用車ですと、一台につき、600円です。ETCの割引はありません。三宮から京都へ行くのに阪急ですと一人600円です。ここは一台と一人と単位が違いますので、比較は出来ません。しかし、高いと思ってしまいます。バスは470円かかります。その中に、有料トンネル代も入っていますが、これは一人の価格です。和歌山から関空は高速道路・関空大橋と有料の道を通りますが、妻も乗りますので、一人千円です。
 昔々、東京ですが、住居地から職場まではバスでした。通常の時間帯は、首都高速を使わないのですが、通勤時間帯には有料道路を走ります。その時の割増運賃が確か20円だったと思います。
 あれやこれやを考えると、神戸市は金儲けが上手だと思います。トンネルも、バスも、決して、がら空きではありません。神戸市は、トンネルで儲けて、バスでも儲けていると思ってしまいます。昔から、神戸市は金儲けが上手な自治体で有名でした。でも、市民が日常使うもので儲けなくても良いのではないかと思ってしまいます。

右と左(2006年6月8日)
 小さい時から、右と左が分からなかった。「右手を上げて」なんて言われると、どっちの手を挙げて良いのか分からなくなってしまう。幼心に恥ずかしい思いをしたし、両親はマジに心配した。今でも「はい、そこを右折」と言われると、一瞬どちらか分からなくなる。 
 「さいら」の左の手のひらに黒子があった。「左は黒子」と言うわけである。「黒子があるのが左手。」「分かったか??」それで間違わなくなったのであるが、取りあえず黒子の確認をする分だけ、みんなより遅れる。仕方がない。間違えるよりはましだ。その癖は今も続いている。不思議であるが、まず、左の黒子を見る。逆にはならない。それは間違わない。そしてそれが分かっているなら、特段見る必要もないのであるが。そして、しかも、今では、その黒子はないのであるが・・・・。

昔の夏の地方出先機関風景(2006年8月8日)
 ブログに役所の夏の風景が掲載されていた。懐かしくて「さいら」も昔の夏の風景を思い出した。お断りしておくが、この話は決して「さいら」の話ではない。
 或る地方出先機関の先輩で、その出先の「長」の話である。昔、クーラー(と言う言い方自体が古いが)は無かった。余りの暑さに、先輩は小さい盥に水を張って、それを机の下に置いた。そして、裸足でその盥に足を入れていた。それなりの効果もあった様である。しかし、その時の暑さはそれでも我慢ができなかった。そこで、その先輩は、ズボンを脱いで、パンツ一丁になって、足を盥に漬けていた。ご満悦であった。勿論、昔の話であるので、パンツと言ってもトランクスに近いものであったが・・・。
 ところが、丁度その時に、突如として、「県会議員」がドカドカと入ってきた。勿論想定外の話で、そんな偉いさんが来るような出先ではない。その先輩は慌てふためいたそうだ。そして、「時は既に遅し」で、パンツ一丁で取りあえず、挨拶した。暑さの汗でなく「冷汗」が出たと言う。何しろ、県会議員は幾ら暑くても、ネクタイに背広である。
 その話は、更に後日談がある。某委員会で、そのことが話題になり、長としての服務規律が問題となった。

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